安心感ゼロの武芸者が近接格闘術を教える
小密林の獣道はオレとマグノリアの足跡が幾重に残っており、継続する力が身に付いてきた事を感じている。転生前はこんな面倒くさい事進んでしなかっただろうが、この世界では成長が実感しやすい。自身の防衛に徹してきた人生だったが、野心くらいは抱いてもいいのかもしれない。
帰路についていると、我が家に通じる裏口の前に見慣れない人影が立っていた。この世全てを抑圧する黒血の短髪。それに見合わぬ高貴な青い僧侶服を纏う人物がオレを凝視していた。相手の悪意を見通すような眼力に呼吸が荒くなる。
「君を待っていた。私の手を取りなさい」
彼はただその場で右手を差し出した。当のオレは唇が震えて言葉すら発することができなかった。自分が自分でないような感覚に陥り、不思議と足が前へ前へと進んでいく。たくましい右手に触れると、周囲の景色が青白い光へ変わっていく。光がオレが包んでいた。
「私と時間を潰そう」
ヤツの言葉と共に光が消えていき、見慣れない景色が目に入る。眩しい光を遮るまぶたがゆっくり開かれて、オレは森林に囲まれた大きな広場のような場所の中心に立っていた。依然として空は雲で覆われている。暗い森林の中で恐怖心を隠すように、相手の姿を見ずに目を逸らして疑問をぶつけた。
「お前は誰だ。オレに何をした。ここはどこだ」
目を逸らしていてもわかる視線の力強さが頭上から伝わってくる。ヤツは一呼吸置いた後、半歩下がった。
「私はアット…。アトトニリ・シトラミナ。君をシーシェルの外に転移させた」
「なぜ!」
間髪入れず言葉の勢いのままに顔を上げると睨むような目でオレを見続けていた。自身の自然な眼力に気付いたのか、アトトニリは目蓋を閉じて腕を組み始めた。
「…そう、だな。君の修行をするためだ」
「修行だと?」
「ああ。私は剣術から格闘術まで大抵の分野の武芸に秀でている。教わる事は多いと思う」
オレは未だに最低限鍛えた体力と魔術をかじった程度の力しかない。向上心が維持できている内に習得できるものは習得しておきたい。とはいえ楽に習得できる手段が存在するかどうかは訊いておきたい。
「苦労せずに武術を習得できる道具出してよ」
「方法自体はあるが、その時ではない」
こういう類ではストイックに修行する以外方法はないと思っていたが、案外訊いてみるもんなんだな。
「じゃあ、とりあえずオレが冒険者になるまで一通りの武術は習いたい。ちなみに出世払いでよろしく」
「問題ない。私は君の父から命を戴いた。その恩を返したい」
「ふーん…」
アトトニリは物憂げな表情で語る。その表情は一瞬ですぐさま凛とした顔に戻った。
「早速格闘術を教えよう。まずは一度競い合うぞ」
アトトニリは両肩の前に手を持っていき両脚を肩幅まで広げる、前世で見慣れたファイティングポーズをとった。まるでボクサーのようだが、決定的に違うのは小刻みなリズムを取ることのない不動の姿勢だった。彼の筋肉の部位が強張ることはなく脱力感が伝わってくる。
マグノリアとの拳闘を思い起こす。幾度も挑んではダウンするの繰り返しだった一方的な修行だったが、得られた経験はあると思いたい。負けじと見よう見まねの構えを取り、オレは雄叫びをあげる。
「うおおおおおッ!」
地面を踏み込む両脚が重い。数歩距離を縮めて拳を2回打ち込む。しかしアトトニリは呼吸一つ乱すことなく左へ躱した直後に拳を、ハエを除けるかの如く打ち払う。アトトニリに素人の拳は届かない。ノロマな拳打を払うと態勢を崩し、腹部に鈍い痛みが走る。
「ッ──」
アトトニリは殴る前に、上半身を動かさず勢いを殺していた。最大限の手加減をしているにも関わらずこの痛みだ。殴打の衝撃で腰から後ろへ落ちるすんでのところで右脚で踏ん張る。ふと前を見るとかなり距離が開いていた。あの一瞬で吹き飛ばされたようだ。
「最初は打ち合う考えでいい。徐々に身体が開いていくのをとっさに判断したら隙を打ち込みなさい。幸い体幹はあるようだな」
「ダメ出しだけで、いいんだぞ!」
殴られた腹部を軽くさすり再び距離を詰める。アトトニリは変わらず動くことのない構えで迎え撃つ。胸に向けて左右の拳を交互に打ち出すも、全ての猛撃を軽く手のひらで受けられてしまう。しかし、動かす気配を悟らせなかったオレの右脚を突き上げる。
「悶えろッ!」
アトトニリの股関節に右脚が突き刺さる。上半身のみに拳を打ち込んでいたことにより、下半身への意識がガラ空きになったところを突く。しかしアトトニリはノックバックどころか微動だにしない。
「ない──」
オレの小声の言葉とは裏腹に身体と脳内に凄まじい衝撃が走る。目にも留まらぬ速さで叩き込まれた拳の数々はオレの身体全てを凹ませた。突風のように目視することがかなわない格闘術に理解が追いつかない。広い面積の禿げた草地の中心にいたにもかかわらず、草地の端の木の幹まで飛ばされてしまう。跳ねる身体が地面に叩きつけられ意識が一度暗転する。しかし、アトトニリの溢れ出る感情が意識をギリギリ繋ぎ止めた。
「おい。まさか私を男だと思っていたのか?」
中心からかなり距離があるはずだったのに、彼──彼女はもう目前に存在していた。
「ちッ、ちが…」
身体に残る衝撃で喉から発せられる言葉が声にならない。あちこちの痛みがおさまらない。アトトニリを見上げると、裏道にいた時の百倍恐ろしい形相で睨みつけていた。
「…私を女と思ったヤツは皆殺し、と思っていたが気が変わった。長い時間をかけて、私が女であるということをお前に刻みつけてやる」
「あ、あはは…。お手柔らか、に…」
目蓋はいつの間にか落ちており、意識が不明瞭になる。アトトニリの足先を最後にオレの思考はシャットアウトされた。
ーーーーーーー
忌まわしき港町シーシェルの雑貨屋。その店主と妻子が今日の標的だ。私の計画により、町中の人々は建物にこもっている。無論、雑貨屋の連中も例外ではない。まとめて吹き飛ばしてくれよう。
「ククク…。リーベルタース、キゼモニコス。お前たちの愚かな判断が、民を殺すのだ…」
杖の先端が紅い光で覆われる。あらゆる悪感情を魔力に変換し、感情の量によって威力が変動する火炎系の大技。イツラコリウキ。
私を差し置いて圧倒的な力で人々に崇拝されたキゼモニコスの次は、私よりも多くの魔法を生み出し続けたリーベルタースだ。シーシェルの崩壊とリーベルタースの絶望と殺害を以て復讐の完遂としよう。その前段階として目にかけている者共を皆殺しだ。
「シア=イツラ…」
その瞬間、右方から恐怖を思わせる力が高速で流れ着く。感情に流されていた私は反応が遅れてしまった。
「くっ…!」
即時転移の魔道具を使用するも直撃した右半身が焼け焦げる。イツラコリウキや魔道具の暴発ではない。間違いなく、忌まわしいあの力だ。キゼモニコス…死んでもなお私の邪魔をするか。私は雷が身体を駆け巡る前に、まとわりつく力を除いて転移した。
「借りは返した」
雷を放った男から聞こえてきた声は、ヤツに似ていて更なる憎しみを生んだ。
工房に戻ると右半身は焼け爛れ、左半身は雷撃による樹形の電痕が残っていた。右耳も焦げ落ちて原型を保っていない。練りに練った計画が初っ端から失敗してしまうとは思わなかった。ひとまず次の計画を練りつつ万全の体制に戻るまで治癒を続けるしかない。
しかし、キゼモニコスは既に後継者を育てていた。それだけでも収穫は大きい。標的を変更し、キゼモニコスの後継者を殺すことにしよう。治癒をしつつ情報を集めるところから始めよう。また長い時間が空いてしまうだろうが、私の野望のために時間など些末な問題だ。リーベルタース。キゼモニコス。そして、エストレーリャ。必ず私がお前たちを殺す。私がお前たちを屍に変えよう。
口角の端が火傷による激しい痛みが走る。それでも笑いが止まらない。工房に響き渡る笑いが野望の達成を妄想させる。扉から覗く忌み子の視線にも気づかないまま、笑い続けた。




