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「アイル・トーンブール、もうすべてわかっている。民を慈しむべき存在の王妃候補である君が、平民のハバナ・ローズに対し陰湿な嫌がらせと呼ぶに果ての余る行為をしていたことを」
この国の子供たちが皆憧れるといっても過言ではないレイン学院の由緒正しい卒業プロムがほんの少しだけ静まり返り、集まった生徒たちは中心に目を向ける。このような場で話すのは心苦しいが、全生徒の前で行わなければ意味がない。青色の柔らかな髪を揺らした麗しい少女がいる。着ているドレスは純白で吟遊詩人が見れば天使と謳うこともあるだろう。
だがこの物語の主人公はこの少女でもなく、自分の背中に隠れるように震えている薄ピンクの少女でもない。違う違う、こっちだ。このダンスホールの真ん中で、堂々と発言をしたこの国の次期王太子こそが僕、アッシュ・グーレイである。
「どういうことですか、アッシュ様」
「どういうも何も、アイル嬢。貴女が今までしてきたことはちゃんとすべて調べてきた。何度も嫌がらせに及ぶ姿をこの目できちんと見てきたのだから」
そういうや否や彼女は天使のように穏やかな笑みを浮かべ、周りの人間が一瞬感嘆の息をのむ。長年彼女の隣にいた自分ですらその可憐さに見惚れてしまったのだからしょうがない。薄く柔らかさを連想させる薄ピンク色の唇が開くまでは。
「……知っていらしたのね、普段はわたくしに関心がございませんのに」
柔らかなアーチを描いていた瞼が恐ろしい色を覗かせる。口元に笑みは浮かべず大きく宝石のような瞳にはなぜかこの明るいホールの光が反射していない。淡々とした物言いにアイル嬢の本質が伝わってくる。
「関心を持っていたよ、ずっと幼少期から君を見ていた。だからこそ、」
「嘘よっ!わたくしがなんでこんなことをしたのかわかる!?わからないに決まってる、だってずっと殿下はこの学園でその子と一緒でっ、私は一人毎日その姿を眺めていただけだった。婚約者なのに、殿下を……アッシュ様をお慕いしていたのは、私なのにっ!!」
何の言葉が彼女の地雷に触れたのかはわからない。許容量が超えた山が一粒の雨で牙をむき土砂崩れを起こすがごとく、ホールに響き渡る大きな声を上げた。そんな中で彼女が幼いころのように自分を名で呼び、一人称すらも出会った頃のものに変わったことに驚いた。いつだって思い出せる、初めてアイル嬢に出会ったあの日、白いドレスを着てふわふわと笑う彼女のことを。
「アイル様!私はアッシュ様とは……!」
僕の後ろに隠れていた薄ピンク色が印象的な女性が声を上げる。ローズ・タンドル、平民の生まれでありながら稀有な魔力を持ち貴族に買い上げられ多大な額を有した代わりに一生を貴族のために費やす少女だ。庭園のバラと同じ色の瞳が涙に揺れる。その瞳にはアイル嬢が映り込みそして闇へと変わる。自分の目がおかしくなったのではないかと瞬きを繰り返す。だが明るかった会場にはいつのまにか大きな闇が広がっていた。
「いいの。もういいの、わたくし。殿下、愛していますわ。愛していました、この国も、民も、何もかも……殿下の次に……だから殿下がいないのならいらないわ」
弱弱しいつぶやきが闇の中心から聞こえる。目を凝らさないともうアイル嬢の姿は見えない。タンドル嬢の手を振り払い、闇の中心にいる彼女へ駆け寄った。こんなことになるなんて思っていなかった、ただ自分は。アイル嬢を。
「僕はただ君と。罪を清算して二人で生きていけたらよかったのに、!」
闇にのまれ今にもこの世界を壊さんとする彼女を抱きしめる。アイル嬢は泣いているのか体震え、こちらを見ていない。これは彼女が得意な闇魔法の暴走なのだろうか。体が闇に飲み込まれ今まで感じたことのない激痛の中で最後に愛しいアイル嬢が名前を呼んでくれた気がした。
そこで、目が覚めた。川田を支配していた激痛はなく、光などない闇の中とは違い白い天井が見える。一体ここはどこだ、とあたりを見渡すと鏡が視界に入った。銀の額に縁どられた仰々しい鏡で、騎士団長にあこがれていた時期は夜中、人の目を塗すんで自分の育っていく肉体を見つめたものだ。
学園に入学する前日に割れるまでは。
「なんだ、これ」
鏡に映っているのは、見慣れた自分ではなかった。見慣れていた時期もあるだろうが明らかに違う。全身鏡の三分の一程度しか埋められない身長、鍛えられていないどころか生長すらしていない体。明らかにこれは、幼いころの自分であった。かくりと力が抜け、へたり込む。そうだ、これは確かに幼い日の自分だ。肖像画にも残っている。さっき案で自分は確かに学園の卒業プロムにいた。あの痛みも、彼女の震える体の感覚もこの腕にある。
「夢だったのか、?そんなわけない。何もかも鮮明に覚えている……、そうだ僕は救えなかった。彼女を、この世界を!」
人の魂を食らう闇魔法なんて聞いたことはないが、あれだけの魔法が飲み込んだ人間の魔力を得てどうなるかは想像に容易い。きっとあの世界は滅んでしまったのだろう、自分の愛した両親も、王権を譲ると決断し託した弟も、アイル嬢と見た城下町の夕焼けも。
どうしてあんな結末になってしまったのか。天使のようだった彼女はいつからあんなことを、人を傷つけるような人になってしまったのか。だけれど今からやり直せる。
鏡に映る自分の姿は情けなく、頼りない。だが、これから。こぶしを握り決意を新たにする。僕の隣で彼女が国民に愛される王妃になってくれるように、守らなければ。
扉をノックし入ってきた年配の執事に尋ねる。朝日はもう昇りきって部屋をさらに明るく照らしていた。
「今、ですか?今は星のなる時期、アッシュ様の婚約者探しのお茶会が今日の予定です」
「ありがとう。そうか、今日からだね」
差し出された服に腕を通す。あきらめたりはしない。なんたってこれは僕が彼女を幸せにして自分も幸せになるための愛の物語だ。