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 戦乱の世が終わって幾年(いくとせ)か。

戦に明け暮れた日々を知る者も少なからずは残るが、皆老いさらばえて過ぎし日の威光に(すが)るばかり。


(かつ)ては己が武勲を示すため、人だけには飽き足らず妖を斬る者も居たが……。

今や妖を狩ろうなんて者は浪人ばかり。

そりゃそうだろう……。


争いが無くなると武士は今度は格式に拘り始めた。

()わば社会的な地位を第一に優先するようになったのである。

この格式によって人々の行動は管理されていると言っても過言ではない。

自由は制限され、身分相応の生活を強要されるわけだ。

無論、与えられた範囲での自由は有る。

幕府によって与えられた格式に応じての自由であるが。


 幕府は(おおやけ)に妖を狩ることを容認していない。

返り討ちにでもあえばそれこそ不名誉の極み。

その者だけの責任では済まない。

即刻「御家断絶」、大名であれば良くて改易、最悪取り潰しである。

乱世の気風を残した者が血気に逸って痛い目に会っていたが、今やそれも見なくなった。


幾ら腕に覚えが有ろうとも、そんな危険を犯してまで妖を斬ろうだなんて好事家(こうずか)は居ない。


故に、妖絡みの事件となると解決には失う物を持たぬ落伍者や浪人が金で雇われるのだ。

例え失敗したとて雇い主の幕臣どもは知らぬ存ぜぬで通せば良い。


 とは言え、人すら斬ったことも無い者がそう易々と妖なぞ斬れるものではない。

妖退治を生業にする者も居るには居るが、危険に対して見返りが少な過ぎるってのが世の寸評である。


妖といっても多種多様で一口には括れぬ。

中には人の背丈のゆうに何倍もあるものだって存在する。

そんな相手に人間が刀一つで渡り合えるとは(にわ)かに考え難い。


文字通り、太刀打ち出来ないってやつだ。


一昔前に流行った身の丈よりも長い大太刀や、長巻でも使えば少しはましだろう。

だが、幕府によって長尺の刀の携行が禁じられればそれも叶わない。


 ではこれまで如何様にして山野永久が妖を斬って来たか……。

確かにこの者の腕が優れているのは認めよう。

それ以上にこの者が妖狩りに適した理由が有るのだ。


……人の血を吸った刀は妖に特効を有する。


故に、人を斬った事の無い者が挑んだところで容易に妖に返り討ちにされる。

たまたま腰に差した刀が運良く人を斬った代物で有れば効果は有るだろう。

古今東西、妖を斬ったという話の裏にはそんな隠された理由が有るってわけだ。

無論、人間どもはそんな事実は知る由も無い。


事実は知らねど処刑人たる永久にはうってつけの仕事である。

彼がこれまで斬り殺した罪人はざっと四、五千人。

それこそ人を斬らぬ日は無いという程に。


 本来で有れば罪人の首を刎ねるのは町同心の仕事。

泰平の世しか知らぬ同心が上手く斬首出来るはずもなく、斬首にあたった時はそれは酷い光景であった。

骨で刃が止まり一太刀で首が落とせず科人(とがにん)がのたうち回ったり、はたまた痛みに堪え兼ねて暴れ回る科人を一度斬り伏せてから首を落としたりとそれは見るも無惨な有様。


首打役(くびうちやく)を務めた同心には刀の砥ぎ代として奉行所より金二分が与えられる。

ことの他下手な者は斬首に用いた刀が刃こぼれしたり、曲がってしまったりするので採算が合わない。

永久に斬らせれば金二分は懐へ、おまけに永久から同心へと心付けとして謝礼を払うので首打役を代行して貰ったほうが儲かるのだ。


 何故、金を払ってまで罪人の首を打つか。

永久は首を刎ねた罪人の死体を刀の(ためし)に供する権利を与えられている。

首を刎ねた罪人の死体を互い違いに重ねていき、幾つ胴が斬れたかで刀の良し悪しを判断するのだ。


そして刀の(なかご)に永久の名前と日付、幾つ胴が斬れたかを裁断銘として刻むのである。


刀に付加価値を付ける為に骸を切り刻むとは虫唾の走る行いであるが、それを求める愚か者が多いのもまた事実。

平和の為に人を斬る時代が終わったと思えば、今度は欲の為に人を斬る。


全く……、人間とは愚かな生き物だ。


 当然の事ながら付加価値としては妖を斬った刀の方が価値が高い。

妖を斬った刀はその刀身に色を帯びる。

その妖艶な輝きは所有欲を大いに満たすものらしく、地位有る者はこぞってそれを求めるのだという。


権威の象徴である刀に箔をつけると同時に野放しにしておけば治安を脅かす可能性の有る妖も退治出来る。

正に一石二鳥である。

誰も引き受けたがらぬ役目故、幕府としても有難いのだろう。


 とは言え、公儀の役目ともなれば報酬はそれなり。

勿論、無禄の浪人が得る報酬としては破格で有ることには違いないのだが。

強欲な永久は専ら大金を積む大名からの依頼を好んだ。


永久が牛鬼を斬った時……、あれは酷いもんだった。


 とある淵の主である牛鬼は、人間の女に化け通る者を(たぶら)かして喰い殺すと恐れられていた。

永久は何も知らぬ通り掛かりを装い、待ち構える牛鬼に弁当を分け与えたのだ。

人の食物に興味を示した牛鬼が、渡した弁当に舌鼓を打っていると、永久は顔色一つ変えずその背後からバッサリと両断したのである。


まぁ、それも今の永久へと変わる前の出来事だが。

すっかり公儀の役目以外を積極的に請け負うことも無くなり、金儲けにも地位にも無頓着。

罪人の死体を刀の試にする役目も弟子に任せっきり。

ただ必要な役目はこなす。

幕府の命に背くわけにはいかないからだ。


この者の心情……、それはただひたすらに平穏を求めているようだ。


 ずっと後の世から常世へといざなわれ、そして現世へと彷徨い出ずる者。

人の命が重く、他者を疎んじる事の無き世から。


……苦参にとっては良かったのかもしれない。


私個人としては不本意だが、今の苦参は以前よりずっと幸せそうなのだから。



 (くく)り枕から頭を離し、山野永久の一日が始まる。

頭頂部から前頭部にかけての部分、月代(さかやき)を剃り上げて(まげ)を結うのが武士の嗜みなのだが、永久は後頭部で束ねるだけの総髪だ。

経済的に余裕の無い浪人なら、頻繁に髪の手入れなど出来ないのでそれが普通なのだが、彼の場合は単に拘りが無いだけである。


 むくりと起き上がると、木刀を手に庭へと歩いて行く。

木刀と呼ぶよりは棍棒と言ったほうが良いくらいに身幅が有るものだが。

肩幅程に足を開くと、永久は背中にくっつくのではないかという程に木刀を振り上げる。


そして自身が築いた土壇場目掛けて力一杯に振り下ろす。

大きく弧を描いて土壇場に打ち付けた後は、また同じように木刀を振り上げ再度打ち付ける。

これを三百回程繰り返す。

晩には七百回の計千回、来る日も来る日も欠かさず行う。

同じ場所を幾度も打ち据えるので、終わる頃には土壇場には大きな穴が出来る。

それを埋めた後、また土壇場を築き直して永久の一日が終わりを告げるのだ。


反吐が出るような屑だったが、この日課にだけは感心したもんだ。

こうして今も以前の永久と変わらぬ習慣として続いているわけである。

三百回の打ち込みを終えると、一息つく間もなく永久は出掛けていく。

着流しに一本挿しでふらふら出歩けるのも浪人ならではの特権であろう。


 彼が何処へ向かうのか……、それは湯に浸かりにいくのだ。

私には理解出来ないが、人間という生き物は(こと)(ほか)、可笑しなものに執着する。

江戸の街にはあちこちに湯屋が建ち並び、身分問わず様々な人が訪れる。

それも毎日(まいひ)に。

人によっては日に数度という物好きまで居る始末。

身体を清めるのであれば行水で十分だと思うのだが、どうやらそうもいかないようだ。


 屋敷のすぐ近くにも湯屋はあるのだが、永久は何故かわざわざ屋敷から離れた場所へと足を向ける。

屋敷の近くの湯屋は純粋な空風呂(からぶろ)であり、首まで湯に浸かることが出来ないのである。

もっとも、身体を蒸気で温めた後に洗い場で手桶に入った湯を使って身体を清めるという方法が一般的なのだが。


そうは言っても、首まで浸かれる鉄砲風呂を持っているのは裕福な商家ぐらいのものである。

旗本の屋敷ですら、備えられた内風呂は無い。

湯を沸かす為の薪が高価というのもあるが、第一は火事の恐れが有るからだ。

兎角(とかく)、この江戸という街は建物が密集し過ぎている。

故に火が起これば、それは風に乗って瞬く間に拡がる。


現についこの前も大火が起こったばかりである。

江戸のことごとくを朱に染め上げる様は筆舌に尽くし難いものであった。

あれからというもの火の扱いには何かと五月蠅いのだ。


 話が脱線してしまったが、永久が足を向けるのは我が稲荷神社。

何故ならそこに風呂が有るからだ。


永久が湯に浸かろうが浸かれまいがどうでも良いが、私としては苦参に会える貴重な機会である。

まぁ、遠目に眺める事しか出来ないのだが……。

己が社に帰す事を禁じられた身には、例えそれだけでも十分だ。


 我が稲荷神社は建立から二百年程の歴史有る神社だが、付近に乱立する稲荷神社のお陰で参拝客は少ない。

そんな訳で経済的な面では永久に頼りっきりである。

(こと)に、江戸三森(えどさんしん)なる崇敬を集める稲荷神社が近くにあるのが大きい。

人の入りも少なく、境内は極狭ながらも社殿は見事な建物で私は気に入っている。


社殿に施された見事な彫刻を通りから遠目に眺める。


「お屋形様、今日もきっかり同じ頃合いですね」


どことなく感傷に浸っていると、そんな空気をぶち壊す声が耳に届く。

私の姿を見ることが出来る、すなわち同族である。

五本の尾を持つ白い狐、「気狐」と呼ばれる存在だ。

こいつは私の名代として我が社に住っている。

全く、気狐の分際で我が名代とは……。


「して、昨日は?」


あからさまに不機嫌な素振りで私は五本尾の気狐に尋ねる。


「あの子でしょ? 来ましたよ」


にやにやとした様子で、……まぁ狐なので表情は無いと言えば無いのだが。

()(かく)、そう気狐は私の問いに答えた。


「そうではなくて、何を話したかを申せといつも言っているであろう」


不機嫌の次は苛立ちを露わにして、私は気狐に凄んでみせる。


「やだなぁ、お屋形様ってばあの子の事になると人が変わるんですから。 一頻(ひとしき)り……、悩み事を呟いて帰りましたよ」


「悩み……だと? その苦参の悩みとやらを申してみよ」


悩みという単語に、私は反射的に此奴が喋り終わるよりも早く言葉を被せる。


「なんでしたっけ……、あの許嫁の男の名前。 あの男が、中々自分に手を出してくれないのを悩んでるみたいでしたよ」


気狐の説明を喰い入るようにして聞いていた私は、魂が抜け出るかと思う程に意識が遠のいた。


苦参が……、そんな悩みを?


「お屋形様、大丈夫ですかい? 意識此処にあらずって感じですが」


「問題無い……、明日も頼むぞ」


まぁ良い。

苦参が斯様な悩みを持つということは、苦参の身は当分は安全ということである。


「全く……、天狐の方々は可笑しなもんに固執するもんですね。 浄雲(ジョウウン)様といい、織部(オリベ)様といい……、あたしにゃとんと理解出来ませんよ」


「私をあんな茶の湯狂いと一緒にするな!」


「へへっ、こりゃ失礼しました」


 「浄雲」、それが私の名である。

千年の刻を生き仙狐となった狐には、ウカノミタマより名が贈られるのだ。


我々の界隈では積極的に人の世に干渉するという行為は厭忌(えんき)されている。

気狐の口にした「織部」なる天狐は茶の湯に興じ過ぎるが余り、人の世に干渉した天狐である。

ことも有ろうに戦場で没した武将に成り代わり、茶人に師事したうつけ者だ。


そんな茶の湯狂いと同類扱いされるのは心外だが、永久の命を奪った上に稀人(まれびと)の魂を上書きするという行為をしでかした私も十二分にうつけ者……。


正しく、同穴の狐ってわけだ。

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