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生徒会長は霊感少女と夜の校舎を歩く

作者: 佐田直貴

 その子は死神と呼ばれていた。

 クラスメイトは全員、彼女の事を嫌っていた。みんなで悪口を言ってみんなでちょっかいを出した。

 小学生というのは本当に無邪気で残酷で。誰一人として例外はなく彼女をはやし立てた。

当然自分もその中に混ざっていた。

 それでも。

 ――それでも、いつも彼女の瞳は力強かった。毅然とした姿で席に座っていた。クラス連中の悪意などものともしない強さが、そこにはあった。

 分かっていたんだ。

 みんな本当はその姿に、憧れていた。


φφφ


「ふはははー!」

 高校の裏庭に突然響いた哄笑。

駐輪場に向かっていた神凪ナギサは、眉をひそめて辺りを見渡した。

 声の主は探すまでもなく見つかった。

 駐輪場への曲がり角にある一本の大木。そこから伸びる大きな枝の上に、一人の学ランの男が立っていた。

 短髪を逆立て、メガネをかけた知的な顔立ちをしている。

 男は「生徒会長」というタスキをし両腕を組んで、自信満々に威風堂々と存在していた。

 なんて恥ずかしい人間なんだ、と神凪ナギサは思った。

 お互いの距離は二十メートルといったところだ。

 男はスウっと大きく息を吸ったかと思うと、その状態のまま大声で叫んだ。

「君が、一年A組の、神凪ナギサ女史だな!」

「人違いだ」

 ナギサは踵を返す。

「な、なにぃ。ちょっと待ってくれ! 出会いを演出するために二日ほど考えたのだ! 頼むから登場シーンくらいは衝撃的なものに!」

 十分衝撃的だ。

 そう思いながら、ナギサは足を速めた。後ろで木から飛び降りる音がしたので、全速力で走りだす。

「よう、ねーちゃん。今日のパンツは白かい」「ねーちゃんねーちゃん、俺の筋肉見るか?」

「あーもう! うるせー!」

 どこからともなく生まれた声に悪態をつきながら、ナギサはひたすらに走った。膝上十五センチのスカートが風になびこうとも気にしなかった。

 後ろから追いかけてくる謎の学ラン男も、横から茶々を入れる半透明な中年オヤジたちも。全てが煩わしかった。

「もうぜってぇ、学校なんか来ねえ!」

 叫んだ瞬間。

 後ろから正体不明の衝撃を受けて、勢いのままゴロゴロと転がった。

「なっ……!」

 痛む身体を起こそうとするが、起きられない。何かが腹の上に乗っていた。

「ふははは! 学校に来ないなどと悲しい事を言うんじゃないぞ、神凪ナギサくん!」

 変態が腹の上に乗っていた。

「てめえ! いつの間に」

「それは愚問だな。生徒会長にもなれば、タックルした相手のマウントポジションを取る事くらい造作もない」

「生徒会長関係ねぇだろ。どけ馬鹿野郎!」

「おっと無理に動こうとしない方がいい。いくら威勢がいいと言っても、君は女性だ。生徒会長を一人持ち上げるだけの力はなかろう」

「だからそれ生徒会長関係ねぇだろ……」

 しかし悪態を吐いたところで、結局身体は動かなかった。男と女の身体の違いは埋めようがない。

 ナギサは諦めて力を抜いた。仰向けになったまま、男を無視して空を睨む。

 自分だけは関係ないような顔をしている、オレンジ色が憎たらしかった。

「これはもしやエッチングタイムの予感!」「カメラ持ってこいカメラ!」

 遅れてやってきた半透明の中年オヤジたちが嬉々として二人の周りを彷徨い始めた。

「うぜえ」

 どうして自分の周りにはこんなのしかいないのか。どうして自分だけ幽霊が見えてしまうのか。どうして自分だけ、こんな目に合わなくてはいけないのか。

「……ふむ。髪の長さはセミロングとロングの間と言ったところか。目鼻立ちはしっかりとしている。眼光は鋭いが、肌はきめ細かい。身長は女性にしては高めだが、全体的にしなやかな身体付きをしているな。こうして見ると神凪ナギサ女史は中々どうしてベッピンさんではないか」

「下手なヨイショはいらねえんだよ。用件を言え。そんで早く帰らせろ」

「ふはは! 威勢がよくて何よりだ。その態度も私は好きだぞ」

 笑いながら、ようやく自称「生徒会長」が上から退いた。

ナギサも立ち上がりスカートについた土を払う。

「んで、用件は何なんだよ」

 別にもう、慣れているのだ。

 自分の言葉遣いや目つきの悪さ。そして人と付き合おうとしない性格から、素行の悪い生徒として見られてしまう。

中学の頃からそうだったし、高校に入って半年以上経った今でも変わらない。生活指導の教師から謂れのない注意を受けては解放される。どうせ今回もそうに決まっている。

 馬鹿馬鹿しい。

 こんな事を考えていじける自分も。そんな事でしか自分に関わってこない他人も。

 ナギサはここで言葉を捨てた。いつものように、用件を聞いている間は頷くだけしかしない人形と化した。

 ――だから、

「きみ、我が生徒会に入りたまえ」

 不覚にも、その一言に条件反射で頷いてしまった。


φφφ


「死神」と初めて話した日の事は、今でも忘れない。

 小学六年生の夏。オレンジ色に染まった教室の中。

 忘れ物を取りに行くと、彼女が居た。

「なにしてんだ?」

 ぶっきらぼうに聞いた。

 その時の自分は、少しの嫌悪感と少しの好奇心と、そして少しの期待を抱いていた。

 ――彼女の凛とした姿に誰よりも心底で憧れていたからだ。

 机の下を覗き込んでいた彼女は顔を上げると言った。

「ペンダントが、ない」

 初めてまともに聞いた声は、既に泣きそうだった。

みんなに悪口を言われても、消しゴムを投げられても凛としていた彼女とは思えないほどに、弱々しい声だった。

「ペンダント? そんなの学校にしてくるなよなー」

 悪ふざけで放った言葉だった。しかし彼女はキッと表情を変えてこちらを睨むと、また机の下を覗きこみながら捜索を始めた。

 自分が無神経な事を言ってしまったのだと気づくまでに、そう時間は掛からなかった。

 数分後、彼女はついに泣きだしてしまったから。

 

 φφφ


「……ここ、どこだ」

 ナギサが目を覚ますとそこは、夕日色に染まった教室だった。

普通の教室とは違い、部屋の中心を囲う様にして四角に並んでいる長机がある。

その一角で突っ伏して寝ていたようだった。他の机上には書類が乱雑と置かれている。部屋の隅には本であふれた本棚。

「ここぞ我が生徒会室だ。ようこそ神凪女史! 我々は君を歓迎する!」

 一人の男の登場により、緩慢とした気分は吹き飛んだ。

「帰る」

「まあ待ちたまえ。話を聞くくらいよいではないか。それに君、まだ身体がだるいのではないか?」

「お前、何かしたのか」

 確かに、ナギサは身体のだるさを感じていた。それにこの男と会ってからの記憶がおぼろげだった。そもそも、どうして生徒会室にいるのかも思い出せない。ナギサがギッと男を睨みつけると、男は両手を上にあげた。

「何もしていない。生徒会長が女性に卑劣な真似をするわけがなかろう。我々が出会った事は覚えているかな? いやなに、単純な事だ。どうやら君はあの後すぐ、あの場に居た中年男性と思わしき幽霊に憑依されたようでな。いきなり『シャバの若い女の子――!』などと言って服を脱ぎだそうとしたから、少々手荒だが気絶してもらった。取り憑かれると身体は取り憑いた霊の状態に変化するのだな、こちらとしても筋肉隆々なナリをした者のセクハラを校内で許すわけにはいかないのでね」

「何もしてないとか言って、暴力ふるってんじゃねーか!」

「なんと! そこにツッコまれるとはいささか予想外だ。だが確かに女性に対して相すまない事をした、許してくれ」

 舌打ちをして、ナギサは男を睨みつけた。人付き合いの経験が少ないからか、素直な謝罪を受けるとどう反応していいのか分からない。

「して、もう身体は大丈夫かね」

「問題ない。クソ、浮遊霊だと思って油断した」

「うむ。元々、霊媒体質が強いのだろう。まぁ気をつけたまえ」

「そもそもてめぇがいきなり絡んでくるから……て、待て」

 うん? と反応する男をナギサは睨みつける。

目覚め頭のまま当たり前のように話を進めてしまったが、前提がおかしい事にようやく気がついた。

「……てめえ、幽霊が見えるのか」

「いや、さすがの生徒会長である私にも幽霊は見えない。ただ、君の事は一方的に知っていただけだよ。神凪ナギサ女史」

 ナギサは「チッ!」と盛大に不快感を表した。忘れていたはずのドス黒い思いが生まれていくのが分かった。

「何が目的だ」

「目的ならば先ほど告げた。君に、生徒会に入って欲しい」

「それだけじゃねえだろ」

 自分よりも生徒会にふさわしい人間などごまんといる。

そんな事は自身が一番よくわかっている。自分を引き入れたい理由など、説明されるまでもなく分かってしまう。

 すなわち「幽霊が見える」その一点に集約される。

「その通りだ」

 男はニヤリと笑い、ナギサに向かって握手を求めてきた。

「君と一緒に、悪者退治をしたいのだよ」

 

φφφ


 どうして彼女が死神と呼ばれるのか。誰もが知っていて、誰もが知らなかった。

 理由は、彼女には「幽霊」が見える。ただそれだけだった。本当であれば有名人になって、テレビに出て、もてはやされてもおかしくない超能力なのに。

 けれど誰もそれが本当かなんて証明出来ないし、嘘かなんて分からない。

 だから、彼女は「死神」だった。不確かで、曖昧で、「死」に近い存在。

 彼女が何かをしたわけではない。ただ単純に「幽霊が見える」

 それが、罪だったのだ。


φφφ


 生徒会長の御門恭也は変人である。

 友達の居ないナギサでも、そんな噂を耳にした事はあった。

 曰く、自称「正義の味方」。曰く、自称「港高校の救世主」

 馬鹿馬鹿しい話だが、高校生にもなって――しかも生徒会長になるような人間が――正義の味方を自称で公言している、それ自体がおかしな話である。

 普通ならば馬鹿の一言二文字により選挙で切り捨てられるはずが、何故かこの生徒会長に限っては当選し、あげく変人だなぁの苦笑で済ませられている。

 ――そう、まるで、親戚の子どもを見守るおばさんのような顔で許されてしまうのだ。

「悪者退治と言ってもそう危ない事ではないのだよ。ただ、学校に棲みついている悪霊を追い払いたいだけなのだ」

「聞くからに危ねぇだろおい」

 目を輝かせながら歩く恭也にナギサはツッコむ。

しかし御門恭也という男はこちらの言い分など無視して、子どものように話を続けるのだ。

「しかしながら恥ずべき事に、生徒会長でありながら霊感というものには疎くてな。さてどうしようかと思っていた時に、君が入学した事を知ったのだ」

「知ったのだ、じゃねーよ。幽霊が見えないのに悪霊に立ち向かってどうすんだ。つうか、見えないくせに幽霊とか信じてんのかよ」

「当然だ。見たという者がいる以上、信じるに決まっている。何事もまずは信じてみる事が大事なのだ。嘘だと証明できないものをのっけから嘘だと否定してしまったら、それはもう罪だ。君はそう思わないかね」

「っへ」

 ナギサは笑ってしまった。強引で偏った考えを持つ男。だけど、こんな男が「あの時」に居てくれたなら、どれだけ救われただろうか。

 否。こんな男が今ここにいる、という事が大事なのかもしれない。

 ――そうだろ? 死神。

「いいぜ、協力してやるよ。悪霊退治に」



 夜の校舎には言葉にできない不気味さがある。ナギサはそれを初めて知った。

 真っ暗な先の見えない廊下は静けさに満ちていて、奥の方で光る非常灯が怪しく光っている。月光が廊下を照らすと、見慣れているはずのタイルの色がいやに気味悪い。

「なんだ神凪くん、歩くのが遅いぞ! 幽霊が見えるくせに怖がりか!」

「うっせぇよ。いきなり大声出すんじゃねぇよ。びびるだろうが」

「うむ。実は私は怖いから声を張っているのだ。こうしていないと、自分の家に帰ってしまいそうでな。ふはは! まだまだ修行が足りないようだ」

「だからうっせぇんだよ馬鹿野郎! 耳元で叫ぶんじゃねぇよ」

「よし、まずは音楽室に行こうではないか! おっとそんな事を言っている間に、ここはもう音楽室ではないか!」

「うぜえ……」

 ハイテンションについていけずナギサは舌打ちする。

その間にも、恭也はスペアキーを使ってズカズカと音楽室に足を踏み入れていた。

「うむ、静かだ。さてここには何もいないかな、神凪くん」

「何もいねぇみたいだが。大体、音楽室にどんな悪霊がいるって言うんだよ」

「勝手にピアノが鳴り出すとか、肖像画の髪が伸びるとかいう情報を手に入れている」

「ただの七不思議だろが!」

 ナギサは恭也の頭をはたいた。

「七不思議でも噂でも、確認出来るならそれに越した事はないではないか。何もないなら、胸を張って何もないと言えばよいだろう。有事の際に生徒の不安を取り除く。その準備をしておく。これも生徒を代表する生徒会の役割なのだよ」

「偉そうに言ってるけどお前何もしてねぇからな? 確認してんのこっちだからな」

「それに知っているか、最近では魔王様などというオカルト的な占いが流行っているらしい。そのせいで生徒たちはオカルトに興味を持ち始めた。夜の学校に侵入する生徒もいるという噂を聞いた。嘆かわしい事だ」

「てめえ人の話聞けよ。つーか、友達いない俺がそんなの知ってるわけねーだろ」

「ふはは! 面白い事言うなぁ。よおし、次に行こうではないか」

「こいつ、いつか殺す……」


φφφ


 「死神」は、あれからも放課後になると教室に残ってはペンダントを探していた。

 けれど、いくら探しても見つかるわけがない。教室は毎日掃除しているし落ちていたら絶対誰かが気付く。

 だというのに、彼女は毎日地面を這いつくばりながら探していた。失くした場所は学校じゃないかもしれないのに、誰かが盗ったのかもしれないのに。

 ある日我慢できずに言った。

「もう、いいじゃん」

 彼女にとってソレがどれだけ大切な物なのかは分かっているつもりだった。それでも、凛とした彼女が服を汚しながら必死に探す姿は見ていたくなかった。

 ――そして何より。

 そんな彼女を手伝う事も出来ない自分を、終わらせたかった。

 彼女の事は気になる。だけど彼女を手伝えばクラスメイトを裏切ることになる。裏切れば当然、自分も皆から嫌われてしまう。

 小学生の頃の自分はそれが世界の終わりくらいに怖い事だった。

 だから彼女に探し物を終わらせてほしかったのだ。

「どうしてそんな事言うの?」

「だって、見つかんないじゃん。毎日掃除してるのに、今さら出てくるなんてありえない。もう無駄だよ」

「無駄って何?」

「無駄は……無駄だろ」

 意味のわからない問いかけにちょっとムッとした。無駄の意味が分からないわけがない。こっちだってふざけてるわけじゃないのに失礼だ。

 地面から顔を上げて、彼女を見た。

 そこでようやく、彼女の表情を知る。

「無駄な事なんかないよ」

 静かな瞳で清廉を感じる顔。

いつも通りの凛とした彼女が、そこにはあった。

「見つかると思わなきゃ何も見つからない。私が諦めたらそこで、見つかるものも見つからなくなる。それなのに諦める方が、無駄な事」

 彼女はそう言うと探し物に戻った。何度も同じところを見回り、何度も周囲を確認する。

 教室の入り口で突っ立ったまま、拳を握りしめた。

 あまりにも自分が情けなくて、やるせなくて。

 その場から逃げる事すら出来ずに、ずっと彼女を見ていた。


φφφ


 結局、人体模型も階段も女子トイレにも、異常はなかった。暗い校内を歩きまわるのは、体力以上に神経が疲れる。

ナギサ達は、生徒会室で一度休憩することにした。

「うむ。月光を浴びながら飲むコーヒーというのも乙なものだ」

「おい、いつになったら帰るんだよ」

 既に時刻は九時を過ぎていた。校舎内とはいえ、十一月の冷えきった空気が入ってくる。

「まあまあ、よいではないか。生徒との親睦を深める。これも生徒会長の仕事なのだ」

「帰らせてくれるのが一番ありがてえんだよ」

「ふはは! 神凪くんは冗談がうまいなぁ」

「よしてめえ、ぶっ飛ばしていいんだな?」

 ナギサが席を立つと恭也は「まあまあ」と言ってコーヒーを差し出してきた。

「これだけ歩いても出ないのであれば、そろそろ終わりにするしか、あるまい。残念ながら我々は遭遇できなかったということだ」

 その時の恭也の顔はいつもの笑っている顔ではあったが、どこか少しさびしそうにも見えて。そのせいで、ナギサは素直にコーヒーを受け取った。

「神凪くんは、初めて幽霊を見たのはいつだったのだ?」

「……別に。気が付いたら見えてた。それだけだ」

「声も聞こえるのだろう?」

「うぜぇことに聞こえるね。奴らは勝手に喋って勝手に消えてく。厚かましいヤツは身体を乗っ取ろうとしやがる」

「そうか。君は、それを辛いと思った事があるか?」

「ああ?」

 ナギサは恭也を思い切り睨みつけた。

辛いと思った事があるかだって? 冗談じゃない。

そんな馬鹿げた質問が許されるわけがない。

「幽霊が見える事を、辛いと思った事はあるか?」

 それなのに。

 怒るべき人物は自分であるべきなのに、ナギサは気圧されてしまった。

 迫力があったわけじゃない。そこにはただ純粋に疑問を持った男がいたのだ。

「もし私が、君のように死んだ人間に会えるのなら……いや、よそう」

「なんだよ」

 真面目な顔をして突然立ち上がった恭也に、一瞬ナギサは警戒する。

「行こうか。仕事がきたようだ」

 恭也が指を差した先。

 生徒会から見える校舎の屋上に、一つの人影があった。



 ――いつの頃からか見え始めた幽霊。

 着物を着たり、軍服だったり、裸だったり、洋服だったり。綺麗な顔をしていたり、老人だったり、顔が潰れていたり。

 様々な様相の中でただ一つだけ、共通点があった。

 半透明で、誰からも相手にされないということ。

 ナギサは、それはまるで自分のようだと思っていた。

 元来、不器用な性格であるナギサには「幽霊が見える」という要因がなくても友達は少なかった。幽霊が見えるようになって、友達は更に少なくなった。まるで自分が消えていくような錯覚に陥った。

 自分を持つために、言葉遣いを荒くしたり。自分を見てほしくて、いつも鋭い目つきでいたり。

 今でも治らないクセは、その時に出来あがったものである。

 気味悪がって離れていく人間がたくさんいた。それを悲しいと思う事もあった。

 それでも、そのまま神凪ナギサが神凪ナギサでいられたのは、一人の友のおかげだった。

 自分と同じ幽霊が見えるという力を持ち、隣町で「死神」と呼ばれていた、一人の少女。

 町境の小さな祭りで出会い、屋台で買った安物のペンダントを分け合った、ただ一人の友がいたからだった。

 

φφφ


 ふざけるな、と思った。

 こんな事は馬鹿げている。許されていいはずがない。

「おーい恭也、お前もこっち来いよ」

 言われて向かった先で見たものは、彼女が今も探しているペンダントだった。

 住宅街の空き地、習い事に行く途中。見てはいけないものを見てしまった。

 未来の自分は関わるべきではなかったと思うだろうか。こんなやつらなんか気にせず、習い事があるからと言って、その場を素通りすればよかっただろうか。

 『無駄な事』をするべきだはなかった。と思うだろうか。

 ――否だ。

 絶対にそう思う事だけはあり得ない。あり得てはいけない。

 今この時の激情を否定するのなら、そんな未来の御門恭也など要らない。

「返せよ」

 例え友達がいなくなっても、作り上げてきた世界が終わっても、構わないと思った。

 自分が、他人よりも多少は聡いだろうという思いはあった。それが思い上がりだったとしても、他人との関係を築きあげるのに最低限の事は知っているつもりだったし、実践できているつもりだった。

 そんな全ても要らないと思った。

「ああ?」

 男の目つきが変わった。取り巻きのクラスメイトも、こちらを睨んでくる。

「それを、返せって言ったんだ」

「お前バカか? これ何か知ってるんのかよ。あの死神のだぜ? 笑っちゃうだろ。あいつ、放課後毎日こんなの探してるんだってよ! こんなもの探してるから最近元気ないんだぜ! 無駄な事してるよな」

 キャハハハ! と笑いだしたクラスメイト達。

多分その時、自分も笑っていただろうと思う。

 こんなやつらが離れていくことに何で怯えていたのだろうと。

 彼女の行なっていた事は、無駄な事なんかじゃないのだと。

「返せバカヤロウ!」

 叫びながら、男に殴りかかった。

男は空手道場で組み手をしたこともあるヤツだった。一撃で倒れずに反撃してきて、周りのクラスメイト達も参戦してくる。

 ぐちゃぐちゃになりながら、男だけを何度も殴った。「喧嘩で拳を使ってはいけない」。道場で言われていた禁を初めて破った。鼻血を出したクラスメイトが大人を呼んでくるまで、殴ったり殴られたり。

 後になって思った。

 絶対絶対、こんな痛みなんか、彼女の受けた痛みの比にはならないんだって。

 

φφφ


「君は、木村愛華という人を知っているな」

 暗闇の校舎の中。

人影が見えた屋上に向かう途中で恭也が言った名前に、ナギサは驚いた。

 木村愛華。自分と同じ、幽霊が見える人間。

友達がいない自分を励ましてくれた、唯一の友。

「お前、愛華を知っているのか!」

「ふはは! 知っているさ。中・高と生徒会長ともあろうものが、生徒会役員を忘れるわけがあるまい」

「だから生徒会長は関係ねぇだろ。つーかてめえ、その性格で中学も生徒会やってたのかよ」

「うむ。愛華くんは中学一年時に書記をやっていたぞ。当時私は同じクラスで、副会長だった」

「マジかよ!」

 高校に入ってから初めて聞けた友の話に、ナギサの心は躍った。

「愛華くんは聡い人間だったからな。私も随分助けられた。ゆくゆくは彼女と生徒会を担って行こうと思っていたよ」

 そこで恭也の顔が陰ったのを、ナギサは見逃さなかった。

「おい、お前」

 その表情は違う。自分が聞きたかった友の名前が出る時の表情ではない。

「彼女は冗談交じりではあったが、前向きに考えてくれていた。友達と同じ高校に行く約束をしているから、そしたらその子も入れて生徒会でも同好会でも出来たらいいねと言ってくれていたよ」

 ナギサは違和感を覚えていた。どうしてだろうか。どうしてこの男が話す「彼女」の話は、

 ――過去形なのだろうか。

 いや、本当は気付いていたのかもしれない。

 入学した時に彼女の名前がなかった時点で。

 自分たちの友情が終わっているという事を。ただ、ナギサにはそれを確認するのが怖過ぎたのだ。だから怠惰に学校へと通い続けることしかできなかった。

「愛華は……」

「愛華くんは亡くなったよ。中学二年生の頃だ。交通事故でね」

 愕然として足が止まったナギサに、「――でも」と恭也は続けた。

「でも、今も幽霊になって彷徨っているのだよ。君と過ごす約束をした、この高校をね」


φφφ


 喧嘩をしたものの、事態が好転したわけではなかった。大立ち回りをした俺は教師に怒られて、親に怒られて、クラスメイトからはじき出された。

 それでも、彼女にペンダントを渡した時に言われたお礼の言葉だけで十分だった。

「このペンダントは、祭りで会った子と一緒に買ったの」

 放課後。俺は彼女と教室に残っては一緒に話すようになっていった。

元々彼女に好意を持っていたため、それは喜ばしい事だった。彼女から聞いた「一緒に祭りでペンダントを買った子」に嫉妬したこともあった。

「その子も幽霊が見えるって事に悩んでいたのだけど。でも幽霊が見えるって、『足が速い』とか『頭が良い』とかいうのと、どう違うんだろう」

 足が速いとか、頭がいいとか。そんなものはすぐに褒めてもらえるのに。

 そう笑う彼女からは、誰にも負けない強さを感じたりもした。

 こんな彼女をもっと他の人にも知ってほしいと思った。絶対に迫害されるなんて間違ってて、ただの明るくて可愛い普通の女の子でしかないんだって事を。

 けれど、誰に話しても分かってもらえなかった。クラスにはもう友達なんか居なかったし、元同級生も、変な噂がある彼女をいきなり好意的に捉えるのは難しいと言っていた。

 結局、人を変えるためには世界を変えなければいけなかった。世界を変えるには、自分たちが変わらなければいけなかった。

 そして彼女に変えられた自分だからこそ、それをやらなければいけないと思った。

「生徒会に入ろう」

「え?」

「生徒会に入って、俺達は俺達と同じような人達を守ろう」

 生徒会に入れば、目立つ事が出来る。そうすれば、彼女の魅力も嫌がおうにも皆に伝わる。何より、自分たちのような生徒を救う事だって出来るかもしれない。

 頷いてくれた彼女と一緒に、まずは勉強をした。生徒会という力を十分に使うためには、それだけの能力を持った人物でなければいけない。そういう考えが、あの頃の自分にはあった。

 勉強も運動も、常に全力で取り組んだ。生徒会長という名の、ヒーローになるために。

 そうだ。ずっと目指していたのだ。

 彼女のヒーローになる事を。まだ見ぬ学生のヒーローになる事を。

 学校に潜む「退屈」という名の魔王を滅ぼすための、英雄になる事を。


φφφ


 軋んだ音を立てる屋上の扉をあけると、冷たい風が二人を殴りつけた。

 俯いていた人物が顔をあげてナギサ達の方を向いた。少女は虚ろな瞳のまま、口を開いた。

「……誰なの?」

「ふむ、私は生徒会長の御門恭也だ。君は一年生の子だね? 確か、佐藤花子くんだったかな。どうしてこんな時間にこんな所にいるのだね」

「何で私の名前を?」

「いやなに。生徒会長として全校生徒の名前を知っているだけだ」

 相変わらず飄々と話す恭也をナギサはつついた。

「ふざけてる場合じゃねぇだろ。どうなってんだ」

「私にも分からないさ。分かっている事は一つ。何故か彼女はフェンスの傍に立っているという事だ」

「んなもん見れば分かるんだよ」

「コソコソして……大っ嫌い」

 声に反応して顔を上げると、少女はナギサ達を睨みつけていた。

「みんな、そう。表向きは笑顔のくせに、裏では汚い事ばっかり言って。私の前では笑ってるくせに、私のいないところで私の悪口ばっかり言う」

「はあ? いきなり何言ってんだお前」

「ねぇ知ってる? 今流行のおまじない。魔王様魔王様って言って、その人の未来を占うの。皆でやったんだけどね、でも私知らなかったんだよ。それに生贄が必要だって事。でも、たくさんたくさん占っちゃったから、それに見合う生贄が必要だって言われたの」

 少女の声はまるで油のように、耳の中へと粘ついた音を運んできていた。

「それでね、私いっぱいお金を渡した。皆でお金を出し合ってるんだと思ってた。お母さんのサイフからも抜いたの。お父さんの貯金箱も勝手に開けたの。それでも全然足りないって言われたの。でもこれ以上はどうしようもなくて。私はもう無理だって謝ろうとしたの。そしたらね、教室で皆が笑ってたの。『あのサイフ、今度はいくら持ってくるかな』って。『何もないとか言い出したら身体売らそうか』って。笑っちゃうでしょ? 可笑しいでしょ? 私ってサイフだったんだよ。サイフのくせに身体があるんだよ。でも、その身体も売らなきゃいけないんだって」

 どんどん饒舌になっていく少女に、ナギサは悪寒すら感じた。気持ち悪い。少女がではなく、

 ――少女の後ろで発生している、黒い煙が。

「でもね、でもね、私身体の売り方なんか知らない。怖い人と話すのなんて嫌。もうクラスメイトと話すのも嫌。だから、こんな身体はもう要らないの。この身体を魔王様にあげて、私は許してもらうの。でも、その前に魔王様に頼んだんだ。あの子達を魔王様の手で裁いてくださいって」

 煙はどんどん大きくなり、やがて真っ黒なキツネの姿に変化した。

「動物霊……」

「ううむ、昔愛華くんから聞いた事がある。人間を恨む動物霊は、人間の精神的な穴を見つけて取り憑くのだと」

 もはや少女は自分たちの事など見ていない。遠いどこかに呟くようにして言い訳を繰り返している。

 ――そうだ。言い訳なのだ。どんな理由も言い訳に過ぎないのだ。

 生きたくて死んだ人間がいる。会いたいのに会えない人がいる。それなのに、生きているのに死にたがる人間がいる。そんなの不公平だ。

 どんな言い訳をしても、許されるわけなどない。

「そうだよそうだよ。私だけ死ぬなんて嫌だから、あなたたちも死んでよ」

 その言葉と一緒に、狐の霊がナギサ達に向かってきた。もはや恭也にも視認できるほどに実態を持ってしまった悪霊。

「ばっかじゃないの!」

 ナギサ達に向かってきたソレを、一人のセーラー服を着た半透明の少女がはじき返した。

 流れるような黒髪に、大きな瞳と黒い眉毛が古風な顔立ちを綺麗に際立たせている。

 ナギサは言われるまでもなく、この人物が誰なのか分かってしまった。

「死ぬくらいなら、死ぬ気になって頑張りなさい。頑張らないならその身体、私に欲しいくらいよ!」

 凛とした姿は、ちっとも変わっていなかった。

「……愛華」

「久しぶり。ナギサ」

 幽霊の木村愛華が、そこに居た。


φφφ


 何もかもがうまくいっていた。

 中学生になれば少数の人間が何かを喚いても、多数はまともな評価を下してくれるようになった。生徒会に入り、一年目は副会長をやり、二年目で会長になった。

 気がつけば自分の性格や口調も変わるくらいに、生徒会の働きが好きになっていた。

ある日、その事を冗談交じりに話すと、彼女は笑った。

「私も変わったよ。人って案外ね、変われるものだと思うの。恭也くんの場合は、きっとずっと自分の思う万能な生徒会長を描いてきたからソレに近づいたんじゃないかな。何をしても最強で、絶対自分を曲げない。けれど、本当は何よりも生徒を大事にする英雄。それをずっと信じていられたから、変われたんだよ」

「ふむ。確かに私は、今の私を理想にしていたな」

「自分で自分を理想とか言うと、安っぽいけどね」

 彼女は楽しそうに笑っていた。釣られて笑う。そんな日々が、とても充実していた。

 ――だから、彼女が交通事故に遭ったと聞いた時は、本当に信じられなかった。

 病室のベッドの上。彼女の姿は変わり果てていた。身体中から繋いだ管が機械に伸びていて、人工的に延命されている状態なのだと分かってしまった。

 彼女へと近づいていく足が、鉛のように重かった。まるで死刑を執行される罪人のようだ。

 それでも、自分が逃げるわけには行かない。

 生徒会長だけは、生徒から目を背けてはいけない。

 それをした瞬間、自分はただ彼女を眺めるしかできなかっただけのあの頃に戻ってしまうから。

 その思いだけでようやく辿り着くと、弱々しい笑顔で一言だけ、彼女は言った。

「今まで、ありがとうね」

 その言葉を、どれだけ彼女に返したかったか。

 嗚咽で埋もれた声のせいで、頷くしかできなかった自分が、情けなかった。


φφφ


 今にも流れそうになる涙を、ナギサはグッと堪えた。

「よく泣かなかった」

 褒めるようにして笑う友の姿を、自分の歳はもう超えてしまっている。愛華はすぐにナギサから視線をそらすと、狐と少女を睨みつけた。

「まったく、信じられない。どうして簡単に死のうと思えるの」

 愛華の言葉に狐は咆哮をあげると、また一直線に襲いかかってきた。それを正面から愛華は受け止める。せめぎ合いになりながら、愛華は声を上げた。

「ナギサ、恭也くん、こいつはいいからあの子を!」

「私にはまったく話が見えないんだが。あの狐は一体何と押し合っているのだ」

「いいから行くぞ!」

 ナギサは眉を潜めていた恭也の腕を掴むと、少女の元へと走った。少女は怯え、フェンスに手を掛けた。

「来ないで! 来たら、落ちてやるから!」

「バカな事言ってねえでこっちに来い。動物霊なんててめえが前向きになるだけでいなくなるくらい、弱いもんなんだよ」

「前向きになんて生きれるわけない! もう誰も信用できない!」

「お前、バカか」

 既に再会を邪魔されたナギサは臨界点に達していた。

「友達を信用できないなんて、いい御身分で物事語ってんじゃねぇよ。こちとら、友達すらいねぇんだよ! 大体、自分が相手を信じないで、誰が自分を信じてくれるんだ!」

 信じるとか信じないとか。そんなのは簡単に決めていいものじゃない。

 信じるならば、とことんまで信じる。それくらいの気概がない者が簡単に口に出してほしくない。

 例えば、自分には幽霊が見えないから幽霊なんか存在しないと言った同級生。

例えば、幽霊が居ると証明できないなら信じないと喧嘩を吹っ掛けてきたコメンテータ。

例えば、幽霊が見せられないなら嘘つきだと言って石を投げてきた近所の子どもたち。

 そのどれもが、間違いではないのだ。信じられないものを信じられないと言う。それはナギサにとって、辛くはあったが許せないものではない。

 何よりも許せないのは、信じてないくせに軽々しく信じるという上辺の人間。そして、信じたいと思うくせに信じられないという弱い人間。

 それは、小さい頃の自分だから。

 祭りで出会った幽霊が見えるという少女を信じたかったのに、信じきれなかった。

 結局、二人で夜の神社で幽霊を見て回ったため、せっかくの時間を遊んで過ごす事が出来なかった。

 そして今。もう遊ぶ事すらできなくなってしまった。すぐ近くにいるのに、触れることすらできない。ナギサはそれを何よりも、後悔している。

「でも、私なんか財布としか見られてないし。何も取り柄なんかないし暗いし」

「そんなもん知るか。てめえの価値くらいてめえで決めろ。それができないてめえがクズなだけだろ」 

「待ちたまえナギサくん、それは言い過ぎだ」

「てめえは口出すんじゃねぇよ。退いてろ」

「引けないさ。今の君は冷静さに欠けている。いいか、生徒会は生徒の事を考えてだな」

「会長は、いいですよね」

 横から入った声に、二人はまたフェンスを見やった。

「会長は、いいですよ。いつも元気で何でも出来る人で、色んな人からも好かれていて。きっと、悩み事なんかないんですよね」

「ああ? てめえ何バカな事」

「あなたたちみたいな輝いている人に言われても虚しいだけ! どうして私ばっかりこんな目に合わなくちゃいけないの! どうして私には何の取り柄もないの!」

 少女の感情に呼応するように、ガタガタとフェンスが揺れる。

「っち。動物霊のせいでポルターガイストが起こってやがる! おい、そのフェンスは壊れるぞ!」

「あなたたちはいいわよね! 可愛いとか格好いいとかちやほやされるだけの容姿があって。でも私には何もないの! 名前も容姿も平凡で、得意な事なんか何一つなくて、友達に見捨てられたら終わりなの!」

 鈍い音がして、フェンスのネジが吹き飛んだ。強い風が吹いて、フェンスは闇の中へと消えていった。ぽっかりと空いた闇が広がる空間に、少女は足を踏み入れた。

「む。まずいぞナギサくん! 飛び降りる気だ」

「うっせぇな分かってる!」

 ナギサは辺りを見渡した。なんとか狐を取り押さえている愛華に助けは求められない。ならばせめて命綱になるようなものだけでも欲しいが、屋上は普段立ち入り禁止のため、それらしきものは見当たらない。

「さようなら」

 少女の声に振り向くと、その姿は闇の中にフッと消えていった。


φφφ


 生徒会長として出来る事とは何か。それをずっと考えている。

 人に笑われようとも構わない。呆れられようと、うざがられようと、自分は常に全力でなければいけない。

 それしか出来ないし、それしか分からない。

 きっと彼女がいたら何か良いアドバイスが貰えただろう。笑いながら、いつも隣で補佐してくれていただろう。だけどそれを求めるのは甘えでしかないから。

 だから、彼女との決別を決意した。

 いつか彼女に会えた時には、誇り高く「ありがとう」と返せるように。

 そのために今もずっと、考えている。

 考え続ける事こそが、彼女への弔いなのだと、信じている。


φφφ


「ふ、はは。間一髪、だな」

 苦々しい声で恭也が笑う。

片手で少女の手を掴み、片手でフェンスを掴んでいるが、身体の半分以上が既に外へと乗り出していた。

「何やってんだ、バカ野郎……!」

 ナギサは急いでフェンスへと駆け付つけた。一歩間違えば、二人とも死んでいた。恭也は少女の手を掴む瞬間、間に合わずに跳躍したのだ。勢いがもう少しでもあれば、完全に一緒に落ちていた。

「うむ、説教は後で、聞くとしよう。それより、何か、縄みたいなものはないか」

「探してるけど、ねーんだよ!」

「もう放っておいて……」

 少女が言うと、恭也が掴んでいるフェンスが揺れた。

「やれやれ。ナギサくんに叱っておいてなんだが、私も段々腹が立ってきたよ」

「おい、こんな時に何言ってんだ」

「だってそうだろう。この子だけじゃない。初めて会った時のナギサくんもそうだ。そして昔の自分もそうだった。一体なぜ自分の価値を自分が決めつけてしまうのか。毎日が平凡に続くと信じる顔をしていて、怠惰に毎日を過ごす。まったく。バカ者か君たちは! 考えろ、生きろ! 後悔などあり得ないと思うくらい、全力で生きてみろ!」

「そんなこと……。そんなこと、あなたなんかに言われたくない! 私みたいな人間はもうダメなの。もう離して!」

「離さないさ。私は信じているからな」

 ナギサはその時の恭也の言葉を否定できなかった。

 ――信じるとか信じないとか。そんなのは簡単に決めていいものじゃない。だけど、この男はその言葉を何の恥じらいも躊躇もなく言ってのける。

 それは多分、

「私は信じる。君は素晴らしい人間なのだと信じている。他の誰が信じなくても、私は信じよう!」

 本気でそう思っているからだ。

 この男も愛華と一緒で、本気で信じた事なら本当に出来てしまいそうな気持ちにさせてくれるのだ。安っぽい言葉でも全力で言ってくれるから、信じてみたくなる魅力があるのだ。

「まずいぞナギサくん。こっちも壊れそうだ」

「分かってる! 黙ってろ!」

 ハッと気持ちを切り替えて、ナギサは思考した。今から下に降りてマットや縄を探しても間に合わない。何より、今この場を離れるのは危険すぎる。かといって、女の自分では二人を持ち上げることも出来ない。

 助けを求めるようにして愛華を見た。しかし、愛華は心配そうな顔をしながらも、首を振った。

「私に頼っちゃ、ダメ。私が出来るのは、こいつを取り押さえるところだけ」

「なんでそんな事言うんだ。愛華は頭が良いだろ。知恵を貸してくれ」

「ダメだよ。頼らないで、考えて。私はもう、死んでるんだよ?」

 その言葉に愕然としながらも、ナギサは何かが引っ掛かった。

 ――死んでいる?

 しかし、何が引っ掛かったのかは分からない。

「頑張れ! ナギサ!」

 愛華の言葉にナギサは一所懸命に頭を働かせた。今の状況で精一杯であろう恭也の知恵は使えない。余計な事で力が抜けたら一貫の終わりだ。

「力……」

 そうだ、力さえあればいい。二人を支えられるくらいの力。普通の学生にはない、大人の男の力だ。

 ナギサは屋上のフェンス際をぐるりと回る。そして見つけた。

 最近ナギサに付きまとっている、二人の中年幽霊。

「てめーら、来い! 俺に取り憑かせてやる!」

 ナギサはグッと自分の感情を殺しながら、浮遊してきた幽霊に告げた。

「お前ら、俺に取り憑いてあの二人を釣りあげろ。そのあと、何でも一個だけ言う事を聞いてやる」

 『何で自分だけ』だなんて思わない。

大嫌いな体質でもいくらでも喜んで利用してやる。

「マジっすか! エッチングタイムですか!」「任せとけ。こう見えても俺は、バーベル200キロ以上の記録を持っている」

「まあそれに押しつぶされて死んだんだけどね」「それは言うな。人生最大の汚点なんだ」

「どうでもいいから早くしろ……」

 げんなりとしながら、ナギサは自分の身体を差し出した。


エピローグ


 職員室を出ると、ナギサはすぐに恭也を蹴飛ばした。

「てめえ、生徒会長なら許可くらい取っとけ!」

「ふははは! 無茶を言うものじゃないぞナギサくん。『霊感不良少女と夜の校舎で七不思議の調査をしたい』と言って、誰が許してくれると思うかね!」

「思うかね、じゃねーよ! 俺まで説教に巻き込みやがって!」

「私だけ怒られるなんて寂しいではないか」

「よしてめえ、殴っていいんだな?」

 ナギサはボキボキと拳を鳴らした。

「あ、そうそう、今日改めて佐藤花子くんからお礼の手紙をいただいたのでな。後ほど生徒会室で読もうではないか」

「人の話聞けよ。つぅか、お前が教室まで持ってこい」

「そんな非効率的な事をして何になるのかね?」

「なるのかね、じゃねぇよ。俺が生徒会室行くのも非効率だろが」

「うん? 非効率ではないさ。今日は生徒会の集会日だからな。君は晴れて、先ほど生徒会の役員に任命されているのだぞ?」

「されているのだぞ? じゃねぇよ! 何勝手に話進めてんだ!」

「まあ落ち着きたまえ。他の生徒が驚いてしまっているではないか。生徒会役員たるもの、生徒を不安にさせてはならない。気を付けたまえ。それに決めたのは私だが、推薦したのは私ではない」

「誰だよ」

「愛華くんだ」

 恭也の返答に、ナギサは言葉に詰まった。

「君のおかげで彼女は成仏出来た。感謝している」

「っち」

 盛大な舌打ちをして窓から空を見上げる。相変わらずそしらぬ顔の青色が広がっていた。だけどその空の下に、もう愛華はいない。

 二人を引き上げた後、取り憑かれたままのナギサに愛華が取り憑く事で中年の霊を身体から追い出してくれたのだが、その後、愛華は恭也と何かを話して成仏してしまった。

「……俺に取り憑かせた愛華と、最後に何を話したか、聞かせてくれたら考えてやるよ」

「うむ、了解した。それでは放課後、生徒会室で待っているぞ」

 シュタ! と片手を上げて恭也は階段を駆け上がっていった。うまく丸めこまれた気がしないでもないが、それも悪くないと思う自分がいる事に、ナギサは歯痒いのか悔しいのかすら分からなかった。

 ――まあ、でも、

「あ、ナギサさん、ここにいたんですか!」

 後ろから元気な声と一緒に、佐藤花子がトコトコと走ってくる。

「次の体育、合同ですよね? 一緒に行きましょう」

 えへへと笑う少女に「別に構わない」と小さく返した。

 ――まあ、でも、相変わらず不器用だけど、相変わらず人づきあいは苦手だけど。

 友達も出来た、生徒会にも入る。

「これで、いいんだよな」

 ペンダントに触れる。

 少しずつでもいいから、変わっていこうとナギサは思う。

 いつの日か。

 ――そう。

 いつの日か、自分が全力で生きた後に、優しい「死神」と笑顔で再会するために。



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