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闘将ディオ 5

 ワーウルフの奇襲、これだけならば別段珍しい事も無い。魔獣は山野の深き茂みに忍び、獲物の臭いを見つけては急襲してくる。人々は多くの場合、備えをもってそれに立ち向かう。


 しかしこのワーウルフの集団は一隊を囮とし、それに注意が向いたティタン達の隙を突いてもう一隊で攻撃してきた。明らかに作戦と言う物を用いている。


 「(敵を侮った。愚かな話だ)」


 背後を見遣ってティタンは鼻を鳴らす。十数頭からなるワーウルフの奇襲隊によって後ろに続いていた兵団は大きく揺さぶられている。セリウの兵達がそれでも個々に反撃の意思を見せているのは流石と言うべきか。


 「(これまで戦ってきた強敵達。ゴブリンの王やオーガの突然変異も、魔物達を強力に統率していた。シンデュラの勇者だけ出来ない道理は無い)」


 ディオが果敢に声を上げて味方を鼓舞する。突然の急襲にもうろたえず、彼女の周辺は即座に陣を組んだ。

 しかし、ワーウルフの勢いは強い。


 「引き返せぇぇ! 下がれ、下がれィッ!」

 「馬鹿な! 退いては駄目よ! 退いた所で逃げられない!」


 アカトンの撤退命令とそれに反抗するディオの怒声。兵達が混乱する中、ティタンは味方に襲い掛かるワーウルフの群れへと突っ込んだ。


 獲物に喰らい付くその瞬間を夢想し涎を垂らした魔獣。これを仕留めるなどティタンに取っては実に容易い事だ。剣を閃かせて猛然と走るティタンに続き、パシャスの巫女達も祈りの言葉を唱えて剣を抜く。


 一匹、瞬きの間に切り倒す。掛かる勢いのまま更に踏み込み、更にもう一匹。それに巫女達が続く。一人が風に靡く稲穂のようなしなやかさで攻撃を受け流し、その隙を突いて控えた者が鋭い一撃を繰り出す。攻め手の無防備な背中を守る為に更に一人前に滑り出し、入れ替わり立ち代りワーウルフ達に攻撃を繰り返す。

 ティタンは自分に追随する巫女達の剣捌きに感嘆の息を漏らした。邪魔にはならぬ、と偉そうな事を言うだけはある。体裁きに多少不安は残るが、確かに彼女達はワーウルフを上回る腕前を持っていた。


 「下がれ! 黒い奴が動いた! 下がるんだ! 全滅させられるぞ!」

 「アカトン卿! 駄目だと言っているでしょう! ……えぇいあのモヤシ野郎!」


 アカトンを罵るディオ。彼女の周囲を固める兵達にも五頭、襲い掛かる。ワーウルフ達は灰色のくすんだ毛並みに大きな身体をしており、他と比べても強力な固体なのが一目でわかる。

 混乱しかけた状態で五頭ものワーウルフに襲い掛かられたら持ち堪えるのは不可能だ。応戦する兵達の隙間を突破し、一頭のワーウルフがディオに襲い掛かる。


 「ディオ様、御下がりを!」


 割って入ったのはフォーマンスだ。彼は盾を構えて体当たりしワーウルフを突き飛ばすと、ディオの跨る馬の尻を思い切り叩いた。


 ワーウルフの襲撃に竦みあがっていた馬が弾かれたように走り出す。ディオは声を上げた。悲痛な叫びだ。


 「フォーマンス! 馬鹿!」

 「兵ども! 踏み止まれ! 我等の主を御守りせよ! 獣どもを跳ね返しながら、少しずつ後退する!」

 「フォーマンス! やめなさい! あぁ、止まりなさいこの駄馬!!」


 この混乱の中でもティタンの耳は一連のやり取りを聞き逃さなかった。拙いな、と何処か他人事のように考える。


 逃げた所で意味は無い。これから先は夜。森の中を追い詰められ、最後には狩られる。最初から言っている通り戦って切り抜ける以外に生還の術は無いのだ。


 ワーウルフ達がティタンと巫女達を包囲しようと動きを変えた。本能に任せて襲い掛かってこようとはせず、じりじりと距離を推し量り、ずらりと周囲を取り囲む。


 屈強な敵の壁。その向こうには散々に引っ掻き回されて逃げ散る味方。背後を振り返れば黒いワーウルフが魔獣達を従えてこちらを見据えている。


 進退窮まった。ティタンは笑った。ディオは生きろと言ったが、この場が死地となるだろう。


 聖句を唱え、剣をきつく握り締める巫女達に問う。


 「お前達、怖いか?」

 「いいえ、ティタン様」

 「嘘吐け、震えてるぞ」

 「武者震いです。我等は貴方を信じております。例え死しても、貴方とパシャス様が我等に名誉を与えて下さる」

 「名誉か。クラウグスの戦士が望む最大の物だ」

 「そうです。……クラウグスの古より決して変わらぬ物。次の時代、次の子らの為に命を燃やし尽くす名誉と栄光」

 「追い詰められてこそ奮い立つ物がある。お前達はよく解っているな」


 ティタンは笑みを深めた。肩を竦めてのんびりと懐に手を突っ込む。襤褸切れを取り出すと、丹念に牡鹿の剣に滴る血を拭った。

 周囲を取り囲むワーウルフ達など、まるで居ないかのような振る舞い。しかし瞳は暗く燃えていた。戦いに赴く勇気。強敵と神々の御名の元に死を賜る覚悟。


 「ははは……。今この時こそ、俺達はアッズワースを守護する戦士の中の戦士。魔を払う真紅の太陽。凍てつく風の中に苦痛を受け入れ、飢え、渇き、語らぬ者」


 ティタンの戦詩だ。周囲を囲むワーウルフ達を睥睨し、その一頭一頭に視線を合わせ、必殺の意思を練り上げていく。


 「宣誓、栄光、流血、同胞、歴史、……Woo。そう、今この時こそ、俺達は戦士の誇りその物。ウゥ・ヴァン、ロゥ・ラン」


 余裕綽々のティタンの様子。ワーウルフ達はそれでも襲い掛かってはこない。結局ティタンは牡鹿の剣を丹念に磨き上げ、鞘へとしまう。代わりに抜き放つのは予備の長剣だ。


 沢山斬らなきゃいけない。ティタンは使い潰しても良いように常に剣を三本準備している。


 「命を賭して戦うは、何の為か」


 呟くように言うティタン。これから死ぬぞ、と言う気持ちになると、不思議と昔の事を思い出す。

 多くの苦境。多くの強敵。数え切れぬ死線。


 戦いに次ぐ戦い。そして、それを彩った多くの強者達と……愛しい女。


 「はぁぁぁぁぁッ! アァァァァッ!!」


 ティタンは咆えた。思い出を振り払うように。多くの戦士達と肩を並べた事、そしてその多くの戦士達を看取り、自分が今ここに立っていると言う事。


 三百年経っていようが変わりはしない。戦士は戦う。名誉と栄光。使命と歴史。正義と未来。そして何よりも誇りの為に。


 戦士は、戦う。

 戦士よ、戦え。


 ティタンは咆えた。思い出を振り払うように。


 「Woooooooooooo!!! Vaaaaaaaaaaaan!!!」



――



 「逃げ道はない! 貴方には勇気も計算高さも無いの?! 追い詰められた兎のように、惨めに首を食い千切られるのが望み?! 冗談ではないわ!!」


 ディオはアカトンを締め上げていた。即座に反転し、ワーウルフ達と戦うよう要求していた。


 陽は沈む。夜が来る。ワーウルフ達から逃げられる筈も無ければ、陽が落ちて勝利を得られるような作戦も無い。

 今戦うしかない。どれ程の犠牲を払ったとしてもだ。それがディオの指揮官としての判断だ。


 そしてそれよりも何よりも、配下を置き去りに逃げ出す不名誉を受け入れることが出来なかった。

 ディオは兵を率いる立場の物だ。冷徹な計算で死を命じる事は当然ある。そしてそれは言うまでも無く、苦渋の決断だ。

 だが今回のこれは違う。明らかに間違った選択の為に、ティタンや助力してくれたパシャスの信徒を置き去りにした。


 ディオの心は怒りと羞恥、そして嘆きでいっぱいだった。


 「名代殿! 落ち着かれませい! 幸いな事にあれ程の襲撃を受けたにしては損害は軽微で、敵の追い足も鈍い。迂回して撤退を!」

 「恥を知りなさい! 何故損害が無いのか! 何故追撃が無いのか! 解り切った事でしょう!」


 止めに入ったバイロンの言い訳は虚しい物だった。自分の放つ言葉がどれ程白々しいか、バイロンですら解っていた。


 ディオは掴みあげたアカトンを突き飛ばす。烈火の如き怒りの陰に、悲痛が見え隠れしていた。


 「私の部下が踏み止まっているからだわ! ティタンと彼に従うパシャスの巫女達が! 無様な我等の代わりに戦っているからよ!」

 「……名代殿、私とて、部下の命を背負っております。最善の選択をしなければならない」

 「アカトン卿、これ以上私を怒らせないで。……貴方の参謀は?! 少しでも建設的な意見を出せる者は居ないの?!」


 ディオ一人に完全に気圧されたアカトンの参謀達。抗しきれない憤怒を前に唾を飲み込むばかり。

 その胆力の無さにディオは今度こそ見切りをつけた。怒りもわかない。失望とはそういった物だ。


 遠くから雄叫びが聞こえる。魔獣達の遠吠えが。獲物に襲い掛かる前の歓喜の声だ。香りを楽しみ、牙を突き立てた瞬間に溢れ出す血の味に思いを巡らせた時の。


 そしてそれに混じって人間の声が聞こえた。ディオは息を止めた。



 Woo Van



 雄叫びは言っていた。ディオはその言葉を知っていた。


 「……この雄叫びは」


 フォーマンスが耳を澄ませる。ディオは最早アカトン達に見向きもせず、座り込んで恐怖に震える兵達の元へと歩いた。



 Woooooo Vaaaaaaan



 雄叫びは続く。何度も何度も繰り返される。


 ウゥ・ヴァン。ウゥゥー・ヴァァァーン。出鱈目な意味の無い音にも聞こえるそれ。


 ディオ血が出るほどに唇を噛んだ。


 「古の言葉よ。神々の始まりの言葉。人が生まれる以前に封じられ、限られた者達のみに伝承を許されたとされる力ある言葉」

 「ディオ様」

 「ウーは肯定、攻撃的な意思、戦い、そして雄叫びを意味し、ヴァンは堅固な者、強き者、戦士を意味する」


 もう一度聞こえた。ウゥ・ヴァン。今度はこれまでの物よりもずっと長く、力強かった。


 「“戦士よ戦え”と、彼は言っているのよ」


 夕暮れの森の小道でディオは唇を噛み締める。


 「誰も知らないのよ、ティタン。昔は誰もが知っていた筈なのに」


 貴方の戦いの詩を。戦士の心を。

 どうして戦うの? 誰も貴方の後に続かず、誰もその死に様を知ろうとしないでしょう。

 見返りは無く、ただ歴史の陰に埋もれていく。貴方ほどの戦士であっても。これまで多くの物を忘れてきたように、人々は貴方の事も。


 なのに貴方は。

 どうしてそうも美しい姿で戦いに向かうのか。


 Wooooo Vaaaaan!!!

 「………………戦士よ、戦え!!」


 ディオは座り込む兵士達に叩きつけるように声を放った。突然の大喝に兵士達が顔を上げる。誰も彼も疲れ果てた表情をしている。


 ディオは構わなかった。新たな咆哮が届き、ディオは再び応える。


 Woooo Vaaaaaaaaaaaaaan!!

 「戦士よ、戦え!」


 突如として叫び始めた主君に唖然とするセリウの兵達。しかし彼女が何を言っているのか理解すると、目はぎらつき、手足に力が満ち、口端はふてぶてしく歪む。


 Wooooooooooooo Vaaaaaaaaaaaaaaaaan!!!!!

 「戦士よ!! 戦え!!」


 ディオの眦に涙が浮かんだ。ティタンが歌っていた。自分も歌うしかなかった。


 誰も貴方の言葉を理解しないならば、私が貴方を歌おう。


 戦いなさい、ティタン。全うしなさい、ティタン。

 不器用で不親切な貴方の代わりに、私が貴方を歌ってあげる。戦士の心を伝えてあげる。


 「戦士よ!!! 戦え!!!」



 ――戦士よ!!! 戦え!!!


 ワーウルフに囲まれながらティタンは空を見上げた。


 俺の雄叫びに応えるのは、矢張りお前か、ディオ。


 「ティタン様、敵が動きます」


 ティタンの雄叫びに散々に煽られて、ワーウルフ達も最早我慢の限界に来ていた。唸り、汚らしい涎。がちがちと牙を鳴らし、みちみちと筋肉を震わせている。

 シンデュラの勇者は未だにワーウルフ達を抑え込んでいるようだった。それが何故なのかは解らないが、何にせよその統制も限界に来ているだろう。


 ティタンはやっぱり、笑った。遠くから返された咆哮。誰が咆えたかなんて考えるまでも無い。

 ディオの雄叫びに、不思議と力を与えられた気がした。戦士の心を知る者が居る。ならばそれで……


 満足だ。


 「どうした、来いよ、犬っころども」


 シャランと剣を鳴らす。それが合図であったかのように一頭のワーウルフが飛び掛かってくる。

 ティタンはそのワーウルフを迎え撃つ。爪の一撃を受け流し、返す刃でワーウルフを貫く。


 熱い返り血。ティタンの心臓は今再び喚きだす。


 「ヴァン! ロゥ・カロッサァァァァ!!!」



 「戦士の、宣誓に懸けて!!!」


 ディオは兵達に叩き付ける。



 巫女の一人がパシャスの加護を用いて衝撃波を放った。パシャスより預かった神秘の一端だ。ティタンはそれによって作られた空白に踊り込み、閃光の如く剣を振るう。


 「ヴァァン! ロゥ・ディィィーン!!」



 「戦士の、栄光に懸けて!!!」


 ディオは剣を抜いて地面に突き立てた。兵達はのそりのそりと立ち上がり、ディオの詩に耳を傾ける。



 迫る大顎。ティタンは身をかわし膝蹴りを叩き込む。怯んだ隙にナイフを繰り出し、喉首を抉る。


 「ロゥ・ヴェイン! ロゥ・クレム! ロゥ・ライィィール!!」



 「流血に懸けて! 同胞に懸けて! 歴史に懸けて!」


 段々と、声が重なっていく。ティタンとディオの心が同化していく。


 一頭を突き、一頭を切り裂き、一頭を抉り、神魔鬼神の如き強さを見せつけるティタン。血は燃え、心臓は喚き、肉は震える。強敵と戦う喜びに、自然と頬は緩み、詩が口を突いて出る。

 兵一人一人を見詰め、彼等に説くように、そして叩き付ける様に気を発するディオ。額には汗、眦には涙、唇には血。硬く握られた手は心情を表し、自然と喉が引き絞られ、詩が口を突いて出る。


 「セイル!」


 「克己!」


 「ヴォーラ!」


 「不屈!」


 「ウィンガー!」


 「守護!」


 「アンディオーサ!」


 「営み!」


 「レウ!」


 「使命!」


 「ロゥ! ヴァン! アリィー! サウラァァージ!!」

 「戦士に宿る、それら全てに懸けて!!」


 ティタンは敵を跳ね除け、剣を天に突き上げた。ディオは土を払い、剣を天に突き上げた。


 「Woo!!」

 「戦え!!」

 「Woo!!」

 「戦え!!」

 「Woo!!」

 「戦え!!」


 ぎらり、と二人の目が輝いた。


 「ウゥ・ヴァァーン!!!!」

 「――戦士よ、戦え!!!」

 「ロゥ・ラァァーン!!!!」

 「――誇りに、懸けて!!!」



 ディオの周囲で立ち竦む兵達。気迫に圧倒され、枯れ果てた咽に唾を飲み込み、息すら詰める。


 ディオは全ての者に聞かせた。セリウの兵も、アッズワースの兵も無い。戦士としてすべき事は同じなのだ。


 戦って道を切り開く。戦士ならば。


 そう、戦士ならば。


 「戦士ならば! 己の死を常に思っていて然るべきだわ!」


 ディオは自らの剣で左の掌を裂いた。血の零れだした手を握りこみ、苦痛を受け入れ、それを美貌に這わせる。


 ディオの顔は直ぐに血で化粧された。泥にも血にも塗れぬ戦士が居る物か。これはディオなりの戦化粧であった。


 「戦士ならば! その死に納得できる理由を持っていて然るべきだわ!」


 ディオに習ってセリウの兵達が血化粧を施し始める。汗に塗れた頬に血を塗りたくり、苦痛を共有する。


 「戦士ならば! 同胞を見捨てない! 戦士ならば! 如何な苦境にも屈することは無い! 戦士ならば! 戦士ならば!

  我が部下が未だ踏み止まり戦っている! 尊敬すべきパシャスの戦巫女達も! そして其処に強敵が居り、私はアッズワースを守る数多の戦士達の一人!


  ……ならば、私が行く理由はそれで充分よ。私は古よりクラウグスを守り抜いてきた戦士達の末裔なの。

  誇りがあるわ。そして責任も。今この時こそ私はアッズワースを守る戦士の中の戦士。沸き立つ血を究極の犠牲として奉げ、無辜の民草と、クラウグスの栄光と、我等の祖霊達の名誉を守る。


  ……御免なさい。本当はもっと、気の利いたことを言えたら良いのだけれど。

  ……結局はこれだけ! さぁ我こそ勇者と言う自負在らば! 我こそ戦士と言う自負あらば!


  私に続きなさい! 死を受け入れ、しかしそれに打ち克つのが本物の戦士よ! 矜持を取り戻しなさい! 使命を思い出しなさい! 我等の戦いが未来を拓く! 私の背に、名誉と栄光を追い求めなさい!!


  ウゥ・ヴァン!! ロゥ・ラン!!」


 ディオは小走りに駆け出した。馬も用いず徒歩で。先程の様に無理やり逃がされては困る。


 「この期に及んでは是非もなし」


 真先にフォーマンスが続く。主君が覚悟を持って兵を煽り、しかも先頭を駆け出した。これ以上止める事は出来なかったし、その心算も無かった。

 続々とセリウの兵達が続く。戻っても其処に居るのは抗いようの無い強大な敵だ。数十頭のワーウルフの群れなど、数百名規模の討伐軍が編成される事態である。しかし彼等には怯えも戸惑いも無い。ただ神々に祈り、ディオの背を追って駆けて行く。


 「ディオ・ユージオ・セリウ……」

 「アカトン様、宜しいのですか」

 「指揮官殿、後生です。このまま見送るは戦士の名折れ」


 アカトンの下に組織された兵達は戦慄した。死を恐れぬ、と口で言うのは簡単だ。しかし恐れを殺しきれぬのが人間である。

 彼等はうなじに熱を感じていた。突き動かされるような焦燥を。

 このまま見送るだけでよいのか、と兵の一人が呟いた。


 「……声が……聞こえた……ウゥ・ヴァン……ロゥ・ラン……」


 一人の女が重たい足取りで現れた。腹に巻かれた包帯に血が滲んでいる。朝方、ティタンと共にアカトンの隊を救った五名の内の一人だ。


 重傷ゆえ、これまで寝かされていた。それがティタンとディオの咆哮に目を覚まし、這い出してきたのだ。彼女は軍医から受け取った皮袋から水を煽り、飲み干すと投げ捨てる。


 アカトンの配下が声を掛ける。


 「そなた、その傷で動けば死ぬやも知れんぞ」


 女は荒い息を吐く。目だけが爛々と光る。


 「傭兵が……ティタンが、まだ戦っている。そして、我が団の同胞たちが、今また戦いに赴いた。……彼等だけを行かせるくらいなら……私は死を選ぶ」


 そして走り出す。傷を負った人間とは思えぬ俊敏さで、鎧も着けず、一振りの剣のみを握り締めて。


 アカトンは歯を食い縛った。不甲斐なさで涙が零れそうだった。

 大きく息を吸い込み、天を仰ぐ。沈む太陽を見詰め、とうとう覚悟を決めた。


 「我等も行くぞ!」

 「心得た!」

 「荷を捨てろ兵ども! 武器のみ持って突っ走れ!」



――



 強敵に取り囲まれた状態でより一層ティタンは滾った。息は乱れに乱れ、足裁きも崩れかかっているのに、その剣の閃きは鋭い。爪も牙も潜り抜け敵の肉体を貫く様はまるで魔法のようで、夕日に照らし出された血塗れのその姿は正に伝説に残る“アッズワースの大英雄”その物だ。


 パシャスの巫女達は思い知った。“ティタン”と言う名。“ティタン”と言う伝説。古より伝わる恐るべき戦士の戦いを。


 誇張も何も無い。只管に強い。美辞麗句で彩る必要も無かった。ただただ、強い。


 ティタンは強い。当然ではないか。巫女達は思い知った。


 「光栄です! 貴方と共に戦えることが!!」


 一人の巫女がティタンの左に飛び出す。襲い掛かるワーウルフの牙を代わりに受け、肩を引き裂かれて血を流した。


 ティタンはナイフを投擲した。ワーウルフの眼窩を貫通し絶命させる。巫女は肩からの出血にも構わず神秘を纏った右手を突き出し、衝撃波で後続のワーウルフを吹き飛ばす。


 「水よ奔れ! 水よ唸れ!」


 直ぐに別の者が援護に入る。パシャスの力は大別して二種。色も形も無き、パシャスの激しき感情の業とされる衝撃の奇跡と、パシャスが支配するとされる水の権能の顕れ、優しく激しい水流の奇跡。


 水の鞭がパシャスの感情を顕す様にうねる。怒りに悶え、のたうつように、目にも留まらぬ速さでワーウルフ達を打ち据える。


 「俺に構うな! 眼前の敵を斬れ!」

 「Woo!!」

 「さぁ来るがいいシンデュラの下僕ども!」


 ティタンと巫女達が形成する円陣は強固だった。四方八方から来るワーウルフ達を幾度も跳ね返している。

 しかし太陽は既に沈みかけている。暗闇が辺りを満たし、ワーウルフ達はより活発化する。


 夜の神シンデュラの時間が訪れたのだ。敵が力を増すのに比べ、ティタン達は確実に体力を奪われていく。


 くくく、と小さな笑いが洩れる。ティタンの物だった。


 「ティタァァァァーン!!」


 笑みが崩れた。ティタンはワーウルフの爪を受け止めながら背後を一瞬見遣る。

 森の小道から松明を掲げ兵達が駆けて来る。その先頭は、ディオだ。


 彼女は正しい選択をした。勝つか負けるかは解らないが、少なくとも生き残る目のある選択を。


 「(戻ってきたのかよ指揮官殿)」

 「ディオ・ユージオ・セリウは、少なくとも臆病風に吹かれて貴方を置いて行ったりしないわ!」


 一気呵成に襲い掛かり、ティタン達を囲うワーウルフを薙ぎ払う。ディオを先頭にした兵達は既に身の守りを捨てていた。命を引き換えにしても敵を倒すという気迫があった。


 「火を絶やすな!」

 「押し込め兵ども! 押せ! 押せ!」

 「神々の加護ぞある! 夜の軍勢を押し返せ!」


 捨て身の攻勢はティタン達に掛かり切りだったワーウルフの群れを容易く押し返した。兵達の形成した戦線の内側でパシャスの巫女達が膝を着く。

 無理も無い。短時間の内に全力を振り絞り、極限まで心身をすり減らしながら戦った。そこへ突然の友軍。力が抜けて当然と言う物だ。


 「オーレー家の名の元に、進め兵ども! 死んでもだ! 臆病者の汚名を受けて生き永らえるよりは、俺と共に死ね!」

 「セリウの兵達に後れを取るな! イヴニングスター戦士隊は友軍の盾となる! 人狼何するものぞ! 悪神何するものぞ! アッズワース大要塞は、それら全てを跳ね返す!」

 「さぁ、“戦士よ、戦え!!”」

 「おう、“誇りに、懸けて!!”」


 ティタンは剣を投げ捨てた。予備の剣は既に三本目、最後の備えを抜き放っていて、それも既に使い物にならなくなっていた。凄まじい激戦だった。

 温存しておいた牡鹿の剣を抜き放つ。周囲に満ちる戦友達の雄叫びに、知らず笑っていた。


 何と心強い。


 「ティタン!」


 ディオが現れる。先程の攻勢に指揮官自ら参加したのか、剣は血に汚れ鎧には傷がついている。

 美貌には似つかわしくない血化粧が乗り、目は吊り上って敵を威圧する。ここまで兵を駆り立てて来たその姿は正に闘将と呼ぶに相応しい勇ましさだった。


 が、ディオは顔をくしゃくしゃに歪めてティタンを抱きしめた。身長差の為、ティタンの鳩尾に額を埋める格好になった。


 「良く生きていたわね、偉いわ」

 「……死んだつもりになっていた」

 「御免なさい」

 「アンタに謝ってもらう事じゃない。この戦いは俺の望みだ。生も死も、俺の器の内にある」

 「貴方を置き去りにした」

 「だが最後には正しい選択をした。……いや、させたと言うべきなのか? ま、良い。敵はまだ居るんだ」


 ティタンはディオを引き剥がして味方の戦線を見遣る。奇襲によって大きく敵を押し込んだ物の、ワーウルフ達の圧力は更に高まり膠着状態となっていた。


 「行けるか、お前達」

 「ティタン様が行かれるのであれば」

 「我等は従います。例え地獄の底へでも」


 ティタンとディオが並び立ち、その背後にパシャスの巫女達が続く。大小様々な傷を負い、疲労は激しい。


 「ウゥ・ヴァン。ロゥ・ラン」


 しかしその短い戦詩が、彼等を衝き動かす。ディオが拳を差し出してきた。ティタンがそれに応えて拳を打ち合わせる。


 その拳を胸に。次いで、額に。そして再び拳を打ち合わせた。


 「号令を。指揮官殿」

 「……行きなさい、ティタン。戦い抜きなさい。貴方の名が、新しい伝説となるわ」

 「ふ、面白い言い回しだ。承った」


 ティタンは駆け出した。ディオも駆け出した。引き摺られるように巫女達が。

 ディオの大喝が兵達に道を明けさせる。ワーウルフ達へと向けて一直線だ。そのまま戦線に殴りこみ、一気呵成に突破する。


 先頭をひた走る傭兵ティタンと指揮官ディオの姿に鼓舞されて、兵達は我も我もと後に続いた。後先考えない我武者羅の攻め。命を投げ捨てるような無謀な突撃だ。


 しかしその突撃が面白いようにワーウルフ達を押し込んでいく。一突き毎に敵の群れを二歩も三歩も後退させ、悲鳴を上げさせる。


 「Woo!! Woo!! Woo!!」


 狂気的な雄叫びで満ちていた。ティタンの裂帛の意思が乗り移ったかのように。

 不思議な感覚を誰もが共有してた。ティタンが先頭を走れば、体が自分の物では無いかのようにそれに続こうとする。


 たかが一傭兵の後に続くだけで、不思議と勇気が湧いて来る。


 「どうした犬ころ、シンデュラの勇者! 決着をつけようぜ! もう夜だ、これを待っていたんだろう?!」


 ティタンの挑発。牙を剥き出しにして唸る黒いワーウルフ。


 満月の元に夜の神シンデュラの加護を受け、その力は高まっている。それが奴の望みであり、今こそ最高の戦いの舞台が整った筈なのだ。


 ならば何時までも後ろで退屈そうにしている道理はあるまい。ティタンは牡鹿の剣を振り上げ、それを黒いワーウルフへと突き付けた。


 「お前が最も力を増した時にそれを真正面から打ち破る! 戦士としてこれ以上の力の証明は無い!

  俺が恐くて戦えないなら、さっさと逃げ帰るが良い! シンデュラの足に縋り付き、惨めに鼻を鳴らして加護を乞え!!」


 とうとうシンデュラの勇者が動いた。黒いワーウルフが一吼えすると周囲のワーウルフ達が大きく後退し道を開ける。


 そこからはティタンに向けて一直線だ。黒き風となり疾走する。


 素早い敵だ。ティタンは思った。目が良く、相手の隙を見つけるのが上手い。少しでも油断があればたちまちに喉頸を食い破られるだろう。

 その戦い方はティタンのそれに似ていた。ティタンとシンデュラの勇者は似たもの同士だ。呼吸を整え、敵を見極め、いざ攻めかからんと欲すればたちまちの内に、一撃で敵を葬り去ることを信条とする。


 どちらが勝ってもおかしくない。だが勝負は一瞬。そして一撃だ。


 ワーウルフが跳躍する。顎を開き、牙を剥きだしにし、爪を閃かせ。


 ティタンは地を滑るように足を前に出した。世界が遅くなり、音は消え去って、視界が狭まっていく。世界の内に、己と敵だけになる。


 そして今、ティタンとシンデュラの勇者が交差した。誰も目を離せなかった。呼吸すらも忘れ、その一瞬に魅入った。


 雄叫びの内容はワシの勝手な造語です。



 流石になんかの作品と被ってたりはしない……よな?

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