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闘将ディオ 4

 ティタンと五名の兵達は戦いの予感に強張る身体を宥めながら走った。流れる汗もそのままに、ただ只管敵の気配を探しながら。


 悲鳴の傍まで近付けば多くの死体が転がっている。煙を吹く森と矢を射掛けられて針鼠のようになった魔獣。そして喉頸を食い千切られ、腸を引き裂かれて血溜りを作る人間の成れの果て。


 その向こう側に、壊走寸前の状態でじりじりと後退を続ける兵団。


 「一方的にやられておる」


 兵の一人が荒い息の合間に零した言葉。ティタンは鼻で笑った。


 「奴等も戦う心算はあったんだろう。しかし何も考えず火責めにしてみたら、手に余る数の魔獣達が溢れてきて……後は見ての通りだな」

 「火は駄目なのか?」


 ティタンは兵団の規模を見た。そう多くは無い。精々が三十で、転がる死体達と足しても五十に届くかどうかと言った所だ。


 「獣が相手ならそれで良い。だがアッズワースの魔獣を……それも森一つ相手にするには頭数が足りてない。……さぁ無駄話は終わりだ」


 ティタンは雄叫びを上げた。戦いの雄叫びだ。

 馬鹿でかい、ともすれば人間のものとは思えない程の咆哮に魔獣達が反応する。ワーウルフや森の中で細々生きていたであろう狼。そして探せば何処にでもいるゴブリン。


 ティタンの背後で兵達も吼える。同時に、呼びかけが行われた。


 「東だぁー! 東へ向かえぇぇー! 援軍だぞぉー!!」


 突如として現れた援兵に崩れかかっていた兵団は息を吹き返した。ティタン達の誘導に従い、ギリギリの所で陣を維持しつつ移動を続ける。


 ティタンは一度咆哮した後は、足音すらも静かなままに直走った。


 「ティタンに続け! 奴に後れを取るな!」


 獣の如き速さ。影が大地を滑るようになんら違和の無い疾走。

 足取りは僅かも乱れず、上体が揺れることも無い。両の目は只管に敵を探し、睨みつけ、猛禽の如くギラギラと輝く。


 「Woo!!」


 雄叫びと共に跳躍する。陽光に煌く刃。その鋭き一撃。

 ティタンは風の如く駆け抜け、とうとう兵団に追い縋る一頭のワーウルフに襲い掛かる。首と肩に三本も矢が突き立っているが、興奮状態にあるワーウルフは些かも止まる気配を見せない。

 そういう状態の魔獣達が満ちている。だからあの兵団も散々に追い立てられているのだ。


 だが、ティタンはなんら問題にしなかった。血生臭い息を吐くワーウルフの爪が己の身体に辿り着く前に剣を繰り出す。それはワーウルフの咽喉に突き刺さり、盛大に血を噴出させた。

 急激な失血によって身体の制御を失いじたばたともがくワーウルフ。倒れ伏した後も狂った目だけがティタンの背を追う。未練がましく、寂しげに。


 「射よ!」


 矢がティタンの背後より飛来した。ティタンの眼前に立ち塞がろうとしたゴブリンの頭を正確に射抜き、絶命させる。ティタンはその屍を越えて次なる敵に肉薄する。


 身体能力を駆使して走るティタン。相対したワーウルフも地を蹴っていた。灰色にくすんだ針金の如き体毛の下で太い血管がびくびくと震えているのが解る。

 視界が急激に狭まり、時間が急激に引き延ばされる不思議な感覚。唸るワーウルフの顎も、爪も、全ての動きが夜に降り下りる霜の如く遅い。


 「(温いぜ)」


 ティタンは身を捩る。首元を血と土のこびり付いた汚れた爪が通り抜ける。爪を振り切った後のワーウルフの肩に手を添えて、ティタンは優しく抱き締めるように身体を密着させた。


 心臓を一突き。剣は何の抵抗もなくするりと潜り込み、ワーウルフの鼓動を止めた。


 「速い、強い!」


 感嘆の声もティタンには遠く感じられた。剣を引き抜くと同時に柄尻に左手を沿え、倒れ伏すワーウルフの脇を擦り抜けるようにして身を沈ませ、短い呼気と共に両の手を突き出す。

 ワーウルフの巨体の影から新手が迫っていたのだ。白い体毛に返り血を浴びたまだ年若いワーウルフ。ティタンはその眉間に真直ぐ突きを繰り出す。


 ワーウルフは己を守る本能か、両手を重ねて顔の前に突き出した。ティタンの剣はその発達した手を両方とも貫いたが肝心の眉間へは辿り着けない。

 即座に右手を胸元へと這わせ短剣を抜き放ち、ワーウルフの無防備となった胸部へとぶつかって行く。ず、と掌中の鉄が肉を割る感触。ティタンは大きく息を吐くとワーウルフの身体を蹴り倒し牡鹿の剣と小剣を引き抜いた。

 吹き出す血。倒れる魔獣。手には敵を切り裂いた感触ばかりが残る。そしてその高揚と、達成感。


 「Woooooooo!!! Vaaaaaaaaan!!!」


 吼えるティタン。その両腕を広げ胸を開いた、触れれば燃えそうなほど熱い立ち姿。掲げた白刃の煌きと、そしてそれにこびり付いた血の滑り。妖しい輝きが敵を恐れさせ、味方を鼓舞する。


 次が来る。まだまだ敵には困らない。ティタンの意識は深く深く潜っていく。戦えば戦うほどに、ティタンの精神は研ぎ澄まされていく。


 五名の兵士達が追いついてくる。二名が弓を、三名が盾を構え、ティタンの前へと躍り出る。


 更に迫ろうとしていた二体のワーウルフ。それぞれの胸に一本ずつ矢が突き立ち、兵士達は盾を押し出してそれにぶつかっていった

 裂帛の気合と共に体当たり。三名の兵士は盛大にワーウルフを仰け反らせ一丸となって剣を繰り出す。その間にティタンはもう一匹のワーウルフを突き殺していた。


 弓を構えた二名は尚も矢を射続ける。ゴブリン、ワーウルフ、狼、的は幾らでもある。


 「(長く留まれば死ぬな)」


 ティタンはそう思った。ティタンでなくてもそう思うだろう。


 隣で気勢を上げる兵士の肩を叩き、素早い動きで後退する。陣を敷きつつ逃げてゆく兵団へと合流する為だ。


 ティタンと五人の兵士達は友軍の殿に侍り、その場の誰よりも勇敢に戦い続けた。追い縋る敵を受け止め、跳ね返し、彼等は友軍を守った。



――



 「ティタン、良い?」



 ティタンを眠りから引き上げたのはディオの声だ。ティタンは僅かな気だるさを感じながらも身を起こす。


 身体に巻きつけた毛布を引き剥がせばティタンの裸体は汗でうっすらと濡れていた。天幕の中を暖める焚き火の勢いが強過ぎたらしい。


 ディオはティタンの直ぐ傍に膝立ちになっている。完全装備のままだ。


 「敵か?」

 「敵なら引切り無しに。でも今は軍議に参加して欲しいわ。貴方の意見が聞きたい」

 「行こう」


 ティタンは手早く装備を身に付ける。その最中にディオ。


 「まだ日が落ちる始める前だけど、眠っていたのね。よく休めたかしら?」

 「余り。だが戦場での眠りなどそんな物だ。先ほどまでの戦いの昂りが腹の底にたまって、落ち着けない」

 「……よくやってくれたわ。貴方達六人の戦いは語り草になるでしょう」


 ティタンは準備を終えてディオに向き直る。


 「連中は?」

 「命に別状は無いわ。安静にしていればね」

 「……なら良い」


 ティタンと共に友軍の救援に向かった五名は皆傷を負った。その中でも三名の者は特に酷い重傷を負い、今も治療を受けている。


 多くは望めない。五名の内から死者が出ていないだけでも奇跡的だ。神々の加護と、彼等の勇敢さの賜物である。ティタンは俯き、拳を胸に叩きつける。


 「共に戦った戦友達の快復を心底から願うぜ」

 「……私もよ。さぁ行きましょう」


 天幕を出ればフォーマンスが控えていて、ディオとティタンに続くように後ろに並ぶ。


 「アンタらが直々に迎えに来るとは、俺も何時の間にか偉くなったもんだ」


 ティタンの軽口に二人は小さく笑うだけだった。



 向かった先の天幕には何人もの部下をずらりと引き連れた線の細い男が待ち受けていた。

 アカトン・オーレー。ワーウルフ討伐隊の指揮官であり、森を焼いた男である。忙しなく天幕のあちこちに視線を巡らせ、顔色は蒼褪めている。


 「待たせたわね、アカトン卿」

 「いえ。……そちらの者は? ……肩のエンブレムを見るに、傭兵のようですが」

 「傭兵よ」


 ティタンは防塵マントに括り付けられた獅子のエンブレムを指で弾く。傭兵は雇用契約期間中、或いはギルドの任務を遂行中はエンブレムを見える場所に携帯しておくことが義務付けられている。


 傭兵、と言う言葉にアカトンはハッキリと顔を歪めた。


 「傭兵にどんな意見があると? ろくでなし揃いのごろつき達です」

 「ただの傭兵ではないわ。彼の名はティタン。貴方の部隊を守ったのは彼よ。我が五名の兵と共に、命を賭して」


 アカトンは唖然とティタンを見た。しかしディオが冗談で言っているのでは無いと理解すると、即座に椅子から立ち上がりティタンに歩み寄る。


 優雅な一礼。それも念の入った物だ。更にアカトンは礼をしたまま謝罪した。


 「……今の発言を撤回……いや、お前を傭兵と同列に語った事を謝罪する。そして救援に心からの感謝を。ティタン、よくぞ兵達を救ってくれた」


 むず痒い。ティタンは肩を竦めながらアカトンの謝意を受け取ると、話を急かした。


 「軍議に参加しろと言われた。何か進展が?」

 「堂々巡りよ。だから貴方の話を聞きたいの」


 ディオはうんざりだ、とでも言いたげだった。



 今、部隊は追い詰められている。ワーウルフの散発的な襲撃によってアッズワース要塞方向に撤退することも出来ず、東の大渓谷へとじりじり追いやられてしまっていた。今では切り立った崖を背に陣を敷き、兵士達を休憩させている。


 森から溢れ出た魔物達に徹底的にうちのめされたアカトンの部隊はワーウルフへの恐怖を刻み込まれていた。精鋭と言う前評判はどこへ行ったのか、とティタンは苦笑い。

 生き残る方法はそれほど多くない。激戦覚悟で強行突破を狙い、アッズワース砦へと帰還するか。

 或いは息を潜めて敵をやり過ごし、密やかに逃げるかだ。


 ティタンとしては前者しか在り得ないと考えている。ワーウルフの優れた五感から逃げ遂せるのは不可能だ。戦って道を切り開くしかない。


 「ワーウルフ達はこちらを見失っている。はぐれが散発的に襲ってくるのが良い証拠だ。奴等がこちらを捉えているなら、もっと群れ成して襲い掛かってくるはずだ」


 アカトンはティタンに自論を披露して見せた。息を潜め、敵をやり過ごし、逃げ延びようというのがアカトンの考えだ。


 ティタンは希望を持たせないようハッキリと答える。


 「違うな。奴等なりの作戦さ。こちらを緊張させ、疲れさせ、怯える様を見て楽しんでいる。獲物をじわりじわりと追い詰める狩人の手管だ」

 「馬鹿な。相手は魔獣だぞ? そのような知能があるか」

 「相手をただの魔獣と思わないほうが良いわね」


 ディオが割り込む。不思議そうな顔をするアカトン。


 「名代殿、先ほどもそう仰っていたが、どういう意味なのです? 敵はワーウルフではないのですか?」

 「それについて詳しいのがこのティタンよ。彼は類稀な戦士であると言うだけではなく、古の故事や伝承、そしてそれ以上に強敵に対して詳しいわ」


 ティタンを睨むように見詰めるアカトン。ティタンはその視線を真向から受け止めた。


 「黒いワーウルフ。最近の奴等はひょっとしたら御伽噺としか思っていないのかも知れないが、そういったものが存在する」

 「話には聞いた事がある。……だが見た事は無い」

 「夜の神シンデュラの寵愛を受けたワーウルフと言われる。真偽はどうでもいい。重要なのはその黒いワーウルフが他と隔絶して強く、狡猾で、計算高いと言う事だ」

 「待て待て。……お前には確かに感謝している。だがいきなりそんな話をされても。……相手は魔獣だ。矢張り我等の疲弊を狙うような作戦を用いるとは考えられない」


 ティタンはディオを見遣る。ディオを頭を振る。


 水差しから水を注いで一口含み、ディオは頷いた。何としても説得しろと目が言っていた。


 「……アンタの考えを確認したい。アンタは現状に対してどういった方策を持っている?」


 アカトンは周囲の部下たちを見遣る。直近に居た参謀らしき者が進み出た。


 「まずはそれがしからもお礼申し上げる。それがしはバイロン・ガザ」


 バイロンは敬礼した後言い聞かせるように語った。


 「我等は今崖を背負うようにして陣を敷き、西部からのワーウルフの襲撃を跳ね返している。これは散発的な物で、群れから逸れたワーウルフが偶々こちらを見つけ、空腹を満たすために行っていると、我々は考えている。……ティタン殿は違うようだが」

 「そうだな、違う。奴等は俺達をからかいながら機をうかがっているに過ぎない。そして機とは奴等が最も猛る夜であり、シンデュラの加護を受ける事の出来る月下だ」

 「……殺気立った魔物達が落ち着いてから要塞に戻るべきだと我等は判断した。その頃には兵達の動揺も収まっている筈だ」

 「ほぉ……。だがその頃には黒いワーウルフも動き出し、殺意を漲らせて襲い掛かってくる。疲れ果てた兵達は満足な抵抗も出来ないまま奴らの腹に納まる」


 皮肉気な態度。ティタンはアカトンとアカトンの家臣団の妄想にも等しい予測を打ち砕くために言葉を続ける。


 ワーウルフがこちらを見失っているなどありえない事だ。「そうであってくれたら良い」と言うアカトン達の願望に過ぎない。

 信じたい物を信じる人間だ。楽観と希望的観測に頼って森を焼き、今こうして危機に瀕している。アカトンはそれを繰り返す心算なのだとティタンは感じた。


 「アンタ等だって心の底では不安な筈だ。ワーウルフ達は俺達よりもずっと目と耳と鼻が良くて、俊敏で、そして執念深い。そんな奴等が俺達を見失うと? 逆はありえても、それはない」

 「我等は朝、森で火と共に奴等の鼻を潰す薬草を焚いていたのだ。それを嫌って逃げた可能性もある」

 「……今まで多くのワーウルフと戦った。連中がそんな間抜けなら、とっくの昔に絶滅しているさ」

 「彼はギルドで『人狼狩り』の異名を取る男よ。敵の恐ろしさを最も知っているのは彼だわ」


 むぅ、と唸るバイロン。ん? と首を傾げるティタン。

 さらっとディオが口にした二つ名はティタンに全く馴染みの無い物だった。思わずディオを見遣るが彼女はすまし顔だ。


 「初耳だぞ」

 「知らぬは貴方ばかりね。でも、私も相応しいと思うわよ。……アカトン卿、私が初めて彼と出会った時、彼はたった一人で三頭のワーウルフに襲い掛かっていったわ。瞬きの間に一頭を突き殺し、更に掛かる一頭の頭蓋を貫いた。……そして三頭目、我等の真の敵である黒いワーウルフと睨みあい、それを退散させた」

 「ワーウルフ三頭? 三人でワーウルフと戦ったのではなく、三頭のワーウルフと戦ったと? 馬鹿な、そのような事を出来る人間が居る筈は。……いや、しかし……まさか……本当に……?」


 バイロンがアカトンへと向き直った。


 「ご主君。森からの撤退の折、この者と五名の兵達の戦い振りを部下が見ております。この者はワーウルフの動き、急所を完全に熟知していたと」

 「真かバイロン」

 「重ねて言うけど、彼は専門家よ」


 ディオの強い押しにアカトンは頻りに唸る。アカトン自身、この場に留まることに心の何処かで不安を抱いている。

 ティタンは更に一押しした。


 「いずれ夕暮れ。そして夜だ。そうなったらもう勝つ術は無い。幾ら火を焚こうが、夜目の魔法を用いようが」

 「……だが」

 「突破か、待機か、いずれにせよ奴等は必ず来る。賭けても良いぜ。…………勇敢に戦い道を切り開くか、怯えて縮こまり死を待つか。戦士として正しい姿はどちらだ?」


 場に沈黙が満ちた。周囲を見渡し、ディオが宣言する。


 「決まりね」



――



 セリウの兵が先に立ち、軍団は警戒しながら南へ向かった。ワーウルフの襲撃を受けたとき最も混乱せずに対処出来るであろうからだ。

 アカトンの部隊は朝の内に四割の兵が死に、残る者は徹底的に恐怖を刻み込まれている。アッズワースでも記録に残るであろう大敗北だ。この兵達が士気を取り戻すには時間が掛かるとディオは判断した。


 ならばやるしかない。セリウの兵達はワーウルフの脅威に対し酷く緊張していたが、高い戦意を維持していた。アッズワースで連戦連勝を重ねた自負があり、指揮官であるディオへの信頼もある。


 そして一人の戦士の存在。並居る兵を差し置いて先頭に立ち、僅かな気の緩みも見せず風の音に耳を澄ませる傭兵。


 息を詰め、感覚を研ぎ澄まし、ただ敵の影を捜し求めるティタン。彼の実力と精神性を良く知っているセリウの兵達は頼もしさと共に競争心を掻き立てられている。

 奴に続け。奴に負けるな。戦い、勝利し、戦士の中の戦士となれ。


 兵達は恐怖を感じる度にそう呟き、勇気を奮い立たせた。



 「陽が落ちる。奴等は来ない」


 行軍の最中、ティタンの後ろに続く兵士が言った。

 橙色の夕日が地平線と触れ合おうという頃合。あの太陽は間も無く蝋燭の火がとぷりと撓むように形を崩し、消えうせ、そして夜が訪れる。


 「監視塔までそう遠くない。順調に行けば夜になる前に奴等の領域から離れられるな」

 「順調に行けばな」


 ティタンは油断無く遠方の森を睨みながら応える。


 「何か居るぞ」

 「敵か……」

 「魔物の類ではないな。魔物は……」


 ティタンの視線の先には黒々とした森が広がる。木々の合間に奇怪な鳴き声が響き渡り、茂みがざわざわと揺れている。


 血の臭いが鼻をついた。尋常の様子ではなかったが、ティタンは慌てなかった。


 「あれ程美しい殺しをしない」

 「は?」


 狼の鳴き声。それと同時に森の中から何かが飛んでくる。


 森に住まう狼の骸だった。喉頸を切り裂かれ絶命した狼が地を転がり、血溜まりを作って咽返るような鉄臭を放つ。


 そしてそれをした者がするすると茂みを掻き分けて現れる。涙の形をした聖印を首から提げたフードの一団。周囲の兵達が感嘆と喜びの声を上げる中、ティタンは溜息を吐いた。


 「なんと……! パシャスの巫女殿達では?」

 「の、ようだな」

 「このような場所で出会えるとは幸運だ。巫女殿達にご助力いただければ勝算は高まる」

 「正直、気が進まん」


 何故だ、と兵士が問う前にパシャスの信徒達がティタンの前に進み出て恭しく跪いた。周囲の兵達がどよめく。

 ティタンは舌打ちしたい気分だった。これまでこういった事は何度かあった。

 疑問を感じた人間に一々説明して回るのは如何にも面倒な作業であるし、パシャスの信徒達がどのように崇めてきたとしても馴れ合う心算は無い。

 自分の名とパシャスの執着心によって起こる余りにも想像しやすい様々な問題。それらを嫌って、ティタンの考えは自分の経歴を隠す方向に傾いている。パシャスの信徒達が一々礼をし、跪くのは非常に鬱陶しい。


 ティタンの内心を知らない兵士達は顔を見合わせて首を傾げた。

 ただの傭兵にクラウグスの一大勢力パシャス教の巫女が跪いたのだ。それも金の腕輪、ローブの背にはこれまた金の刺繍。これは巫女達の中でも最上位の者達が身に付ける戦装束だ。


 「呼んだ覚えは無いぜ」


 巫女達の先頭に立つのは矢張りアメデューに良く似た女だ。

 ティタンは無意識のうちに視線を逸らした。フードの中で俯く。


 「ティタン様がシンデュラの勇者との戦いに赴くとなれば、御仕えしない訳にはいきません」

 「黒い奴か」


 シンデュラの勇者。黒いワーウルフの事を指しているのは間違いないだろう。


 「パシャス様より神託が下り、我等はティタン様を追って森を越えて参りました」

 「ご苦労な事だな。パシャスは夜の神シンデュラが嫌いなのか?」

 「パシャス様は三百年前、アッズワースを守護する誓約をクアンティン王と結ばれてから誠実にその約定を果たして居られます。シンデュラとは宿敵とも言うべき間柄です」

 「ほう……」


 ティタンに取っては初耳だ。三百年前、ティタンが死んだ後の(正確には死んでいなかったのだが)話だろう。

 古よりある夜の神がアッズワースを狙っているというのもそうだ。……とは言っても三百年前のあの時は、クラウグスと神々、その両方の勢力図が極めて流動的に変わり続けていた。何が起きてもおかしくない状況ではあったが。


 「マルカバの誓約ですね。話には聞いておりましたが、改めて女神パシャスとその信徒の方々に尊敬の念を抱きます」


 異常を察して移動して来たらしいディオが優雅に会釈しながら言った。背後には変わらずフォーマンスが控える。

 パシャスの信徒達が目を細めたのをティタンは見逃さない。


 「お初に御目に掛かります、セリウ名代殿。私はアメデュー。私自身は巫女ではありませんが、パシャスの戦巫女たちを統率しています」

 「私の事をご存知だったようですが……改めて、私はディオ・ユージオ・セリウ。セリウ家、ストランドホッグ兵団の指揮官です」

 「そしてティタン様の現時点での主でもあられる」

 「……えぇ」


 含みのある言い方だった。が、ディオの指揮官としての思考はそれと関わることを拒否していた。端的に言って、時間が無かったからだ。


 「パシャスの巫女殿、私達は今ワーウルフの襲撃を警戒しながらの撤退中です。一秒でも時が惜しい」

 「撤退? 失礼ながら、この兵団はワーウルフと戦う為に編成されたのでは?」

 「その通りです。が、敵は……貴女方が仰る所の「シンデュラの勇者」は、既に強大な戦力を整え、周到な作戦でこちらに狙いを定めています」

 「敵はそこまで力を蓄えていましたか」


 会話の途中でアメデューに良く似た女はティタンへと向き直る。


 「ティタン様、お手伝い致します。我等に貴方と共に戦う名誉をお与え下さい。同胞を守る名誉をお与え下さい。」

 「……」

 「我等の窮地には、我等をお見捨て下さい。我等死す時は、我等の屍を打ち捨てて下さい。例えクラウグスの北の北、魔獣の大地にて朽ち果てても、それこそ女神パシャスと我等の誇り。我等を戦士としてお認め下さい。貴方の邪魔にはなりません」


 巫女達には気迫があった。一歩も引き下がらぬという覚悟が目に表れている。

 巫女達の宣誓に周囲の兵達も気圧され、僅かなざわめきすら聞こえない。一つ、冷たい風が吹く。戦士としての覚悟を表した五人の巫女達は、跪きながらティタンの言葉を待っている。


 「ティタン、貴方にどのような確執があっても彼女達の戦いには関係ないと思うわ。パシャス教は私達が生まれるよりもずっと前からアッズワースの防衛に邁進してきたのよ」


 ディオに苦笑を返した。別に子供のような我侭を言う心算は無い。

 ティタンは息を吸い込んで漸く言葉を発した。唇が乾いていた。


 「好きにしろ」

 「では」

 「お前達が使命の為に戦うならば、その名誉と栄光は既にお前達の物だ。それが誰に奉げられるかまでは干渉しない。……俺の後ろに付け。ここを切り抜けるぞ」


 巫女達は息を呑み、互いの顔を見つめあった。アメデューに良く似た女が平伏する。


 「あ……わ、我等の戦いを照覧あれ!」

 「そういうのは良い。さっさとしろ、時が惜しい」

 「はい!」


 巫女達は一斉に立ち上がり、ティタンの指示通りその背後に付いた。


 ディオですら、一連の遣り取りに顔を引き攣らせた。ティタンに親しげに話しかけていた兵などは最早ティタンを見る目が変わっていた。


 「ティタン、貴方は……私が思っていた以上に正体不明の人物のようね」

 「……先を急ごう」

 「……進発! 進むわよ!」


 ディオの号令で兵団は撤退を再開する。



――



 アッズワース北の監視塔まであと少しと言った頃合。魔獣達の蔓延る森も途切れ途切れになり、もう少しの辛抱で草原地帯まで出られる所まで来た。


 夕暮れの中に闇が混じり始める。ここから先は真に魔の支配する時間だ。撤退の完了が近いと同時に、正念場でもある。ティタンは感じていた。


 自分がワーウルフならどこで攻めるか。最早機会はここしかない。


 その予想通り、ティタンは臭いを感じ取った。風向きが変わった一瞬、血生臭さと獣臭さを同時に嗅ぎ取った。


 「ティタン様?」


 巫女達が足を止めたティタンを見る。その張り詰めた空気に各々剣を抜き放ち、呼吸を整えた。


 ティタンと彼女達の空気は周囲に伝播する。兵団の前衛を勤めるセリウの兵達は緊張しながら武器を握り締める。


 遠方、森の途切れた辺りで影が蠢いた。のそり、のそりと薄暗闇から現れ出でたそれらは、牙を剥き出しにして唸り声を轟かせるワーウルフの集団。


 「おい……居るじゃないか」


 そしてその先頭にただ一頭、ぎょろりと見開かれた狂気を感じる目。身震いもせず、唸り声も上げず、漆黒の毛並みを風に靡かせながら待ち受ける超然とした姿。


 黒い身体の首と耳に金の輪が光る。夕日をキラキラと反射させているから遠方でもよく目立った。


 ティタンは獰猛に笑う。金の首輪と耳輪はシンデュラからの贈り物だ。三百年前、様々な勢力が跳梁跋扈した黒竜戦役に置いても、金の輪を身体に纏った強力なワーウルフが確認されている。最もそれらは竜狩りの英雄ケルラインによって討ち果たされたらしいが。


 一月の間、戦い損ねた強敵の事を思い力を蓄えていたのはティタンだけではなかった。シンデュラの勇者、黒きワーウルフも同じ気持ちだったのだ。


 「両思いだったらしい」


 ぞろぞろと取り巻きを十何匹も引き連れて、それだけで恐ろしい戦力だが。

 それよりも何よりも、黒きワーウルフただ一頭に心が昂る。


 「戦闘態勢! 正念場よ!」


 後方からディオの声が響く。


 「我等の生死を分かつは今、この戦い! 勇気を奮いなさい! 戦士の戦士たるは何かを証明しなさい! 敵と味方の血を浴び、臓物に塗れ、正気を失い果てたとしても、それでも生き残りなさい! 我等は堂々と戦って道を切り開き、アッズワースへと帰還する!」


 ディオが吼える間にもワーウルフ達は数を増していく。二十は越えた。一頭を相手に五人で掛かるのが良いとされる危険な魔獣だから、敵戦力はとっくの昔に許容出来る範囲を超えている。


 ティタンはゆっくりと歩き出した。全身に力を漲らせ、黒いワーウルフに集中した。

 ティタンに続くようにパシャスの巫女達が戦装束を風に翻らせ前進する。そしてそれに引き摺られるようにして、セリウの兵士達。


 少しずつ彼我の距離が近付いていく。誰もが走り出し、理性も何もかなぐり捨てて敵に躍り掛かりたい気持ちになってくる。じわじわと敵が近付く感覚は時に肉薄して戦うよりも恐ろしい物だ。相手が強敵ならば尚の事。

 それを雄叫び一つ漏らさず静かに進軍できるのは、偏にセリウの兵士達の練度と胆力の賜物だ。


 一歩一歩、ゆっくり、ゆっくりと近付いていく。黒いワーウルフの鼻面がはっきりと解る程の距離まで来た。


 どく、どく、と心臓が鳴る。いざ、戦いの時。


 しかしその時、横合いの森の中から無数の影が飛び出してきた。影達は遠吠えを上げ、血に餓え、邪悪にして醜悪だった。

 味方に飛び掛り、分別も無く暴れまわる。引き裂き、食い千切る。



 ワーウルフの奇襲だ。セリウ家、ストランドホッグ兵団の陣が真横から食い破られた。


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