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闘将ディオ 3



 遥か彼方から響いた狼の遠吠えに中てられ、ティタンは思わず天を仰いだ。アッズワースの澄んだ空気。夜空を埋め尽くすかのように星が輝き、月輪が大地を睨み降ろす。


 月光を浴びながら呆けたように空を見上げ続ける。草木のざわめきの中で、仄かに暖かい程度の風を感じている。アッズワースでは珍しい暖かさだ。

 そのティタンの背に声が掛かる。


 「よい夜ね。……此処に来るまでは知らなかったわ、月がこれ程までに美しい物だなんて」

 「……アッズワースでは、月が大地に近いらしい」


 ディオだ。いつものサーコートを外し、ラフな私服の上にストールを巻きつけていた。

 仄かに頬が赤く、瞳が潤んでいる。ふわりと揺れる栗毛を弄りながらディオは近付いてくる。


 手には銀のグラスが二つとワインボトル。グラスを一つ差し出した後、ディオは自らの背後に手を向けた。そこには小さな円卓と椅子が二つ。卓上には炙られた鹿肉の切り身と山菜が並べられている。


 「お席へどうぞ、お客様」

 「止せよ」


 仰々しく一礼してみせるディオにティタンは苦笑を返した。


 アッズワースにおいてディオに与えられた屋敷は伯爵名代の格に相応しい物だった。赤染めの布に虎の頭が刺繍された家紋の旗が風に靡く。巨大であり、風雅だ。その屋敷の庭で催された二人だけの宴席。

 初めはティタンも身構えたが、少しディオと話せばその強張りも解れていった。彼女は何時もの通りの自然体だ。率直で、誠実。ティタンの目を真直ぐ見詰め、真正直な言葉で心を揺さぶってくる。


 そして今、漸く杯を交わそうとしている。ディオは伯爵令嬢にして名代、ティタンは氏素性の知れぬ下賎な傭兵。その立場には天と地ほどの隔たりがあったが、向き合う二人は気負いが無い。

 まるで長年心を交し合った友のような気安さがある。良い女だな、とティタンは改めて思った。


 「俺は立ったままで良い」

 「では私もそうしましょう」


 ディオはボトルを差し出し、傾けてくる。ティタンは頭を掻きながら杯を差し出す。

 返杯しようとしたがディオは受け取らず、自分で自分のグラスに酒を注いだ。


 「顔が赤いぞ、先に呑んでいたな?」

 「ばれたか。大目に見なさい、ティタン。私も時にはワインの力を借りたくなる物よ」

 「何をそんなに身構える?」


 意味も無く、苦笑。ディオはティタンの質問には答えずグラスを掲げる。


 「さぁ乾杯よ。束の間の休息に」

 「……休息に」


 二人はグラスを合わせた。キン、と品の良い音がした。


 初めの一杯は一息に干す。ティタンは胃が俄かに火照りだすのを感じ、ディオは顔を更に赤くした。酔いが回ってきているようだった。


 ディオは庭の木に背を預けて腕を組む。


 「何から話しましょうか」

 「そういうのは先に考えておく物じゃないか?」

 「なら貴方は考えてあるのね?」

 「アンタに対する忠告なら幾らでも思いつく。戦場ではもっと後ろに居ろとか、要塞内でもちゃんと馬か馬車を使えとか、……あとは、傭兵なんぞとサシで呑むな、とかな」

 「……勘弁して欲しいわ。フォーマンスが二人に増えたみたいよ」


 ディオが何時に無い調子でおどけてみせる。ティタンも思わず笑う。


 フォーマンスが二人に増えた所を想像してみる。ティタンに向けて意味深なニヤリ笑いを向けてくる壮年の男が、唐突に二人に増えるのだ。

 二倍になったニヤリ笑い。ティタンは身を縮こまらせるしかない。


 「……それは……よくないな」

 「そうよね、よくないわよね!」


 ディオは吹き出し、一頻り笑った後深呼吸した。


 「彼はね、確かに小言も多いのだけれど、それでも私の最も信頼する部下よ。私の為に数え切れないほどの貧乏籤を引かせてしまったのに、今でも私を支えてくれている」

 「俺は奴の事が嫌いじゃない。あのなんともいえないニヤケ面は別として、だがな。……これから先も栄達の為に走り続けるなら、奴を大切にする事だ。ああいう男を如何に信服させるかでアンタの格が決まる」


 ディオはきょとんとした。まじまじとティタンの顔を見詰める。


 「彼も貴方の事をそう評価したわ」


 どういうことだ?

 銀のグラスに口を付けたままティタンは不思議そうに言った。


 「貴方のような男を信服させれば、私の器がどうのこうのとね」

 「……あぁ……まぁそりゃ……」

 「なに?」

 「いや、そうだな、それくらいは誇っておくか。……俺は戦士としてあらゆる物に打ち勝つ心算で戦っている。鍛えぬいた戦いの業には自信がある。そして実力相応の評価を得たいと思っているし、能力の無い主には仕えたくない。その点、アンタは俺を満足させてくれる指揮官だ。アンタほどの人物は早々居まい」


 唐突なティタンの激賞にディオは硬直した。ティタンの放った言葉の意味を深く反芻し、胸の内に落としこむと、彼女は慌てて言葉を紡いだ。


 「貴方が戦いの技術を磨いてきたように、私も己の力を磨いてきたわ。……そうね、まだまだ私の実力はこの程度の物ではないのだけれど、……貴方からの折角の賞賛ですもの、受け取っておきましょうか」


 何時もの様にツンと顎を上げて強がって見せるディオ。


 「ほら、杯が乾いたままよ」


 唐突に、且つ強引にディオはボトルを差し出した。仕方ないとでも言いたげにティタンがグラスを出せばまるで遠慮なくなみなみとワインを注ぐ。決して香りを楽しめる量ではない。


 そのままの勢いで自らのグラスも満たし、ディオはまたそれを差し出した。

 飲ませるタイプの女かよ。ティタンは溜息を隠そうともしない。


 「乾杯。アッズワースの月に」

 「月に? ……洒落た事を言う。良いだろう、月に乾杯だ」


 またグラスを打ち合わせる。キン、と言う音が相変わらず上品だ。


 「まだまだ色々な話がしたいわね」

 「構わないぜ。俺が話したく無い事以外ならば」

 「そうね、まずは……生まれはどこ?」


 二人は水が流れるように何でも話した。舌が滑る様にまるで遠慮なしに、隠し事もしなかった。


 ティタンが何処とも知れぬ街の乞食で、ある時傭兵団のシェフに拾われて剣を握った事を話せば、ディオは酷く納得した様子だった。全く何も持たぬ状態から己の力のみで身を立てる。ディオがティタンに抱く印象そのままだったらしい。正に貴方らしいわね、と、ともすれば侮辱とも取れる反応だったが、ディオはティタンの誤解を恐れない。ティタンだってそのような邪推はしない。


 ディオが幼少期酷く御淑やかだったと聞いた時、ティタンは思わず「冗談は止せよ」と言ってしまった。髪の毛にバッタが飛んできてピタリと止まったから、恐くなって泣いてしまったなんて、今の彼女を見て誰が信じられると言うのか? そう言うとディオは眦をピクピクと震わせながら控えめに同意した。自覚はあるようである。


 ティタンが昔、弟分の傭兵と娼婦を取り合った話をしたらディオは面白くなさそうな顔をした。しかし諍いが過ぎて娼婦に愛想を尽かされ、弟分共々街中の娼婦に吊るし上げを食らった話をしたら、腹を抱えて大笑いした。


 ディオが幼き日の兄弟の話をした時、ティタンは唖然とした。夜会の最中テーブルクロスの中に隠れて来客を驚かす兄。黒パンに並々ならぬ憎しみを抱きそれを根絶しようとする弟。三日に一度は絵筆を持って駆け回り屋敷を前衛芸術に変えようとする妹。セリウの血族は手強いのが揃っている、とティタンは評した。当然、ディオを含めてである。


 暫く和やかに歓談した後、ディオは俯き、声を潜めた。

 その様子にティタンも居住いを正す。互いに、既に充分以上に酔っている。


 「ティタン、昼の……」


 漸く本題に入るのだな、と思った。唐突に、どこかで狼の遠吠えが響く。


 頭がくらくらしていた。元より自分が酒に強いとは思っていないティタンだ。今日はディオが望むままに呑みすぎた。



 「……昼間貴方が言った事は正しいと思うわ。戦っている以上犠牲は出る。私の連れてきた三十の兵達も一名が欠員、数名が重傷で復帰に時間が掛かる状態よ。細心の注意を払っていても死傷者が出るのは避けられない」

 「だが、アンタが彼等と共に手にした名誉と武功はその犠牲に見合う所か……破格の物だ。俺達は連日貪欲に敵を求め、戦った。そこいらの凡百の連中が同じような戦い方をすれば、今頃壊滅しているだろう」

 「そうね。兵達を効率よく死なせてやれるのが良い指揮官の条件の一つよ。……でもティタン、それは傭兵の考え方じゃないわ」

 「何が言いたい」

 「人は死を恐れる物でしょう?」


 ティタンは目を細め、口端を歪める。何ともふてぶてしい顔付きは正に歴戦の兵、堂々たる剛の者の笑みだ。


 「真の戦士は死を恐れない」

 「でも同時に、真の戦士は死を求めて戦ったりはしない」


 ディオの方はティタンの言葉を受け流すようにそっけない。


 「人の戦いの理由なんて幾らでもあるわ。名誉、金銭、権益、国土の防衛、拡大、幾らでもある。でも、死ぬために戦う人間は本当に僅かよ。ティタン、貴方のことを言っているの」

 「…………強敵との戦いの果て、死ぬ。俺にとっては何の違和感も無い理由だ」

 「前々から感じることはあったわ。だから今言う。何故、死に急ぐの?」

 「お前にはそう見えるのか?」

 「そう感じる。……私は貴方を心配してはいけないのかしら?」

 「良いか? 指揮官殿。これは何時もの皮肉じゃないぞ」


 ティタンは円卓にグラスを叩きつけるように置く。足元がふらついている。


 「俺は傭兵、アンタは貴族で、指揮官様だ。俺はアンタの号令と共に走り、アンタの部下達の誰よりも速く敵へと踊りかかり、苦悶の悲鳴を上げさせ血を浴びる。牙と爪を潜り抜けて、だ」

 「えぇ、その通りよ」

 「俺が死ぬ時は、詰まりアンタの号令が俺を殺すんだ。もしそうなったとしたらその理由はアンタだけではなく当然俺の弱さのせいでもあるだろう。だが俺の身を案じつつ俺に死を命じるのは、余りに矛盾していて不毛だと思わないか?」

 「思わないわ」


 ディオは断言する。一片の躊躇も無くティタンの言葉を切って捨てた。


 「兵達の死を恐れない指揮官が兵達に死を命じるなんて、そんなの恐ろしいでしょう」


 ティタンは沈黙した。大きな呼吸音ばかりが咽から洩れた。

 何を言えばいいか解らなくなり、ティタンはぐるぐると頭の中身を掻き回した挙句、漸くポツリと言った。


 自分の血流の音が聞こえる気がした。感覚は鋭くなるが、視界はゆらゆら揺れている。


 「……傭兵如きに説く内容じゃないな」

 「……私、自分が何を言ってるのか良く解らなくなってきたわ。……本当はこんな風に長々と話すことは無かった筈なのよ。……えぇと」


 ディオも握り締めていたグラスを置く。僅か一歩の距離に立ち、ティタンの顔を見上げてくる。

 ワインの匂いと甘い体臭。凛々しい目は、今はとろんとしていた。


 「何も茶々を入れないで。貴方のことになると私、また訳が解らなくなるから」

 「……言えよ」

 「貴方は明日唐突に死んでもおかしくない生き方をしている。戦っているのだから当然よ。だから私のいう事が不自然で、正しくないという事は解っているの。兵の上に立つ者として、そういう風に教育されたしね」

 「あぁ……そうなんだろうな」

 「でも私、貴方に死んで欲しくないのよね。貴方が名誉と栄光を追い求めようと、慰霊碑の補修をしようと、私はそれを素晴らしい事だと賞賛するけれど……。死ぬためには戦って欲しくないわ」


 月を見上げた。以前も、こんな言葉を掛けられた覚えがある。


 「死なないで、ティタン」

 「(死ぬな、ティタン)」


 ずぅっと前だ。自分が蜂蜜色の髪を持つ騎士に惚れ込んで、彼女の為に我武者羅に戦い続けていた時。


 「…………降参だ」

 「ティタン?」

 「お前と似たような事を言ってた奴が居たよ。アイツの言う事は何時も正しかった」

 「……どんな人かしら?」

 「褒め言葉を並べるのは簡単だが、……そうだな」


 月を見上げ続ける。生暖かい風が吹き抜けていく。

 またどこかで、三度目の狼の遠吠え。笛の音のようなそれを聞きながらティタンは目を閉じる。遥か過去を思い出す。


 「アイツの為に何でもしようと思った。アイツの為なら死なんて怖くもなんとも無かったし、きっとアイツの為に戦って、アイツが死ぬならその時俺も共に死ぬと思っていた。……実際はそうはならなかった」

 「それって、貴方の……」

 「アイツは俺を置いて行った。誓い合った筈だったんだ。共に戦い、共に死ぬ。アイツは最後の最後で俺を裏切った。俺は置いて行かれたんだ」


 兵を慈しむ女だった。ティタンは彼女の事を愛していたし、彼女の愛を感じても居た。

 だから彼女が俺の生存を願ってくれたのは嬉しく思う。だが俺のみ無様に生き残る事が本当に幸せだったと、そう思うのか?


 酔いが回っていた。思考が飛んで、支離滅裂であった。ティタンは火照った頭を振って熱を飛ばそうとするが上手く行かない。


 「俺一人生き延びて……どんなに惨めだったか……」

 「それが……貴方が死を望む理由?」

 「あぁクソ、呑み過ぎたな。……幻滅したか?」

 「…………いいえ。でもね、ティタン」


 でもね、ティタン。

 その言葉の続きを、ディオは放とうとしない。


 「……どうした?」

 「止めて置く」

 「何故」

 「言ったらもう、後戻り出来そうに無いもの。少なくとも私は止まれる自信が無いわ」

 「どうやらとんでもない事を考えてるみたいだな」

 「えぇ、私に取っては勇気の要る内容ね。これまでの人生で最も難しい問題よ」

 「そうかい。……じゃ、じっくり悩んでくれ」


 もうお開きにしよう。ティタンはそういってもう一度頭を振る。大きく深呼吸して冷静さを取り戻そうと必死だ。


 「ティタン、私がここまで腹を割って話したのよ。例え死者にどんな思いを抱いていようと……簡単に死ぬのは許さないわ」

 「……約束出来ない」

 「降参と自分で言ったでしょう?」

 「…………今日は狼の遠吠えが多い。ただの狼の物じゃないぞ」


 誤魔化されないわ、といきり立つディオにティタンは否定の言葉を送る。

 適当な事を言って誤魔化そうとしている訳ではない。ティタンとて其処まで子供染みたことはしない


 訝しげな顔のディオにニヤリと笑う。巨大な満月と、狼の遠吠え。生暖かい風。これらは戦いの予兆だ。


 「満月だ。夜の神シンデュラは月の満ち欠けにその権能を左右されると言う。知っているか?」

 「シンデュラ……? アルバノ大山脈に根付く蛮族達が崇める古き神の一柱ね。それが?」

 「有名な話だと思うがな、シンデュラは満月の夜こそ最も力を増し、その邪悪なる加護をワーウルフへと与える。初めて会った時に黒いワーウルフを見たろう? あの漆黒の毛並みはシンデュラの寵愛の証だそうだ」

 「興味深いわ。そういえば王都の学者がそんな事を言っていた気がする」

 「嘘か真かは知らない。だが、満月の夜から少しの間ワーウルフ達が猛り狂うのは確かだ。アンタと出合った時にやりあったのもそういった手合いだったのだろう。……他の個体と一線を画す黒い奴、死闘を望むなと言う方が無理だ」


 ティタンは握り拳を作った。ミチミチとなる筋肉、震える力瘤。意識すれば、途端に戦意が沸き上がる。


 「一月待った。あの黒狼と命を賭して戦う時が来たんだ」

 「ティタン、貴方って人は……」

 「ディオ、アンタの言葉は嬉しい。嘘じゃない。だが……そういう訳だ」


 ディオは胸中複雑であった。今正に目の前の男の身を案じ、今まで誰にも掛けた事のないような切ない言葉を投げ掛けた。

 しかしこの男ときたらディオの言葉をさらりと流して更なる死地を望んですらいる。


 静止の言葉などある筈も無い。戦士が戦いに赴くのを、どうして止められようか。

 彼が戦いを求めるのは正しい。戦うから、戦士だ。


 ディオは目を閉じ、顎をツンと突き出した。


 「兵には二日与えたわ。本当は七日は与える心算だったけど……それでも彼等はゆっくり休んだ筈よ」

 「……そう来るか」

 「貴方の物言いは酷く水臭いじゃない。一人抜け駆けして勝利の栄光を掴もうと?」

 「強敵だ。兵だけで無くアンタも無事では済まんかも知れんぞ」

 「幼き日、初めて父の隊に加わった時からその覚悟は出来ているわ」


 成程、水臭い考えか。ティタンは卓上に放置されていたグラスを取る。

 もう残り僅かとなった巨大なボトルの中身。ティタンはそれを二つのグラスに分けた。


 「ウゥ・ヴァン(戦士よ戦え)、ロゥ・カロッサ(誓いに掛けて)」

 「ウーヴァン、ローカロッサ」


 極短い戦詩と共にティタンの掲げたグラス。ディオも合わせる。最後のワインを干し二人は拳を打ち付けあった。


 言葉は多く要らない。ティタンはそのままディオに背を向け屋敷を出ようとする。

 ところが、後ろに引っ張られる感覚。ディオが防塵マントの裾を掴んでいる。


 栗毛がディオの美貌に影を落とし、潤んだ瞳がその中で僅かに煌く。アッズワースでは珍しい生温い風。酒精に徹底的に堕落させられた、のぼせた脳が判断を誤らせる。


 ティタンはそれを嫌った。酒に惑ったりしないように、勤めて冷静を装った。


 「どうした、離せ」

 「…………」


 パッと手を離し、ディオは屋敷へと戻ってゆく。


 ティタンは笑った。笑って見せたが、余裕はなかった。


 「そうだ、慎重になれ、指揮官殿」


 軽薄な言葉は誰にも届かずただ生温い風に呑まれていく。



――



 「ワーウルフ討伐の為の部隊が既に出発しているようね。熟練兵で編成された精鋭だそうよ」

 「当然だな。……当然だが……出遅れたか」

 「フォーマンス、具体的な彼等の目的は?」

 「間引きです。群れ五つ、そうでなくとも最低十頭を目標として兵を出すそうで」

 「ワーウルフ十頭……ティタン、どの程度の物かしら」

 「……都合よくワーウルフが十頭現れて真正面から戦うなんて事は無いだろうが……、そうだな、確実な勝利を求めるなら五倍の人数を出すだろう。更に安全を期して、ワーウルフの縄張りを荒らして狩り出す筈だ。血の臭いで誘き寄せるか、乾燥させた薬草を焚いて奴等の嫌がる臭いをばら撒く」

 「以前私達も用いた手段ね」


 昼前、アッズワース城門外にて出撃の準備を進める兵達を横目に、ディオ、フォーマンス、ティタンの三人は額をつき合わせて話し合う。一傭兵が指揮官と闊達に意見交換する様子を訝しげに見るのは門兵や他の部隊の者のみで、セリウ家の兵士達はもう慣れた物だ。


 彼等にしてみればティタンは魔物との戦いの専門家だ。アッズワースの地理もほぼ完全に把握しており、その意見を疑う者は居ない。


 「だが……今回は順調には進まないだろうな」

 「何故だ?」

 「フォーマンス、彼と出会った時に黒いワーウルフを見たでしょう。……相当な強敵らしいわ」

 「何が起こってもおかしくない。……たまにこういう事があるのさ。ゴブリンロードやアークオーガ、御伽噺に出てくるような強力な固体が現れて、有無を言わさず魔物達を統率する。……ま、アッズワースはそういった強敵達ですら打ち倒してきたが」

 「ほぉ……難しい戦いになるか」


 フォーマンスは顎鬚をしごいた。ディオを補佐する彼は常に作戦の危険度、兵士の安全等に思いを巡らせている。


 「急げば討伐隊に追い付ける。彼等と協力しましょう」

 「或いは敵を誘き出す餌になってもらうか」

 「……余り好みでは無いわね」

 「俺達が何をしても、或いはしなくても、討伐隊はワーウルフを探し出すか、誘き出すさ」

 「戦いの方法と覚悟は決めておく。でも実際どうするかは現地で考えるわ」

 「それでいいと思う」

 「ふふ、軽口も大概にね」


 ティタンは討伐隊があの黒いワーウルフを討ち取れると思っていなかった。根拠は無く、ただの直感だった。その不思議な直感があったから先を越される等と言う心配はしなかった。

 その討伐隊への侮りとも言える不遜さがティタンの態度に見え隠れしていて、ディオは苦笑しつつ嗜める。


 「フォーマンス、行けるわね」

 「万事抜かりなく」

 「では進発する。フォーマンス、ティタン、後ろに」


 ディオは背筋を伸ばして威風堂々歩き、愛馬に騎乗した。フォーマンスとティタンもそれに続き、出撃準備を終え号令を待つ兵達の前に進み出る。

 指先までピンと伸ばした手を天に掲げ、陽光の元に声を上げる。


 「セリウの名に賭けて私は戦う。お前達にはセリウの名の元に死んで貰うわ。……遺言状は書いてきたかしら?」


 兵達はふてぶてしく笑った。


 「よろしい。狙いは黒いワーウルフ。伝承によれば夜の神シンデュラの加護を受ける強敵よ。……さぁ奮え兵ども! 死闘の果てに、黒き狼の首を掲げて勝ち誇るが良いわ!!」


 兵達が唸り声を上げる。僅か三十にも満たない軍勢の気勢がアッズワースの城壁をすら震わせる。

 ディオは愛馬を歩かせた。彼女の愛する兵士達は、足音高くその後ろに続いた。



――



 彼女達は一日掛けて草原と丘陵を越えた。獣、魔物を追い散らし、物静かながら、確かな闘志を胸中に漲らせ。

 彼女達は越えて、駆け抜けた。魔物の蔓延るアッズワースの北の大地を潜り抜け、ワーウルフ達が闊歩する森の近くまで。


 「フォーマンス、兵達を」

 「止まれぃ! 横陣を組め!」


 フォーマンスは主君の意図を読み取って即座に兵達を止め、陣を組ませる。

 遠くで煙が上がっている。ティタンは下馬し、苦笑いした。


 「馬鹿な連中、森を焼いたのか」

 「深き森を焼くのはアキロト神や精霊達の怒りを買うわ」

 「今は頭に血を上らせた魔獣達の方が問題だ」


 掃天に昇る煙。何かの焦げる臭い。討伐隊が火を使ったのは明らかだった。

 ワーウルフを狩り出す為の行いならば悪手である。森一つ焼いたら何がどうなるのか、全く知識を持たない者が作戦を指揮したのだな、とティタンは断じた。


 「悲鳴が聞こえる」


 ティタンはポツリと漏らした。ディオとフォーマンスには何も聞こえていなかったが、ティタンの鋭敏な感覚を二人は信じていた。


 「森の向こう側?」

 「哀れな泣き声だけがな。狩られているのは果たして人間の方らしい」

 「友軍を救わねばならないわ!」

 「混乱の中に飛び込めば無駄に被害を増やす。手段を選ぶ必要があるだろう」

 「当然ね。……陣を維持せよ!」


 ティタンは周囲を見渡した。森を迂回する必要がある。気も漫ろな状態でワーウルフの縄張りに、……しかも住処を焼かれて激昂しているだろう強力な狼達の領域に踏み入る事は出来ない。


 「森を迂回する。その先で陣を敷き、味方の受け入れと迎撃体勢を整えろ」

 「同意見よ。しかし余り悠長にしている時間があるとは思えないけれど?」

 「“出来る”奴を数名貸してくれ。弓の使える奴だ。……俺を信じるのならば、だが」


 ディオはニヤリと笑った。傭兵が一隊の指揮官に向かって兵を貸せと言ったのだ。


 ディオは全く躊躇しなかった。即断即決。それが必要とされる状況だった。


 「フォーマンス! 見繕いなさい!」

 「承知」

 「兵ども! 友軍が襲われている! 我等はこれの救助に向かう! 数名、ティタンと共に友軍を導き、残りは迎撃体制を整えるわ!」


 応! と声が上がる。敵を恐れぬ戦士達の勇ましい唸りが。


 北の大地に吹く風がティタンの髪を揺らす。フォーマンスが選抜した五名の兵達の顔をぎろりと睨みつけて、ティタンは口端を歪めた。


 精鋭部隊と呼んで差し支えないセリウ家の兵士達の中でも特に優秀且つ勇敢な者達だ。ディオもフォーマンスも、自分を心底から信頼してくれている。


 「光栄だ傭兵! 貴様と共に死地に向かうのは!」


 兵の一人、つり目の女が剣と盾を打ち鳴らして言った。ティタンは拳を自らの胸に打ちつけ応える。


 「お前達と共に勝利を得たい。金銀の山よりも尚価値ある宝となるだろう」


 ティタンの言葉に兵達は破顔した。ティタンは駆け出し、彼等もその後に続く。


 「ティタン!」


 ディオの声。ティタンは振り返らない。


 「行きなさい! でも、私の言葉を忘れないように!」


 ティタンは拳を天に突き上げた。心臓がドクドクと高鳴って、血の流れは轟々と唸っていた。


そうだ、いちゃいちゃさせよう。(真顔)

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