闘将ディオ 2
執務室の扉が無遠慮に開かれ、ティタンが早足で入ってくる。
「アッズワース南西の村付近でゴブリンどもがうろちょろしていると小耳に挟んだ。冬だからな、奴等も餌が無くてひもじい思いをしているだろう」
「戦いの気配を見つけるのが得意ね、ティタン。数は?」
「経験則だが、十以上。十五は居ないな」
「向かうわよフォーマンス! 兵どもに支度させなさい! 貴方もよティタン」
練兵場の案山子の前で木剣を構え呼吸を整えるティタン。周囲の部下に矢継ぎ早に指示を出しながらディオが現れた。
「出撃命令よ。セパーの森でオークの小集落が見つかったわ」
「アッズワースから二日も要らん距離だ。むざむざと村を作らせるとは、兵士達は余程オークどもに対して寛容らしいな」
「兵を集めなさいフォーマンス! ティタン、道案内を頼むわ」
「ふん、強敵が居れば良いが」
アッズワース大通りの富裕層向け料理店、扉を乱暴に開け放って飛び込んできたティタンは獰猛に笑っていた。
「オーガだ! 北で兵士達が三匹ほどの群れにやられたらしい」
「オーガ三体……! 拙いわね、部下は出払っている。私が今動かせる戦力では……!」
「さっさと行くぞ、誰かに先を越される前にな!」
「あ、ちょっとティタン! ……えぇいままよ!」
命令書らしい羊皮紙を丸めてディオはうん、と唸った。
「ゴブリンを間引いて来い、ですって。特に一定の成果を求められている訳でも無いようだし、……嫌がらせかしら、この任務」
「どこでやれとも言われていないんだろう。丁度冬篭り中の巣穴の情報を複数手に入れた。一つ、お偉方の鼻を明かしてやろう」
「頼れる男ね」
「目標は……そうだな、耳の3~40ぐらいは積み上げて、なよっちい指揮官様方の間抜け面を拝むとするか」
酒筒片手に肩を竦めながらディオの執務室に現れたティタン。
「以前ワーウルフから救ってやった商人が上等な酒を送って来た。アンタら、この美酒を分かち合う心算はあるか?」
「あら、貴方の大好きなワーウルフちゃん達が北の湖で待っているらしいのだけれど?」
「酒はお預けだ、俺は先に出る。斥候の役目を果たしておいてやる」
「……ふ、予想通りね? フォーマンス」
馬の轡を引きながらティタンの宿に現れたディオは激しく息を乱していた。
「み、南にゴブリンの群れよ。隊商が襲われている」
「演習じゃ無かったのか? ……いや、それより一兵も連れずに行く心算か? フォーマンスはどうした?」
「貴方が居れば、も、問題ないわ。ご、ゴブリンの十程度、蹴散らして見せなさい! 行くわよティタン!」
「面白い。光栄だ、ディオ」
整列した兵士達の前を練り歩き、激励の言葉を掛けるディオ。ティタンは少し離れた場所でそれを眺める。
「……大した奴だよ」
「兵ども! お前達の生還は約束できないわ! けれど、私はそれよりずっと重要な物をお前達に与えることが出来る! それは名誉! それは誇り! それはお前達が力の限り戦い抜いた証!」
「…………クラァァウグス! すべての同胞、兄弟、誇り高き戦士達に! ディオ・ユージオ・セリウに!!」
「ティタン…………。さぁ奮え兵ども! 勇気の炎でアッズワースを燃やせ! お前達の魂の輝きが大陸を照らし魔を退ける! 無辜の人々の盾であれ! 闇を払う剣たれ!」
――
「一月です。たった一月。その短い期間で我等は充分に地歩を固めたと言えましょう。兵達の労苦に見合う成果です」
ディオはアッズワース要塞中央に聳える政庁への道を歩きながら、背後に付き従う壮年の騎士、フォーマンスの言葉に耳を傾けている。
この鷲鼻痩身の男はディオが幼き頃より彼女に付き従う家臣だ。家系としても五代前にセリウ家に取り立てられ、それ以来忠誠を示し続けてきた。ディオにとっては最も信頼厚い家臣である。
「しかしここらが限界でしょうな。金も物も不足し始めております。兵達の疲労も大分溜まっておりますので」
「金銭に関しては実家が宛てに出来るわ。それに……そろそろ報償を期待しても良いのではないかしら」
「間違いなく十分以上の物が得られるでしょう。しかしそれが何時かは明確ではありませんし、催促も出来ません。何よりこれ以上の無理な戦いは兵達を殺す事になります」
ディオは頷いた。が、少しばかり不満そうではあった。
「暫くは出撃を見合わせるわ。でも戦いたいと言う者が居たら私に教えて頂戴。一定以上志願する者が居るようなら臨時に編成する」
「……お止めなさい、ディオ様。そんな事を言ったら真先にあの傭兵が名乗り出てくるでしょう。兵達は誇りに掛け、負けじと戦いに臨む筈です」
「我が兵どもながら頼もしいわ。……でもフォーマンスがそういうのなら止めて置く。残念ね、この調子で我々を南の蛮地の田舎物と侮る連中を黙らせようと思っていたのに」
「戦いのみでなく、人付き合いもなさいませ。先輩方に挨拶回りなさった切りでしょう。ディオ様はアッズワースに不満も御座いましょうが、この要塞流石と言うべきか優秀な方々が揃っておいでです。……そして彼等も我々とは争いたくないと考えている筈」
「悩ましいわね、フォーマンス」
「ディオ様は多くの人物から好感を得るでしょうが、それと同じくらい多くの人物から疎まれるでしょう。備えておかねばなりません」
飄々と言ってのける第一の家臣にディオは苦笑を返した。父よりも父らしい男で、ディオに様々な教育を施してきた
常に一歩退いて物事を見ており、重要な場面で判断を間違った例がない。フォーマンスがそういうのならば、とはディオにとって重大な判断基準である。
「……では取り敢えず一週間兵達を休ませるわ。その間にこれと言った人物と顔を繋いでおく。当然、出撃命令が下ればその限りでは無いけれどね」
「それがよう御座います」
「護衛にはティタンも使いたい」
「は、確かに無駄飯を食わせる理由はありませんな」
悪戯っぽく言うフォーマンス。ディオはそれをフォーマンスの冗談だと理解しつつも、ついつい語気を強めた。
「彼の働きは素晴らしい物よ。誰よりも率先して敵を倒し、交わした契約と報酬以上の働きをしている」
「お許しを。軽口が過ぎました」
「……フォーマンス、彼と部下達の間に何か問題はあるかしら? 彼がそこいらの下らない傭兵達とは別格だと言う事は、皆解ってくれていると思うのだけれど……」
「問題? ……はははは。貴女は己の臣下達の様子をよく把握していらっしゃる筈です」
「えぇ……そうね、そうだわ」
からから笑うその様子にディオは安心した。強き戦士を妬むような心根の者が部下に居るとは思いたくなかった。
「ディオ様、あの者、家来となさいませ。あのような男を信服させれば将としての格も上がりましょう。部下達も、少なくとも今アッズワースに居る者は不満に思わないでしょう」
「……正直、意外ね」
「なんの、我がパラザル家も傭兵から身を起こし、セリウ家に取り立てて頂いたのです」
「えぇと……もう少し時間を置くべきではないかしら。彼の事は是非欲しいけれど、一月程度使っただけの者を家臣に取り立てる軽率な将、と思われたくないの」
「それは……どなたに?」
「どなたって……」
躊躇うディオの様子にフォーマンスは困惑するほか無い。
「何に対し無意味な見栄を張っておいでですか」
「無意味な見栄とは……言ってくれるわね」
「まぁ御心のままに。焦る事は無いでしょう。私の見立てでは、あの男も我等が兵団を居心地良く感じている筈です」
「あら、そうかしら? 彼は気難しそうだけど」
「嘘は申しません」
「ふふ、そうね、そうだわ」
ディオは上機嫌に笑った。上手く乗せられたかな、と思わないでもなかったが、ディオは自分に自信を持っていた。
ティタンと共に赴く戦いに手応えを感じている。彼と自分達は非常に良く馴染んでいる。ディオが号令すれば烈風の如くティタンは駆け抜け、更にディオ自慢の兵士達がその背を追う。ゴブリンやオークの群れ如きは一撃で突き崩され、無様に逃げ散るのみだ。
自分がこう感じているのだ。ティタンもそう悪くは思っていないに違いない。ディオは何時もの様に自信満々にうん、と頷いて、歩みを早めた。
――
ティタンが更なる戦いに備えて予備の剣と短剣を見繕っていた時だ。彼は雑踏の中からひっそりと己を伺う者に気付いた。
頭までフードですっぽり覆った黒いローブの人物。身に纏う物に聖印こそ入っていないが、パシャスの信徒だ。
この一月ティタンの後を執念深く付いて来る。失せろと言って追い散らしても思い出した頃にまた現れる。
健気にも影ながら護衛をしている心算らしい。忌々しいな、とティタンは舌打ちした。
ティタンは比較的良質な剣と短剣を購入すると足早に宿に戻る。
と、見せ掛けて途中の暗がりにパシャスの信徒を引きずり込んだ。
信徒は涙の形をした聖印を握り締め、暴漢に対し即座に反撃すべく剣を抜こうとする。しかし自らを拘束したのがティタンだと解ると、抵抗を止めてされるがままにした。
フードの奥で伏せられた瞳。蜂蜜色の髪が揺れる。アメデューに良く似た顔。
ティタンは彼女を解放しこれ見よがしに溜息を吐く。
「今日はお前か」
信徒は言葉を返すことが出来ず沈黙する。密やかな息遣いのみがアッズワースの路地裏に響いた。
「…………いつまで俺に付き纏う」
「あ、貴方を……貴方の傍に侍り、その戦いを支えるのが、私の使命です」
「俺はお前達と仲良くする心算は無い。解ったな? ……さぁもう行け」
信徒に立ち去るよう促すティタンは路傍の石でも見るような目付きだった。余りにも率直で心無い言葉に信徒の顔が歪む。
「ティタン様、どうすれば私をお認めくださいますか」
「来世に賭けろ」
「それは……つまり……」
信徒は唇を噛み締める。アメデューそっくりの顔がくしゃくしゃになるのを見たくなくて、ティタンは踵を返す。
最初は気丈だったこの女も、流石に一月も冷酷な対応をされれば弱気にもなる。幼き頃からパシャスの信徒としてさぞや丁寧に扱われてきたようで、ティタンの放つような悪意にはからきし弱い。
それにここまでティタンが頑なだとは思っていなかった筈だ。誠意を込めて真摯に向き合えば、必ずやティタンは応えてくれると思い込んでいたに違いない。
そういった所も気に入らない。ティタンは無意識の内に歯を食い縛っていた。
立ち尽くす信徒を置き去りに路地裏から出る。主要通りから少し外れた場所で人通りはまばらだ。
素早く視線を巡らせればティタンに注意を向ける者達が数名居た。ローブに身を包み、物陰に身を潜めている。パシャスの巫女達だろう。
ティタンにしてみればとても身を隠そうとしているようには見えなかったが。兎にも角にもティタンはそれらに構わず歩き始めた。延々と尾行を続ける心算ならば多少強引な事をする心算だったが、程なくして気配は遠退いていく。
罪悪感など無い。……無い、筈だ。ティタンは自分に言い聞かせた。
――
「ティタン、良い? 常に魔物の牙に身を晒し、命を賭して戦う事は確かに尊い献身よ。でも戦いに臨み最高の能力を発揮するためには多くの助けが必要だわ」
ティタンの数歩先を歩くディオは顎をツンと上げて上機嫌で講釈を垂れている。ティタンがその背後に付き従いながらうーむと唸れば、隣でフォーマンスが苦笑した。
「戦士だって人間よ。食べ物、水、寝床に防寒具、薬に欲を言えば娯楽。それらを疎かにすればあっと言う間に身体を損なう。そうすると戦えないわ。私はね、消耗しきり、満足に動けない兵を率いる事ほど将として辛いことは無いと思っているの」
「あぁ……まぁ、概ね同感だ」
「同意が得られて嬉しいわ。……続けるけれど、それらを準備するには金や人手が必要よ。準備するだけではなく、効果的に供給するには入念な準備も要る。指揮官としての手腕が問われる事柄ね。……今言った内容にはもう一つ別の意味があるの。“消耗しきり、満足に動けない兵”を率いて戦うのは実際問題難しいわ。でもそれ以上に、そんな状態に兵士を追い込むのは指揮官に能力が足りないからよ。私は部下を大切に思っているし、無能になりたくもない。私が今こうして貴方を連れて方々尋ねて回るのは、私の兵達を助けるそういった手筈を整えるためなの」
「そうだな、正しいと思う」
「そう言ってくれるならば……、これは貴方が万全の状態で戦えるようにする為でもあるのだし、敵の血を浴びる事が無くて不満かもしれないけれど、我が戦士として理解してくれるわね?」
さりげなく“我が戦士”と強調しながらディオは言う。そこに繋げたかったのか、とティタンは肩を竦めた。
確かに率先して戦いに赴く意識はある。今となっては自分が冷静な男だと自惚れる心算も無い。言われても仕方の無い事かも知れない。
出来の悪い生徒を慈しむ師のような……そんな調子のディオ。何と返そうかと思案するティタンにフォーマンスは小声で言った。
「(お前の事をただの傭兵に非ず、と気に掛けておいでなのだ。丁寧にお答えせよ)」
丁寧に、か。困った。
ティタンは頭を掻いてもう一つうん、と唸った。
「……あー……そうだな……。かつて優れた指揮官達の号令で多くの戦いに赴いた。彼等は大体の場合勝利し、そして大体アンタの言ったような事柄を重視していた。俺はそういった事は独学だが、彼等から学んだ事も多い」
「貴方を雇った者達は恵まれているわ。複数の意味でね」
「俺は確かに戦いとその果ての死を望んでいるが、味方に苦戦を強いる心算は無い。…………俺が常に血に餓えた狂戦士のように見えるか?」
クスクスと笑うディオ。楽しげに声が弾んでいる。
「貴方はとても怜悧な目をしているけれど、その取り澄ました顔のままで平然と死闘に興じるのだから……。オーガ三体に一片の躊躇も無く襲い掛かった時なんて危うく悲鳴を上げそうだったわ。恐れを知らぬとは貴方の事ね」
「…………悲鳴を上げるべきはアンタではなく、敵だ。恐れられるべきは敵ではなく、俺達だ。恐れを知り、尚恐れるな。……養父の教えだ」
「貴方の実力を疑っていた心算は無いけれど、それでも普通三体ものオーガにたった一人の戦士を向かわせたりしない物よ」
「俺が言うのもなんだが……傭兵如きに心を砕き過ぎない方が良い。ましてや時として部下に死を命じなけりゃならないアンタが、な」
ディオは暫し沈黙した。彼女の身に纏う空気が変わる。
一月の付き合いで理解できたことがある。それは彼女がその愛らしい佇まいとは裏腹に激情家だという事だ。
言うべき事ははっきりと言うし、これと決めたら容易に引き下がらない。それでいて腹芸もこなしてみせる。
彼女は自信に満ちていて、強い。怒らせるべきでは無い相手だ。
「(おい、ティタン)」
フォーマンスがティタンを止めようとしたが、ディオは既に臨戦態勢だった。歩く姿から怒気が洩れている。
「どういう意味で言っているの? ……貴方は傭兵の死を羊皮紙上の数字でしか計れない指揮官を嫌っていたはずよ。なのに私には、貴方を死地に送り込んで後は野となれ山となれと、そういう態度で居ろと言うのかしら?」
「そうまでは言わないがな、アンタは気を揉み過ぎだ。戦ってるんだ、死ぬときゃ死ぬ。そういう生き方をしてる。アンタに必要以上に心配してもらう心算は無い」
「……そう、そんな事を言うの。あぁ全く腹立たしい。歯痒いわ。これまで共に戦ってきたのに貴方は未だに心を開かない」
「一月程度の付き合いだろうが。……余り俺に構わないでくれ」
冗談じゃない。ぴしゃりと放たれる言葉。
歩みを止めて後ろを振り返るディオ。真直ぐティタンと相対する美貌は凛々しくも険しい物だ。
先程までの和やかな微笑みは消え去っている。代わりにちろちろと燃え始めた怒りの炎が瞳の中に揺れている。
「構うわ。私の愚かな判断で黄金よりも価値のある戦士を死なせたかと思った。恐れを抱いて当然でしょう?」
ティタンは嬉しさを感じた。強力な殺し文句だな、と思った。表情には出さなかったが。
一兵卒にまで情け深い指揮官を嫌いになれる筈が無い。
だが、とティタンは皮肉気に言葉を放つ。
「犠牲は避け様の無い物だ。その犠牲がクラウグスを支えてきた。アンタが兵や俺に対して情け深い事は承知しているが、入れ込みすぎるとアンタも辛いぞ」
「……だとしても! それでも私は私の兵達や貴方が愛しい」
「嬉しいよ、アンタのその言葉は。だが……」
「ティタン、私と議する程の経験と矜持があるのね」
強い語調で止めるディオ。ティタンは口を閉じ、ディオを見詰める。
「今宵、酒と北部の美味を用意させる。私の部屋で胸の内を語り合いましょう。一対一でね」
「……おいおい、アンタは貴族で伯爵様の名代。俺は流れ者の傭兵で生まれも定かじゃない。アンタはもっとよく考えて行動すべきだ」
「一月の間、貴方の背を見ていた。貴方でなければこんな事言い出さないわよ」
再びツンと顎を上げてディオは歩き出す。ティタンは流石に唖然とした。
貴族様が、一傭兵とサシで呑もうってのか。
正気の沙汰ではない。少なくともティタンの常識では。
「……冗談だろ」
「あぁ、ディオ様が臍を曲げてしまわれた。こうなると強情だぞ、あの方は」
「フォーマンス、アンタもっと他に言うべき事があるんじゃないのか」
フォーマンスは飄々と笑ってティタンを追い抜いていく。ディオの背を追う姿に戸惑いは無い。
この主従が歩く様は目立つ。アッズワースの雑踏を切り開くようにしてズンズン進んでいく。
「……人の良過ぎる連中だな、全く」
仕方なくティタンも歩き始める。ディオがとんでもない女傑だと言う事は知っていた。今更どうもこうも無いだろう。
ディオの言葉を思い出した。“それでも兵達や貴方が愛しい”。ディオらしい言葉だ。率直で、心を揺さぶってくる。
人からこんな風に思われたのはいつ振りだろうか。ディオの言葉を打ち消して、アメデューの事を思い出す。彼女も己の部下達の事を慈しんでいた。彼女は部下をよく鍛え信頼し、だから部下達も彼女を信頼していた。
「そうだったな」
ティタンはフードを深く被りなおした。前方を歩くディオとフォーマンスが、妙に遠く感じる。
その後、ディオはアッズワース要塞で街道警備に関わる者と物資の管理に関わる者に面会した。ディオにしてみれば繋ぎを付ける程度の意味合いだったようで、歓談も程々に切り上げる。
しかし面会が終わった時には既に昼も中頃を過ぎていた。乾いた風が要塞城壁を越えて吹きつけ、徐々に傾き始める陽にティタンは手を翳した。
アッズワースでディオに宛がわれた屋敷に向かう道すがら、その頃にはディオの怒りも落ち着いたようで、彼女は鷹揚に語りかけてきた。
「太陽に何を思うの」
「別に。……陽が落ちるな、と、それだけだ」
「まだ酒の準備は出来ていないわよ」
「……勘弁してくれ。俺が嬉しがるとでも思うか?」
ディオは目に見えて気分を害したようだった。今までこのような乱暴な言葉で拒絶された事など無いのだろう。
「変ね、自分で言うのもなんだけど、私ってそれ程見てくれが悪いとは思わないのだけれど」
自信たっぷりに口元を笑みの形にしてみせるディオ。瞼がぴくぴくと震えている以外は悠然とした態度だった。
疑問の持ち方がおかしいだろう、とティタンは言った。曲がりなりにも伯爵令嬢として……、世の令嬢と言うのが、魔物達との戦いに臨み剣を振り上げて兵を鼓舞する物かは知らないが……、下賎な傭兵と酒を酌み交わす事で立つ風聞や、ティタンに襲われることを心配すべきだ。
「俺がアンタへの刺客だったとしたら、これから手元に転がり込んでくる報奨金を想像して小躍りしたろうな」
「貴方が私への刺客だったら、恐らく一月前に私は既に棺桶の中ね」
「俺がアンタを恐れていないとしたらどうだ? 俺が後先考えないケダモノか何かで、酒に任せてアンタの尊厳を踏み躙るとは思わないのか」
「馬鹿な。さっきも言ったように私は一月貴方を見てきたし、貴方を雇う前は素行の調査だって……」
ディオは何かに気付いたように身体を硬直させた。足を止め暫し沈黙し、深く思案する。神妙な顔で腕を組み、そしてツンと顎を突き出した
「フォーマンス、耳を塞いで」
「は……?」
「耳を塞いで後ろを向いていて。お願い」
「ほぉ……。承知いたしました」
したり顔で頷くとフォーマンスはディオの言葉通りにする。振り返り際に見せたニヤリ笑いはティタンを不愉快な気持ちにさせるのに充分な悪辣さだった。
ディオは再び俯いて思案顔。しきりに顎を撫で擦り、時折額を抑えては溜息を吐く。その奇妙な沈黙にティタンは付き合った。何ともいえない妙な雰囲気だ。
やがてディオは口を開く。何時に無くハッキリとしない態度で、歯切れが悪い。
「私を相手に、その……さっきの……」
「……何だ」
「えぇと……。貴方の普段の事、知っているわ。貴方の報償金の使い道の殆どは慰霊碑補修のための積み立てね。他は武具やその手入ればかり。貴方の振る舞いは慎ましい物で、余り呑まないし、賭博もしない。そして……娼婦も」
「だったら?」
「なのに私を相手に……あー……考えるのかしら。その、そういった事を」
「はぁ?」
ディオは大きく息を吸い込んだ。気が付けば彼女は耳まで赤くしている。
頭を振る。頬に纏わり付く栗毛がふわりと広がり、妙に甘い香りがした。ディオの香り。貴重な香木のような品の良い香りだ。
僅かに汗ばんでいるようでその甘ったるさが余計に目立つ。ティタンが困惑してディオを見詰めると、彼女は冗談っぽく笑いながら言う。
「私の身体に興味があるのか、と聞いているの」
からかうような口調だったが言葉の端が少し震えていた。身体の強張りも隠せていない。
ティタンは視線を彷徨わせる。耳を塞いで後ろを向いたフォーマンスは宛てに出来ない。周辺は現在人通りが極めて少ない。
この御馬鹿な娘を制止する要素が無いと言う事だ。
「聞いているのは私だけよ。そして貴方が何と答えても怒らないと約束するわ」
胸を反らすディオ。ツンと突き出される顎。自信満々のようで、声が震えているのは相変わらずだ。
ティタンは言葉を選んだ。ハッキリとしていて、それでいてディオを否定しない言葉を、だ。
「俺は結婚してる」
「あら、そう。…………は?」
「妻を愛している。それだけだ」
「…………結婚ッ?!」
「驚くことじゃないだろう」
ディオは目をまん丸に見開いてティタンを見詰めた。普段の凛々しさなんて欠片も無い。
わたわたと慌てだし、ティタンに詰め寄る。オーガが肉薄してきても闘志を絶やさない女傑とはとても思えない狼狽振りだ。
「そんな事一言も」
「質問されちゃいないからな」
「な、な、納得行かないわ」
「さっきから何を言ってるんだ、アンタは」
「嘘でしょう?」
「嘘じゃない」
「じゃぁ奥方は何処にいらっしゃるのかしら!」
肩を怒らせてディオは声を張った。怒らないと約束したくせに、もう怒っていた。恐らく怒りの理由は彼女自身把握できていないに違いない。
怒りのままに中々答え難い質問をしてくれるもんだ、とティタンは苦い顔をする。アメデューの事を思えば胸が重たく、切なくなる。
ティタンは疲れ切ったような溜息を吐き出した。
「レイヒノムの御許に。祖国と同胞への忠誠を貫き、絶望的な戦いに身を投じた。当然のように帰らなかった」
ディオの頭から一瞬で血の気が引いた。意味不明な焦燥も憤りも吹き飛び、絶句である。
ティタンの枯れ果てた古木のような佇まいに、知らなかったとはいえ酷な質問だったと……。後悔が押し寄せる。
「……傭兵だったの?」
「王国騎士だった。優れた指揮官だったな」
「貴方の……かつての主?」
「……そうだ」
重苦しい沈黙が満ちる。ディオは勇敢に戦った末の死者を賞賛する事は出来ても、遺された者を慰める事は不得手だ。
言葉を選べないままにディオは考える。このティタンのストイックさと言うか、頑固さは生来の物だろう。それが死者への思いと結びついて彼をより頑なにさせている。
そしてディオにはそれを打ち崩すことは不可能に思えた。途端、胸の中に鉛でも落とし込まれたかのような重たさを感じる。
ティタンは目を伏せ、素気ない態度で言葉を繋いだ。
「アンタは美しいと思う。今までだって多分そうやって褒めそやされて来たんじゃないか? だが、俺はアンタに欲望を感じたりはしない。……返答としてはこんな所だな」
「そう」
ディオは歯を食い縛る。何故だか解らないが鼻の奥がツンと痛み、目頭が熱くなる。
呼吸が浅く、心臓の鼓動は速く。
ディオは唸るように言った。
「ティタン、しつこいようだけど、この一月貴方を見ていた。そしてそれでも今解らない事がある」
「……何だ」
「私、何故だかとても悔しいわ」
変に言い募ったり、根掘り葉掘り聞こうとはしなかった。ディオにだって見栄があった。
彼女は耳を塞ぎ続けるフォーマンスの肩を叩くと、顔を見られないように歩き始めた。
――
キリっとしててもちょっとポンコツ。
そんな女の子が好きです。