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ティタン アッズワースの戦士隊  作者: 黒色粉末
猛き風、真紅の太陽
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猛き風、真紅の太陽3



 要塞内を馬で飛ばす内にその激戦の様子を伺う事が出来た。

 各所を守る神官戦士を中心とした戦力は善戦している。臨時の避難所とされた幾つかの施設は女神パシャスの水によって清められ、邪悪な存在の進入を阻む。


 そしてそれに加え、レイス達を退けるため踏み止まる戦士達。

 彼らは己が神の名声と愛のため、首を食い千切られるその瞬間まで戦い抜く。


 ティタンはその最中を駆けた。多くの者がティタンの背に希望の願いを投げ掛けた。


 「勝ちたもう!」

 「我等の勇者よ!」


 ティタンは彼等の戦いをしかと見た。駆け抜けるその一瞬で。

 名が残るぞ、とティタンは笑った。喜ばしい事だった。


 「戦え、人々は語り継ぐ! お前達は永遠だ!」

 「WooAaa! 共に伝説とならん!」

 「女神パシャスの名の許に!」


 雄叫びと共に彼らは襲い来る邪悪なレイスたちを跳ね返した。


 やがて政庁に辿り着く。周囲には湧水の魔法戦士団が展開し、こちらもレイス達と熾烈な戦いを繰り広げている。

 ティタンは正門で馬から飛び降り、手近に居たレイスに躍り掛かった。


 「銀の武器は持っているのか?!」


 湧水の一人が叫んでいる。霊体に対処する為に必要な武器の事だ。銀か、或いは祝福されている必要がある。

 ティタンは構わずレイスの青白い身体に牡鹿の剣を突き立てた。

 レイスは身を捩り、生者を衰弱させる絶叫を上げながらティタンを睨む。未練がましくティタンの首に爪を伸ばすも傷一つ付ける事無く消え失せてしまった。


 「パシャスとラウの祝福を受けている!」

 「言われてみれば当然の事だったな! 行け、シャーロス様の期待を裏切るな!」


 その湧水は憎まれ口と共に正門を開いた後、僚友を助けるために次なる敵へと走っていく。ティタンは大股で政庁へと踏み入り、地下牢を目指す。


 果たして其処もレイス達で満ちていた。湧水の魔法戦士団は果敢に戦い、次から次へと溢れ出でる敵を押し留めている。


 「湧水! 忙しそうにしているな!」


 凍てつく風の魔法を操りながら彼らはティタンをちらりと見る。

 些かも追い詰められた様子が無いのは流石だった。


 「奥へ向かえ! 貴公の助けは必要ない!」


 一人の湧水がグールを突き殺してティタンの為に道を開いた。

 猛烈な悪臭のする返り血。その湧水は頬を拭うと左手で印を模る。


 「三百年前の湧水の長がどうやって死んだか知っていよう!」


 突き出される手と、渦を巻く青白い炎。その青い炎は相対していたレイスに絡みついたかと思うと途端に苦悶の悲鳴を上げさせる。


 ティタンは湧水の背後を擦り抜けざま、肩を叩いた。

 湧水はニヤリと笑った。


 「義務を果たしたのだ! 我等もそうする! 貴公もそうするが良い!」


 それは湧水のシャンタルの逸話に違いなかった。

 三百年前の魔法戦士の長は、当時混乱の極みにあったクラウグス全土を駆け巡り、遅延戦闘、偽装工作、そして暗殺者の真似事まで何でもこなした。


 それが必要とされていたのだ。思うところはあるが、侮辱はしない。


 そして最後は竜狩りケルラインの号令で戦い、骨すら残さず焼き尽くされたと言う。

 ティタンもその名を知っていた。当時最も名誉ある者と言われた内の一人だ。


 「面白いぜ湧水め。大口に見合う実力を示せ」


 彼らは誇らない。だが誇りが無いのではない。



 そしてクアンティンの許へと辿り着く。彼は昨日見た時のまま、無限に広がる闇の前で一人仁王立ちになり、青白い光を瞬かせながら呪文を唱えている。


 身に纏うローブが汗でぐっしょりと濡れていた。直ぐ傍にはゼタも居て、彼女は湧水達と共にクアンティンを守りながら近寄るレイスに炎の波を叩きつけていた。


 「ティタン! そなた一人か?!」

 「マトを殺す! 俺とゼタが!」

 「湧水から戦力を……」

 「並みの者では惑わされる! ……俺の剣に賭けろ!」


 クアンティンは難しい顔をした。全ての湧水達は拷問染みた訓練を潜り抜けた末に、戦いやその他策動の使命を与えられる。

 それを並みの者と言われては、彼らも立つ瀬が無いな。


 「それがそなたの慢心で無ければよいが!」


 しかし結局クアンティンには悩んだり反論したりする余裕は無かった。

 彼は瞼の裏に今も焼き付くティタンの振るう剣の閃きを信じた。


 ローブの懐から黒い筒を取り出すとそれを差し出してくる。


 「神々と英霊達の加護ぞある」

 「これは?」

 「そなたも知る物だ。私の切り札だ」


 中身は古ぼけた分厚い布のような物だ。ティタンは絶句した。それは確かにティタンも知る物だった。


 描かれているのは縦に割れた恐ろしげな爬虫類の瞳。

 これを見紛う戦士が居る筈もない。


 嘗てケルラインが掲げた竜眼の紋章旗だ。

 主神レイヒノムを始めとする全ての神々と、太古よりクラウグスを守りし英霊達の加護を授かった、今やクラウグスの国宝とされる旗である。


 「そなたに託す。必ずやマトを退けよ」

 「あの男の旗を任されるとは光栄だ。……多くの英霊達の息吹を感じる」

 「彼らは眠らない。未来永劫私と同化し、クラウグスを守り続ける。そして彼らは、そなたの事を忘れていない」


 握る紋章旗から青い光が溢れ出し、ティタンは思わず感傷的になる。声が震えたのは特に不覚だった。


 「俺も……そうだ」

 「行け、ティタン。そなたが使命を果たすまで私達も踏み止まる」


 ティタンは頷きゼタを呼ぶ。彼女は今また一体のレイスを焼き滅ぼし、額の汗を拭いながらティタンへと駆け寄った。


 「待たせたな」

 「……不思議な気分よ。まさか湧水と共闘する事になるだなんて予想もしなかった」


 クアンティンが小さく笑う。


 「許しは請わぬ。……恨まれて当然の事も幾つかあるが、承知の上でやったゆえ」

 「今はもう良いわ。私はティタンとパシャスを信じる」


 ティタンは彼等の確執など気にも留めなかった。

 ゼタはやつれ回復した様子は無かったが、目はぎらついたままだ。

 この女はまだまだ戦うだろう。


 「現世に未練は無いな」


 確りと頷くゼタ。ティタンは彼女と僅かの間、向き合い、無限の闇へと踏み出した。



――



 「よーし退け! がっちり固めて、ゆっくりと!」

 「そんな余裕無いわい!」

 「泣き言は聞かんぞ! あの男に出来て我等ペンドリトン戦士団に出来ん筈は無い!」


 イブリオンは団員達を叱咤した。彼の視線の先ではディマ率いるイヴニングスター達がじりじりと後退している。

 とは言ってもイヴニングスターの生き残りなど最早数名だろう。戦いの最中、ディマと呼吸が合った戦士達が彼に付き合って出来たのがあの集団だ。


 ペンドリトンは彼らと共に殿となる。それ以外の戦士達はディオの命令に従って順に門の内側へと撤退していく。


 「受けとめろォ!」


 もう何度目になるか、魔物達の理性を感じられない突撃。

 全ての者達の疲労は深く激しい。ペンドリトンも、盾を握る左手や盾に添えて突き出した肩などは既に感覚が麻痺している。


 汗が滴り目に入る。じわりとした痛みと煩わしさ。それでも泥や血が飛んできて入るよりはまだマシだった。


 「跳ね返せェ!」


 ドワーフ達は一斉に盾を押した。彼らはクラウグス人よりも背が低い者が大半だったが、体重や膂力では勝っていた。

 イブリオンの号令で呼吸を揃えたならば、オーガだって押し返す。


 イブリオンは簡単でよいなぁと思った。さっきから「受けろ」と「押せ」しか言っていない。

 今も四方八方の兵達に指示を飛ばすディオに比べたら何の事は無い。


 ただ一歩一歩、味方を庇いながらゆっくりと退がるだけ。

 言うほど簡単ではないが、だからと言って出来ねばドワーフの恥晒しだ。イブリオンは、そんなのは絶対に御免だった。


 「戦士ディマ!」


 敵を一時押し返した後、戦列を部下に任せ、イブリオンはディマを呼んだ。

 戦いの喧騒が激しすぎた。イブリオンの声はディマに届いていないようだった。


 「ディマ! おい若造!」

 「何だドワーフ!」


 後退してきたディマの肩を掴み、漸く此方を向かせる。

 ディマもイブリオンに負けず劣らず凄まじい有様だ。肉片や骨片までもが彼の全身に引っかかっている。


 鼻が潰されていた。血の泡がぶくぶくと音を立てた。

 鎧の胸元は大胆に凹んでいるし、手にした剣は半ばから折れている。


 「先に退がれぃ」

 「ほざけ。殿軍の誉れは俺達の物だ」


 互いにぜいぜいと荒い息を吐きながら見詰め合う。


 「言っとくが若造、言い争ってる場合じゃ無いぞ」

 「ならばお前が譲れ」

 「この餓鬼め! 目上は敬え!」

 「俺はバシャーの男だ! アッズワースでもお前より先輩だ!」

 「俺とてドワーフ五大氏族が一つ、ボゥの一族だぞ!」


 ディマは尚もぜいぜいと喘いだ。疲労困憊であり、驚きを顕にするのも億劫だった。


 ボゥとは無視出来ない名前だ。この激戦の最中色々問い質すような余裕は無いが、ドワーフの長老達に次ぐ権威ある貴族だ。

 尊い者が血を流すのは当然だがそれを踏まえても軽々しく前線に出てよい血統ではない。ディマはそこに親近感を感じた。


 彼らなりの理由があると。


 「……仕方なし! 共に殿を守る名誉を分かち合ってやる!」

 「かぁー全く!」


 二人は共に号令した。殿部隊は足並みを揃え、門の中に撤退していく友軍の尻をがっちりと守る。


 味方が下がるにつれ負担は増して行く。イブリオンは何やら左手が動かず、どうしたのかと確かめて見れば、いつの間にか骨折していた。


 見るも無残に変形した彼の鋼の大盾と同じく酷使し過ぎたらしい。完全に感覚が麻痺している。

 だがイブリオンは幸運だったと考えた。盾が輪に腕を通し、身体ごと支える物だったからだ。


 腕が圧し折られても、盾を構える事が出来る。イブリオンは吼えた。


 「ペンドリトォォン!」

 『A・Woo!』

 「ディオォ! クラウグスの王に伝えてくれェ! ドワーフは、クラウグスの為に血を流したとォ!」


 役目を果たし、とうとう門の近くまで下がった殿達。

 イブリオンの雄叫びをディオは壁上で聞いていた。


 其処で死ぬ気か。そうはさせない。


 「下がらせて! そう簡単に楽になれると思われては困るわ!」


 ディオは壁上に準備された土嚢に目を向けた。

 門の外での時間稼ぎはここまでだ。後は門の内に敵を引きずり込みながらの戦いだ。

 土嚢は少しの時間稼ぎになるし、その後も優勢を維持できる。

 敵は死体を踏み越え、いずれ此方は押し切られるだろうが、ティタンが戻るまでの時間を稼げるだろう。


 「……もう一度お聞きしますが、宜しいのですな。この三百年、アッズワースの門が抜かれた事はありませぬが」


 将校の言葉にディオは振り向きもしなかった。


 「貴方達や下の戦士達は私を馬鹿にするかしら?」

 「まさか」

 「では迷う必要は無いわね」


 ディオはディマとイブリオンを怒鳴りつけた。


 「下がりなさい! 下がれ! 下がれと言っているの!」

 「何だとォ!」

 「イブリオン爺! 言う事が聞けないのだとしたら、私はオーガよりも恐ろしいわよ!」


 くそったれぇ、と歴戦のドワーフは喚いた。

 最後の悪足掻きとばかりにオーガを押し返せばディマが横から飛び掛って折れた剣を叩きつける。

 逆手に握られたそれに技も何も無い。剛力によって分厚い頭蓋の半ば程まで埋まった剣をそのままに、後は二人して部下達に引きずられ、門の内側へと退避させられた。


 二人の為に踏み止まったイヴニングスターの生き残りが魔物の波に呑み込まれる。押し倒され、喉首に食らい付かれた彼の最後をディマは見た。


 「どうか妻子を!」


 壁上の兵士達は土嚢を投げ落とす。要塞門を埋めてしまうためだ。

 オーガの膂力を持ってすればこれを退かすなど造作も無いだろうが、無いよりマシだ。


 土嚢は敵を押し潰し、忽ちの内に積み上がる。

 ディマは兵達を振り払い、味方の亡骸ごと敵を押し潰した土嚢に頭突きした。

 彼の言葉は苦悶の呻きにも聞こえた。


 「こ……この、ディマに任せよ……」



 押し潰されるゴブリンの悲鳴をディオは聞いていた。それはとても心地よい物だった。


 「良いわ。奴等の悲鳴が死者への慰めになる。まだまだこんな物では許さない」


 松明を片手にディオは積みあがっていく土嚢の山を見る。

 次なる準備は当然出来ている。ぞっとするような彼女の目付きを、周囲の将校達はこの上なく頼もしく思った。


 「油、然る後、火よ」



――



 浮遊感、耳鳴り、気付けばティタンは四つん這いになっていた。

 掌にさらさらとした粒の小さな砂の感触。ティタンは顔を上げて遠くまで見遣る。


 あの罅割れた大地だ。乾いた土と風。生命の気配の無い世界。マトの領域である。

 しかし妙に明るかった。マトの代名詞である煤色の霧が晴れている。


 奴の力は衰えている。パシャスは確かに奴を叩いたし、奴の勢力も消耗している筈だ。


 詰めだ。俺達が刺客となり、奴に報いを受けさせてやる。立ち上がる手足に力が篭る。


 「おぞましい世界」


 ゼタが呟いた。ティタン以上にこの領域に満ちた悪意を感じ取っている。


 ティタンはまたもや耳鳴りに眉を顰めた。パシャスの楽しむような声がする。


 『乾き切った世界だ。マナウの霊界を越え、奴の縄張りを覗き見るのは幾ら振りだろうか』

 「奴との戦いの経験が?」

 『当然ある。二度ほど追い詰めた。……此度のこれは幸運と言うべきか』

 「成程、ならば喜ぶがいい。四度目は無い」


 笑い声が響いた。


 『実によい。お前が奴を討ち取れば我が名声は高まり、更なる権能も得られよう』

 「アンタにも野心があるのか?」

 『うふふ……我は人を愛しておる。我も人に好かれたい』


 アンタに掛かれば屈強な戦士達も愛玩動物だ。

 ティタンは鼻を鳴らしゼタに目配せする。


 「小箱はあるな?」

 「当然よ。……偉大なる女神パシャス、どうか私に神託を授けたまえ」


 敬意を払い跪くゼタ。パシャスは応える。


 『ゼタ、お前は我の怒りのまま八つ裂きにされても文句の言えぬ立場にある』

 「はい、女神よ。お望みとあらば首を差し出します。しかし」

 『よい』


 言葉の厳しさとは裏腹に、パシャスの声は柔らかだった。


 『我はパシャス。お前達を愛している。お前がシグの母であるように、我はお前達の母である』

 「お慈悲に……感謝します」

 『ティタンはお前を生かしている。ならばティタンを助け、契約を果たせ。お前が一命を賭して戦ったならば、我は血と心臓に懸けて望みを叶えよう。

  ……さて、そろそろシンデュラめに一当てせねば』


 言うだけ言って唐突に気配を消すパシャス。いつも通りだ。

 ゼタは構わず祈りの言葉を紡ぐ。やがて彼女は立ち上がり、小箱を握り締めてティタンに道を示した。


 「こっちよ」

 「……奴はお前の事が気に入っているらしいな」


 ゼタは沈黙した。ティタンは彼女に先んじて歩き出す。


 「少し話をしよう。お前は俺が殺すが、少しお前の事を知って置きたくもある」

 「……随分と余裕ね。ここは悪神マトの領域、正に敵陣のど真ん中よ? 恐れ知らずと言っても限度があるわ」


 乾き、罅割れた大地を踏みしめながらティタンは鼻で笑った。


 「だからパシャスは俺を選んだ」

 「……?」

 「忘れ去られし神は力を振るえん。主神を始めとする善き神々は我等に加護を与え、我等は神々を信仰し、血と名誉と供物を捧げた。そういった意味では神と人は対等だ」


 ならばマトは?


 「お前も言っていた筈だ。マトを恐れる者はその力に抗えない。

  その通りだ。漁った文献から得られた物は決して多くないが、人々が奴を恐れる程に奴が力を増していくのは分かった。クソ食らえだ」

 「戦いに関しては本当に勤勉な人ね」

 「マトを恐れる者はマトを殺せない。だが俺に奴への恐れはない」


 感じるのは怒りと高揚、そして期待だ。

 マトを殺せばティタンはクラウグスの戦士としての義務を果たした事になる。報復の義務だ。鬱憤も晴れる事だろう。


 同時に、悪神をも打ち破った者として千年先まで続く名誉を得る事が出来る。それは人々が面白半分に捏造した逸話とは一線を画す。


 「……油断はしない方が良いわ」

 「シグはどんな娘だった?」


 ゼタは意表を突かれたようだった。


 「何故、そんな事を?」

 「お前の事を知って置きたいと今言った。それにその執念深さは賞賛できる」


 皮肉のつもりは無かった。ティタンも自身が中々執念深い男だと自覚している。

 そしてそれが戦士にとっては必要な資質で、美徳だと思っていた。本気である。


 「お前の戦いも誰かが語り継がねばならない。それを望まないのは湧水くらいな物だ」


 二人は暫く乾いた世界を歩き続けた。方向も何も分からない世界をシグの小箱に導かれて。


 二人とも酷く早歩きだった。今こうしている間にもアッズワースでは激戦が続いている。

 ゆっくりしろと言われても無理だろう。


 やがてティタンの歩調に合わせ切れず息が荒くなった頃に、ゼタは語り始めた。


 「私は愚かな……、そうね、母とも言えない。私は愚かな女だった」



――



 鉄と油、木と革が異常な速度で消費されていく。それは血よりも遥かに多い。


 戦士が戦いを切り抜けたとして、装備が無傷な筈は無い。死者の何倍もの数の武器や盾、鎧が必要とされていた。


 イブリオンなどは彼特注の鋼の大盾を用いている。一般的なクラウグスの男と同程度の重量があり、オーガと真正面からぶつかってもへこたれない頑丈な代物だ。

 それを既に三つ使い潰しているし、彼自身も盾を構えた左腕を圧し折られていた。


 「おぉ……痛みを感じんわ。父祖の霊達が、戦いの中で加護を授けてくれたのか」


 彼はパシャスの巫女に左腕の処置を任せながら煌々と明るい壁上を見遣った。


 ディオの命令で投下された大量の油と、火。

 魔物達を焼き尽くす火は天をも照らすようだった。敵の悲鳴と猛烈な悪臭に、イブリオンは気分良く笑った。


 「ここに居たか、ボゥのドワーフ!」


 ガシャガシャと騒々しい足音を立てて現れたのはディマニード・バシャーだ。


 潰された鎧は早速放棄したようで上半身裸だった。彼は見ていて眉を顰める程の傷を負っており、後ろには治療しようとするパシャスの信徒が必死に追い縋っている。


 「若造。身体を休めんか」

 「後で休む。それよりこの後についてだ」


 ディオは土嚢を投下し、火で敵に悲鳴を上げさせている。だがそれも永遠に続くわけではない。この急な事態に対し万全な準備を整えられたとは到底言えない。


 門は抜かれる。これは避けようが無い。ディマはその時の話をしていた。


 「俺やお前、その他今だ戦意の高い隊で連携を密にしておきたい。門が抜かれたならば我等が矢面に立ち、敵を押し留める。セリウのじゃじゃ馬にも具申しておく」

 「呆れたわ。戦意充分は良いが、お前の部下どもは大丈夫なのか?」


 ディマはイブリオンの厭味に無言を返した。


 「お前……そうかい」


 イブリオンはディマから目を逸らし、巫女に処置された左腕をしげしげと眺める。


 毒々しく変色していた部分が治っている。奇跡だな、と彼は呟いた。


 「感謝するぞ娘」

 「ファロは、女神パシャスの名の許に貴方達の傷を癒す」

 「ファロ、覚えて置くわ」


 イブリオンは立ち上がった。ディマの背を張り飛ばす。


 「聞かせてくれ、強き男よ」

 「馴れ馴れしく俺に触れるな。……付いて来い、面子は揃えてある」


 その様子をディオは階段の上から見ていた。

 壁上では今も神官戦士達がレイスを押し留めている。敵の勢いは急激に衰え、要塞内に展開する部隊から飛び込んでくる伝令も随分と減った。


 状況は良い、とは言えないが、まだまだ耐える。

 一息吐いたディオにフォーマンスが水を持ってくる。


 「フォーマンス、彼を生き残らせる事は出来る?」

 「ディマニード様の事で?」


 ディオは水を口に含みながら頷いた。熱を持って痛む喉に辟易していた。


 「あの方はそれを望みますまい。今もご自身と親しい指揮官を集めて戦いの事について話し合って居られます」

 「多くの戦士が彼に鼓舞されている。ティタンが抜けてしまった以上、あの怒鳴り声が聞こえなくなるのは拙いわ」


 軽く咳き込むディオ。フォーマンスは謝罪する。湯を沸かす手間すら惜しかった。


 「彼はバシャーよ。死にたいからと死ねる物ではない。……バシャー家の事は嫌いだけれど」

 「……は、余裕があればディオ様のお言葉に沿うように致します」

 「無理ばかり言って悪いわね」


 ディオは水を飲み干すと壁上から戦士達を見下ろした。

 準備と再編成の為に誰もが忙しなく走り回っている。これより後陣は怪我人と死体で溢れ返っている。


 彼らは確かに強い。誰一人として諦めてはいない。


 だが夜明けまでまだまだ時間が掛かる。どう戦った物だろうか、ディオはちりちりとした焦燥を背筋に感じていた。


 「猛き風、真紅の太陽」


 彼はそういった。誰もが彼の言葉通りの存在になろうとしている。

 魔を退け、闇払いたまえ。


 だがしかし、何処までの苦戦を彼らに強いれば良いのか。


 「……弓手は兎も角、ヴァノーラン前衛部隊は全滅した。

  ティタン、急がないと間に合わないわよ」


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