猛き風、真紅の太陽1
ティタンの手が震えていた。戦いの予感に興奮していたのだ。
背筋からうなじ、足腰にまでそれは走った。がち、と奥歯を噛み合わせたティタンは震える手を握り締め、必死に宥める。
報復の時が今正に訪れようとしている。
『美しい肉体だ。野蛮に猛り震えている。……男の臭いがする。我の好きな臭いだ』
「パシャス、傲慢な女神よ。戦いの時が来た」
一糸纏わぬ姿でティタンはパシャスの聖域に居た。祭壇の清き水を蹴立てて進み、ティタンはその中央でパシャスに祈りを捧げた。
祭壇に湛えられた水が仄かな光を放つ。途端に水は蛇のようにのたうち、舞い上がり、淫らにティタンの身体を愛撫した。
水底からパシャスが顕現した。アリバスの朱衣でティタンを捕らえ、自らと繋ぐように縛る。
『ティタン、来い。お前を清めてやる。汗を掻かせてやる。……我が濡らしてやる』
無遠慮に、真正面からパシャスはしな垂れかかる。
ティタンは吐息の届く距離でパシャスの顔を覗き込んだ。大胆不敵な笑みだ。自信と力に満ち、自らの持つ美貌、名声を少しも疑っていない。
『ここから先は大戦だ。お前の心を満たしてやろう』
「勇猛、残酷、決死。俺の心に必要な物は全てある」
ティタンはアリバスの朱衣の拘束から抜け、パシャスを突き飛ばした。パシャスは水中へと倒れこみ、かと思うと姿を消す。
ティタンの背後で水が再び渦を巻き、パシャスの白い肌が現れた。ティタンの大きな背に乳房を押し付けるように、パシャスはティタンを後ろから抱き締めた。
『我が娘アメデューは、ずっとお前にこうしたいと思っていたのだぞ』
「奴の言葉を覚えている。奴は一年を通して俺に……自らの言葉が真実であると証明した。
名誉ある女だった。今こそ奴との誓いを果たす」
『力を振り絞れ。お前は勝つだろう』
「ふん、女神の予言か?」
『一年前言った筈だ。運命など存在しない。お前の戦った後に、こそこそと隠れて続くのが運命だ。泥を掛けてやれ』
ティタンは首を捻ってパシャスを見た。パシャスは薄ら笑いしている。
その眼の奥に深い物を感じた。ティタンでは言い表しようの無い物だ。
その力、権能、勢力など、そう言った計算の外側にパシャスの自信の根拠はある。
パシャスは勝利を確信していた。根拠は無いのに、異様な説得力だった。
「日は落ちた。要塞の傍に敵の気配がする。ディオを始め戦士達は果敢に戦うだろうが、攻勢が続けば七日と保つまい」
『七日も掛からぬ。戦いが始まれば一息に決着するだろう』
「……マトを殺す方法を教えろ」
『なんと?』
パシャスは笑みを深めた。
『お前は完璧だ。その剣以上に必要な物は無い。我が水の権能とアメデューの魂がお前を守るだろう。
汚らわしきマトの領域に攻め入り、ただ奴の心臓にその剣を突き立てよ』
「それで良いんだな?」
『お前の剣を恐れぬ者は、神々の中にすら居ない』
背中に熱を感じた。パシャスの唇が背に吸い付いたのだ。燃えるような熱さだった。
『さぁ、今こそ我の、真の加護を授けよう』
――
神殿の避難民達は祈る以外に術を持たない。彼らは追い詰められ、真摯な祈りをパシャスに捧げている。
それでも半数ほどはアッズワースを離れ南へと逃れた。残っているのはアッズワースを離れられない事情を抱えている。
悪神達の気配に殺気立った荒野を越える体力を持たなかったり、身体が不具であったり、家族がアッズワースに残り戦う戦士であったり。
理由は様々だ。パシャスの神殿は彼らを最後まで護るだろう。
「パシャスの勇者、どうか、どうか、夫をお救い下さい」
信徒達の祈りの間を通り抜けようとした時、涙を流す女が懇願した。
避難民の一人だ。彼女はパシャスの神像が見下ろす先に跪き、祈りを捧げていた。
「夫はバシャーに仕える騎士なれば、アッズワースを離れることは出来ないと」
「正しい選択だ。彼らの大半は既に死んだ。お前の夫も死の覚悟を決めている」
「ご無体な……。どうかお願いです、夫はもう充分に戦いました」
「お前はその覚悟も無く戦士の妻になったのか?」
無情な言葉に女は崩れ落ちた。額を石床に擦り付け、呻いた。
「していました……。していた、つもりでした……!」
「子は居るか?」
「……居ます。……男の子が二人……女の子が一人……、一番下のアルバは、まだ、二歳、で……」
「お前の伴侶の生き様を語り継げ。子らは高潔に育つだろう」
女は何も言わなくなった。すすり泣くばかりだ。
この女の夫は役目を果たすだろう。ティタンは口には出さなかったが、その男の生還を願った。
名誉ある死は、それを望む者に与えられるのが一番良い。
「ティタン」
「……ゼタ、目を覚ましたか」
背後を振り返ればゼタが立っていた。相変わらず痩せ細った身体が痛ましく、青白い手で額を押さえている。体力を消耗しているようだ。
ゼタはティタンを引っ張って別の一室へと連れて行った。ゼタはティタンに向き直り、大きな溜息を吐いた。
「貴方の事は尊敬している。でも、貴方のああ言う部分は心底から軽蔑する」
「お前の理解を得たい訳じゃない」
それに、とティタンは続ける。
「お前にそんな事を気にする余裕があるのか?」
「……何があったかは把握してるわ。シグと、貴方と、……そしてあの巫女殿が助けてくれたのね?」
「要塞に敵が迫っている。まずはこれらを打ち払い、次にマトの領域に乗り込む。その時はまた、お前にも働いて貰うぞ」
ゼタの更に大きな溜息。
「何だってするわ。シグを救ってくれるなら」
「安心して良い」
「…………メルは、無事?」
ティタンはゼタの目を覗き込んだ。ゼタは視線を合わせないよう俯く。
「言った筈だ。オーメルキンはシグの代わりにはならん」
「そんなつもりは無いわ。……でも、あの子は私を慕ってくれた。私はあの子に何も言わないまま……」
「……未練は無いほうが良いだろう」
「え?」
ティタンはゼタを連れて神殿の外に出る。夜天から粉雪が舞い、冷たい風が芯まで冷やす。
神殿の門でヴァノーラン達が待っていた。松明を持ってティタンを待つ彼等の中には、当然オーメルキンも居た。
「オーメルキン!」
ティタンが呼べばヴァノーラン達は反応する。オーメルキンはゼタの姿を見て露骨に動揺した。
早足で近付いてくるオーメルキン。ティタンはゼタに目配せすると、オーメルキンと入れ替わるようにヴァノーラン達へと向かう。
「ティタン、ぜ、ゼタが!」
「少しだけ時間をやる」
「あ、う、うん!」
小さな階段を駆け上りゼタへと飛び付くオーメルキン。ティタンは鼻を鳴らし、その横をすり抜けた。
ヴァノーラン達は意外にも平然としていた。ゼタに対して複雑な感情はあるようだが、悪意を向ける者は居ない。
「不満に思うか?」
「別に。アンタに従うと俺達は決めている」
アーマンズは肩を竦めた。
「それにロールフはアンタと決闘の末に死んだ。その名誉にゼタも小箱も関係ない」
「……そうだな」
ティタン達は暫くオーメルキンを待った。オーメルキンとゼタ、二人とも話したい事は沢山ある筈だ。
ゼタはオーメルキンが戦いから離れる事を望んでいたが、結局はこうなってしまった。
オーメルキンは窮地と苦境を望んだ。それが奴の生き死にだ。
どんな話を、するのだろうな。ティタンは目を閉じ、雪と風に耐えた。
やがてオーメルキンが戻る。彼女はの顔には泣き腫らした後があった。
「何だメル、泣いていやがる! 止してくれよ、俺達は今から……」
「茶化すなヘクセン」
「……そんな気は無かった。だが死にに行くならば、泣くより笑え。……そう言いたかった」
オーメルキンは唇を噛み締めた。
「今更だけどさ」
ヴァノーラン達は口を閉じた。
「あたし本当は、皆に生きてて欲しいよ」
「嫌なら、怖いなら逃げろ。臆病者は必要ないし、お前は若い。もっと多くの物を見ても良い筈だ」
ティタンの言葉に首を横に振る。
「馬鹿にすんな! ……あたしは、ヴァノーランなんだ」
「……何にせよ俺達は勝利を掴む。生きるか死ぬかは実力と、神の思し召しによる」
遮る様にアーマンズが割り込む。ティタンに器用な物言いが出来ないのは周知の事実だった。
「あぁその通りだ。だがメル、お前がどう思っているか、それは覚えておく。俺達全員でな」
メルは目をぐしぐしと擦りながら何度か頷いた。
「さぁ……行くぞ」
――
「油! 火を絶やすな! 物は足りているの?! 早く報告を!」
「伝令! 夜陰に乗じて此方を目指す敵を発見しました! 数は不明!」
「不明?! 伝令を寄越したのは何処の誰?!」
「ノースウォッチレンジャーズです!」
「ならば非難出来ないわね! 数え切れぬほど敵が来たと言う事か!」
額に汗を光らせながらディオは叫び続けていた。混乱し続けるこの極限状態こそ彼女の真骨頂だった。
声はがらがらに枯れていたが、気力は充分だった。必要とされるならいつまでだって金切り声を上げるだろう。ディオは城壁で、門前で、戦いの時を今か今かと待ち続ける兵士達に叫んだ。
「夜よ! 夜が押し寄せてくる! 楽しい夜になるでしょうね!」
伝令が絶え間なく走り回る。これまで要塞の将校達は出来得る限りの手を打ったが、それでも万全の防備にはならなかった。
門は一応修復されたが防御力は格段に落ちている。オーガが荒波の如く押し寄せてきたら長くは持たないし、敵首魁たるシンデュラが飛び込んでくれば物の役に立たないだろう。
「結局、陛下からの援軍は間に合わなかった」
「やれるのか、アッズワースは勝てるのか」
歯軋りしながら一人の将校が言う。口に出してはならない言葉だと感じながらも不安を押し隠せないで居る。
そしてその不安は彼だけの物ではない。状況は悪かった。
だから戦士達は己を勇気付けてくれる何かを必要としていた。
「A・Woo! A・Woo! よぉし吼えろ同胞! まさか来て早々、本当にこんな大戦に参戦出来るとは! 俺達は幸運だ!」
門前で火吹き酒を呷りながら呵呵大笑しているのはペンドリトン戦士団が長、イブリオン。
彼が率いるペンドリトン戦士団は遥か南の山脈から訪れた歴戦のドワーフ達だ。太い腕、太い足、そして太い腹。全て筋肉だ。
彼等は何も理由無く北に訪れた訳ではない。彼等には彼等なりの戦いの理由があった。
「歌えぇ! 嘗て山の神々は予言したぁ! 暗き地の底に呻くぅ、仇敵がぁ声を聞きつけぇ! 戦いのため、北の果てに伝説は甦りぃ、勇者達はその背を追うぅ!
俺達は証明する! 父祖達が残した流血の歴史が、ただの世迷言で無かった事を!」
『Aaaaaa・Wooooo!』
「ドワーフはァ! クラーウゥグスと生きたァ! 死ぬ時もォ、クラウグスとォ死ぬだろう!」
ドワーフ達は赤ら顔で絶叫した。ペンドリトン戦士団は要塞では新参も良い所だったが、扱いは丁重だった。
彼らは短気で大雑把な所もあるが、クラウグス人と同じ大地に住み同じ水で育つ同胞だったし、ドワーフはクラウグス人以上に『自分達は同胞である』と言う事に対して敏感だった。
彼らの決意表明は多くの戦士達を勇気付けた。しかし、とディオは呻いた。
「でもイブリオン爺、まだ足りないわ」
のそり、のそりと歩いてくる者が居た。ディオは城壁上にあり、その姿を一番最初に見付けた。
「……ディマ殿」
彼は瞳に暗い炎を滾らせて、歯を剥き出しにして白い息を吐いていた。
怒りに打ち震える彼の身体。後ろには傷だらけの戦士達が続く。
僅かなイヴニングスターの生き残り達。
「ディオ・セリウ! 遅参を許せ!」
「ディマ殿、傷は!」
ディマの折れた腕は繋がっていた。パシャスの齎した奇跡は全く驚くべき物だった。
だがディマは例え腕が折れたままでも戦っただろう。そういう男だった。
城壁の上と下で二人は簡潔に言葉を交わした。
「イヴニングスターはお前の指揮下に入る!」
「……英断に感謝いたします!」
「ディオ! 俺達の伝説は死によって完成する! お前の命令で死んでやろう!」
ディマの言葉にフォーマンスは苦笑い。
「ディオ様の命令であの方を死なせたとあっては揉めるでしょうな」
「気にしなくて良いわ。どうせ私達だって生きて戻れるか微妙な所よ」
ディオは足音高く門前に立つイヴニングスターを見送りながら言う。
ディマは血走った狂気に満ちた目をしていた。彼は現状を不名誉な物だと感じていたのだ。
兵を置き去りに生還した指揮官。其処に感じる嫌悪は理屈ではなかった。ディマは今度こそ本懐を果たす為に立ち上がった。
「我等は宵の明星。正義の殿軍。その輝きは……何者にも消せぬ……!」
彼の背後で戦奴の夫婦、アードとミダは顔を見合わせる。ふ、と微笑み、拳を打ち合わせた。
「意気軒昂。……申し分ない」
「熱が渦巻いている。戦いの風だ」
黒い鎧が松明の炎でギラギラ輝く。どれ程討ち減らされ、傷付いていても、イヴニングスターは間違いなく最精鋭だった。
「……伝令、続報です! 敵は間近! 敵は間近!」
「シュラム殿は戻られたかしら?!」
「まだです!」
レイヒノムの勇者シュラムは遊撃として夕暮れに出撃した。これまでも極少数の神官戦士達と共に打って出ては多くの首を持ち帰ってきた。
今も何処かで厳しい戦いを続けている事だろう。彼の指揮権はディオには無い。
だが彼が何処かで敵を引き付けているのだとしたら、要塞の戦況は遥かに楽になる筈だ。各々が、各々の使命を果たす。それのみだ。
「主神の雷を見られないのは残念だけれど……、でも、我等の英雄はいらっしゃったようね」
ディオは背後の町並みを睨んで言った。誰もがその参戦を待ち望んでいた男達の姿があった。
威風堂々、急ぐ事も逸る事も無く歩いてくる。春から始まったとされる悪神達の攻勢の中に団結し、最も勇気を示し続けてきた新しい伝説。
彼らの誰もが叫ぶ。示せ蛮勇。俺達は、死ぬ為に生まれて来たと。
赤い魔獣の革鎧の男を先頭に、ヴァン・オウル・アッズワースは現れた。
アッズワースの防衛に参加するパシャスの信徒の一人が叫んだ。名も無き彼女の一吼えから、それは始まった。
「ヴァァァァン! オォォーゥル! ……アァァッズワァァァァース!!」
「おぉ?! おぉぉ! ……Woo・Van! Woo! Van!」
雄叫びはすぐさま伝播した。防壁上の弓手達や既に門の外に出ていた者達も、その名を聞き背筋を痺れさせる。
ティタンが来た。彼は投げかけられる歓声をまるで気にした様子も無く、するりと門を抜けて外へ出る。
「パシャスの僕達か……」
パシャスの聖戦の号令に集った信徒達。戦いを前にした興奮の中、彼等の中には感極まって涙する者すら居た。
アッズワースの戦士隊。厳しい北の大地の名を冠し、愚かで無謀な戦いばかりを続けてきた若者達。
その名声をパシャスは称え、そして信徒達に囁いた。強く美しいアッズワースは甦る。パシャスは正義をなし、偉大な祖国を護るだろう。
お前達はそれを間近で目にするのだ。全ての信徒達は与えられた神託に震えた。
『我が名の許に集え。伝説の許に集え』
信徒達の戦いの理由はそれだけだ。
「ヴァノーランだ、あの怪物どもだ。クソッ、震えるぜ……!」
年若い傭兵が呻いた。立志伝中の傭兵団に誰もが畏れや羨望を抱き、そしてその戦いに圧倒された。
「あぁ、どいつもこいつも言ってるんだ。聖戦だって。女神パシャスと、勇者ティタンが見ていてくれる」
クラウグスの全ての清き水に姿を映したパシャスを、当然彼らも目にしている。
神近き国家クラウグスにおいても神の顕現は稀である。彼らの心を捉えるには充分だった。
「名誉だぞ、例えくたばるとしても……」
「名誉……、名誉だ……。そうだ、俺達は無駄死にじゃぁ無い……! 見ろ、奴の目を! 鷹よりも、狼よりも鋭い!」
「敵を殺し尽くす古き戦士の目だ! 奴の目の前で恥を晒すな!」
熱にうかされたように誰かが叫ぶ。決死の戦士には幻想が必要だ。命を賭けるに足る幻想が。
そして残された者達がその戦いを語り継ぎ、幻想を真実にしていく。
指揮官の一人が拳を振り上げて兵を煽った。兵達の反応は劇的だ。ティタンが眉を顰めるほどに。
「ヴァノーランが見ている! ティタンの目が見ているぞ! 伝説は甦った! あやつらと共に戦えば歴史に名を残せる! ”命を惜しむな! 名をこそ惜しめ!”」
「昇れるぞ! 死ねば昇れるぞ! 祖霊達の安らぐ場所に! 英霊達の集う座に!」
「うおぉ! 見てくれディオ・セリウ! 見てくれティタン! 力を与えてくれ! 名誉と栄光を与えてくれ!」
金も後ろ盾も持たぬ者達にも、名誉と栄光を信じる事は出来た。ただ鍛え抜いた力と技のみで名声を馳せた伝説が目の前に居るのだ。
「パシャス万歳! ごろつきどもに女神の口付けを!」
「マト?! シンデュラ?! 俺のケツを舐めやがれ!」
「ティタン様! 真の戦士の姿を、御示しください! 名誉と栄光を!」
次々と懇願の声が上がる。
与えてくれ、与えてくれ。それしか望めぬ者達に、それしか残せぬ者達に。
才も、血統も、誇れぬ者達に。
与えてくれ、持たざる者達に。死の間際に。
追い詰められた者達の精神的な逃避だ。そしてその声を浴びせられるティタンは、それが嫌いだった。
ティタンは怒鳴った。
「強請るなァ!」
怒気に困惑する戦士達。
城壁上でディオは声を出して笑った。周囲の兵達は奇妙な物を見る目付きでディオを見た。
「ティタン、言いたい事があるなら存分に言いなさいな!」
ティタンは居並ぶ戦士達の前を目もくれず通り抜け、ストランドホッグが投下したまま放置された土嚢と魔物の死体、それの上に昇って彼らを睥睨する。
無数の篝火、戦の備え。昼の如く照らされたアッズワースの防壁。
熱を感じる。狂的な興奮と恐怖が渦巻いている。
相応しくなかった。戦士は、戦士でない物を恐れない。
恐れてはならない。
「敵が来るぞ、戦いだ! それも小さな物じゃない、正にクラウグス史に残る戦いになる!
この戦いを耳にしたクラウグス人は、今此処に踏みとどまったお前達の事を正に勇者だと確信している筈だ!
お前達は、野良犬でも、物乞いでも無い!」
ヴァノーランの面々が平然と後に続く。アーマンズやオーメルキン達弓手は分かれて城壁上へと昇った。
彼らはティタンの怒声にくっくと笑い、肩を竦めて見せる。ティタンはいつも通りのティタンだった。
「戦士だろう! 戦士ならば敵を殺せ! 戦士ならば血を浴びろ! そうすれば望む物が手に入る!
俺に……強請るな!」
剣を引き抜く。篝火の炎を跳ね返しそれは怪しく輝いた。戦士達はティタンの気迫に唾を飲み込んだ。
クラウグスの繰り返される歴史を知るが良い。どのように祖先達が土と水を受け継いできたか、血を繋いできたか。
彼らが何故名誉ある者として今も敬われるのか、その理由は既に分かっている筈だ。
彼らは、ただ与えられた訳ではない。
アバカーンが出しゃばって叫ぶが、咎める者は居なかった。
「勝ち取れ! 戦士ならば、勝ち取れ! 生も死も、そなたらの内にある!」
そうとも。ティタンは彼らを煽り立てる。
望むべきは戦いだ。勇気と力を示せば、他は勝手に着いて来る。
「戦いを!」
ならば後はお前達次第。
「戦いに次ぐ戦いを!」
生き残った者には更なる戦いが。
名誉ある死者には安らぎか、或いは神々の軍勢に加わる戦士として最高の栄誉が与えられる。
「俺達は猛き風! 俺達は真紅の太陽!
ならば、ただ与えられるのを待つ事は無い!」
使命を果たせ。本懐を遂げろ。
「名誉と栄光を――勝ち取らん!!」
甦った伝説の雄叫びは、戦士達に幻想を抱かせるに充分だった。命を賭すに足る幻想だった。
「か……」
最初に唱えたのはイブリオンだ。屈強なドワーフの腑に、同胞の雄叫びがすとんと落ちた。
「勝ち取らん……!」
誰もがそれに習って叫んだ。剣を掲げ、ディオが唱和する。
アルコン・メンシスが松明を振り回し、兵士達は得物と盾を打ち鳴らす。
ティタンはもう一つ叫んだ。
いつものように。
「Woooooooooo!! Vaaaaaaaaan!!」
『Woo! Woo! Woo!』
ディマがティタンの肩を抱いた。
「勝ち取らん! 己が手で、己が手に!」
「あぁ勝ち取らん!」
古き時代。今よりも人々が無様で、洗練されて居らず、多くの外敵を前に明日に希望を見出せなかった時代。
クラウグス人に取って太陽は神の化身、或いはその加護。そして北より吹く強き風は試練その物だった。
人々は戦士をそれらに準えた。闇を照らし魔を払う者。
血と泥。肉と骨。鋼の掟と、そして雄叫び。
それが戦士達の全てで、それが戦士達の誇りその物だった。彼らは吹雪であり、彼らは太陽だった。
そしてアッズワースはその時から既に北の要衝。如何なる魔物の軍勢も跳ね返す、北の盾だった。
「堪らないわ」
ディオは防壁の凹窓に手を突き、肩を震わせた。
指揮官として常に冷静であろうとしていた。事実ディオは冷静だった。
しかし身体が震える。周囲で拳を突き上げる戦士達の雄叫びを聞く程に。
「ドレスで着飾り、洒落た茶会でお上品に笑っていたのでは、きっと分からなかったでしょうね」
「は。とてもとても似合いませぬぞ」
「フォーマンス、士気充分。戦えるわ」
セリウに生まれてこれまで、ディオは我侭も沢山言ったが彼女なりに責任を果たしてきた。
アッズワースを訪れて、下らない事や理不尽な事も沢山見た。高潔な祖父の教えを第一義とする彼女にとって、腹立たしい事も多くあった。
だがこの生き方を選んで良かったと心から思う。或いは選択肢があるだけ幸運だったのだろうか。
「示せ蛮勇、か。猛々しい」
ディオは北を睨んだ。闇の向こう側からワーウルフの遠吠えが聞こえた。偵察の報告によれば想定よりも遥かに多くの魔物が迫っている。
だが今となってはもう慣れた。悪神達も血眼になってアッズワースを攻め落とそうとしている。常にこちらの予想を超えようとしてくる。
ディオは護り切れるとは考えていなかった。だがそれならばそれなりの準備をするだけだ。
――来なさいな。アッズワースがどう言う場所か、骨の髄まで刻みこんで差し上げる。
「戦闘態勢! 抜剣せよ!」
ディオの号令。指揮官達がその号令を繰り返し、兵達は得物を抜く。
鞘鳴り。怪しく光る鋼。彼らは盾を突き出し、隣の同胞を護った。
ティタンはその先頭に居た。闇の向こう側から迫る騒々しい足音、獣臭さ。ティタンは熱い息を吐く。
「かぁぁぁッ……!」
犬歯を剥き出しにした様は魔物よりも恐ろしげだった。それはそうだ。戦士は恐ろしい物なのだ。
「シェフ!」
戦斧を構えた一人のヴァノーランが笑った。
「同胞に、忠誠を」
『忠誠を』
示し合わせたように他のヴァノーランも笑う。ティタンも、笑った。酷い笑顔だった。
「ロゥ! ヴァン・アリィ・サウラージ!」
『戦士に宿る物、全てに懸けて!』
「俺達は今夜、最も新しい伝説になる!」
『Woo! Woo! Woo!』
ティタンの睨み据える先、闇と風を突っ切って、魔物達は遠吠えと共に現れた。
――




