戦闘準備2
市民の混乱は更に酷い物になっていた。煤色の霧に脅かされていた所にまたこれだ。無理も無い。
アングイビなんて物が平然と人々に成り代わり市井に潜んでいた。そしてそれらは突如として本性を現し、様々な場所を襲った。
彼等は疑心暗鬼だ。パシャス教の中でも力ある信徒は人間とアングイビを見分ける事が可能であり、そして神殿に保護された避難民達の中にアングイビが居なかった事からそれは証明されている。
今もパシャスの信徒達はアッズワース要塞に散らばり敵を炙り出している。しかし怯え惑うばかりの人々の中には、パシャス教を信じられない者も居た。
ティタンは反吐の出る思いだ。
「大した人間性だ」
そういった者達は隣人を打ち据える。些細な事で疑う。
今、ティタンの目の前にもそう言った光景が広がっていた。猿轡を噛まされ、鎖で縛られた女とそれを取り巻く十名程の人々。
鎖は地面に打ち付けられた杭に繋がっている。獣のような扱いだった。
「見覚えのある顔だな」
ティタンが呟くと人々は仰け反った。思わぬ人物の登場に腰が引けたらしい。
後ろめたいという意識が、あったのだろうか。
女が顔を上げる。額に獰猛な闘犬を模した刺青。
赤い肌が所々破られた襤褸着から覗いている。その肉体は鍛え上げられている。
ディマニード・バシャーが所有する戦奴の一人だった筈だ。
「何故ソイツが犬のように扱われているか教えて貰おう。納得出来るようにな」
たじろぐ人々の中から男が一人進み出てくる。兜は無く、鎧も煤けて随分みすぼらしくなっているが、兵士のようだ。
問題はこの誰もが忙しく駆けずり回っている状況で、何故こんな下らない事に時間を使っているのかと言う事だ。
「ヴァノーラン、俺達は……、その、アングイビを探して」
「コイツがそうだと?」
ティタンは人々を押し退けて女に近付く。跪かされた女に鼻を寄せるが腐臭は無い。
汗と泥、灰と血の臭いだ。この女からは戦いの臭いしかしない。
この距離でじっくりと試みればティタンの鼻を誤魔化せる物ではない。
「少なくとも腐ったはらわたの臭いじゃないな」
「だが、ティタン様。私は少し前、その女が夜中に奇妙な呪文を唱えていたのを見たよ」
初老の男が口髭をもごもごさせる。
「水瓶を見詰めながらぶつぶつと。……次の日其処が煤の霧が覆われたんだ。コイツは化物だ」
「敵がどんな奴等か知ってるか?」
ティタンは少しも疑わずに言い返した。
「こんな鎖で縛れる連中じゃない。時間が惜しいから率直に言うが、コイツは人間だ。解放するぞ」
「だが……何でそう言い切れる」
「これまでアングイビを何体か殺した。奴等に騙されはしない」
言いながらティタンは女の瞳を深く覗き込む。薄い青。まるで氷のような色だ。
これまで無数の敵と睨み合ってきたが、そういった目とは違った。
「恥知らずどもめ……」
ティタンの視線は険しかった。此処まで来ると状況に託けてこの女を拘束し、寄って集って暴行しようとしている風にしか見えなかった。
異国の風貌ではあるが見目は良い。下劣な感情を抱く者が居ないとどうして言えるだろうか。
「ミダ!」
響いた声に振り返れば、男が二人居た。間が悪いなとティタンは目を細める。
顔を晴れ上がらせた男と、その首に剣を這わせ背後から拘束する男。拘束している側にもティタンは見覚えがある。
繋がれた女と同じ赤い肌と、額に彫られた闘犬の刺青。
燃える憤怒の表情。太い筋骨、大柄な体躯と相まってまずまずの益荒男振りだ。
この女の片割れだ。こちらの方は何となく名前を覚えている。確かアードと言った筈。
今アードが呼んだ名、ミダ。アードとミダ。戦奴の夫婦だった。
「彼女は俺の物だ。返して貰うぞ」
アードが言いながら拘束した男の首を浅く切る。途端に大げさな出血が始まる。
人々は動転した。
「よ、止せ!」
「愚かなクラウグス人達め。無駄口を叩かずミダを放せ」
ティタンはミダの猿轡を解いた。ミダは一瞬ティタンを見詰めた後、アードに呼び掛けた。
「待て、アード。風向きが変わった」
「…………ソイツはティタンだな」
「彼はコイツらとは違う」
ティタンは次は鎖に取り掛かった。随分出鱈目に縛ってあって、どうにもならない。
仕方なくティタンは予備として持っていた剣を抜き、鎖に叩き付けた。本当はこんな使い方はしたくなかったが。
ミダの拘束を解き、手を取って立ち上がらせる。人々は何か言いたげだったがそれらに構うのは非常に億劫だった。
「この女を解放する。文句があるならヴァノーランの屋敷を訪ねて来い。或いは、パシャスの神殿でも良い。
もしこの選択が間違いでこの女がマトの下僕だったとしたら、俺が責任を果たす」
そんな事にはならないだろうが。
ティタンは一人ずつじっくりと睨み付けながら付け加えた。彼等はきまり悪そうにしながら去っていく。
その中の、汚れた鎧を着た兵士らしき男の首根っこを掴み、ティタンは聞いた。
「脱走兵か」
「ち、違う!」
「なら何をしてる。お前が腰抜けでないならば一人だけ暇な筈は無い。指揮官の下へ戻れ」
「……言われなくとも、仕事はする」
明らかに動揺している兵士をティタンは解放した。
「恐れる者は去れ。……だが本当は、誰もが恐れている。それでも良いのならば、だが」
今度こそ兵士は去って行く。アードは成り行きを確認し、拘束していた男を蹴っ飛ばして何処かへ行かせると、ミダをきつく抱き締めた。
「遅くなってすまない」
「汚らわしい奴等に、後少しで身体の芯まで触れられる所だった……!」
情熱的な口付けから目を逸らしながらティタンは少しだけ待った。その程度の情けはティタンにもあった。
やがてアードとミダは向き直り、感謝の言葉を口にする。
「感謝する、戦士ティタン。俺の妻を助けてくれた。俺の命よりも大切な物を」
「お前一人でどうにかしそうな勢いだったがな」
ミダがにやにや笑う。
「事実、アードは奴等を血祭りに上げたろう。それを思えばティタン殿はあのような手合いにも随分と御優しいのだな」
「戦いが目前に迫っているのに無駄な血を流す余裕は無い。それに彼等は混乱している」
「混乱か。追い詰められた状況でこそ人は本性を現す。アレが奴等の正体さ」
「……其処には反論のしようも無い」
ティタンは話を切り替える。アードとミダ、この二人は戦奴で、所有者がディマである事から北で戦った筈だ。
ディマについて聞いて置きたかった。
「ディマの事を聞きたい。お前達は彼と共に北へ向かった筈だ」
アードはその質問を予想していたようだ。彼の主とティタンは非常に馬が合う。その事は彼も知っている。
「ディマ様は兎に角ノースウォッチレンジャーズと合流する事を第一に考えて居られた。しかし俺達は監視塔に着く前に他の魔物の群れと遭遇した」
「私とアードは一部の戦士達と共に残って戦うよう命令されたのだ。あの坊やに」
「俺達が敵を片付けて北に向かった時には全部決着していた。逃げる味方に合流し、アッズワースに戻る事しか出来なかった」
「……坊やは殿を率い、その時既に行方不明だったよ。……今では恥じている。私達は出遅れた」
この夫婦はディマを高く買っていたようだ。……ミダは坊や呼ばわりしているが。
長く語らった事は無い物の二人の姿を目にする事は幾度もあった。奴隷とその主、と言う以上に、二人の態度からはディマに対する尊敬が窺えた。
ティタンは更に尋ねる。
「この後、どうする」
「ディマ様が言った事だが、俺達はバシャー家の資産ではないそうだ。ディマ様は私費で俺達を買った。
……もしあの方が本当に死んでしまったのなら要塞に残る義理は無い。”その時はそうしてよい”とも言われていた」
主人の死んだ奴隷の処遇は様々だがそのまま自由になるような事はほぼ無い。
しかしアードとミダならば容易に逃げ遂せるだろう。ティタンには別にどうと言う事も無い話だ。
この二人は優れた戦士だ。奴隷だからどうだと言う事は無い。だが、奴隷で無くなるならばその方が良いに決まっている。
しかし、アードとミダは続けた。
「だがもし、イヴニングスターの生き残りが報復の為に戦うのなら、俺達も吝かではない」
「坊やは見ていて気持ちの良い男だった」
イヴニングスターの戦士達はディマに従い殿軍として残った。シンデュラと激しく戦い、殆ど未帰還だ。
そう、殆ど、である。僅かながら生き残った者も居る。シンデュラと戦う以前に負傷して後送された者や、戦場の混乱から敵と味方の両方を見失い、帰還する他無かった者。
後はアードやミダのように別の場所で戦っていた者もそうだろう。
彼等は傷を負い治療を受けている最中だ。今は消沈しているが、何を考えているか想像に難くない。
そしてアバカーンが足音高く現れたのはその時だ。雪と泥を被ったままの彼女は、全く良い時に良い報せを持ってきた。
アバカーンは南方からパシャスの号令に従って集結した信徒達を率い、北へと打って出ていた。魔物達の注意を引き、時間を稼ぐ為だ。
少数の信徒を引き連れ、戦帰りのアバカーンはティタンに駆け寄ってきた。
「ティタン様」
「何だ?」
「吉報をお届けに」
跪く彼女と信徒達。自信満々である。
「戦いは終始有利に、問題なく終わりました。しかしそれより、その途中でディマニード・ジュード・バシャー殿を保護いたしました」
「ほぅ!」
ティタンは思わず眉を開いて喜びを顕にする。
ディマ、矢張りタフな奴だった。あの男が生きていたとなれば心強い。多くの者が奮起するだろう。
それだけでなく純粋に嬉しくもある。
「でかした、アバカーン」
「は!」
アバカーンの会心の笑み。ティタンがどういう反応をするか明らかだったから、何が何でも自分で伝えたかった。アバカーンの狙いは当たった。
「そういう事らしいがお前達はどうする?」
アードとミダの返答は決まっていた。
「案内してくれ」
「どうやら風向きが変わったようだ」
――
パシャスの神殿の中庭でディマは冷たい水を浴びていた。左腕が折れているらしく、添え木した様が痛々しい。
しかし指揮下にあった者のの多くが未帰還である事を思えば軽症とさえ言えるだろう。彼の部下は殆どが魔物の腹に納まったのだから。
「戦士ディマ、死に損なったな。だがアンタの帰還を嬉しく思う」
井戸水の滴るディマの背中は赤く色づいている。其処に剣呑な気配を感じるも、ティタンは素直に気持ちを伝えた。
彼の周囲で跪く五人の部下達はぴくりとも動かない。息すら抑え縮こまっている。
「……俺の兵どもは」
「こちらでは十一名確認してる」
「たったのそれだけか」
「アンタ達が置かれた状況を思えば寧ろ多い」
ディマは突如として唸り声を上げ、傍で跪いていた部下を蹴り倒した。
「この……馬鹿どもがッ!」
「ディマ?」
部下は突然振るわれた暴力に抗う事も無く、直ぐさま起き上がり再び跪く。ディマの乱行を受け入れている。
ディマは腹の虫が納まらないのか更に暴力を振るおうとしたが、咄嗟にティタンが、そしてアードとミダが彼に飛び付いて抑え込んだ。
「離せ……!」
「落ち着け、傷が開くぞ」
ティタンは力尽くでディマを井戸の縁に押し付け、座らせた。彼の身体は怒りに震えていた。
歯軋りの音がする。粗野のようで格好に気を使う男だ。普段ならば絶対にしないだろう。
「俺の自慢の兵達が、俺を……裏切った!」
「裏切った?」
ティタンは跪くディマの部下達に視線を遣る。彼等は弁解しない。許しを乞う事さえ。
ただ、目を伏せている。裏切り者には見えなかった。
「言葉は考えて使え。何があった」
「騙されたのだ」
「だから、具体的に何をされた」
「……戦いの中、シンデュラを見失った。奴の鼻面に剣を叩き込んでから死んでやるつもりだったのに」
ディマは声を震わせ肩を喘がせる。ティタンは頷く。
成程、この男らしい。
「それで」
「部下の一人がシンデュラを見付けたと言った。俺達は既に突破されていると。俺は疑わなかった。状況を見て、抑えきれている筈も無かった」
「嘘だったのか」
「俺はシンデュラ目掛け突撃し、敵の波を抜けた筈だった。……誰かが俺を殴った。後ろから」
そして今、こうしてパシャスの神殿に保護されている。どういう状況だったのか明白だ。
ディマは決して計算の出来ない指揮官ではないが、部下に全滅を命じたとしたら、その時は一緒に死ぬ覚悟を持っていた。
彼の部下達は違った。この分からずやを力尽くでも逃がしたかったのだろう。
ティタンは冷たく言った。
「天晴れ見事だ。アンタの兵達は命を捧げ、その忠誠心は証明された」
「ティタン、貴様!」
「アンタは指揮官だ。怒鳴り散らしている暇は無い。義務を果たせ。生き残ってしまったのならば」
ティタンの頬にディマの拳が突き刺さった。
――
見事に腫れ上がった頬を押さえながらティタンは巫女タボルと話した。
彼女は神殿の一角で負傷者の治療を行っている。その容姿と献身が合わさり、彼女は多くの人々から敬われた。
慈愛の女神を称えるパシャス教の、愛の体現である。
「成程、そしてこのような……」
タボルは言いながらティタンの頬にそっと触れた。彼女の手の中に煌めく雫が生まれ、熱を持った頬をひやりと冷ます。
「構うな、直ぐに治る。……らしい」
「えぇ、そうでしょう」
ティタンはパシャスの加護を受け入れた。パシャスが言うには如何なる毒も病も効かず、傷も忽ち治ってしまうらしい。
まだ試してはいないからそれがどのような物なのかハッキリとは分からないが、この苦しい局面で有用なのは間違いなかった。
タボルはパシャスの意向も、その力がどれ程大きいかも当然知っていたが、結局ティタンの頬から手を離す事は無かった。
やがて熱と腫れが治まる。ティタンは頬を指で突く。
「……これでは名誉の傷が価値を失ってしまうな」
タボルは口元を手の甲で隠し、淑やかに微笑んだ。
「しかし今はそのパシャスの奇跡を戦士ディマにも分け与えてやって欲しい」
「ご命令とあらば」
「彼の力が必要になる」
「酷く憔悴していらっしゃるそうですね。……心中、推し量る事もままなりません」
どうと言う事は無い。ティタンは力強く断言した。
「そうでしょうか? この戦いで、誰もが友人や家族を失っています。私にもその辛さは……理解できます」
イヴニングスターの壊滅にはティタンも何も思わない訳ではない。彼等とは共に苦しい局面を切り抜け、肩を抱き互いの勲を称え合った。
だがこのままディマが己の境遇に消沈し、熊か何かのようにうろうろと歩き回っているだけだとしたら、その時こそイヴニングスターは無駄死にだ。
そうはならない。ディマはそんな男ではない。
「彼は何度でも立ち上がる」
「……分かりました。では、このタボルにお任せ下さい」
涙の聖印を握り締めて応えるタボル。ティタンは背を向けて神殿を出ようとする。
アードとミダが待ち受けていた。彼等は胸に拳を打ち付け、背筋を伸ばした。まるで騎士がするような儀礼であった。
「借りが増えた、ティタン殿」
「恐らくは私もアードも生きては戻れぬから、それを返せないだろう」
「だが、ティタン殿の一助となるため勇敢に戦う事を誓う。……決意表明はこの国では美徳らしいな?」
鋭い目付きの二人。戦意に満ちている。
この二人もディマが再び立ち上がる事を疑っていない。
「今まで語り合う機会なんぞ無かったが、どうやらお前達は俺が思っていたよりもずっと饒舌だな」
「そうか?」
「私に言わせればティタン殿は少し喋り過ぎだ」
ミダは無遠慮な言葉を返す。悪気を感じないからどうにも憎めない。息の合った二人の話し方を見ると、どんな関係性なのか見えてくる。
ティタンは苦笑する。
「そうか。確かに、嫌味や皮肉が多いとよく言われる」
「あぁ、そうではない」
それに応えたのはミダでなく、アードだった。
「戦士は語らずとも戦士だ。俺達の国ではそういった考えだった」
「ほぅ……興味深い」
三人は誰からとも無く笑った。ティタンは二人の礼に色気のある礼を返し、神殿を出た。
ミダは屈強な背を見送りながら言う。
良い若者だった。子が居れば、きっとあんな風に育てただろう。
「すまない、アード」
「なんだ」
「お前の子を産んでやりたかったよ」
アードはミダを力任せに抱き締めた。
――
この北の大地、ひいてはクラウグス防衛の一大事に、傭兵ギルドはその独立性を一時的に剥奪され、完全に要塞の指揮下に置かれている。
傭兵達は逃げる者は逃げ、死ぬ者は死んだ。残ったのは名声なり金銭なりを求める、明確な野心を持った手強くしぶとい者達だ。
そしてその中で一番目立つのは矢張りソーズマンである。
「ソーズマン、揉め事か」
今ソーズマンは、支部内に商人らしき者達を集めて激しくやり合っているようだった。
要塞が混乱し始めた時、黒い小箱の存在が明らかになった時から、ソーズマンはこういった事をよくしている。
商人や傭兵に睨みを利かせる。彼の得意分野だ。
「必需品の値を吊り上げられてる。余り勝手な事をされちまうとな、熾烈な牙としても面子が立たん」
「それはまた……要塞の状況が分かっていないらしい」
「感心出来るのは、上手い具合に伝手を使って自分達の名前を隠している事だ。……だがまぁ、そのせいでお上を怒らせちまったようだが」
ソーズマンはティタンから見て決して献身的な男と言う訳ではないが、それでも交渉も妥協も出来ない悪神の軍勢達を前に、己の利益だけを追求したりはしない。
商人達も老獪であろうが、状況と相手が悪い。ソーズマンは妖怪染みて居るし、ギルドに集う傭兵達だって、この商人達を感情任せに袋叩きにしたがっている。
ティタンは嫌悪を顕にした表情で商人達を睨み付けた。彼等は息を呑んで騒がしい口を閉じた。
「だが俺としては丸く収めたい」
「確かに内輪揉めをしている暇は無い」
どうやらソーズマンは商人達の手綱をより強引に取るつもりらしかった。
政庁はこの未曾有の事態にそういった機能を失っているし、ソーズマンは商人達の爪先を踏み付ける事が出来る。
ソーズマンはティタンに向かって言った。
「ティタン、今何が必要とされている? コイツ等に出来る事で」
「……もっと薬が必要だな。戦士達の装備も激しく損傷している。彼等の努力で何とか出来るだろう」
「妥当だな。おいケルビアンノ、そう言う事だ」
ケルビアンノと呼ばれた恰幅の良い商人は、表面上にこやかに応える。
「御代は期待して宜しいのかな」
開き直り、と言うか、自棄になった、と言うか。当然ソーズマンがまともに取り合うわけが無い。
彼が目配せすると、直ぐ傍に居た彼の部下、タリスがナイフを抜き、投擲した。
ナイフはケルビアンノの耳をかすめ、ギルドホールの壁に彫られた獅子の紋章の右目に突き刺さる。
「次はお前の目を狙う。要塞の法はお前を守っちゃくれないぞ」
凄むタリスに商人達も観念したようだった。
――
ソーズマンは何処か状況を楽しんでいるように見えた。少なくとも、ティタンが見た要塞のどの指揮官達よりも余裕たっぷりに構えている。
苦境でこそ人の本性が表れる。なら少なくともソーズマンは大物だった。
「あぁ忙しい。こんなに働くのは久し振りだな」
「テロンを見習え。若返るだろう」
「冗談抜かせ。あんな青野菜みたいな若造に」
ギルドが要塞に接収されてもテロンは忙しそうにしている。目の下に隈を作りつつ、今も羊皮紙の塔と格闘しているのだ。
「聞こえてますよ」
がやがやと騒々しい中での二人の会話をよく聞き取れた物だ。地獄耳である。
ティタンとソーズマンは肩を竦めた。ソーズマンは尚もにやにや笑っている。
「俺は今回の件で大勢の奴等に貸しを作った。お前には悪いがぼろ儲けだ」
「あぁ、そして俺にも」
「出来れば無駄なく取り立てたい。その為にはお前に勝って貰わんとな」
「他人事のように言うんじゃない。熾烈な牙だけ知らぬ振りを決め込む事は出来ないぞ」
「分かってる。……似合わないのを承知で言うなら、マトを叩けばオレヴィの魂の慰めにもなる」
ティタンは何とも言えない顔をした。ソーズマンが認めている通り、彼には全く似合わない台詞だった。
「言ったろう、俺個人としては彼女の死を残念に思っている」
「そう、か。まぁ、俺も同意見だ」
ソーズマンは首を振った。
「止めておくか。まだまだ仕事は残ってる」
「そうだな。アンタの仕事が上手く行く事を願う。それが勝利にも繋がるだろう」
「そちらも上手くやる事だな、勇者殿。……ま、お前がケツを蹴り飛ばして回ればどんな奴でもその気になるだろうよ」
ティタンは軽口に応えず、テロンの方へ向かった。
「テロン、挨拶に来た」
「これはティタン様。パシャスの勇者直々に御声を掛けて下さるとは、私も鼻が高いです」
「なんだかんだで長い付き合いになったな」
「えぇ本当に。言っては何ですが、私は最初ティタン様は……早死にする物と思っていました」
テロンは片目を細めながら笑う。此処暫くで随分と肝を太くしたテロンは、言葉とは裏腹にティタンに対しても遠慮が無い。
彼はティタンに応えながらも羊皮紙から目を離さない。次々と仕事を片付けていく。
「まぁこうなってしまうと納得です。女神パシャスに寵愛される戦士、黒いワーウルフも、オーガの群れも、貴方を殺せる筈が無かった」
「それは結果論だ。……だがまぁ、俺は勝ち、奴等は死んだ。それは確かだ」
「そして牙と鎖は貴方の物に。知っていますか? 貴方に肖って、狼の牙と銀の鎖を身に着ける傭兵が大勢居ます」
「……格好ばかり真似られてもな」
ティタンは牙の首飾りとベルトの鎖に触れた。シンデュラの勇者とアークオーガから奪い取った物だ。
テロンはそれだけではないと、更に笑った。仕事を止め、ティタンに向き直る。
「貴方は確かに状況を変えました。あざとい気がするので一々並べ立てはしませんが、貴方は確かに英雄に相応しい」
「更なる名声を掴む。いつ死んでも良いように」
「へぇ? 少なくとも、今回の戦いは切り抜けて頂きたい」
それは当然だったが、ティタンはテロンの物言いに興味を持った。
「家族がね、王都に居ます。手紙が来ました。アッズワースから逃げろと」
「……当然だな。だが、お前は此処に居るんだな」
「えぇ。なんだかんだ臆病者と言われたく無い。……貴方に勝って貰わねば困ります」
ティタンとテロンは拳を打ち合わせた。
「奴等に勝つ。マトも、シンデュラも、アッズワースを越えられはしない」
「信じますよ。御武運を」
そろそろオーメルキンをつつこう。




