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闘将ディオ 1



 悪目立ちしているな、とティタンは思った。一回の傭兵が高位の神官達を跪かせたりしていればまぁ当然だ。それがティタンの全く望んでいない、パシャスの信徒達の身勝手な行動だったとしても。

 パシャスの信徒達は無駄にティタンの身の上を触れ回ったりはしていないようで、そこが唯一の救いだった。遠巻きにこそこそと実体の伴わない噂話をされるくらいなら、ティタンは気にならなかった。


 「で、どういう関係なんだい?」


 ティタンの剣を研ぎながらミガルは言う。赤い髪が薄暗い工房の中で揺れ、大柄な彼女の肌に浮いた珠の汗が光る。


 「パシャスの信徒達か」

 「目立つからね」

 「哀れな連中だ」

 「どういう意味だ?」


 自らの剣が丁寧に研がれる様を眺めつつティタンは沈黙した。ミガルはまぁ良いさ、と話を変える。

 客の事を、それも傭兵の事を無理に詮索するような奴は長生きできないと知っていた。


 「ティタン、毎度思うがアンタは良い剣士だね」

 「そいつはどうも」

 「コイツ、随分と古い手法の拵えで刀身もかなり使い込まれているが……それほど痛んでいない。大した腕だよ。巧みな剣士は剣を痛めるような使い方はしない。アンタがコイツを振るう様が手に取るように解る。アンタはコイツで受け止めないし、コイツを力任せに叩きつけることも無い。コイツも喜んでるよ」

 「そう煽てなくとも、今の所お前以外に磨ぎを任せる心算は無い」

 「褒め言葉くらい素直に受け取れないのかい」


 水桶から手で水を掬い、ミガルは宝石でも扱うかのように剣を撫ぜる。そして刀身の状態を細かく確認しながら、また研ぐ。


 ミガルは、若い。年相応とはいえない程深い知識と職人としての高い技量を持っているが、それでも熟練工と比べるとやや見劣りする。

 しかしこの鋼と向き合う真摯な態度をティタンは好んでいた。槌の一振り、磨ぎの一手まで疎かにしないミガルの事を高く評価していた。


 他の鍛治師達が雑と言う訳ではない。

 ミガルが病的に丁寧と言う話だ。


 「稼いでるようだね」


 また、話が変わる。ティタンの傭兵働きの事だろう。


 「あぁ。……何せお前に慰霊碑周りを補修してもらわなきゃならないんでな」

 「耳しか取らないらしいじゃないか。……何故?」

 「……奴等の革でマントを作る訳でも、化粧液が欲しい訳でもない。その必要も無いのに敵の屍骸を辱めたくないだけだ」

 「アンタは慰霊碑の為に金を必要としてる。だがその一方で自分の矜持の為に金を得る機会を無駄にしている訳だ」

 「矛盾していると言いたいのか」

 「いや……アンタの線引きは難しいなと思っただけだよ」


 ミガルはティタンの剣を油皿の縄に灯った火に翳す。小さな光源に照らされた刀身は美しくも妖しく光る。


 「仕上がった」


 ミガルは満足げに頷きティタンに剣を差し出した。ミガルの丁寧な仕事を確認したティタンは、こちらも満足げに頷く。


 「毎度思うがお前は良い鍛治師だな」

 「そいつはどうも」


 ミガルのように言うティタンに対し、ティタンのようにミガルは返した。ミガルは微笑んで鼻の頭を掻く。


 「昨日アンタの事を聞かれた。身形の良い兵士だ。ディオ・ユージオ・セリウの配下だと名乗っていた」

 「知っている名だ。二日ほど前に出合った女だが……どんな事を?」

 「たいした事は話してないよ。アンタが頑固者で、傭兵の癖に慰霊碑なんかを気にしてて、そして優れた剣士だと言う事だけ伝えた」


 確かに何も問題ない内容だ。ミガルの様子からティタンにとって害のある様子だったと言う訳でも無いようだ。

 なら、良い。ティタンはミガルに銀貨を渡して剣を鞘に納める。


 「油は自分で引く。感謝する、ミガル」

 「あぁ、またいつでも来いよ。アンタなら歓迎だ。……あぁ、それと気になってたんだが……」


 若干言いよどむ彼女。切り出したのは良い物の、言葉に迷う。そんな様子が伺える。


 「アンタってそんな面だったっけ」

 「生まれた時からな」


 ティタンの脳裏をパシャスの美貌がよぎる。自信満々に口付けてきたあの女神の美しさは忘れようが無い。そしてあの時感じた腹立たしさも。


 「はは、悪い。変な事言っちまったね」


 意図せずその僅かな苛立ちが面に出たのかミガルが謝罪の言葉を述べた。パシャスの言葉を信じるのならば自分は若返っているのだからミガルの指摘は当然の物だったが、いきさつを話す気にはなれないティタンは言葉を濁した曖昧な態度でその謝罪を受け入れ、工房を出る。


 職工街の大通りに踏み出せば太陽はまだ中天にある。昼時の職工街からは人足が遠退き、遠方の屋台から威勢の良い呼び込みの声が聞こえて来ている。

 ティタンは自身の宿に戻るため南に向かって歩き出した。剣の手入れをし、一日身体を休める心算だ。

 如何な戦士も延々戦い続けている訳には行かない。ティタンにだって休息は必要だった。



――



 宿屋では給仕の娘が忙しく走り回っている。小さな宿屋でも飯時となれば傭兵達を相手に忙しくなる。

 ティタンは簡単な食事を注文して部屋に戻る。装備をベッドに放り出して椅子に腰掛け、剣の具合を確かめた。


 窓からの陽光を跳ね返す刀身に見入る。長い間磨ぎ直しながら実戦に用いてきた牡鹿団の戦士の剣だ。無傷とはいかない。

 細かい傷が幾つもあるし、何度も研磨される内に刀身は僅かに短く、細くなってしまっている。


 だがティタンは其処に美しさを感じた。自画自賛かも知れないが、この剣には凄味があると思った。数多の敵を切り捨ててきた本物の戦いの剣だ。

 血と脂に塗れ刃毀れしようともミガルのような丁寧な職人の手に掛かればたちまちその美しさを取り戻す。


 剣は剣士の魂だ。この剣のように、死が訪れるその瞬間まで、折れず、朽ちず、戦い抜きたいものだ。

 ティタンは大真面目にそう考えながら、打粉と油を取り出した。


 暫くの間静かに剣と向き合う。丁寧に鋼を慈しみ、僅かな隙も無いようくまなく打粉を掛け、油を広げていく。


 仕上げに軽く刀身を拭き、新調した鞘に収めた。満足の行く良い一時だった。


 丁度良く、慌しい気配が近付いてくる。給仕の娘が食事を持ってきたらしい。


 「お待たせしました」

 「早いな」

 「ティタンさんは……えぇっと、お得意様ですから」


 娘は小さく微笑んでみせる。ティタンも釣られて小さく笑った。この娘は働き者だが決して愛想が良いとは言えない。普段黙々と仕事に取り組む物静かな少女が似合いもしない冗談を言って見せるのだから、ティタンは意外に思った。


 「今日は外には行かれないんですか?」


 娘は会釈して部屋に入ると小振りな円卓に手際よく皿を並べる。


 「俺だって偶には休むさ」

 「……はい、それが良いと思います。特に最近は……お疲れのようでしたから」

 「問題が多かったからな。だがもう済んだ事だ」

 「問題ですか……。そういえば、あの、その……パシャスの巫女様達に……大丈夫なんですか?」


 ティタンは目を丸くする。一丁前にティタンの心配をしているらしい。或いは宿にとばっちりが来る事をか。


 神職の者がクラウグス人から受ける尊敬は深い。クラウグスと言う国家は古くから神々の加護の元にあった。

 何せクラウグスには敵が多過ぎた。魔物や悪しき精霊、邪神を崇める辺境の蛮族達。それのみならず、肥沃とは呼べない国土と気難しい気候。

 クラウグス人は逆境に強い。それは逆境に打克ちながら生きねばならなかったからだ。クラウグス人は強くなければ生きる事すら難しかった。どのような家庭でも大抵は剣か斧を一振り置いてあって、どんな子供もそれの扱い方を学びながら育つのがクラウグスだった。


 それ故に、緑と水の恵みを齎し、時には傷を癒し病を退散させ、外敵と戦う為の加護を与えてくれる神々に、クラウグス人は深く感謝し、また尊敬した。


 神職の者は神々に仕えその威光を世に知らしめる者達だ。大抵の者は敬虔、謙虚、そして献身の心を持っている。

 正義を信じ慈愛の心を忘れない。無辜の民草が苦しんでいればそれを支援し、外敵との戦いにも率先して参加する。それが彼等の信奉する神の名声に直結し、彼等と彼等の神はより尊敬を受ける。


 ティタンのように巫女達を跪かせた挙句邪険に扱う者など普通は居ないだろう。言語道断と言う奴だ。


 「奴等が関わってこなければ良いだけだ。俺は跪けとも酌をしろとも言った覚えは無い。召使のように傍に控えてあれこれ世話をしろともな」

 「……どうして巫女様達が嫌いなんです?」

 「パシャスが嫌いなのさ」


 娘は唖然とした。偉大なる神々の一柱に対してこうも堂々と「嫌い」と宣言する者が居ようとは。


 神の信徒は先程も述べたように敬虔、謙虚、献身、それに加えて寛容を旨としているが、それでも己が神を冒涜する相手に対し容赦はしない。


 娘はわたわたと慌てだした。


 「そ、そんな事神官様達に聞かれたら」

 「全ての物に理由はある。……先に俺を侮辱したのはパシャスだ。俺だけでなく……俺の愛した女の魂も」

 「えっ……」

 「聞かれなきゃ態々パシャスの悪口を言って回ったりはしない。安心しろ」


 娘は表情を固くして抱え込んだ木のトレーを握り締めた。


 「あ、そ、……そう、ですか……。安心しました」

 「……客のようだな」


 ティタンは扉の方に視線をずらす。こつこつと近付いてくる複数の足音が聞こえる。

 ティタンの部屋は二階の端だ。ここまで歩いてきたのならティタンの部屋に用があるのだろう。


 扉がノックされる。


 「誰だ?」


 聞こえてきた声は女の物だった。


 「ティタンの部屋で間違いないかしら?」

 「……その通りだ」

 「ディオ・ユージオ・セリウ。入っても?」

 「構わない」


 扉が開かれてディオが堂々と踏み込んでくる。二日前と全く同じ、自信と微笑を湛えた凛々しい美貌。栗毛を揺らす彼女は上等なドレスシャツに身を包み、その上から鮮やかな青に染め上げられたマントを纏っている。

 細い顎に手をやって部屋をぐるりと見渡す。椅子に座ったティタンとその傍に佇む娘を見て、うんと一つ頷いた。


 「お邪魔してしまったようで申し訳ない」


 優雅に会釈するディオ。その背後で配下と思しき兵士二人が同様に一礼する。


 ティタンは娘に向かって退出を促した。


 「もう行け」

 「え、あ、…………はい……」


 娘は思わずと言った風情でディオをじろじろと見た後、自分の不躾な行いに気付いたのか慌てて頭を下げて部屋から出た。

 振り返りティタンを見る目が何処か未練がましかった。扉が閉まってからディオはくすりと笑う。


 「可愛い娘ね、貴方に気があるんだわ」

 「趣味の悪い奴だ」

 「あら、そういう事を言ってしまうの」

 「用件は?」


 素気ないティタンの態度にディオは少しばかり怯んだようだった。


 「うーん……言ったでしょう、日を改めて語らいたいと」

 「セリウ辺境伯の名代殿がたかが一傭兵を尋ねてくるには弱い理由だ」

 「……まだ有名になるような事をしたつもりは無いのだけれど」


 クラウグスの南西端、その国土の守りの一端を担うのがセリウ家だ。現当主の名はセルキン・セス・セリウ。その娘がディオ・ユージオ・セリウであり、クラウグス最北端のアッズワースに守りの補強として手勢を率いて現れた。父の名代として。

 自称事情通によればセリウ家は長年小競り合いが続いていた辺境の蛮族相手に融和策を取り関係を改善したという。出来の良い長女をアッズワースに送り込んだのは新たな武功を求めての事だろう。


 国土の防衛の為に貴き者が率先して血を流す。貴族達が国家への献身を示す方法としては最も解り易い。

 新たな敵と流血を求めて態々アッズワースに訪れたと言うのなら、セリウ家は実に能動的で野心的、或いは献身的な貴族だ。そういう覇気に満ちた者がティタンは嫌いではない。


 まぁ、兎にも角にも……


 「“出来る”と聞いている」

 「さて、ね」


 ディオは悠然とした微笑を深くする。ティタンはアッズワースに現れたこの新参者達が、規律正しく戦意旺盛だと聞いている。それに強いと。

 故に出来る、と評した。ディオは特に謙遜しなかった。


 「今から昼食かしら。出直したほうが?」

 「いいや、下々の生活に気を使ってもらわなくて結構だ。当然、アンタが気にしないのならばだが」

 「押し掛けたのは私よ。図々しい事は言えないわ」

 「……貴族様にしちゃ珍しい。……美徳だが、一傭兵に謙っていると部下を失望させる事になるぞ」

 「気遣い無用。私の兵達は礼儀と尊敬の意味を知っている」


 ディオの部下が廊下の隅から椅子を引っ張って来て、ディオは自然な動作でそれに腰掛けた。奉仕される者の自然さだった。ティタンはディオが構わないのであれば、と軽食に手をつける。


 ディオはじっくりとティタンや部屋を検分していた。流石に居心地が悪い物だから、ティタンは早々にディオに問い掛ける。


 「何がそんなに気になる?」

 「貴方と初めて会ったときも思ったけれど……矢張り伝統を感じさせる剣と鎧ね。でも古くはない。……その赤い革鎧の素材は……まさかレッドアイの物かしら?」


 ディオの目はティタンの剣や、ベッドの上に放り出された魔獣の革鎧に向けられていた。


 剣は鍔が無く刀身は五十cm程。それを保護する鞘はマヤと呼ばれる黄土色の香木から削りだされた物で、邪悪や災難を退ける力を与えるとされている。柄には滑り止めの為の溝が彫られ、円が幾重にも連なったようなそれが美しくもある。

 革鎧はレッドアイと呼ばれる魔物の革を使用した上等な物で、急所を重点的に護り全く動きを阻害しない構成だ。

レッドアイは真紅の目と赤銅色の体毛、巨大な角を持った鹿の怪物で、ティタンが嘗て所属していた赤銅の牡鹿戦士団の名前の由来にもなっている。

 その革は生半な刃を通さず、魔法の力に対し僅かだが抵抗力を持っている。鎧の素材として非常に優秀で、且つ軽量だ。しかしレッドアイは強力な魔物でその革を得るのは容易な事ではなく、三百年後のこの世界でもレッドアイの革鎧は超高級品だった。


 「羨ましい。全ての部下達に持たせたいわ」

 「アンタの部下とやらがそれに相応しい力を持っていれば叶うだろうさ」

 「……厳しい言葉ね」

 「戦士はその力量に見合った装いをすべきだ。剣や鎧ばかりが良くても意味は無い」


 挑発的とも言える言葉だったがディオは満足げに頷いた。ティタンは薄いスープに口を付け、その暖かさに大きく息を吐く。


 「アンタが俺に興味を持っているらしいと知り合いから教えてもらった」

 「えぇ、こそこそ嗅ぎ回っていると感じてしまったのなら御免なさい」

 「……これまでこういう事は時々あった。何らかの犯罪への関わりを疑われているか、そうでなければ仕事の話だったよ。もう一度聞くが、アンタの用件は?」

 「……仕事の話よ。ティタン、貴方の戦士としての力を貸してもらいたい」


 ティタンは小振りな鹿肉を切り分ける手を途中で止めてディオに向き直った。


 「今まで色々な人物の下で戦ってきたが……流石に伯爵名代殿が直々に出向いてきたのは初めてだ」

 「我々は今まで自領を……、ひいては祖国たるクラウグスを護る為に戦ってきたわ。戦いの経験なら、流血を歴史の礎としてきたクラウグスでも有数の物と自負している。……しかし我々に喜び勇んで挑みかかって来ると言ったら知性も分別も無い蛮族達が殆どで、正直言えば魔物達との戦いの経験に乏しいの」

 「アッズワースは古来より魔物との戦いの最前線だ。耳を剥ぐのが上手い連中がごろごろしてる」


 明らかに乗り気でないティタンの態度。

 ディオは俄かに身を乗り出した。澄んだ瞳が真直ぐティタンを見詰めている。


 「私が探しているのは仕立て屋ではないわ。当然肉屋でも、剝製職人でもね。耳や毛皮を剥ぐのが上手くてもワーウルフを前に腰が引けているような者は御呼びじゃない。探しているのは本物の戦士よ」


 些か怒気の篭った物言いだった。さぞやこのアッズワースで歯痒い思いをしたらしい。

 無理も無いとティタンは思った。多少話しただけでもその行動力と積極性が伺える人物だ。そういった人間を簡単に怒らせる事の出来る怠惰で不誠実な者が、今のアッズワースには幾らでも居る。


 ティタンの冷ややかな視線に気付いたディオは、こほん、と咳払い。椅子に座りなおして鷹揚に頷く。


 「大口を叩くだけなら誰でも出来ると言う事を私はアッズワースに着任して学んだ。酷かったわよ。……傭兵一人相手に慎重にも、熱心にもなるわ。理解が得られる物と思うけれど?」

 「……まぁ、アンタの言う事には共感できる」

 「ならば私の元に来てくれるわね」


 参ったな、とティタンは言った。ディオの言葉は情熱的過ぎる。


 成人した女性で、胆力もある。こういった交渉ごとの経験も無いでは無いようだが……矢張り良い所育ちのお嬢様だ。思わず苦笑が洩れる。


 「使えない連中を相応の金で雇い、鍋を洗う磨り金のように使い潰して、数字だけ見て満足する。今のアッズワースに居る指揮官ってのはそんな連中ばかりだと傭兵達は知っている」


 ティタンは今のアッズワースの傭兵達を常に酷評する。だが傭兵達だけが悪いのかといわれたら決してそうではない。


 指揮官が傭兵をまともに相手しようとしないのも大きな問題なのだ。使い捨てにされる事を許容できる人間など居ない。ティタンが生き延びた三百年前の大戦では、強大な敵との戦いに誰も彼もが喜んで命を奉げた。異常といえるその状況が起こり得たのは、それがクラウグスと言う国家、そこに住まう人々の存続の為にどうしても必要だったからだ。そして時の王クアンティンがその犠牲を決して無駄にしないという確信があったから。


 今のアッズワースにはそれがない。誰も彼もが己の事で精一杯で、誰かの犠牲に報いよう、応えようと言う気持ちを失ってしまっている。兵士ですら使命を疎かにし怠惰に浸る中、傭兵達が勇を振るう訳が無かった。


「今の傭兵達が戦士の誇りを持っているとは思えないが、奴等にだって多少は同情の余地がある」

 「貴方達の立場から見て……私のような人間を歯痒く思う理由も、確かにあるのでしょう」


 ディオは目を逸らさない。鳶色の瞳はジッとティタンの言葉を待っている。

 高貴な血筋に生まれながらたかが傭兵の言葉を真摯に受け止める稀有な貴族の姿だ。ティタンは正直反応に困っていた。


 「ディオ……アンタ、変な奴だな」

 「評判は聞いているわ。貴方だって周囲からは変わり者と思われているようだけれど?」

 「変わり者、とはまた随分と手加減された表現だ」

 「……そうねティタン、話していても感じるわ。貴方は古い戦士よ」


 ティタンは少しばかりドキリとした。優れた感覚を持つ人物は時折何の脈絡も無く物事の核心を突く。それが良い事かどうかは別として。


 別段ティタンの経緯が知られようと、ティタンはティタンだ。何に恥じ入る事も無い。だが間違いなく周囲は騒がしくなるだろう。それを考えるならば誰にも、何の事情も知られたくなかった。


 ディオの様子がティタンの事情を把握している故の物でないのは解る。ティタンは何も言わず意味深な吐息を漏らすに留める。


 「悪い意味じゃない。私の祖父が教えてくれたわ。昔は貴方のような戦士が沢山居たのよ。勇敢で朴訥。誇りと矜持を心の中に持っていて、常日頃から自らの命を賭す理由に思いを馳せている。時至らば迷い無く戦いに臨み、そして死ぬ」

 「……褒め殺しだな」

 「今のアッズワースに貴方は馴染めないでしょう。……惜しいわね、我がセリウ領に生れ落ちていたならば貴方は何も苦悩することは無かった。祖父や私がさせなかったわ。その皮肉や減らず口も半分くらいになっていたのではないかしら」

 「苦悩?」

 「……御免なさい、知ったような事を言い過ぎた。私は貴方の事を調べたけれど、実際に貴方と触れ合った時間は短い。それなのに何故だか全て解った様な気になってしまって……」

 「…………最近の口説き文句って奴は、俺のような古い戦士には難しいようだ」

 「気分を害したかしら? ……あぁ失敗したわ、私とした事が……、変な事を口走った」


 互いに沈黙する。ティタンにジッと見詰められてディオもその部下も気まずそうにしている。

 ティタンはもう軽食になど構っていなかった。この不思議な感性をもって語りかけてくる女の真直ぐな瞳と相対し、何故だかそれに心惹かれていた。


 「(……殺し文句だな)」


 ティタンがもし、セリウ領内に誕生していたならば。

 自分達は必ずやその力を見出し、誇りと名誉、充分な戦いと報酬を与え、その戦士としての本分を満足させただろうと……。

 ディオは自信満々に言ってのけたのだ。良く知りもしない筈のティタンに対して。


 心がざわつく。そしてティタンは不思議とそれが嫌ではなかった。


 「……なぁアンタ、死者に敬意を払えるか?」



――



 「貴方がこの慰霊碑を気にするのは何故かしら。自分と同じ名前が載っているから、何て言わないでしょう?」


 霊地の慰霊碑。七つそれぞれに野花を奉げるティタンの背中に、ディオは切なそうに語りかける。


 訪れる者も無く朽ちて行く、戦士達の戦いと犠牲の証明。それを目の当りにし、全く無関係の筈の彼女も物悲しい何かを感じたらしい。


 ディオがティタンに向ける目はとっくの昔に一傭兵を見る物ではなくなっていったが、慰霊碑に対し不十分ながらも丁寧な作法で礼をとるティタンを見て、よりその思いを強くしたようだ。

 ティタンがこの慰霊碑を補修する為に多額のクワンを使っている事は既に調べてある。売名にしてはその振る舞いはストイックに過ぎた。


 「今の連中よりも、こいつらの方によっぽど共感を覚える」

 「会った事も無いでしょうに」


 あるさ、とティタンは言い返してやりたかった。会うどころではない。共に戦い、互いの背を守り合った。


 正に“過去の栄光”だった。彼等と共に戦ったのは。


 「ディオ、アンタは古臭い戦士の宣誓を未だに受け継ぐ女だ。これは俺の全く個人的な願いだが、……アンタがこの慰霊碑に敬意を払える女であって欲しいね」


 ディオは無言で最も大きな慰霊碑の前に立つ。昼の木漏れ日の中、右膝を落とし、心臓に右手を当て、目を閉じる。


 「……ありがとよ」

 「竜狩りの勇者達に、敬意を払う」

 「もう調べてあるんだろうが、俺はこの霊地を補修したい。だがアッズワースの指揮官達は、周囲の石畳や壁なら兎も角、慰霊碑本体をふらりと現れた余所者に触らせたくないようでな」

 「でしょうね」

 「アンタならばこの問題を解消出来るんじゃないか?」


 死者への祈りを終えて立ち上がったディオは腕組みする。


 「可能よ。……でも、貴方のことを異常に気に掛けているパシャスの信徒達の働き掛けがあれば、その程度の問題はもっと早くに解決出来ていた筈よ」

 「……奴等に借りを作りたくない」

 「それは何故かしら。アッズワースでパシャス教の影響力は非常に強いわ。慈愛に満ち誇り高く、その行いは人々に対しとても献身的よ。普通ならば嫌う理由は無いと思うけれど」


 沈黙するティタンにディオは畳み掛けるように言う。


 「どう言った関係なの? 貴方は確かに彼女達を嫌っているようだけれど、彼女達はどれ程邪険にされても常に貴方を気に掛けている。彼女達はパシャスの神像にそうするように貴方に跪く」

 「……奴等は俺が最も敬愛する戦士の魂を侮辱した。薄っぺらい面の皮で上辺だけを取り繕い、それでこの俺を好きなように出来ると思い込んでいた」

 「……それはどういう……」

 「一々詳しく説明する気にはなれん。……だが奴等の俺に対する鬱陶しい献身は……せめてその事に対する罪悪感から出た行為だと……思いたいもんだな」


 静かな怒気を纏ったティタンにディオは追求の手を止めた。少なくともティタンに落ち度があっての事ではないのだろうと判断したのだ。

 ティタンの言う事を全面的に信用するならば、だが。少なくともこの場はそれで良かった。


 「知れば知るほどに貴方って人は……」

 「アンタがもしパシャス教とのいざこざを恐れるなら、ここまでの話は無かった事にしよう」

 「冗談。敵意を向けた相手にすら尊敬されるティタンと言う人物に、尚の事興味と好意が沸いて来たわ」


 互いに向き直る。話は決まった。


 青いマントをばさりと払い、ディオは威風堂々背筋を伸ばしてティタンと相対する


 ティタンはフードを取り払い、握り拳を胸に打ちつけた


 「この出会いに感謝する」

 「私の誘いに応えてくれて感謝するわ」


 互いに差し出す拳を打ち合わせ、胸に、額に、そしてまた互いに差し出す


 「ヴァン・カロッサ。戦士の宣誓に掛けて、貴方に誇り高き戦いと強敵を与えるわ。相応しき報いもね」

 「ヴァン・カロッサ。戦士の宣誓に掛けて、アンタを失望させない。アンタと共に勝利を得よう」


 握り拳が再び触れ合う。どちらからともなく、笑った。


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