アッズワースは甦る4
シャーロスとの再会の翌日、小鳩亭に届けられた羊皮紙にティタンは背を震わせた。差出人は傭兵ギルドアッズワース支部。内容は、政庁への出頭を命じる物だった。
司令官ペルギスの印が押された正式な書簡らしい。恐らくはギルドを経由する事で、ペルギスはその面子を立てようとしたのだ。司令官に相応しい配慮と言える。
人魔の領域を隔てる大要塞、その全てを統括する男からの呼び出し。心当たりはそう多くない。ティタンはすぐさまロールフとアーマンズを呼び付け、身形を整えさせた。
「シェフ、他の奴も準備は出来てる。いつでも行けるぜ」
上出来だ。ティタンは二人を連れて政庁へと向かった。
相変わらず慌しい気配の中、一人の騎士が門の横に直立不動の状態で待ち構えている。
騎士はティタンが何か言う前に右手を伸ばして天に掲げる。敬礼だった。
「傭兵隊、ヴァン・オウル・アッズワースの面々とお見受けする」
「その通りだ」
「……若いな。だが、その勇猛さは聞いている。お前達を案内出来て光栄だ」
騎士はティタン達を政庁内へと引き入れ、先導し始めた。動作はきびきびとしており、装いにも些かの乱れも無い。
剣呑な空気の満ちる政庁内の兵士達と比べても尚気配が鋭い。戦場に居るかのような眼光だ。流石に司令官ペルギスの配下ともなると薫陶が行き届いているらしい。
「此処だ」
騎士が案内したのは政庁最奥部、正に司令官ペルギスの執務室だった。常時四名手練の強者が警備に付き目を光らせている。ティタンも政庁内へと招かれた事はあるが、ここまで訪れた事は無い。
ロールフも、アーマンズも、緊張に唾を呑み込んだ。傭兵がこのような場所まで立ち入るなど通常では在り得ない事だった。
「剣を預かりたい」
騎士は手を差し出して言う。ぶっきらぼうではあったが、ティタン達への敬意が感じられる物言いだ。
命令形で無いだけ驚きだ。ティタンは後ろの二人に目配せし、牡鹿の剣と三本の予備、そして二本のナイフを騎士へと預けた。
「分かっているとは思うが」
「ん」
「剣は剣士の魂だ。粗雑に扱うな」
「心得ている」
ロールフとアーマンズも得物を周囲の兵士へと預けた。そうして漸く、三人はペルギスの執務室への入室が許される。
それなりの広さがあった。黒檀の執務卓、品の良い調度品、見事な角を持つ鹿の剥製。アッズワース総司令の部屋に相応しい設えである。
そこに待ち構えていたのは当然のような顔で執務卓に座る灰色の仮面のシャーロス。そして二名のレンジャーを連れたケイロン。
そしてシャーロスの横に寄り添うようにして、白髪の男。こけた頬に鋭い目がギラリと光る神経質そうな面付きだ。背後に部下らしき男達を従え、ティタンに怜悧な視線を向けている。
一度だけ遠目に見た事がある。この老人こそペルギスだ。アッズワースに着任したのは一年前、ティタンが目覚める僅か四ヶ月前らしく、そう長くも無い在任期間にも関わらずアッズワース要塞を非常に上手く統率している。
思えば不幸な司令官だ。力を蓄える前にティタンが討ち果たしたとは言え黒きワーウルフと、それに続き今はオーガの大軍勢。苦労を背負い込む為に要塞司令に任命されたような物だ。
雰囲気が何処と無く三百年前の要塞司令トリニトと似ている。アッズワース要塞を治める者として、似たような苦労をしているのだろうなと思った。
「ご苦労。送った命令書は正式な物だが、この場は公の物ではないゆえ、直答を許す」
ペルギスは神経質な外見に似合った、少し高めの声で言った。
話が早い男のようだ。ティタンは遠慮なくそれに甘える事にした。
「まず、知っているようだが此方の御方はシャーロス・ユージオ・アルングリム様だ。やんごとなき御方であるゆえ粗相無きように。私はペルギス・ユージオ・ゼードラ。王陛下よりこのアッズワースを任されている」
「俺はティタン。後ろの……生意気そうなのがロールフ、面倒臭そうなのがアーマンズだ。ヴァン・オウル・アッズワースを名乗りこのアッズワースで傭兵働きをしている」
ロールフとアーマンズは揃って何とも言えない顔をした。もう少しまともな紹介の仕方は無かったのか。
「働きは聞いている。褒め置こう」
「受け取ろう。……それで、用件を聞きたい」
形式的な儀礼……と言うには少しばかり不遜に過ぎたが、兎に角挨拶もそこそこにティタンは本題に入る事を要求した。この場にケイロンが居る事を考えれば内容は大体予想出来るが。
ペルギスは頷き、手に持っていた羊皮紙を広げる。
「どうやらお前はこのアッズワースの防衛に意欲的なようだな。傭兵ながら見上げた志だ」
ケイロンとの個人的な友誼、そしてパシャス教を通しての働き掛け。凡その事を把握しているらしいペルギスの言葉は少し皮肉っぽい。
「薄汚い魔物どもが大嫌いでね」
「三百年前からその調子か?」
「主神レイヒノムと闇の神アーヴァルが争い始めた時からだ。クラウグス人はずっとそうだった筈だぜ」
値踏みするような視線、探りを入れるような言葉。ペルギスは羊皮紙とティタンの間で視線を行ったり来たりさせる。
ティタンも捻くれた言葉を返す。
「話を続けよう。お前も知る、ケイロン率いるノースウォッチレンジャーズが三箇所に分かれて集結する敵の大軍を捕捉した。
これの二箇所には通常と異なる黒い肌のオーガ……お前の言うアークオーガが確認されており、そしてつい昨日、残りの一箇所でも同様のオーガが発見された」
三つの大群に、三体のアークオーガ。アッズワース要塞はこれを認識し、対策を練る事を決めたようだ。
パシャス教の手を借りた甲斐があったと言う物だ。シャーロスがこの場に居る事も考えれば、彼も無関係では無いのだろう。
何にせよ、これで先手を取れる。ティタンは自然と笑っていた。
「しかし……奴等は何とも言えない動きを見せている」
「具体的には?」
「どうやらオーガの軍勢同士で小競り合いが起きているようだ。奴等はそもそも魔物の癖に仲間意識が強くない。有り得ぬ事ではないのだが……」
「これまで周到に戦士達と渡り合ってきたアークオーガの軍勢が今更仲間割れするのは妙だ」
これまで黙っていたシャーロスが唐突に口を開く。
「アークオーガ同士での戦果争いでは無いかと私は考えている。三体のオーガはそれぞれを牽制しあっているのだ」
「ほぉ……」
「女神パシャス、或いはその巫女達に協力を仰げば詳細が知れよう。……おっと、ペルギス、口を挟んで済まなかった」
シャーロスの言葉にティタンは意表を突かれた。その発想は無かった。
これまでティタンの見てきたオーガ達は無秩序な生き物だった。食欲と凶暴性ばかりが目立つ危険な怪物で、正に獣その物だ。
だがこれに秩序を与え、軍勢として統率するアークオーガと言う存在が現れた。それも三体。
未だ嘗て無いオーガの軍勢ならば、未だ嘗て無い事情が生まれても可笑しくない。
同等の力と知能を持った近しい存在が三体。競争意識を持つのが自然だ。それが巨人の神、縛られし者カヴァーラの僕ならば尚の事である。
「面白い考えだ。成程、縛られし者カヴァーラの名に懸けて、その力を競うオーガか……。理性無き怪物よりもずっと好ましい」
「仲間割れをするような愚かな者達が?」
「さてな。そもそも仲間ではないのかも知れん」
ティタンは朗々と古の伝承を語った。
「カヴァーラは闇の神々の中でも特に混沌を愛すると聞く。主神レイヒノムの齎す秩序を嫌い闇に堕ち、そして堕ちた先では邪霊の軍勢を統率するリメドル、アガ、カルシャの三邪霊と激しく争いその力を封じられた。
カヴァーラは自らに従属した巨人族にすら慈悲を与えなかった。彼等を混乱と恐怖に陥れて相争わせ、その激しき戦いを勝ち抜いた極少数のみを己の軍勢に加えた。
その結果巨人族は滅び、僅かな生き残りは力と知能を失いオーガとなった……と言う説もある。……巨人の神、混沌の鎖、“縛られし者”カヴァーラの僕であれば、寧ろ互いを喰らい合う方が自然だろう」
「……ふむ、博識だな」
「敵に興味がある。それが強ければ尚更」
ペルギスは目を細め、顎を撫で擦る。ティタンの語る伝承に興味を持ったようだが話し合うべき事はそれではない。
「実情がどうであれ、我等に取っては好機。ここはアッズワースで、我等はクラウグス人だ。敵は叩くに限る。叩ける時に、叩けるだけ」
事も無げに言うペルギス。ティタンは挑むような視線を向けた。
「北に攻め入り奴等を攻撃する、と受け取って良いのか?」
「然様。お前を呼んだのは参加を要請するためだ。本来ならば……難しい判断だが」
ペルギスの何とも言えない視線。彼は要塞司令だ。傭兵の実情など把握していて当然だろう。
だが同時にティタンと言う名に期待しているのも伝わってくる。僅かな間にヴァン・オウル・アッズワースが上げた戦果。その愚かとも言うべき勇猛振り。
それでいて小規模の傭兵隊と言う事実。それはペルギスを驚かせたが、同時に失っても何ら痛手の無い存在と言う事だ。
「様々な者達がお前の隊を推薦している。それは大いに考慮すべきだと考えた」
進み出ながら話を続けるペルギスの背後で、シャーロスが仮面の端に親指を掛け、くい、と持ち上げる。
フードの中、仮面から覗いたキラキラ輝く瞳がパチリと一度閉じられた。悪戯っぽく笑うシャーロス。どうやら彼も一枚噛んでいるらしい
ティタンは望む所だと胸を張った。昨日あれだけの事をクラウグスで最も尊き男に言ったのだ。これくらいの要求は寧ろ当然であるし、苦戦と強敵こそがティタンの生きる目的でもある。
「光栄だ、司令官ペルギス。如何なる敵にも怯まぬ事を名に懸けて誓う」
「受けるのだな、傭兵」
「報復の時が来た。奴等を殺し尽くし、勝利の雄叫びを上げよう」
「その勇ましさ、口ばかりで無い事を証明してもらうぞ」
ティタンは首だけで背後を振り返る。
「お前らも何か言ってやれ」
「今、戦いで証明しろと言われたばかりだろ」
「その通りにしてやるさ」
ロールフは素気ない。アーマンズは斜に構えてそっぽを向いている。ティタンは肩を竦めた。
物怖じした様子は無いし、来る激戦を受け入れている。胆力が練られていた。
「跪け」
ペルギスの厳かな一言。ティタンは右膝を突き、握り拳を心臓に当てて敬意を示す。ロールフとアーマンズがそれに習う。
「改めて命ずる。ヴァン・オウル・アッズワースは北への反攻軍に参加せよ」
「承った。激戦を期待する」
「……色々な意味で、肝の据わった男だ。お前の望むようにしてやるゆえ覚悟しておけ。……もう立ってよい」
羊皮紙を丸めて懐に入れると、ペルギスは立つように指示した。
ティタンが話しは終わりか、と聞くとシャーロスが待ったを掛ける。
彼はペルギスを下がらせると、執務卓を指で叩いた。とん、とん、と軽い音が二度響く。
「シュラム、前へ」
ペルギスの背後に控える者達の中から一人、進み出てくる。茶色のフードを被った地味で気配の薄い男だ。
襷掛けにした革ベルトから聖印が提げられていた。円の中に逆三角形が描かれた簡素な印。しかしその簡素な印が、クラウグスでは大きな意味を持つ。
主神レイヒノムの聖印だ。しかもこの男が提げる黄金の聖印は、一般の聖職者が持つ物とは明らかに違う。
「会えて光栄だ、戦士ティタン」
太い声だった。シュラムと呼ばれたレイヒノムの信徒は茶色のフードを脱ぎ、精悍な顔を顕にする。
太い眉が目立つ。顎の右側に大きな傷痕があり、唇にまで達している。
金髪の若い男だ。挑戦的な光を宿した青い瞳がティタンを真直ぐ睨みつけてくる。
「ほぉ……」
ティタンは感嘆の息を漏らす。シュラムは神職の礼装を纏っていたが、少し大きめのズボンの上からでも腿が太い事が分かる。恐らくは脹脛も。
戦士として如何な技を繰り出すにしてもそれを支えるのは足腰だ。シュラムの下半身は入念に鍛え込まれていた。
「彼はシュラム。そなたと競うに相応しい男だ」
シャーロスは言った。ティタンは首を傾げる。
「競う? アークオーガ達のように?」
「彼は今代の主神レイヒノムの勇者だ。剣、槍、斧の名手であり、レイヒノムから雷の奇跡を与えられている。……どうだティタン、奮い立つであろう」
この若者が? ティタンは改めてシュラムを見る。
「恐れ多くもシャーロス様より紹介に預かったが、俺の名はシュラム・カロン。ティタン殿の話はよく聞いている。共に戦い、或いは強敵の首級を競う時を心待ちにしていた」
「名誉ある男か」
「そう自負している」
「……手練と見た」
ティタンはシュラムと間近で、真正面から睨み合った。彼の気配は極めて静謐だ。静かな湖の水面のように。
しかし何か期待させてくれる雰囲気とその若さにはそぐわない貫禄を持っている。ティタンは頷いた。
「一傭兵にレイヒノムの勇者が態々挨拶してくれるとは光栄だな」
「これはまた……。まぁ、ティタン殿の事情には考慮しよう。願わくば、勝利の栄光と名誉ある死を分かち合いたい物だ」
「……心地よい言葉だ。俺は嬉しいぜ」
疑問符を浮かべるシュラムにティタンは微笑みかけた。
「アッズワースは力を取り戻しつつある。お前もその一人のようだ」
シュラムは何も言わずにやりと笑う。
シャーロスが満足気に頷き、締め括った。
「ティタン、そなた等の戦い、私が見届けよう。……嘗ての様に」
――
「シャーロスってのは何者だ? 何故態々アンタとシュラムを?」
「余り詮索しない方が良い。彼にその気があるならいずれ誰もが知る所になる」
「また隠し事か。好きだな、アンタも」
「俺に嫌味を言っている暇があるなら隊の連中を集めろ。ギルドだ」
ティタンはヴァン・オウル・アッズワースをギルドに集めた。ペルギスは早速ギルドに人を遣っていたようで、正式な契約書が発行されていた。
テロンが待ち構えていたように受付に現れる。丁寧に整形され、黒く染められた契約書を握る彼の手は、妙に汗ばんでいた。
「ま、まさかね、要塞司令直々にこういった物が発行されるとは思っていませんでした」
「どうやら俺達をある程度評価してくれているようだな」
「前代未聞って奴なんですけどね。貴方に取ってはそう特別な事でも無いようだ」
「写しは預かる。その如何にも堅苦しいのはお前が持っていてくれ」
任されました、と頷くテロン。細かい手続き、記入を終えて振り返れば、ギルドホールの隅の椅子に隊員達が勢揃いしている。
ティタンは彼等の前に立つ。まず始めに一言。
「良い面構えだ。命知らずども」
椅子に座っていた者、壁に背を預けていた者、一斉に右足を振り上げ、床に叩き付ける。
どん、と言う十六の音が重なりギルドを揺らした。周囲の傭兵達の視線が注がれる。
「アッズワースは漸く重い腰を上げた。北の同胞達が時間を稼いでいる間に充分な準備を整えたようだ。
二日後、北部への進軍が始まるだろう。其処から先はどうなるかもう誰にも分からん。ただ、今までの戦いすら生温く感じるような苦境が待っている」
ティタンはにたぁ、と笑った。
「俺達の命も此処までだ。生きて帰れるなんて馬鹿な望みは持つな」
隊員達がもう一度右足を振り上げ、床に叩き付ける。
ロールフは歯を食い縛り、拳を握り締めて震えていた。武者震いだ。
「報酬は約束されているぞ! 勝利を掴めば、更なる富と名声を得られるだろう! どうだ、嬉しいか!」
『Woo!!』
煽り立てるティタンに傭兵達は意気揚々と答える。心の底から嬉しそうに醜悪な笑みを浮かべ、拳を高く突き上げる。
「恐れる者はここで去れ! 必要なのは真の戦士のみ! お前は戦士か?!」
「Woo!!」
「お前は?!」
「Woo!!」
「お前はどうだ?!」
「Woo!!」
「ロォールフッ!」
「手に入れるぞ、黄金と名声をッ!!」
『Woooo!!』
彼等の大音声に窓際に居た同業者が顔を顰める。
またやってやがる。忌々しげな言葉にティタンはぐるりと首を回し、その同業者を睨み付けた後鼻で笑った。
怯んで顔を逸らした同業者。取るに足らない相手からの、論ずるに値しない言葉だった。
「万全の準備を整えろ。神々に供物を捧げ、英霊達に祈れ。酒、女、博打、大いに溺れるが良い。……そしてその後は、俺が死に場所を決めてやる」
もう後は言う事は無い。ヴァン・オウル・アッズワースの傭兵達はティタンが締め括ると一斉に立ち上がり、歓楽街へ繰り出す為に歩き始める。
ロールフを呼び止めて皮袋を投げ渡す。中には数枚の金貨。流石のロールフもそれを見てぎょっとするが、ティタンがギルドの出入り口を顎でしゃくると崩れた敬礼を返してそのまま歩いて行った。
「シェフ、約束する。この馬鹿どもを精々楽しませてやるさ」
彼等はこれから馬鹿のように騒ぎ、見境なく酒を食らうだろう。ロールフは上手くやる筈だ。
ティタンは満足気に頷くと 最後に残った一人、オーメルキンに向き直った。
「お前もロールフに付いて行け。派手に遊びまわってこい」
「良いよそんなの……」
「肉体の悦びも知らんまま死ぬのは勿体無いぞ。ロールフに案内させれば男でも女でも適当なのを見繕ってくれるだろう」
「良いって言ってるだろ、馬鹿!」
「……ふん、なら良い。戦いに備え心を研ぎ澄ませろ。ここがアッズワースの正念場だ。歴史に残る戦いになるぞ」
オーメルキンはティタンをじっと見つめている。その目が段々と細くなり、覚悟を決めたように据わる。
「ティタン!」
「叫ばなくても聞こえてる」
オーメルキンはぶる、と震えて、胸に拳を打ち付けた。
「あたしも……あたしだって、ヴァン・オウル・アッズワース! その名に懸けて!」
生意気を抜かしやがる。ティタンはオーメルキンの頭を小突く。
――
二日後、ヴァン・オウル・アッズワースを含め多くの戦士達が要塞を発った。
実の所アッズワースの戦力に対しての出撃命令は既に下っていた。彼等はディマニード・バシャー率いるイヴニングスターを始めとする精鋭達が時間を稼ぐ内に万全の準備を整え、戦いの時を待っていた。
戦士達は野を駆け丘を越え激戦区であるオーガ止めに早々と辿り着く。そこで彼等を出迎えたのは敵の血に塗れたディマニードであった。
「司令官! この時を待ち望んでおりました!」
彼等は即座に軍議を行う。と言ってもペルギスは最前線との連絡を密にしており、行われたのは最終確認のような物だ。
作戦は然程複雑ではない。戦力を二つに分け、片方が敵をオーガ止めまで誘引し、片方が隙を突いてアークオーガを強襲する。
敵は北の監視塔付近、其処から北西に進んだ丘陵地帯、北東に進んだ大森林に程近い平野部にそれぞれ集結しており、ある程度の距離がある。
これの内監視塔の敵を誘引し、残りの敵がそれに反応して動くようであれば強襲部隊は北東の軍勢一旦やり過ごした後で背後からを叩く。動かないようであれば誘引した監視塔の軍勢を挟撃する。
御世辞にも確実性の高い作戦とは言えないが、そもそも行動の読めない相手だ。どれ程の知恵者がどれ程の時間を掛けようとも完璧な作戦にはならないだろう。
理想は監視塔の敵を誘引した後、残りの敵が全く動かない事だ。叶うならば、誘引した敵を挟撃によって撃破した後も。欲を言えば更に相争っていてくれたらこれ以上の事は無い。
しかしそう都合よく事が進むなど誰も期待していなかった。誘引を開始した時点で敵が足並みを揃える可能性。強襲によってアークオーガを打倒したとしても、残党が他のオーガ達と合流する可能性。悪い事は幾らでも思い付く。
だが何が起ころうとアッズワースは大戦力を放ったのだ。戦果を得ずして帰る事は無い。不測の事態に対する備えは、ペルギスの頭の中にある筈だった。
既に日は落ちた。各軍の指揮官達が軍議を行っている間、ヴァン・オウル・アッズワースの陣を訪れたアバカーンが鼻息荒く語る。
「ティタン様、ご存知ですか、あのレイヒノムの信徒達の驕慢な振る舞いを」
ティタンは焚火の前に座りながら鬱陶しそうにアバカーンの相手をする。このパシャスの巫女の憤りの原因は、先日顔を合わせたレイヒノムの勇者シュラムと、その部下の信徒達であるらしい。
「あの者どもアッズワースの事など何も知らない癖に……。主神の威を借る恥知らずな連中で御座います。挙句ティタン様や我等の事を、や、や、野蛮人等と」
「シュラムがそう言ったのか?」
「あの小生意気な勇者とは顔も合わせておりません」
「なら捨て置け。取るに足らん」
アバカーンは唸る。こんな落ち着きのない女でも女神パシャスの巫女だ。アバカーンの、ひいてはパシャス教の怒りを恐れて兵士達は焚火の周辺を避けて通る。
王都ヴァンフェンに本殿を置くレイヒノム教の信徒達から見ればアッズワース等は確かに田舎も田舎だ。クラウグスの中でも戦いに明け暮れ、文化や芸術などが育つ余地が少ない。
野蛮、と言いたくなる気持ちも分かる。だがそれも必要だからそうしているだけだ。クラウグス全ての臣民の為に、アッズワースは魔物達と戦っている。
ティタンも思う所が無い訳ではないが、意識して殊更冷たい声を出す。
「そもそも俺には関係のない諍いだと思わないか」
「そのように無情なお言葉を……」
ティタンの冷たい言葉にアバカーンは目に見えて萎む。そのすぐ傍で沈黙を保つ小柄な巫女、ファロに向けてティタンは言った。
「この喧しいのをどうにかしろ。シュラムの所に殴り込みを掛ける前に」
「……どうかお許しを」
ファロは小さく、しかしハッキリした声で応える。
「私も……アバカーンと同じ気持ちです」
「……仕方の無い連中だな、全く」
ティタンは肩を竦めた。天幕の隙間から話題の人物、シュラムが取り巻きを引き連れてこっちに向かって来るのが見えていた。
「お前等、騒ぐなよ」
釘を刺すティタン。アバカーンは喜びも怒りも隠そうとしない女だ。場合によっては更なる諍いの種になる。
ファロがこくりと頷いて、アバカーンの背中を張り飛ばした。
「うぐっ」
「お言葉通りに……致します。アバカーンも」
「……は、ティタン様のお望みとあれば」
焚火の傍まで近付いて来たシュラムは手に酒筒を提げていた。彼はそれを目の高さまで上げると、親しげにティタンに声を掛けて来る。
「ティタン殿、遅くに済まない。話がある」
「歓迎する」
シュラムはティタンの横に腰掛けた。焚火に照らされた傷面には何の感情も浮かんでいない。
二人の背後ではパシャスの巫女二人とレイヒノムの信徒達が睨み合っている。レイヒノムの信徒、勇者シュラムの従僕達は六人も居て、単純に巫女達の三倍だが、アバカーンもファロも全く怯んでいない。
まず口火を切ったのはシュラムだった。
「俺の部下がティタン殿達を侮辱したと聞いた。謝罪したい」
「新鮮味を感じている。今までそう感じて居た者も居なくは無いだろうが、口に出して“野蛮人”と罵る者が居るとは」
「恥じている。この通りだ。……勇者を侮辱した代償にはならないが、酒を受け取って貰いたい」
神職の者が差し出す酒は、常に特別な意味を持つ。クラウグスは酒に関して様々なしきたりを持つ国だ。
特に有名なのは、「騎士の位に在る者は神職の者からの杯を拒んではならない」と言う物だ。信仰と摂理の護り手が、それを齎す者からの酒を拒むなど、と言う理屈だ。
主神レイヒノム、冥界の神ウルルスン、芸術と宴の神アルネロイは兄弟神であり、酒精の擁護者であるアルネロイの影響からかこの三柱の神は特に酒に関して煩い。その信徒達も言わずもがな。
シュラムの酒は随分と上等な物のようだ。誠心が見えていた。
「その酒は、戦いの後に受けよう」
「……許しては貰えないか」
「そういう意味じゃない。……分かるだろう。俺も、お前も、強敵との戦いを前に心を研ぎ澄ませるべき時だ。……それをこの馬鹿どもは」
シュラムは目を閉じ、鼻から大きく息を吸い込んだ。
「同感だ」
二人の会話など知らず睨み合いを続ける背後の面々。シュラムは心底恥じ入るように言う。
「シロン! これ以上パシャスや勇者ティタンを侮辱するなら、分かっているだろうな!」
シュラムの一喝にアバカーンやファロと睨み合っていたレイヒノムの信徒の一人が慌てて跪いた。
線の細い青年だ。彼の主シュラムの鍛え込まれた肉体と違い、戦場に出るのに相応しいとは言えない。
態々名指しで怒鳴り付けると言う事はこのシロンと言う青年がティタンを罵った張本人なのだろう。アバカーンが怒り狂った猫のように威嚇しているのもそれが理由だ。
「シュラム、雑音が多過ぎる。この戦いでも多くの者が死に、相応しい名誉を手に入れるだろう。寿ぎ、その時を待つべきだ。血に塗れる瞬間を、静かに、厳かに。……酒はその後だ」
シュラムは小さく笑っていた。
「……ティタン殿の言う事は尤もだ。ならば是非ともこの戦いでも生き残ってもらい、神の酒を分かち合おう。勇者の墓に酒を供えるのは、名誉ではあるが、矢張り寂しい」
「抜かせ。自分の心配をする事だ」
ティタンは焚火の炎を見詰めたままシロンの名を呼ぶ。
「シロンと言ったか」
「……は」
存外素直に返事をする青年。
「お前からの謝罪なんぞ要らん。勇者シュラムの格とはそれ程の物だ。……だが覚えて置くが良い。
お前の言う、俺の様な野蛮人達が、多くの物言わぬ戦士達が、この北の大地を守り抜く為に血を流して来たんだ。アバカーンやファロとてそうだ。
……もし俺の言う事が理解できなければその時はシュラムの沙汰を待つまでもない。俺がお前の取るに足らない人生にケリを着けてやる」
シロンはぶわ、と汗を噴出し、深く深く頭を下げた。
シュラムは凍えるような声で言った。
「この者には、相応の報いを与えておく」
「好きにしろ。戦いを前に、どうでも良い事だ」
気にすべき事は他に幾らでもある。
戦い。戦いに次ぐ戦いだ。




