アッズワースは甦る1
アッズワース北の平原は惨い有様になっている。遮二無二攻めて来るオーガ達に対しアッズワース要塞の戦力は強固な防衛戦を築いた。
多くの職人と工兵を動員して五つの防御陣地を拵え、平原には切り出した石を積んで不恰好ではある物の長々と続く防壁を建てた。
多くの弓手達が其処に配置され、オーガを相手に熾烈な防衛戦を行っている。平原は、無数の死体で埋め尽くされた。
「ヴァン! オォォーウル! アッズワァァース!」
『Wooooo!』
アッズワースの戦士隊も其処に居た。最前線の中の最前線に。
大陸各地から集った大力勇猛な戦士達。軍の精鋭。傭兵達の中でも数少ない命知らずな手練。これらの中に混じって尚、アッズワースの戦士隊は頭一つ抜けた戦果を上げた。
その原動力は矢張り、戦士ティタンである。
「血を浴びろ! 血を流せ! 己の力を証明しろ!」
悪鬼の如き形相で怒鳴りたてるティタン。彼の隣ではロールフが拳を握り締めている。
震えていた。ティタンはロールフの背を張り飛ばした。
「震えているのか?」
「あぁ! 武者震いだ!」
防壁の前には七列の深い溝が横向きに掘られている。オーガ達の足を鈍らせ、少しでも突撃の勢いを殺ごうと言う狙いだ。
オーガは屈強で、邪悪だった。鋼の肉体に留めようのない凶暴性。漲る人間への悪意。この恐ろしい魔物は何かに取り憑かれたように襲い掛かってくる。
弓隊は足の鈍ったオーガ達を散々に叩いたが、それでも二十匹前後のオーガが七列の溝を踏破しようとしていた。
「突撃! 突撃!」
防壁の上から指揮官の号令が下る。オーガ達が溝から這い上がろうとする瞬間こそ好機だと当然理解している。
号令を聞くやいなやアッズワースの戦士隊は走り出した。一人たりとて遅れる者は居ない。放たれた矢の如く、餓えた獣の如く、彼等は己の身の丈を優に越す怪物達に襲い掛かる。
「Woo Van!」
這い上がろうとした一匹の大口に牡鹿の剣を突き込んで、ティタンは勢いそのまま溝の中に縺れ込んだ。
後に続く者達は蒼褪める暇も無い。複数人が一致団結して敵に狙いを定め、得物を振り上げて体当たりだ。シェフが溝の中に飛び込んだのなら彼等も飛び込むしかなかった。
その様は、オーガを相手にしてこう表現するのも皮肉だが、雪崩に似ている。ぐちゃりと一塊になって敵に突っ込み、その勢いのままに溝の中に落ちていく。僅かでも躊躇えばオーガに踏み潰されるのみだ。
溝の中は吐き気を催す悪臭に満ちていた。魔物の死体、削げ落ちたらしい肉片、撒き散らされた腸と糞便、地獄の有様だ。これまでの戦いの片付け切れない残滓である。この溝が利用されたのは、一度や二度ではない。
跳ね上がった泥が浴びた返り血にべたりと張り付く。ティタンはそのまま次の敵に狙いを定めた。
重い足音を立てて走り込んできたオーガが暗褐色の斧を振り上げる。ティタンは今し方突き殺した一体の血で地面が滑り、十分な踏ん張りが保てないでいた。
振り下ろされる斧。身を捩るティタンの頬の横を肉厚の刃が走りぬけ、彼は背筋を這い上がる悪寒と熱に酔った。
彼の動きは煙のようだった。豪腕から繰り出された一撃をゆらりと摺り抜け、滑った地面からも抜け出し、ティタンはオーガの腹に剣を突き込む。
オーガは堪えた。唸り声と共に生臭い息を吐き出し、倒れない。腹の筋肉はぎゅうと引き絞られ、剣を抜く事も出来ない。ティタンはぎちぎちと歯を剥き出しにして笑う。
腹を貫かれて尚オーガはティタンに喰らいつこうと両手を伸ばした。ティタンはナイフを逆手に握り締めオーガの首を狙う。引き抜かれた刃は鈍く輝き、太い首を真横から抉った。
一瞬の、抱擁の態勢。
オーガの肉体は喉頸までもが馬鹿みたいに硬かった。ティタンは柄を両手で握り締め、力任せに引いた。
ぐば、と奇妙な音を立ててオーガの肉が破れる。赤黒い血が噴出し、ティタンはそれを浴びて吼えた。
「WooooAaaaaa!」
膝から崩れ落ちるオーガの、その骸の前で。
胸を開き、両腕を掲げ、天空を抱くように。
勝利の雄叫びだ。周囲を見渡せば戦士達は一気呵成に突撃し、二十体のオーガを凡そ撃破している。
足を鈍らせ、弓で打ち据え、そして決死の突撃で勝負を着ける。この一瞬の突撃の衝力が不十分であれば甚大な被害が出る。
これほど有利な状況を作り出して尚、油断ならざる相手が、オーガだった。
ティタンは血を拭いながら背後を振り返った。ティタンと同じように血と泥に塗れたアッズワースの戦士隊がそこに居た。
「誰か死んだか?」
「怪我人が少し。だが問題は無い。ロールフが妖しい」
「ロールフ?」
仰向けに倒れ込んだロールフは頬を猛烈に腫れ上がらせていた。拳の一発でも貰ったらしい。直ぐ傍にはオーガの死体があり、脇腹には彼が父親から受け継いだ剣が突き立っている。
ロールフは薄目を開けているがピクリとも動かない。ティタンは瞼を無理矢理開かせて瞳を覗き込むと溜息を吐きながら立ち上がった。
足を蹴飛ばす。
「起きろ。寝るには早い」
「……ん、お」
「もう少し上手く殺せるように鍛えてやる。……だがまぁ、良くやった」
ロールフは仰向けのままティタンの顔を見上げた。呆け顔だ。
「……生きてるのか。死んだかと思ったぜ」
仲間達がどっと笑った。
夏が訪れた。春半ばから異常に数を増やし猛烈にアッズワースを攻め立てる魔物達は、この上更に勢いを増している。
クラウグス中から集った戦士達は必死に耐えているが、損害はじわりじわりと増え続け疲労も大きい。
しかしティタンは良いぞ、良いぞと笑っていた。アッズワースは正に総力戦の態勢に入った。
真に屈強且つ勇敢な者が集い、彼等は味方を励まし、互いの背を守る。肩を並べ、盾を揃え、堅く陣を組み、そして崩れない。
そうでなければ生き残れないからだ。オーガと一対一で戦って勝てる者は余り多くない。あの化物達に勝利するには結束と、そして勇敢さが必要だった。
「これでこそアッズワース。これでこそクラウグスだ」
そして俺達こそ、名誉あるその前衛となりたい。ティタンの妄想染みたそれに喜んで相乗り、アッズワースの戦士隊は地獄の戦場を命知らずに駆けずり回る。
勇猛果敢に戦う彼等の名は、各地から集った精鋭達の中ですら、一目置かれつつあった。
――
「ティタン様!」
パシャスの筆頭巫女が息せき切って現れたのはティタンが草原に築かれた防壁の上で身体を拭いていた時である。
二メートルの高さ、二メートルの厚みのこの防壁は今ではオーガ止めと呼ばれている。急ごしらえで石組みが多少頼りないが、既に幾度も魔物の軍勢をはね返していた。
「戦勝誠に目出度く。アッズワースの戦士隊も六体のオーガを討ち取り、武功晴れやかなる物と」
筆頭は跪き、朗々と歌うように戦果を称える。ティタン達が隊を結成してからパシャスの信徒達は輪を掛けて仰々しく、目立つ態度を取るようになった。
自分達の宝を周囲に見せ付け自慢したくて堪らないと顔に書いてある。彼女達の中でも巫女アバカーンはその最たる者だ。ティタンも、自分と彼女達の関係がどのように噂されているかぐらいは把握していた。
事情を知る教団の要職にある者は何かにつけてアッズワースの戦士隊に贈り物をしたがる。彼等はティタンとパシャスの関係が改善されつつあると思っている。
そしてそういった影響力を持つ人間達の阿りに、事情を知らない一般の信徒達は敏感だった。彼等はティタンと出会えば道を譲り、特に敬虔な者は聖句を唱える。
決して愉快な環境とは言えない。
「世辞は良い。殺した数で言うなら弓手達の方が余程殺してる。……それより、そちらはどうだ」
「申し訳ありません。今しばらく猶予を」
今アッズワース要塞に居るパシャスの信徒達は力を尽くして“黒いオーガ”を探している。
少し前、ディマニード・バシャーと戦場を共にした時、あの苛烈な男は他と比べて一回り小さく、黒い肌を持つオーガを見たと言った。
アークオーガだ。三百年前にも一度現れた。通常オーガはそれ程繁殖せず、また大きな群れを作る事も無いが、この黒い肌の怪物が現れると全く話が変わってくる。
どうなるかと言えば、今のアッズワースのようになる訳だ。戦場での事だからディマの見間違いと言う可能性も無いでは無いが、この状況はアークオーガが怪物達を統率し始めた故と思えば違和感も無い。
黒いワーウルフ、シンデュラの勇者に引き続き、強敵だ。これは絶対に討ち果たさなければならなかった。
「騎士ケイロンとレンジャー達も力を尽くしてくれている。彼等が結果を出すまで何度でもオーガを跳ね返す」
「は! それでこそ我等の」
筆頭の快活な声に周囲の兵達が振り向く。ティタンは筆頭を睨み付けた。口元を綻ばせていた彼女は途端に身を竦ませる。
「我等の、なんだ?」
「……いえ、余計な事を申しました。お許しを」
「もう行け。お前も暇じゃ無いだろう」
ティタンは冷たく言い放ちながら武具の手入れを始めた。筆頭はティタンに近付き、声を潜める。
「いえ、お伝えしたき事があって参りました」
「何だ」
「魔導師ゼタも今こちらに?」
ティタンは黙ってオーガ止めの前に掘られた七段の溝、その一角を指し示す。
筆頭がそちらに視線を向けると大きな炎の塊が現れた。炎は溝の中を暴れまわり、隅々まで嘗め尽くすように執拗に燃え盛る。
「奴は戦いに出る事も無いでは無いが、専ら魔物の死体の処理に駆り出されている。……炎は良い。汚わいや邪悪を燃やし尽くしてくれる」
魔導師ゼタの操る炎を見詰める筆頭。難しい表情をしていた。
「ティタン様、彼女はアッズワースで何らかの魔術具を探しているようです」
「初耳だな」
「まだ詳細は掴めていませんが、恐らくは邪悪な秘術に用いられる類の物。その術具の製作には、苦しみ抜いて死んだ人間の魂が用いられるとか」
「……奴がそれを?」
「彼女に御気を許されませぬよう。……才ある魔導師は、時として越えてはならぬ一線を平然と踏み越えます」
危惧は分からないでもなかった。魔法の技は神々の奇跡に依らぬ不思議の技。魔に連なる業だと考えられている。それを扱う魔導師は大なり小なり世界の裏側を覗き見ると言う。
時に、魔導師達はその世界に魅入られる。精神を患う者や、魔の力で邪悪に策動し討伐される者が出て、魔法は危険な物だと人々に思わせる。
そしてその力を持つ者は稀だ。クラウグスは尚武の国。様々な外敵を退ける為常に強さを求め続けてきたが、戦士達は大体の場合硬く鋭い鋼を頼みにし、少数派の魔導師達の事を胡散臭く思っていた。
今はそうでも無いようだが、ティタンの記憶が確かならば三百年前は、魔導師としての才を持つ者は発見され次第王都に送られ、魔法戦士としての教育を受けた。
彼等はそのまま団となり、王命を受け大陸中で暗躍した。時にはクラウグス人として唾棄すべき行いにも手を染めたと言われている。クラウグスの影の影、闇の闇、湧水の魔法戦士団と言えばどのような人物も身構える恐ろしい名だ。
クラウグス人はただ魔法であると言うだけで忌諱する訳では無い。こう言った様々な事柄が魔導師達の事を怪しく感じさせるのだ。
「覚えて置く。他にまだあるか?」
「いえ、新たに何か分かり次第、また参ります。……ティタン様に更なる武功と栄誉があらん事を」
「それを掴む為に必要なのは、祈りの言葉じゃない」
飽くまでも素気なくティタンは返す。筆頭は些か気落ちした様子を見せたが、それ以上は何も言わず立ち去った。
ティタンは溝の方に目を向ける。丁度ゼタが額の汗を拭いながら這い上がってくる所だった。
悪人では無いように見える。しかしどのような人間でも過ちを犯す事はある物だ。ティタンにはまだ判断出来ない。
――
攻め寄せるオーガ達の攻撃を凌ぎ切り、戦士隊は久方ぶりに要塞へと帰還した。
要塞は更にその動きを活発化させ、内部は様々な戦士の坩堝、見本市のようになっている。ティタン達はその中を進む。
重そうな総鉄の鎧を着て人波を突っ切って行く騎士。体毛が残ったままの獣皮の鎧を着込み、立ち話に興じる傭兵らしき弓手。
一様に瞑目しながら何かに祈りを奉げる、辺境の地から訪れたらしい褐色の肌の戦士団。馬上で使うと思しき長剣を携えた、派手な色彩の具足を纏う貴族がそれを見て鼻を鳴らす。
その中で、否が応にも目に留まる者が居た。
突き出た黒い鼻に一つ舌打ちする。縦に割れた金の瞳、全身を覆う艶かしい輝きの体毛。クラウグスに隣接する亜人国家バリアラの戦士だ。
ティタンが注視するこの戦士は猫の類のようだ。骨格はほぼ完全に人間だが、手や足の細かい部分に猫の名残がある。何より顔が毛むくじゃらで且つ猫っぽい。
ティタンは何を隠そう隣国バリアラが、亜人達が大嫌いだ。特に狼を祖に持つ亜人とは会話すらする気になれない。
三百年前、黒竜の襲来に呼応してクラウグスを荒らしまわったマヌズアルと言う亜人が居た。これが狼の亜人で、今も邪悪な呪術師として名が残っている。
またバリアラ国自体も滅亡寸前まで追い込まれたクラウグスを支援するどころか攻撃する姿勢を見せた。友好国であったにも関わらずだ。嫌う理由としては充分だった。
「……奴等、アッズワースをのうのうと闊歩しているのか」
「シェフ?」
「なんでもない、気にするな。……ん?」
ティタンは更に道行く一人、革の腰巻とサンダルのみを纏った上半身裸の屈強な戦士に目を留める。見せ付けるように晒された裸体には鋭い目を模した刺青。
南方のとある部族の証だ。彼のような者まで現れるのか。
「素晴らしいな。稀な人物を見る事が出来て幸運だ」
ティタンは隣を歩くオーメルキンに言った。
ティタンだって相当古臭い格好だと思われているのは間違いないが、あぁ言った戦士達はそれを越えている。
肉体を守らず筋骨と急所を晒す彼等は戦いを神聖な儀式のように考えている。ティタン達とは全く違う捉え方だ。彼等の戦い方は洗練されており、美しい。
「それより何だか……見られてる?」
語りかけられたオーメルキンはとてもそれどころではなかった。
ティタンが周囲の人々を無遠慮に眺め回すのと同じように、彼等もティタン達に視線を送っていた。オーメルキンはそれに気付き、落ち着かない気分を味わっている。
「さて、何せ俺達の先頭を歩いてるのは今アッズワースで一番危険な男だからな。無理も無いさ」
「ティタンばかりが戦士と思われるのは不服だぜ」
「じゃ、実力を知らしめろ」
「当然だ」
飄々としたアーマンズ。不敵に笑うロールフ。
オーメルキンはロールフの脛を蹴っ飛ばした。頬を腫れ上がらせたこの男がどういった事情でそうなったのか、この短期間で忘れられる訳が無い。
「調子に乗るな馬鹿ロールフ、今回も危なかった癖に! もしかしたら死んじゃったかと思ったじゃん」
「そう簡単にくたばるか」
「くたばっても可笑しくなかったが」
途端にぎゃぁぎゃぁ遣り始める若者達。ティタンはロールフを振り返る。
「死ぬ時は戦士として相応しい死に方をしろ」
「……あぁ。そこだけは信頼してくれて構わないぜ」
「なら良い。しつこいようだが、アッズワースは変わりつつある。侮られたくなけりゃ言動に気をつける事だ」
そうこうする内に隊はギルドへと辿り着く。受付にテロンは見当らない。
ティタンは少し考えてアーマンズを遣った。契約終了の報告だ。ティタン達はギルドホールの隅にある椅子に座り、手続きの終了を待つ。
正規軍の補強のための募集は数日、或いは数週単位だ。入れ替わり立ち代り傭兵達は北へと向かい、熾烈な防衛戦に参加する。
「こんなのいつまで続くのかな」
窓際に腰掛けたオーメルキンが縋るようにティタンを見た。彼女も子供ながらティタンについて北の守りに参加した戦士だ。オーガの脅威を目の当りにし、弱音染みた言葉を吐くのも無理は無い。
魔物達の攻勢は激しい。もしこれが北に敷かれた防壁を破壊し、アッズワース要塞に押し寄せ、……想像したくも無い事だが難攻不落である筈のこの要衝を突破したとしたら。
もしそうなったら、その時はクラウグスは大混乱に陥るだろう。多くの者が命を落とし、或いは故郷から追い出され当所無くさまよう事になる。
そしてその混乱は長く続く筈だ。ティタンが戦いの意義についてオーメルキンに説いた時、悪い予想として語った内容が彼女を不安にさせていた。
「いつまででもだ。オーメルキン」
「いつまででも?」
「そうだ。或いはこれが永遠に続くとしても、祖国と無辜の民草、そして俺達の誇りを守り抜く為に」
「永遠に……」
オーメルキンはティタンの言葉を真剣に受け取り過ぎた。顔を蒼褪めさせた彼女を見かねて、ロールフが口を挟む。
「シェフ、あんまりメルを脅かすな」
「心構えは早い内から持って置くべきだ。……だがまぁ、確かに脅かし過ぎたな」
ティタンはオーメルキンの頭を撫でる。
「オーメルキン、オーガは強い。この有様を見るに奴等は随分と力を蓄えて居たんだろう。だが俺達とてただ堪えるだけじゃない」
「ティタンが今やってる事? 本当に居るのかな、アークオーガって」
「もし居ないのだとしたらアッズワース要塞はいつ明けるとも知れぬ闇夜の中を戦い続ける事になる。何故これ程までに魔物達が増えたのか、そして魔物達の行動に高い知性を感じるのか、と」
そこまで言ってティタンは思わず苦笑した。
「居ても困るし、居なくても困る訳だな。全く困ったモンだ」
其処にアーマンズが手続きを終えて戻ってきた。手には銀貨の詰まった皮袋を提げている。
「シェフは居てくれた方が嬉しいんだろう? アンタと来たらいつだって手に負えないような化け物の登場を心待ちにしているんだからな」
「だろうよ。パシャスの巫女様達や娼婦なんかは遠ざける癖に、強敵には進んで会いに行きたがる」
ロールフの軽口。戦士隊の一人が更にからかうように続ける。
「昨日どこぞの兵士達に絡まれたぜ。多少は事情を知ってるらしくて、シェフの事を玉無しの不能か、そうでなきゃ男好きの変態だと言ってやがった。腹の立つ野郎だったな」
ティタンは盛大に眉を顰めた。聞き捨てなら無い発言をした隊員に向けて歯を剥き出しにして見せる。
「余りにも不名誉な噂だ。次そんな出鱈目を吹いて回る奴が居たら遠慮するな。思い知らせてやれ」
「心配は要らない。元よりその心算さ」
更に別の隊員が自信たっぷりに付け加えた。
「昨日の奴にもたっぷりと……取ってもらったぜ、口にした内容の責任って奴を。もしかしたら文句の一つも言われるかも知れねぇが」
「構うか。戦士を侮辱する以上、覚悟はあるだろう」
この辺にしておこう。そう言ってティタンは話を打ち切る。それを待っていたアーマンズはティタンに銀貨の詰まった皮袋を差し出し、肩を竦めた。
当初の契約金額よりも随分と多いようだ。
「俺達が勲功第一等だそうだ。軍の指揮官が大分色を付けてくれたらしいぞ」
当然だな、とティタンは鼻を鳴らす。アッズワースの戦士隊は全ての戦いに置いて死を恐れず勇猛だった。突撃の号令が響けば一番槍を付け、守れと言われれば一歩も退かなかった。
その姿を多くの将兵が目にしている。そして彼等の嫉妬や羨望の入り混じった視線が、アッズワースの戦士隊をより勇敢にさせる。
少し前、ティタンが訪れたばかりの頃のアッズワース要塞では在り得なかった事だろう。誰もが勇敢さや高潔さなど省みず、魔物の耳の数だけが全てだった。
そんな状態で奮い立つ者が居る筈も無い。要塞が戦闘態勢に入り、多くの人間がその働きを目にするからこそ、アッズワースの戦士隊は日々大きく成長出来ている。
ティタンに駆り立てられるばかりではない。この若者達は、初めから他の有象無象とは熱意が違ったのだ。
「分配する。……悪くない額だ。俺達の戦いは充分に認められた」
ヒュゥ! 口笛が響き、隊の同胞達は拳を掲げた。
ティタンは金額を確かめ一人ずつ取りに来させる。この一月ほどで随分と貫禄の出てきた若者達は素直に喜びを顔に表した。
やがて分配が終わり、彼等はティタンの言葉を待つ。
「良い戦いだった。……まだまだ続くぞ、この苦境は。嬉しいだろう?」
『Woo!』
「よし、金を惜しまず英気を養え! いつでも悔いなく死ねるように! ……女に会いに行く前に垢を落とせよ。少し臭うからな」
若者達は大口を開けて笑い、ギルドから去って行く。後に残ったのはティタンとオーメルキンだけだ。
ティタンはオーメルキンにも銀貨を渡す。オーメルキンはそれを皮袋に突っ込みながらティタンを見上げた。
「見付かるかな、アークオーガ」
ティタンは椅子に深く腰掛け、ぼんやりと天井を見上げながら答えた。
「居るならば必ずな。ノースウォッチレンジャーズは甘い連中じゃない上に、監視塔を追い立てられ怒りに燃えている」
この戦いで最も屈辱を味わっているのは北の監視塔に配属されていたレンジャー達だ。
魔物達との戦いの最前線、その長い記録の中で監視塔を放棄した例は幾つかあるが、こうまで魔物達の良い様に追い立てられた事は無い。
彼等は監視塔を取り戻し、恥辱を雪ぐ為に何でもするだろう。その彼等の復讐心がアークオーガを見逃すとは思えなかった。
「見付からなければ、永遠に戦う」
「それは俺が言い過ぎただけだ。見付からなかったとしても永遠にと言う事は無い。……さっきの言葉を気にしているのか」
オーメルキンはティタンの言葉を繰り返す。オーメルキンはどんな事でも、ティタンの教えならば素直に受け止め、深く考える。
何度も何度も反芻し、自分なりの答えを出す。そして憂いも恐怖も隠さない。
「ずっとずっと戦うって、辛くないかな」
ティタンも隠す事無く答えた。それがティタンなりの、オーメルキンへの誠心である。
「戦士の安らぎは死後に訪れる物だ。そして神々に認められその軍団に加わった者にはそれすら訪れない。あるのは更なる戦い、更なる栄光だ」
「ティタンも?」
「戦う」
「本当に?」
「戦う。それが永遠の苦痛だとしても」
するとオーメルキンは唇を噛み締めた。下がった眦に涙が滲む。
ティタンは慌てた。
「おい、何故だ」
オーメルキンは応えない。ティタンは溜息を吐いた。
「……先に戻れ」
ギルドの入り口にフードを被った人物が現れたのを見て、ティタンはオーメルキンに告げた。
オーメルキンは少しの間ジッとしていたが、一度鼻を啜って涙を拭うとティタンの言葉通りギルドから去る。
相変わらず分からん奴だ。ティタンがそう零す頃には、フードの人物、パシャスの筆頭巫女は、ティタンの傍に跪いていた。
「緊急にお伝えしたき事が」
「とうとう見付かったか」
「いえ」
椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり掛けたティタンを筆頭の言葉が制す。彼女はここまで走ってきたか息を荒げており、少しばかり冷静でないようだった。
「あぁ、その、……実に光栄な事で御座います。その、えぇ、早ければ四日後、遅くとも七日後、ティタン様に……お、御客様が」
「俺に客? その様子だと、とんでもない相手みたいだが」
「お、恐れ多い事です」
「慌てるな、落ち着け。一体何者だ?」
筆頭の様子は普通では無い。常に女神パシャスに祈り、その身命を奉げているであろう巫女は、当然何よりも女神パシャスに重きを置いている。
自身にとっては少々複雑ではあるが、ティタンにも。その彼女がこれ程までに謙った物言いをする相手だ。当然ティタンも興味を示す。
「私如きが口にするのも憚られますが、その御方は……」
「勿体振るな。ソイツの名は?」
巫女は心底から震えているようだった。ティタンは流石に鬱陶しくなって続きを促す。
しかし筆頭の口から飛出た名に流石のティタンも言葉を失った。息すらも止め、思考ばかりがぐるぐると回る。
「神君、クアンティン・ユージオ・クラウグス様であらせられます」
クラウグスの少年王、クアンティン。三百年前、若干十三歳にして玉座を継承した赤毛美顔の王だ。
市井で語られる噂は全て彼を称える物で、曰く生まれた瞬間から言葉を理解し、六歳で国中の賢者から学問を修め、十歳で古の魔道書を読み解き天文を把握し新たな農法を編み出したと。
全く馬鹿馬鹿しい噂ではあったが本人が確かな智慧を備えていたのは間違いない。クアンティンは王位継承の混乱を完璧に収め民心を掌握し
そして、あの黒竜の襲来に対し頑強に抵抗した。彼はただの少しも怯まなかった。
全ての者はクアンティンと祖国クラウグスの名の元に死を厭わなかった。滅亡寸前にまで追い詰められ、この上は戦って死ぬ事こそが唯一の名誉だと。
クアンティン・ユージオ・クラウグスの眼の元に、勝利の栄光と、名誉ある死を。ティタンが好んで使うこの言葉、これは黒竜との戦いの中で生まれた悲壮な言葉だ。
「本人か?」
唖然とするティタンはクアンティンの噂の中でも特に荒唐無稽な一つを思い出していた。
それは彼の出生の話だ。彼は母メレアノン王妃が生んだ子ではなく、先王ハルカンドラと妖精の女王キルビスの間に生まれた子だと。
馬鹿げた話、と言い切る事が出来ない。もしそれが真実であったとしたら、三百年の永き時を生き続けていると……
そういう事なのだろうか。ティタンは腹の底に妙な熱を感じ、身体を震わせた。




