高潔なる者1
アッズワース北西に存在するアットリア沼地にはよくゴブリンどもが群れている。奇妙な暖かさを持ち、冬でも凍りつく事の無いこの水辺は一年を通して緑が多く、動植物が多く生息している。
資源が多く、特にゴブリンの餌になる薬草が大量に生えており、当然のようにゴブリンが繁殖している。あの薄汚い茶色の化け物は何処でだって無分別に繁殖するがアットリア沼地では特に顕著だ。常日頃からゴブリンに頭を悩ませているアッズワース要塞は可能ならばこの沼地をどうにかしたかったが、勢力圏に組み込むには制約が多く、破壊して自然その物に手を出すような真似も出来なかった。
ここはアッズワース。人魔の領域を分かつ地。未だ人類の手の及ばぬ未知の物が幾らでもあって、其処には決して寛大とは言い難い神々が宿っている。無思慮で傲慢な行いは神々の怒りを買う。
「ふぅん?」
そのアットリア沼地でティタンは面白い物を見つけた。頭に蔦か何かを絡み付かせ、荒い息を吐きながら沼から這い上がって来る少女だ。
陸地には今し方ティタンが仕留めたゴブリンの死体が五つ転がっている。少女はその横で膝を着き、水を滴らせながらぜぇぜぇ喘いだ。
「沼に潜ってゴブリンどもから隠れていたのか」
少女は顔を動かすのもやっと、と言う感じでティタンを見遣る。灰色の髪から蔦を引き剥がしながら微かに頷く。
みすぼらしい装いの少女であった。外套も、シャツも、ズボンも、当然靴も擦り切れていて、頬には沼の泥がべったりと付着している。
そうでなくても身を護る装備として適当なのは腰元の小剣しかなく、鎧どころか手甲やグローブすらない。とてもアッズワース要塞の外、それも北部を歩き回るに相応しい姿とは言えない。
ティタンは少女をまじまじと見詰め、ふと思い至った。
この灰色の髪、見た事がある。
「会った事があるな? ……名は忘れたが」
少女はティタンを暫く見詰めた後、漸く呼吸も落ち着いてきたのか簡潔に返答した。
「う、うん」
「スリだったかなんだったか、取り敢えずコソ泥だろう。ここは魔物の領域だ。お前が居るべき場所じゃないぞ」
少女は目を吊り上げティタンを睨みつけるが、幾許もしない内に悔しげに眉を寄せて顔を伏せた。
「……もうコソ泥じゃない」
言いながら少女が掌に握り締めていた物を地面に放る。汚い薄茶色の平らな物体だ。
まじまじと確認するまでも無い。ゴブリンの耳である。傭兵ギルドまで持っていけば間引きの証としてはした金になる。
「奴等を殺したのか」
「そうだよ。だからもう、コソ泥じゃない。あたしは傭兵だ」
少女はガクガクと震えだした。ゴブリンどもに追われた恐怖か、それとも濡れた身体にアッズワースの風が堪えたか。
しかし少女は震える体を止めようともせず、もう一度呟く。自分自身に言い聞かせるように。
「あたしはもう、コソ泥じゃない」
汚れた灰色の髪。泥を被り、衣服は擦り切れ、栄養状態が悪いのか肉体は痩せ細っている。
しかし、目は。
静かに光る伏せられた目だけは、ちっともみすぼらしくない。
ティタンはニヤリと笑った。
「面白い」
――
沼から離れ見晴らしの良い草原地帯へ。アッズワースまでそう遠くない此処は、監視砦の存在や兵士達の巡回の効果もあって魔物が少ない。
ティタンは火を焚き、旅具の中から手鍋を取り出して水を沸かした。干し肉と萎びた野菜、そして僅かな岩塩を適当に放り込むと、余程の空腹なのか少女……オーメルキンが食い入るように鍋を見詰める。
ティタンは苦笑いしながらオーメルキンを座らせた。火を挟んで対面に腰を下ろすと鍋の様子を見ながら問い掛ける。
「何故魔物狩りを?」
「金が欲しいからだよ」
「そりゃそうだろうな。だが手段は他にもある筈だ。……お前がこれまでしてきたように」
「……もう盗まない」
「ほぅ」
「もう盗まない。もう盗人じゃない」
ティタンの皮肉にオーメルキンは言い返す。其処に以前牢屋で見せた朗らかさや子供特有の無邪気さは無い。
彼女が何を体験し、どのような意志を抱いているかは知らない。だが少なくともそれは、子供だからと馬鹿に出来る物ではないとティタンは感じていた。
鍋に目を移す。干し肉から灰汁が滲んでいる。オーメルキンは俯いている。
「本気か?」
「何が」
「盗人は廃業か、と聞いたんだ」
視線が合わない。オーメルキンは顔を上げない。
ティタンは盗賊の類に情けを掛けない。痛め付けるために率先して探して回ろうとは思わないが、目に余るようなら捕らえるか始末しておこう、ぐらいには考えている。
オーメルキンは沈黙する。ティタンはスプーンで鍋をかき回した。
「俺があのゴブリンどもを見つけたのは偶然だが、それでも俺が居なければお前は死んでいた。それは解るだろう。もう一度聞くぞ。盗人は廃業か?」
「……五月蝿いな! もうやらないって言ったんだ! 別に信じなくたって良いけど、馬鹿にするなよ!」
「落ち着けよ。俺が一度でもお前を罵ったか? 勝手に盛り上がって喚くんじゃない」
「……クソッ」
オーメルキンは情緒不安定だ。しきりに唇を噛んだり、溜息を吐いたりしている。無理も無い。明らかに戦いに慣れているようには見えない。例えゴブリン相手でも散々に追い回されれば落ち着くには時間が掛かる。
ティタンは適当に作ったスープを器に注いでオーメルキンに差し出した。オーメルキンの様子などまるで気にしていないような態度だった。
「食え。……要らんと言うならそれでもいいが」
オーメルキンは何と答えたら良いか解らないようだったが、暫くティタンの顔とスープの間で視線を行ったり来たりさせた後、口を付ける。
人間と言うのは空腹を満たせばどんなに不安を感じていてもある程度は落ち着く物だ。ティタンはオーメルキンの様子を伺いながら続ける。
「良い事だ」
「……何が」
「世の中からろくでなしが一人減った」
ティタンの言葉はオーメルキンには辛辣に感じられた。オーメルキンを肯定しているような、蔑んでいる様な、何ともいえない言葉だが、優しさを含んではいない事だけは確かだ。
「だがお前が過去を振り切った心算で居ても、過去はお前を逃がさない。戦場痕に沸くグールよりも執念深くお前を追い掛けて来るぞ」
ゾッとしたような顔を、オーメルキンはした。暫くスープに挑む手を止めて、漸くぽつりと言った。
「……構うもんか」
「ほぅ」
「解ってるんだ。あたしが何言ったって誰も信じやしないけど、でもそれだけの事をしてきたんだ。……だから、別に良いよ」
どうやら本気か。ティタンは首を撫で、目を細める。今では随分と小さくなった古傷が其処にある。
他人の心が読めるとは言わない。特に今の世界の人間の心なんて尚更だ。子供で、且つ盗人の、となるともうてんで駄目である。
だがこのオーメルキンはどうやら本気だとティタンは感じた。ティタンは何故か気分が良くなって、笑う。
コソ泥が一念発起して傭兵になろうと言うのか。元より賊紛いの傭兵……正確に言えば、傭兵と賊働きを兼業するようなクソッタレは居るが、そんな奴等とは比べるべくも無い。
「気に入った」
オーメルキンは疑問符を浮かべてティタンを見た。
――
ティタンから見てオーメルキンは危険な綱渡りをしているような物だ。戦い方も碌に知らない子供がナイフを振り回して強がっているに過ぎない。現に、ゴブリンに追い掛け回されて死ぬ所だった。
オーメルキンをアッズワースに連れ帰り、ティタンが根城にしている宿の水場に放り込むと、沼の生臭い臭いを落とさせる。
オーメルキンは不気味がっている。全くの初対面とは言わないが、何の繋がりも無いティタンが命を救い、食い物を与え、身を清めろといっているのだ。裏があると邪推するのも仕方ない。
そんな彼女の不安も他所にティタンはオーメルキンの首根っこを掴んでギルドへと向かう。その時には陽も落ちた頃合で、ギルドは人の波が引いた後だった。
ティタンはギルドの受付に向かう。ティタンが現れたのを察して線の細い青年が受付へと陣取った。テロンだ。
気難しいティタンが一定の信頼を置く受付だ。色々と口煩いが、下らない誤魔化しや雑な仕事をしない。その働き振りを見ていて感じる物があったため、ティタンはギルドでは常にテロンと話すようにしていた。
そうしたら何時の間にか、テロンがティタン専属の受付のようになっている。
「ようこそ人狼狩り、遅いお帰りですね。……その子は?」
「アットリアの沼地で拾った。傭兵ギルドは余程人材が居ないらしいな。まともな武器も持たないガキを北の大地に送り込むとは」
テロンは難しい顔をした。ギルドへの登録は自己責任。何と戦い、どんな状況で命を落としても自己責任だ。ギルドは傭兵の立場を擁護し、その活動を助け、仕事を斡旋するが、結局最後には自己責任と言う言葉に辿り着く。
しかしテロン自身はオーメルキンのような少女が無残に死んだとしたら、自己責任と言う言葉一つで割り切れるような性格をしていない。
「……魔物の間引きの仕事は常に自由です。ギルドでは強制していません。……通常、その少女のような傭兵には……その、アッズワース内での安全な依頼を斡旋している筈ですが」
「誰もあたしなんて雇う訳ない」
「つまり……君は余り良くない経歴の持ち主って事かい?」
ぶっきらぼうに言うオーメルキン。そのオーメルキンの言葉を受けてテロン。成程、とティタンは頷く。
傭兵ギルドは何でも屋としての側面も持っている。要塞内でも人手は必要とされていて、草むしりやら荷物の配達やらとても傭兵の仕事とは思えないのがそれだ。
命の危険の無い仕事だが、相手は人間だ。信用の無い傭兵は猫の手も借りたい状況であったとしてもお断りだろう。オーメルキンは盗人で、その評判がある限り要塞内での仕事にはありつけない。
「大体解った。コイツの面倒は俺が見る」
「はぁっ? 何だよそれ」
「お前、今日みたいなザマでまともにやっていけるとは思ってないだろう」
黙るオーメルキン。当然の反応だった。ティタンはそれで良い、と余りにも適当に言う。
テロンは面白そうに笑った。気難しいばかりの男だと思ったが、こんな一面もあるのだな、とティタンを見直していた。
「一応言っておきます。ギルドは軍や官吏から何か言われない限り傭兵の経歴を問いませんが……」
「オーメルキン、最後に盗みをやったのは?」
ここまで来ればオーメルキンも無駄に反抗したりはしない。
「……アンタと牢で最初に会った時が最後だよ」
「罪は償ったか?」
「革の鞭でしこたま打たれた」
「なら、今は追いかけられる心配をせずに済む訳か」
テロンが口を挟む。
「ギルドでも一応、登録の際に衛兵の方々に問い合わせをします。逃亡中の犯罪者等を所属させる訳には行きませんから」
「偽名でもそのまま登録するのにか」
「でもその子にそんな心配は要らなさそうですね」
「以後、コイツのケツは俺が持つ。コイツに関する問題は俺に教えてくれ。……それぐらいの手間は掛けてくれるな?」
「えぇ、えぇ、色々と不満もありますが、ティタンさんはギルドにとって得難い人材ですので。それくらいの事はしますよ」
ティタンは満足げに頷いてテロンに皮袋を差し出した。多少の銅貨が入っている。
賄賂、等と言う心算は全く無かったが、テロンはそれを固辞した。
「我々ギルドの人間は、個人で傭兵と物品や金銭の遣り取りを行いません」
「建前上はな」
「そんな事よりも」
皮袋を押し返したテロンは改まってオーメルキンに向き直る。
「良いかい君。我々傭兵ギルドは傭兵の活動を擁護し、支援する組織だ。……ちょっと難しいかな。つまりね、君達を助けたり、仕事をし易くしたりするんだ。
そして同時に君たちを見張って、悪さできないようにする。
君がこれまで何をしてきたか、ギルドは気にしない。犯罪者として追われてでも居ない限りはね。大事なのはこれからさ。
強くなりなさい。法を守りなさい。誠実になりなさい。そして、しぶとくなりなさい。
君が真面目に、真摯に生きようとするなら、ギルドもそれに応えるよ。まぁ……残念なことに、そんな傭兵は極めて少数派だと言わざるを得ないが」
熱の入った忠告だった。この少女の経歴や傭兵としての一歩を踏み出した心情に対して、テロンなりに感じる物があったようだ。
オーメルキンもテロンの言葉に聞き入る。今まで彼女のようなけち臭い犯罪者にまともに対応する者など居なかった。オーメルキンにとって、ティタンやテロンは未知の存在だった。
「あぁ、それと」
テロンはそれまで浮かべていた爽やかな笑みを急に引き攣らせながら続ける。
「魔物を狩ったら耳を取るだけじゃなくて、色々剥ぎ取ってきなさい。最初は難しいけど直ぐ慣れる。今の所はゴブリンの肘の軟骨とかかな。
ギルドはそれに正当な報酬を払うよ、約束する。……これは別に恥ずかしい事じゃないし悪いことでもない。何処かの誰かのように無駄にストイックになる必要は無いんだ。
ほんとにもうワーウルフの爪とか牙とか……毛皮とか……せめて討伐した固体の半分……いや四分の一でも持ち帰ってくれていたら……」
「シンデュラの勇者の遺骸はくれてやったろう。牙は貰ったが。業突張りだな」
「それは確かに有難かったんですがね! ギルドも大きな顔が出来ますし、あのワーウルフの死体その物が、大きなクワン的価値、政治的価値を秘めていますしね!」
ティタンは以前黒いワーウルフ、シンデュラの勇者と呼ばれる強力な固体を討ち果たした。通常の二十倍の規模の群れを率い、狡猾で残忍な恐ろしいワーウルフだ。放置しておけばいずれは数え切れない程のワーウルフの群れを纏め上げ、アッズワースを席巻したであろうと言われている。
ティタンは魔物を狩っても討伐の証となる耳以外を取らないことで有名だ。これはティタンの矜持で、特に意味のない意地だった。
だがシンデュラの勇者からは牙を取った。恐ろしげな歯の中で特に大きく鋭い四本だ。これを首飾りにして身につけ、強敵に勝利した栄光の証、そして名誉ある戦いの思い出とした。
それ以外は全てギルドへと引き渡した。その強さと強敵の討伐実績で在籍期間の短さとは不釣合いな程ギルドから重要視されているティタンだが、同時に睨まれてもいる。貴重な素材を野に打ち捨て、ギルドに齎さないからだ。
シンデュラの勇者の遺骸はギルドからの期待に充分に応える形になっただろう。ティタンがそれを気にするかどうかは別として。
「兎に角! 需要のある魔物の部位の回収を宜しく頼む! ギルドの方で解体の為の講習を行ったりもするから、必要だと思ったら参加しなさい。奪った命、無駄にするのはよくない」
「奪った命、その上死体を辱めるのはどうか、と言う意見もあるが、どうだ?」
貴方以外からは聞いた事ありませんよ、むきー。テロンは顔を拉げさせた。優しげな好青年と言った風情のテロンだが、ティタンと戦う時は怖い顔にもなる。
ティタンとテロンの戦いを見てオーメルキンは笑った。
漸く肩の力が抜けた。そんな笑い方だった。
「ねぇ、これ」
オーメルキンがおずおずと差し出したのは汚い耳だ。ゴブリンの物である。
ゴブリン一匹程度、大した金額にはならない。何処にでも居て、倒しても倒しても際限なく湧いてくるのがあのチビの特徴だ。
だがオーメルキンにとっては傭兵としての最初の成果。大きな一歩である。その事を理解したテロンは、丁寧にその討伐の証を受け取り、恭しく銅貨を差し出した。
――
薄暗闇の中、アッズワースはそう多くも無い松明の明かりに照らされて動き続ける。この時間帯になると路地裏のゴロツキ達が盛んに動き始め、娼館に明りが灯り、フードやスカーフで顔を隠した者達が散見されるようになる。
その昼間とは全く違った怪しい気配の中をティタンとオーメルキンは速足で宿へと急いだ。オーメルキンこれと言った財産を持たない人間だから、荷を運んだりと言った手間は掛からなかった。
宿に着いた時、宿屋の娘がぎょっとした。数日狩りに出ていたティタンが拾ってきた小汚い娘をまじまじと見つめ、娘は上ずった声を出した。
「そ、その娘は?」
「これから面倒を見る事になった。別に気を使う必要は無い。今はまだ……ただの盗人上がり、と言うだけでしかない」
「はぁ……えぇっと……」
「それと、何枚か毛布を貸してくれ。……おいオーメルキン、お前は毛布を使って床で寝ろ」
オーメルキンに不満は無い。ある筈も無い。自分の立場は理解していたし、床で寝るにしたって隙間風の無い建物の中で、不快な臭いやネズミの足音に悩まされる事なく眠れるのだ。それも清潔な毛布を使って。
オーメルキンとしては大喜びだ。安眠を得られる事への喜びだった。
「……後で持っていきますね」
「頼む。宿代に関しては後日」
「はい、お願いします」
手早く話を済ませ、二人は二階へと上がる。
この宿、白い小鳩亭は別段大きくも無い宿だ。夜間は酒場になる一階でのみ油を使い、二階は暗闇に閉ざされている。アッズワースでは油等、光源の類が比較的充実しているが、それでもこのような小宿が無駄遣い出来るほどではない。
ティタンの部屋もそうだ。小さな蝋燭一本に火をつけ、ティタンは装備を外し始める。
「早く寝ろ。明日からお前を酷い目に会わせてやるからな」
意地悪な顔を作って見せるティタン。オーメルキンは怯えた様子でこそなかったが、何か深く考えながら俯いた。
「……あたしは何すりゃいいの?」
「魔物を殺して金を貰う。簡単な仕事だな。戦い方を教えてやる。逃げる方法と、生き延びる知恵も。……忙しくなるぞ」
「そうじゃなくて」
オーメルキンは上目遣いにティタンを見上げた。何処か媚びるような表情だ。
そういう事かとティタン。オーメルキンの目の前に右手を差し出すと、デコピンを一発。
額を抑えて呻くオーメルキンに意地悪く笑う。
「お前の身体に興味は無いし、お前に何が出来るとも思えない。お前に夜の仕事をさせて金を稼ごうと思う程困窮しちゃいない。……見掛けに寄らず頭が良かったり、技術を持っていたりするのか? 古代語が読めるとか、魔法戦士団の秘儀が使えるとか」
「……出来ない」
「ならお前にして貰う事は何もない。質問はそれだけか?」
「じゃぁなんで、あたしを助けるのさ」
猜疑に淀んだ瞳が見開かれ、揺れる。これまで人間の善性や美徳を足蹴にし、また他者から顧みられず生きてきた者が持つ暗い瞳だ。
全ての物事には理由がある。人が動くにもそれが必要だ。理由の存在しない人間の行動が、オーメルキンには今一つ信用できないのだろう。
朝から晩まで、怒ったり、不安がったり、喜んだり、疑ったり、忙しい奴だ。
「己の身一つしか持たない浮浪者が、例えそれが取るに足らない小さなものであったとしても、持って生まれた力のみを頼りに、ゴミ溜めから這い上がろうと足掻く」
ニヤリと笑うティタン。オーメルキンの不安も、猜疑も、ティタンには関係ない。
「お前は盗人は廃業だと言った。面白いじゃないか。お前の言葉に興味が湧いたのさ」
「面白いから?」
「そうだ、面白いからだ。お前を信じてやる。お前は証明するんだ。己の言葉が、真実だと」
オーメルキンが難しい顔をすると、宿の娘が毛布を届けに来た。
ティタンはそれをオーメルキンに放り投げる。ごわごわし手触りだが確かに暖かく、また鼻を突く様な臭いもしないそれにオーメルキンは感動したようだった。
「寝ろ」
ティタンは蝋燭の火を消し、念のためにと剣を握ったままベッドに入る。……オーメルキンに自分の寝込みを襲う度胸があるとは思えなかったが。
そして、長い時間が経ったように思った。時折衣擦れの音がしていた。
目を閉じ、気配を探った。オーメルキンは毛布に包まりながらも暫くは起きていて、或いはティタンを警戒しているのかも知れながったが、その内疲労に負けて眠りについた。
その意識が途絶える直前、彼女はぼそぼそと何か呟いた。どうやら泣いているようだった。
ティタンはふぅ、と良く解らない息を吐き出した。
――
ティタンがオーメルキンを引き取った翌日には、彼の従者を自認する健気で鬱陶しい者達が押し掛けて来た。
パシャスの信徒達だ。普段は二、三人で影ながらティタンの護衛についている彼女達だが、部下から報告を受けてきたらしい巫女達の筆頭は顔色も青くティタンに傅いた。
「何故あの者を従者に?」
「従者じゃない。……だがそもそもお前達に関係あるか?」
アメデューに良く似た顔。己の愛した女と瓜二つの美貌が眉を寄せ、悲しげに俯く。
パシャスの信徒達は初めティタンに拒絶され、認められるまで一月以上も掛かった。それもティタンと共に激戦に身を投じ、死線を潜り抜けて漸くだ。
原因は自らの信奉する神の些か行き過ぎた……いや、先走った……いや、的外れであった好意の表れが、ティタンを怒らせた事にあると理解できていたから、不平不満は口にせず必死に認められようとした。
だがオーメルキンのように神々の敬虔な信徒でもなく、戦う力も持たない者が自分達を差し置いて、となると流石に嫉妬を隠しようが無い。
「誰から話を聞いた。テロンか?」
ギルドのロビー隅に設置された椅子にどっかりと座り込み、ティタンは受付に目をやる。テロンがティタン達の様子を気にしながらも事務仕事に励んでいる。
「……はい。我々自身でも多少は情報を集めましたが」
「俺が盗人上がりの面倒を見るのが不満か?」
「いえ……それは……」
口を濁したが表情は素直だった。筆頭の後ろに控える四人の巫女達も大体は同じようで、ティタンに懇願するような視線を向けている。
その中に一人だけあっけらかんとした者がいる。フードから覗く鎖骨部に包帯がちらつく巫女で、彼女だけは朗らかに言い放った。
「恐れ多くもティタン様、個人的な感想ですが、素晴らしい事をされていると思います」
隣の巫女が肘で脇腹を突いた。
「うぐ、何をする」
「(……ぶりっこ)」
「(抜け駆け禁止)」
「(アバカーンは少し静かに)」
「な、何だこの扱いは」
「止めなさい。居住いを正しなさい。女神パシャスに仕える者として、また一人の名誉ある者として、恥を知りなさい」
ぐだぐだと内輪もめを始める巫女達。ティタンはく、口端を歪める。
「名誉ある者……か。確かに奴には無い。名誉も、誇りも。……何せ他人の懐を漁る方法ばかり考えて生きてきたんだ」
「では?」
「最初からそれを持って居る者なんて一人も居ないからさ。奴だってそうだ。俺だって最初はそうだった」
巫女達は目を丸くした。古の戦士達を顕す物語、伝承には、必ずと言って良いほど、名誉、栄光、誇りと言った煌びやかな言葉が出てくる。
そしてそれは煌びやかなだけではない。ティタンを初めとする戦士達は、そういった形の無い物の為に命を賭し、どのような努力もする。
戦士が名誉と口にしたら、それは伊達や酔狂や格好付けなどではない。断じてない。それをよく理解出来ているから巫女達は驚いた。
「変な顔をするな。お前達は名誉や誇りを握り締めて生まれてきたのか?」
「あ、いえ、それは」
「それは最初じゃないんだ。最初に戦いがある。正確には、戦う意思が。俺達が最初に握るのは名誉ではなく剣だ。……変な事を言ってる心算は無い」
ティタンは熱っぽく語った。何時も目を細め、何処か詰まらなそうに、皮肉気に話す男だが、こういった話をする時は真剣だ。
「奴は確かに詰まらん盗人だったがそれから抜け出そうと足掻いている。その理由に興味は無いが、己の生き方を恥じ、誇りを手に入れようとしていると俺は信じた。だから面倒見るのさ。……お前には解るな?」
アバカーンと呼ばれた巫女に視線をやると、彼女はまたもやあっけらかんと応えた。
「そういう意味だとは思っていませんでした。純粋に貧しき者に手を差し伸べたのかと」
ティタンは堪えきれず笑った。
「一々馬鹿正直だな、面白い奴だ」
「……光栄です!」
右手を掲げるアバカーン。隣の巫女がまたもや肘で脇を突く。
「うぐ、ま、また」
「(ずるい)」
「(ずるいな)」
「(アバカーンはずるい)」
「何をしているのです貴女達は……」
そんな遣り取りをから目を外し、ティタンはギルドの入り口を見詰めていた。オーメルキンには金を与えて必要な物を買い揃えてくるように伝えてある。
二万クワン。ティタンに取ってはした金だが、オーメルキンが手にするには一苦労の金額だ。それを与えて奴が逃げてしまってもそれはそれでよし。己の馬鹿さ加減が知れるだけだ。
果たしてオーメルキンは来た。荷物が詰まっているらしい皮袋を背負い、何故か泥まみれの状態で。
「お前達、もう行け。他に遣る事は幾らでもあるだろう」
「は…………」
「俺の顔色を伺ってばかりで何が楽しい? 俺の邪魔をしなけりゃ文句は言わないが、そんな奴等は尊敬出来ない」
「……ティタン様、神のご加護を。あの娘にも」
一礼して巫女達は去っていく。神の加護と言うのが女神パシャスの物ならば固辞したい所だが、一々話を長引かせるのが億劫になってそのまま見送った。
巫女達と入れ替わるようにティタンに近付くオーメルキンは、遠ざかる聖印の集団を見遣りながら身を緊張させていた。
「今のって」
「放っておけ。それよりそのザマは?」
「ちょっと……追っ掛けられちゃって」
「……何処に物を揃えに行った」
ティタンの追求に口篭り、頬を掻くオーメルキン。ティタンはやれやれと息を吐き出す。
「ギルドの管理している商店に行けと言ったろう」
「あたしの知ってる店のほうが安かったから」
「路地裏の、か? それでろくでなしどもに追い回されてりゃな。……奴等はお前のような弱い奴から何でも奪おうとする。小金を持って物を買い漁っていたら、喜び勇んで刃物をチラつかせて来るだろうな」
「……ごめん」
「まぁ良い」
オーメルキンから皮袋を受け取ってテーブルの上に置く。薬草や、砥石等。飲み水も少し。
二万クワンで揃えたにしては少し多い。安く物を買って差額を懐に入れた、と言う訳でもないようだ。ティタンは少し感心した。思わず綻びそうになった頬を無理矢理固める。
「オーメルキン、これから先疑問や提案なんかはまず最初に言え。他の奴等はどうか知らんが、少なくとも俺は話を聞いてやる。俺がギルドの商店に行けといったのはこういう事が起こるからだ」
「うん……」
「さて、必要な物はまだまだある。傭兵に必要なものはここいらで大体揃う。行くぞ」
皮袋を担ぎ、ティタンは立ち上がる。オーメルキンは鼻についた泥を拭いながらティタンの後を追った。
多くの者が二人を奇妙な目で見ていた。絶賛売出し中の傭兵と、小汚い小娘。知る者はティタンが強大な黒いワーウルフを打ち破った戦士だと知っており、知る者はオーメルキンが路地裏を徘徊する卑怯なコソ泥だと知っている。
困惑、侮蔑。ティタンはそういった視線がオーメルキンに集中しているのを感じた。オーメルキンも当然そうだろう。
ティタンはギルドの戸を開き、振り返らないまま声を掛けた。
「オーメルキン」
「……なに?」
「本物になれよ」
オーメルキンは応えず、ただ拳を固めた。




