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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第3章〈アヤメ〉
99/114

(4)魔物の領域5



 談話室の中、誰一人喋ることが出来なかった。

 みなそれぞれ顔を赤くし呼吸を乱している。

 コルキアスとライノは床に転がり、笑いすぎで体が痙攣していた。

 ナディアはソファーに顔を埋めて恥ずかしそうに震えていた。

 カルフィールは汗ばんだ顔を手で扇ぎ、買ってきた飲み物で喉を潤している。

「……お、お前のそれ反則だろう。マジで腹筋が捻じ切れるかと思った……く、ははは」

「確かに……意外な特技だよ、あんなに演技が上手いなんて知らなかった、あ、だめだ、思い出したら腹が……いててて」

 コルキアスとライノはそう言いながらもまた笑いの発作に襲われ、お腹を抱える。顔は笑っているが呼吸するのも辛そうだった。

「そう大したものではないわよ」

 謙遜しつつもやり遂げた充実感で赤ら顔を綻ばせる。彼女も大分恥ずかしかったようだ。

 もうここにいる全員が、自分たちが何の話をしていたのか忘れている。

 明日危険地帯に行くことも忘れているだろう。それ程笑い転げていた。


「それじゃあ、ギル班長もイリスさんも帰ってこないから……お開きにしましょうか」

 比較的ダメージの少ないカルフィールが提案し、3人も同意する。もう十分に暇は潰れた。

 男子二人はこの場所にいるだけで笑いの発作に襲われるので、解放されるのはありがたかった。

 

 コルキアスとライノは体を引きずるようにしながら談話室を出ていく。腰が曲がって震えるように歩くさまは若者とは思えないほど弱々しい。

 顔の筋肉は笑い顔で固定されてしまい、時折思い出し笑いをしながら基地内を歩く様子は中々に気味悪がられた。



「もう終わってしまったのかしら?」

 談話室の扉が開き、コルキアスたちと入れ替わるようにイリスが戻ってきた。どうやら所用は終了したらしい。

「はい。流石に疲れましたけどやり遂げました!」

 そう言ったカルフィールの顔は確かに満足気であったが、イリスは首を傾げる。

「恋バナですよね?そんなに盛り上がったのかしら」

「…………ああ、そう言えば恋バナをしていたんでした」

 イリスの言葉に今更何をしていたのか思い出す。

 同時に恋バナを始めた理由も思い出した。

「ナディアちゃん!まだナディアちゃんの話が終わっていないわ!」

 ソファーに顔を埋めていたナディアの肩が跳ねる。恐る恐るカルフィールの方へ振り返った。

 カルフィールは微笑みながらナディアににじり寄る。彼女は元々ナディアの話を聞きたかったのだ。


 集団心理によって言わざる得ない下地を作っていたのだが、班員たちがあまりに恋バナらしくないことばかり喋っていたため、本筋が見えなくなっていたのだ。

 発案者が恋バナを即席漫才で最果てに吹っ飛ばしていたのだから、誰かを責めるのは筋違いだろう。

 

「あら、まだ続くのね。私もぜひ聞きたいです」

 イリスもカルフィールの言葉に同意する。イリスはカルフィールのような意図があったわけではないが、カルフィールにとっては思わぬ援護射撃となった。

 ナディアは困ったように視線を彷徨わせる。逃げ場を探す小動物のように可愛いが、カルフィールは笑みを深めるだけで引く気はない。


「なら、俺も混ぜて貰おうかな」

 一体いつから居たのか、ギルが入口のドアに寄りかかりこちらに笑顔を向けていた。

 何だか黒く煤けていて焦げたような臭いがギルから漂ってくる。

「……焼却炉に放り込んだはずですが?」

「ふ、甘いね。俺を倒したいなら焼却炉に鍵をかけるべきだったな!」

「今度からそういたします」

「ごめんなさいもうしませんゆるしてください」

 平身低頭で謝るギルにイリスは無言で何も声を掛けない。イリスは本当にギルを燃やそうとしたのだろうか。カルフィールは少しギルに同情する。


「ギル班長そんなところに立ってないで、こちらに来てください」

 カルフィールの言葉に嬉しそうに顔を上げ、ギルは意気揚々と近付いてくる。

「ただ焦げ臭いので、少し離れて座ってくださいね」

「はい………」

 女性陣三人から距離を空けて座るギルの肩は、重石を乗せられているかのように落ちていた。


「さあ、ナディアちゃんいつでもいいわよ」

「どうぞ」

「ナディア君、ぶちまけちゃいなよ!」

 三者三様の言葉を受けながらナディアは困ったような顔をつくった。

「あの、でも私、話せるようなことが全くないんですが……」

 ナディアが遠慮がちに言ってくるがそうはカルフィールが卸さない。

「色々あるわよね!初恋とか、告白とか、意中の男子とか!意中の男子とか!」

 大事なことなので二回言った。

「私、まだ初恋が無いんですけど………」

 

 カルフィール、ギル、イリスは揃って首を傾げる。ついまじまじとナディアを見詰めてしまう。

「冗談だよね、ナディア君?」

 ナディアはその問いに恥ずかしそうに俯き、自分に集まった視線から逃れるように、顔を背ける。

「そんなに変でしょうか……」

 頬を赤く染める初々しい反応に、三人はナディアの言葉が混じり気なしの真実だと悟る。

「あ、あーそうなんだ。まあ、人それぞれ時期があるわよねえ。それじゃあ、告白されたこととかどう?ナディアちゃんならいっぱいありそうだけど」

 カルフィールがそう提案したが、ナディアは申し訳なさそうに「有りません」と答えた。

「流石にそれは嘘ですよね?ナディアさんの性格がギル班長並でも、その容姿で告白を受けたことが無いというのはおかしいです」

 カルフィールが力強く頷き、ギル悲しそうに頷いた。案外自覚があるのだろうか。

「告白は、ないですね。でも初等部の1年の時に決闘で勝ったら付き合え、みたいなことは言われたことあります」

「なにそれ、燃えるねえ!」

「なにそれ、最低だわ」

「何て小狡い男なんでしょう」

 不快感をあらわにする女性陣の表情に、ギルは能面のような無表情をつくり、これ以上の発言を控えた。

 このアウェーでは雄弁は焼却炉と絶対零度の視線だ。沈黙こそ金だ。

「それでどうなったの?……あれ、私よく考えたらこの話聞いたことがあるような……」

「何度か断っていたんですけど、しつこかったので試合を受けて、わざと負けたら諦めてくれました。それだけの話しですよ」

 ナディアにとって嫌な思い出だったのか顔を顰めている。

 彼女にとって争いは積極的に行うものではないし交渉の手段でもない。当時は相手に対して怒りを持って対処していた。

「ああ、思い出した!あれのことね。確かに随分噂になっていたわ」

「あれとは?」

 カルフィールが一人納得した顔で思い出しながら苦笑いを漏らす。

「ナディアちゃんがまだ初等部だったころの話なんですけど、誰が流したのか一番強い男子がナディアちゃんと付き合う権利があるみたいな話があったんですよ」

 カルフィールの話が初耳らしくナディアも驚いた顔をする。

 あくまで噂であるし、本人の与り知らないものもあるだろう。ただナディアに限って言えば、当時の噂やその時の細かな出来事は忘却の彼方だ。

「それで中等部の中で一番強かった異能者の男子が、ナディアちゃんと付き合う権利を獲得したんですよ。当時のナディアちゃんは、その男子が何を言っているのか分からなかったみたいね。今の様子を見る限り」

「ああ、そう言う流れだったんですね。それならあの人の態度も何となく納得できます。何故か困惑していましたから、話が違うって」

「しかし、なぜ決闘になるのですか?」

「多分話がこじれて『男子で一番強い』なおかつ、『ナディアちゃんより強い男』が好み、みたいなことになったんじゃないですか?」

「私もいまいち覚えがないですけど、そうなんでしょうか?」

 ナディアも当時のことはあまり良くは分かっていない。知らないのは当人ばかりだった。

 ギルは今の話を聞き、不思議そうに眉を寄せる。

「で、試合に負けたのに何もなかったのか?」

「あれ?私はナディアちゃんが圧勝だったと聞いていたけど?目に見えない速さで相手を攻撃して、背中を向けた瞬間に相手が崩れ落ちたって。男子全員震えながら話していたわよ」

「それはおかしいです。私は試合が始まってすぐに『参りました』とだけ言って帰りましたから。あと『あなたみたいな力で何でも解決しようとする人間とは一生口を聞きません』と付け加えました。その後は何にも話しかけて来なくなりましたね」

 ナディアの言葉に三人の顔に理解の色が浮かぶ。

 要はタイミングが良く、周りに人間がそう見たのだろう。当の二人は口を閉ざし、周りの人間が勝手に誤解した。

 正確には誤解するよう周りに仕向けた人間がいたのかもしれない。

 最初に流れた噂と同様に。


「そういうことですか。納得できるような、出来ないような」

「そうだな。拍子抜けする話だ」

 ナディアは特に気にしていないようだが、外側で事態を見ていたカルフィールからすればあまりいい気持のする話ではない。


 いくつかの当時の状況や噂を思い出してみると何が起きていたのか推測できた。

 当時の噂を回したのは初等部の女子で、ナディアに嫉妬していた一部の人間だ。

 いつも男子の噂になるナディアが気に食わなかったのだろう。

 適当な噂を流して牽制しようと考えていたら話が大きくなった。

 さらに決闘などという事態になり、ナディアが明らかに相手を負かしたような状況が出来上がった。

 真偽など関係なくそれを利用し、また噂をばら撒く。

 『ナディアは自分より強い人間としか付き合わない』

 『中等部で一番強い異能者の男子に圧勝した』

 周囲の誤解を大きく広げて嘘を本当に変える。

 だから彼女に告白しようなんて人間が現われなかったのだろう。

 ただし年齢が上がり、成長したことで高等部の人間の目にも止まるようになった彼女ならば関係なかったかもしれないが、彼女は武芸大会で圧勝してしまった。

 事実上彼女に告白しても、恋が実る可能性など無いと人は錯覚しているのではないだろうか。

 男子からのアプローチなどはあったのだろうが、ナディアは欠片もなびいていないし、はっきりと気持ちを伝えられない限り相手の好意に気付くことはない。


「なるほど、男は根性なしですね」

「そうですね。噂なんて本当に噂でしかないんですから」

 そんな話、本人に確認すればいいだろう。コルキアスのように。男子も言い訳にしていただけではないのか。

 

 カルフィールはナディアの体を引き寄せて腕を抱くように、密着する。

「カルフィールさん、どうしたんですか?」

「何でもないわ。ナディアちゃんはとっても可愛いなあて、思ったらつい」

 カルフィールは最近の付き合いでナディアという少女のことを理解し始めている。

 彼女が昔からまっすぐで、脇目も振らなかったのだろうということも。


 カルフィールの様子を見ながら、イリスは口をつぐむ。話の背景はおおよそ理解できるが、あまり事情の知らない人間が口にすることでもないだろう。


 ギルは真面目な顔で二人の少女を眺めながら、イリスとは別に思いにとらわれていた。

「(百合もありかもしれないな)」

 彼は胸の内に去来する、己の新たな芽吹きを感じていた。本当に節操ない。

 


「告白の話はいいのですが、気になる男子はいないのですか?」

 何気なく聞いたイリスの言葉に、カルフィールは笑みを深めた。やっとここまで来たかと。一体一つのことを聞くためにどれだけ回り道をしているのだろう。

 本人は過程そのものを楽しんでいるので気にしていないが。


「気になる男子ですか……確かにそれならいますね」

「え、誰なの。教えてほしいなあ」

 カルフィールも参戦し、ぐいぐいと体を押し付けてくる。顔が近い。ナディアも流石に仰け反っている。

「い、いえ、カルフィールさんの期待に応えられるような話では……」

「駄目だよ。若い子が遠慮しちゃあ。話せる範囲でいいから話してみなさい」

 ギルが珍しくまともな顔でまともなことを言っている。

 いくら火が入っていなかったとはいえ、焼却炉の中に放り込んだのはやりすぎだっただろうか。悪いガスを吸い込んだのかもしれない。

 イリスは内心褒めているようで、ギルのことをこき下ろしていた。上官が何を言っても気に食わないのだろうか。

 

 ナディアは戸惑いながら悩むが、この三人相手に言わずに切り抜けるのは難しそうだと思い、喋ることにした。

「そうですね。今気になる男子は、この訓練にも来ている人ですけど……」

「ガス君ね!」

 辛抱堪らずカルフィールがナディアに指摘する。ナディアはビックリと目を丸くして、カルフィールを見詰める。

「どうして分かったんですか」

「分かるわよ〜。何ていうか二人の空気ってちょっと切ない感じというか、甘酸っぱいというか、とにかくお互い意識しすぎて見てるこっちがやきもきするのよねー」

「そんなに、分かり易かったんですか……」

 カルフィールはうんうんと頷いているが、ナディアは恥ずかしげな顔ではなく愁いを帯びた表情をしていた。

 年長組の二人はついていけない。ガス君とは誰だっただろうかと。

「ああ、ガス君というのはガストール君のことです。ナディアちゃんの前に試合をしていた子ですよ」

 カルフィールの説明で二人はガストールという人物のことを思い出す。

 学生の中でも際立った能力の持ち主だっただけに印象はしっかりと残っていた。

「あいつか。風月かましたと聞いたな」

「ナディアさんに次ぐ実力の男子でしたね、彼は」

 二人にはちゃんとどの人物か分かるようだ。印象的であっただろうが、そこまでよく覚えているものだ。ギルなど直接試合を見ていなかったはずなのに。

「で、で、どうなの?どこが気になっちゃうの?」

 ちょっとカルフィールの興奮が酷くて喋りが怪しい。

 ナディアはそんなカルフィールを気にすることなく、目線を下げてポツポツと話し出す。


「元々、男子の中では一番仲が良かったと思います。好敵手のような関係で、切磋琢磨していましたし……」

 ナディアの顔は懐かしさで当時のことを思い出し、淡い笑みを帯びていた。

 自然とイリスやギル、カルフィールは聞き入る。




 元々ガストールという人物は乱暴者であった。

 むやみに物や人にあたるようなことはしないが、力のないものに対しては無関心で、異能者に対しては喧嘩を吹っかけてどちらが強いのか白黒をつけようとしていた。


 異能をコントロールする技術を習得するのに、必ず兵科に入らなければいけないわけではない。

 兵科のない初等部の段階で指導を受けることは可能だ。

 ナディアはその初等部から訓練に参加した中では、落ちこぼれだと思われていた。

 赤眼という異能者の中ですら特異な量のマナを持っているのだ、制御の難しさは他の学生の比ではない。

 全体の一分ほどのマナの体内操作を、ひたすら繰り返し体に覚え込ませた。

 異能を引き出すことや身体強化など派手なことは初めの1年は全くやらなかった。

 こうした様子もあって摸擬戦をしないナディアの実力は不明だった。多くの者は基礎で躓いていると思っていたのだろう。


 コントロールと並行して武術の習得にも力を入れた。

 体術と剣技を中心にひたすら基本に忠実に鍛錬を行った。

 元々父親譲りの武術の才があり、乾いた土が水を吸うように技術を伸ばしていった。

 それでも異能という点では、周りがどんどん強くなっていく中、ナディアは遅れていた。

 

 ただ悔しいといった感情とは無縁だった。彼女自身の力を持つ理由に起因したものだろう。

 ナディアが強くなろうとするのは、誰かと比べたいわけでも、誰かに勝ちたいわけでもないからだ。


 ガストールはナディアに対しては勝負を挑んでいない。挑む必要性すら感じていなかったからだ。実力差など火を見るより明らかだと。

 そんな二人だが接点は多かった。

 トラブルメーカーだったガストールにナディアはよく注意をしていた。

 必然的に話す機会も多く、気心が知れていた。

 相手のことがある程度分かっていても、彼女の小言をお節介としか彼は取らなかった。

 他人には短気を見せる彼だが、ナディアの言葉は少しだけ聞き入れていた。

 心のどこかでは喜んでいたのかもしれない。容姿の優れた少女に構われるのだ、悪い気持ちばかりではなかっただろう。

 一度彼女が中等部の一番強い異能者を一瞬で負かしたと噂で耳にしたが、彼は全く信じていなかった。

 ナディアが弱いこと理解している数少ない人間の一人であるためだ。

 興味本位でナディアに突っかかれた時に試合の話を聞いてみた。

 本人も笑いながら「私にそんなことが出来たら、とっくに領域開拓軍に入っているわよ」と言っていた。

 異能者でさえ赤眼を持った彼女の実力を誤解している者は多かった。

 一般人ならなおのこと簡単に信じてしまうのかもしれない。


 

 時は流れ、ナディアたちは初等部2年となった。

 この年は兵科主催の武芸大会が開かれることとなっていた。

 これは中等部と高等部だけの話だ。初等部は関係ない。

 ただ今回は前座の試合を行うため、初等部でも希望する学生に募集をかけることとなった。

 ナディアたちの世代は、ガストールを始めとした血の気の多い学生が多かったため、教官たちがガス抜きに提案したのだ。

 ガストールは意気揚々と参加を表明する。本当は武芸大会の本選に出たかったなと思いながら。

 

 ガストールにとって意外だったのはナディアの参加だった。

 彼女は今でも基礎ばかりでろくに摸擬戦をしていない。彼の中でナディアの実力は弱いままだった。

 おまけに戦うことに対して忌避感を持っているようにも感じていた。

 体術の組手でも人を傷つけることを極端に避ける。

 

 ガストールは一応良く話す女子でもあったため、心配して止めはした。

「弱い奴が出てくるなよ。白けるだろ」と思いやりが感じられない言葉ではあったが。

 ナディアがそれを聞き入れることはなかった。

「きっかけにしたいから」と少し硬い笑顔を返すだけだった。彼からすれば明らかに乗り気には見えなかった。

 ガストールはこの少女の矛盾した行動はよく分からなかったが、それ以上うるさくは言わなかった。



 試合の当日、ガストールはナディアの心配などすっかり頭から抜けていて、存分に試合を楽しんだ。

 彼の力はすでに初等部の中では頭一つ抜けていた。苦戦らしい苦戦もなかった。

 歯応えはないと感じてはいたが、多くの観客の中で力を示すのはえも言われぬ快楽があった。

 対戦相手など誰であろうと倒す自信があった。ガストールは対戦表を確認していなかった。

 そして決勝戦でもっとも意外だった人物と対峙していた。

 

 小さい体に不釣り合いな大きな片手剣を持った少女が、赤眼をこちらに向けている。

 何かの間違いだと思ったが残念ながら彼の瞳は正常だった。

 試合は始まり二人がぶつかり合ったとき、更なる驚愕がガストールを襲った。

 自分より体が小さく、異能の力も、武術も、体術も、駆け引きも、全てが劣っていると思っていた少女にギリギリの戦いを強いられていた。

 剣は基本に忠実で隙が無く、的確な狙いで打ち込んでくる。

 読み易いが攻めることも守ることも難しかった。腕に掛かる一撃一撃の鋭さ、重さが先ほどまで戦っていた学生たちと違い過ぎる。

 息が乱れ、肉体の疲労が限界に達し、ガストールは武器を弾かれ、ナディアに剣先を突きつけられた。

 完敗だった。

 言い訳のしようもない。

 知らぬ間に、この少女は自分より遥かに強くなっていた。


 ガストールにどういった心境の変化があったのか、実のところガストール自身も理解していない。案外周囲の人間は彼の抱く感情に気付いているかもしれない。

 ガストールはあの試合以降、必要以上に力を誇示することはなくなった。

 完全に無くなったわけではないが、いい方向には進んでいる。

 無軌道だった方向性は、少女の背中を追いかけるようにして進むようになった。

 ナディアの示す道が正道であったため、ガストールは正しさを正しく持てるようになったのだろう。




 過去を振り返りながら語る。

 掘り起こされていく記憶にはいったいどんな想いがあったのか。今なら、今だから見えるものもあるのだろうか。

 ナディアが彼に抱いている想いは何だろうか。

 改めて聞かれると困ってしまう。今まで考えたこともなかった。

 彼女は人と上手く付き合っていても、根っこのところでは見えているもの、見ているものが違っていた。

 他人の気持ちにある種、鈍感ともいえる。

 感覚で答えを出し、深い洞察を怠っていたのかもしれない。

 あの告白で今まで考えてこなかったつけが回ったのだろうか。



「……私とガストール君の関わりはこんなところでしょうか。私もこうして振り返ってみると変わった関係であることに気付かされますね」


「よ、予想以上に真剣な恋愛話に聞こえるんだけど、どうかな、イリス君」

「不本意ですが私も同意見です。これに気付かないのは本人だけ、というのはどうなのでしょう」

「いえ、私の見立てではガス君も気付いてないですよ。恐らくナディアちゃんレベルで」

 ナディアが淡々と話すのを聞いていた三人は、コソコソと集まって会議を始めていた。

 この話題をどう扱っていいのか計りかねていた。

 ナディアの言葉を聞く限り、ガストールは他の男子より明らかに特別な仲に思える。

 カルフィールの知っている情報の中では、ナディアが特定の男子と仲がいいという話はない。

 ガストールに限って言えば、完全にナディアを意識しているだろう。無自覚で。


 三人の様子にナディアはハッとして謝る。

「すいません。ガストール君が気になる理由を言い忘れていました!えっと、先日のことなんですけど、私がガストール君から何で師団に入りたいのか質問されて、その答えがつまんないと言われてしまって……。何でなんだろうと悩んでいます。本人に聞いてしまえばいいのかもしれないんですけど、すごく怒っているみたいで聞き辛くて」

 ナディアが捲し立てるようにそう言うと、三人は困惑したように目を白黒させ、お互い顔を見合わせた。

 この話の流れでは、長い時間一緒に過ごしていつの間にか意識するようになった、ではないのだろうか。

 それを、ごく最近意識したとナディアは話している。おおよそ色恋とは関係なさそうな話から。

「どんな理由を言ったのですか?目標を伝えて怒り出すというのは、あまりあることとは思えないのですが」

 取り敢えず疑問は置いておいて、イリスはナディアに質問したが、ナディアはそれに答えかねるように迷いを見せる。

 自分でも否定された理由は不明だったし、三人からも何か否定的なことを言われるのではと考えると気が引けていた。 それでも疑問を解決したい気持ちの方が強く、意を決し三人に自分の考えを言葉にした。

 

「私は……戦う力を、異能を持ったから、誰かをこの力で助けられる道を選びたいと、そうガストール君に伝えました」

 ナディアの言葉に三者三様に考える。その様子を眺めながらナディアはジッと堪えるように手を強く握る。


 カルフィールは何か納得したように。

 イリスは表情を変えずに言葉を咀嚼している。

 ギルは、カルフィールと同じように納得を見せた後、難しそうに考え込んだ。

「私の理由……やっぱり変なのでしょうか?」

 ナディアは恐る恐る三人の反応を伺う。

 言葉は随分と短いが齟齬が生まれるほど間違ったことは言っていない筈だった。三人の反応が気になって仕方がない。


「私なりに納得できたかな、ガス君の態度。正解じゃないかもだけど」

「あの、私は全然見当がつかないんですが……カルフィールさんの考えを教えてくれませんか?」

 カルフィールはナディアの弱々しげな言葉に、困ったように笑う。

「これは私の意見であって、ガストール君の考えじゃないから、そこのところはちゃんと踏まえて話を聞いてね」

 ナディアは頷く。カルフィールも自分が触れてはいけない部分については話すつもりはない。慎重に言葉を選ぶようにゆっくりと語る。

「多分ナディアちゃんは、ガストール君にとっての目標なんじゃないかな。私たちみたいな異能者でも結局は選んでいるようで、選ばされていると思うの。普通の人だって同じ。自由だとしても、何にでもなれるとしても、選ぶという行為には色々な事情が関わってくるわ」

 カルフィールも選んでいるわけではなかった。彼女は選ばされている。彼女を取り巻く事情によって。


「ナディアちゃんみたいに、明確に自分の意思をもって道を決めたわけではないのかもしれない」

 立派ではあるけど、14歳でこれほど明確に意思を示し行動を起せる人がどれほどいうだろうか。


「これは想像でしかないんだけど、ガストール君の実家は華族でしょう?なら自分の子どもに異能が宿ったら本人の意思より国への貢献を優先するんじゃないのかしら。それがすべてじゃないと思うけど」

 カルフィールはそう言葉にしたが、小さく首を振り、「今の、私見が入り過ぎていたから忘れてね……」と悪戯っぽく笑う。

 

「……ガストール君は、ナディアちゃんみたいに眩しい子がいて、目標にしてしまったんじゃないのかな」

 カルフィールはナディアの頬を人差し指で軽く突きながら「私にもちょっと眩しいのよ?」と呟く。


「しかし、目標に納得できなかった。だから怒りを覚えたと……それは余りにも」

 イリスが先を読んで言葉を挟むが、カルフィールは首を横に振る。

「これは想像ですからイリスさん」

 カルフィールはナディアの方へ再び顔を向ける。

「でもね、大きくは違わないと思う。ガス君はナディアちゃんに強い想いを持っていたんじゃないかしら。だからあなたの言葉に感情的になった、と考えられるわ」

 カルフィールには確信がある。細かな事情や背景ではなく、全てに納得のいく感情論。

 この場にいるナディアだけが気付いていないのではと思われる、単純なこと。

 ヒントは出しても、それを口には出さなかった。


「悩んでいいの。答えが出なくてもいい。ガストール君と話してみて、また怒られたっていいじゃない。始めから全部正解できるなんてありえないんだから」

 カルフィールはナディアに答えを与えず、煙に巻く。

 ただ道標だけを残して。

 

 ギルとイリスは、カルフィールの意見を尊重しそれ以上は何も言わなかった。言うべきことはカルフィールが言ってしまった。

 若いなりの拙さはあるが、口出しするすべきことではないだろう。年齢による考え方の違いもある。人と人の関わりに正解など在るものではないのだから。


 二人は晴れない顔したナディアを残して談話室を後にした。

 カルフィールもナディアから離れ、去っていく。


 一人彼女は、傾き始めた光が差し込む談話室で、何をするではなく、ぼんやりと座り込んで時を過ごした。

 判然としない他人の気持ちと、澄み渡った空の色に心を揺さぶれられながら。


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