(4)魔物の領域3
足の長い雑草の生い茂る林の中、ナディアは飛ぶように駆ける。
風はなく、不快な湿り気のある空気が体に纏わりついてくる。
木々を躱しながら、ナディアはこちらに向かって真っすぐ突っ込んでくる人影と視線を絡めた。
赤い液体のこびり付いた剣を振るい、人影を切りつける。
彼女を捕えようと伸びた相手の巨大な手を躱し、正面からすれ違うように振るった剣は人影の喉元を赤色に汚したが、まるでダメージが通っていない。人影が全身隈なく覆われた緑色の金属鎧を纏っているためだ。
鎧を着た人間の動きは猪突猛進で読み易いが、運動能力はナディアと同等のものを持っていた。
ナディアに照準を定めた鎧の人間は地面を抉りながらUターンをし、また全速力で襲い掛かってくる。
ナディアはそれに対し左に円を描くように走り、相手から距離を置く。しかし逃げるナディアに対して最短距離で追う相手の方が早かった。
あと数エーデルで追いつくかというところで、鎧の人間の体は轟音をたて、真横に吹き飛ぶ。
鎧の人間が先ほどまでいた場所には、カルフィールが赤い液体の付着した棍棒を振り抜いた体勢で佇んでいた。
得意の踏み込みから一気に加速し、認識外からの一撃を当てたのだ。
鎧を着た人間は体を地面に強かに打ち付け、走り込んだ勢いのままバウンドしながら地面を転がる。
それでも両手で強引に地面を掴み、態勢を立て直そうとしたがそれは叶わなかった。
兜に強打を受け、背中に衝撃が走る。体や頭からボタボタと赤い液体が滴っていた。
コルキアスが鎧を着た人間の背中を棒で押さえつけ、ライノが槍を兜に突き立てた態勢で止まっていた。どちらの武器の先端にもやはり赤い液体が彩っていた。
「作戦終了!お疲れさん!」
手を大きく叩き、ギルは班員に近付きながら終了な合図を飛ばす。イリスもギルと共にナディアたちに歩み寄る。
基地から離れた自然を利用した演習場には、他にも数名の隊員たちが査定のために観戦していた。 学生たちの査定であるため、ギルとイリスはナディアたちから離れた位置で指示を出していただけだ。戦闘に参加していない。
班員は安心したように戦闘態勢を解いて脱力する。コルキアスとライノは武器を下げ、倒れた鎧を着た人間に手を貸し立ち上がらせる。
鎧を着た人間はフェイスガードを外し、素顔を露わにした。
汗を滝のように流した赤い顔は、ナディアたちにとって最近は見慣れた第13師団の隊員の一人だった。
「この鎧、攻撃にはめっぽう強いけど常に全身サウナですわ」
こちらに歩いてくるギルに苦言をていしつつも、疲れた顔はしていない。大きな口に豪快な笑みを刻み、鎧をガンガンと叩いた。「流石に生身だと遠慮が生まれるからな。まあいいじゃねえか、これで最後だったんだから」
ギルの言葉にナディアたち班員は色めき立つ。
「え、マジですか、ギル班長!」
「うおっ!危ないだろ!」
コルキアスも興奮した様にギルに問いただす。嬉しさのあまり武器を振り上げギルの鼻先を掠める。
イリスはその様子に苦笑しつつ、質問に答えた。
「ええ、あなたたちは合格よ。これ以降は本格的に魔物の領域での演習に入ってもらうわ」
実力試験から7夜が経った鈴の月、25夜。
ナディアたちの班はようやく魔物の領域へ行く許可をもらった。
試験と訓練で個人の特性を調べた後はひたすら連携の訓練だった。
学生4人にギルとイリスを補助に加えた6人で班を構成し、昼間の時間の殆どを訓練時間に当て、夜は6人でなるべく過ごし、お互いのことを良く話した。
短くはあるが濃密な時間を過ごすことで、当初の無意識に敷いていた壁は大分取り払われていた。
合格を貰ったことで今日の訓練は切り上げとなり、明日の魔物の領域での本格的な演習に備えて各自休息をとることとなった。
「急に時間が空いても何をしていいか、分からないわね」
カルフィールは食後のデザートに頼んだ、乳白色のアイスクリームをつつきながらぼやく。果物からとった果汁を凍らせたもので、すっきりとした甘みがある。カルフィールにも安心の一品だ。「そうですね。この基地に来てからほとんど訓練漬けの毎日でしたから」
ナディアもカルフィールと同じアイスに舌鼓を打つ。
二人は午前の訓練後、シャワーで軽く汗を流した後食堂に来ていた。
男性陣は訓練後すぐに食堂に駆け込んだため既にいない。イリスも用事があったようで手早く食事を済ませてしまっている。
二人が和やかなに語り合っている横では、殺伐とした雰囲気を放つ女性が疲れ切った顔でテーブルに突っ伏していた。
カルフィールの友人であるシンフだった。
ふらりと食堂に現れ、昼食をかき込んだと思えばこの状態でピクリとも動かない。気絶したように眠っている。
初めの頃は心配していたが、7夜も過ぎれば慣れてしまった。
シンフだけでなく師団との合同訓練を受けている学生はみなテーブルに沈み、昼時の食堂は死屍累々たる有様だった。
こんな状態でも定時にはきちんと訓練に出向くのだから、最早洗脳されているのではと疑うほどだ。
ナディアとカルフィールは彼女を起さないようにそっとしておき、自分たちの余暇の過ごし方について話し合うことにした。
「基地の探検、はそんなに興味もないし、歩き回ると人に迷惑が掛かってしまうわね」
「んー、私もあまり興味はないですね。ライノさんたちに今から何をするのか一度聞いてみますか?」
「そうね、それが……」
カルフィールがナディアに同意しようとしたとき、二人の間に割り込むように影が差す。
影の正体は一人の男性で、師団の軍服を身に纏っていた。
着崩しており、ボタンも留まっていない。
ナディアに背中を向け、カルフィールの方へ顔を向けていた。
カルフィールは何時もの笑顔は崩していないが、少し困っているように眉を寄せる。
目の前の男性はあまり肌の色も健康的とは言えず、鼻につく香水のにおいがする。男は無遠慮に濁った眼でカルフィールを見ていた。
「よお、あんたら暇なのかい?学生はいい身分だな。俺たちが必至で訓練している横で暇潰しの相談とは」 邪な視線がカルフィールの体を這うよう動く。
ナディアがそれに気付き、止めさせようと椅子から立ち上がろうとしたが、後ろから肩を掴まれ押し留められる。
「そんなに暇なら俺の相手をしてくれよ。どうせ学生のお遊びなんだろ?ちったあ命張ってる軍人様に媚を売ってくれよ」
そう喋りかけた別の男がナディアの肩を掴んでいた。
覗き込まれるように顔をジロジロと見られ、反射的に体が竦む。
ナディアの怯えを見て、男は下卑た笑みを深める。
「ほら、お連れも一緒でいいからよ。あんたも来いよ」
この場は軍人たちの使う食堂ではあるが、時間帯が悪かった。ナディアたちが食堂を訪れた時間は遅かったし、今この場に残っているのも学生ばかりだ。
周りを見ればよく顔を合わせていた第13師団の人間はおらず、目の前の男性のようにどこか陰険な雰囲気を漂わせる者たちが、ナディアたちを隠す壁を作っていた。
「私たちこれから確かに時間がありますけど、なるべくなら有意義に過ごしたいんです。お兄さんたちは残念だけど私の趣味とはちょっと違いますね」
カルフィールの言うちょっとは性別単位の違いだが、目の前の二人には通じていないだろう。
「連れないこと言うなよ。少し付き合ってくれれば、俺たちの良さが嫌っていうほど分かるぜ?」
こちらに伸ばされた無遠慮な手をカルフィールはひらりと躱す。
男の強引な態度に、カルフィールは笑顔を崩しはしないが内心で溜息を吐く。
彼女は面倒だと思っても、この手の手合いにこれと言った恐怖心を持っていなかった。
ナディアと違い、冷静に彼らを見定めることが出来ているためだ。
「(どんな断り方をしてもしつこく誘いをかけて来るだろうし、顔見知りの軍人さんもいないし、どうしようかしら………あら?あの子は……)」
カルフィールが波風の立たないような断り方を考えているとき、見知った顔が目に入った。
「ほら、金髪の嬢ちゃんも…」
力を入れ、自分の懐に引き寄せようとしたとき、突如としてナディアの肩に触れていた男の手が払い退けられる。
強く打ったのか、食堂に乾いた音が鳴り響く。その音によって今までこのやり取りに気付いていなかった学生や軍人の目が集まった。
ナディアと肩を掴んでいた男の間に少年、ガストールが割り込んでいた。男の手を弾いたのは彼だった。
「……何しやがる、てめぇ!」
数瞬呆然としていたが、ガストールの存在を確認するなり男は激高した。
ガストールはそれに答えず、冷めた目で男を見やる。底冷えするような、徹底した弱者を見下す目をしていた。
ガストールの視線に男の中の自尊心と羞恥心が逆なでされた。
顔を赤くし、今にも飛びかかりそうにも見えるが、軍人の男はそうしなかった。
いや、出来なかった。
「それなりに冷静みたいだが、その目玉は飾りらしいな。この二人に手を出そうなんてよ」
ガストールは平坦な口調で男たちに視線を流す。睨むでもなく、ただ眺めていた。
それだけのことで、軍人たちは蛇に睨まれた蛙のように、ガストールの空気に飲まれていた。
無理はないだろう。今の彼は普段押さえている異能を滲ませ、威圧感を男たちに突き刺すように放っていたからだ。
お世辞にも練度の高いとは言えない彼らには、立っているのもつらいほどの圧力だった。
「あんたら軍人なら、ここまでされなくても強さくらい感じ取れよ。この二人は第13師団の異能者と正面切って打ち合えるくらい強いんだぜ」
ガストールの言葉に男たちは目を見開きナディアたちを見る。
どちらも華奢でおおよそ荒事に慣れているようには思えない。どうせ後方支援の人間だと高を括っていた。異能者であるなど夢にも思っていなかった。
「失せろよ」
ガストールは意図的に威圧を言葉に乗せ、男たちに飛ばす。
赤だった顔色は青に変わり、体を震わせながら男たちは引き下がっていった。
ガストールは息を吐いて、体の力を抜く。
流石に異能者ではないと言っても、自分よりずっと年上の軍人相手に啖呵を切ったのだ。精神的には疲れる。
もっとも、彼の疲れの主たる原因は自分を押さえることに対してだった。 男たちとナディアの姿が目に入った瞬間、頭に血が上ったが、近付いて感じた彼らの弱さに、手を上げないくらいには冷静さが戻った。
異能者でもなければ、軍人とも言えない。街のチンピラ程度の凄味しか感じなかった。
「ありがとう、ガス君!助かったわ〜」
カルフィールのなんとも気に抜けた声にガストールは苦笑いをこぼす。
「カルフィールさん、ガス君は止めてください。それに俺が来なくても何とかできたでしょう……」
事実、どんなに強引に迫られようとカルフィール一人にすら男たちは敵わない。
彼女は日常生活で異能の力を使わないのが信条であるため、余程のことが無い限り威圧であっても異能を使うつもりはない。
ガストールが上手く追い払ってくれて助かったのは事実だ。
「ガス君はガス君でしょう?それにあんなに熱くぶつかり合った仲じゃない」
「……可笑しなことは言わないでください。それをいうなら武芸大会で殴り合った仲でしょう」
「どっちも同じ意味じゃない」
「違います」
ドッジボールのような会話の応酬にナディアは置いて行かれる。
何となく仲がいいのは察しがついた。
「ナディア、お前も黙って肩掴まれてるんじゃねえよ。相手を投げ飛ばすくらいしても良かっただろう」
「えっ、それは……」
ガストールはつい、いつもの調子で話しかけてしまったが、あの嫌な別れ方をしてからナディアとは一言も口をきいていなかった。 ガストールは自分の失態に顔を顰め、ナディアも上手く言葉が出ずに顔を下に向け「ごめんなさい……」と小さく謝った。
「ガス君、マイナス100ポイント〜」
二人の微妙な空気など気にした風もなくカルフィールが会話に混じる。いつものニコニコ顔を気持ち半眼にして、ガストールに非難がましい視線を送る。
「いきなりなんですか、マイナス100ポイントって」
「折角かっこよかったのに、今ので台無しだよ。か弱い女の子に投げ飛ばせばいいなんてデリカシーが無いんじゃない?」
ガストールは「か弱い?」といって首を傾げたいのを全力で我慢した。
恐らく理屈ではないのだろう。
方や自分の全力でも傷一つつけることが出来ない少女と、方やギリギリの死闘を強いられた相手であっても、カルフィールがか弱いと言えばか弱いのだろう。
理不尽だ。
「それにしても……ああいう手合いはここにもいるんですね。師団は色々な人間が集まるっていっていましたけど」
カルフィールは同意するように頷く。
露骨に話を逸らしたガストールに呆れつつも、ナディアを気遣ってその話に乗ったのだ。
「これでもよくなった方らしいわよ。大きな声では言えないけど、昔は第13師団以外の師団は色々と問題があったみたい」
カルフィールは顔を寄せ、耳打ちするように小さく呟く。
ガストールもその話は華族である実家でも聞いている。
師団は傭兵団の側面が強いため、上の者次第で規律が乱れやすい。
第13師団の練度は常に高く、最低限の規律が守れているのはトップに恐ろしい統率力を持つ人物が居座っているためらしい。
師団全体が昔より良くなった話も、この第13師団のトップが物理的に他の師団のトップをしめて回り、退役に追い込んだという嘘か真か分からない噂が流れていた。
流石にそれは嘘だと思うが、他の師団に対しても強い影響力を持つ人物というのは確かなのだろう。
「何にしても、立派なセクハラだからイリスさんに報告しておきましょうか。変に目立っちゃたし、ナディアちゃんも行きましょう」
ナディアはカルフィールに声を掛けられ慌てて立ち上がる。確かに先ほどから三人に視線が集まっていた。
シンフはこの雰囲気の中でも起き上る気配がない。本当に大丈夫だろうか。
「……俺は、これで」
僅かにナディアの方に視線を向け、何か言いたげに口元が動いたが、結局は何も話しかけることなくガストールは口をきつく結んだ。
ガストールも元々昼食を取りに来ていたため二人に背を向ける。
「色々言っちゃったけど、助けてくれてありがとうね、ガス君!」
カルフィールは最後にお礼を言って別れる。ガストールも振り返り軽く頭を下げた。
「ありがとう、ガストール君……」
ナディアは笑顔を浮かべて、お礼を伝える。ガストールも「気にするな」と短く返し、再び二人から離れていった。
ナディアの笑顔は淡く霞み、もの憂い気な表情でガストールの背中を見送った。
「(これは、もしかして………)」
ナディアの横顔は、ガストールと同じように何か言おうとして、言葉にならないもどかしさを抱えているようにカルフィールには映った。
この時カルフィールのお節介な性分がニョッキと顔を出した。
食堂を出てからカルフィールは班員に声を掛けて回り、基地内の談話室に集まった。
広い窓と高い天井が開放的で、基地の中とは思えない落ち着いた調度品が供えられた場所だ。
イリスやギルもこの場にいて、全員が近い位置でソファーに腰かけている。
購買部で買ってきた飲み物が全員に回ったところで、カルフィールが乾杯の音頭をとった。
「さー、飲み物は回ったわね!それでは試験合格を祝って、カンパーイ!」
ギルや男子たちは困惑しつつもノリ良く「乾杯!」と返し、ナディアとイリスは首を傾げながら飲み物を掲げた。
「これはそう言った集まりだったんですか?」
「いえ、丁度良かったので言っただけです」
カルフィールは悪びれもなくイリスに答える。
この集まりに特に意味など無い。ただ暇を持て余すよりは一緒に過ごすのがいいだろうと集まっただけだ。名目など初めからない。
「まあいいじゃないか。新鮮というか、何だか若返った気がするよ」
「その発言がオジサン臭いですね」
ギルの童心に返ったようなしみじみとした語りに、イリスが水を差す。
「まあ、自分たちも暇だったからな。そんな疲れてもなかったし」
「そうだな。悪くない」
コルキアスとライノもやることが無かったため、集まること自体は特に異論がなかったようだ。
この談話室は休憩中の軍人たちが良くたむろしているが、今日はナディアたちの貸切りだった。今は時間も時間であるため、みな訓練や任務に励んでいるのだろう。
「それとイリスさん、先ほどの件は有難うございました」
「気にしないでください。むしろ私たちの落ち度ですから」
カルフィールとイリスは、お互い笑い合いながら意味深なアイコンタクトを交わす。
ギルは全く事情が分からなかったが、背筋に寒いものを感じ、鳥肌が立つ。
「何のことですか、イリスさん?」
二人から漂う空気を全く感じ取っていないコルキアスが軽い調子で質問をする。
イリスはそれに二コリを笑った。
「少し不真面目な人たちが目についたので、特別訓練を課しただけですよ」
「へえー、そうなんですか」
思ったより大した話題ではなかったのでコルキアスはそれ以上何も言わなかった。
ギルは絶対ろくなことではないと感じつつも、無言を貫いた。藪蛇は勘弁だ。
「そ・ん・な・事より、親睦をより深めるために恋バナしませんか!」
あまりの露骨な展開に班員たちは目を丸めカルフィールを見る。
雑だった。
カルフィールという少女の話題の出し方は実に雑だった。
絶対その話がしたくて集めただろう、とほとんどの班員が確信を持てるほどに。
「いや、カルフィールさん。どうして領域開拓軍の基地にまで来て恋バナを……」
「お、いいなあ。しようぜ、恋バナ!」
「悪くないです。むしろいいです」
ライノは難色を示すが、年長組の二人がノリノリで援護射撃を送る。
殺伐とした基地の中で戦いの日々を送ってきた二人は、自分が思っている以上に学生たちに毒されていた。
「自分もいいぜ。話聞くだけならな」
「はい!そんなコル君、一番手行ってみよう―!」
「って、何でだよ!」
急な指名で難色を示すコルキアス。カルフィールは甘い甘いとでもいうように形の良い唇の前で人差し指を振るう。
「ノリ!」
「ノリかよ!というかお前のキャラなんだよ、普段とえらく違わないか?」
カルフィールはコルキアスの言葉を無視してニコニコと笑いながら話を促す。どうやら話を逸らさせてはくれないらしい。
「ライノ、お前から行けよ!」
「………」
ライノはコルキアスから目を逸らし穴熊を決め込んだ。友情なんてほんと儚い。
チラリとナディアを視線の隅で確認するが流石に話を振らなかった。4歳も年下の女の子に縋りつくのは情けなさ過ぎると自制した。
「まったく、コルキアスは情けねえなあ。いっちょ、班長である俺から大人の愛憎模様ってやつを教えてやるか!」
ギルは仕方ないとでもいうように苦笑しながら、コルキアスの背中をバシバシと叩いた。
どう見ても話したくてうずうずしていた。
「でも、いつの話をすればいいんだろうな。最近のだと猥談にしかならないんだよな」
「あ、ならいいです。ライノ君、この班長の口から精神汚染物質が垂れ流されない内にあなたが何か話しなさい。コルキアス君はヘタレの様だから」
イリスは表情変えることなくギルをバッサリと切りつけるが、真の狙いはギルではない。
「じ、自分はヘタレじゃないし!ちょっと話が上手すぎて、後の奴が辛いと思って譲っただけだし!」
顔を赤らめ強気に言ってのけるコルキアス。イリスはそんな彼に優しく話しかける。
「そうだったんですか。であれば私や他のみんなも少し話題を選びたいので、コルキアス君からお願いできないでしょうか?」
イリスは理解している。こういう手合いに命じるのは駄目だ。受け身でのお願いがやり取りを成立させるのだ。
一見コルキアスに選択の自由があるように思われる一連の会話からは、一切の逃げ道はなかった。
彼はイリスという蛇に飲まれたネズミに過ぎない。
「仕方ないな。なら自分から話しますよ」
「ふふ、お願いします」
カルフィールはすっかり主導権をイリスに取られてしまったが、まあいいかとこの流れを楽しむことにした。
昼下がりの陽光が照らす明るい室内には、学生と軍人とが笑い合いながら和やかに過ごす。
すぐ隣に広がる危険地帯など、今の彼らには何の脅威でもなかった。




