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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第3章〈アヤメ〉
96/114

(4)魔物の領域2

「よろしくお願いします」

「ああ」

 短い挨拶を済ませ、軍人と少年が相対す。

 少年は学府の異能者であり、弱冠14歳でありながら武芸大会2位という好成績を持つ。

 間違いなく逸材と言える。

 だが今の彼からは実力に裏打ちされた自信は見えなかった。

 複雑に揺れ行く少年の心とは関係なく、試合は始まった。



 軍人は斧槍を構える。力の抜けた自然体でありながら隙は伺えない。

 少年も軍人と同じ斧槍を構えていた。肩に余分な力が入り表情は硬い。

 軍人は仕掛けてこず、どうやら先手を少年に譲る気でいるようだ。


 少年、ガストールにはこのただの鉄製の斧槍ですら重く感じていた。いや全身が重い。

 精神の不調が彼の体を重くさせ、戦意を鈍らせていた。


 視界の隅には黄金色の髪の少女が映る。 どんな表情をしているか分からないが、好意的な感情はないだろう。

 ガストールの心は未だ整理がつかず、苛立ちや怒りや、悲しさがない交ぜになっていた。

 こんな中途半端な気持ちで戦いなど「らしく」はない。


 ガストールが攻めてこないのを軍人は不審げに見つめていた。

 ガストールは空を仰ぎ、大きく息を吸い込み叫ぶ。

「あああああああああああああっ!」

 空気と一緒に悩みそのものを外へと追いやる。今考えるべきでないこと、その全てを吐き出し、戦いにのみに集中をする。

 この切り替えを出来るというのはガストールの強みだった。


 全身に炎のように熱い異能の力を滾らせ、軽く地を蹴り、駆けるように前進する。

 ガストールは自身の斧槍を短く片手で持ち、軍人の間合いに入る直前で斧槍を突き出した。

 柄がガストールの手の中で滑るように移動し、常人の目には捉えられないほどのスピードで軍人の鳩尾を狙い撃つ。

 ガストールの突きは異能者である軍人にすれば欠伸が出るほどの速度しかない。

 何か狙いがあると読み、余裕をもって弾こうとしたが、寸でのところでタイミングを外され、払い損ねる。

 ガストールは滑らせていた柄を強化した握力で無理やり止めたのだ。

 簡単なフェイントに引っ掛かった軍人だったが、焦りはない。あまり意味のないタイミングでのフェイントだったからだ。

 間合いも遠く、相手も斧槍を突き出した格好で止まっている。チャンスがあるとすれば軍人の方であっただろう。


「始元流・風月」

 突然、ガストールの姿がぶれ、目の前から掻き消える。彼がいた場所には僅かに土煙が地面からたっていた。

 音がまるで消えたような静寂に、軍人にも空白が生まれる。

 何もなかった軍人の背後の空間に、ガストールは浮き上がっていた。

 足は地面から離れ、さながら時間停止でもしているように見える光景。宙で構えるガストールはすでに十分な溜をつくり、斧槍は相手の体に突き入れられるのを待っていた。

 ガストールは軍人の無防備な背中に渾身の一撃を見舞った。

 音を超えて放たれた一撃に、視界外からの一撃に、軍人の五感は反応できない。 


「これでくたばるようなら軍人やってないぜ」

 軍人は全く見ることも、聞くこともせず、背後の一撃に対応した。

 高速の突きを躱し、斧槍の柄を右脇に挟んで掴まえる。

 完全なタイミングだった攻撃を止められ、動揺する間もなく戦いの流れは移り行く。


 軍人は足を踏み込み、腰を回し、体を回転させる。

 ガストールは踏ん張ろうとしたが、相手の力の方がはるかに上だった。

 体を振り払われそうになり、堪らず武器を手放し、斧槍を奪われる。

 

「初見なら、一撃受けていたかもしれないが、うちには始元流の達人がいるからな。未完成の風月で一撃もらったって知られたら殺されちまうぜ」

 軍人は斧槍を脇から外し、左手に持つ。僅かではあるが軍人のこめかみには汗が浮かんでいた。

 僅かに漏れた気配で攻撃は防がれはしたが、今の一撃は軍人の肝を冷やすほどの攻撃だった。


「武器を失ったが、降参するか?」

 その問いにガストールは悩んだそぶりを見せず、拳を構える。

 軍人は口角を吊り上げ、両手の斧槍二振りを線の外へ放り投げた。

 軍人の行動によって、この場の武器は己が肉体のみとなった。 

 軍人が軽いステップでガストールに近付き、鋭いジャブを放つ。

 ガストールは腕を掲げて防御しようと思考したが、体はそれに反し体勢を崩してまで避けていた。

 彼の思考と体は別々の行動をとっていた。体が無意識に受けることの危険性を感じ、拒んだのだ。

 ガストールの顔の在った位置でパァアンと乾いた音が辺りに響いた。

 空気が弾けた勢いで風が起こり、ガストールの頬がやすりでも当てられたかのようにひりつく。ただの拳から斧槍以上の破壊力を感じる。ガストールの体からは冷たい汗が流れ出る。

 怯むガストールに軍人の拳は待ってくれない。左を戻しながら鋭いフックをガストールの顔面へと放った。 ガストールはそれも避ける。体を屈め、地面に両手をつく。

 体のバランスや次の動作など考えていない不恰好な躱し方だった。

 軍人は畳みかけるように無防備な後頭部に拳を振り下ろすが、ガストールは反射的に地面に転がり避ける。

 ガストールには軍人の拳が見えていない。あまりにも速すぎる。

 今の彼は勘で避けていた。どこを狙ってくるのか予測し、彼より一瞬早く回避行動をとる。

 早出しじゃんけんでもしているようなものだ。強化された五感でさえ、知覚できないほどの刹那の攻防が5度続き、その全てをガストールは躱してみせた。


 健闘はそこまでだった。

 連続して顔面へと振るわれるジャブに必死に食らい付いているときだった。

 右の拳を躱し、次の左の拳に気が囚われた瞬間に、体の動きが止まり自由が利かなくなる。躱した右手はガストールの奥襟を取っていた。

 極限での集中力が裏目に出ていた。ただ拳を避けるので精一杯で搦め手を読もうとしていなかった。相手が投げ技をする可能性をまるで考えていなかった。

 服ごと強引に体を持ち上げられ、ガストールの体は地面に叩きつけられる。

 衝撃で肺の空気が口から抜け、目の前が赤くなった。

 

「試合終了だ」

 ガストールが呆然と地面に大の字になる中、軍人は試合の終わりを告げた。


 実際に打ち合った時間は短かったが、ガストールが他の生徒より劣っていたわけではない。

 むしろ彼の実力が高かったから軍人は手加減抜きで相手をしたのだ。

 大怪我を負わせるような攻撃は混ぜてはいなかったが、現役の軍人相手に数合でも持ったのは快挙だろう。

 それでも、悔しくないわけではない。全く自分の実力が通じないことが分かり、打ちのめされていた。

「ちくしょう……」

 仰向けに高い空を見上げながら、絞り出すように声を漏らす。

 もっと戦えた、もっと戦っていたかった。



「よお、生きてるか?」

 試合が終わっても寝ころんがまま動かないため、心配した軍人がガストールの顔を覗き込む。

「はい……」

 ガストールは上体を起し、立ち上がろうとするが僅かにフラフラする。締め付けられるような頭痛もしていた。

「適当に休んでいろ。お前、無意識だろうが異能の力で無理やり知覚を強化してたみたいだからよ。目ン玉が血走ってるぞ」

 ガストールは鏡が無いため分からなかったが、一目でわかるほど彼の目は赤くなっていた。それ以外の外傷は見当たらず、おかしなところはない。

 ガストールの平気な様子を確認した軍人はもう言うことはないというように去っていった。


「ありがとうございました!」

 ガストールは軍人の背中に挨拶をし、試験場から出た。

 試合が終わり、健闘を称えて軍人たちから歓声が贈られる。

 ガストールはそれを受けながら、自身の足りない実力を戒める。もっと強くならなければと。

 その思いと共に少女のことが頭によぎり、顔を歪める。

 なぜまた思い出すのか。

 前にも後ろにも行けない自分が酷く空しい。

 敗北と少女に対する複雑な感情が入り混じり、ガストールは口の中に苦味を覚えた。




 試験は残すところ1名となったが、どうやら相手役の軍人がまだこの場にいないようだ。

 軍人たちは誰でもいいじゃないかと提案しているが、先ほどガストールと戦っていた軍人がそれを止めていた。

 

「ナディアさん、すいません。もう少し待っていてくださいね」

 イリスが待機しているナディアに声を掛ける。

 ナディアはようやくカルフィールから解放され、軽く体を慣らしているところだった。

 ただの軽い運動程度だが、体の動きはしなやかで熟練している。

 武芸大会以降も修練を積み重ね、ナディアの実力はあの時よりさらに飛躍していた。スマイルの言う通り成長期の能力上昇が反映され、マナの総量、異能のコントロールの割合も上がっている。

 イリスの持つ情報も今と比較すれば古いものとなっていた。こうした学生の急激な成長もある故に魔物の領域に入る前に試験を行っている。


 軍人たちが焦れだした頃、ようやくギルが顔を見せる。

 普段の軽薄そうな顔だが、どことなく萎びれた様子だった。落ち込んでいるようにも見える。

 イリスはギルの隣に小さな影を見つけ、視線を下にスライドさせた。

 長身のギルより明らかに小さい人物。もしかしたらナディアより小さいかもしれない。

 こげ茶色の髪に、少年にも見える幼い容貌。

 白の軍服を着ているが、その造りは班長や隊員のものと違い、金の組紐などの細かい装飾の意匠が施されている。領域開拓軍でも幹部の人間のみに着ることが許される軍服だった。

「嘘、班長、何であの人を……」

 ナディアもイリスにつられるようにギルの方へ視線を向け、その横にいる男性の顔を見て驚きを露わにする。


「赤眼……」

 男性の持つ瞳はナディアと比べても遜色がないほど見事に染まった赤色だった。




 ギルが試験場に戻ってくる少し前。

 彼は基地内部のある重要施設の前にいた。

 ギルの権限では立ち入ることは許されない。それ故に取次ぎを頼んだのだが、断られる可能性の方が高かった。ギルが訪ねている人物は一応重要な任務の最中だからだ。

 彼にとって首を捻りたくなる内容ではあるが、まあ、相手が相手なので仕方ないだろう。

 待たされた時間は1分もなかった。相手は肩を怒らせながら早足でギルの元に駆けつけてきた。

 少年のような容貌で幹部クラスの軍服に身を包んだ男性だった。

 

「貴様!任務の最中に僕を呼び出すとは何事だ!」

 自分より大分下にある顔は怒り心頭と言った様子で、見かけと相まって子どもっぽい。

「すいません。折り入って頼みたいことがあったので。で、どうでしょう。受けてもらえるのでしょうか?」

 ギルはそう言いながらも結果は分かっていた。断るのならば彼は直接降りてきたりはしない。

 分かっていて聞いているところが質が悪い。

「……僕の主が許可したのだ。でなければ学生のお守など引き受けるものか!」

 目の前の少年に見える男は眉を跳ね上げ、歯ぎしりをしながら悔しそうに漏らす。

「流石は噂に名高き御仁だ。心を砕いていただき痛み入ります」

 取り敢えず営業用のスマイルで、この男性の「主」という人物を持ち上げておく。

「ふん。当たり前だ。天地人においてあの方より聡明な方はおるまい」

 ギルのおためごかしに若干気分がよくなったようだ。この男性は自分がよく言われるより主がよく言われる方が機嫌がよくなる。

 ただすぐに表情を厳しいものに変え、ギルを睨み付ける。

「つまらん些事で主を出汁にしたわけではあるまいな」

 ギルも顔を真面目に取り繕う。

 ギルはこの男性に直接伝言を頼まず、主に伝言を頼んだのだ。勿論普通なら難しいが伝手の一つを使えば叶うことではあった。痛い出費を重ねての苦肉の策をとることによって。

 男性は感情的に見えるがギルのやり口を分かった上で話に乗っているのだ。怒りは本物だが。

「一人、あなたに直々に試合を受けさせたい学生がいます。どうか、ご足労頂けないでしょうか」

 男性は悩む素振りもなくギルの横を歩き去る。

「先ほども言ったであろう。許可は出ていると。さっさと終わらせて帰らせてもらうからな!」

 颯爽と歩く男性の後ろに慌ててギルは走り寄る。

「(さて、ここまではいいが……どうなることか)」

 ギル自身にこの行動の行く末は分からない。だがただ試験をするよりはあの少女にいい刺激が与えられるのではと考えていた。

 現在この基地にいる異能者の中で最も高い実力を持つ彼、リアスが相手ならば。

 自分の使命を果たしたギルは、財布の中身を余念なく頭の中で確認しながらため息を吐いた。




 地面に線の書かれただけの簡単な試験場。

 リアスとナディアは向かい合い、だんまりとしていた。

 二人の手には何もない。お互い武器を持っていなかった。

 ナディアは殆ど説明されずに、この少年のような軍人の前に立たされたため、困惑していた。

「…あの、武器なしの試験なんですか?」

「いや、武器は使うがこの場に無かったのでな。今取りに行かせている」

 リアスはナディアを穴が開くほど見詰めながら尊大な口調で答える。

 ナディアも流石にここまで見詰められると、気恥ずかしくなるがリアスは視線を切らない。

 リアスの視線は邪なものではなく、何か小骨が喉に刺さったかのような怪訝な様子でナディアを見ていた。

 周囲の人間は静まり返っており、二人の様子を見守っている。

 試験場にいる軍人たちから先ほどまでの不真面目さはなく、逆に緊張感が漂っていた。

 学生たちもその空気に当てられたように押し黙っている。

「学生、一応自己紹介をしておこうか。僕の名はリアス・ソシエーデ。階級は少佐だが、部隊を持っていないため、あまり意味のある階級ではないがな」

「私はナディア・ホーエイ・ジルグランツです。失礼ながら、部隊を持っていないというのは?」

 ナディアは少し気になる程度だったが、目の前の少年のような見掛けの軍人リアスは、聞いてほしそうな顔をしていたので義務感から質問した。

 どちらにしても試合が始まるまで黙って観察されるより、会話する方が建設的だろう。

「知りたいか。ふむ……学生に聞かせて分かるかは疑問だが、後学の為に教えておこう」

 鼻を鳴らし、さも仕方なさそうなに顎を撫で勿体つける。周囲の隊員たちは舌打ちでもしそうな顔の歪め方をしているが、自制できているようで音は聞こえない。

 リアスは鼻の穴を大きく膨らませながら白い歯を見せて決め顔をつくる。


「僕はこの領域開拓軍で10人といない、法術師の剣だ!」

 大きな声だった。この場にいる全員に聞こえるほど。

 しかし特に反応はなかった。

 

 軍人たちは知っているための無言。少し不憫そうにナディアとリアスを見ている。

 学生に至っては言っている意味が分からなかったための無言だった。

 ナディアも曖昧な顔をしている。

「……ゴ、ゴホン。予想はしていたが伝わらなかったか。まあ仕方ない、法術師の剣というのは僕が名乗っているだけで正式名称じゃないからな」

 学生たちはこの時、正確にリアスという人物を理解した。

 なるほど、残念な人なのかと。


「ほ、法術師は周囲に人間がいないほどその力を発揮できる。だが安全のためには小隊を組んで行動しなければならない」

 言い訳のようにリアスは慌てて喋り出す。ナディアも目の前の大人に励ましの視線を送りながら、大人しくそれを聞くことにした。

「その中にあって僕の役目は常に主たる法術師と共にあり続けることだ。小隊の編成が変わろうと、部隊が全滅しようと、常に寄り添い主を守り続ける」

 

「それが僕だ」

 この役職には正式な名称はない。特務として与えられ続けるものだからだ。

 故にリアスは何か良い呼び名はないか常に模索し、「法術師の剣……かっこいいな、これでいこう」という一つの答えに辿り着いた。軍で採用されるかは不明である。

 法術師と特務の異能者は常にペアでの運用がなされる。どんな戦場でも共にあり、常にお互いを支え合う。

 リアスは25歳にしてこの特務を与えられた。出会った法術師と相性が良かったようで、彼にとってこの栄誉は喜びであり、生き甲斐となった。

 彼は自分のペアとなった主に全てを捧げる覚悟でいる。本来なら任務と割り切る者も多いが、彼にはそれが無かった。

 ペアとなった法術師を主という自分の上位者に置き、守るためならば身命を賭すほどの覚悟を持っていた。

 故にはばかることはしない。自信に満ち、主に相応しい強者振る舞いを心がけていた。


 リアスの言葉に、ナディアの雰囲気が僅かに変わる。

 今までのような怪訝さではなく、リアスに対して敬意を帯びた視線を向けていた。彼女にはリアスのありように感じるところがあったようだ。

「どうした。僕の凄さに恐れを抱いたか。まあ仕方ないことではあるな」

 ナディアの黙り込んだ様子を勘違いしたのか、気分良さそうに語る。

 ナディアがその言葉に返答をしようとしたとき、試験場の二人にギルともう一人の軍人が近づいてきた。

「ナディア君、これを使いな」

 ギルはナディアに鞘に収まった剣をゆっくりと手渡す。相当な重量があり、ナディアは異能の力を引き上げ、重さに耐えた。

 特別大きくない鉄の剣にこの重量はあり得ない。

「これは……」

「そうだ。試験はこの武器を使って行う」

 リアスももう一人の軍人に渡された剣に手をかけていた。すでに鞘から抜き放たれ、黒曜石のような黒いガラス質の刀身が露わにある。

「黒鉄の武具での試合だ」



 イリスやナディアの班員たちは目を見開き、リアスの持つ黒色の剣を見詰めた。

「嘘でしょ、度が過ぎているわ!」

 カルフィールは驚きより怒りが先に出てきた。彼女にしては珍しい感情ではあるが、同じ班員であるライノ、コルキアスも同様に怒りを露わにしていた。

「イリスさん、止めてください!あんなもの使ったら死人が出かねない!」

 ライノも声を荒げるがイリスは首を振るだけだった。

「あれは黒鉄でできているけど、刃挽きはされているわ。問題ないでしょう」

「いや、問題しかないでしょ。異能者なら刃挽きした剣で岩くらい切り裂けますから。問題はそこじゃなくて、あの武器が黒鉄だっていうことですよ!」

 コルキアスも普段の生意気な目ではなく、心配そうにリアスとナディアの方を見ていた。

「知っていますよ。ですが怪我の心配はしなくてもいいと思います」 三人の学生は余りに冷静なイリスに毒気を抜かれる。

 周りを見てもざわついているのは学生ばかりで、軍人たちは顔を顰めてはいるものの何も口出ししない。


「実力差があり過ぎてどちらも怪我などしませんから」

「いや、ナディアは別格ですよ。軍人の方でも余裕があるとは……」

 実際に試合を行ったこともあるコルキアスが食い下がり、イリスに意見する。それでもイリスの考えは変わらない。

「見ていればわかります。この試合が見られるというのはあなたたちにとって幸運ですよ。理不尽を一度目の当たりにしたほうがいいでしょうから」

 イリスは眉にシワを刻みながらいう。

「才能や努力など鼻で笑えるほど、隔絶した力を」



 リアスは鞘をそのまま剣を持ってきた軍人に渡し、ナディアにもそれを促す。

 ナディアは未だ困惑した顔でギルを見上げる。

「ナディア君。君の全力を出して構わない。この人はそれでも傷一つ負わせられない相手だから」

 ナディアの混乱をよそにギルはナディアを促し、剣を抜かせる。

 ナディアとリアスがもつ剣はどちらも同じ形をした両刃の剣。刀身が厚く、長さはナディアがいつも扱っている剣と同じくらいで片手でも十分に扱える。

 ギルは鞘をそのまま持ち去り、試験場は再びリアスとナディアだけとなった。


「準備はいいか?」

「しかし、この剣は…」

 リアスの言葉にナディアは頷けない。

 リアスは馬鹿にしたようにナディアを見る。いや、呆れていると言ってもいい。

「お前はどれだけ自尊心が高いんだ。お前の剣が僕に掠りもするわけはないだろう」

 不遜な物言いであり、相手を挑発する意図があったがナディアは困惑するだけだった。

「まあいい。真面目に付き合うのも馬鹿らしい限りだ。その気がないなら一瞬で終わらせてやる」


 リアスは剣を振り上げた。手が霞み視認することが不可能な速度。

 旋風がナディアの体を襲い、風の鞭が直撃する。体に衝撃が走り吹き飛ばされそうになるが、地面に足を喰い込ませて耐える。

 腕にかかる力と風が消失した時、ナディアの足元は5エーデルにわたって地面が抉れ、後退の跡を刻んでいた。

 リアスはマナに頼らない、ただ純粋な剣の一閃で暴風を起していた。

「ほう、反射的に剣で受けたか!そらっ、もう一発!」

 さらなる風が巻き起こり、ナディアを襲うが、今度は受けなかった。

 引き出された異能を振るい、不可視の風の鞭を真っ二つに切り裂いた。

 剣から生まれた風がリアスの剣風も巻き込み、周囲へ突風を巻き起こす。観戦している者たちに体を揺さぶられるほどの風圧が叩きつけられる。

 リアスは剣を下げ、ナディアを見る。学生への侮りのない、純粋に闘争心を滾らせた瞳で。

「少しはやる気になったか?」

「……実力を示せればいいんですよね」

 ナディアは剣を正眼に構える。

 何も実力を示すのが相手を傷つけることだけではない。剣を使わない体術での攻撃でもいいのだ。

 それにこの異能者が本当に隔絶した力を持っているのなら、自分が傷つける心配など、おこがましい。

 だが、建前など抜きにしてナディアには本気でリアスと戦いたい理由があった。

 本当に彼が法術師と寄り添う異能者であるのなら。

 ナディアは異能を一気に引き上げ、熱量を全身に回し、戦意に火をつける。


「胸をお借りします」

「好きに打ってこい!」

 ナディアはリアスに向けて駆けだした。



 土がはじけ飛び、風が舞い、足場が崩れる。

 紫電のような光がはじけ飛び、鼓膜を震わせる破砕音。

 剣舞で生じた荒れ狂った大気の流れに観戦者はさらされ続ける。


「はあぁ!」

 ナディアの高速で振るわれる薙ぎ払いは、易くリアスの剣に阻まれる。

 接触した瞬間の音は地を震わせ、木霊を上げる。

 吹き荒れる剣圧の中、リアスの不遜な顔はまるで歪みはしない。

 ナディアはきつく目を吊り上げ、額から汗を浮かばせながら必死に攻める。


 手首を返しコンパクトに次の一撃へと繋げるが、先読みでもしたかのように的確に対応される。

 弾かれた反動から強引に力を込め、殴りつけるようなに首元に放った斬撃も、ただ正眼構えた長剣に阻まれる。

 鍔迫り合いで押し込もうとしても剣は爪の先ほども動いてくれない。


 蹴りを混ぜ、拳を振るい、両の手で剣を振り下ろそうがリアスは小動もしない。

 初撃の風の鞭以外は、すべて彼は受けに回っている。だというのにまるで攻めることが出来ない。

 手に走る感触は確かなのに、まるで空気を切ろうと足掻くような、諦観に襲われる。

 まるで攻撃が当たるイメージが無い。

 ナディアの異能は今扱うことが出来る限界値まで引き出され、肉体と五感を十全に強化している。戦いの中で極まり続ける集中力によって彼女は最高の状態にあった。

 それでも届かない。相手にならない。


 相手が攻めてこないことが分かっているため、間合いに入った状態から十分なためをとる。ゆっくりと構え、集中力を高める。

 リアスはその様子を剣を構えたまま、ただ見送る。

 踏み込み、力を乗せ、更に異能の力を相乗させ、持てる最高の一撃を繰り出す。

 放たれた剣は高く澄んだ音を刻みながら鳴く。

 まるで誘導されるかのようにリアスへと吸い込まれる斬撃には必殺の手ごたえがある。

 黒色に閃く斬撃にリアスがとった行動は剣を軽く振るっただけだった。力の乗った剣だとは見えない。

 しかし相手の袈裟に向かって振り下ろされる一撃はまるで鳥の羽でも払うかのように弾かれる。

 ナディアはそのまま力に押され、後退を余儀なくされる。勢いよく背中から倒れそうになるが、剣を地面に突き刺して何とか踏みとどまった。


「大体お前の限界は掴めたな。そろそろ、こっちも攻めるぞ」

 リアスはそう言い残し、ナディアの眼前に姿を現す。無音での移動。先にガストールが見せた風月より遥かに早く、目の前にいながら知覚が追い付かない。

 防御姿勢はおろか、視認さえ許されず、ナディアの左の胸元に剣先が付きつけられていた。

「まずは1回」 即座に剣先を打ち上げようとするが、ビクともしない。逆に打ち付けた自分の剣が弾かれる。

「せっかちになるな。取り敢えず100回くらいは付き合ってやる」

 リアスは再び剣を振るいナディアの首に当てる。目の前で起こったことでさえ捉えられない。

 胸元から首に移動した剣先はナディアの視認不可能な速度で動いていた。一体どれほどの人間が今の剣の軌跡を捕えられたのだろうか。

 ただ起きた結果のみ突きつけられる、理不尽な剣速だった。

「2回」

 さらに反対の首に剣が添えられていた。

「3回」

 背筋が凍るような冷たさに空中へと逃れるが、それは悪手だった。

 リアスも共に飛び、ナディアの上をとる。

 リアスは宙を舞いながら何度もナディアを切りつける。体中に走る、ただ添えられるだけの繊細で冷たい刀身の感触。それに遅れてナディアの先の剣よりずっと澄んだ音が何度も鼓膜を揺らす。

 どんなに視界を強化しようとも、神経を張り巡らせようとも捉えられない。


「24回」

 地面に着地した時には既にそれ程の回数の致命傷を受けていた。

 離れた距離に意味はなく、瞬時に眼前に現れ剣を当てられる。こちらの剣は掠りもしない。同じ剣であるはずなのに、どれだけ攻撃しても、力を込めても行動の阻害すらできない。

 リアスの剣閃にはナディアの剣など木の葉程度の障害物にしか成り得なかった。


「99回、か」

 ナディアの額に剣が振り下ろされた体勢で二人は止まる。ナディアの剣は地面につき立ったままだ。

 ナディアは自分の剣を引き抜こうとするが、まるで動かない。

 異能の力が扱えなくなっていた。

 集中が出来なくなり、心が奮い立たない。

 ナディアの利己的な本能が戦いを諦めていた。どれだけ力を尽くしても抗えない相手に。

 何度も切りつけられることで、肉体ではなく精神が追いやられていた。

「さて、あと1回だ」

 リアスはここまでやれば十分とも考えたが、もう一つやり残したことを思い出す。

 理不尽な力を学生たちに見せつけるという約束があったのだ。

 今までの戦いは、ある意味まだ人のカテゴリーでの力だ。自分でなくともこれくらいできるものはいる。

 本人はそう考えたが、この場にいる学生は彼の理不尽なほどの実力を十分すぎるほど見せつけられていた。この更に上があるのだろうか。


 リアスはナディアから剣を引き、後ろへ飛びさる。

 ただの一跳びで20エーデルの間合いが開く。学生たちは最早呆然とするしかなかった。

 その強さも、戦いも。何もかも次元が違うと。

 学生たちが傷一つつけることの出来なかった少女が、同じように傷一つつけることに出来ない相手に畏怖を抱いていた。

 しかしリアスはまだ見せる。この程度が法術師と共にあるものだと思われたくはない。

 それを証明するかのように。


 ナディアは何とか剣を持ち上げようとするが、異能の力がまるで発揮されない。行動とは関係なく、心が抗おうとすることを辞めていた。

 止めどなく汗を流し、蒼い顔で荒い呼吸を繰り返しながらも、瞳だけは相手から逸らさない。諦めようとする心に必死に抗おうとしていた。


 リアスは剣を投げ捨て、異能を引き出す。

 先ほどまで加減していたものとは比べ物にならない、彼が引き出せるほとんど全てと言っていい異能の力を。

 赤い彩りを持つ瞳は光を放ち、瞳孔は点のように小さく変化し、赤一色の瞳が露わになる。

 リアスの体から大きな光が弾け、学生や軍人たちの目を焼く。

 噴煙のように立ち上る赤いマナの粒子と雷が弾け飛ぶ。空気が重みを増し、圧迫感で学生の何名かが膝をつき、胸を押さえる。

 ナディアも震える膝を何とか抑え、剣に縋りつくように立ちすくむ。

 放流された力は全てが純粋なマナによる現象であり、物理的な力はない。それでも人の恐怖を駆り立てるには十分な脅威だった。

 

 一度体外に放出された煙のようなマナの粒子は再びリアスに向かい収束する。

 集まったマナに共鳴するように大気が震え、足場さえ細動を起していた。

 赤色に輝く異能は彼の右手へ集まり、観客の軍人たちすら皮膚が泡立つほどのプレシャーを放つ。

 リアスは無造作にそれを振り上げ、地面を殴りつけようとした。



「ちょっとまった少佐!それは駄目だ!」

 今まさに打ち下ろされようとした拳がその声に反応し、止まる。軍人の一人が慌てたようにリアスに近付いていく。

「なぜだ?」

 体から漏れ出していた雷のようなマナが徐々に収まっていき、圧力は小さくなっているが赤眼の光はまだ灯っている。話しかけた軍人も冷汗が流れるが構わず続ける。

「いや分かるでしょ!基地に地震でも起こす気ですか!」

「そうですよ!クレーター造るくらいならいいですけど、あんな力を込めたら地盤が割れるでしょう!」

 口々に軍人たちから文句を言われ、リアスは機嫌悪そうに眉を寄せる。

「地震なんて起したらあなたの主も巻き込まれますよ。それに試験はもう十分ですから……」

 いつの間にかギルも参加し、リアスに声を掛ける。

「確かに。元々早く済ませて主の元に帰るつもりだったが、思いのほか興が乗ってしまった。あははははっ!」

 リアスは笑ってはいるが、内心少し危ういことをやりかけた自覚はある。止められなければ、基地の破壊で厳罰に処されていた。間違いなく。

 ギルとしても予定にない幹部隊員を試験に組み込んだ上に、問題を起されれば処分は免れないだろう。

 二人は心の中でほっと息をついた。


「さて、それではこれで試験終了とするか。それじゃあな、ナディアとやら。学生にしてはいい筋だったぞ」

「……あ、有難うございました」

 何とか立っていたナディアはその場から崩れ落ち、荒い息を吐く。

 悔しさが湧かなかった。安堵しかない。

 最後のマナの解放は確かに凄まじかったが、あんなものを見るまでもなくナディアは相手との実力差を感じ取っていた。

 余りに自分と隔絶し過ぎていて、一体どれほどの差なのかは理解出来なかった。分かったのは相手が加減に加減を重ねて相手をしてくれていたということだけだった。


「あれが、異能者のトップクラスの実力だ。どうだ、参考になったか」

 いつの間にか崩れ落ちたナディアの横にギルがいた。

 ナディアにとっていい薬になる相手を見繕ったつもりであったが、流石に薬が効き過ぎたかもしれないと後悔している。やってしまったものはしょうがないが。

 ギルは何かフォローをしようと言葉を考える。

 ナディアはここで潰れてしまうには惜しい人材だった。

 はっきり言ってしまえば学生だからと言って舐めていた。蓋を開けてみれば想像を絶するような戦いぶりだった。

 黒鉄という非常に重い武器を使いながら、剣の冴えは一線級のものを持っていた。

 第13師団でも隊員相手なら勝てるかもしれないとも思った。

 

 ナディアは顔を伏せて、肩での呼吸を繰り返していたが、ギルの方へ顔を上げる。

「いい、経験になりました。……あれが、法術師に寄り添う、異能者の、実力なんですね……」

 まだ呼吸が整わないまま、絞り出すように言葉を紡ぐナディアの顔は。

 震えながら、笑っていた。

 不恰好で力なくではあるが、確かに笑みと呼んでいいものだった。

 安堵と言ってもいいのかもしれない。瞳には知ることが出来た喜びが映り込んでいる。

 ギルはその顔に驚きと戦慄を覚える。

 あそこまで追い詰められ、異能さえ使えなくなったというのに。

 健気と片付けられるだろか。

 芯が強いと言えるだろうか。

 言葉や態度とは裏腹に彼女の消耗は激しい。

 顔色は青白く、まだ緊張から醒めていないのか体の震えは止まる気配がない。

 そんな状態でいったい彼女は、自分の体や心以上に何を思ったのだろう。


「漠然とした目標より、あの人より強くなればいい、という目標の方が分かり易いですから……」

「目標だと?お前は……まさか……」

 ナディアは体を起こし、立ち上がる。まだ膝や体が震えてはいるが、瞳には強い力がこもっていた。


「……あ、みなさん」

 ナディアの班員たちがこちらに移動してきていた。

 間が悪く会話が途切れ、ナディアの口から聞くことが出来なかったが、ギルは聞かなくとも推測が出来た。

 班員たちに心配されながら、ふらふらなのに大丈夫だとナディアは言い張る。

 ギルはそのナディアの横顔を痛ましげに見ていた。



 ナディアに対して抱いた懸念は、決して悪い意味のことではない。

 ギルの懸念は彼女の1人前の強さだった。一人ですべてを補える、誰かに頼る隙のないほど完成された。

 彼女は他の学生を寄せ付けないほど強い。それでもなお向上心が人一倍ある。

 絶対的強者というのは戦闘の中で必ずしもプラスとなるとは言えない。

 仲間に頼らず、全てを自分でこなそうとしてしまう、出来てしまう。

 だが人はそれを続けられない。破綻とは唐突にやってくるものだった。

 もっとも危うい場面でやってくるのだ。

 人を知り、無力な部分を補い合えば、支え合うことが出来る。

 戦いにおいて個人の絶対はない。法術師にだって言えることだ。


 彼女を遥かに超えた強者と戦うことで個人の無力さを身をもって伝えよう。

 そう考えていたが、ギルは彼女の姿勢を目の当たりにすることで、自分が思い違いをしているのではないかと、疑問を覚えた。

 彼女は無力さを知っているのではないだろうか。

 初めから個人としての強さを求めていないのではないだろうか。

 彼女は誰かを支えるために、補うために強くあろうとしているのではないだろうか。

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