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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第3章〈アヤメ〉
95/114

(4)魔物の領域

サブタイトル「魔物の領域」編は戦闘描写の関係で基本的に文字数が多いです。

 鈴の月17夜、移動に2夜の時間をかけ、ナディアを含む魔物の領域での訓練演習に挑む兵科の学生たちは目的地へとたどり着いた。

 夕日は沈みかけており、地平線が燃え上がるような赤い光に包まれていた。


 開拓村、ゼドルカード。

 加速した魔物の領域の開拓に合わせて急造されたため、今までの開拓村のような賑やかな雰囲気はない。

 ならされた地面に基地があり、それ以外の建設物も軍の関連施設しかなかった。

 本来ここは森であったのだろうが基地の周囲には背の高い木などはなく、緑は取り払われている。

 監獄のような高い石壁が基地を囲み、石壁の外には500エーデルの距離を開け、金網が張り巡らせてある。辺りには厳格な張りつめた空気が漂っていた。

 そこかしこに見える人々はほとんどが国軍や師団の軍服に身を包んだものばかりだ。

 外観だけでも壁は1000エーデル(1200メートル)以上続いており、奥行きは分からない。

 視界を壁が遮っているため、学生たちは魔物の領域がどういった外観を持っているのか見ることが出来なかった。


 基地に入る手続きの間、学生たちは馬車の窓から落ち着きなく基地の周囲を見回していた。

 今回この基地を訪れた学生は50名。うち20人が異能者であった。

 その中でも魔物の領域に入ることが出来るのは異能者の学生でも12名ほどだった。

 門番の兵士と教官がやり取りを終え、馬車は基地の中へと入っていく。

 いよいよといった様子で緊張感に包まれる学生たちだが、その中の数名は訓練とは別種の気がかりで顔を固くしていた。



「明日からこの基地で、それぞれ訓練にあたってもらう。各自教官殿からの指示は受けているだろうが、訓練演習の期間中の一切の権限はこちらにある。特に合同訓練にあたる者たちは心しておけ!……以上だ、解散!」

 白の軍服に身を包んだ師団の軍人が解散を告げると、20名の学生たちは安堵し肩の力を抜く。

 学生たちは基地に着いて息つく暇もなく、訓練や施設についての説明を受けていた。外はもう日が落ちている。


 これから閃の月5夜までは全て領域開拓軍の指示に従うことになる。

 各教官はこの基地に留まりはするが学生たちの訓練の記録などをするだけで一切の口出しはしない。

 このゼドルカードにおいては訓練の全権は領域開拓軍に与えられている。

 この場にはいないが各国の国軍もこの基地で任務にあたっており、そちらの合同訓練に参加する残りの30名の学生たちも檄を飛ばされていることだろう。


「ナディアちゃん。宜しくね」

「はい、カルフィールさん。一緒に頑張りましょう」

 先ほど通達されたことだが、ナディアとカルフィールは同じ班で訓練にあたることとなった。

 他に2名の高等部男子加え、一緒に班を組む。

 12人いる異能者を3班に分け、それに各二名ずつ師団の異能者が指導にあたるとのことだ。

 これから別室でその二名の訓練員との顔合わせと細かな訓練内容の確認を行うこととなっている。

「二人は知り合いなのかい?あ、俺も自己紹介するね。高等部3年のライノ・クレストスだ」

 優しげな面立ちの男子が二人に自己紹介をする。灰色の髪を七三分けにした真面目そうな印象だ。

 ただナディアの方に視線をチラチラと向け、落ち着きがない。

「自分は、同じく三年のコルキアス・デアルド・エイアラだ。名前の通りイプセン州国のデアルド領主の息子だ。三男だけどな」

 コルキアスは小豆色の髪と瞳をした少年で背はナディアより若干高い。悪ガキのような小生意気な目をしていた。ナディアの方に意味ありげな視線を向けている。

 ナディアは彼に身覚えがある。

 何のことはない。武芸大会の準々決勝であたった相手だ。数合の打ち合いで彼の手の骨を折ってしまったのは苦い記憶だった。診断では疲労骨折だったらしい。

「何変な目でナディアちゃんのこと見ているの、コル君!あとライ君もちょっと遠慮しなさい!」

 カルフィールが迫力に欠ける説教を二人に言いながら頬を膨らませる。

「済まない。有名人が間近で見られて、つい」

「俺は、別にあやま………そんな目で見るなよ!わかった!悪かったよ!…これでいいだろ」

 コルキアスの渋った態度にカルフィールが目をほんの少し吊り上げる。

 仕方なさそうではあるがコルキアスも謝った。

 3人にどんな背景があるのかは分からないが、同じ高等部3年生だけあって親交のある間柄の様だ。ナディアにもそう理解できた。


「あ、一応私も自己紹介するわね。カルフィール・レゾックスよ、改めて宜しくね」

 カルフィールはニコニコとした笑顔をナディアに向けながら改めて名乗る。

「私は、ナディア・ホーエイ・ジルグランツです。先輩方、よろしくお願いします」

 ナディアは丁寧に頭を下げ、三人に向き直った。

 三人から僅かに息を飲むような音が聞こえたが、ナディアにはいまいち理由が分からない。

「見かけもそうだけど、やはりコルキアスとは品格が違うな」

「ああん!何だと!」

「確かに。やっぱりいいわねえ。ナディアちゃん……」

 ライノは意味ありげな笑みを浮かべ。

 コルキアスはライノを赤い顔で睨み付けていた。

 カルフィールはいつも通りの柔らかな微笑みを浮かべていたが、今までの笑みと比べ若干熱を帯びているように感じる。

 ナディアは自分が組む学生たちの個性を早速目の当たりにし、これからの訓練がどうなっていくのかという不安に襲われていた。



 基地内に設けられた小会議室。

 それぞれ自己紹介を終えた4人は案内を受けこの一室を訪れていた。

 コの字型におかれた机の椅子には座らず、4人は並んで直立している。

 その状態から5分ほど時間が経っただろうか。軽いノック音と共に二人の白い軍服を着た領域開拓軍の兵士が姿を現す。

 彼らの左胸と両肩には国軍が国ごとに掲げる国章がない。

 師団の軍人であることは明らかだった。

「やほっー!フレッシュな学生諸君、よくこのド田舎まで来てくれた歓迎しよう!」

「……こちらの方は余り気にしないでください。私から日程の確認をいたしますから、椅子に腰かけて楽にしてください」

 現れた二人は若い男性と、その男性と同年代に見える女性だった。

 4人は動揺なく椅子に腰かける。楽にと言ってもちゃんと背筋を伸ばして相手へ顔を向ける。文字通り楽な姿勢をとる者はいなかった。

 女性は4人の顔をそれぞれ確認し頷く。

「固いなあ。まあ、最初はそのくらいの方が可愛げがあるか」

 この中で一番柔らかいのはこの若い男性だろう。

 掻き上げられた茶髪の髪に、暗褐色の瞳。細い切れ長の瞳はキツネという動物に近いものを感じる。

 椅子に踏ん反り返って腰かけているが、今この時でも体の軸はまるでブレを見せない。

 彼の隣に立つ女性は緑がかった茶色の髪に草色の瞳をしていた。美人ではないが人を安心させるような顔立ちをしている。あまり荒事が得意なようには見えない。

「俺は今回、君たちの訓練指導員になった、第13師団遊撃隊で班長をしているギル・ヨータンだ。気軽にギル班長で構わない」

 男性は第13師団遊撃隊という言葉に畏怖を感じる学生たちに、細目をさらに細くし、愉快そうに視線を向ける。

 男子学生は流し見ただけだったが、ナディアは少し長め、カルフィールに至っては凝視していた。

「いいねえ、そこの青髪の子。学生とは思えないスタイルの良さ……」

「私は第13師団遊撃隊、一隊員をしております、イリス・ライガーと申します。セクハラなど御座いましたらすぐに相談してください。対象を斬首刑に処しますから」

 ギルの言葉に被せるようにイリスが自己紹介する。「斬首刑」というセリフを言いながらギルの首元に手刀をあてがい、その首を落とす真似をした。

 学生たちへの自己紹介であるが空気が凍るような圧力が宿っていた。

 ナディアとカルフィールは即座に頷いた。セクハラの心配ではなく、頷かないといけないという動物的勘が働いたからだ。男子たちも喉を鳴らし背筋を限界まで伸ばした。

 この時点でイリスと学生たちに明確な上下関係が生まれた。

「イ、イリス君、これは冗談だからね?学生の緊張をとろうという、俺なりの気遣いでね……」

「ならば下品な冗談ではなく、もっと品のあることを仰ってください。貴方のおつむは思春期の少年から成長していないのですか?すいません、下品な大人と少年を並べては失礼でしたね。忘れてください」

 何ということだろうか。確かに当初の厳格さゆえの緊張はすっかりと解けたが、今度はギスギスとした空気からくる緊張で訳が分からなくなっていた。

「学生の皆さんもすいません。こんな目に入った埃ほど不快な指導員が担当となってしまって。ただ師団ではこういった手合いもそれなりの数いるため、予行演習と思って我慢してください」

「はい!」

 何とか4人はしっかりと返事をする。最早イリスの刷り込みが始まっていると言っても過言ではない。

 ギルはいい返事をする4人と満足気なイリスを引きつった顔で見ていた。相変わらず上官を効率よく利用する優秀な部下だと。


「話が逸れましたが本題に行きましょうか。明日は朝食後に軽く準備運動をしてもらい、各人の実力を摸擬戦形式で見ます。そののち連携の確認をします。ですから魔物の領域へは入らないのでそのつもりで」

 イリスの説明に4人は頷くが、コルキアスは不満そうな顔をしていた。まだコルキアスにはイリスの洗脳のかかりが弱いようだ。

 イリスはそれに気が付いていたが声はかけない。

 明日になれば思い知ることになるのは目に見えていたからだ。

 今この場で言葉を尽くすより、身をもって現実を知る方が効果的だろう。

 その後いくつか確認、注意事項を通達し解散となった。



 学生たちが出ていった小会議室でギルは「よっこいしょ」とオヤジ臭い掛け声を上げながら立ち上がる。

「どうですか、今回の学生は」

 後ろに控えていたイリスがギルに質問をした。基本的にはイリスも、ギルに対しああいう態度を取ってはいるが上官としての信頼はある。

「まあ粒は揃っているが、問題児も交じっているな」

「あの子ですね」

 イリスは先ほど不満そうな態度を取った男子学生を思い浮かべる。

 その様子を見てギルは腰をゴキゴキと鳴らしながら口を開く。

「ああ、多分お前の思ってるやつと違うやつだ。お前は小さい方のガキのことだと思っているだろ」

「違うのですか?」

 ギルは髪をかきあげながら、細い目を遠くを見通すように開き、明後日の方向を見る。

「あれはただ無知なだけだ。教えりゃちゃんと理解するし素直だろう」

「だがあの金髪の子はやばいな。一番厄介なタイプだ。勿論今回の訓練演習だけでの話じゃない。まあ、勘違いならいいが……どうだろうな」

 ギルたちには事前に学生の資料が渡されている。

 その時点でギルはナディアに対して懸念を抱いたが、顔を合わせてその懸念はさらに現実味を増していた。


 イリスはギルの発言が理解できず眉を寄せるが、ギルは話しが終わったとでもいうように手を振り退室した。

 小会議室に残ったイリスはしばらく思案を巡らせたが答えは出なかった。



 翌朝、鈴の月18夜。今日から本格的な訓練演習の日程に入る。

 早朝の時間ではあるがナディアとカルフィールは基地の食堂でゆっくりと朝食をとっていた。

 基地が新しいためか食堂は綺麗だった。清掃も行き届き、衛生面には気を使っているようだ。

 ナディアとカルフィールは同じ班であることもあり、同室でこの訓練期間中を過ごす。この基地での女子の参加が少ないため必然的でもあった。

 合同訓練の面子は既にいない。朝から基地周辺を駆けずり回っている。日程についても分刻みではなく秒刻みの訓練が盛り込まれている。

 ナディアたちが今回の訓練日程を聞いて分かったことだが、訓練漬けの合同訓練の学生と違い、魔物の領域に行く学生たちには精神的にも肉体的にもかなり楽な日程がなされていた。

 実際に命が掛かったことをするわけだから当然ではあるが、やや拍子抜けではある。

「基本的に師団でも実戦以外は訓練に取り組むことが多いみたいだけど、第13師団遊撃隊は別みたいね」

「はい。昨日聞いた限りでは待機人員は交代制みたいですし、余暇も多いみたいですから」

「それだけなら、魅力的なんだけどねえ」

カルフィールはちぎったパンを頬張り、もの憂い気に顔を曇らせていた。


「そんな都合のいいことばかりではないってことだ」

 ガチャリと食器が置かれる音と共に、昨日部下にやり込められていた上官であるギルが現われた。

 二人は立ち上がり敬礼しようとするがギルはそれを止める。

「俺にそれをやるな。師団ではその手の規律が緩い。下手なことしなければ大目に見てもらえるから」

 ギルの言葉に二人はどう反応していいか困ったが、ギルの「取りあえず腰掛けなさい」という言葉に従った。

 どうやらギルも朝食をとりに来たらしい。ナディアたちと同じテーブルに腰掛ける。

「カルフィール君は少食だね。そんなんじゃ持たないよ」

「いえ、私は燃費には自信があるので。というよりこれ以上は脂肪にしかならないので……」

 カルフィールのテーブルにはサラダと果実、パンが二つだけだった。おおよそ軍にいる人間の食事量ではない。同じ女性であるイリスでもこれの倍は食べる。

「そうなんだ。まあ、俺としてはもっと肉付きがいい方が好みだけど……今のはイリスに内緒にしてね」

 喋りながらギルは周囲を確認する。どうやら敵はいないようだ。その様子に苦笑を浮かべ、怖いなら喋らなければいいのにとカルフィールは思った。

「ナディア君は………あれ、誰か食器を片付けずに訓練に行ったのか?」

 ナディアはトレイに乗った1人前の朝食を行儀よく食べていた。横には同じトレイと皿が4人分ほど積まれていた。

「不条理だわ」

 カルフィールは涙目でナディアを見ていたが視線を下に落とした。

 ちょっとお腹周りを摘まんでいた。

 カルフィールの高いマナのコントロール技術は、必然的に運動量を少なくしカロリーの消費を抑えることが出来る。

 体が疲れないという意味ではいいかもしれないがこういった弊害もあったのだ。

 シンフなら許せるが、同じマナのコントロール技術に優れているナディアのウエストがなぜあんなに細いのか。あの量の食事をしているのにもかかわらず。

「え、何この空気。俺余計なこと言ったかな……」

 自分が来た途端に立ち込めた暗雲にギルは腰が引け、当初の予定であった女の子たちとのお喋りを全く楽しめなかった。

 


「ギル班長。さきほどの都合がいいことばかりでないというのは、どういうことなのでしょう?」

 ナディアは食事後のお茶で口を整えた後、ギルに質問した。

 カルフィールは事情を知っているようだが、ここは現役の遊撃隊の人間にきいた方がより詳しく聞けるかもしれないと考えた。

「簡単な話だよ。休息期間を設けてないと死ぬほどストレスが溜まるからだ。俺たちの軍務は魔物の戦闘に特化している。国軍や師団の中でも魔物の撃退数はトップだ。中隊規模の俺たちと一国の軍を比べても」

 ギルはコーヒーの入ったカップを弄びながら何でもなさそうに答える。

「俺たち第13師団遊撃隊は法術師を中心に置いた小隊で魔物の軍勢規模を相手取っている。最低限の安全に最大の殲滅能力を選んだ布陣だ。ミスしたら死ぬ。安全のマージンなんて取れる相手ではないからね」

「ここまで狂った布陣をとるのは師団でもここだけだから誤解するなよ」

 ナディアとカルフィールはギルの軽い様子に反して、重たい空気の中にいるように息がつまる。

「法術師は人間並みの運動神経、身体能力だ。確かに一人なら周りの人間に遠慮することなく法術を使えるが、不意の一撃で簡単に死んでしまう。俺らはそんな強くて弱い法術師をちゃんと守らなくてはならない」

 ナディアにコップを向け「わかるだろ」と声を掛ける。ナディアはギルから視線を外さず頷いた。

「だから遊撃隊の法術師も異能者も大変なんだよ。厄介な魔物が出たり、軍勢が出たらすぐに出撃要請が出るからな。事実このスパンでも精神を病む人間は多い」

 ギルは中身を飲み干したコップをトレイに置き、食器を片付けるために席を立つ。

 ナディアとカルフィールは今の話しで若干顔色が悪くなる。

 二人は部隊の損耗率の高さを記録としては知っている。

 損耗は何も直接魔物の凶刃に倒れることだけではない。むしろ少ないと言える。

 この遊撃隊の除隊の主な原因は精神の疲弊によってだった。



 基地の内部は広く、いたる所が壁に囲われており、全景を把握できるのは直上しかない。

 そんな基地内部の壁際に12人の異能者の学生は集められていた。

 全員が師団より支給された白い戦闘服に身を包み、準備運動に取り組んでいる。師団たちの軍服より薄く動きやすい素材だった。

 ナディアは支給された武器の中から片手剣選び、感触を確かめるように型の反復をする。

 他の学生たちも思い思いに武器の感触を確かめていた。


「よし、それでは今から個々の実力を確認する!その後、班ごとのに指導を行う。班の全員がこちらの規定を満たさない限り魔物の領域など連れて行かんから、そのつもりでいろ!」

 昨日説明役していた師団の軍人が指揮を執る。

 どうやら、12人を一人一人見ていくようだ。

 砂の地面に木の棒で線が引かれ、簡単な試験場が出来る。

 ナディアは一旦そこから離れ、手招きしていたイリスのところへと駆け寄る。ナディア以外の班の面子も集まっていた。

「今から班長達が学生一人ずつと摸擬戦を行います。試験と言っても実力を知るための摸擬戦だから、普段通りやれば合格できるはずです」

 ナディア、カルフィール、ライノは真面目な顔で頷くが、コルキアス不敵に笑っていた。

「イリスさん。別に相手が隊長だろうと勝ってもいいんですよね」

 あまりに不遜な物言いにナディアやカルフィールはギョッとするが、よく見ればライノもコルキアスに同調しているように見える。

 実際にはこの場にいる男子全員隊長を倒すつもりで挑もうとしていた。

「やってみなさい。実力を示せばいいんだから」

 イリスは気にした様子もなく発破をかける。

 コルキアスは更にやる気になったのか「おっしゃあーー!」と掛け声を上げた。


「お、威勢がいいなあ。確か、お前が一番手だったか?」

「うっす!」

 コルキアスの様子に歓声やヤジが飛ぶ。

 ここには訓練演習に携わる者以外でも、待機している隊員たちが暇を飽かしに来ていた。

 コルキアスは観客となっている軍人たちに武器を掲げてアピールをしていた。

 軍人たちもそれに笑いながら声援を送っている。

 何だか軍隊らしさが無いやり取りではあるが、師団では型にはまらないやり取りの方が好まれる。

 狙ったわけではないが、コルキアスは師団の軍人たちに好感を持たれたようだ。


「お願いします!」

「いつでもこい!」

 コルキアスの武器は棒だ。円柱型の身の丈を超える鉄棒を小枝の様に振り回す。

 対する師団の軍人は巨大な大剣を掲げていた。こちらもまるで重そうにしておらず片手で肩に下げている。


「ぜえぇい!」

 掛け声と共に間合いを詰めて放たれた横凪。

 鉄棒は吸い込まれるように軍人の胴へと向かうが、簡単に大剣の腹で防がれる。

 痺れる手応えをものともせず、コルキアスは素早く足を動かし、その場を離れ、また近付き、打撃を加えていく。

 防がれる反動を生かしながら軽快に足を動かし、相手をかく乱する。


「……ヒット・アンド・アウェイですか。意外ですね」

「あいつはオールラウンダーですから、相手に合わせての戦いが得意なんです」

 イリスの呟きにライノ補足する。イリスは顎に手を当て、試合の様子を真剣に見守っていた。

「脚力、腕力、それに反射。よくコントロールできています。いい意味で予想が外れましたね」


 二人の会話など耳に入っていないコルキアスは、額に汗を流し、軍人の防御を破ろうと畳みかけていた。


「(何だよ、こんなに打ち込んでも一歩もその場から動いてねえよ!どうなってるんだ!)」

 宙を飛び、旋風をなびかせ、回転で威力を増した鉄棒が大剣とぶつかり合う。

 力が拮抗したと思った瞬間には一気に押し返され、体が飛ばされる。

 力だけではない。

 力を込めるタイミングまで優れている。

 こちらに攻めてこないが、防御の巧みさで相手との技量の違いがはっきりと分かった。

 

 だがコルキアスは諦めない。

 一片の隙もないない相手に対し、彼は奇策を用いる。

 ナディアに敗れてから対人戦の切り札として考えた必殺技を。


「どっせい!」

 掬い上げるように棒の先端で地面を抉り、細かい土塊を相手に飛ばす。

 卑怯だと言われようが、細かいルールなど説明されていない。よって合法だ。

 さらに振り上げた棒を両手で引き絞り、突きの体勢をとる。

 自分の体は今、土に隠れている。見えてはいない。

 それでも異能者は反応する。

 軍人は大剣を薙ぎ払い、旋風でいとも簡単に土塊を掃った。

 コルキアスは最大の力と速度でもって相手の胸へと突きを繰り出す。空気が破れ、破裂した音を置き去りにする鋭い一撃。

「(これこそ、自分が編み出した必殺技、土竜突きだ!)」

 思ったより普通の技だった。というより誰でも考えつく技だろう。

 技名は置いておいて、異能の力で放たれた突きは確かに必殺の威力を秘めていた。

 

 当たっていれば。


 強烈な鉄棒の突きは軍人の空いていた左手に受け止められていた。はた目から見れば子どもが振った枝の棒を、大人が素手で止めただけともいえるような余裕のある対応だった。

「うそ!?」

 思わず叫びをあげたコルキアスに軍人は笑って答える。

「やるなあ。合格だ!」

 棒を掴まれ防御の取れないコルキアスに、無慈悲にも大剣が振り下ろされる。

 その一撃は先のコルキアスの突きを遥かに超える速度で迫っていた。

 

 

「コル君、大丈夫?」

「いてえよ。ていうか、あれ、勝負ついてたと思うんだけど」

 コルキアスは頭を濡れタオルで冷やしながら愚痴る。

 彼が殴られたのは大剣の柄で、直撃する寸前に威力が落とされていたが、たん瘤が出来るくらいには強く打たれていた。

「生意気なこと言うから灸を据えられたのでしょう。私たちの実力が少しは分かりましたか?」

「……うす」

 殴られたことに対しては不承不承と言った様子ではあるが、ちゃんと素直に返事をしていた。

 

 コルキアスから数試合が消化され、次の班員の出番が来た。

 緊張した面持ちで男子学生が試験場の線の中に入る。

「次はライ君だね」

 カルフィールの言葉にコルキアスが前を見る。内心ボコボコにされろと思いながら。



「よろしくお願いします」

「ああ、よろしく」

 ライノの武器は槍だった。しかし摸擬戦に使うには危険であるため矛先はなく、その分柄の長さが足されたものだ。コルキアスの持っていた鉄棒が少し長くなったくらいの特徴しかない。

 軍人も同じ槍を持っていた。


 試合の内容は普通だった。何事も無かった。

 良く打ち合っていた。

 数分すると軍人が終わりを告げた。

 ライノは汗をかいてはいるが、特に傷はない。


「お前、地味だよな」

「止めろ。気にしているんだ」

 何事も無さ過ぎてコルキアスはライノが不憫になった。ボコボコになれなんて思って御免と内心で呟く。

「ライノ君は普通ですね。華が無いですが安定していていいと思いますよ」

「うん。ライ君はそのままでいいと思うわ。シンプル・イズ・ベスト」

「………」

 優しくされると悲しいのか。

 ライノは一つ大人になった。



「次は私だね。張り切っていってくるわ。ナディアちゃん、応援していてね!」

「えっと、が、がんばってください」

 応援をしていいのか分からないが、取り敢えず声援を送っておいた。


 ゆったりと歩いていくカルフィールに声援や口笛が飛ぶ。

 基地にはそれなりに女性隊員がいるが多いわけではない。美人ならばもっと希少だ。

 そんな中に大人の色かを放つ美女が現われたのだ。

 男として高まらないとどうかしている。


「おい!俺に試合をやらせろ、みっちり指導してやるよ!」

「馬鹿言うな!てめえだけいい思いさせるかよ!」

「ああ、やんのか、おらあ!」

「おい!今蹴りやがったのはどいつだ!」

 

「賑やかですねえ〜」

 何となく気の抜けた様子でカルフィールが喧嘩を始めた隊員たちの方へ視線を向ける。

 何やら武器を担いだやたら強そうな人が乱入しようとしているからすぐに収拾はつくだろう。

「はは、いつもこんな感じ、ではないね。殺伐とした中に舞い降りた清涼剤のようなものさ」

 何やら頭の良さそうなことを言おうとして失敗している。舞い降りた清涼剤とはどう解釈すればいいのか。

「勿論、清涼剤というのは君のことさ」

「はあ」

 まさかの清涼剤扱いだった。

 カルフィールはそれなりに男性に言い寄られたことはあるが、中にはこんな残念な感性の持ち主もいた。この人は同じにおいがする。

 

「では始めようか、可憐なお嬢さん」

「……お願いします」

 軍人の得物は長剣。下段の構えをとっており、今までの試合の中でまともに構えたのは彼が初めてかもしれない。

 カルフィールは右手に短剣ほどの長さの棒を持ち、肩幅に足を開き佇む。

 棒と言ってもコルキアス棒の倍以上の太さがある。持ち手は細く剣の柄のようだった。


「好きに打ち込んでくるといい」

 軍人はそう軽い調子で話しかけ、外野からヤジが飛ぶ。どうやら大半はこの男がいい一撃を貰うことを期待しているようだ。

 カルフィールはため息を吐き、自身の異能を解放させていく。

 空気が僅かに揺らぎ、小さな光が電気のように弾ける。


 ヤジが遠のき、カルフィールの集中力が研ぎ澄まされていく。大きな解放感と戦意の高揚で白い肌が薔薇色に色付く。

 仕草も艶めかしくなり、赤い舌で唇を濡らす。

 身悶えしているようにも見え、本人は真面目にしているつもりでも周りの男たちにとっては目の毒だった。

「はあぁ〜〜」

 陶酔する少女の淫靡さに軍人たちの喉が一斉になり、思いのほか大きな音を立てた。

 カルフィールは対戦相手を見ることなく、ある一点を見詰めた。

 自分の班員である者たちがいる場所だ。

 ナディアはカルフィールの色香に顔を赤くしつつも「頑張ってくださーい」と声援を送った。

 カルフィールは艶めいた顔でナディアに微笑み、そのまま対戦相手に戦いを仕掛けた。



「これは何でしょう。彼女の戦いの儀式ですか?」

「いや、自分に言われても……いつも戦いの前はこんな感じですけどね。まあ、始まってしまえばこの雰囲気も吹っ飛びますから大丈夫でしょう」

「それは一体……」

 イリスとコルキアスが会話する中、試合が動き出す。


 眼前に唐突に現われたカルフィールに軍人は見事に対応した。停止状態からの驚異の加速力と力の乗った打ち抜き。

 この少女のスピードは今までの学生たちの中で随一だ。

 繰り出されえる拳での一撃を軍人は手の平で受け止めていた。

 練り込まれた異能の力もすさまじく、異能で強化した手の平が軋み、少女の小さな手には鉄塊のような硬さと重さがあった。

 カルフィールは手を握られたままの状態でも、長い足を折り畳み、そのまま爪先で軍人の顎を狙い打つ。

 軍人は思わずカルフィールの手を離し、後ろへ後退した。直後に目の前を鋭い蹴撃が通り過ぎ、巻き起こった風に軍人の髪が持って行かれる。

 カルフィールは間合いが空いたことで、逆の右足で回し蹴りを放つ。

 軍人は敢えて膝をぶつけ、受けた。

 骨肉を激しく打つ音が聞こえるが、どちらも痛みを感じていないのか、顔は歪んでいない。

 いや、それどころかカルフィールの情欲はさらに増しているように思える。

 

 軍人は体を重力に任せて沈ませカルフィールの足を刈り取る。

 瞬発的に放たれた足技は見事であり、地面についていた右足を蹴り飛ばされ、バランスを失った。

 

 沈み込んだまま曲げられた膝から力を乗せ、切り上げるように長剣を片手で凪ぐが、棍棒で合わせられ見事に防がれた。

 それどころか長剣を押し返すほどの力がこもっている。

 体勢が悪いといっても現役の軍人である者を力でねじ伏せるとはかなりの異能の力を発現していることになる。

 軍人は手加減するのをやめ、両手で剣を押し返した。

 急激に下からの力を受け、カルフィールの体は浮遊する。

 軍人は体を起こし、両手で握られた長剣で剣戟の雨を降らせる。

 余りの本気の攻撃に周囲から軍人へ更なるヤジが飛ぶが、構ってはいられない。

 

 この少女はそれすら防いでいる。

 

 片手では流石に辛いのか両手で棒を掴み、守備に徹していた。

 軍人はどこまで耐えられるか、徐々に異能の力を高めていった。

 一撃一撃重みを増していく斬撃に、体が揺れ、足場が沈み、軸がぶれる。

 

 カルフィールは堪り兼ねて距離をとろうと体を浮かせ、剣の力を利用し、自身の体を弾き飛ばさせる。

 相当な力がこもっていたのかカルフィールの体は7エーデルの距離を一度も着地することなく吹き飛ぶ。

 彼女は地に足が付いた瞬間、更にバックステップで間合いを取った。


 距離が空いたことで、カルフィールに猶予か生まれる。

 軍人は踏み込みで一息の距離にあるにもかかわらずこちらに仕掛けてこない。

 恐らく正しく彼女の真価を見極めようとしているのだろう。

 彼女の戦意が高まった瞳を見て、何をするのか、期待しているのだ。


 カルフィールは好都合とばかりに全力の力を発揮する。

 静電気程度の赤い光はスパークを起こし、さらなる次元へと彼女を高める。

 体を低くし、地に手を付ける。

 棒は後ろ手に構え、彼女は、跳んだ。

 クレーターが生まれ、赤い光を置き去りにする。

 彼女が最初に見せた「突撃」。

 だがスピードもパワーもまるで違っている。

 

 彗星のような鋼鉄の一撃が軍人を襲う。

 軍人は彼女の一撃を剣で受けなかった。受ければ確実に武器が壊れてしまうからだ。


 彼は剣を右手に持ち替え、左手をカルフィールの攻撃に合わせるように突き出す。

 カルフィールと軍人の影が重なり、盛大な金属音が辺りに走る。

 火薬が炸裂したような音を響かせ、軍人の軸足が地面に沈み込む。彼の手のひらと衝突した棒は金属片となって弾け飛んでいた。

 カルフィールの手の中の棒も何かしらの力を受けたようにバラバラと散っていく。

 

 軍人は呆けた様子のカルフィールに、剣の腹での打撃を肩に与えようとしたが、彼女は呆然としながらも反射的に上体を後ろに反らし、避けてみせた。

 返す刀で横凪をはらうが、今度は地を蹴り宙へと逃れる。

 左手でのバク天で軍人と距離を空けていた。

 カルフィールは肩で息をし、膝を付く。最後の攻撃で棒を握っていた右手は痛むのか力なく下がっている。

 膝を付くと同時に、周囲に舞っていた赤い光が消え、体が重くなる。

 戦意の高揚によって異能の力を全力で使ったが、その弊害で制御のための集中力が切れてしまったようだ。

 カルフィールは辛そうに頭を押さえ、眉を寄せていた。


「強いな、君は!本当に優勝者じゃないのかい?」

「あはは、私より強い子がいましたから……」

 軍人は試験の終了を告げ、カルフィールを下げる。



「……すごいわ。始めは大丈夫かと思ったけど、学生であれだけの力の制御ができるなんて」

 イリスの言葉にライノは苦笑いを浮かべる。

「そうですね。まあ凄いには凄いんですけど……」

「分かりますよ。あれは精神状態の依存が激しいようです。それに力の制御は出来ていますが、戦い方の制御の方は出来ていませんね。感情に引きずられ過ぎです」

 イリスの言葉にコルキアスが質問する。

「イリスさん、ライノとカルフィール、どちらタイプが軍人として優秀なんでしょう?」

「一概には言えませんね。個性的なのも、個性が無いのも、それぞれいいところでもあり、それぞれの課題でもあります」

 コルキアスはイリスの答えに頷き、「なら、総合的に見て一番優秀なのは俺ということか……」と意味深に意味など空っぽなことを呟き、イリスにたん瘤の上を叩かれた。



 ナディアは試合が終わり、疲れ切ったカルフィールにタオルを差し出したが、そのまま倒れ掛かられていた。

 カルフィールはナディアをしばらく抱きしめているうちに、いつもの微笑みに戻った。

 まさにご満悦と言った様子だった。

 

「あれも戦いの後の儀式か何かでしょうか」

「いや……違うかと」

 



 

 カルフィールの試合の後も次々と試験が行われていく。

 そんな中、ギルは渋い顔をつくり考え込んでいた。

 この試験は学府側の教官の資料を基に、実力が低い順から試験を消化している。

 しかし始まってみればみな優秀な実力を持っていた。勿論学生にしてはという言葉が付く。

 最後にナディアが試験を受けることになるが、このままでいいのかどうか、彼には迷いがあった。

「なあ、ちょっと試合の順番変わってくれないか?」

「なぜだよ。お前も女の子と試合がしたいのか?」

 ギルが話しかけたのはナディアと試合する軍人だ。ギルの話に渋い顔をする。

「違う。カルフィール君の相手なら、喜んでやらせてもらうがそんな理由じゃねえ。ナディア君だが、お前が負けることは絶対ないと言えるが、それでも圧勝は難しいと思うぞ」

「……冗談じゃなくて、か」

 軍人は声を低くし、ギルに尋ねる。第13師団の誰しもが自分の実力に自負を持っている。ギルのような発言は看過できなかった。

 ギルは軽薄な顔はせず、黙って首を縦に振った。

「あいつは今、俺の班員なんだ。出来るだけいい経験をさせてやりたい。なんか危うい感じがするんだよ」

 軍人はしばらくギルを睨み付けたが、ギルの様子が変わらないのを確認し、眉間のしわを揉む。

「分かったよ。俺はお前の代わりに2位の学生の相手をすればいいのか?」

「恩に着るぜ、親友!」

 調子のいいギルに軍人はあっちに行けとでもいうように手を払う仕草をした。

「お前の友情なんているかよ。今度酒奢れ。俺の班員分もな」

「よしゃっ!早速相手を見繕ってくるか」

 そう言ったギルに軍人は目を見開く。ギルはお構いなく基地の屋内へと走っていった。

「お前が相手をするんじゃないのか?」

「俺とお前じゃ実力差ほとんどないだろ。俺があてたいのはそんな次元じゃないっての。ダグラス大隊長がいてくれれば一番よかったんだけどな」

 軍人は開いた目を更に見開いて驚愕する。こいつは何を言っているのだと。

 あの人が相手ではここにいる班長達ですら鎧袖一触だ。理不尽どころの話ではなく心がへし折れる。

 遠くなっていくギルの背中を見ながら、あいつは一体誰を連れてくるのだろうかと軍人は焦燥感を露わにしていた。




 


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