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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第3章〈アヤメ〉
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(3)開墾の大地へ2

 日がすっかり落ち、夜の星の輝きが空を彩る。

 周囲の光源が少なく空気が澄んでいるため、普段見ることのできない小さな星まで目にすることが出来る。

 鉄道の車両から降りた学生たちの多くがその煌びやかな夜空に見入っていた。


「ナディアちゃん。また会いましょうね」

「あたしも時間が出来たら顔を見に行くからよ。しっかりやれよ!」

 カルフィールは上品に手を振り、シンフは手を振り上げてナディアに別れの挨拶をし、その場を去っていった。

 同級生と離れた席に座っていたためナディアの知人は近くにいない。

 急ににぎやかさがなくなり寂しく思うものの、やっと狭い場所から出ることが出来た解放感は大きい。

 伸びをしながら顔を反らせ、満天の星空を眺める。

 オルリアン州都、コバルティア首国の星空しか知らないナディアにとって、ここまで沢山の星を見るのは初めてだ。

 領域開拓軍出身の教官から聞いたことがあるが、魔物の領域の星空はこの開拓村の星空さえ比較にならないほど美しいらしい。

 夜空を見上げていると不安と期待が入り混じったような、ふわふわとした気持ちが湧き上がって来る。

 ナディアは名残惜しくしながらも星空から目を離し、前を向いて歩き出した。



「あんまり上ばかり見ていると線路に落ちるぞ!」

 教官の一人が大声で注意をし、学生たちは慌てて移動を開始する。

 ナディアたち兵科の学生が訪れた場所はパンタロと言い、魔物の領域に最も近い位置にある鉄道駅がある開拓村だ。ここ以降の開拓村は鉄道網が無く街道での移動となる。

 

「この場所も昔、って言っても20年前らしいけど、魔物の領域だったんだぜ。信じられねえ」

「三夜月の守護結界を開拓深度に合わせて張り直しているんだろ?すごいよな〜」

「今の開拓の速度めちゃくちゃ早いらしいから、一々基地建てるのも大変そうだ」

「俺たちが領域改革軍になる前に魔物の領域が無くなっちまうんじゃねえか?」

「ならどうなるんだよ。他国と戦争とかか?」

「さあな……」

 移動中に男子学生の話し声が聞こえ、そちらに視線を向ける。

 自分と同じように野戦服に身を包んだ高等部生が、遠くを眺めるようにして今まで移動して来た線路の先へ視線を向けていた。

 辺りが暗く月も出ていないため景色も遠くまでは見渡せない。


「おう。どうした?」

 唐突に声を掛けられナディアは前方に向き直った。

 ナディアより背の高い影が目の前に現れる。ザックリと大雑把に切り揃えられた砂色の髪、鍛えられた体躯に幼さの残る顔立ちをした少年。

「ガストール君、同じ鉄道だったんだ」

 ナディアは少し目を見開き驚く仕草をとるが、ガストールは「一応俺も魔物の領域へ行くと話していたと思うんだが……」と複雑そうな表情をしていた。

「あれ?そうだっけ?」

 まったく記憶になさそうに見えるナディアに、ガストールはますます妙な形に表情をかえるが「いや、言ってなかったかもな」と言って誤魔化した。

 何となく惨めさに耐えられなかった。なぜ惨めに感じているのか本人に自覚はないが。

 ナディアもちょっと申し訳なくなってしまった。

 何だか大型犬がふてくされた顔でこちらを見詰めてきているような、そんな映像が頭をよぎる。

「ごめんなさい。ちょっとからかっただけよ。ずっと上級生の先輩と一緒だったから気が抜けなくて。ガストール君を見たら気が抜けたみたい」

「……お前の冗談は反応が自然すぎて分り辛いんだよ。勘弁してくれ」

 ガストールは顔を顰めながらそう言っているが、鼻をこすり、目には喜色が映っていた。

 ナディアも「そうかなあ?」と首を傾げる。ガストールの機微には気が付いていないようだ。


「で、さっきは何でぼんやりしてたんだ?」

 何となく和んでしまったが、ガストールは先ほどの疑問をもう一度ナディアに問いただした。

「遠くに来たなあって思っただけだよ。ここが昔は魔物の領域だったって話している人がいたから」

 ナディアはガストールから視線を逸らし改めて、自分たちが移動して来た方角を見る。

 ガストールはそんなナディアの横顔に自然と視線が向かってしまう。

「これから私たちが行く基地も昔では考えられないくらいの深度にあるんでしょ。これから、人の技術が発展していけばもっと早く開拓が進むのかな」

「まあ、そうだろうな」


 駅のぼんやりとした光源の中でも黄金の髪は夜に浮かび上がるように光を照り返す。

 首元で赤い上品な布地に括られた髪はさらさら肩で揺れている。

 闇の先に向けられた瞳は、僅かに愁いを映しているように見えた。

「本当に、早く開拓が終わったらいいのにね」

 

 二人が立ち止まって、そう時間は経っていないが駅には二人以外の影が見えなくなっていた。学生たちは慣れない旅路で疲れた体を早々に休ませたいのだろう。


「私たちも行きましょうか。教官に叱られたくないし」

 ナディアはガストールに視線を向ける。

 その視線はナディアの横顔を見詰めていたガストールの視線が重なった。

 僅かに身じろぎし、ガストールはナディアへと切り出す。


「なあ、お前はどうして師団に入りたいんだ?」

 

 ナディアはガストールの真剣な眼差しと、言葉に驚き、それから、迷うように目を伏せる。

「珍しいね。ガストール君、あんまり人の事情を聞いたりしないのに」

「こんな異郷まで来たんだ。いつもと違うことを喋りたくなる」

 そう言ったガストールだが、自分の言葉に納得いかないように眉間にシワを刻む。

「いや、違うな。俺はお前のことがずっと前から知りたいと思っていたんだ」

「私のこと?」

 ガストールは頷く。

「俺はお前の努力も、実力も知っている。いったいどんな思いでそれを成しているのか、知りたい」


 ガストールもどう言葉にしたものか分からないが、知りたいというのは本当だった。

 過去、ナディアとは因縁と呼べるような出来事が数々ある。

 ただどれも自分が独りよがりで馬鹿なことばかりやっていた所為だ。

 この少女に自覚はないだろうが、自分がこうやって学府でまともにやっていけているのは彼女の影響が大きい。

 いつから意識し出したのかは定かではない。

 ずっと聞いてみたいことがあった。

 彼女が見詰めているものが何なのか。

 その望みを。

 未来を。


 普段ならば聞けない。

 この少女を前にするとなぜか普段の自分とは違い、自信が上手く持てなくなる。

 弱い自分が鎌首をもたげる。

 今こうして素直に問うことが出来るのは、旅のおかげだろうか。

 これから危険な地に行くため、不安で口が軽くなってしまったのか。

 それは定かではないけれど。

 

「……そんな真剣な顔で聞かれたら、誤魔化すのは失礼だよね」

 ナディアは寂しげに笑顔を見せる。

 明るく振る舞い、影のある表情を滅多に人前で見せることのない彼女のその表情は、ガストールの胸を打つ。

 ナディアがガストールの様子に気付いた様子はない。

 風が出始め、ナディアの髪を揺らし、稲穂の揺れるような清涼な音色が流れる。

 少し強く唇を一度結び、ゆっくりと噛み締めるようにナディアは口を開いた。


「私は異能の力で大切な人を傷つけたことがあるの。どうしようもないほど後悔したわ」

 どうしようもないほどの恐怖でうずくまっていた。


「でもその人はね、私のことを許してくれた。言葉じゃなくてね。ただ笑いかけてくれたの」

 震える私を抱き留めてくれた。


「沢山のものを貰ったのに、私は何もしてあげられなかった」

 返したいじゃない。何でもしてあげたかったんだ。


「私は、子どもだった。弱くて、無力なただの子ども。だから、大切なものを守れなかったの」

 思いとは関係なく。


「あの頃の後悔がずっと残ってる。私は何の事情も教えてもらえなくて。今も何も知らなくて」

 この手から零れ落ちたものを。


「だから、強くなりたいと思った。知りたいと思った」

 救い上げるために。


「私一人が領域開拓軍に入っても、法術師様みたいな大きな活躍は出来ないけど、もしかしたら……私が戦うことで、守れるものがあるかもしれない」

 もう一度会えるのなら。


「…………」

 肩を並べて、立ちたくて。


「私には大きな理由はないの。これしか選べなかっただけ」

 それ以上望むことは何もなかった。


 短い言葉の中に多くの感情が浮かんでくる。


 手を離してしまった後悔。

 傷つけた痛み。

 理解してあげられなかった苦しみ。

 

 過去の全てがどうしようもないほど、暗く沈み込むような感情だっただろうか。

 

 そんなことはない。

 沢山の思い出がある。


 初めて笑いかけてくれたこと。

 家族であれたこと。

 一緒に歌を歌ったこと、聞いたこと。

 遊んだこと。

 寝ころんだこと。

 手を繋いだっこと。

 抱きしめたこと。

 抱きしめられたこと。


 どれも些細なことで、どれもかけがえのない瞬間だったと今なら分かる。

 ナディアにとっては大きな目標と言えることはそれだけなのだ。

 

「私は、私が出来ることをしたいの」

 大切な人の為に。


「私にとって一番後悔のない道を選んでいるだけだよ」

 ただそれだけの思いだった。



 ガストールが考えていたような答えをナディアは口にしなかった。

 大きな大志。

 正義感。

 強さの証明。

 権力。

 自分の想像が貧困だったということではなく、ただこの少女のことを未だよく理解できてはいなかった。

 ナディアの今の言葉をガストールは一体どれほど汲み取れただろうか。

 彼女の言葉の中に含まれた過去を知らない。感情を知らない。思いなど、到底理解できるはずはない。


 大切なものを失い、その喪失感から強くありたいと願った。

 守る力があるのなら、それを使う道を選ぶ。

 ガストールは夢想のようなナディアの言葉に胸が掻き毟られる思いだった。

 自分でも訳の分からない苛立ちを強く感じる。

 癇癪ではなく、膿んだ傷口の痛みのように不快さを含んだものだった。

 

「…そんな、理由なのか……」

「うん、そんな理由だよ」

 ガストールは不快気な感情を含んだ硬い声を上げた。

 ナディアは気にした様子もなく、先ほどのような影のある表情はない。明るい表情を取り戻し、静かに微笑んでる。

 僅かに見えた本音を包み隠してしまったような、そんな顔にも見え、更にガストールを苛立たせる。


 だからだろう。緊張したように硬さを含んだ笑みには気付きはしなかった。


「つまんねえな」


 毒を含んだ鈍い響きの言葉を漏らし、ガストールは踵を返し、足早にその場を離れた。

 自分が言葉を発した瞬間のナディアの顔をガストールは見ていない。

 目を合わせず、吐き捨てるように言い放ったからだ。


 よく分からない感情が蠢き、自分では無くなっていく。

 ガストールは自分を真人間など口が裂けても言わないし、思わない。

 だが、矜持はある。

 意地もある。

 明確に掲げた「らしさ」を損なうようなことはしない。

 

 今の言葉は、態度はどうだろうか。

 八つ当たりだった。

 自分から話を聞こうとしたのに、その答えに苛立ち、ひどい言葉を言った。彼女の目指すものを貶めた。

 なぜ、あんなことを彼女に言ってしまったのか。

 それ程許せないと思ってしまう答えだっただろうか。


 言葉を紡ぐ彼女は真剣だった。

 真っ直ぐだった。

 気高く、尊い。

 他の学生とは違う。

 自分とは違う。

 まざまざと見せつけられた。

 眩しく見えるその姿が、頭にちらつきは慣れない。

 ガストールは走るように駅を飛び出し、自身の中に渦巻く不快さと怒りに翻弄されていた。



「………」

 ナディアはガストールが去った後も、しばらくその場にとどまっていたが、思い出したように荷物を抱え直して、駅の出口に向かった。

 今日はここで1泊し、それから馬車を乗り継いで基地を目指すことになっていた。

 

「つまんない、か……」

 ナディアは体が鉛にでもなったかのような重たい足取りで歩みを進める。

 口に笑顔を張り付けようとするが、上手くいかない。

 目尻に余計な力が入り上手く笑えない。

 

 ガストールとは良くも悪くも付き合いが長い。

 昔は愚にも付かないことでよく衝突していた。

 ある時期を境にお互いいがみ合うのではなく、切磋琢磨する好敵手のような間柄となった。


 だからショックも大きかった。

 ナディアはガストールに分かってほしかったのかもしれない。肯定してほしかったのかもしれない。

 ナディアは本質的に争いを好まない。

 ジルグランツ家で大切に育てられ、お転婆で活発的な少女だった。

 ここまで来るのに辛いことも多かった。

 それでも走ってきた。脇目も振らなかった。

 

 突きつけられた、他人の言葉は、重かった。

 言葉は発言した者の意図や思いとは関係なく、他者に影響を与える。

 ガストールであったから、同じ異能者、同じ領域開拓軍を目指す彼であったから、否定が辛かった。


 色々な可能性を捨てての選択。

 ただ一つの願いの否定。


 他人の言うことなど関係ないと言えてしまえれば楽だろう。

 楽ではあっても正しくはない。

 自分を形作るものも、他者の一つ一つの言葉を捕える自身なのだから。



 ナディアは表面上平静を取り繕い、宿で休息をとり、翌日の朝には再び魔物の領域を目指した。

 リミがいたのならば、ナディアの変化を感じ取ってくれたかもしれないが、ここにはいない。



 馬車での道中はトラブルなく進み、夕暮れには無事に全員がかの地へとたどり着いた。

 夕焼けに彩られ、地平の彼方まで赤く色づく。

 人工物は殆どなく、自然豊かな大地。

 不気味なほどの静けさの中、ナディアはこの地へたどり着いた。


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