(3)開墾の大地へ
鈴の月15夜、雲の殆どない快晴の中、旅は歓声と警笛の音と共に始まった。
兵科に所属する中等部と高等部の学生たちは鉄道に揺られ、領域開拓軍の基地を目指す。
流れる風景は誰にとっても刺激的だった。
ミニシーア大陸の各地に鉄道網は敷かれているが、乗車料金は一般的にはまだまだ高額だ。
未だ主だった移動手段は馬を用い、街道を行き来するというもの。
ほとんどの学生たちにとって、鉄道に乗って興奮するなというのが無理な話だった。
リミも始めは楽しそうにして外を眺めていたが、今回の目的地のことを思い出した段階で徐々に興奮も冷めていった。
「はあぁ~~~」 鉄道に揺られて半日も経てば最早陰鬱な気配をまき散らし、かれこれ30回目となるため息を吐くのだった。
ナディアは初めこそ声を掛けていたが、流石に疲れたのか窓をぼんやりと眺めていた。
鉄道内の座席はそれぞれ4人掛けのボックス席となっている。
荷物なども一緒に詰め込んでいるため決して広いわけではない。
狭い中に押し込められた学生たちは普段と違い、全員兵科指定の深緑色の野戦服に身を包んでいる。
顔と手以外の肌は全て厚めの布で覆い隠されており、季節柄少々熱い。
この野戦服は対外的な行事でしか着用することはない。学府でも訓練時の指定服以外は私服が許可されているためだ。
ナディアとリミは隣り合って腰掛けており、ナディアたちの対面座席には二人の学生が座っている。
一人はおっとりとした感じの、青みの強い銀髪を持つ女性で名をカルフィールという。
もう一人は細く筋肉質な長身の体に、橙色の髪をベリーショートに切り上げたシンフという名前の女性だ。
どちらも高等部の3年生であった。
本来ならナディアたちは同級生たちと座る予定だったが、席が足りず微妙にあぶれてしまい、仕方ないので上級生の車両を使わせてもらっている。
上級生の二人もさすがに緊張があるのか、はたまた長旅に疲れたのか口数がだいぶ減っていた。
お互い中等部と高等部で別れて対面しているため、中等部二人の野戦服は真新しく生地がごわついているのに対し、高等部の二人はそれなりの回数を着たのか、体に馴染んでいるように見える。
ある種、対照的な組み合わせだった。
「もうすぐ到着しそうだな」
目的地が大分近付いた頃、不意にシンフが口を開く。会話して分かったことだが、このシンフという女性は男勝りな言葉遣いだった。初対面のナディアが聞いていても、彼女の雰囲気に合っていて違和感など全くない。
「シンフ先輩は前にも来たことがあるんですよね?」
「ああ、3年前だな。その頃には魔物の出現数が激減していたから、想定より楽な演習になったよ。想定より楽ってだけで、大変なことには変わりなかったけど」
リミの質問にシンフは歯を見せるように笑いながら答える。
「ふふ、その年に私たちは魔物の領域に行けなかったからあまり関係なかったわね」
「確かにな」
カルフィールとシンフは兵科に所属する異能者だ。
シンフは筋肉質な体をしているが、カルフィールの体は女性的な起伏にとんだスタイルをしている。手足もすらりと長く、華奢だった。
おおよそ荒事に向いていないように思えるが、ナディアはカルフィールの方がシンフより強いことを知っている。
シンフも武芸大会で悪くない成績だったが、カルフィールは女性の中でナディアに次ぐ上位の成績を収めていた。
彼女の瑠璃色の瞳には僅かに赤が交じり紫色がかっている。
体に筋肉がついていないのもマナのコントロール技術が高いという証明だろう。
ナディア自身も剛腕のガストールと打ち合えるほどの剛力を発揮するが、腕や体に筋肉はあまりついていない。
筋肉がついているからといって、マナのコントロールが下手だということではないが、雑な面があるのは確かに言えることだった。
「教官たちは魔物の大規模氾濫があるとかないとか言ってたな」
リミはシンフの言葉に肩を揺らして反応する。
カルフィールは咎めるように目を細めてシンフを見る。
「悪い。別に脅かそうとしたわけじゃないんだ。可能性は低いし」
「起こっても私たちには危険なことはないから安心してね。領域開拓軍の人たちは大変だけどね」
事実として魔物の大規模氾濫は厄介ではあるが、時間さえかければ対応できない規模ではない。観測技術が進んだ現在では、十分な余裕をもって発生した魔物の群れから退避することが出来る。
だが危機感を覚えない最大の理由は、黒の神子がこの大陸を分断するように張った「三夜月の守護結界」の存在だ。
この結界がある限り魔物の大規模氾濫が起きても人の領域には侵入できない。その為魔物の領域に出ることさえしなければ現実的な脅威は皆無だ。
ただし、魔物は結界の外に溢れかえるため、開拓を進めることが出来なくなる。
領域開拓軍にとってはただただ煩わしい出来事でしかなく、学生にとっては訓練演習の内容が変わるくらいの認識しかない。
強力な力によって支えられている今の状況で、学生たちの危機意識の低さは仕方ないことなのかもしれない。
黒の神子がこの大陸唯一の宗教の象徴であり、神格に近い人物であるために。
「カルフィールの言う通り心配するだけ無駄だ。黒の神子様の結界が魔物程度に破られるはずないだろ。心配すんな!」
不安など笑い飛ばすように豪快なシンフの破顔に、リミはぎこちないながらも笑い返す。 完全に、ではないが今の話しを聞いてリミの不安が小さくなったように見え、シンフは頭を軽く掻き安堵のため息を吐く。
しかしリミの横で、特に大規模氾濫のことなど気にした風もないナディアが目に入り、釈然としないものを感じた。
彼女もリミと同じ今回が初めての訓練演習である。
おまけに魔物の領域という大陸でもっとも危険な場所に赴くのだ。
流石に今の話をまるで気にしないでいるというのは、これから危機管理がちゃんとできるのか不安になる。
「お前は今年から魔物の領域に入るんだろう?優勝者って言っても流石に早すぎやしないか」
シンフは少しきつめにナディアに視線を送り、問いただす。
シンフもこの少女の試合を見てはいたが、実力があっても魔物相手でそれが発揮できるとは限らない。
苛立ちからではなく、純粋にナディアの身を案じての言葉だった。
「遅いか早いかなんて些細な違いです。今日できないことが明日出来るようになる保証はありませんし。今年を逃したら3年間待たないといけないですから」
「……まあ、そうだがよ」
ナディアの顔は、引くことはしないという決意を表わしていた。灯った炎はこの程度のでは揺るぎもしないというように。
シンフも初めて話してみて分かったことだが、この少女はお嬢様のように可憐な見掛けをしているのに恐ろしく頑固だ。
生意気と言うことではなく、自分の中で一本通ったことを決して曲げようとしない。そんな性格を持った少女だった。
シンフ自身、彼女のその気質を好ましく思っていた。
「まあ、いいじゃない。それに彼女のことより私たちの方がよほど大変だと思うけど」
おっとりとした口調でカルフィールがシンフを嗜める。
カルフィールは常に微笑みを絶やさない穏やかな雰囲気を持った女性だが、ナディアと同じく魔物の領域での演習に参加するメンバーの一人だ。
シンフも元々は魔物の領域での演習を希望していたそうだが、実力が足りず参加を諦めざるを得なかった。
シンフは魔物の領域行きこそできなかったものの、訓練演習の中では最も過酷と言われる、師団との合同訓練に参加する予定だった。
リミからすれば自ら命の危険と肉体の虐待を選択するこの三人は、異次元のような精神状態としか思えないのだが、口に出すような野暮はしない。
「リミちゃんは、何をするんだっけ?」
カルフィールは穏やかな眼差しをリミへと向ける。
「私は、資材の管理です。帳簿の付け方や、書類の整理などですかね。雑用ですよ、雑用」
リミは少し卑屈になりながら答える
「大変そうな仕事ね……。私、数字が苦手だから尊敬するわ」
眩しいものを見るようにリミを見詰めるカルフィールの顔に嘘はない。それ故にリミは気恥ずかしくなった。特に立派な理由があったわけではない。楽そうだし、せめて何かしら将来のためになりそうなものをと選んだ結果だった。
「おお、あたしもだ」
「勉強みたいな計算はいいけど、書類はちょっと間違えちゃいそう……」
この三人は感心したようにリミを見ていた。
リミにとってはその視線もただただコンプレックスを刺激するものでしかなかった。
人それぞれでできることは違うが、やはり兵科のような場所では自分のような半端な気持ちを持った者は、ふとした瞬間に引け目を感じてしまう。
「リミ?」
暗くなった友人の様子を察し、ナディアが声を掛ける。
「うーん、訓練演習のこと考えたらまた気分が落ち込んできちゃった」
心配するナディアにリミは笑ってそう返す。
カルフィールもシンフもその言葉にそれぞれ声を漏らして笑ったが、ナディアは困ったような顔を浮かべるだけだった。
それから一刻。正午を僅かに過ぎた時間。
鉄道は最初の目的地へと到着する。
青歴が始まった時代から存在する、もっとも魔物の領域から離れた開拓村、カナベリタ。
このカナベリタを含む、各地に存在する開拓村はどの国にも属していない。
領域開拓軍にとって重要拠点であり、物資、人、金の流れが煩雑で膨大だ。どの国が取り仕切っても軋轢を生みやすい土地でもある。
お互いを牽制し合う形ではあるが一定の均衡は保たれている。
カナベリタは開拓村と呼ばれているが、最早村という規模ではない。
物資や人の往来が激しく、どこを見ても人が慌ただしく動いているのが印象的だった。
建造物は600年という時間をかけ増えていき、都市と呼んでも差支えない。
あまり区画の整理がなされていないため、非常に入り組んだ区画も数多く存在している。
リミは鉄道が止まってから荷物をボックス席の外へと運び出す。
彼女を含む、後方支援の訓練を受ける学生の3分の1はここで降りることになる。
残りの3分の2はもっと前線にある開拓村で後方支援にあたる。
「ナディア、無茶しないでね。怪我しちゃだめだよ」
「うん。大丈夫だよ」
ナディアとリミの二人はここで暫しの別れとなる。
訓練演習は20夜続くため、再会できるのはその演習が無事終わってからだ。
ナディアは駅に降り、リミを見送っていた。
「何でもかんでも食べちゃダメだからね。訓練中お腹空いても我慢できる?」
「いや、私はそこまで食いしん坊じゃない………かな?」
あまりに心配そうなリミに自信がなくなるナディア。はた目から見ればナディア以上に食いしん坊という言葉が当てはまる人物もそうはいない。リミの見立ては正しい。
「本当に気を付けてね!絶対無茶しないでね!」
別れの際、リミはいよいよ感極まりナディアに抱き付いた。
ナディアも「今生の別れじゃないんだから」と苦笑を浮かべたが、ここまで心配してくれる友人がいてくれることに胸に温かなものが込み上げてきていた。
ナディアはそんな友人の頭を優しく撫でる。
「大丈夫だよ、ちゃんと帰ってくるから。リミの心配が的外れだったって20夜後には証明してあげる」
「……うん」
最後にリミはナディアの胸にぐりぐりと頭を押し付けて離れる。
周囲の人間は生温かな目でその光景を見ており、二人はそれに気付き赤面した。
別れを済ませた学生は再び鉄道へと乗り込む。
やがて出発時刻になり、鉄道は再び学生たちを運びだす。
第1陣、第2陣、第3陣、第4陣。
4つの車両は、4つに枝分かれした鉄道網を辿り、それぞれの目的地へ学生たちを連れて行く。
ナディア、カルフィール、シンフたち高練度の学生たちは師団が多く住む開拓村に。
その他ほとんどの学生は国軍の前線基地や開拓村に派遣される。
カナベリタは最も古い開拓村であり、これ以降の土地は人が勝ち取ったかつて魔物の領域であった場所だ。
彼らがまだ見ぬ魔の大地は、確実に近付きつつあった。




