(2)学び舎の風景
授業風景という名の説明回でお届けしています。
読み辛いこと請け合いです。
青暦 622年 木の月 1夜
気温が上がりだし、雨の日が多くなる季節。
兵科では午後から野外演習を予定していたが、昼過ぎに降り出した大雨の影響で中止と相成った。
本来なら屋内で基礎トレーニングを行う場合が多いが、今回は兵科に所属する学生全員が講堂に集まっていた。
講堂は傾斜を設けた構造で、後ろの席からでも壇上の講演者の顔を見ることが出来る。
壇上には汚れた白衣を着た30代ほどに見える男性が集まった学生たちの顔をぐるりと見回していた。
「中等部と高等部の学生はみんな集まっているね。それでは臨時の講義を開始しようか」
男性の声は広い講堂内でもはっきりと響き渡る。何らかの機械による拡声を行っているようだ。
「僕の名はスター・スマイルだ。兵科の学生で僕と面識があるのは特殊技術コースの学生のみだろう」
壇上の男性、スマイルが名を名乗ると講堂にざわめきが生まれる。
彼はコバルティア首国のみならず、世界でも著名な発明家として知られているためだ。
スマイルは二度大きく手を叩き学生のざわめきを払う。
「はい、騒がないように。今から僕がなぜ講義をすることになったのか説明をするからね」
「今回僕が講義を任せられたのは来月の鈴の月15夜(7月15日)に行われる領域開拓軍との訓練演習についての大事な話をするためだ」
学生たちは訓練演習という言葉を聞いて、真剣に耳を傾けようとするもの、嫌そうな顔するものに分かれていた。
「軍の中の役割は様々ある、君たちはここでそれを学んできたことだろう。自分がどんな仕事を任されるのか、詳細はそれぞれの教官に確認してほしい。現地でも訓練演習中に魔物を目の当たりにする機会はまずない。余り気負いすぎることはない。まあ、軍隊入りを希望する者で高い練度を持つものは、魔物の領域での活動を実体験できるがね」
スマイルは少し間を取って学生を一瞥する。
「ならば僕が何の講義をするのかというと、それは君たちに予備知識を与えるためだ。訓練演習で向かう場所には一般には法術師と呼ばれ、『士族』の身分を持つ方々がいる。それ以外でも異能者の方々も多い」
「この学府にも異能者は多いが、兵科に属していても関わろうとしなければそれまでだし、未知な人間には未知なままだろう」
「いざ領域開拓軍でお世話になるのに無知だとは思われたくないだろう?十分に知識のある学生や、異能者のみんなには退屈かもしれないが復習だと思って静聴しくれ。特に『士族』についてはあまり文献もないから知らない人間の方が多い。みんなにとっては初出の知識が多いから聞き漏らしのないように心掛けてほしい」
スマイルは居住まいを正し学生たちに微笑む。
「それではこれから異能者についてと、法術師についての講義を始めよう!」
外に面した窓には雨が激しく当たるが、講堂内にはあまり音は入らず、一人の男性の声に多くの学生が静かに聞き入っていた。
「まずはみんなにとって比較的身近な異能者について話していこうか」
「異能者は異能という力をその身に宿している。これは人が本来持ちえるマナの保有量を逸脱した人間に宿る力だ」
「現在確認されているのは純粋な身体能力の向上だね。筋力、持久力や瞬発力は勿論、五感、神経系、骨格、皮膚、血液に至るあらゆる人の細胞がその強化対象にあたる。まあ血の強化については出来るというだけでやる意味があるかは僕にも分らない。直感については検証中だから正式な強化対象ではないよ」
スマイルはのどの調子を確かめるように一つ咳払いをする。
「発現する時期、つまりマナが急激に増量する時期は人間の成長期にあたる。勿論年を取った人、僕のようなおじさんでも可能性がないことはないけど、とても事例は少ないね」
「圧倒的な身体能力を得る反面、困ったこともある。この力は肉体の力であると同時にマナの力でもある。制御がとても難しい」
「年単位の訓練で少しずつ制御が可能になっていく、とても難しい力なんだ。そこの君、そう坊主の君だ。君はこの講堂を出た瞬間から異能者になったとしよう。そしたら君はどうなると思う?」
スマイルに指名された学生は辺りを見回して、自分のことかと気が付く。
少し考えてから学生は自信なさげに答えた。
「……特に、何もしないと思いますけど。いつも通り寮に帰るでしょうか」
「残念だがそれは出来ないね。恐らく大怪我で病院に運ばれるだろう」
スマイルの言葉に多くの学生が困惑する。なぜ体が強化できるようになったのに怪我をするのだろうか。
「まず、制御が出来ない。これに尽きる。多分一番最初に五感が鋭敏になるだろう。雑音だって鼓膜を破るような大音量に聞こえるかもしれない」
「午後から降り出した雨に君は傘を持っていない。ならば走って帰るだろう?もうそこで病院行き確定だ。体の筋肉が断裂するか、強化された筋力に骨が耐えられずに折れてしまうか、はたまた走り出せたのはいいものの、逸脱した速度に止まることが出来ず校舎に激突する」
学生たちは今の話を聞き、クスクスと小さな笑い声上げた。
「まあ、笑っている人もいる通りこれは極端な例だ。大体は力が少しずつ強くなるなどの兆候があり、異能が発現するか否か分かる」
「発現の兆候が確認できたものは検査を受け、陽性ならば『異能封じ』を与えられる」
「異能封じは銀色の色金という金属で造られた装身具だ。腕輪などが多いかな。この色金という金属はマナの収束と拡散という性質を持つ。異能者の行動によって発生するマナを収束し、拡散することで身体能力を人並みに抑えられる、間違っても悪戯などしてはいけないよ。それこそ異能を持つ人間にとっての生命線だから」
「この異能封じを身に付けていれば異能が覚醒しても急激な身体強化が起きないので安全だ」
スマイルは息を吐き、首を軽く回す。
「異能者はそのまま異能封じを装着し続ける限り平穏無事に過ごせる。全ての異能を封じ込め、日常生活を送りたい。そう望む人も多い」
「人より強い力があるからと言って、それを振るう理由にはならない。力があるから使うなんて言うのは理由ですらない。ここにいる学生たちにそんな人間はいないと信じている。戦う理由があるためにここにいるのだと」
スマイルの言葉に講堂はシンと静まる。
学生に考える時間を与えるように間を取り、数秒の後、再びスマイルは口を開く。
「……話の続きとなるが、異能封じは個人に合わせて調整されている。個々で体内のマナの量や力の集まりやすさ、出力など細かい違いがあるからだ」
「この調整をうまく使うことで異能者は異能を危険少なく操るということが可能となった。異能封じが出来る以前は、始めから十割の力を制御しなければいけないという大変危険な思いをしていたが、今は1割や5分など細かい単位で徐々に異能を発現させることが出来る」
「さて、今の兵科に所属する学生たちは一体どこまで制御できるようになったかな?」
「誰か教えてもいいという人はいるかい」
スマイルが確認すると数人が手を上げた。記憶が確かなら高等部生の学生たちだっただろうか。
「順番に教えてもらえるかい」
「俺は5割です」
「俺は5割5分です」
「4割です」
そこから何人か続くが、みな4割から5割ほどだった。4割が学生として優秀な数値だと言われているため、今の兵科は粒ぞろいなのかもしれない。
「流石にこの場で発言するだけあって中々優秀なようだね。ありがとう」
スマイルはそれから誰かを探すように学生たちへ視線を向ける。
そしてある一人の少女を見つけたところで目が留まる。
「えーと、たしか君は先月の武芸大会で優勝した子だよね」
「は、はい!」
緊張気味に少女が立ち上がり答える。武芸大会優勝者というには可憐な印象の人物だった。
「答えにくければ断ってくれていいけど、さっきの学生たちより君は自分の異能の力を制御できるかい?」
少女は僅かに逡巡したがはっきりと答えた。
「…いいえ」
「なら、君より制御値が低かった人はいたかな?」
「いいえ、いませんでした。私は2割ほどしか異能を操れませんから」
講堂に再びざわめきが生まれる。
普通に考えれば異能をどれほど操れるかで強さが決まると考えるだろう。
ましてただの女の子にしか見えない彼女が、屈強な男子に勝つにはそれしかないように思える。
「びっくりしているね、いい反応だよ。ああ、君はもう座っていいよ。無理に聞いてすまなかったね」
「いえ、特に隠しているわけではないので」
「さて、それでは問題だ。異能者の学生以外のみんなはなぜ彼女が優勝できたのか答えてほしい。分かったら挙手してね。正解者には後で飴を上げよう」
スマイルがそういうとすぐに数人の学生から手が上がった。
「はい、一番後ろの列の君」
「剣術の達人だからですか。速くてよく分からない場面もありましたが、綺麗な型に見えましたし」
「不正解。いくら剣が巧みでも異能で負けている相手に勝ち続けるのは不可能だよ」
「色仕掛け?」
講堂のあちこちからガタガタと音が聞こえた。僅かだが殺気も漏れ出している気もする。
「君、今の発言で講堂の温度がかなり冷えたよ。帰り道に気をつけた方がいい。当然、不正解」
「制御値が低いというのは嘘で、実際は十割の異能を使えるとかですか……」
「お、今の答えいいね。でも不正解なんだな。ただ着眼点はいいよ」
「異能者じゃなくて法術師だった」
「嘘つきというところに着眼してどうするんだ。答えが遠ざかったよ。不正解」
「ほかの異能者よりすごい異能を持っている?」
「う〜ん。ほとんど正解だからいいとしよう。優勝者さんがちょっと申し訳ないくらい顔を赤くしてしまっているからね。正解者と優勝者さんに飴を進呈しよう」
発言を促したため少し浮ついた空気になり、少し学生たちが喋る声が聞こえるが、スマイルは気にせず説明を始める。
「細かい訂正をいれると、彼女の保有するマナが多いからだ。100の1割は10であるように100の1割は100。同じ一割でも発現するマナの量が格段に違うよね。実に単純なことだ」
「ただし!マナのコントロールの難しさはその保有量の多さに比例する。100の力を10割操ることと、1000を1割操ることは決して同じではない」
「本来は大器晩成型であるのに中等部にして武芸大会で優勝してみせたことは、君たちが考えているよりずっと困難なことだ」
「あとは……そうだね、これも伝えておかないとね」
スマイルは優勝者の方へ感心したような視線を送ったあと、思い出したように切り出す。
「マナの保有量が多い異能者には総じて、瞳にある特徴が出る。正確には虹彩の部分になるが、そこに赤い色素を帯びている。異能の覚醒と共に、本来の色と赤色が交じる症状だ」
「勿論元々の目の色が赤っぽい人もいるから勘違いはしないように」
「赤い色素が交じっているだけでも異能者として大きな力を持っていることになる。さらに強大な力を持つものは赤眼や紅眼を持っている。潜在マナは相当なものだよ」
「卒業生の中にも赤眼を持った異能者の子はいたね。彼は今師団で大いに活躍しているらしい。みんなももしかしたら会うことが出来るかもしれないね」
「色素は分かりやすいマナの多さの基準と思ってもらって構わない。瞳に赤を帯びてなくても強い人はいるし、帯びていても弱い人はいる」
「さて、異能者についての大まかなところはこんなところかな。君たちなら知っていることの方が多かっただろう」
「小休止を入れたら次は法術師についてだ。これは知らない人間の方が多いと思うから退屈しないで聞けるだろう」
スマイルが一旦話を切り講堂を後にする。




