(1)強く早く4
日は沈み、月が夜の闇に浮かぶ。
首国の街並みの明かりで星はほとんど見ることは出来ない。
ナディアは一人、そんな星の見えない学府内の夜道を歩いていた。
舗装された地面は彼女の歩みに合わせてカツカツと音を響かせる。
人通りの殆どなくなった時間であるためよく響いていた。
ナディアは動きやすさを重視した生地で作られたノースリーブウエアに白色のスキニーパンツを身に付けていた。
やがて一棟の建物に辿り着く。
石膏のように滑らかな白の石材で造られたドーム状の建物だ。
「お疲れ様です、テンさん」
ナディアは慣れた様子で正面扉の脇に設けられた守衛室に声を掛ける。
守衛室の窓からは学府の警備官を示す赤茶色の制服に身を包んだ初老の男性が顔を出した。
「おおナディアちゃん、こんばんは。今日もかい?」
人の良さそうな男性はナディアに気さくに声を掛ける。
「はい、よろしくお願いします」
男性は部屋の中にある機械を操作し扉の鍵を開ける。
まだ首国でも一般的ではないが、学府の施設全体には電子化が施され、初めて目の当たりにした学生たちは驚きを露わにする。
ナディアは学府に来てもう4年目になるが、彼女もまだ見たことのない珍妙な仕掛けもあるため、未だ驚かされることがよくある。
「鍵は持っているだろう。気が済むまで使っていいからね」
「いつもありがとうございます」
取り留めもないやり取りをかわし、ナディアは扉の開いた建物の内部へと入っていく。
その後ろ姿に守衛の男性は思い出したように声を掛けた。
「ナディアちゃん!今日の試合、かっこよかったよ!」
ナディアは男性の声に振り返り、苦笑気味の笑顔を浮かべ頭を軽く下げる。
「……今日ぐらい休んでもいいだろうに。毎日熱心なことだ」
人気のない通路を歩く少女を見送りながら男性はポツリと呟いた。
ナディアの訪れた一室には厳重に鍵のかかったロッカーがいくつも存在する。
分厚い金属に覆われたそれはロッカーというよりは金庫そのものだった。
懐から鍵を取り出し一つのロッカーにカギをさす。
ガコンと重たい音が内部から聞こえ扉が独りでに開く。
10セクを超える厚さの扉から現れたのは、台座に固定された剣だった。
簡素な造りで特別高価なようには見えない。柄にはしっかりと皮材質のグリップが巻かれている。
ナディアは剣を自分の方へ倒し両手で鞘ごと引き抜く。
「っく」
僅かに眉をよせるが構わず剣をロッカーから取り出した。
剣を両手で抱えた瞬間、両足からギシギシと軋むような音が聞こえてくる。
手に持つ剣の重さを確かめながらナディアは自身の異能の力を引き上げる。
僅かに目の奥から赤い光が散り、体の中心から発生した熱量が体を伝播する。
熱は瞬時に体に馴染み、身体能力が底上げされたことで手の中の剣が僅かに軽くなる。
ナディアは剣に備え付けてある頑丈なベルトをしっかりと体に装着し、左手で剣を持ちロッカー室を後にする。
ナディアが剣を携え訪れたのは、真四角の圧迫感のある部屋だった。
均等な長さの立方体の部屋でおおよそ縦横ともに30エーデル広さがある。
天井は高く照明も高く設置されていた。
床や壁は鉄板が仕込んであり、生半可なことでは損傷しないようになっている。
ナディアはそんな寒々し空間の中心に立ち、右手で柄を握りながら浅く呼吸を繰り返す。
僅かずつではあるが彼女から普段感じることが出来ない闘志ともいうべき威圧感が放たれていた。
ナディアは力を高めながらゆっくりと剣を引き抜く。
黒曜石のように黒色を宿しながら光を照り返す光沢をもつ刀身。
抜き放たれた刀身はシイインと空気を震わせながらその身を晒した。
「黒鉄」と呼ばれる希少金属でつくられた両刃造りの長剣。
金属の比重が非常に高く大の大人ですらまともに構えることが出来ない。
本来武器として扱い難いが、異能者はこの重さと黒鉄の持つ「もう一つの特徴」から魔物狩りの武器として愛用するものが多い。
ナディアは片手で剣を正眼まで持ち上げた後、両の手で柄を握った。
そのまま静止状態をとろうとするが僅かに剣先が揺れる。
ナディアは自身の異能を更に高め、剣先の揺れが収まるまで力のアクセルを踏み続ける。
5分ほど時間を要したが剣先は時間が停止した様に動きを止めた。
高められた異能の気配が彼女の体から漏れ出し、荒事に慣れないものなら背筋が凍り付きかねないほどの威圧感が放たれていた。
ナディアの体はようやく動き出す。
すり足から袈裟切りを放ち、素早く体を引く。
何度か繰り返したのち、右薙ぎ、左薙ぎ、逆袈裟、突き。
上段、下段の構えからまた繰り返し。
剣速は昼間の試合に比べるべくもなく遅く、丁寧に型を確認するように何度も繰り返す。
一つ振っては調整し、時には剣を一度止め細かな点を修正する。
次第に汗が浮かび、衣服を濡らす。
時には連携を入れ変化をつける。
一度振っては止まり、二度振っては止まり、三度、四度、五度と連携を増やしていく。また振りを1度にもどしたかと思えば、流れるように二十以上の連なる剣舞を絡める。
ひたすら型の基本を繰り返し1時間が過ぎようとしていた。
「ふーーーう」
ナディアはおおよその納得を経たところで剣を下ろす。
修練に合わせ徐々に力を解放していくことで彼女の中の異能は1割強まで高まっている。
ナディアは自身の異能、身体能力の強化を2割扱える。
それ以上は右腕につけた銀色の腕輪である異能封じの働きで力を発揮することはない。
扱えもしない力は危険でしかない。異能者たちは制限を解除するほど大きな力を扱えるが制御も力の総量に比例し難しくなる。
兵科の異能者の中には異能の力を5割以上扱えるもののいる。
2割という数値は優秀とは程遠い。
ならばナディアは弱いのだろうか。
「ふっ!」
ナディアは一度呼吸を整えた後、呼気と共に自身の扱える限界数値の異能を発現させる。
パチパチとナディアの周囲で赤い光が火の粉のように舞い爆ぜる。
空気が鳴動し皮膚がひりつく。
先ほどとは比べようもなく好戦的な気持ちが高まる。
ナディアは両手で持っていた剣を右手一本で支える。
左足を前にして肩幅に両足を開き、左手は空をつかむように突き出す。
右手の剣は脱力した様に下げていた。
瞳が赤く明滅しきつく吊り上がる。
ナディアは目の前に敵が現れたかのように一気に踏み込み、駆け出した。
轟音を立て、床を砕く勢いで急停止し、音を置き去りにするような斬撃を放つ。
一連の動きから風が一泊遅れたように吹き荒れる。
ナディアはそれからも肉眼では視認が難しいほど急激な制動で移動と斬撃を繰り返す。
踏みしめる鉄板は沈み、暴風が逆巻く。
デタラメな軌道を描き、型など無い暴力的な剣舞だった。
力に振り回されているようにしか見えない。
事実ナディアは力をコントロールしようとはしていない。
押さえるのでなく解放する。
自分の今の力を知り、最善を探り当てる。
直線上に駆け、爆発的な力を足先へと叩き込む。
いっそ深く沈む床は反発するように波立ちナディアに力を伝播させる。
膨れ上がった力を異能の超人的な感覚が捉え、会心の一太刀へと昇華する。
剣は空気を裂き、切っ先からは鈴の音を引き延ばしたような高い音が響いた。
震える空気に金属が反響する空間の中、あまりの手応えにナディアの体にえもいわれぬ快楽が襲う。
「……まだ、ここじゃない」
僅かな間剣を振り抜いた姿勢で停止していたが、ナディアはまた暴風のような剣舞を再開する。
(もっと感覚を研ぎ澄ませ)
絡み付く空気や重力を叩き伏せるように荒々しく舞う。
(体を動かす感覚を捨てろ)
また一太刀、また一太刀と鋭い一撃が増えていく。
(マナの流れを遮るんじゃない。方向性を持たせろ)
鈍い音は減り、どんどんと音が高く澄んでいく。
理想とする剣線と自身の剣を重ねる。
力と規則と流れ。
型にとらわれず、剣術の理法を取り入れていく。
汗を迸らせ、熱量を発散させ、マナの光が彩る。
まだ完成とは程遠い異能の剣技。
そんな彼女の剣が走る音は、学生たちが寝静まる時間まで続けられた。
青歴 622年 水の月 3夜
ナディア・ホーエイ・ジルグランツ、14歳。
コバルティア首国で学府の兵科に通い、日夜戦闘訓練に明け暮れている。
今日行われた試合は中等部、高等部の12歳から18歳の兵科に所属する異能者のトップを決める武芸大会だった。
この試合は伝統行事であり、訓練とも呼べない教員側が用意した学生たちのガス抜きだ。
未熟な学生たちが必死で拙い技術を振るう、戦場を知る者ならば微笑ましささえ覚える遊戯。
しかし今回の優勝者であるナディア・ホーエイ・ジルグランツは終始圧倒的であった。
大会中、傷一つ負うことはなかった。
まともに試合が出来たのは決勝で戦ったガストールのみだった。




