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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第3章〈アヤメ〉
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(1)強く早く3

 夕食の後、ナディアとリミは寮の部屋へと戻って来ていた。

 寮の部屋は二人部屋であるが、それぞれベッドルームが分かれていてプライバシーは保たれている。

 備え付けのシャワールームやトイレ、洗面台、簡単なキッチンもある。

 入浴をしたい場合は寮の共同浴場を利用するしかないがこれといった不便はない。

 領地を治める領主を父に持つ「氏族」のナディアや、下位の華族「ディン」の名を名乗ることを許されたガストールはどうか知らないが、特権階級でないリミにとっては十分すぎるほどの贅沢だった。

 

 一人キッチンでお茶を入れながらリミは先ほどのナディアの態度に疑問を感じていた。

 感情豊かな彼女だが、あの話以降心ここに在らずと言った様子で考え込んでいる。

 今も早い時間からベッドルームに籠って出てこない。


 リミはガラスポットに花茶を用意し、二人分のカップとお茶菓子をトレイに乗せてナディアの部屋に向かう。

 軽く扉をノックすると、特に待たされることなく「どうぞ」と返事が返ってきた。

 リミは扉を開けようと片手でトレイを支えようとしたがそれより早く内側から扉が開いた。

「あ、お茶入れてきてくれたんだ」

 扉からこちらを伺うナディアの顔はいつもの朗らかな顔で、リミを歓迎していた。

「うん。まだちょっと冷えるからホットにしたよ」

 リミはナディアの様子に少しほっとして扉をくぐる。


「うーん、相変わらず物が少ないね」

 ナディアの部屋は使い勝手の良さそうな机。広く作りのいいベッド。大きな箪笥。

 机の上には僅かに私物があるがそれ以外は綺麗に片付いている。

 片付いているというよりはものが無さ過ぎて散らかしようがないのかもしれない。


「そうかな?でも不便に感じたことはないけど」

「そういう実用的な面ばっかりに目がいくのは乙女としてどうかと思うよ。女の子は夢を見てなんぼだよ」

「リミ、ちょっと女の子に夢見過ぎじゃない?」

 リミはトレイをテーブルの上に置きながら考える。これは私が間違っているのだろうか。ナディアが間違っているのだろうか。

 まったく悩む気もない疑問に頭を使いながら、この部屋で自分専用になっている机の椅子を引っ張り出す。


 ナディアはベッドに腰掛け、リミの準備を待つ。

 ナディアがお茶の準備を手伝はないのはリミの希望だ。

 リミ自身お茶を入れるが得意ということもあるが、こうやって自分で準備したものを相手に振る舞うことに楽しさや喜びを感じていた。

 手早く香り立つ花茶をカップに注ぎナディアの前に置く。

「ありがとう。頂きます」

 ナディアとリミの分が注がれたところでナディアがカップを両手で包むように持ち上げる。

「どうぞ、どうぞ。頂き物ですが」

 本当に頂き物かどうかは不明だが、口当たりを確かめたナディアにはいつもよりおいしく感じられた。

 花茶は香りを楽しむもので味や口当たりは入れる人間次第で大分違いが出てくる。

「うん。今日はなかなかの出来!」

 リミも自分のお茶の出来栄えに笑みをつくる。

 こういった味の変化を楽しむのもリミが率先してお茶を入れたがる一つの理由でもあった。

 

 二人の間で芳香の含んだ白い湯気がたゆたう。

 二人は口を開くことなく花茶の香りと味を楽しみ、テーブルにカップを置いた。

「リミは何かわたしに用事があったの?」

「用事というより、折角試合が終わったんだから息抜きにシャバに繰り出そうかと誘いに」

「またリミは変な言葉を使って……。本当は何なの?」

 ナディアは半眼気味にリミに問い直す。

 この友人がもし出かける提案をするなら夕食前に誘うだろう。それに前もって寮から外出許可をもらわなければいけない。

 勿論ナディアは無断外出を極力するつもりはない。あくまで極力だが。


 リミは考え込むふりをしながら視線を逸らすが特に躊躇いなく事情を話した。

「何ていうかね。夕食の後からナディアがちょっと変だなーって。いや、別に何考えてるのか知りたいとかじゃなくて……」

 リミは自分で言いながら少し困ってしまう。

 ナディアとは確かに付き合いが長いが、どうしても踏み込めない部分がある。ナディアに何か踏み込まれてほしくない領域があるのは確かなのだが、それがはっきりとは分からない。

 今回のことがそれに当たるのか、そうでないのか。

 少しズルいがこうやって問えばナディアが言いたくないことは言わないで済むのではと考えていた。

 ナディアはそんなリミの様子には気付いたふうではなく、悩みもせずにリミに胸の内を教えた。


「心配かけてごめんね。ガストール君の話しでちょっと考えていたことがあったんだ」

「?」

 リミは首を傾げ話の続きを促す。

 ナディアはカップに口を付け、舌を湿らせてから続ける。


「リミは私が領域開拓軍志望なの知っているでしょう?それも国に所属する国軍じゃなくて師団クラスで一番競争の激しい第13師団遊撃隊」

 リミはそれにコクリと頷く。

 ナディアは周囲に自分の目標を隠していない。

 領域開拓軍における国軍は国家から出向している軍隊にあたる。

 しかし師団は国とは関係なく多国籍で編成されている「魔物の領域」を開拓するためだけの軍隊だ。

 国軍より遥かに専門性が高く魔物との戦闘に特化している。

 その中でも第13師団遊撃隊は異常なほど人材がそろっている。

 国軍でも1,2人いれば十分な法術師を1部隊だけで5人も抱え、ほかの隊員は殆ど高い高練度の異能者で固められている。

 まさに精鋭であり、打ち立てた実績は他の追随を許さない。


「もし大規模氾濫が起こるなら、いえ、起こらなくてもその可能性があるなら特別措置で徴兵があるんじゃないかなって思うの」

「確かにありそうだけど……」

 在りえない話ではないと考えられるが、リミ自体大規模氾濫の前兆が表れたときの各国の対応を知らない。ガストールならばもっと建設的な話が出来たかもしれないが。

「だから色々調べてみようかなって。今もこれを読んでいたのよ」


 ナディアは席を立ち机の上に置かれた本を手に取る。恐ろしく分厚い革張りの本だ。

「………『大陸中央戦史叢書9版』。うわ、絶対読みたくない」

 リミはタイトルを見ただけで鳥肌立つ。リミは基本的に娯楽小説の類しか読まない。こんな鈍器としか言えない本には一生縁がないだろう。

「そう?意外と面白いわよ」

 リミの引いた顔に納得できないがナディアは話しを続けた。

「国の対応は自国の軍隊を集中させるだけで特に徴兵はしないんだけど、師団は即戦力になるなら規定を緩くしてでも積極的に雇ってきたみたい」

 元々実力主義が強い師団は常時人を雇っているが審査の基準が厳しい。

 兵士一人一人を消耗品としては考えておらず、雇ったからには厳しく育て上げる。

 ナディアは将来性や実力には自信があるがネックとなるのが年齢だ。

 法術師ならいざ知らず、一般人である彼女は18歳を超えなければ師団の入隊試験すら受けられない。

「まさか、ナディア志願するの!無茶苦茶だよ。私たちまだ13か14歳なのに……」

「入隊が早ければ早いほどわたしの目標に近付けるから、このチャンスを逃がしたくない」

 リミは意志を固めている友人にかける言葉が見つからなくなった。


 リミ自身も異能者だ。

 リミはナディアのような目標もないし、異能者にとって有利な軍や警邏隊、警備官になるつもりもない。

 暴力は苦手だし、仕事にするのも安全な方がいい。

 兵科を希望したのは自分の意思というより消去法だ。

 リミは一般的な家庭で裕福でも貧乏でもない。ただ兄妹は多い。

 異能者は学府に通う場合、中等部以降で兵科を選択すれば授業料や寮費の大部分を国に負担してもらえる。

 「異能封じ」と同様で力のコントロールに必要な経費も国が負担してくれるのだ。

 兵科を選択しても一般教養の授業は受けることが出来るため、リミは卒業するまでこの制度を利用して勉強に励み、一般の仕事に就くつもりだ。

 何も後ろめたいことのない理由であるし、リミのような進路をとる人間は多い。

 しかし目の前の友人を前にするとそれがどうも情けなく感じてしまう。

 ずっと先を見詰め、全力で駆ける背中はあまりにも眩しかった。


「絶対、ナディアの両親は反対すると思うけど……」

「……説得はするわ。出来なくても関係ないけど」

 リミはそっと息を吐き説得の難しさ感じた。

 優しい人間であるし両親を悲しませるようなことは本意ではないだろうが、芯のところは本当に、頑固だ。

 ただ言葉とは裏腹、ナディアは苦しそうな表情をしていた。

「親不孝なのは理解しているわ……」

 言葉尻が徐々に小さくなっていく。

 

「私には分らないところだけどね。ナディアなら他にいろんな道が開けているのに、どうして領域開拓軍を選んじゃうのかなー」

 リミは丁度話に出てきたナディアの両親の写真を眺める。

 ナディアの机の上、木製の写真立ての中で三人の家族が幸せそうに笑っていた。

 背の高いハンサムな男性。

 微笑みを浮かべた童顔の女性。

 明るい笑顔を浮かべた女の子。

 ナディアの容姿は今よりずっと幼い。学府の校門で取られた写真で、確か初等部の入学式に写されたものだと本人は語っていた。

 ナディアもリミにつられその写真を見る。


「…………」


 写真を眺めていたリミにはこの時のナディアの表情は見えていない。

 決意と悔恨と悲しみと、様々な感情をない交ぜにした顔を。


 



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