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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第2章〈シオン〉
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(8)秘め事

 銅の月 2夜


 ユキト、ベンジャミン、キリエ、ディッケンはアンセー家の別館ラウンジにいた。

 ベンジャミンが朝食後に三人に声を掛け、ここに集めたのだ。

 別館は人払いがされており、4人以外に誰もいない。

 ベンジャミンは魔糸を使ってそれを確かめている。それ程気を遣う話題であった。

「三人を呼び出したのは他でもない。あの日、ユキト君が使った法術のことを説明するためだ」

 キリエとディッケンは既にベンジャミンから呼び出された理由を聞いていた。事前に内容を知った上で集まっていた。

 ユキトはただ集まるようにしか聞いていない。ベンジャミンの発言で初めて呼び出された理由を理解した。

「師匠、どうしてキリエさんたちにその話を……」

 ユキトは顔を強張らせ、ベンジャミンに弱々しく視線を向けた。

「ユキト君。君には悪いがボクはこれが必要なことだと思っている。あの時の君の行いは確かに立派だ」

 ベンジャミンはユキトに強い視線を向けながらも、目には揺らぎのようなものを見せていた。感情が波立つかのように。

「君の行いは正しく理解されなくてはいけない。救うためにとった方法を。君の払った代償で救われた人たちに対して」

 ユキトはベンジャミンに言い募ろうとするがそれは叶わなかった。ベンジャミンは既にユキトから視線を外し、キリエたちを見詰めていた。

 ベンジャミンの口元はユキトを拒絶するように固く閉ざされていた。

「ユキトちゃん……何を気にしているのか分からないけど私たちも知りたいの」

「俺も、できれば知っておきたい」

 ディッケンは暗い顔をしたユキトに歯をむき出して笑ってみせた。

「ユキト、あんまり自分ばっかりでしょい込むな」

 ユキトの顔は晴れることはなく、ディッケンの顔を見てまた辛そうに歪んだ。

「……ではボクから説明するよ」

 ベンジャミンはそう言って話し始めた。ベンジャミンの知るあの日の事実を。

 ユキトはその話に口を挟むことなく黙って聞いていた。



 法術師が使う外傷を回復させる法術というのは、生命維持と自己治癒能力の強化の域を出ない。

 それ以上の治療を可能にする術は「物質化」によって擬似的に肉体を補ていさせ、その間に本来の肉体を回復させるというものだ。

 この術を使うには少なくとも並列に術を使い分ける器用さと人体の深い知識が必要になる。

 ユキトは深い人体の知識も法術による治癒の仕組みも知らない。それ以前に法術の術式すら知らない。

 ならばなぜキリエとディッケンを治療させることが出来たのか。

「ユキト君はイデアの法術により君たちを『再生』させたんだ」

 ベンジャミンから語られる内容にキリエとディッケンの理解は追い付かない。

 そもそもイデアについてもベンジャミンの説明で高度な術としか理解していない。

 イデアとは二人にとって法術の延長線上のものとしか捉えられなかった。

「再生とは怪我を直すこととは根本的に違う。ユキト君は怪我した事実をなかったことにしたんだ。君たちが外傷を負わなかった状態、もしくは健康な状態に体を戻したんだよ」


「え、何……言っているんです、先生……」

「冗談きついぜ、そんなの不可能だろ。法術は現象に沿った力しか発現出来ない筈じゃないですか。そんな時計の針を巻き戻すようなこと………」

 ベンジャミンは二人の言葉に首を横に振った。ベンジャミンは真剣であり冗談を言っていない。こんな場でつまらないことを言う人間ではない。それを二人は理解している。理解しているが故に理解できなかった。

「いや、待ってください。本当に可能だというんですか、そんなことが」

 キリエは興奮したように聞き返した。

「マナを概念化することであらゆる事象を起こしえることが出来る。不可能を可能にする、それがイデアの法術だ。ユキト君が狂人を浄化してみせたのもマナの概念化の力によってだよ」

 ベンジャミンはそう言ってユキトを見る。ユキトはそれに頷いたが口を閉ざしたままだった。

「すごい!いえ、すごいなんてものじゃありませんよ。摂理を無視した法術なんて存在しているなんて」

 キリエはそう言いながらユキトの方を見るが、ユキトが俯いたままなのが気にかかった。今の話にユキトが渋る理由が見当たらなかった。

 ならなぜユキトはこれ程気に病んでいるのだろうか。


「なんか都合のいい力だな。俺のイメージだと法術は苦労して苦労してやっとまともに行使できるようなシビアな能力だったと思ってたんだけどよ」

 ディッケンはそうキリエに問いかけた。

 キリエははたと止まりベンジャミンに向き直った。

「そういえば術式はどうやって……それが広まれば沢山の人が助かりますよね!」

 キリエの言葉にベンジャミンは答えない。答えられない。

 そこでようやく思い至った。なぜユキトがそんな術式を知っているのか。

 一流の法術師でもオリジナルの術を創り上げるまでに相当な年月が掛かるというのに。


「イデアの法術に術式はない。術者のイメージした概念そのものを変換しているからね。しいていうなら思いそのものが術式と言えるね」

 キリエは首を傾げる。

「おかしくないですか?術式があるからマナに変化を与えられるのに、そのプロセスがないなんて……」

 ベンジャミンは少し黙ってから口を開いた。

「イデアは法術ではあるけど、それが正しい認識なのかボクには分からない。ユキト君、君の知る範囲のことでいいから聞かせてくれないか」

 ベンジャミンはユキトに話すように促す。ここからはユキト自身に語らせるつもりなのだろう。

 ユキトはそう促されたが黙ったままであり言葉を紡ぐことはなかった。顔は青ざめ、罪悪感を抱えているように見える。

 何も答えることが出来ないユキトに代わり、ベンジャミンは言葉を選びながら話を行った。

「……君が言えないというならボクから言うよ。いいね……」

 ユキトはベンジャミンを縋るように見詰めたがベンジャミンは首を振るだけだった。

「師匠こんなこと何の意味があるんですか……」

「意味はある。少なくともこの二人は正しく君の力を認識していなくてはならない。君のこれからに関わってくる」

 ベンジャミンはキリエとディッケンに伝えておかねばならない。事件の真実など大した理由ではない。本当に大切なことは別にある。


「イデアの法術には代償がある。マナを概念化する際に生命力、つまり命を消耗するんだ。霊体や源素、魄と呼ばれる人の生命の根幹を。正確な原因は分かっていない。推論だけなら多くあるがその話はしないよ。私見では君たちを混乱させるだけだろうから」

 キリエは目を見開き、動きを止めた。

 キリエの思考だけは目まぐるしく回っていた。

 ベンジャミンは今何と言った?命を代償にする法術?

「ユキトちゃんが私たちに使った法術は……」

 ディッケンのキリエに僅かに遅れて疑問に当たる。

「まさか、俺たちは………」


「言わずとも分かっていると思うけど、ちゃんと言葉にして伝えておこう。君たちはユキト君に生かされた。彼の命を削る代償の上で」

 キリエは声を出そうとしたが上手く出ない。ディッケンは椅子から立ち上がり、身を乗り出す。

「先生!命ってなんだよ、ユキトは……ユキトはどうなるんだ!いったい……」

「ボクがユキト君の体を調べた限りでは彼の生命力は安定している。ボクもユキト君以外でイデアの使い手を多く知っているわけじゃない。すまないが大丈夫だとは断言できない」

 ディッケンは立ち上がったままやり場のない思いを出しようもなく、音を立てて椅子に座り直した。

「イデアの法術で使用された命は回復することはない。どんなに時間が経とうとね。これからユキト君がマナの概念化を行使し続ければ、それだけ彼は死に近づく」

 部屋の中はベンジャミンの言葉を最後に深い沈黙が下りた。

 ベンジャミンやディッケン、キリエの表情には暗く後悔が浮かんでいる。

 「もしも」という言葉が頭を何度も通り過ぎながら、現実を理解するためにその思考を追い払い続けている。

 等しくユキトに対して悲観的な未来を描いていた。

「ユキト君がイデアの使い手だと知っているのはボクとカノンと君たちだけだ。教会の人間は知らない」

 ベンジャミンが言いたかったことはキリエとディッケンに言葉にせずとも伝わっていた。

 もし秘密が明かされたならユキトは利用されるだろう。

 秘密を守っていたとしてもユキトが力を使わなくてはいけない状況に陥らせてもいけない。


 

 それからしばらくしてベンジャミンがゆっくりと立ち上がり解散を告げた。

 今はお互い考えを整理する時間が必要だろうと。

 ベンジャミンはアンセー家の屋敷から出て行った。

 ユキトもベンジャミンに合わせてラウンジを出る。顔を伏せ、キリエたちの方を見ることはなかった。

 部屋にはキリエとディッケンだけが残された。



 キリエは二人が出ていった後、椅子に深く腰掛け、顔を天井に向け両手でその顔を覆った。

 ディッケンは眉をしかめて腕を組み、目を瞑ったまま微動だにしない。

 いつまでそうしていただろうか、唐突にキリエが立ち上がり部屋を出た。

 ディッケンは仕方なさそうに後を追う。

 

 ディッケンが庭園でキリエに追いついたときには彼女はずぶ濡れになっていた。

 キリエの膝までしかない底の浅い池の中に佇んでいた。

 まさか自分から飛び込んだわけではないだろう。取り乱して池に気付かなかったのだろうか。

 髪から水を滴らせ、服は濡れ、体に張り付いてしまっていた。

 キリエは気温が高いためクリーム色の薄い生地の服を着ていた。濡れた服から少女の白い肌が透けて見える。

「何やってんだよ……」

 ディッケンはそう言いながら池の縁まで来てキリエに手を差し出すが、キリエはその手を取らずに俯いたままだった。

 ディッケンは訝しく思うがあることに気付き手を引っ込めた。

 手持無沙汰になり、キリエの方を見るわけにも行かず、視線を逸らして遠くの空を見上げた。

 ディッケンの耳にはただ水滴がぽたぽたとこぼれる音だけが聞こえていた。



「俺の独り言だから返事はするなよ」

 ディッケンはしばらく沈黙してから唐突に口を開いた。

「先生の話は難しいからちゃんとは理解できたわけじゃないけどよ。ユキトと知り合ってから一個だけ俺の中で決めてることがあるんだ。先生からさっきの話を聞く前からだ」

「…………」

 ディッケンはキリエに目を向けることなく続きを話す。キリエも聞いているのかいないのか何も言葉を返さない。

「俺はユキトが何者だろうと、どんな選択をしようと、一番いい顔できる場所にいさせてやりたいんだ。俺には腕っぷしくらいしか取り柄はねえけど」

 ディッケンは拳を突き出しながら声を張った。

 気持ちいのいいほど気迫に満ちた声がキリエの耳を打った。


「降りかかる火の粉は片っ端から払う。あいつを苦しめる奴は叩きのめす」

 ディッケンはそう言った後、握り込んだ拳を解きガリガリと頭を掻きながら唸った。

 言葉を探すように宙に視線を彷徨わせるが、諦めたようにため息を吐く。

「あとは知らねえ。俺はそのくらいの理由がありゃいいからよ」

 ディッケンはそう呟き、来た道を帰って行った。



 残されたキリエは水滴の滴る顔を上げた。彼女の表情は晴れやかではないが、瞳には確かな決意の色が見える。

 たまに羨ましく思う。自分のように考えて答えを出すのではなく、感じるままに選択を行える彼のことが。

「私は………」

 キリエは口元で形ばかりの言葉を紡ぐ。

 音にならないそれはキリエの本音であり、自分の中で深くしまい込まれていた言葉。

 今後何があろうと彼女は他人にこの思いを伝えることはないだろう。

 唇に指をあて、熱い吐息と共に空気を震わせる。

「これだけ……私はこの気持ちだけいいわ……」

キリエは顔に滴る水滴を振り払い天を仰ぐ。

 青天を見上げ、拳を強く握りしめながら。

 




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