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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第2章〈シオン〉
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(7.1)幕間.ユキト争奪戦 服飾の章3

 投票はつつがなく行われた。

 総投票数146名。

 結果発表は口頭だけでなく、ユキト自身が投票第1位の服を着て現れるというもの。

 一階フロアには簡易ステージが設置され、人に溢れていた。

 どうやら投票時より更に人が増えているようだ。

 キリエは護衛の警備官たちに依頼し警護の手伝いをさせた。彼らもまさかこんな事態になるとは想定外だっただろう。

 ステージの壇上には支配人自らがステージに上がり、司会を務める。

「皆様、長らくお待たせしました。それでは投票結果を発表したいと思います」

 フロアの照明が落とされ、辺りを静寂がつつむ。

 観客たちが固唾をのんでいる音さえ聞こえてくる。

「僅差ではありましたが栄えある投票第1位となったのは……」

 支配人の声以外は聞こえない。暗闇の中で音か消える。


「ナンシー・レナシック作、プリマリエです!」

 支配人の合図とともに照明がステージを照らす。


 現れたのは天使だった。

 

 白い布に包まれてもなお白く、朱の差した肌。

 フリルとリボンをふんだんに使った衣装はわずかな身じろぎにさえ敏感に反応し跳ねる。

 白いミューズでステージを歩く少女(?)の快活さを強調しながら、恥じらいによって凄まじいギャップを演出していた。

 本来持っていた黒髪ではではなく、今回は長い金髪のウイッグを着用している。

 それが照明の光を照り返し、光輪を描いていた。

 深みのある琥珀の瞳は潤み、蜂蜜のように甘い色をしている。

 人間離れした優れた容姿を持つ少女(?)はまさに天使であり、観客は現実を忘れて見入った。

 支配人でさえ進行のことが頭からすっぽりと抜けてしまった。

 会場の全員が感嘆の声を漏らし、その姿を目に焼き付けることしか出来なかった。


「も、もういいですか?……誰か助けて……」

 壇上の少女(?)は静まり返った会場で一人、泣きそうになっていた。

 可憐、清楚、無垢。

 嫉妬さえ、羨望さえ起らない人を外れた幼き美貌。

 徐々に騒めきと歓声が起こり出し、最後には絶叫に包まれていった。



 興奮のあまり失神するものが多数出たがイベントは大盛況で終わりを迎えた。

 後日からこのブランド店は盛況となり、前年比を大きく超える記録的な売り上げをたたき出す。

 その年に次々と賞を総なめにし、多くの大口の仕事が舞い込んできた。

 職人たちはうれしい悲鳴を上げた。

 まさに天使の祝福と言えるだろう。


 天使のように可憐な「少女」ついて、多くの問い合わせがなされたが店員たちは固く口を閉ざし続けた。

 このブランド店に天使はそれ以降姿を現すことがなかったが、その後独立したナンシー・レナシックの店舗には天使の肖像画が飾られていた。

 映像の撮影が禁止されていたので、人々の記憶以外で残っている天使の面影はこの肖像画だけだろう。


 彼女は幻のように人々の前に現れ、幻のようにその姿を消した。





「消えたい、この世から……」

 天使と称された少女、ではなく少年は本当に姿を消してしまいたいと思っていた。

 

 陰鬱な気配を放つユキトとは裏腹に女性陣は満足気だった。ナディアでさえユキトのファッションショーを楽しんでいた。

 ユキトの母はその自慢の喉で一番大きな歓声を上げていた。

 母の周囲にいた女性数名はその声量に耐え切れずに失神してしまったほどだ。



 ユキトたちはあの後早々に店を出て軽食をとれる飲食店に来ていた。

 落ち着いた雰囲気のお店で客は少ないが、出される料理はどれもおいしかった。

 ユキトはシャキシャキのレタスと香りの強い香草に包まれたベーコンサンドを小さくかじりながら陰鬱な呟きを漏らしていた。

 ナディアとユキトの父はこの店特製の巨大肉盛りバーガーを仲良く頬張っている。

 ユキトの母は色々胸いっぱいであるため飲み物だけを注文していた。

「ユキト、ごめんなさい……こんな機会もうないと思ったらつい熱くなっちゃって……」

 ユキトの母は反省しながらも顔はまだ興奮から冷めないのか紅潮したままだ。

「………その言い方はずるいよ」

 ユキトはぼそぼそと呟きながらサンドイッチを食べ進める。

「すまんな、ユキト。助けられなくて……まあこんなこともあるさ」

「………今度はお父さまの番だから……」

 地の底から響くような恨みがましい息子の声に、父は冷汗を浮かべる。

「え、ユキト?お父様は何もしなかったよな?ちょっと返事してくれよ、無視されると怖いんだけど!」

 時には何もしないことが何かをするより人を傷つけることもある。

 今回ユキトの負の感情は、加害者である母には向けられず傍観者の父へ向けられたようだ。



 食事の席で言いたいことを言い合うユキトたちは、他人から見れば仲のいい家族に映る。

 離れて腰かけるキリエにとってもそれは同じことだった。

「あんまり考え過ぎもよくないと思うよ。ユキト君は気にして………ないとは言えないけど、印象深い思い出にはなったと思うし」

 ベンジャミンは卵サンドを食べながら目の前で消沈している生徒を慰めていた。

 キリエは終始興奮してユキトのステージを見ていたが、そのあとフラフラと気落ちしながら出てきた彼を見て自分のしてしまったことへの後悔を覚えていた。

 そのため今もユキトに声を掛けることが出来ずにいた。

 キリエはある種の繊細さを持っている。

 ユキトが男であったこともはかなりの衝撃があったはずだった。本人が必死に意識しないようにしていただけであの店にいる間ずっと混乱したままだったのだ。

 キリエはユキトと関わることで変化した心に未だ気付けていない。その感情の名前に。


 ユキトの母はキリエとはある意味では対照的かもしれない。

 加害者であるにもかかわらず実に堂々としたものだ。まったく悪びれた感じがしない。開き直ってしまっている。

 今もユキトに夢見がちな視線を送り明らかに妄想に耽っていた。次の洋服を着せる構想でも練っていそうだ。

 ユキトはそんな母にゲンナリしながらも適当に相手をしている。

 父に対しては蔑みの視線を送りながらも本当に険悪な雰囲気は作っていない。



 キリエは彼らの様子を眺めながらポツリと「あれが理想の家族のかたち、何ですかね……」と寂しそうに呟いた。

 あの中には自分の入る余地などないのだろうと言っているかのように。


 ベンジャミンはキリエの呟きを聞き、改めてユキトたちに視線を向けた。

 暗い顔でサンドイッチを機械的に口に運ぶユキト。

 顎が外れそうなほどの大口を開けてハンバーガーを次々と完食していくナディア。

「次は俺なのか……。嫌だ、嫌だ、女装は絶対に嫌だーー」と何かにおびえる父親。

「うふふふふ。白いドレス以外の2着もプレゼントされたから、絶対にコバルティアにいる間にユキトに着せないと。うふふふふ」と恍惚の笑みを浮かべながら暗い顔のユキトを見詰める母親。


「………いや、キリエ君。君は眼の病院に行った方がいいよ」


 こうしてユキトたちの買い物はつつがなく終了した。


 




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