(7.1)幕間.ユキト争奪戦 服飾の章2
「………な、なんですか……これ…」
ユキトは困惑の極みにいた。
キリエが持ってきたのは三種の洋服セット。すでにコーディネートされており、あとは試着すればいいだけだ。
どの服を着てもきっと似合うだろうとキリエは服を見た瞬間から確信し、自信満々でユキトに勧めた。
しかし当人のユキトばかりかこの場にいる家族やベンジャミンは目を丸くしていた。
「驚いた?可愛いでしょう〜。ユキトちゃんが気に入ると思って」
確かにユキトに似合うだろう。しかし気に入るということは絶対にない。
「気に入るもなにも、僕は女の子の服は着ませんけど……」
キリエが持ってきた服に男物など一つもなかった。
全て女の子の服だ。
青みのある白いフリルのついたドレス。
黒いスカート部分の短いワンピース。
ボーイッシュな半袖半ズボンの洋服セット。これでも男の子がまず選ばないほど細部に可愛らしさを強調したデザインが光っている。
100歩譲ってもユキトは着ないだろう。
「そういえば今着ている服も男の子が着るようなものだし……もしかしてこういう服が苦手だった?」
キリエが不安そうに聞いてくるが問題はそんな曖昧な点ではない。
「いえ、男の僕がどうして女の子の服を着るんですか?」
ユキトは当たり前すぎる疑問をキリエにぶつけた。
この世界にも女装趣味の人がいるのかもしれないが、ユキトにそんな趣味はない。
過去ユキトの母がユキトに、ナディアのお下がりを勧めてきたときは断固拒否して1月以上口を聞かなかった。
ユキトが酷いわけではなく、初めはちゃんと断りの返事をしていた。
しかしお風呂上がりの着替えをすり替えられたり、自分の持っている全ての服をワザと洗濯したりとやり方が露骨になってきたのでユキトも母を無視するようになった。
母は最終的に本数冊分の反省文をしたため、ユキトに提出することで許しを得た。
ユキトは字が読めないので反省文を未だ読んでいないが。
「………え、ユキトちゃんは女の子、でしょう?……」
「男です」
「お母様、お父様。ユキトちゃんは冗談を言っているんですよね?」
キリエはユキトをまじまじと見つめたままユキトの両親に問いを投げた。
「いいえ、ユキトは立派な男の子です」
母はかつて女装を勧めた人間とは思えないほど堂々言い切った。
「まあ、他人からしたらそう見えても仕方なくはあるな」
父はキリエの言に納得できる面があったためそう口に出したが、ユキトがジトッとした目を向けてきたため「ま、まあすぐに内面の男気に気付かされるが」と慌てて付け加えた。
「男にしか見えないよね」
ナディアは不思議そうにキリエのことを見た。
キリエは未だユキトから視線を外さない。ユキトもいい加減恥ずかしく顔が赤くなってモジモジしている。それが可愛らしく見えていしまい、キリエの混乱に拍車をかけた。
「先生は……どう思います…」
ベンジャミンはようやくキリエのおかしな点を理解できた。
キリエは大の男嫌いだ。そして大の女の子好きだ。
もしキリエが世話を焼きたがるとしたらナディアに対してだろう。
しかし、キリエはここに来てもユキトを優先させていた。
勿論二人の間のわだかまりがあるだろうが、本来の彼女なら男の子であるユキトの服に関心を示さない。
確かにこうして思い返してみれば、恩人としての対応とは別に可愛い女の子に対する行動があったと思える。
「うん。間違いなく男の子だよ。僕の髪の毛にだって誓えるよ」
この瞬間、キリエはユキトが女の子でないと理解した。
あの先生が髪(命)に誓ったのだ。間違いなく真実ということだろう。
間違っていたのは自分だった。
ショックのあまり目の前が暗くなる。
キリエは人を見る目には自信があった。どんなに偽装しようと性別などまず間違えない。
それは思い違いだった。
現にユキトの性別を勘違いしていた。おそらく従者であるディッケンはユキトを男の子と見抜いていただろう。
キリエは目の前のユキトをもう一度見つめた。
こうして全てを知った上で対面していてもやはり男の子とは思えない。
「……こんな……ちがってる………」
キリエはぼそりと呟いた。
ユキトは首を傾げる。
「こんなに美人なのに男の子なんて間違ってる!」
決して大きな声ではなかったが、力強い声だった。この場にいる人間全員を硬直させるには十分な力を持っていた。
「ユキトちゃん。あなたはそのままではいけない。そのうち背が高くなって、ごつごつしてきて、いろんなところがゴワゴワしてきて、変な生き物になるのよ!」
キリエはユキトに捲し立てる。ユキトはあまりの剣幕に震えてその場から動けない。
持っていた洋服をキリエはユキトに見せつけた。
「だからお願い。あなたが男の子でもいいから、せめて綺麗なうちに着飾った姿を見せて!」
錯乱しているように見えるかもしれないが、実はキリエは冷静さを取り戻していた。
確かにユキトが男の子ということに強烈なショックを受けた。
しかし受け入れてしまえば意外なほど自分でも動揺は少なかった。
今のキリエは深く考えなかったためそれがなぜなのか気付くことはない。
思考は別のことにフル回転させていた。
恐らくだがユキトは女の子の服を着ることにかなり抵抗を持っている。
あくまでキリエの見立てだが間違いはないだろう。
キリエが用意した服はどれもユキトが着れば間違いなく似合うだろう。
だがユキトは着ない。このままの話の流れではそれはあり得ない。この流れでは試着さえせずに店を出ることになる。
キリエにそんな勿体ないことは出来なかった。
どんな非道な人間と罵られようと、可愛い子に、可愛い恰好をさせられる最大の機会を逃すことなどできようはずがない。
幸い味方もいる。
キリエはチラリと視線をユキトからずらし、その人物を見る。
ユキトの母である。
ユキトの母はキリエの視線が自分に向いたことに目を見開くが、そのアイコンタクトを正確に読み取った。
キリエが冷静であり、自分と志を共にするものだとユキトの母は感じ取った。
恐らくユキトに着せるための服を持ってきたときに気付かれたのだろう。
あの服をユキトが着たらどんなに可愛いだろうと桃色の妄想に耽ったことを。
二人は瞬時に同盟を成立させた。
「キリエさんには申し訳ないですが、ユキトも男の子。あまりそういう服は」
ユキトの母は強かにもユキトの味方を装いながら話を切り出した。
ユキトは救いの主でもあらわれたかのように母を上目遣いで見つめる。
今までこんなに縋るように見詰められたことがあっただろうか、いやない。
母は服なんてどうでもいいような気持ちになりかけるが、心を鋼のように強く持ち、耐えた。
「そうですね……ユキトちゃんは男の子ですもの。私が先走ってしまって……」
キリエは悲しそうな顔をしてユキトから一歩離れる。
ユキトもキリエから素早く離れるが、その顔からは少し罪悪感が覗いていた。
キリエはそれを見逃さない。
「店員さん、ごめんなさい。折角用意していただいたけど、私が確認不足だったみたい」
キリエはそう言って店員に服を返す。
店員はその言葉に頷いた。
「気にしないでください。職人たちが七日七晩ろくな睡眠も取らずに仕上げた傑作ですが、着る人がいなければただの布きれでしかありませんから」
気にするなと言いながらすごく気になる発言をする店員。
この店の店員はお客様の要望を察し、自ら泥を被ったのだ。
本来ならあまりに失礼な態度だが、キリエはその店員に感動さえ覚え、内心喝采した。
「職人も久しぶりのキリエ様の依頼に、他の依頼をキャンセルしていましたし、どんなに嘆くことでしょう」
店員の話を聞き、ユキトは申し訳なさでそうに顔を伏せて気落ちしていた。
ユキトは何も悪くはない。悪いのは大人たちなのだ。
「せめて試着だけでもしてくれれば職人も報われるのでしょうけど」
店員は止めとばかりに譲歩案を提案した。
ユキトは絶対に女装はしたくない。本当に嫌だった。
「ユキト」
俯いたユキトにナディアが話しかける。
「あれならどう?ちょっと可愛らしいけど、ユキトくらいの年でああいう服を着た男の子を街で見たことあるわ」
ナディアが指さしているのはボーイッシュな洋服だ。
ユキトはナディアの顔を見て「そうなの?」と尋ねる。
ナディアはそれに「うん」と答えた。
恐らくこのまま試着もせずに店を出ればユキトは罪悪感を抱えてしまうだろう。
ナディアはいくらボーイッシュでも、あんな一点物の可愛いデザインの服を着た男の子は街中で見たことはない。ユキトの傷を浅くするために優しい嘘をついだのだ。
「あれくらいなら………」
ユキトは僅かに試着への妥協点を見出そうとしていた。
「え、ユキトちゃん、着る気になってくれたの!」
キリエは店員から黒いワンピースを受け取るとユキトに勧めえた。
「どうぞユキトちゃん!試着室まで案内するわ」
ユキトはヒッと悲鳴を小さく上げて後退した。背中に何かがあたりそれ以上下がれなかった。
後ろを振り返ると白いドレスを手にした母親が笑顔を浮かべて立っていた。
「こういう服は着方が難しいから私が手伝ってあげるわ」
ユキトは逃げ場を完全に塞がれていた。
「お、お父さま助けて!」
ユキトは咄嗟に父へ助けを求めた。
父はこの店に来てから居心地悪そうにしていた。自分の気持ちを分かってくれる男性だろう。
「済まない、ユキト。俺には……」
ユキトは父の姿を見て絶望した。
あの父が、息子の縋るような視線から目を逸らしていた。
言えない。
「ユキトの味方をすればあなたが代わりに女装よ」と妻からアイコンタクトで脅されたなど言えるはずがない。
父は我が身可愛さで息子を売ったのだ。
「師匠!」
ユキトは師匠に助けを求めた。
いつだって彼はユキトの味方であり、理解者だった。
師匠ならこの場を何とかしてくれる。
ベンジャミンは何処にもいなかった。
さきほど別の店員から呼び出しがあったため席を外していたのだ。
偶然?
否、キリエの計略だ。
ユキトの味方であり、最も影響力を行使しうる存在をキリエが野放しにするはずがない。
店員と協力し、ユキトから引き離したのだ。
キリエは「自嘲」という言葉をユキトの男の子であったショックで忘れてしまっていた。
頭が回転しているだけで冷静とは程遠いい状態なのだ。
「もう、逃げられない」
ユキトは悟った。
もう流れを変えることは叶わない。
どんなに話を逸らそうと、拒否をしようとこの二人は全力で服を着せようとするだろう。
目が違うのだ。二人の目は普段とは比べ物にならないほど、恐ろしい光を宿しているようにユキトは感じていた。先入観は大いにあるが。
ユキトは打ちひしがれながら、投げやりになってポツリと漏らした。
「分かりました。着ますから、着ればいいんでしょ。でもせめて一つだけにしてください。あとはもうどうでもいいです」
ユキトはもう考えることを諦め、言葉を漏らしただけだった。
これが周囲に波紋を呼ぶことになる。
「なら白いドレスで決まりね!」
「じゃあ黒いワンピースにしましょう!」
「………………」
「………………」
ユキトの母とキリエはキョトンとお互いを見た。二人が持っている服は違う。
ユキトはどちらか一つしかユキトは着ないと言った以上、そこを妥協させるのは骨が折れるし、やり過ぎてユキトに嫌われれば元も子もない。
二人は同時に理解した。
昨日の味方が今日の敵になったのだと。
そして物語は冒頭に戻る。
始めはナディアも参戦しており、二人の間に入ってボーイッシュな服を勧めたが、二人の容赦ない舌戦に叩きのめされユキトに慰められていた。
ユキトは姉のやさしさに感謝した。
息子を売った父親には白い目を送っていた。
戻ってきて事態を察したベンジャミンも参戦した。
二人の剣幕に肝をつぶしながらも果敢に割って入ったのは、制作時間の掛かる着物でこの場のお茶を濁してしまい、後日男物の着物を届けてしまえばいいと考えていたからだ。
ものの見事に惨敗してしまったが、ユキトは師匠の勇敢な行いに感謝した。
息子を売った父親には視線さえ向けなくなった。
お互い引くことはなく、言いたいことは殆ど言い果たしてしまった。
ユキトの母とキリエは息を整えながら睨み合う。
ギャラリーは増えに増え、このブランド店の客と店員、全員がこの場にいるのではないだろうか。
ユキトはこんな大事になるならすぐに着ると言っておけばよかったと後悔した。
今更かもしれないがどうしてキリエとユキトの母が着る服を決めているのだろう。本来ならユキトが選ぶものではないだろうか。
未だに誰もその考えに至っていなかった。
「……キリエさん、あなた中々やりますね。ユキトとそう顔を合わせていない筈なのに、ここまで的確に魅力を理解しているなんて……」
空調の効いた店内で僅かに汗を流しながら、敵であるキリエを称えたユキトの母。
「いえ、お母様こそ。私は初めから女の子として見てきたので、色々と思える点があったというだけです。男の子として見てきたお母様が、どうしてそこまで女の子としての魅力を伝えられるのか不思議でなりません……」
キリエは手で乱暴に汗を拭い、戦意を衰えさせない瞳でユキトの母を見据える。
ユキトの母は顔に憂いを浮かべ答えた。
「あなたにはまだ分からないでしょ。どんなに願おうと報われない思いがあることを……。終わりの見えない嘆きを……」
ユキトはそれを聞きながら、あの女装を強要した日々と無視していたことを言っているのだと直感した。
それは分からないし、分かりたくないだろう。
「え、服の話ですよね?よく分からないですけど並々ならない決意なのは伝わってきました」
熱くなっていたキリエも少し冷静になるほど母の言葉は意味が分からなかった。
「要するに私は絶対に引かないということよ」
「私も引きませんけど………このままじゃ埒があきませんね…」
ユキトはもうどうでも良さそうに欠伸をして事態を見守っていた。
戦いの止まった戦場に一人の女性が歩み寄った。
キリエはその顔に身に覚えがあった。
「キリエ様。僭越ながら私にご提案が……」
「支配人……」
目の前の女性はこの店舗を取り仕切る支配人だった。
支配人はキリエとユキトの母の舌戦を面白いイベントとなっていたため便乗しており観客を呼び寄せていた。お得意様であるキリエという人物がその中心となっていたためでもある。
さらに言えばキリエと見事な戦いを演じた女性にも見覚えがあった。
「これだけお客様がいらっしゃるのです。彼女たちにも参加していただいてはいかがでしょう」
キリエは周囲を見渡す。ざっと見ても100人はいるだろうか。
この店のフロアにこれだけの人間がいることはまずあり得ない。
「もしかして、投票?」
キリエは支配人の言わんとすることを察した。
支配人は頷く。
「皆様は二人の舌戦に耳を傾けていました。第三者として十分に評価を下せるものかと」
キリエは思案し、ユキトの母を見る。
ユキトの母も了承の意を示し、頷いた。
「お願いできるかしら」
キリエは支配人に振り返る。支配人は笑顔を浮かべ「承りました」と短く答えてから店員を集めて準備を始めた。
「姉さま……」
「なに、ユキト……」
「僕の話なのにどんどん勝手に話が進んでいくね……」
「そうね……」
当事者なのに蚊帳の外に置かれるユキト。
そしてもっとも恥ずかしい思いをこれからしないといけないのは彼だった。




