(7.1)幕間.ユキト争奪戦 服飾の章
ユキト・ホーエイ・ジルグランツ、5歳。
彼は熾烈な戦いにその身を置いていた。
「フリルです!そしてこのリボン!可愛いこそ正義!可愛いことこそ王道です!!」
声高に宣言しているのはユキトの母だ。
その手には女の子が着るようなフリフリの青みのある白いドレスが握られている。
たっぷりのリボンとフリルがあしらってあるにもかかわらず、下品さはなく、可愛さの中に見える上品さがうかがえる愛らしい衣装だ。
作り手の確かなこだわりとデザイン性が伺える。
「これを着ている姿を想像してみてください。天使です!絶対、天使が舞い降ります!」
ユキトの母の頬は紅潮していて目には迫力ある光が宿っていた。
一気に捲し立てているためか息が荒く、おかしな色気を振りまいている。
言っていることは良く分からないが。
「確かにお母様の言うことも分かります。ですが!」
ユキトの母と対峙するように立つ少女、キリエ。
彼女の手にも女の子の服が握られていた。
「絶対、きれい系小悪魔が似合うと思います!細かな刺繍とレースをあしらったこの服が一番いいんです!私はきれい系に着飾った姿を拝むまでは絶対に引きません!!」
キリエの手には真黒なワンピースが握られていた。こちらも女の子が着る服だ。
一見ただの黒いワンピースだが、それを構成する布地は幾重にも編み込まれたレースによって構成されている。レースによって透けている箇所からは細かな刺繍をあしらった裏地が覗く。
二つの絵柄が重なることで、蝶の文様が現れるように計算されていた。
作り手のただの服では終わらせないという、飽くなき美への探求心が伺える。
キリエの目は雄弁に語っていた。
ここで引けば後悔する。
自分自身の価値観を貫き通さねばならないと。
それが今の彼女の本音であり、本能だった。
考えていることの意味までは分からないが。
「ふむ。君たちはそれで満足なのかな?」
紫電が走るほど睨み合う女性の間に、勇気ある生物が割って入った。
男であれば勇者だが不思議生物であるため勇者(!)といったところだろうか。
不思議生物ことベンジャミンの手には美しく赤で染められた布地が握られていた。
「大陸の南の海を挟んだ列島には、個性的な民族衣装があるのだよ。彼らは独自の織物を織り、染色技術に優れている。市場ではその布地は滅多に出回らない」
ベンジャミンは語る。まるで自分の持つ布地がそれであるかのように。
「ボクはこの布でキモノを作ることを提案するよ。最高の職人を選びぬいてね!」
ベンジャミンは敢えて素材で勝負した。
完成品はないがこれから最高の材料と人材でオーダーメイドの服を制作しようというのだ。
無限の可能性を想像させながら、きちんとキモノというベクトルを示している。
ベンジャミンは内心勝ちを確信していた。
「確かに魅力的ですけどオーダーメイドは制作に時間が掛かりますよね」
ユキトの母がベンジャミンを気の毒そうに見る。
「はい。とてもじゃないけど待てませんね」
キリエは半眼でベンジャミンに呆れた視線を向けながら答える。
ベンジャミンはしょんぼりとしてしまった。可愛くはない。
その場にいたユキトの父はベンジャミンの肩をポンと優しくたたき、背中を押しながら観戦席と化した店内の椅子に案内した。
ユキトたちがいるのは首都の有名ブランド服飾店だ。キリエの御用達のお店でもある。
ユキトはナディアと並んで椅子に腰かけながら、自分の母とキリエの戦いを感情の籠らない瞳で見つめていた。
店の中には多くの女性客とナディアやキリエのような年頃の少女に溢れていた。
好奇な視線も多く、ユキトは逃げ出したくて堪らなかった。
「どうしてこんなことに……」
ユキトの言葉には望みを絶たれた少年の悲壮さがこもっていた。
「誰かが悪いわけじゃないと思う。ただ運が悪かったと思うしかないわ」
ユキトの姉であるナディアの目にも疲労と諦めの色が濃い。
その背中は戦いに敗れたものが持つ独特の哀愁が漂っていた。
事の始まりは、辿ればユキトが初めて州都バルバセクに訪れたところまで遡る。
ある少女の勘違いがすべての原因だった。
アンセー家の屋敷に一泊した次の日、ユキトとの時間を惜しむように早朝から家族で街に繰り出した。
キリエはそんな家族のために街の案内役を買って出た。
家族水入らずの邪魔はしたくなかったが、キリエは街にも詳しいし護衛の人間をうまくコントロールする自信もあった。
職務熱心なのはいいことだがアンセー家の警備官は融通が利きにくい。身内ならまだ加減できるが初めての護衛対象であるなら様子見でガチガチに警備を固めてしまうだろう。
それによって不自由を覚えてしまえば本末転倒だ。
キリエの表向きの理由はこんなところだ。
実際はユキトが服を買いに行くと聞いてついていきたくて仕方なかった。
キリエはナディアのことも可愛いと思っているが、何だか自分に対して壁を作っているようで上手く話が出来ていない。
ナディアとユキトの様子を見る限り仲が良さそうに見える。
特にナディアは普段から積極的にユキトの世話を焼いているようだった。
アンセー家への養子の件も、事情を理解していても納得は出来ないのだろう。
どんな事情があってもナディアにとってアンセー家の人たちに対して素直になることは難しかった。
キリエ自身それを感じ取り、積極的には関わろうと出来なかった。ユキトと家族になることに対して引け目を感じていた。
キリエはユキトの服選びに興じることと、家族の団欒を警備官に邪魔させないとういう二つの理由によって買い物に付き添うことを決めたのだ。
両親は快く了解してくれたが、ナディアの顔が少し嫌そうにしていたのをキリエは気付いてしまい、少し落ち込んだ。
本来ならディッケンも従者として付き合うはずだがここにはいない。
正確に言えばコバルティアに帰って来てから彼は休暇をとっていた。
ストレスの解消相手、もとい気心知れた相手がいないためキリエは愚痴を言うことも出来ず、胸に感じるモヤモヤをのみ込みこんだ。
ユキトとナディア、両親とキリエで街を回っている。
護衛たちも近くに数人張り付いているが節度があり、うるさく口出しはしてこない。
殆どの護衛たちは離れたところにいる。
彼らがキリエに対して従順なのは彼女の能力によるところが大きい。
ここにいる護衛たちは少なくとも模擬戦で一度以上はキリエに叩きのめされている。
彼らが弱いわけではなく、キリエが強すぎるのだ。
身体能力は高くないが技術だけは恐ろしく高い。ただの人間で彼女を相手取れるものはそう多くないだろう。
しかし護衛たちがキリエの命令に素直なのは武力に優れているからではない。
彼女の危険を察知する能力の高さを信用しているためだった。
可視、不可視を問わず僅かな気配さえ見逃さない。警護対象であるはずの彼女の方がずっと索敵に優れているため、警備官たちも立つ瀬がなかった。
「ふー、少し疲れてきたよ……」
ユキトは朝から色々なお店を回ったことで大分消耗していた。
時間はお昼に差し掛かろうとしているがまだ昼食には早い時間帯だ。
必要なものを揃えるために商業地区で買い物をしていたが、アンセー家にないものはあまりなく実際は色々お店を回って買い物を楽しんだり、街の中を見て回っていただけだ。
キリエも気をきかせて子供が楽しめそうなところを中心に回った。
ユキトは途中で見つけた飴細工の出店を気に入り、店主の好意で飴細工の体験までさせてもらった。
ユキトが店に立つと飴が飛ぶように売れた。
お礼に瓶に入った色とりどりの飴玉を貰い、ユキトはご満悦だった。
店主も記録的な売り上げに同じくご満悦だった。
家族でバルバセクの観光は出来なかったが、この街で一緒に色々な場所に行けたことはユキトにとって楽しい思い出となった。
「そうね、久しぶりにこんなに歩き回ったものね」
ユキトの母はニコニコとしながらユキトと手を繋いで歩いていた。
彼女は健脚のようで1日中でも歩きたいくらいの元気が見えていた。
ユキトの母は楽しんではいるようだが少し心配そうにユキトを覗き込む。
倒れた昨日の今日で観光しているのだ、本当なら十分に休養をとってほしいと考えていた。
今こうして街で買い物をしているのはユキトたってのお願いだった。
両親は予定していた買い物を中止しようと考えていたが、ユキトはそれに強く反対した。
本当に我が儘など言わないユキトが初めて言った我が儘だった。
家族として最初で最後の我が儘を両親は聞き届けないわけにもいかなかった。
両親たちもまた、ユキト以上にこの時間を望んでいたのだから。
「どうする?まだ服を見てないが……先にお昼にするか?」
ナディアは父と手を繋いで歩いている。父の手はナディアの手を包み込むように握っていた。
身なりに気を遣う人間の多い首都の中にあってもユキトたち一行は目立っていた。
ただし陰ながら護衛たちがにらみを利かせているため無遠慮な視線は少なく、ユキトたちも観光を楽しめた。
「まだ大丈夫だよ。先に買い物を終わらせてからご飯がいいな」
ユキトの一言で昼食前に服を買うことになった。
キリエは遂にこの時が来たかと気合を漲らせて服飾店へと案内した。
キリエはこの日のためにユキトに似合う服を大急ぎで準備させていた。
キリエ自身どんな服が出来ているのか正確には知らない。
タイプ別に用意するように伝えたから間違いはないだろう。
キリエはこれから向かう店の職人たちは必ずいい仕事をしてくれると信用しているため、自信をもってその店をユキトたちに紹介した。
馬車で乗り付けたのは十階相当の建物だ。
赤レンガの外観を持っており、この建物のすべての階は服飾関連のお店となっている。
広い店内には一つのブランドで統一されておりその名は有名だ。
大陸内にも支店はいくつかあるがこの本店は最も腕のいい職人が揃い、流行の発信地となっている。
世の女性や少女の憧れのブランド店だった。
ナディアは流行に疎いため名前くらいしか知らなかったが、ユキトの母はどうやら覚えがあるらしく童心に帰ったように喜んでいた。
それは手を握っているユキトにも分かった。
「お母さま楽しそうだね」
「ええ。昔はよくこのお店に来ていたの……すぐに新しいデザインの服がお店に並ぶから見るだけでもとても楽しかったわ」
ユキトは母の言葉を聞きながら「そうなんだ……」と少し身を引いた。
ファッションについて語る母の顔には普段からは見ることのできない迫力があった。
ユキトはあまり話を掘り下げるべきではないと判断した。
この後自分の服を買うのに、母から色々口出しをされるという運命から目を逸らしたともいえる。
「それじゃ行きましょうか。子供服はここの4階ですから。あとあなたたちはここで待機。店の中は安全が守られているし、あなたたちが入ってきたら逆に危ないわ」
キリエは護衛たちに店に入らないように言い含めて、ユキトたちを連れ添って店の中に入って行った。
「あら?ここに男の子の洋服売り場なんてあったかしら?」
先を行くキリエにユキトの母の呟きは届かなかった。
新しくできたのだろうと母は一人納得し、一行は4階へと上がって行った。
4階には柔らかな照明が光り、全体的に色合いが豊かな服が多かった。
並んでいるものはどれも一点物にしか見えない。重ねて置かれるようなことはなく、どれも人目に付きやすいようにマネキンなどが利用されて飾られていた。
客入りは広い店内に対してそう多くなかったが、身なりのいい人間たちばかりだった。
勿論ユキトたちもそれに含まれる。
ユキトは店の様子を見て気後れしていた。
どう見ても高そうなお店だった。
先ほどの観光でユキトは通貨の単位をおおよそ理解していた。
正確な物の価値を知らないためおおよそでしかないが、1「ルクス」が日本でいうところの約3円にあたる。
飴細工のお店がこぶし大の飴を250ルクスで売っていた。
材料にこだわっていると言っていたが、そう思うと安すぎるように感じてしまう。細工についてはサービスなのかもしれない。
ほかの服屋のことは知らないがこのお店の服には値段がついていない。
ユキトはそれに気付き更に戦慄した。
このお店の常識は庶民派のユキトには刺激が強すぎた。なぜ家族たちが平気そうなのか理解できない。
あとここにある服は女の子ものばかりだ。
早く男物の売り場に移動したかった。できることなら店そのものから移動したいと考えているが。
「キリエ様。お越しいただきありがとうございます。こちらの方々がキリエ様の………」
ユキトがお店に恐れをなしている間にキリエは店員と話をしていた。
そんな中ユキトたちに近付く人物がいた。
「あれ?ユキト君たちじゃないか、どうしたんだい」
おしゃれなブランド店がこの中で最も似合わないであろうベンジャミンがこの店に来ていた。
ベンジャミンはユキトたちからここに来た経緯を聞き納得した。
「服を買いに来たんだね。確かにここはお洒落だし、素材の質もいいから長く着られるからね。うん、いいところに目を付けたね」
ベンジャミンは感心したように話しているがユキトはベンジャミンの誤解を正した。
「案内してくれているのはキリエさんですから」
「キリエ君がねえ……。うーん……」
ベンジャミンはユキトと話しながらどこか納得いかないような顔をしていた。
「何か気になることがおありですか?」
ユキトの父は堪り兼ねてベンジャミンに質問した。ベンジャミンも少し考えながら口を開く。
「いや、なんて言ったらいいんだろう……。キリエ君に何だか違和感があるんだよね。何が、と言われても答えられないんだけど、何だか喉に小骨が刺さったような……」
ベンジャミンが悩んでいるところにキリエが戻ってきた。
「あら、先生今日はこちらだったんですね」
「うん。頼んでいたものが手に入ったようだから取りに来たんだ。結構長いこと掛かったから連絡を受けて飛んできてしまったよ」
キリエはベンジャミンがここにいることに何の疑問を持っていなかった。
「師匠ってこのお店によく来るんですか?」
ユキトから見てもベンジャミンには縁がなさそうなお店に思える。しかしキリエは師匠がここにいることがさも当然のように話していたため気になったのだ。
「うん?ボクはここの出資者だからね。用事があれば来るよ」
「そ、そうなんですか……すごいです………」
ユキトにはそれ以外言葉が思い浮かばなかった。
ユキトの両親とナディアも衝撃を受けていた。
余談ではあるがベンジャミンが異能封じのデザインを依頼しているのもこのブランドの職人たちだ。
「皆様。あくまで先生は出資者であって本人の美的センスは関係ないと思うのが無難です」
「照れるねえ、キリエ君。確かに僕のレベールは限界突破しているからね。スター・アイドルだし」
キリエはこの手のやり取りを昔から繰り返していたのでわざわざ「確かに下限に限界突破していますね」とは言わなかった。
ユキト以外の三人は苦笑いをしていたが、ユキトはベンジャミンの言葉を聞いて何故か納得顔で頷いていた。
キリエにはユキトが「流石師匠。限界突破の美的センスの持ち主だったのか……」と呟いたような気がしたが空耳と判断した。
ユキトに対して一抹の不安を覚えたが特に問いたださず話を進めた。
「事前に店員に服を頼んでおいたので、そちらから先に見てみませんか?」
「それがいいね。ここの人たちセンスいいから。キリエ君のことだから一から作らせたんじゃないの?」
キリエはベンジャミンの質問には答えず、表情も特に変えていなかったが眼だけは余計なことを言うなとベンジャミンを見据えていた。
ベンジャミンはキリエの視線を受けて反射的に頭の髪の毛を押さえた。
ユキトはベンジャミンの発言の所為で、更に服の値段が判断できなくなり顔を青くさせていた。
この時点でユキトたちは周りから注目の的となっていた。




