(7)おいでませ首国2
「おいでませ!コバルティア首国へ!」
扉に先にいたのは両手を万歳させた、不思議な不思議な生物だった。
もちろん、ベンジャミンだ。
白いシャツに野暮ったいローブをかけた普段着姿でユキトたちの前に現れた。
確か彼は忙しいからと先に首国へと立ったはずだったが……。
ユキトの父は眉間を揉み、いかにも目の前の光景がのみ込めないと態度で示し、母に至っては衝撃のあまり時間が停止したかのように固まっている。
それもそうだろう。
豪華な屋敷の中にこれでもかと電飾と光物が飾り付けられ、エントランスホールは昼間のように輝いていた。
天井からは「ジルグランツ家の皆さん、いらっしゃ〜い!」と書かれた巨大な垂れ幕が下がっている。
更にベンジャミンの言葉と共に、吹き抜けになっている二階から花吹雪が使用人たちによって散らされていた。
使用人の顔は笑顔に見えるが作り物めいたものを感じる。
「おいでませ!」
ベンジャミンは反応の薄いユキトたちにもう一度叫んだ。
「……………」
「……………」
「……………あれ?ボク外したかな?」
ベンジャミンはあまりの反応の薄さに若干涙目だ。可愛くはない。
「わ、わーすごいなー、感動しました。ね、姉さまもそう思うよね!」
この事態から最初に立ち直り、最も冷静に分析したのは最年少のユキトだった。
ベンジャミンがこれを用意したのは明らかだろう。
さっきまでの緊張感が吹き飛び過ぎていまいち回らない思考は、師匠の功績を称えよとユキトに命じていた。健気な弟子である。
「目が痛い……」
ナディアは突然の光量の変化で目を押さえていていた。当然何も見えていない。
「……………」
ユキトは何か言わなければと目を泳がせるが、ベンジャミンにとって弟子のその必死にフォローしようとする姿が一番自分のスベリ具合を理解する材料となってしまっていた。
「……………それじゃ、いつまでもここにいるのもなんだから応接室に移動しようか……ボクはちょっと外すから。また明日にでも会おうじゃないか……」
ベンジャミンは取り繕った笑顔を浮かべ、ユキトたちを屋敷の応接室へと促した。
ベンジャミンは寂しげな背中を残して姿を消した。
「わぁーすごくきれいだね。こんなキラキラした飾り初めてみたわ。私たちのこと歓迎してくれてるみたいね」
「確かに綺麗ね。心臓が飛び出るかと思ったけど」
「俺は目が潰れるかと思った」
ベンジャミンが去った後、ナディアは部屋の飾りを見て感嘆してしていたがそれはあまりに遅かった。
両親はそろって苦い顔をしていた。光量を考慮すべきだったのだろう。
微妙な空気になったが、老紳士の案内でユキトたちは客間へと向かった。
さっきの衝撃的な光景のおかげでユキトは少し浮ついた気分になってしまったが、廊下を進むにつれて徐々に緊張感が戻ってくる。
先ほどのエントランスホールもホーエイの屋敷の何倍も大きかったし、廊下も広い。部屋の扉も沢山あって道が覚え辛かった。屋敷というよりは城の方が近いかもしれない。
ユキトは無言で進みながらもなぜここにベンジャミンがいたのか気になっていた。
ただ言い出せる雰囲気ではないため口をつぐんでいる。
前を歩く老紳士も会話をしないため沈黙に支配された廊下を黙々と歩くしかなかった。
「こちらが応接室となります。少々お待ちください」
老紳士は扉をノックして確認をとってから扉を開いた。
ユキトたちは促されるまま部屋の中に入る。
部屋にいたのは3人の男女だった。
一人は壮年の男性。白髪交じりの黄色の短髪で眉間には皺の跡がある。眼光はきつく頬も引き締まり年齢を感じさせない。
次に目についたのは壮年の男性の後ろに控える若い女性だった。薄緑がかった黄色の髪に茶色い瞳。均整の取れたスレンダーな体形で芯の通ったような佇まいをしている。
顔は整っているが雰囲気が鋭くこちらを委縮させるものがある。
「よく来られた。長い旅路であっただろう」
老紳士が退出するのを確認し、壮年の男性が椅子から立ち上がりユキトたちに挨拶をした。
ユキトの両親は頭を下げ、返礼の態度をとる。
父は右手を僅かに握り、左肩にそれを当てた。
母は腹部の前で両手を握り、腰を折る。
どちらも洗礼された動きであり、壮年の男性も目を細めた。
二人から何拍か遅れてユキトとナディアも返礼の態度をとった。
どちらも愛らしい子どもであったが、部屋の4人の目を引いたのはユキトだった。
特権階級にある彼でもこれほど容姿に優れた子どもは見たことがなかった。
さらに闇のように深い色をした髪は珍しく、壮年の男性も若い女性も黒髪を見たのは初めてだった。
琥珀の瞳は知性に溢れ、彼らの知る子どもの印象からはかけ離れた落ち着きを見せていた。
「皆様、よく御出で下さいました」
部屋にいたもう一人の少女、キリエが声を掛ける。
鈴を転がすような声色には社交辞令ではない、本当に気持ちのこもった言葉の響きがあった。
キリエも壮年の男性に倣って立ち上がり、礼の姿勢をとる。
キリエの優雅な振る舞いにナディアも見入ってしまった。
「あまり固くならずにこちらに来て座りなさい。今日は顔合わせ程度でそう長い話をするつもりはないが」
壮年の男性はユキトたちに椅子を勧め、手元のベルを鳴らして使用人にお茶の用意をさせた。
全員に飲み物が回ったところで壮年の男が自己紹介をした。
「私はアンセー家の当主。ヨウハン・ノート・アンセーだ。ここにいる間は自由に振る舞ってくれて構わない。必要なものはなんでも揃えよう」
壮年の男性、ヨウハンは口角を僅かに持ち上げそう言った。あまり笑っているようには見えないが、家族であるキリエからすれば滅多に見られないような笑顔と映っていた。
「これとは先日話したため、細かな自己紹介は不要だろう。末娘のキリエだ。後ろに控えているのは我が家の従者であるため気にしなくてもいい。本来ここに同席させるつもりはなかったのだが……」
ヨウハンはキリエをチラリとみて簡単に紹介した。
後ろに控えている女性は従者らしいが護衛を兼ねているのだろう。雰囲気が剣呑すぎる。
「当主様は、無防備すぎる故です。他人と面会するのに護衛をつけない華族がどこにいるというのです」
女性は堂々とヨウハンに意見するが当の本人はやれやれと言ったように首を振るだけだった。
歳の差、身分の差ははっきりとあるのにこの二人は気心が知れているように見えた。
主と従者としては珍しい形だ。
「お前は客人の前だというのに堂々と私を貶めることをいうな。小言は後で聞くから今は黙っていろ」
どことなくキリエとディッケンの関係に近いものを感じられる。この父あってのこの娘なのかもしれない。
「失礼しました」
女性は頭を下げ、口を真一文字に噤む。
ユキトたちが呆気にとられているのを感じたかヨウハンは一つ咳払いをして話を続けた。
「こちらの自己紹介はすんだ。そちらの紹介をお願いしていいか?」
ヨウハンに促され、父、母、ナディア、ユキトの順で自己紹介していく。
ヨウハンは全員の名を確認してから、ユキトに視線を向けた。
「君が『青』と呼ばれるものか……。歳は分かってはいたが本当に君みたいな幼い子が法術師だとは」
ヨウハンが戸惑うのは無理もないだろう。
彼の知る限り法術師とは1個人で魔物軍勢と渡り合い、都市さえ滅ぼすことのできる超人だ。
過去彼が見てきた法術師たちは、ただの人など及びようがないほど強大だった。
目の前の子どもはその法術師たちですら凌駕するほどの力を持っているという。
なまじ法術師の実態を知るが故に信じられずにいた。
「……いや、私が測れる器ではないのだろう。皆疲れているだろう。部屋を用意している。今日はゆっくりとくつろいでほしい」
ヨウハンの発言に意を唱える者がいなかったため、ユキトたちは応接室を出て先ほどの老紳士より本館ではなく別館の寝室まで案内された。
「あれが『青』か……」
ヨウハン、キリエ、従者の女性の三人となったところでヨウハンがぽつりと漏らす。
キリエは父親の発言を聞き咎めるように眉を寄せた。
「『青』ではありません。ユキトちゃんです」
どこか怒ったようにツンケンと話す娘にヨウハンは苦笑する。
「随分と執心しているようだな。ユキトとやらに」
「そ、そんなことありません」
僅かに頬を赤くしてそっぽを向くキリエにヨウハンは少し気がかりを覚えた。まさかあの子どもに懸想しているわけではないだろうか。
ヨウハンはキリエをジッと見るが、その顔からは色恋のような感情は見て取れなかった。
だが親愛にしろ博愛にしろ、あまり感情的に「青」と接してもらっても困る。
ヨウハン自身ユキトを養子として迎えることを了承しているが、できれば関わり合いになりたくはなかった。
ヨウハンはユキトがキリエの命を助けたことを知らない。
ヨウハンの中ではユキトという存在は強力な法術師というだけの厄介ごとの種としか映っていなかった。
現時点でノート家には相当な圧力が自国、他国からかけられている。
しかし自分と旧知の間柄であり、大恩人である人間から土下座までされたのだ。断ることが出来なかった。
「お父様。本当にありがとうございます。ユキトちゃんを受け入れてくれて」
最近煙たがられていた妻の忘れ形見である娘からも感謝されている。悪いことばかりではないだろう。
「あの子自身はどうなんだ。確かにお前が言うように賢そうではあったが、情緒面ではまだまだ幼いのだろう。癇癪ひとつで屋敷を吹き飛ばされては叶わんからな」
ユキトのことを何も知らないヨウハンからすれば当然の疑問。いや冗談も含んでいたかもしれない。
キリエはヨウハンの言葉に反応し、瞳に明らかに怒りをにじませ、冷たく父親を見据えた。
「ユキトちゃんはそんなこと、絶対にしません」
感情を押さえてはいたが、明らかに苛立ちを含んだ娘の声に父親は目を見開く。
キリエは「失礼します」と言ってからすぐに応接室を出ていった。
残されたヨウハンは娘の怒りの理由を察し、ため息をついた。やはり厄介の種だったと。
従者の女性は項垂れるヨウハンに「調子に乗るからです」と追い打ちをかけたのは言うまでもない。




