(6)一つの終わり2
ユキトは知らない場所にいた。
いや、これを場所と捉えていいのだろうか。
星が散りばめられた真黒な空間。
広大な宇宙の中、ふよふよと浮かんでいるように感じる。
多くの星のきらめきがあたりを照らす。
ユキトはその光景に見惚れながらも自分の状況を思い返した。
確かバルバセクから鉄道を使ってコバルティアに向かう途中だった。
夕日が差す部屋の中で、僕は家族と会話をしていた。
話し始めようとするとき、ひどい眠気が襲ってきたのを覚えている。
始めは抵抗したが、眠気はこちらを底なし沼に沈めようとするかのように、抵抗するほど抗うことを難しくさせた。
不自然な眠気とこの場所は関係があるのだろか。
ユキトは今までの経験でこれがただの夢だと思うことをしなかった。
何らかの意図が見える、そんな風に捉えていた。
「意外と冷静なんだね。やっぱり君は特別なのかな」
星と広大な黒い海だけだった世界に、一人の少女が現れた。
長く伸ばした景色に溶けるような漆黒の髪。白い肌。白い虹彩の瞳。
ナディアと同じくらいの年齢に見える少女だった。
「君は?」
ユキトは驚きながらも少女に尋ねた。
少女は笑みを浮かべ、ユキトに答える。
「初めまして『青』。僕はエリシオン。気軽にシオンと呼んでほしい」
ユキトはシオンの発言を聞き警戒心をあらわにする。
シオンもユキトの態度が固くなったのを感じ、弁明した。
「すまない。君をここに呼んだのは僕だ。現実での君は眠っているはずだよ。かなり深い眠りだからちょっと体が無防備になってしまっているけど、大丈夫かい?」
シオンは気遣うようにユキトに尋ねた。
ユキトは警戒心を解かないまま「家族と一緒なので大丈夫です」と返事をした。
シオンはユキトの返事を聞き、首を傾げる。
「家族?君は青なんだろう。どうして家族と一緒にいるんだい?」
シオンは今のユキトの事情を知らないため聞いたのだがユキトは沈黙して答えなかった。
シオンとしても気になるだけで知りたいことでもなかったため、それ以上は聞かなかった。
「まあ、いいか……。君の名前を聞いてもいいかな?」
シオンの質問にユキトは僅かに悩んでから「……ユキトです」と答えた。
「ユキト君ね。中々かわいい名前だね」
ユキトはにこやかに話すシオンに違和感を持っていた。
多分この少女は見かけ通りの思慮の人物ではないだろう。言葉の端々に老成したものを感じる。ユキトは彼女が自分に近いもののような気がしていた。
「僕はある提案をするために、ここに君を呼び出したんだよ」
「この世界は僕の法術『星辰』で形作られたものだ。いわゆる精神世界だね」
シオンはハッとして「えーと心の中といったら解りやすいかな。ちょっと違うけど」と付け加えた。
どうやらユキトに知識がないと思っているようだ。
「精神世界で通じますよ。それに余程難しいことじゃない限り言葉の補足もいいです」
ユキトはシオンに対してきっぱりと断りを入れた。
どこの法術師か知らないがユキトは一方的にこんな場所に連れてこられたことに内心腹を立てていた。
「あなたの用が何かは知りませんが、僕は早く帰りたいんですが」
言葉にも自然と険が出てしまっていた。
「う、そんなに怒らないでよ。もっと和やかに、ね?」
シオンはユキトの白い目にさらされながら咳払いを一つして続きを話した。
「君は600年前のことを覚えているかい?」
ユキトはシオンの質問意図が全く分からなかったが正直に覚えていないと答えた。シオンはその調子で何度も質問を繰り返した。
「君の家族は何人かな?」
「教えません」
「君の年齢は?」
「さあ?」
「好きな食べ物は?」
「リンゴです」
「赤と聞いて何を連想する?」
「トマト」
「今日はいつでしょう?」
「青歴617年、閃の月29夜です」
「僕のことどう思う?」
「あんまり関わり合いにはなりたくないです」
「………グスン」
「グスンなんて口に出すものじゃないですよ」
「今の一言で本当に泣きたくなったよ」
「そうですか」
「………」
二人の会話はおおよそ意味のあるものではない。
しかしシオンにとっては別だった。
法術「星辰」はただ精神世界を作る術ではない。
空間の支配者となることが出来る法術だ。
シオンは言葉からユキトの記憶を喚起させ、それを盗み見ていた。
ただユキトと会うだけならわざわざこんな形にしなくても、シオンの身分なら会うことは可能だ。勿論リスクはあるが。
シオンはユキトを探ることでリスクに見合う価値を探していた。
一つ目のあては外れていた。
シオンは半ば予想していたがユキトは歴史上に存在した青と呼ばれたものではない。
魂は似ている気がするが、ユキトの魂は青と呼ばれたものと同列とは言えないほど薄い。一般人よりもずっと希薄だった。
シオン自身、星辰の法術によって他者の魂を感じ取ることが出来るが、ここまで生きていて希薄な魂の持ち主は見たことがなかった。
まるで死にゆく病に犯されているのではと思えてしまうほどだ。
シオンは深まりそうだった思案を振り払う。
まだもう一つ確かめなくてはいけないことがある。
「ユキト君。君はイデアの法術を知っているかい?」
「いいえ」
ユキトは即座に否定する。
まず嘘だと認識できない完ぺきな否定の言葉だったが、空間の支配者であるシオンには通じなかった。
「なら……狂人となった異能者を救うことのできる法術を知っているかい?」
「それは……」
ユキトはシオンの言葉を否定しなかった。
これまでの質問と違い、今の質問にはシオンの真剣さを感じ取ったからだ。
シオンはユキトの思考を読み、その法術の存在を知った。
「ユキトお願いがある。もし狂人化から異能者を救う術が使えるなら……僕にその術を使ってほしい」
シオンはユキトに頭を下げて懇願した。
ユキトは疑問に思いながらシオンに質問する。
「あなたは法術師なんでしょう?僕がその法術を使えたとして、どうして異能者でないあなたに術をかけるんですか?あまり詳しいわけじゃないですけど、確か狂人は異能者しかならないと聞いていましたが」
シオンは頭を上げ、省いていた説明を付け足す。
「この世界は僕の法術の中でもある。ここで君が行使した法術を僕の任意で現実で解放することが出来る。勿論君が使った法術分だけだけど」
「要するに僕が使った法術にシオンさんがパスを繋げ、あちらにいる異能者の人に行使するというわけですか」
シオンはユキトの理解力に目を丸くする。本当に5歳児の思考力だろうかと。
ユキトの特異性に興味をひかれるが、シオンはユキトの内面をこれ以上見るつもりはなかった。
アイのためで無ければこんな人の尊厳を踏みにじるような術に頼るつもりはない。
ユキトはシオンを改めて見てから返答する。
「いいですよ。僕は確かにその法術を使えますし、悪用されるような術でもないですから」
シオンはユキトから聞きたい返事をもらったのに焦ったように身を乗り出す。
「えっ!そんなあっさり了承していいの?イデアの法術のことを知っているんだろう」
シオンは願いを聞き入れてもらったというのに思わず確認してしまった。
命が削れるのをユキトが知っている。
他人の、それも怪しいであろうシオンに対して術を使うという。
ユキトはシオンを信頼したわけではない。いや、事実今でもユキトはシオンに心を許してはいない。
それが分かるからこそのシオンの疑問だった。
心を読まず、直接ユキトに尋ねていた。
「僕だって全然知らない人に寿命を半分くれ、なんて言われても断るでしょうけど、自分が許容できる範囲で助けられるのなら、努力はしますよ」
ユキトは何でもなさそうに答える。
いや実際には何でもないということではない。
ユキトは家族の前で吐露していた。命がなくなることへの恐れを強く持っている。
それでも他人に対してでさえその恐れを押し殺していた。
やさしさというには危うく。
献身というには乱暴な思いだった。
シオンはユキトの思考を読まなかったため、ユキトのその思いを理解することはなかった。
「ありがとう。絶対にこの恩は忘れない」
罪悪感を抱きながら、ユキトの返事に喜びを噛み締めていた。
「なら早くしましょうか。僕もここから帰れないと眠りから覚めないんでしょう?」
「ああ、すまない。すぐに準備するよ」
シオンはユキトに近付き、ユキトを右手に掴んだ。
「あれ?僕の体、小さくなっています?」
「いや、小さいというより光の球になっているんだよ。この空間に来てからずっと」
ユキトはシオンから教えられるまでまるで気付かなかった。
宙を漂うような感覚は宇宙みたいな場所だからだと思っていたが、どうやら自分が球体になって浮いていたためらしい。
「僕の右手にパスを繋いだからいつもの感覚で術を使っていいよ。この空間でもマナの領域は開けるから」
「そうですか。では遠慮なく」
ユキトはマナの領域を久しぶりに開いた。
星の海に青いマナが現れる。色とりどりだった黒い空間は青の粒子に埋め尽くされる。宇宙の果てまで覆い尽くすように。
「うそ、ちょ、ちょっと待った!領域が広すぎるよ、外に漏れちゃうからすぐに狭めて!」
「そんなこと言ってもやり方知らないです」
「えーーーーーー!何でイデアが使えるのに領域も狭められないの!?」
ユキトはシオンが広げ過ぎだと言ったのでマナを収束させた。シオンは慌てて頭上に手をかざし、純白のマナで幾何学模様を描いた。
「いやいや、在りえないから、どんなマナの量なの!今度は空間が壊れそうなんですけど!」
ユキトは慌てるシオンを尻目に集めたマナを術へと昇華させる。
あの造船上の時にも感じた自身の何かが入れ替わり、沈む感覚がある。精神世界であるためかあの時より顕著に。
ユキトは寒気を覚えながらも淀みなく術を創り上げた。青い煌めきを放つ光の塊。
それはシオンの右手宿り、光を帯びていた。
「あれだけのマナを集めて、ここまで規模の小さな術に変えるなんていったいどうやって……」
今、シオンの右手には「浄化」の概念そのものが宿っている。
大量のマナを集め、ユキトの想いの込められた力。
さっきまでの騒がしさが嘘のように静まり、シオンはその光に魅入られていた。
同時に思う。
このユキトという少年の存在の不可解さに。
基礎が出来ていないというより分かっていない。
なのに、最も高度な術をまるで呼吸でもするかのように創り上げる。
まるで「浄化」の法術だけしか知らないような。
「ねえ、ユキト君……君、本当は……」
シオンの言葉は形にならなかった。
あたりにひびが走り、空間が剥がれ落ちていく。
「星辰」の術が解けようとしていた。
「あれ?僕の所為ですか、これ……」
シオンも思わずそう考えてしまったが、すぐに違うと思い至る。
確かにユキトのマナの領域や収束は術を壊す危険を持っていたが、シオンが対処して事なきをえた。
しかしこの崩壊はシオンが対処できないものだった。
恐らく空間の外から干渉を受けている。
「ユキト君、すまない。術が解ける……」
「え?」
「絶対君に受けた恩は返すから!」
シオンの体もひび割れに巻き込まれながら崩れていく。
「期待してないで待ってます」
ユキトは聞こえたかどうか分からないがそう返事を返した。
意識が急速に空間から引き離されていく。




