(6)一つの終わり
この話からが1章のエピローグ後となります。
サクリフィシオの塔の最上階では、傾いた陽光が部屋の内部に光を届けていた。
アイは何も言えず佇み、シオンも言葉を発さなかった。
「……その人がシオンの妹?どう見ても……」
まだ頭の回転が鈍いがアイは何とか質問をした。
あまり意味のある質問ではない。本当に疑問に思うべき点は別にあったのだろうが、アイはこの場でそれを尋ねるという思考に至っていなかった。
「あまりはっきりとした原因は分からないんだ。600年間生き続けているから延命のために法術を使っているんだろうけど、たぶん最低限のものでしかないんだと思う。僕は自覚して行使しているせいか老いることがないけどね」
シオンは淡々とアイの言葉に答えた。
アイにはシオンの言葉の真偽を確かめるすべはない。
アイが法術師であったのなら、もう少し込み入ったことを聞くことが出来たかもしれないが、アイにはシオンの言葉を信じるしかなかった。
「本当に神子様なの?」
「ああ。妹は意識の殆どを使って法術を行使している。だから600年間、ずっと眠り続けているのさ。彼女が10歳の頃からね」
シオンの顔には表情と呼べるほどのものは浮かんでいなかった。
色褪せ、何を描いたのか分からなくなった絵のように、意味ある感情が浮かんでいない。
「アイ。僕が話した『赤』の封印のことを覚えているかい?」
今度はシオンが質問をしてきた。
「う、うん」
少し自信なさそうにアイが答える。
シオンはそんなアイの様子を気にすることなく続けた。
「『赤』を封印し続けるには常に術を行使し続けなければいけない。彼女が法術の行使を止めればすぐさま『赤』は600年前と同じ規模の被害を人間にもたらすだろうね。いや、かつて青と呼ばれた者がいない現代で『赤』を止められるか分からないけど」
シオンは重大な事実を話しているはずなのに、アイにはその様子がひどく無関心に見えた。淡々と事実だけを並べ、自分には何の関係のないことだと言っているかのように。
「僕の妹は法術を永遠に行使し続けるために、永遠の眠りについている」
そう語るシオンからはやはり感情の色を見ることは出来なかった。
「僕は今から法術を行使する。すまないけどアイはここで待機していてほしい。術の最中は僕の体が完全に無防備になってしまうから」
シオンはアイに最低限の説明をした後にユリシオンの眠るベッドに腰掛けた。
アイはシオンのことを無言で見守る。
「僕は妹が近くにいないと並み程度の法術しか行使できないけど、妹が近くにさえいれば神子にせまる術を使えるんだ」
シオンはそのままベッドの上に横になり、エリシオンと並ぶ。
「……短い間だけどよろしくね」
シオンの言葉にアイは頷いて答えた。
シオンはそれを確かめてから目を瞑った。
アイにはシオンはただ横になっているようにしか見えない。殆ど身じろぎもせず、寝息も聞こえず、ただ止まったようにシオンと白の神子はベットの上に並んでいた。
アイは部屋に一人ぼんやりと座り込んでシオンが目覚めるのを待っていた。
「私、どうしたらいいんだろう……」
彼女は彼女で悩みを抱え込んでいる。
初めて人を傷つけ、あまつさえ殺そうとしたことを。
シオンを守ると誓いながら人を傷つける覚悟を持っていなかった。
アイは自分が暴力を嫌いなことは理解している。
いざというとき決断できなければ傷つくのは自分ばかりでなく、シオンなのだ。
いや、異能者の自分よりシオンの方がずっと危険があるだろう。
アイは自分の中途半端な気持ちにようやく自覚を持っていた。
「簡単なことだわ」
どこからか声が聞こえた気がした。
アイはその声に自然と耳を傾けていた。自分以外が眠るこの塔の最上階に人などいない。まして異能者である彼女が見落とすはずがない。
アイは何の疑問も感じず、ぼんやりと虚空を見詰めた。
「この地上から人間がいなくなれば暴力のない世界ができるのよ」
確かにそれはそうだろう。人間がいないのだから暴力など存在しようはずがない。
「そんなの何の解決策でもないの。在りえないことじゃない……」
アイは虚空に向けて声を掛けた。本来であれば返事など返ってこないだろう。しかし、声は何処からか返事を返してきていた。
「うん。そうだね」
アイはやっぱりとため息をつく。やはり自分が覚悟を決めるしかないのだ。戦う覚悟を。
「でもね、今なら世界から暴力をなくすことが可能なのを理解している?」
「え?」
アイは一人、シオンの目覚めを待ちながら何者かとの会話を繰り返す。




