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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第2章〈シオン〉
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 前世と現世を含め、ユキトに涙を流した記憶はない。

 これが初めての涙を流すという体験だった。


 貴賓室の扉を開けたところでユキトは跪き、震えた。

 体の中のよどみが流れだし、熱い雫が頬を伝う。

 ナディアはすぐにユキトに駆け寄り触れようとしたところで思わず止まる。

 その間にユキトの両親がユキトを介抱した。

 ユキトの父はユキトを抱え上げ、広い椅子へと座らせる。

 ユキトの母もユキトの座る椅子の前でかがみ、背を優しくなでた。

 ナディアは心配げに近くに寄るがどうしたらいいのか戸惑っている。

 ユキトは落ち着くまで父の胸の中で声を立てずに泣いていた。


 ユキトは息切れでもするかのように荒い呼吸を続けながら、必死に自分を落ち着かせようとした。

 目の前がチカチカと瞬き体中が燃えるように熱い。

 ユキトは両親のぬくもりを感じながら、喘ぐように言葉を絞り出した。

「ごめんな、さい……僕は、……生まれてきちゃ、いけない人間だよね……」

 すんすんと鼻を鳴らしながらユキトは声を漏らす。

 いつもの落ち着いた高い声ではなく、かすれて暗く響く声で。

「ずっと、僕は……ひどいことばっかりしてきた。自分でも、もう分からない……僕は……」

 ナディアはユキトに何かを言おうとするが父が首を横に振り制止する。

 母も静かにユキトの言葉を待った。

 ユキトは言葉を続けようとするが、言葉にしようとすると胸に詰まり、音にならない。涙が再び溢れてくる。

 それでも声を張り、血を吐くように言葉を吐き出した。


「ぼ、ぼくは!……おとう、さまも、…お、かあさま、も…ねえさま、も本当の、家族だなんて思ったことがなかった!」


 ナディアは硬直し、言葉の意味を理解していない。ユキトが今言ったことに理解が追い付いていなかった。

 父は体を強張らせ唇を噛み締めるが、ユキトを抱く腕には力を入れなかった。

 母は僅かに体に緊張を走らせるが、表情は変わらずユキトに目を向けていた。


「ずっと、ずっとそんな気持ちでいたのに、何で、ぼくは……いまさら…いま、さら……」

「なんで、なんでぼくはこんなところにいるの!……こんなところ、来たくなかった!」

「どうして、どうして、なんで!ぼくが、誰かにすむ、場所を決められないといけないの………ずっと……みんながいる屋敷で………ぼくは、やっと思えたのに……」

「怖いよ、またあの黒ずくめみたいな人や、城を襲った人たちみたいな人が来る……。ぼくはずっとしらない誰かから逃げ続けないといけないの……いやだよ……怖いよ……」

「法術も……使いたくない、死にたくない。死にたくないのに、法術師なんかに、なりたく、ないのに。なんでぼくにばっかり……誰か助けてよぉ……もう嫌だよ…こんなところ……ぼくは、かえりたいよお……」


 もうユキト自身何を言いたいのか、自分が何を望んでいるのか分かっていない。

 ただただ荒れ狂った感情が行き場を無くして言葉になっていくだけだった。

 本当に伝えたい言葉が沢山あっただろう。

 伝えたい気持ちも沢山あっただろう。

 ユキトはこんなことを言いたかったわけではない。

 もどかしいほど自分の気持ちを言葉にすることが出来なかった。


 ユキトは言葉を切り、沈黙する。

 誰も喋り出すことはなく、時計の針の音だけがやけにうるさく響いていた。

 静けさの中、ユキトはかすみがかった思考で深く自身に落胆していた。

 本当に愛想がつかされただろう。どこまでもわがままで自分勝手な言い分だった。

 人の気持ちを傷つけてきた報いなのだろう。

 自分には過ぎた人たちだった。


 領主という偉い人たち。

 優しく、あたたかな人たち。

 家族を大事にする人たち。

 仕事のできる父。

 歌の上手い母。

 天真爛漫な姉。

 紳士的な父。

 すぐに体の心配をしてくる母。

 世話好きの姉。

 

(そうだ、僕がいない方がいないほうがずっといい。僕はこの人たちを不幸にしかしない) 


 ユキトは父から体を離そうとするがそれは叶わなかった。

 父の太い腕はユキトを離しはしない。


「ユキト……お父様たちは甘え過ぎていたんだな……。俺はユキトが大人で、しっかりとしていてるから、誤解、していたんだな」

 父はユキトの耳元で小さく呟く。

 抱きかかえられたユキトは父の腕が震えていることに気付いた。

「俺はユキトのことを特別な子どもと思っていたんだ。頭が良くて、大人ともちゃんと話せる。天才って言葉じゃ片づけられない、将来領主なんかに収まるような器じゃない、そんな予感があった」


 父はゆっくりとユキトの頬を撫でる。

 ユキトは顔を上げ、焦点の合っていない、泣き過ぎて赤くなった瞳で父をぼんやりと見た。

 父の顔は笑おうとしている顔だった。

 笑いきれず、無理やり口角を上げて引きつっている。

「誘拐されて、正直生きた心地がしなかった。絶対生きているって信じていても、同じくらいもうユキトとナディアが返って来ないんじゃないかって思っていたんだ」

「ユキト、ありがとう。ナディアを守ってくれて。また、帰って来てくれてありがとう。さすが…おれの息子だ!」

 父は声を震わせながらユキトの頭を乱暴に撫でた。

 ユキトはぼんやりとしながら父の言葉に聞き入っていた。

「ぼくは……」


 僕はお父さまの息子の資格がないよ。

 ユキトはそう否定の言葉を口にしようとするがそれが出来なかった。胸を熱くするような気持ちがそれを邪魔した。

 荒れ狂う激情とは違う。ぼんやりと灯った篝火が冷えた体を温めるように、ユキトの体の強張りを解きほぐしていた。


 背中からユキトを抱きしめるものがいた。

「苦しくても悩んでも、大丈夫。私たちは何があってもあなたを大切に思う。これからどんなことがあってもわたしたちは一緒よ。遠くに離れてもずっとあなたのことを思うわ」

 母は強くユキトを抱きしめながら言葉紡ぐ。

 優しく温かい母の体温にユキトの緊張は少しずつ解けていった。

「私たち以上にあなたを愛する者はいないわ。あなたのためにならどんなことだってできるのよ」

 その言葉に偽りはない。母自身がそれを確信していた。この子のためにならなんだってできると。

 ユキトにもその言葉の思いの強さは伝わっていた。

「あなたはあなたよ。ユキトはずっと私の愛おしい息子よ」

 母の細い腕はユキトをしっかりと抱きとめていた。

 母の腕の中は午睡に微睡むかのような安心感があった。

 ユキトは母の顔を見る。

 ユキトの母はただただ穏やかにユキトを見詰めていた。あれだけ取り乱したユキトを見ても。

 取り乱した息子を安心させるために彼女は穏やかでいようとしていた。

 ユキトはようやく先入観なく彼女の存在を感じた。


「ナディア。こっちにいらっしゃい」

 母はナディアを呼ぶ。

 ナディアはユキトに近付きその顔を見た。

 初めて感情を露わにして泣く弟の姿に動揺していた。

 家族と思ってないと言われて衝撃を受けた。

 狂気にのまれかけた自分を助けてくれたときのような精悍さは微塵もなく、ただ怖いと訴え続けえる様子に胸が痛んだ。

 ユキトを誤解し、様々なものを押し付けたことに罪悪感があった。

 色々と考えて最後に思ったことは、変わらずにナディアの中にあることだった。


「ユキトはわたしの弟だよ。どんな遠くにいたって、法術が使えたって変わらないから。わたしがずっとお姉ちゃんなんだから」

 ナディアは両親の腕の中に割り込んでユキトに抱き付いた。



「僕は、ここにいていいの?」

「ああ」

 ユキトの呟きに父が力強く答える。


「僕は、沢山ひどいことしてきたのに……」

「それは違うわ。私たちもユキトに無理をさせていたわ。これからは沢山、たくさん話しましょう。今までのこと、これからのこと……」

 母はユキトを諭すように答える。


「僕は、家族なのかな。お父さまと、お母さまと、姉さまの、家族なのかな……」

「ユキト、そんな当たり前のこといまさら聞かないの!」

 ナディアはユキトの頬に自分の頬を合わせて強く抱きしめた。

 ユキトは三人の言葉にまた涙が零れそうになりギュッと目を閉じた。



 ユキトの中にある前世の思い出の欠片たち。

 それは普段はとても曖昧で、意図して思い出すことは出来ない。

 ふとした拍子に、閃きが下りるように頭に浮かんでくることがある。

 ユキトの脳裏に前世の母親、父親、兄の像が揺れる。

 まだ両親も若く、兄は小学生になったばかりの頃だろうか、とても小さく昔の自分によく似ていた。

 僅かに残った記憶の彼らはこちらに笑いかけていた。

 それは特別ではない日常の一コマ。

 もう戻ってはこない特別だった日々の一コマ。

(母さん。父さん。兄さん。僕はちゃんとするから……)

 ユキトは笑いかける彼らの像を振り切るように瞳を開く。



 ユキトは三人から感じる温かさに包まれながら最後の涙を流す。

 サラサラとこぼれる雫は、ユキトの激しく燃え上がっていた熱を流していった。


 



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