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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第2章〈シオン〉
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(4)白の神子3

 閃の月 29夜


 アイはようやく自分の中での回想を終えた。

 確かにシオンはアイに塔の説明をしていた。

「シオン……」

 馬に跨り前方を進むシオンに声を掛けた。

「なにかな?」

 シオンはそれに振り返らず返事だけ返す。

「私、思い出そうとしてみたんだけど……どうして森の中にいるのか説明された記憶が全くないよ」

「僕も思い出したよ。説明してなかった」

 二人の間に、いやシオンから気まずい空気が流れた。

「ごめん。僕は割といい加減なんだ。アイも注意してね」

 笑ってお茶を濁すシオンに、アイはため息を吐いて答えた。


 表面上二人はいつも通りにお互いに振る舞い、自然なやり取りができるまでになっていた。

 未だ解決していない問題が二人の間に存在していても。


 三神教会襲撃の日から周囲を警戒していたシオンとアイだったが、怪しい人物の接触もなく旅路は順調だった。

 シオンは街外れで広範囲の索敵を何度か行ったが人っ子一人網にかかっていない。

 元々の目的は自分たちではなく教会本部にあったようだし、アイの本気に恐れをなしたともいえるかもしれない。

 この頃は二人とも現実的な脅威がないため襲撃者の存在を意識しなくなっていた。

 



「今更だけど、サクリフィシオの塔は全体に隠蔽の術が掛かっているんだ。かなり強力なね」

 シオンは気を取り直して説明をすることにした。後ろは特に見ない。

「正しい道順を辿れば隠蔽が解けるようになっているんだ。まあ、複雑だから偶然に隠蔽を解く道を辿ることなんてないけど」

 アイはシオンの説明に納得した。

 この森は分かれ道が多く、シオンもただ真っ直ぐではなく右へ左へ、時には後ろに進んでいた。はたから見てもまっすぐ目的地に進んでいるようには思えなかった。

「すごいんだね、白の神子様って。塔一つを隠蔽しちゃうなんて……」

 一体どれほどの術なのだろうか、アイには想像もつかない。

 事実上休まず術を行使し続けていることになる。

 果たしてそんなことが可能なのか。可能だからこそ神子と呼ばれているのだろうか。

「そうだね……」

 シオンはアイの言葉に軽く返事を返すだけだった。

 二人はその後も複雑な道を辿り目的地を目指した。



 太陽が中天より僅かに傾き、雲が空を覆い始めたころ。

 シオンとアイの前に突如として塔が現れた。

 同時に森林は姿を消し、あたりは白い砂と岩の大地だけが広がっていた。

 森そのものが法術によって創り出された光景だったのだ。


 塔は白く、表面は目の粗い石材で構成されていた。ところどころ風化の跡が見られる。

 離れていても見上げるほど高く、目測で100エーデル(120メートル)くらいの高さはあるように見えた。

 塔の一帯はすべて白で統一されている。建物ばかりか自然さえも。

 虫の音も動物の鳴き声も木々のざわめく音も何もしない。生命の音が聞こえない静謐の大地だった。

 アイにとっては今のこの風景の方が幻覚に思えた。

 統一された白の大地を美しいと捉えるか、ただ荒涼としか感じないか、見る人間によって印象は分かれそうな景色だ。

 アイは美しいと感じながらも、先日魅入られた三神教会の古城のような感動はない。

 胸にぽっかりの穴が開いたような、虚しさだけが心を占めていた。

 アイはシオンと馬で並び、その顔を盗み見る。

 シオンの顔には特に感情が見えなかった。

 達観していると言えるかもしれない。

 シオンは感情の見えない瞳でただ天に伸びる塔を眺めていた。



 サクリフィシオの塔には見張りのような人も居らず、あっさり中に入ることが出来た。

 そもそもここには関係者しか入って来られない。警戒してもしょうがないだろう。

 馬は外の馬小屋に勝手に繋いだ。

 塔に近付いて思ったことだが、馬小屋があったり、洗濯物干しがあったり、生活感に溢れていた。

 アイは塔が神聖なものと思っていたので、肩透かしをくらった気分がしていた。

 

 塔の内部は外観で感じた大きさ以上の広さがあった。

 1階のフロアだけでも大きめの家が庭ごと収まるくらいはあるだろう。

 フロアに入るとシオンは大きな声で「こんにちはー!」と大きな声をだし、アイはビックリして気まずそうにあたりを見回した。

 丁度そこには乾いた洗濯物を抱えた小柄な女性が通りがかる。

「あ、トトさん、お久しぶり」

 シオンにトトさんと呼ばれた女性は、洗濯物を入れたカゴを床に置くとこちらに駆け寄ってきた。

 近くで見るとそれなりに歳をとった女性だった。

 シワの多さから見て40代後半くらいだろうとアイは推測した。

「シオン様じゃないか!また来たのかい。あんたも暇人だねえ〜」

 トトさんはシワをさらに増やしてシオンに笑顔を見せた。

「いや、確かに今は暇だけどちゃんと仕事もしているよ……」

 シオンは相変わらずの様子を見せる女性に苦笑して答えた。

「そりゃそうさ、あんたは若いんだからね。まあ本当の歳をわたしゃ知らないがね、アッハハハハ!」

 そういってシオンをバシバシ叩く。


 アイはそのやり取りに目を丸くした。

 屋敷の人間でさえ容易に近付かせなかったシオンに、こんな親しそうに接する人間がいるとは思っていなかった。

 シオンはアイを女性に紹介した。

「トトさん。彼女はアイ。僕の娘だよ」

 シオンは女性に悪戯っぽく笑い、アイを女性の前に連れ出した。

 女性は目をこれでもかと見開き驚きを示した。

「な、なんだって?娘?あんたいったい、いつの間にこさえたんだい。前に来た時は結婚さえしていなかっただろう……」

「まあ色々あるんだよ。トトさんには悪いけど詳しいことまでは話せないんだ。代わりに、はい、これみんなで食べて」

 シオンはここに来る前に買ってきた、甘味のたっぷり詰まった袋と色とりどりの旬の果物の詰め合わせを女性に渡した。

「ほほほほ、悪いねえ。あんたは相変わらず気配りのできるいい男だよ。ムッツリの神官連中にも見習わせたいねえ」

「あんまりそう言わないであげてよ。ここにいる人間と親しくするのは彼らにとってはあまりいいことではないみたいだからね……」

「分かってるさ。その分サービスしてくれるもんもいるからね」

 女性は視線をシオンに送り、シオンは笑いながら頬をかく。


「あんたはいつも通り神子様に挨拶に行くんだろ。私がここのみんなには話を通しとくよ。それとアイちゃんとか言ったねえ」

 アイは突然名前を呼ばれ固まるが、女性の目に真剣な色を見て居住まいを正す。

「ここは白の神子のおわす神聖な塔だ。粗相だけはするんじゃないよ。シオン様の連れだからそんなことないとは思うけどね」

 アイは女性から感じた緊張感に驚きながらも頷いて返事をした。

 女性はそれをみて満足そうに破顔する。

「私のことはトトでいいよ、アイちゃん。それじゃあね、お二人さん。終わったらわたしのところを訪ねな。お茶くらいだすよ」

 トトはそう言って洗濯物を抱えて去って行った。

「彼女はリトリア・メイサリトス。この塔の管理を任されてる一族の一人だ。彼女は子どものころから僕と面識がある。神官としても高位の人だよ」

 シオンは彼女の後姿を眺めてアイに女性の身元を明かした。

「さあ、塔を上ろうか。結構高いけどアイの体力なら大丈夫だよね。むしろ僕がへばりそうで憂鬱だけど……」

 シオンはまだ塔に登ってもいないのに疲れた顔をしていた。



 シオンの言った通りアイにとって塔の階段はなんでもなかった。

 塔は3階までは居住スペースとなっていたがそれ以降はずっと壁面に沿って螺旋階段がもうけてある空洞だった。

 下からでも上まで見ることが出来るが、外から見るよりも塔は高く感じられた。光が遠すぎて下からだと点にしか見えない。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 シオンは無駄口を叩かず登っている。

 正確には口を呼吸以外で開く余裕がない。

「シオン、私が背負おうか?」

 アイはシオンの様子を見て提案するが、シオンは無言で首を振るうだけだった。

 アイは複雑そうにシオンを眺めながらも黙々と階段を登って行った。


 頂上に辿り着いたときにはシオンは汗だくになり壁に寄りかかり、呼吸を整えていた。

 アイは汗ひとつかかず、呼吸の乱れもない。自分が平気なことに対して何だか申し訳なくて、顔を下に向けていた。

 あらかじめ準備しておいた金属製の水筒を傾けてシオンは一息つく。

「よ、よし。大分楽になったよ。ごめんね、待たせて」

「うんん。でも大丈夫?まだ休んでた方が……」

 シオンはそれに対して胸を張って答える。

「いや、本当に平気なんだ。体力はないけど回復力には自信があるからね」

 確かにアイから見てもシオンの顔色は悪くなかった。本当に回復したのだろう。

 シオンは螺旋階段の終わりにある、部屋の扉を見詰めた。

「それじゃ、行こうかアイ」

「え、まだ心の準備が出来てないよ!私粗相しちゃうかも……」

 シオンはアイの様子を見て、先ほどのリトリアとの会話を思い出す。

「ああ、心配いらないよ。白の神子は礼儀にうるさい子じゃないから」

 シオンはそう言って扉をノックし、返事が返ってくる前に扉を開けた。

 アイはシオンの言葉を鵜呑みに出来ず、緊張した面持ちで続けてドアを通る。



 アイから見てもそこは普通の、それこそシオンと共に過ごした屋敷よりずっと質素な内装の部屋だった。

 ただ壁に塗られた青い壁の色だけがやけにアンバランスに見えた。

 窓にはカーテンがかかり、明かりは僅かで、昼間でも暗い部屋だった。

 シオンは窓に近付きカーテンを開ける。

 そこから日の光が入ってきて部屋の内部を照らした。

 アイは部屋の様子が鮮明になったことであることに気が付いた。

 暗がりではただの青い壁の色かと思っていたが違う。

 部屋の中には青い幾何学模様の彫り物してあった。それが密集していたため壁の色と誤認していた。

 部屋の中央には白い天蓋付きのベッドが鎮座し、浅黄色の夜着に身を包んだ女性が横たわっていた。


 皺だらけの痩せた顔。細い手足。服から出た肉体は骨と皮にしか見えない。

 しかし彼女は生きている。

 ほんのわずかだが胸が上下に動いていた。

 髪は白一色。ベッドに川のように広がっている。

 

 シオンは窓から戻ってきて、横たわる女性の傍らに立ち、隠蔽の術を行使した。部屋が一瞬揺らぎに包まれる。同時にシオンの体にも揺らぎが生まれた。

 体の揺らぎが収まった後、シオンの体からは白い砂粒のような光がサラサラと零れ落ちていった。

 光が零れ落ちるほど彼の体は変化していく。

 本来の少女の姿へと。

 

 アイはシオンの本来の姿を見るのはこれが初めてだ。

 確信を持っていても、目の前でその姿を見れば強い衝撃を受ける。

 アイは彫像のように言葉を発することなくシオンに見入っていた。

 小柄な少女は黒髪をかき上げ、その白眼を晒した。

 黒い瞳孔と白い虹彩の瞳がアイを静かに見つめる。


「この姿を見せるのは今が一番いい時だと思ったんだ」

 シオンは涼やかな光を帯びた瞳をアイに向ける。

 彼女の目には僅かな躊躇が見て取れた。アイの感じることが出来ないほど小さな小さな葛藤が、彼女の瞳を通り過ぎ消える。

 



「紹介するよ。彼女が白の神子、ユリシオン」



「僕のたった一人の妹だ」



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