(4)白の神子2
シオンはアイの暴走の後、駆けつけた教会の人間に事情を説明し、侵入者と思われる人物を追跡させた。
もう古城から遠く離れていたため徒労に終わることは理解していた。
シオンはアイが落ち着くのを待って再び依頼の続きを行った。
今のアイを一人にすることに対して不安はある。
しかし自分が傍にいる方が彼女を追い込むことになるだろう。
それをシオンは理解していた。
アイの症状は一種の刷り込みと言える。
彼女の中には「赤のマナ」が残っている。
アイは「赤のマナ」のことも知らなければ、自身にそれが宿っていることも知らない。
アイは数年前に赤のマナを宿し何日も適切な処置を受けることが出来ないまま山や森を彷徨った。あまりに長い期間に渡りマナに犯され続けたため、シオンでもマナの散らすことはできなかった。
本来赤いマナを宿した状態で人として生活することは不可能だ。
異能封じがあったとしてもその破壊衝動を抑えきれない。
シオンがアイを救うためにとった行動は、アイに対して赤のマナと全く同じことをすることだった。
自身のマナをアイに込め、内側から干渉すること。
それにより破壊衝動を大部分抑えることが出来た。
だが弊害もある。
アイ自身、無意識下でシオンを絶対の存在として刷り込みが行われていた。
始めはシオンも気付かなかった。
気付くのに時間が掛かったのは、彼女と屋敷で過ごすようになったのがすでにシオンが干渉の法術をかけた後だったからだ。
それまでの彼女のことを知らないために見落としが生まれていた。
しかし日を追う毎にシオンの違和感は積み重なっていった。
シオンのことに対して感情の起伏が激しいこと。
暴力を嫌う彼女が戦闘訓練を始めたこと。
その思いの大半が自分のためであったこと。
確かにシオンが彼女を助けた。
だからと言ってなぜ彼女が戦闘能力を求め、シオンを守ろうとするのか。
あの田舎にはそんな脅威など何もないというのに。
シオンの中ではアイの行動を代替の行為と捉えている。
干渉によって無理に抑えつけられた破壊衝動をシオンを守るという理由を付けて振るう機会を持とうとしていると。
屋敷に残っていればその衝動が起こることはなかったかもしれない。
自分ではなく、屋敷の人間を守ることに限定すれば破壊衝動は強く出ないと考えていた。いや、いずれ暴力への忌避感から戦うことをしなくなっていたかもしれない。
事実屋敷で行っていた戦闘訓練で、彼女は相手に極力怪我をさせないように振る舞っていた。
加減を間違ってものを壊したり、庭を荒らした時は真っ青になって泣きそうな顔をする子だった。
屋敷にいれば安全だったと思うのはシオンの推測でしかない。
シオンにしてもこんなケースはアイが初めてだった。
アイが本当にシオンを守りたいと思う気持ちは強くあるのだろう。
ただその気持ちは赤のマナと、シオン自身のマナによって、ひどく歪みをもってしまっているのだとしても。
シオンの立場のおかげか今回の件は侵入者を許した三神教会の不手際ということで片が付いた。
建物の弁償など特に責任を取らされることなく、逆に感謝と報奨金を貰った。
シオンとアイは濡れた服が乾いたところで教会を離れ、今日の宿へと向かった。
シオンは帰り道、考え事をしていたためアイに声を掛けていなかった。
アイはシオンの様子を気にしながらも、自分のことについて考えを巡らせていた。
今回のことで何が悪かったのかちゃんと理解している。
明らかに過剰すぎる対応。下手をすれば無関係の人間に被害を与えていた。
あの時シオンが止めてくれなかったらと考えると、体が凍るように冷たくなる。
アイはあの時被害が考えられないくらい頭に血を上らせていたわけではない。
むしろ凪いだ湖面のように冷静だった。
シオンへの害意を感じ、敵を見つけ、交渉の余地が見られないため排除にあたった。
冷静に相手を屠るために他者の犠牲を無視した。
今日の自分の振る舞いにはアイ自身が戸惑っていた。
侵入者を躊躇なく殺そうとした。銃弾の先にあるものなどはなから意識の外に追いやっていた。
自分はここまで人の命を軽く見る人間だったのか。
アイはシオンのことを最優先に考える。自分よりもずっと大切に。
それでも他人がどうでもいいなど考えない。
屋敷で触れ合った人たちのことも大切に思っている。教会の人たちにも好印象がある。
それなのに、戦っているときの自分は。
シオン以外のすべての人間を殺してしまえたらと心の底から思ってしまった。
3年前、家族と再会した時のように。
今は人を害したいなど欠片も思っていない。
人を傷つけるなど考えただけで怖くなる。
それでもアイはいつもの自分であるという確信が持てなかった。
彼女の胸は今も痛み続けていた。
シオンたちは教会本部を出てしばらく歩いたところで、行きとは違う道へ入って行った。
アイはそれに気付いてシオンの顔を伺うものの、シオンはそれに気付かないのかどんどんと先へ進んでいく。
アイもいつもなら声を掛けるが、今はそれも出来なかった。
万が一を考えて索敵を続けているが上手く集中が出来ない。人が多いせいもあるがアイの能力は古城での戦闘とは比べ物にならないほど小さくなっていた。あの時のような万能感はもうない。
しばらく歩くと、そこかしこからいい匂いが漂ってきた。
どうやら飲食店が多い場所のようだ。
匂いがしてきたところでアイはお腹をさすった。
空腹は感じるが何も食べる気がしない。
鼻に残る血の臭いで気分が悪かった。
「アイ、これ」
シオンはようやくアイに向かって声を掛けた。
僅かに厚みのある封筒を差し出して。
アイはシオンからおっかなびっくりそれを受け取った。
中にはかなりの金額の紙幣が入っていた。アイのメイドとしての俸給1年分以上はある。
「え、これ……なに……」
アイは封筒を握りしめて固まった。金額に驚いているわけではない。
シオンに大金を渡されたことで動揺していた。
自分が失態をしたから、これは手切れ金じゃないのかと。
「ん?何ってさっきの報奨金だよ。アイがボーとしていたから僕が持っておくって言ったじゃないか。聞いてなかったの?」
シオンは首を傾げアイに尋ね返す。
アイは覚えていなかった。そんなこといつ言われたのだろう。
「ど、どうして私にお金を渡すの……私、お金なんて……」
「アイが侵入者を撃退して貰ったお金じゃないか。アイのものだろう?僕が持っておく理由のほうがないと思うけど」
アイは狼狽してシオンに問い掛けるが、シオンは呆れたように返してきた。
アイはシオンの態度に戸惑った。
何の気負いもなく、いつも通りの態度。
よく考えればシオンはアイが話しかけないときは積極的に喋る方ではなかった。
だったらさっきまでの沈黙もごく自然に思える。
「シオンはさっきのこと、怒っているんじゃないの……」
アイは自分からは喋りたくない話題を敢えてシオンに振った。
シオンはアイの顔をチラリと見て、目を逸らした。
「……怒っているわけじゃないんだよ。僕自身どうしていいのか分からない……ただそれだけ」
「だからお互い、少し保留にしないかい。あまり性急に考えなくてもいいと思う。取り敢えずお腹空いたからね」
シオンはそれだけ言ってアイに目を向ける。水仙色の髪のカーテンで瞳を伺えないが口元は微笑んでいた。
「中々いいお店を知っているんだよ。僕。アクシーバ司祭の紹介だけどね」
シオンはそう言って笑みを浮かべながら、アイの手を取って歩き出す。
アイは安堵して様子で笑顔を見せシオンについていった。
食欲は相変わらずないがシオンと一緒なら無理にでも食事をとろう。彼の顔を曇らせたくないから。
アイの笑顔を見て、シオンは一人胸の痛みを抱えながら、前だけを見詰めた。
アイはシオンの笑顔を翳ることを恐れ、自分の胸の痛みを晒すことなく笑顔を取り繕っていた。
閃の月 24夜
早朝、二人の男の遺体がセントリアの街の路地裏で発見された。
身元は不明。
片方は浅黒い肌の男性。もう片方は損傷が激しく、特徴が分からなくなっていた。
この事件に街は騒然とし、警邏隊が厳戒態勢を敷くが犯人は見つからなかった。
男たちの身元も現在照会中だが、不自然なほど記録が残っていなかった。




