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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第1章〈ユキト〉
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(0.2)時を刻む2

 僕は今、どんな顔をしているだろう。

 緩みそうな頬に必死に力を入れ、瞳は潤むが、明日訪れるであろう、彼女に対する緊張と喜びとで顔面がひっちゃか、めっちゃかになってしまっているのだろうか。

 妹さんは僕の顔を見ながら、この顔が見たかったと雄弁に語る笑みを浮かべていた。

「え、本当に、く、来るの。嘘とかじゃなくて?」

 思わず体を起こすが、力が上手く入らずバランスが取れないので、腕で体を支える。

「本当ですよ。私がこの手の嘘を吐かないのは先輩もご存じでしょう?」

 さっきまでのニヤニヤ笑いではなく、とても柔らかに微笑む。こういう顔を見るとこの子も女の子だと意識してしまう。

「う、うん。そうだったね」

 彼女に似ている吸い込まれそうな瞳に、僕は妹さんから目を逸らした。妹さんはお茶の盆を持って、病室の備え付けのベッドテーブルにお茶とケーキを置いてくれた。僕は「ありがとう」とお礼を言う。

「まあ、連絡くらいは電話でもよかったのですけど、先輩が驚く顔が見たくて、じゃない、色々相談に乗ってあげようと思いまして」


 ……どちらも本音なのだろうけど、なぜ、ここまでしてくれるのだろう。

 姉妹ってこんなに色々と干渉するものなのだろうか。僕個人と妹さんは彼女のことを抜きにしてもそれなりに仲がいい。環境によるものと言えるが、僕があまり妹さんを女の子と意識していないせいもあるかもしれない。それよりも今は彼女のことだ。

「じゃあ本当なんだ……」

 じわじわと幸福な気持ちが溢れてくる。もうこのささやかな気持ちだけでいいのではと、以前なら思っただろうが、ここ一週間で僕は自分の気持ちを彼女に伝えたいという思いが大きくなっていた。

「あれ、でもどうして彼女がお見舞いに来るの?最近全く話してないどころか顔すら合わせてないけど」

「うん、私と先生が焚き付けました」

 ああ「あの」先生に焚き付けられたのか……。それは断れないな。あの人の言うことに僕も逆らえる気がしない。

 妹さんはホークでケーキを小さく切り、おいしそうにちびちび食べていた。僕もここのミルクレープが好きなので喜んで貰ってうれしい。僕もゆっくりと食べ出す。

 まだ腕の方には力が入るので、食べることはそこまで億劫ではない。ただ一週間前よりはずっと動かしづらくなっている。

 僕だけ、地球の重力が何倍にも増えてしまったような動きづらさだ。

「ありがたいけど、無理強いじゃないよね」

 確かに彼女とは会いたいが、嫌々なら申し訳ない。

「それはないですよ。元々行きたがってはいたけど、色々な都合で先延ばしにしていただけですから」

 妹さんは困ったような顔をしてそう言った。

「そうなんだ…」

 やっぱりうれしくて顔を緩めてしまう。一時期関わりがあったとはいえ、関わりが絶たれたあとも僕のことを気に掛けてくれるとは。女神やで〜〜。

「お姉さんは相変わらずやさしいね」僕は満面の笑みで答えた。

「先輩も相変わらずで……」

 妹さんはそんな僕を見て顔を逸らした。妹さんが何か呟いた気がしたが、音が小さかったので聞こえなかった。


 妹さんは彼女がお見舞いに来る時間を言うと、そそくさと帰っていった。

 そろそろ塾に行かないとまずいらしい。食器はそのままでいいといったが、強引に片付けられた。そんな非常識なことは出来ないと僕が叱られた。なぜだ。いや分かるけどね。

 妹さんもいなくなったからまた本を読むことにする。明日彼女が来るのだ。今日中に一冊でも読み終わらねば、話題に出来ないのでがんばってみる。

 ふと思ったが、妹さん…相談にのると言いながら、すぐ帰ってしまったな。本当に僕の驚く顔を見るために来ただけなのか、妹さんは。



 日が陰り辺りが暗くなってきた頃、母さんが病室に訪ねてきた。まだ室内の蛍光灯を点けていないので、病室は茜の光に染められている。

 母さんは朝の検診のとき、病院に一度来ていた。その時に用事は済ませていたから、今日は来ないと思っていたけど。


「あれ、母さんどうかしたの?」

「少しね……」

 母さんは椅子をベッドの横に置き、腰掛けた。

 母さんにしては歯切れが悪い言葉。少し緊張してしまう。夕日だけでは室内は薄暗く、母さんの顔色はいまいち分からない。

「朝の検診の時のこと覚えてる?」

「検診?様子観察の検査と問診でしょ。いつも通り体が重いのと、気分は悪くないって事くらいだったかな」

「他には?」

「他に変わったことないか、って聞かれたから変わりないって…」

 母さんは僕が言い終わる前に手を「待って」と前に出した。

「担当医の人には変わりないと答えたのね…」

「……うん」

 ………やってしまった。初歩的なミスをした。致命的なまでの。



「なんで、嘘をついたの?」

 母さんは僕の嘘が分かるんだった。

 物心ついた頃からついた嘘は、ほぼばれてしまっているし、嘘について言及されなくても、それとなく気付いているのを感じていた。

 前に何で分かるのか聞いてみると、母親だから分かると答えられた。

 なんじゃそら、とは思わない。家族は一番付き合いの長い人間と言える。そして僕は生まれてからずっと、その人生を母さんに見守られて育った。分からない道理はないが、それでも全ての親になる人間が、子どもの嘘を見抜けるなんて有り得ないだろう。

 僕は母さんの影響か滅多に嘘を吐かない。ある程度成長してからは人を困らせたり、騙したりする嘘は吐いたことがないし、吐かないと決めている。

 でも、人に本気で悟らせたくない嘘を吐くときは、僕はかなり上手く嘘がつける。それこそ僕以外の他人は、何の疑問を持たせないくらいの。

 家族という例外はあるが。

「……」

 どうしようか。母さんからは僕の嘘を責めている感じはしない。こちらの言葉をじっと待っている。

 本当のことを言えばいいのだろうか。ただ心配させるだけで、何の意味のない真実を伝えることが正しいのか。

 だが現に今、僕の中途半端な嘘で、母さんに心配をかけているじゃないか。

「ごめん、確かにお医者さんには嘘吐いたよ」

 僕は観念した。母さん相手に嘘はつけない。本当のことを話すしかない。

「やっぱりそうなのね。直接私に言われた訳じゃなかったから、はっきりそうとは分からなかったから」

 母さんはフーッとため息を吐いて目を閉じ、そしてゆっくりと瞼を開きながら訪ねてくる。

「なら本当のこと教えてくれる?」

 僕は観念して洗いざらい喋ることにした。体の重さから始まった不調は、足先から徐々に動きが悪くなっていること。今はもう立つことも出来ない。眠る時間が長くなり、起きている間も急な眠気があること。

「こんなところだよ。今の僕の状態」

「……」

 母さんはそのまま黙ってしまった。僕は気まずさを覚え、視線を彷徨わせていた。

「はぁ〜〜このことは担当医の方に報告するわよ。検診もやり直し、精密検査もお願いしようかしら」

「いや、この間やったばかりじゃないか。そんなすぐ変わるものじゃ…」

「十分変化しているわ。とにかく今からでも……」

「ちょ、ちょっと待った、母さん!今は勘弁して」

「何を言って……」

 このままでは明日のメインイベントが危ういことになる。こうなれば、全部ゲロってしまうしかない!!

「あ、明日は僕の好きな女の子がお見舞いに来るんだ!どうしても会いたい!!嘘を吐いたのは僕が悪いけどどうしても、彼女と会って話したいんだ」

「え、好きな子?あなたに?」

 ものすごく驚いた顔をしてますね、母さん。

 そりゃ、兄と違ってお前は女の子に興味がないのか、と疑われるくらい浮いた話一つない僕だけど、さすがに好きな女の子くらい出来ますよ。この手の話を親にぶちまけるのはかなり恥ずかしいな。

 顔がものすごく熱くなっているのを自覚する。

「まあ、何と言いますか。それなりの覚悟を持って挑みたいというか、まあそのあれだよ、察してください」

「ああ、明日好きな女の子と会う機会を、ど〜〜しても潰したくないということね」

「うん。簡単に言うと」

 僕は赤面した顔を逸らして答える。

「……仕方ないわね、いいでしょう」

 母さんは来たときの堅い感じは薄れ、笑い混じりに、そしてあっさり許可してくれた。

「ただし、検診を明日以降にして貰うだけで、途中経過はちゃんと担当医さんに言っておくのよ」

「もちろん!ありがとう、母さん」

 僕は笑った。満面の笑みで。本当のうれしさもあったから心からの笑顔だったと思う。

 母さんはそれから少し話をして帰っていった。

 明日は父さんと兄の仕事が休みであるため見舞いに来るそうだ。二人とは入院して以来会っていなかった。

 彼女の見舞いの時間とは、ずらしてもらっているから時間が重なることはないだろう。


 母さんが帰った後の病室で先ほどのことを思い返す。

 これで良かったのだと。

 本当の事を全て伝えることが、いいことだとは限らない。僕は嘘を吐かないよう細心の注意を払いながら、悟られたくない真実は一言も漏らさず、胸の中に納めた。

 

夕日はすでに落ち、部屋は薄闇の中。

 薄闇の中浮き上がるものは、窓から覗く街の明かりと、病室で「蒼」く輝く小さな、小さな光だけだった。


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