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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第2章〈シオン〉
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(1)風花雪月4

 シオンは光の一切なくした部屋の中、ちらちらと雪のように舞う純白のマナを操る。

 マナは規則的な動きを持ち、部屋をくるくると回り、やがてその動きを止めた。

 静止したマナが部屋を照らし、まるで星海の中にいるようにシオンに錯覚させる。

 大小さまざまな輝きと、色とりどりの光へと変貌したマナ。

 その中でも二つの大きな光がある。

 血のように赤く、他の光を飲み込むほど眩しい星。

 純粋な赤色ではなく、黒い闇が光の中に混じりこんでいる。

 周囲に他の星は一切存在しない。

 もう一つの光は空のような澄んだ青。不安定に明滅し、今にも光が消えそうな瞬間もあれば、目の眩むような光を放つ瞬間もある。

 光の周囲に様々な星が集まっている。今もなお、星の数は増え続けている。


「ふう〜〜〜。ここ最近『星見』の法術を使わなかったせいで気付けなかったけど、なかなか大変なことになっているね」

 シオンはそう言いながら、青の周りの星たちを眺める。

青の星に集まった中で比較的大きな星の色は、黄色、橙色の星。特に黄色の星は強い輝きを持っている。

「青の星が現れたのはたぶん、アクシーバの言っていた青歴617年、閃の月、8夜で確かなんだろうけど……。それだと色々矛盾があるんだよねえ」

 シオンはアクシーバから、ユキトという少年のことを一通り聞いた。

 今はオルリアン州国の州都にある王城で軟禁生活らしい。

「もし本当に彼が青であるのなら、彼が生まれた時にはすでに星が存在するはずだけど……そんなものはなかった」

「だとするなら、考えられるのは………。どちらにしろ、アクシーバの依頼を受けてしまったから、一度セントリア教国に行かないといけないしね。僕自身、彼の正体を確かめたいから、依頼自体は渡りに船だったのかもしれない」

 シオンはその後も星を眺めながら夜を過ごした。



 翌朝、シオンは使用人たちに暇を言い渡した。もちろん彼の「仮初の家族」に対してもだ。

 彼の父親役であった者に後のことを頼み、その場を後にした。

 シオンにとっては何の感慨もない。何度も繰り返してきたことだ。いちいち感傷的にもならない。

 それにシオンがここからいなくなるだけで、表面的にはこの屋敷の日常は変わることがない。

 彼の父親役の人間性は悪くないし、この領地を大切にしてくれるだろう。もともとすべての権利は父親役に渡してあるのだ。

 仮初の家族はシオンの素性を一切知らなかった。


 シオンは少ない荷物をまとめ、旅の準備をする。

 カバン一つで済んでしまう持ち物の少なさに、苦笑が漏らしながら。



 シオンは屋敷の門より塀の外に出る。

 周囲に民家はなく、畑や森、山ばかりだ。もちろん周囲に人はいない筈だったが、門には一人の少女が立っていた。

「シオン、私もついて行っていい?」

 彼女の荷物は自分と同じ、ただ一つだった。

 アイはただ一言、そうシオンに尋ねる。

「いや、アイとはいっしょには行けない……」

 そう言った途端、少女の顔が分からりやすく歪む。身長は高くなったが、相変わらず子供っぽさが抜けない。先日成人を迎えたというのにと、シオンは思い出した。

「僕はちょっと調べたいことがあってね。しばらくそれにかかりきりになる」

「シオン、もうここに帰ってこないんでしょ!私も、いっしょに行くから!」

「……アイ。僕はアイに頼みたいことがあるんだ」

 シオンは真剣な顔でアイを見つめる。アイも負けじと、垂れ目がちの瞳に力を入れ見つめ返す。

 シオンは懐から二つの封筒を取り出す。

「こっちの白い封筒は僕から君への依頼書だ。この屋敷に住む人間の警護をお願いしたい。君の裁量で構わない」

「こちらの茶色の封筒は、君の装備を整備することのできる技師への紹介状だよ。無くさないでね」

 シオンは自分でも、想いと矛盾したことをアイに薦めていることは自覚している。

 危険なことなどしてほしくはない。

 だが、この少女が何かを守るために力を求めているのなら、その望みを叶えてあげるべきだろう。

 少なくても自分についてくるより、彼女はずっと安全で幸せだろう。

 それを考えての自分からアイへの依頼だった。

 彼女を想って。

 シオンは二つの封筒を差し出すがアイは受け取らない。睨むようにシオンを見つめ返す。

「……どうしてもダメかな?」

「……シオンはいいの?また一人になる。それに私がいないと……」

「僕なら大丈夫だよ。アイに散々迷惑かけておいていうのもなんだけど結構強いから」

 シオンは力こぶをつくる真似をするが、もちろんそんなものはできない。


「知ってるよ。シオンは法術師様だからでしょ……」

 アイの言葉を聞いてシオンは固まる。

「え、法術師?そんなわけないだろ」

 内心冷汗が流れるが、顔にはなるべく自然な驚いた時の顔を張り付けた。

 シオンは術を使うときは細心の注意を払い、隠蔽の術を施している。目の前で術を使おうが気付かれないような高度な隠蔽を。

「シオンは抜けてる。私の異能が暴走しようとしたとき、助けてくれたのはシオンだよね。あのときの声、覚えていたから……」

 ああ、とシオンは空を仰ぐ。

「…………」

 一瞬嘘を重ねようかと考えるが、シオンにはそれが出来なかった。

 彼女と過ごした日々が、彼に嘘をつかせることを許さなかった。

「……確かにあの時は隠蔽せずに術を使ったね」

 シオンは素直に白状した。

 なぜ隠蔽の術を使わなかったのか。

 過去、アイに会った時。彼女は危険な状態だったし、シオンは焦っていたからだ。

 暴走により意識がはっきりしていなかったから、その時のことを覚えていないだろうと思っていた。

 暴走のキッカケとなる事件で、家族をなくした彼女を拾ったのもシオンだ。

 屋敷もあったため、彼女を使用人として雇い入れた。

 誤算だったのは彼女が異能者として自覚を持った後、彼女が戦闘訓練をし出したことだ。

 拾われたことに恩を感じ、いざというときに屋敷の人間を守れるようになれるようにと。シオンはそれを望んでいなかった。


「気付かれていたなんてね……」

 何とも情けなく、シオンは小さくため息を吐く。

「あ、でも、もう一つ気付いたことがあるの」

「もう一つ?」

 シオンは色々なことを隠している。今度はいったい何がばれているんだと戦々恐々とした。

「シオンって……もしかして……女の子?」

「違います」

「どうして敬語なの?」

「違います」

「………………」

「………………」

 シオンは自分を偽らないとさっきまで思っていたがそれとこれとは話が違う。

 正直シオンにとっては法術師以上に知られたくない事実だった。

 アイは確信があったわけではない。ただ普段の生活の中で違和感があったためこれを機会に聞いてみただけだ。

 アイ自体、あまりシオンの性別は重要視していない。彼女がシオンに抱く思いはとうに恋や愛を超えたものになっている。

「私はシオンが男の子でも女の子でもどちらでもいい、とまでは言い切れないけど。それでもシオンが女の子でも私はシオンのこと………だと思ってもいい?」

 あまりにも小さな声にシオンはアイの言葉を拾うことが出来なかった。

 アイは口を震わせながらもう一度言葉を紡ぐ。

「私、シオンのこと……か、家族と思っても……いい?……」

 アイは言葉を詰まらせながらも精いっぱいの問いをシオンに投げた。

 アイはシオンを懸命に見つめる。彼女がシオンに求めているものは。

「……家族?」

 ただ、シオンを無垢に慕い続けたいという願いだけだった。



 シオンはアイから目を逸らし、むき出しの地面に顔を向けて口をつぐんだ。

 僅かにそよぐ風が葉を揺らす音を奏で、二人の間にカサカサと音を届けていた。

 やがて絞り出すように声を震わせながら答える。

「……それは……できないよ……」

「僕はアイにたくさん隠し事をしている。今だって嘘をつき続けているんだ。僕に……家族をつくる資格なんてないよ……」

「全てを諦め続け、ここに至るまで多くの人に触れ、その何倍もの人の死に触れてきた」

「もう、僕は人と深く関わりたくはなかった」

「寂しくても、孤独でも、空虚でも、無関心でも」

「亡くすことが決まった関係など、もう、求めたくないんだ」

 ゆっくりと上げられたシオンの顔は、表情がなく、悲しみも見えない。

 ただ無情であり、人の抜け殻のようだった。

 

 アイはシオンの顔を見詰めた。そして笑う。憂いなどなく、暖かな春の陽気を運ぶそよ風のように。

「やっと、シオンが話してくれた……」

 アイはシオンの頬を両手ではさみ、押し潰した。異能の力で。

「ぶにゃああああ〜〜〜ひじゃい!ひじゃいからあ〜〜!」

 シオンの無表情など、どこへやら。必死に拘束を解こうとするが、悲しいかな腕力が違いすぎてビクともしない。

「シオンは難しく考えてるけど、そんなに難しく考えなくていいんだよ」

 シオンの頬にかかる力は緩まらず、だんだん強くなっていく。顎からキシキシと嫌な音が聞こえてきた。

「シオンは私を助けてくれた。もうその時から私たちはただの関係じゃないんだよ。シオンにとって大したことじゃなくても……私にとってはこれから先、ずっと心と体に刻んで生きていくことなんだから……」

 アイの力が抜け、労わるようにシオンの赤くなった頬をさする。

 シオンはアイの言葉を聞き自分の傲慢さに思い至った。

 アイは満面の笑みを見せながら、その瞳が不安げに揺れていることに気付く。

「永く……永く、生き過ぎたのかもしれない。いつの間に僕自身が神様を気取るようになっていたなんてね」

 シオンは下を向き、呟く。距離が近いため当然アイにも聞こえているが、アイはシオンの頬を撫でるだけで何も言わない。

 しばらくアイに触られるままにしていた。

 シオンにしてもなかなか踏ん切りがつかなかったのだ。

 唇を一度強く噛み、意を決して顔を上げ、アイの問いに答えた。


「アイ。僕は君のことを――――――」

 

 言葉にしようとした。

 でも、できなかった。緊張でうまく言葉が出ない。

 頬がさっきとは別の理由で赤くなる。

 アイはシオンを安心させるように、正面から彼を抱きしめ背中を撫でた。

 ゆっくりと撫でる手。温かく柔らかな感触は、人との接触を避けてきたシオンにとっては、懐かしさと、悲しみを感じさせるものだった。

 シオンは自分の中に溜まった、澱を吐き出していく。

 自分がずっと神様のふりをしていた、ただの人であることを思い出しながら。


「僕は、僕は、君のことを………娘のように思っている」

「僕は、君が考えているよりずっと永く生きてきた。もう本当の家族の記憶など曖昧で、僅かしか残っていない」

「かけがえのない友を失ってからは、僕は一人きりだった。周りにどんなに人がいようと、親しい人ができようと、同じ時間を共有することができず、みんな去っていく」

「僕に死を選ぶことはできない。生き続けなくてはいけなかった。だから、人との関わりを断つこともできなかった」

「アイを助けたのは、正直に言えば義務感からだった。君をあのまま放置するのは危険だったからだ」

「僕は君がこの屋敷に来てからの生活をよく覚えている。君は辛いことがあったのに、屋敷のみんなの前ではとても明るくて、働き者だった。みんな君からたくさん元気をもらっていたよ。ボクも含めてね……」

「君がここを去ろうとしたとき、冷たくしたのに、それからも僕に構って来ていたね。そうか、今にして思えば僕が助けたことをちゃんと覚えていたから僕に関わろうとしていたんだね」

「シオン。私は、すごく怖かったの。自分の中に得体のしれない何かがいるみたいで。自分が自分でなくなるみたいで。ただ助けてくれたんじゃないよ。シオンは気が付いているか分からないけど………。うんん、これは言わないでおくね」

「シオンや旦那様や屋敷の人たちは食べるものも、住む場所も、着る服も用意してくれた。それに私に使用人をさせてくれたのも、シオンでしょう?」

「買い被りだよ。一応隠れ蓑にしている屋敷だったから、利用しようと考えただけだよ」

「シオンが言うならそれでもいい。でも私はみんなやシオンにたくさんのものをもらった。シオンは私に温かさをくれた。私のことを気にかけてくれた」

「僕もアイからたくさんのものをもらったよ。本当に返しきれないほど、たくさん……」

「返さなくてもいいよ。私もシオンに返さないから。私のこと本当に娘と思ってくれるなら、私たちは返したり、返されたりの関係じゃないよね」

 シオンはアイの体から身を離し、彼女の優しげな顔を見ながら呟いた。

「これじゃどちらが親か分からないね……」

 シオンは苦笑し、アイは楽しそうに笑った。



 シオンは自分が女性であることは明かしたが、その姿までは見せなかった。隠蔽して術を使えば問題ないがそれなりに手間がかかる。アイもまたの機会にということで納得した。

 屋敷のみんなとはアイたっての希望で、ちゃんと別れの挨拶をした。みんな寂しそうにしながらも笑顔で見送ってくれた。

 アイは父親役の男から「シオンを頼む」と、怖い顔で詰め寄られていた。アイには彼の目に光るものが見えていた。


「お母さん。それでどこに行くの?」

 屋敷を出てから突然そう呼ばれ、シオンは赤面してしまう。

 アイもちょっと耳が赤くなっていた。

「アイさん?ちょっといきなりそれはハードルが高いよ?それに人前でそんなこと言ったら、絶対僕の名前、オカアさんになっちゃうからね。今まで通りシオンでお願い」

「ん〜〜〜。残念だけどそうする。私もまだ本当の姿を見てないから違和感があるし」

「(本当の姿でも、人前で僕をお母さんと呼ぶのは遠慮してほしいけど)それで宜しく」

 シオンとアイは荷物を担ぎ、門から出る。

 道は整備されておらず、土がむき出しの道が地平線まで見えるほど続いている。

「行先は馬車が来てから説明するよ。僕は取り敢えずセントリア教国に行かないといけないから鉄道駅にまずは向かうよ」

そういうとアイは瞳を輝かせてはしゃいだ。

「鉄道に乗れるの?やったー!」

 シオンの罪悪感は刺激されるが、ここはそれを飲み込んでアイに語り聞かせる。

「ああ、鉄道なんだけど今回はちょっと乗れないんだ。色々あってね。その辺りのことも馬車の中で話すね」

 説明は馬車に乗り、隠蔽の術を使って行うつもりだ。隠蔽の術は外で使うと何かと制約があるため、シオンは緊急でない限り室内などの限定された空間でした術を使わない。

 アイはまだ納得はしていないものの、話を聞く気にはなってくれたみたいだ。

「うう、分かった……」

「ありがとう、アイ。できた娘をもって鼻が高いよ」

 シオンはそう言ってアイの頭を撫でた。どうしても背丈が違うので不恰好になるが、それを指摘する人間はここにはいない。

「えへへ〜〜」

 相変わらず見かけより幼い少女の様子に、悪い虫がつかないか不安になる、新米母だった。



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