(0.2)時を刻む
僕の過ごしている病室は個室で、かなり居心地良く出来ている。昔、祖母が入院していた時に訪れた病室は、病院の臭いや雰囲気がどうしても苦手だった。まあ、居心地の良さは感じても、部屋が綺麗でも、やはり苦手なことは変わっていない。
僕は一人でいることを苦痛に思ったことはなかった。誰かといることは常に息苦しさを覚えていた。
それなのに今は一人でいることに息苦しさを覚えている。何かが変わった訳ではないと思う。元々僕の中にあった感情がようやく見えたのかもしれない。
朝の検診が終わり、本を読んでいるとインターホンが鳴った。液晶画面に見知った顔が写ったので「どうぞ」と答える。
「やっほ〜先輩、どうもです!」
「ああ、どうも妹さん」
妹さんは約束の時間より早く訪ねてきた。今日は土曜日で学校も休みだが、妹さんは中学三年生。受験のために塾に通っている。暇ではないだろうに。
「どうですか?あれから」
「………進展なしです、はい」
「まあ、分かってましたけどね。お姉ちゃんも何にも言ってなかったし。相変わらずですね、先輩」
妹さんはやれやれといった感じで両手を挙げ、処置なし、というように首を振る。嫌みなほど様になっている。
「面目次第もありません」とりあえずキリッとした顔で謝ってみた。
改めて妹さんの顔を見つめたが、大層な男前だ。
髪はベリーショートで僕の髪より少し長いほど。顔は色白でかなり整っている。眼鏡を掛けているが、切れ長の瞳によく似合っている。それに、女性にしては低めの中性的な声。
始めは冗談抜きで妹さんを男と勘違いして、彼女と話しているのを見て嫉妬心を抱いたものだ。この事実は墓の中まで持って行くつもりである。
実際のところ、私服も男物とそう変わらないので、彼女のことを男だと勘違いしたことのある人間は、僕だけではないはずだ。といか女性物の服を着ているのを見たら、失礼ながら違和感を持つことだろう。まだ見たことないけど。
「なんです?じっと人の顔見て」
「いや、姉妹だから当たり前かもしれないけど、よく似ているなって」
「そうですかね?イマイチぴんとこないですけど」
「兄弟もそんなものだけどね。僕も兄とよく似てるって言われるけど、自分ではそうは思ってないし」
妹さんと彼女は実際かなり似ている。初対面の時は嫉妬のせいで目が曇っていたけど。
目や顔の輪郭などほんとにそっくりで、妹さんが髪を伸ばせば十人が十人、彼女たちを姉妹と思うだろう。顔が似すぎているせいで、けっこうドキリとすることがある。
「それじゃあ先輩は私の顔けっこう好きだったりします?」妹さんがいたずらっぽく聞いてくる。
「いや、好きも嫌いもないよ、別に」
「ひどっ!先輩容赦ないですね」
「誰かを……好きになって、その人の顔も好きになるっていうことはあると思うけど、始めから好みの容姿があるわけじゃないからね。たぶん僕は一目惚れすることはないと思うよ」
「……まあ、確かに先輩は一目惚れなんてしないとは思いますよ。個性的な性格ですし、納得いきます。ただ先輩は好意の自覚が遅いとは思いますけど…」
あれ?妹さんの雰囲気に険が出てきた。何か気に障ること言ったかな。
「えーと自覚が遅いって、どゆこと?人の好意に鈍感とかそんなの?」
「ちょっと違います。先輩は誰かを好きになったとしても、それに気付かないからです。在る地点、時期に明確に先輩が相手に好意を持っていても、鈍い先輩はまるで気付かず過ごします。そしていくつかの感情を刺激される出来事があって、あれ?何か良くこの子のこと考えるなあ、と思っても、まあいいかと暫く放置。そして自分を振り返る機会が出来たときにやっと好意を自覚すると言うような感じです。要は自分自身の気持ちに鈍感です」
なにその超推理。妹さんは僕のオカンか!
そんな言い方をされると、僕がすごく物臭に聞こえるよ。
「いやいや、僕ってそんな感じに見えているの?そこまでぽやぽやしてないと思うけど」
「だって、私が先輩にお姉ちゃんのこと好き?って聞いたときも、きょとんと、していたし」
「あれは意外なこと聞かれてびっくりしただけで、あの時点では別に彼女のこと好きじゃなかったよ」
「先輩、端から見てると絶対恋してるって感じでしたよ。……鋭くない私でも分かるくらいに」
「えー?」
「お姉ちゃんが、男の人と仲良さそうに話していて、先輩がそれを見て気分が悪くなっても、それがどうしてか考えたりしなかったですよね。私から見ても嫉妬してるように見えましたよ。他にも分かりやすい反応、結構ありましたから」
「そう言われると(妹さんに嫉妬した)心当たりはあるけど、なんでそれで好意があることに繋がるわけ?」
妹さんは、表情筋の働きを器用に止めた。
「うん、そういうところだよね。普通だったら……いや、もういいです。私も考えることを放棄します」
妹さんは、何かを諦めるような儚い顔をした。僕が何かしたのかと罪悪感が湧くではないか。
「はあ……気分転換に甘い物でも食べましょう」
妹さんがため息を吐く。僕のメンタルがダメージを受けた。
妹さんは鞄の中から、小さい箱を出した。二つあるから僕の分も持ってきてくれたらしい。
お菓子と言えば……。
「妹さん。冷蔵庫の中、いい物入ってるよ」
「え、冷蔵庫ですか?」
僕は億劫さを見せないように冷蔵庫を指さす。妹さんもすぐ冷蔵庫に近付き、中の物を取り出す。速い。
「ええっ〜〜〜!ものすごくぎっちり詰まってる!果物、プリン、ヨーグルト、ジュースにスルメイカ、カルバス、これは駄菓子?なぜ??」
「家族と親戚が色々持ってきてくれるから。スルメイカとかは友達と部活仲間が持ってきたものだけどね」
「先輩、意外に人徳在りますね。こんなに慕う人がいるなんて」
「妹さん、大いに誤解してるよ。詳しく説明できないけど、部活の奴らのおみあげには明確な悪意が隠れているからね」
「??」
まあ、分からないだろう。そのままの君でいて欲しい。
「一番上にミルクレープが有るからそれ食べていいよ」
「いいのですか?遠慮しませんけど」
そういって、そそくさとお皿と紅茶を準備する。妹さんはもうどこに何があるのかしっかり把握している。僕はまだ入院にして1週間しか経っていないのに、妹さんはすっかり馴染んでいる。
「そういえば妹さん、今日何の用だったの?塾だってあっただろ」
テキパキと準備をしながら「ああ」と思い出したように答える。途端ニヤニヤしだした妹さん。え、何なの突然。
「えーと、どうしましょうかねえ。教えてもいいですけど、黙っていたい気持ちもありますね」
「いや、塾を休んでまで来たのに、用事済ませないの?」
「まあ、そうなんですけど。用事は半分終わったし、このまま帰っても私は困らないですから」
「つまり、僕が困ることなのかな?」
「察しが良くて助かります。他のことにもそれくらいの機微が持てるといいのですけどね」
妹さんは本当に後輩なのだろうか。僕のメンタルに追撃を加えないで。
「そんな傷ついた顔しないでください。意地悪しないで教えますから」
妹さんは、いたずらっぽく。
「明日、お姉ちゃんがお見舞いに来ますよ」
そうのたまった。




