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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第1章〈ユキト〉
35/114

(9.2)幕間.わたしの弟4.  遠い背中

 青歴617年 閃の月 8夜 くもり


 今日は鉛色の雲におおわれて、晴れ間が全然無い。

 暗い色の空。

 何だか今のわたしの気持ちみたいと言ってしまうと気取りすぎだろうか。


 せっかく州都の観光だったのに、凶悪犯が出たと言うことで、駅前大通りとその周辺に外出禁止の警告が出た。まったく外に出られないわけじゃないけど、外出する人はいないだろう。

 それにお父様から聞かされた話。犯人は異能者だと言うこと。

 それを聞いてからもの凄く気分が悪い。お腹の辺りがしくしくと痛んでいる。

 何にも出来ないし眠ることにした。起きていても色々考えてしまう。

 横になってみるとすぐに眠ることが出来た。



 次に起きた時の記憶は殆ど無い。起きたとは思うけど、とても曖昧な記憶だ。

 わたしの意識がはっきりしたのはどこか分からない、暗い場所でだ。


 目の前にユキトがいて、心配そうな顔をしている。

「ユキト…?ここってどこだっけ?ホテルで寝てた気がするんだけど……」

「姉さま、落ち着いて聞いて。ここは……」

 違和感を覚える。体がおかしい。

 全て五感が普段とは比べ物にならないくらい感覚が広くて深い。この感覚を私は知っている。

 わたしは自分の右腕を見た。そこには有るべきものがない。

 銀色に輝く、わたしの命綱と言える異能封じの腕輪がない。

 わたしの目がユキトを捉え、またあの恐怖心がよみがえる。

 自分が犯してしまったことへの恐怖が。ユキトを傷つけてしまう恐怖が。わたしがわたしでなくなる恐怖が。

「無い、無い、無いよ!腕輪が無い!あれがないと……」

 わたしは地面に手をつき辺りを探す。薄暗くても目にははっきりとものが見えていた。


「姉さん!!」

 ユキトは今まで聞いたこともない大きな声を上げた。私は叱られたように感じ、肩すくめてしまう。

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 わたしはユキトに何度も心の中で謝る。傷つけてごめんなさい。痛い思いをさせてごめんなさい。怖い思いをさせてごめんなさい。


「姉さま、大丈夫だから落ち着いて。姉さまも僕も、何ともなってないよ。元気だし、怪我もしていない」

 ユキトからの言葉でユキトのことを見る。怪我してない。体も何とも無さそう。

 ユキトがこちらを見詰めてくる。琥珀の瞳を見ていると、混乱していたわたしの心のざわめきが凪いでいく。

 そうだ、混乱してはいられない。

 わたしが持ち直し………。

 バシャ。

 わたしの目に赤が見える。ユキトが赤に濡れている。

 血まみれのユキト。血が私の地面についた手に流れてくる。



 硝子を踏み砕く音が自分の中からした。

 そこから冷たい何かがわたしの中に入ってくる。

 視界は赤いものにおおわれ、そこには何かが映る。

 ああ、だめだ。これは違う…。違うものだ。目の前にいるのはいらないもの。違うものだ。

 拳を振り上げる。

 違うものを排除しないと。私がほしいのは愛おしいものだけ。

 拳はうなりを上げ、違うものに向かう。

 拳は違うものに当たらず、地面を叩いていた。

 なぜだ。違うものは殺さないといけないのに。

 もう一度殴ろうとすると、左手が勝手に右腕を掴んできた。

 右腕が押さえつけられ、砕かれていく。

 痛みは感じない。何だというのだ。なぜ私の腕が私の邪魔をするの?

「姉さん……」

 違うものが何か言った。殺そう。

「うう、ユ、キト、大…丈夫、だから……わたし……ぜっ、たい、ぐうっ、うう、負けない…こんな、こんなものに」

 私の口が勝手に喋る。なんだ?私は何を喋っている。

 私は……。


 目の前に別の何かが現れた。何かは私を見下ろしている。

 突然違うものに襲いかかった。私は全力でそれを阻止していた。体が勝手に動いている。

 何かはユキトを襲おうとした。許せない。私は放り投げ、手近なものを何かに向かって投げつけた。

 私の体はどうしたのだ。なぜユキトを守ろうとしている。私はユキトを殺したいのに。体と意志が齟齬をきたしている。私は何がしたい。

 何かはまだ生きていた。

「あーまさか、こんなことになるとはね。すばらしい姉弟愛だこって。坊主、お前の姉さん、怪物じゃなくて化け物だな。本来耐えられるもんじゃないんだが……」

 はっきりとこの男が喋ったことが、私に、わたしに聞こえた。

 黙れ、人間がユキトに気安く話かけるな。

「黙れ。ユキトに気安く話しかけるな……」

 また勝手に私の口が動く。わたしの思考が勝手に働く。

 体と意識が繋がっていく。私はわたしだ。わたしは私だ。

「悪かったな、嬢ちゃん。だがな、化け物はお呼びじゃねぇのさ。おれの筋書きと変わっちまうんだわ。嬢ちゃん達みたいな好条件の素材。会える機会なんてもう無さそうだからよ」

 わたしの体からは、別の力の胎動がある。あの時と違う。隅々まで自分の手が届いていくような感覚。私がわたしに融けていく。

 今なら何だって、出来る。

 わたしは瞬きをした。その次の瞬間に。

 


 ユキトは男に殴られ、壁まで吹き飛んだ。何の反応も出来なかった。

「だから大人しく、怪物になってくれよ」

 男がそう呟くのを聞いた。

 

 

 壁に叩き付けられたユキトの元に駆け寄る。

 痛みに悶え、喘ぐように呼吸を繰り返す。呼吸にさえ苦痛を感じている。

「さあ、嬢ちゃん。てめえの大事な弟が、死にかかってるぜ?しっかり加減して殴ったからよ。すぐ死にはしねえ。ゆっくり狂いたくなる痛みを全身に感じながら、じわじわ死ぬ。いいのか?嬢ちゃん。弟を助けてやらなくてよ」

「そいつはもう助からねえよ。せめて楽に死なせてやるのが、情ってもんじゃねえのか」

「いいのか。弟を助けなくて、苦しくて、痛くて。楽になりたがっているんだぜ」


 男の声が遠く、でも確かに聞こえる。

 また体と心が分離していきそうになる。右手がゆっくりとユキトの細い首に向かう。

 今のわたしの力なら何の苦痛も与えずに、ユキトを楽に出来る。

 そうだ。助からない。

 ならせめて一番辛くないように、私が殺してあげたらいいじゃないか。

 そうだ。最初にしようとしていたことと何も変わらない。ユキトを殺してしまえばいいんだ。

 安心して、寂しい思いはさせないから。全部殺してあげるから。お母様も、お父様も、ミリアも、ベンジャミン様も、ユキトの好きな人、みんな殺してあげる。

 あの男を一番最初に殺すわ。惨たらしく殺してやるわ。ユキトの為に。あなたのために。

 寂しくないようにこの街の人間もみんな殺してあげる。そうしたらみんなで観光しましょう。行きたいところをリクエストしてくれたら、その街の人たちもみんな殺してあげるから。

 それで、みんなで、幸福になるの。

 みんな、私が、この力で。

 人間をみんな殺したら幸せになれるわ。

 寂しく、ないよ、ユキト……。


「なか、ないで……ないて、ほしく、ない…ぼくは……」

 ユキトはまだ、意識があった。いや、焦点が合わず無意識でしゃべっていた。

 わたしは泣いていないのに、虚ろな瞳に、わたしへの気遣いの色をたたえて何かを伝えようとしている。

 ユキトはわたしがユキトの首を絞めようと伸ばしていた手を握る。汗ばんで冷たい手。わたしの手も汗でグッショリとしていた。

 やわらかく包まれたユキトの手からは力がほとんど感じられない。

 わたしにはもう、なにもできなかった。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。わたし、ユキトのこと、楽に、して、あげられない、助けても、あげられないよお……」

 ユキトの顔から生気が消えていく。何で、何も出来ないの。涙が止めどなく流れる。どうしてわたしはこんなに無力なんだ。


 何かの音が連続して聞こえてくる。意識を向けなくてもわたしの感覚はそれを捉える。

 でもわたしは目を向けることができなかった。

 わたしはユキトのことを見ることしかできない。

 聞くことしかできない。

 何が起こっていようと関係ない。わたしにできるのはユキトのそばにいることだけ。



「何も、ない…。何もでき、なかった…。まだ…や…、あったのに、時間なんて、いくらでも、何でも…思っていた……ガフッ、ゴホッ」

 苦悶の顔をしながら言葉を発するユキト。

 ゆっくり周囲の空気が変わりだす。

 肌にじりじりとした、空気が触れる。怒りだと分かる。

 わたしのものとは違う。破裂し噴き上がるような怒りをユキト発している。青い顔に、瞳に、その体に治まらない激情を発散させて。

「奪うな……。僕からこれ以上奪うな!!」

 途端に周囲に光が瞬く。

 青い光たち。見渡す限り全てを青に変えていた。

 閃光はこの場を全て青に染め抜き、わたしにはユキト以外の全てが見えなくなってしまった。

 ユキトの体に集まった青い光は、ユキトを慈しむように、その身によりそう。

 閃光が消えた後は、すごいことになっている。

 天井に大穴が空いて、その上の雲にまで穴が空いていた。本当にまん丸の穴で、太陽の光をさんさんと降らせてくれる。


「僕はヘタレで、不器用だけど、僕を好きだと言ってくれた彼女の為に、情けない姿は見せられないな」

 ユキトは自分に言い聞かせように、呟きをもらした。

 わたしが知らない顔で。大切な、敬虔なものへの愛を説くように。

 その顔を見ると、わたしの胸はひどく痛んだ。


 ユキトの体を包んでいた光はユキトを癒し、光はユキトの右手を通してわたしにも流れてくる。

 体が暖かな陽だまりに包まれているようで、荒れ狂っていた気持ちはいつの間にか落ち着きを取り戻していた。

 気付いたときには体の傷はおろか骨折まで綺麗に治ってしまっていた。


 それからのことは、わたしは正しく認識できない。

 ユキトは光を操り、二人の人間を治療し、怪物を倒した。

 言ってしまえばそれまでだが、そのときの認識はその程度でしかなかった。

 ユキトの振るう力がどれだけ桁外れで、二人の狩人やわたしに施した治療が法術師にすら不可能な技だとは分からなかった。

 ユキトが無事で、全部が終わって、安心してしまい。泣いてしまった。

 



 あの後、わたしたちを誘拐した人物は逮捕された。

 わたしとユキトも警邏隊に保護されることになったが、わたしは異能封じの腕輪が無くなってしまったので、新しいものが出来るまで外出禁止。ホテルで軟禁となった。人との接触も殆ど出来なかった。

 ただ異能はわたしに馴染んでいた。

 あのとき起こった衝動がわたしの中に融けて消えた後、力のコントロールが出来るようになっていたのだ。たぶんそれだけが原因じゃない。ユキトの光が流れ込んだ影響もあると思う。


 お母様とお父様も毎日会いに来てくれたけど、ユキトは一度も訪ねに来てくれなかった。

 あれから体調を崩したのか、ほとんどベッドの上で過ごしているという。わたしなんかよりよっぽど体調がよくない。

 でも回復してきているため、わたしの腕輪ができ次第屋敷に帰られるそうだ。

 グレゴさんもあの誘拐犯と会っていて、怪我をしたけど、命に別状は無かった。

 正直ユキトにどんな顔をして会えばいいのか。

 それ以上にわたしはユキトがどう思っているのか気になっていた。



 青歴617年 閃の月 15夜


 わたしの異能封じの腕輪が出来上がって、調節をしてもらった。

 調節者はベンジャミン様だった。

 わたしの調節はすぐに終わり、これで軟禁生活も終わりだ。わたしは久しぶりにホテルの部屋の外に出た。


「ありがとうございました、ベンジャミン様」

「気にしなくていいさ、僕もこっちに用事があったからね」

 わたしが外に出ると、お父様とベンジャミン様が廊下で話していた。

「それは……ユキトに関することですか……」

「ここでは話せないよ」

 二人はすぐにどこかへ行ってしまったため、何の話か分からなかった。

 ユキトのことだろうか……。なんだか胸がざわざわする。すごく嫌な感じが……。


 ベンジャミン様は忙しかったようですぐに帰ってしまった。

 わたしはやっと外に出られるようになったので、お母様とジアードさんと一緒に出かけた。

 ユキトは大事な用事があるらしく、今はホテルにいないようだ。

 お母様、お父様に聞いても教えてくれない。わたしはあの事件のことかと思っている。でもわたしは最初の取り調べくらいで特にその後の呼び出しはない。

 一週間ぶりに街に出るともの凄く活気に満ちていた。人が多すぎて溢れかえっている。


「お母様、今日ってお祭りでもあるの?」

「いいえ、違うわ。最近はずっと賑わっているわね……」

 お父様もお母様も、ジアードさんも最近は何だか、かげがある気がする。

 疲れているわけではなく、暗いというのだろうか。それを隠しているような。無理をしているような。

 少し歩くと気付いたが、多くの人がお城の方を見ている。お辞儀したり拝んだりしている人もいる。

「ねえ、お母様。わたし、王城にいってみたい」

「お城へ?近くで見たいの?」

 お母さんの顔が強張っている。お母様は行きたくないのかもしれない。なら止めようかな。

「そうね……。行きましょうか。私も一度近くで見てみたかったから……」

「奥様……」

 お母様の顔は明らかに「見てみたい」というように心躍らせる様子では無かった。何か重たいものを感じる。

「やっぱり止めようかな。人が多いみたいだから……」

 そう言ったわたしを、お母様は柔らかに微笑みかける。

「ふふ、ナディアに気を遣われてしまったわね。いいのよ。私も行ってみたいのは本当だから」

「そうなんだ……なら、行こうかな」


 人の混み合う中、3人で王城を目指した。人が多かったけど、運良くジアードがカゴ馬車を拾ってくれたので、すぐにお城に着いた。

 王城には一定範囲に近付けないように柵が張られ、騎士が多くいた。それでも見物人はたくさんいて白亜の城を見ている。


「『あお』様を一目でも見てみたいな」

「なんでもまだ子どもらしいぜ。だから教会が保護しているんだと」

「どうやら熊みたいな大男らしいぞ」

「絶世の美女って聞いたが本当か!」

「ここ一週間、城に籠もっているらしい」

「もう魔物に怯えなくてもすむようになるかもな」

「なるさ!あの光を見ただろ。『あお』様がいれば魔物なんて目じゃないだろ」

「未開地も開拓されるんじゃないか?」

「いつ実物が見られるんだろ、伝説の『あお』様を」


 集まった人たちは口々に「あお」と言う名前を出す。どうやらその人物目当てのようだ。

「お母様、この人たちの話しているあお様って、あの600年前に世界中の魔物を倒したって言う人のこと?」

「……ええ、そのお方と同じ力を持った方が、このお城にいるから、みんな浮かれているの」

「へー、そんなすごい人がお城にいるんだ」

「ええ……」

「すごいね。ユキトもすごかったけど、どっちがすごいんだろう?やっぱりあお様の方がすごいのかな」

「ナディアはみたのよね。ユキトが法術を使うところを」

「何回も言ったじゃない。本当だよ。信じられないならユキトに見せてもらえばいいよ」

 お母様とお父様は何度もわたしに確認を繰り返していた。本当にユキトだったのかと、その場にいた別の人間ではなかったのかと。そろそろウンザリしてきた。そんなにわたしの話はおかしいだろうか。

「………」

 そして質問の後は、両親の顔は決まって暗くなった。

 わたしはお城を見るのに飽きて、ホテルに戻った。





 わたしの中で、ユキトの存在は家族であり弟だ。


 弟が法術を使えたとしても。

 

 自分の弟が、祭り上げられるような人間だとしても。


 どんなに……遠い場所にいても。



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