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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第1章〈ユキト〉
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(8)青と呼ばれるもの

 体を引きちぎられるような痛みが走り、体が壁に叩きつけられる。

 始めは、痛くて、熱くて、苦しくて、頭が変になりそうだったのに、今はとても落ち着いている。

 もう何も感じない。


 体は血に沈み、目の前には灰色をした地面と広がる鮮血だけが見える。

 僕はここで死ぬのかな。

 体から何かが、どんどんと抜けている気がする。

 もう、痛みはない。とても眠い……。

 どうにも抗いがたい眠気だ。今、眠れたらとても気持ちがいいだろうな。


 自分の感覚がなくなり出してから、気持ちだけが独りでに僕に訴えてくる。


 ひどく悔しい。

 理不尽を感じながら死ぬのか、僕は。このまま。


 歪む視界に、誰かが見える。

 すごく悲しそうな姉さんの顔……。

 ほっといてくれればいいのに。もういいから。怒ってる?どうして姉さんを怒るのさ。怒ってないよ……怒りなんて、湧きようもないから。僕は泣いて欲しくないよ。泣かないで。怒りは湧かないけど……けど悔しいんだ。


「何も、ない…。何もでき、なかった…。まだ…や…、あったのに、時間なんて、いくらでも、何でも…思っていた……ガフッ、ゴホッ」

 無理に声を出して激しくむせた。

 痛みが一時的に戻ってきて、眠気を遠のかせた。

 まだ、僕は生きている。

 痛みだけが僕の命を感じさせていた。


 やがて痛みもなく、意識が暗がりに突き進む中、何かが聞こえていた。

 耳などとうに聞こえない。

 目も見えない。

 手足があるのかさえも分からない。

 でも確かに暗いそこから響く声。

 鬼哭と呼ばれる痛ましい声。

 どこかで聞いたことのある声を。

 

(違う、違う、違う、違う!こんなことじゃない、「私」は誓った。あの子を幸せにするって!絶対に助けるって、こんなところで死ぬ?冗談じゃない!自分の全てを投げ出して「私」は××××を?)

 自分のものでない。凄まじい悔恨の念が体中に流れ込んでくる。

 痛みさえ伴う思いに、胸をきつく押さえる。

 手が動く。

 (「××××」を?……「××××」?思い出せない。彼女の名前が、どうして……?)

 それはやがて疑問、哀しみ、苦悩に変わり、正体不明の意識は僕から遠ざかっていく。

 代わりに、頭の中で前世の記憶が水泡のように浮かんでは消え、また浮かぶ。

 僕は過去存在した友人、家族、自分の名前が何なのかさえも思い出せなくなっている。大切な人たちの顔。

 僕は1度死んだ。

 でも、すべてを奪われてはいない。

 まだ確かに覚えていることが有る。僕に残った思い出の欠片。大切な人たちと交わした言葉を。

 僅かに残っていた記憶が呼び水になり、今まで思い出すことのできなかった記憶たちが、想いがよみがえってくる。この世界に生まれてから思い出せなかった、最後の日の記憶。

 僕が忘れていた。大切な彼女と交わした最後の会話を。

 そして死ぬ間際に見た「蒼」の光を。

 

 死んでしまえば、この小さな欠片さえ消えてしまうだろう。

 また僕は死ぬのか。

 また奪われるのか。

 なんて理不尽なのか。

 勝手なのか。

 無残なのか。

 僕から全部奪うつもりなのか。

(何もかも。絶望しながら死は「私」から全てを奪うのか!)

「奪うな……。僕からこれ以上奪うな!!」


 わずかな記憶さえ奪おうとする死に、憤怒する。

 先ほどの意志が見せた激憤を思わせる感情の炎を高々と燃え上がらせて。

「私」の想いは燃え上がる。

 大切な記憶はどんどんと燃え上がり、一度は消えた「私」の想いを喚起する。

 力の芽生えとともに記憶はどんどんとくべられ燃え上がる。

 記憶がなくなれば魂を燃やす。

 唇を噛みしめ、体に、拳にあらん限りの力を込める。

 足が動く。

 周囲のざわめきが遠のき、感覚の鈍さが嘘のように晴れていく。それどころか、今までないほど研ぎ澄まされていく。

 耳が聞こえる。

 潮の香りと、血の臭いが鼻を突く。

 倒れた後、黒に染まりきっていた視界には、「蒼」が瞬いて見えた。

 漆黒の中、確かに存在する光。

 暗闇に覆われた視界は色を取り戻す。

 この世界に来てから見えなくなっていた光。

 光は次第に強さを増し、広がりを見せる。

 今にも消え入りそうだった「蒼」は僕の激情を糧とするように変化し、目映い煌めきを放った。

 

 

 地を穿つ爆発音と共に、閃光が炸裂し周囲は青の光に包まれる。

 光が収まりやがて色が戻ってくる。

 僕は立ち上がった。

 その目に最初に見えたのは。

 

 雲を切り裂いて覗く蒼天の空だった。

 暗雲の中、太陽の光が降り注ぐ。どんな分厚い雲に覆われていても、空は何も変わることがない。ただ見えなくなっているだけなのだ。

 改めて考えることではない。常識だ。

 でも在ると分かっていても、見えなければ理解することは出来ない。ずっと雲に覆われていれば空の明るさも忘れてしまう。

 ならば見ればいい。暗い運命を打ち破り、その先を。

 これから。

 「僕はヘタレで、不器用だけど、僕を好きだと言ってくれた彼女の為に、情けない姿は見せられないな」

 名前も知らない彼女は、僕の真っ直ぐさが好きだと言っていた。

 ならまず卑屈さから何とかしよう。この場を乗り切って、家族とちゃんと向き合おう。

「手を貸してもらうよ『蒼』」

 蒼は僕に寄り添い、小さく瞬いた。

 


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