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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第1章〈ユキト〉
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(7)灰かぶりと太陽5

 ユキトは壁に吹き飛ばされ、ゴムを打ち付けるような音と共に壁に衝突し、その身を地面に横たえる。顔は苦悶に染まり、痛みに顔を喘がせて。


 ナディアはすぐさまユキトに駆け寄り、体を抱き起こそうとしたが、体が固まってそれが出来ない。

 今の彼女に異能封じの腕輪はない。下手に触れればユキトを壊してしまう。

 その事実がナディアの体を縛り付けていた。

「さあ、嬢ちゃん。てめえの大事な弟が、死にかかってるぜ?しっかり加減して殴ったからよ。すぐ死にはしねえ。ゆっくり狂いたくなる痛みを全身に感じながら、じわじわ死ぬ。いいのか?嬢ちゃん。弟を助けてやらなくてよ」


 ナディアは黒尽くめの男の問いに答えなかった。ユキトしか見ていない。黒尽くめの男の言葉に反応していない。

「そいつはもう助からねえよ。せめて楽に死なせてやるのが、情ってもんじゃねえのか」

 ユキトは痛みに悶え、もう彼の感覚は痛み以外感じていない。直にその痛みも感じなくなる。

「いいのか。弟を助けなくて、苦しくて、痛くて。楽になりたがっているんだぜ」

 ナディアは揺れる視界の中、ユキトにゆっくりと手を伸ばす。

 だが、ユキトは腕を持ち上げ、ナディアの手をゆっくりと握り返していた。ナディアは目を見開く。男もこの光景に明らかな驚愕を初めて見せる。

 あれは人がどうこうできる苦しみではない。殴った男が一番理解している。だがあのユキトという子どもは、死の淵であの姉の手を握った。

「なか、ないで……ないて、ほしく、ない…ぼくは……」

 男は舌打ちした。予想以上に子どものダメージが少なかったのか、強靭は精神の持ち主だったのか。あれでは姉が弟を殺しにくくなる。


 本物の禁忌を犯した狂人を見たかったが、今回はどうやら無理のようだ。

 男はゆっくりと二人に歩み寄る。もはやこの子どもを殺すことに何の躊躇いもない。

 自分の筋書き通りに動かない役者など、男には必要無いのだから。


 だが、男は立ち止まる。彼の聴覚は二人の人物を捉えたからだ。

 目の前の姉弟に気を取られ、二人が倉庫に辿り着くまで気付かなかった。

「まじで、しつけえぞ、てめえら!」


「エンチャット、スモークエッジ」

 暗い緑色の矢が黒尽くめの男と姉弟の間に飛来する。矢は濃緑の煙を噴きながら、男の目の前に煙の壁を作り上げる。

 二人組の内の一人、ディッケンは走り込み、男へと肉薄した。すでにナイフは両方短槍に変えてある。

 男はディッケンを無視し姉弟に近付こうとするが、キリエの矢がそれを許さない。

「エンチャット、マジックエッジ」

 一本の矢が複数の矢にぶれ男に向かう。躱すことの出来ないタイミングで放たれたその矢を、全て手刀で落とそうとする。が、男の手刀は空を切った。

 矢に実体が無かったのだ。

「ぐうっ!」

 数拍遅れで別の矢が男の左腕に突き刺さっていた。

 さらにディッケンが男を短槍の間合いに入れた。ディッケンは走り込んだ勢いを利用し、男の胴を薙ぐ。

 槍の刃は赤々と輝き、男は服に掠らせただけであるにもかかわらず、苦悶の表情を浮かべた。

 男はディッケンから飛び退き、腹の辺りを触る。服がぼろぼろと崩れ落ち、男の胴は赤く痛々しい火傷が刻まれていた。


「連撃」


 ディッケンは連続して短槍を男に振るう。左右の短槍の織り成す攻撃には、1振り、1振り、全くスキが無い。

 右手は左手の、左手は右手の攻撃のタイムラグを埋め、遅滞のない連続攻撃を繰り出していた。

 だが黒尽くめの男も負けてはいない。捌き、いなし、攻撃を防ぎ続けている。

 ディッケンは二振りを短槍の連撃を止め、数瞬、力をためる。

 男はそれを見逃さず、彼の腹部に拳を突き入れた。肉ではなく鋼を打ち付けたような感触が男に返ってくる。肉と骨がぶつかり、それぞれの肉体から軋むような音がもれる。


「双撃」


 閃光が走り、男は吹き飛んだ。派手に地面を転がされるが、男はすぐに壁から体を起こした。

 男の右腕は手首から下がない。血がぼたぼたと勢いよく流れ落ちる。

 本来なら体が真っ二つになってもおかしくない斬撃だった。それを男は後ろに飛び右手を切り飛ばさせることで、切り抜けた。

 斬撃は確かに6撃。一瞬にして6度の斬撃をディッケンは男に放っていた。

 だが、代償はある。

 ディッケンは口からベッと血の塊を出す。ための長さで生んだ隙に入れられた拳。エンチャットした体で受けてもこれである。生身なら体を串刺しにされていただろう。

 黒尽くめの男とディッケンは自分の肉を切らせながら相手を喰い殺そうとしていた。

 開いた間合いで二人はにらみ合う。

 黒尽くめの男は隙を伺うようにすり足で間合いを計りる。

 対するディッケンは男のような慎重さはまるで見えなかった。体に力を巡らせ、むせ返るような闘志を剥き出しにしていた。

 殺意の放流が黒尽くめの男を襲う。

 男はその時にようやく気付いた。この青年の持つ気配に。

 御しやすいなどとんでもない間違えだったと。

 キリエに対して抱いた寒気とは別種の焦燥。

 あの娘を人間の狩人とするなら、この青年は獣の狩人。

 本能のまま獲物を狩り、己の飢餓感を満たす捕食者だった。


 ディッケンは両手の短槍をゆっくりを引き絞る。天に刃を向け、あの屋上の時と同様の構え。体の軋む音が聞こえてきそうな威圧感に、押し込められた力の大きさを感じる。

 明らかな誘い。男がそれに乗るわけがない。

 だが違った。ディッケンは男に誘いを掛けたわけではない。ディッケンにとって、これが正しい間合いだ。


「竜撃」


 ディッケンは体に込められた力、短槍に込められたマナを。

 前方に向け、全力で解放した。

 炸裂する空気と地面。

 短槍を振り下ろしによって解放された力は、空気と赤熱化した短槍の刃の間で摩擦を起こし、炎刃を創り上げる。

 出現した炎刃はマナに誘導され前方に大きくベクトルを変えた。

 全てを焼き尽くしながら進む暴虐の炎刃を、男は全力で回避しようとする。踏み込んだ右足は炎に絡め取られ、一瞬で黒い塊に変わった。

 熱波により体中が痛みに襲われるが男は無視する。もしここで痛みで動きを鈍らせたなら、間違いなくあの青年に喰い殺される。

 男の生存本能が痛みの限界、体の限界を超え肉体を動かす。

 炎刃から逃れ、無事な左足で踏み込んだ。

 炎に炙られながら間合いを詰め、男は大技で無防備になったディッケンに向け拳を振るった。


 ドスリと、左胸に衝撃を感じた。

 すぐに腕、足、体が弛緩し、覆面の男の言うことを聞かなくなる。

 男は踏み込みの勢いで盛大に転ぶ。

 彼はそこで目にした。自分を攻撃したものの姿を。

 右手に鋭利なダガーナイフを持ち、冷え切った瞳を向けるキリエの姿を。

(まじかよ。……気配、全然分からなかったぜ……)

 キリエは無言で左腕に刺した矢を引き抜く。矢を抜いたことでキリエからの呼吸音、衣擦れの音が戻る。

「エンチャット、サイレントエッジ。魔物に仲間を呼ぶ叫び声を上げさせない為に、魔物の止めに使う矢尻を自分に使ったの。隠密は私の実力だけど」

 キリエの今持つ魔法器では、自身の体に直接サイレントのエンチャットを体にかける機能がない為、矢尻を自分に刺すことでそれを代用した。

 物陰によって姿を消し、男の行動を先読みした絶妙のタイミングで攻撃を加えたのだ。


(はは、とんでもねえ)

 男は喋ろうとしたが、口からは空気が漏れるだけで言葉にならなかった。

「大人しく死になさい。心臓を刺されて動けるはずもないけれどね」

(ああ、もう逃げる力なんてねえよ。あ~もったいなかったな。せめて姉のほうを成り損ないでも狂人にしとけばよかったぜ……)

 異能者は生きていた。心臓を貫かれながらも、体内を流れるマナによって僅かだが行動することも可能だった。

 魔物のみを相手にしてきたキリエとディッケンはそれを知らなかった。

 男は床を眺めながら、考える。

 死んでも「なり損ないの狂人」などごめんだと思っていたが、こんなガキ共に倒されるのは癪に障る。

 最後くらい、いいだろう。狂ってしまうのも。いや、人から見ればすでに自分は狂って見えているか……。


 男は顔を覆っていた覆面を外す。身に付けた銀色の腕輪とともに。

「ディッケン、その子たちとこいつお願い。私は発煙筒を外でつけてくるから」

 キリエは背中を向け走り出す。だが、すぐに足を止めた。

 後ろから「赤」い光が倉庫を照らすのが見え、振り返る。


「     」

 右肩から先が消えた。次に右足が膝の下から。

 黒い影、紅く光る目。黒い影と戦う青年の姿。

 鮮血が舞い散る。

 足を無くし、バランスを崩し、倒れたところを踏みつけられる。地響きと共に青年の腹が潰される。


 狂人。


 黒尽くめの異能者のなれの果て。

 全身黒い体毛に覆われ、上半身が異様に肥大している。膨れあがった肉体からは赤いオーラが噴き上がる。

 狂人から発せられる、死の恐怖がキリエの動きを縛る。

 こちらに迫る狂人に咄嗟に弓を構えるが、遅すぎた。

 腕の一薙ぎで弓はバラバラに砕け散った。

 返す腕で右肩を大きく切り裂かれる。体に受けた衝撃に錐揉みしながら、地面を転がる。

 視界が紅く染まり、痛みに喘ぐ。

 狂人は待ってくれない。ズシリ、ズシリと近付いてくる。

 もう狩人にこの獲物を止める術はない。




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