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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第1章〈ユキト〉
30/114

(7)灰かぶりと太陽4

 翌日の朝から駅の大通りとその周辺には、外出に対する警告を警邏隊に促してもらった。

 全力で異能者と戦うとなれば、とても一般人を庇いきれない。昨夜のホテルでの一件も相当に危険な橋を渡っていた。

 

 異能者の痕跡は多数残っており、正午の前には居場所を突き止めた。今度は建物の屋根の上に潜伏している。


 キリエとディッケンは人通りの殆ど無い街を駆け、潜伏場所へと急いだ。

「キリエ。昨日のマナの毒、まだあいつに効いてると思うか?」

 キリエは首を横に振る。

「いいえ、異能者に対してそこまで効果は続かないわ。またかけ直しよ」

「作戦は?」

「力で押して、押して、押しまくる」

「なんだよ、それ。作戦じゃないじゃん」

 ディッケンはキリエの発言で思わず足を止めた。キリエもちょっとばつが悪そうに「半分冗談よ」と言って立ち止まる。

「潜伏場所次第ね。罠を警戒されてるでしょうから、真正面からの勝負にはなるわ。搦め手は使うけど多分最後には力頼りになると思う」

 キリエにとっても昨夜異能者を逃がしたのは痛かった。過ぎたことを言ってもしょうがないため口には決して出さない。 

「相手は異能者。昨夜もそうだったけど、あの足の速さは本当に真似できないわ。エンチャットで体を強化しても、あそこまでの身体能力は得られないし、私たちの魔法器の設定じゃ分が悪いわね」

「いつになく弱気だな」

 ディッケンは彼女の自信のなさに、一抹の不安を覚えるが、キリエは不敵に笑った。

「狩りって言うのは意外と受動的な側面が強いの。だけどそれは一人だった場合。私たちは二人いるし、存分に追い込んで、たっぷりといたぶってから捕まえてあげましょう」

「お、おう」

 キリエという少女はドSである。ディッケンはそれを知っているため、戦いを前に武者震いを起こした。決してキリエが怖かった訳ではない。



 キリエは黒尽くめの男を視認した。100エーデル離れたホテルの屋上。

 彼女はその身を建物の死角に隠している。

 恐らくこの距離でさえ姿をさらせば、異能者には見つかる。

 キリエは魔法器からマナを取り出し、矢筒ではなく、手に持った一本の矢にマナを収束させていく。

 新緑のマナを纏って、矢は太く長い槍に変化していた。現われた槍はマナの集合体で実体がないため実際の重量、体積は変わっていない。

 矢の実体にも変化は無いため、問題なく弓を引くことが出来る。

 特殊な矢であるため、命中させるにはかなり直感に頼るところが大きい。

 キリエはあまりスマートさのないこの矢を好きにはなれないが、四の五の言っていられない。

 キリエは一息に弓を天に向かって引き絞った。限界、いっぱい、いっぱいまで。

 曇りの空に感謝する。矢の影が出来にくいからだ。

 そして空気を弾く音と共に、矢は天高く放たれた。

 再び異能者との戦いの幕が上がる。



 怒り仮面の男は、建物の屋上で今後のことを考えていた。

 この街からさっさとおさらばしたいが、手段がない。

 狩人が出張ってきた時点で、依頼人からは見限られてしまったようだ。

 散々危ない橋を渡らせられたというのに。

 男はこの街を生きて出ることが出来た後、彼らからの仕事は二度と受けないと決めていた。


 今日は人の賑わいも無く、街はゴーストタウンの様相になっている。チラホラ見える人間は、警邏隊と警備官。

 捕まれば間違いなく死刑だということを男は理解している。

 いっそ異能封じを外して、「狂人」に成り果ててしまおうか。だがそんな最後を男は望んでいない。最後にもう一暴れしたいなんて思うほど狂ってはいない。


 だが、男には昔から求めて止まないものがある。あの話を聞いてから、ずっと見てみたいと思っていたもの。それが叶うのなら……。


 突如として鋭い音が鳴る。強化された男の聴覚がそれを捉えた。

「上か!」

 男の頭上に何かが落下してきていた。嫌な感覚を覚え、その場から大きく避ける。

 

 キリエは男の挙動を眺め、呟く。

「エンチャット、クラスターエッジよ。たっぷり喰らいなさい」


 男の頭上、約15エーデルの高さに槍が来た瞬間、槍が爆ぜた。

 数百を超える針のように細い矢が男に降り注ぐ。

 矢は屋根を打ち、爆竹のような連続した破砕音と粉塵が生まれる。

 矢が地面を打ち付ける音にたまらず、男は聴覚の強化を弱める。

 耳を塞ぎたいが、降り注ぐ矢から頭を守らなければいけない。男は騒音に耐えながら腕を必死に動かした。

 体の急所を庇うことを優先したため、体のあちこちに浅い傷を作り、服はズタボロだ。頭を守っていたため、仮面は皮肉にも無事だった。


 だが男の不幸は終わらない。

 矢の雨が止んですぐ、粉塵の中から昨夜の青年が現れたのだ。

 二振りのナイフを構え、体からは僅かな鈍色の光が漏れていた。

「しつこいなあ。お前、いい加減見逃せよ」

 男は体から血を滴らせながらもまるで意に介さず、ディッケンを挑発する。

「黙れ」

 ディッケンは踏み込み、男と距離を詰める。男も迎え撃とうと構えを取るが、頭の中ではすでに逃げる算段をしていた。

 ディッケンは、まだ距離が有るにもかかわらず右手のナイフを振り抜く動作をした。男は投擲を警戒し手刀を作る。

「シャベリン!」

 ディッケンは、ナイフのギミックを解放。柄の後ろから内蔵されていた、1エーデルの柄が飛び出す。短槍と化したナイフの柄を振り抜きながら、滑るように持ち手を石突きへとずらしていく。

 丁度、男と短槍との間合いが零になるように。

 男は手刀で何とか短槍の腹を弾くが、ディッケンはもう一方の左手のナイフを振りかぶり男を狙う。

 ナイフの間合いでは無い、また短槍による攻撃かと身構える。

 ディッケンはそのまま短槍に変化させず振り切った。

 フェイントを入れられたことで、男に致命的なスキが生まれる。ディッケンはそのまま振り切った柄の石突を男に向け、短槍のギミックを解放した。

 勢いよく飛び出した柄の力をそのまま利用し、仮面越しに男の額を石突きで叩いた。

 さらにそれにより男は怯み、仮面にヒビが入る。

 だがまだ終わりではない。

 ディッケン持つ両手の短槍は自身の頭上を越え、体の後ろに引き絞られた。相手の怯みから出来た時間を使い、力を溜める。


「エンチャット、フレイム!!」

 さらに短槍に予め込めておいた全マナを解放する。

 機械人形の金属フレームを切り裂いた、摂氏3000度を超える火炎の槍が生まれる。

 両の刃から吹き上がる火炎の槍は男に振り下ろされる。

 渾身の力によって叩き付けられた炎は爆炎となり、轟音と熱風を巻き散らせながら、建物の屋上を半壊させた。足場は崩れ、所々に火が燃え移り、ひどい有様だ。

「や、やばい」

 別に建物を壊したことや、相手を消し炭に変えてしまったことへの心配ではない。

 熱で歪み笑い顔になってしまった仮面だけが、ディッケンの目の前に落ちていた。


 ディッケンはまたしても男を取り逃がしたのだ。

 あの男、最後の最後、今までと比べものにならない速度で跳んだ。完全に実力を見誤っていた。男は全力をこちらに全く悟らせず行動していたのだ。

 そしてその力を逃げる為に全て使ってみせたのだ。

 ディッケンはすぐさま頭を切り替える。魔法器に残っているマナをすべて自身へのエンチャットに充てた。ディッケンの体は鈍色のマナに包まれる。

 それを確認し、男が避けたと思われる方向を見る。明らかに壊れた窓のあるホテルが目に入った。

 四階の部屋のようだが何とか追えるだろう。

 

 ディッケンは、建物の屋根を飛び越えながらホテルを目指す。

 だが、ディッケンが辿り着く前に、男が窓から飛び出してきた。

 仮面はしていない。代わりに服と同じ色の覆面をしている。

 両手には子どもを抱えていた。

 黒尽くめの男はこちらに視線を向ける。狂気を宿した目で、これから楽しいことが待っているような目で。

 子どもを二人抱えながら、黒尽くめの男は悠々と建物の屋根を飛ぶように駆けていく。

 ディッケンは何とか追いすがるが、魔法器のマナは尽き、体力も尽き、黒尽くめの男を見失った。



「で、のこのこ帰ってきたのね」

「はい……」

「はあ~~……」

 警邏隊が異能者捜索の為に貸し切ったホテルの一室。

 二人は誘拐の対処は警邏隊に任せマナの回復と、自分たちの休息に当てていた。

 二人の狩人は2度にわたり獲物を逃がした。由々しき事態だ。それ以前に異能者が誘拐を起こすことを許してしまった。

 取り返しのない失敗だ。だが今は休むしかできない。

 二人は己の無力さに打ちひしがれていた。だが泣き言は言えない。言う権利はない。

「私たち狩人になった気でいたけど……私たちがそう名乗るのはおこがましかったわね」

「今回は相手が悪かったと考えないのか?」

「……言い訳はしたくないわ。自分の選んだ道なのに、言い訳なんて言えない。子どもが…巻き込んだのに……」

 キリエの顔は痛ましげに歪んでいるが、涙は見せない。彼女は泣く権利さえないと考えているのだろうか。

 ディッケンは彼女の従者として何を言うべきか思いつかず、黙って窓の外を見ていた。



 黒尽くめの男は街の各所で目撃されていた。明らかな撹乱のための動きだったが、時間帯や頻度を照らし合わしキリエがもっとも可能性が高いと考えたのが、バルバセクの港だった。

 駅から数千エーデル離れてはいるが、逃げる先としてはあり得そうだ。

 すぐさま二人は港を訪れた。

「広すぎるわ」

「ああ…」

 今、警邏隊、警備官を動員して港を捜索しているが子どもや男は見付かっていない。

 広い港を限られた人数で探すのは、難しい。それこそ1日以上かかるかもしれない。

 あの異能者がそれほど気長だろうか。快楽殺人者ではないが、殺人への意識は軽い。あの状況での誘拐として考えられるなら人質が妥当だろうが、男にしてみれば余計な荷物になるようにしか思えない。


 キリエもディッケンも、捜索や戦闘で消耗しているが必死で答えを導き出そうとする。

 二人は地図を眺め考える。隠れる事ができる場所、異能者の目的を。

「ねえ、黒尽くめは逃げることを考えてると思う?」

 キリエは自分の中の疑問を従者であるディッケンに問いかけた。キリエは男がなぜこのタイミングで子どもを攫ったのかまるで理解が出来なかった。

「いや、俺は子ども攫っていった時点でそれはないと思ってたけど」

「どうして?」

「ん~何て言うか、窓からあいつが子ども二人を抱えて出てきたときさ。あいつの顔、生き生きしてた。どう考えても何か企んでる顔」

「そんなこと、今は…………」

「直接戦った俺しか感じなかったかもしれないけど、あの黒尽くめ、もの凄く保守的なんだよ。常に逃げ道を探していたしよ」

 キリエは少し考えディッケンに話の続きを促した。

「うん。確かにそう感じる面もあったわね」

「今だって、警邏隊や警備官は人が航行する船やその港を中心に見ているだろ。駅だって警備が厳重になっているし。それに時間がかかるようなら俺達以外の狩人が街に来るだろうし、下手したら法術師様も出張るかもしれない」

「うん……」

「何が言いたいかというと、あいつ今、逃げる気が無いんじゃないのかってこと」

「逃げようとしていない?」

「港にいる目的が、だよ。陸上で俊敏な異能者にとって、海の近くは逃げ道も限られているしかなり不利だろ?あいつがそれを選ぶとは考えにくい。なのに金のように大事な時間を使ってここに潜伏している。やりたいことがあるんじゃないか?と思えてならない。全部憶測だけど」

 キリエはうつむき考える。ディッケンの言うことは間違っていない。

 仮面の男は確かに逃げることを優先していたのに、荷物である子どもを誘拐した。

 子どもを攫うこと自体おかしいが、そのあとの行動も変だ。時間稼ぎの陽動をするなら、探索範囲外でする方がよっぽど効果的だろうに。

 男は二人の子どもに何らかの理由で執着しているのだろうか。

 

「どうする?」

 ディッケンはまだ答えを出せていないキリエに意見を求める。時間はない。考えるより動いた方が早いこともあることを青年は知っている。

 キリエはディッケンの指摘したことを念頭に置き、新たに行動を起こすことにした。

「警邏隊と警備官には捜査範囲の変更をお願いして、倉庫や人気の無い場所を洗い出して」

「了解」

「私は、誘拐された子どもの家族に話を聞くわ」

「ええ!でもそれなりに距離が有るぞ……」

「華族の特権はこんな時にこそ使わせてもらうわ」


 キリエ・ノート・アンセーは華族である。上位の華族はあらゆる特権を使うことを許されている。キリエもその例に漏れない。

 彼女は今、港にある通信機を使いバルバセク鉄道駅に通信を繋いでいる。華族らしい強弁で押し、僅か10分で誘拐された家族の父親を通信機の前へ連れてこさせた。

「初めまして、私は今回ご子息を誘拐した犯人を捕縛するために派遣された狩人です。細かい問答や事情を話している時間はありません。単刀直入に聞きますがご子息は何か他人と違う特徴はありませんか?」

「……娘は9歳ですが、1年前に異能に目覚め異能封じを施されています。息子は……特に思い至りません。少し体が弱いことでしょうか……」

 通信機からは男性の固い声が聞こえてきた。

 異能。キリエの中で最悪のピースが姿を現す。

「……姉弟仲はどうですか。仲のいい、姉弟ですか?」

「誘拐に何の関係が……」

「いいから答えなさい」

 少女の厳しい声。通信機越しの男性も、少女が無意味なことを聞いているのではないことを悟る。

「良好です。少々仲が良すぎている気もしますが、お互いを大切に思い合っているかと……」

「そう……ですか……」

「狩人殿。どうか娘と息子を。どうかお願いします……」

「最善を尽くします」

 キリエはそっと通信を切った。

 最悪のピースは繋がった。

 リスクを負って二人の姉弟を誘拐した。姉は異能者。同族である弟。これは偶然ではない。

 保守的であるなら、自身が狂人になることはまずない。だが他人を狂人化させ、混乱を生み出すのが狙いであるなら。

 覆面の男が禁忌のことを知っているなら。

 キリエは最悪の事態を想定し各所に通信を入れる。警邏隊も警備官にも新たに周辺住人の避難誘導を要請する。華族というキリエの地位もあり、すんなりと誘導が開始された。

 キリエがいつも煩わしく感じていた地位が、こんな形で役に立つとはと思ってもみなかった。

 人生何が有るか分からないものだとキリエは思った。それは今回の事件ついても言えることである。

 自分が禁忌に関わるなど、1月前の自分は考えていただろうかと。


 うれしい誤算だが、通信中に造船倉庫に真新しい血の跡を発見したという報告があった。

 そこにいなくても、周囲にいるかもしれない。自分一人でも調べ切れるだろう。どれくらい時間が残っているか、分からないが……。

 

 キリエは造船倉庫に向かう途中、戦闘準備を済ませた男を見つけた。

「おいおい、一人でどこ行こうっていうんだよ」

「何で、あなたがいるわけ?」

「え?そういうこと言っちゃう。ここは『あいつを一緒に地獄へたたき落としましょ』とか『さあ、血祭りの時間よ』とか言ってほしいな」

 ふてぶてしくディッケンは笑う。相変わらず調子の狂うとキリエは感じる。

「………無理に茶化さなくていいわよ。あなたはここまでしなくていいわ。十分助けてもらったし」

「それはずるいぜ、キリエさんよぉ。俺だってコケにされたまま終われない。何より関係ない子どもの命が一番危険な場所にあるんだ、退けるわけがねえ」

 ディッケンはキリエの前に立ち、決意を示す。

 いつものふてぶてしい態度だが、彼の言葉は真摯にキリエに訴えかけていた。引くことを知らず、必ず助けてみせるのだと。

 それを聞き、キリエは彼の脇から通り過ぎる。ディッケンは主人の数歩後ろから追いつき、肩を並べた。

「そう……なら、何も言わないわ。勝手にしなさい。正直あなたがいなくても倒す算段つけていたけど、あなたがいた方が成功率は上がるしね」

 キリエは少し眩しいものを見るように、ディッケンに顔を向ける。

「……あなたも少しは私の従者らしくなったわね」

「今さらだな。俺は言ったはずだぜ、あんたが行くというのなら、魔物の領域だってついて行くってな」

「ふん。なら付いてきなさい。ディッケンが嫌がっても、泣き叫んでも、泣き言言ったって、付き合ってもらうから」

「合点承知だ、キリエ」

 二人は走り出し、造船倉庫を目指した。



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