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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第1章〈ユキト〉
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(7)灰かぶりと太陽3

 異能者の発見の報は夜。殆どの人間が寝静まる時間に知らされた。

 その発覚は最悪なことに、異能者が人殺しを行ったことにより判明した。

 狩人は夜の闇の中、もたらせた情報をたよりに駅前大通りにほど近い宿場に来ていた。


 まさか自分たちの目と鼻の先にいたとは、何とも舐めた輩だ。

 ディッケンにはそう思えたが、キリエは別だった。

 なぜ、宿場に泊まることが出来ているのかが気になる。

 一般人は知らないが、相当数の警邏隊と警備官には事前に捕縛対象の情報が流布されている。宿をチェックしていないはずはないだろう。

 しかしそれは異能者を捕まえた後、本人に直接聞けばいい。そこは警邏隊の領分だ。

「ディッケン。相手のことちゃんと頭に入っているでしょうね」

「長身痩躯、黒尽くめに白い怒りの表情の仮面をした男。異能封じをしているが、自身の力をほぼコントロール出来るため、封印は狂化に対してのみ。だから限界に近い異能を扱える。元首国のフリー傭兵として魔物狩りをしていた男だ」

「だいたい合ってるけど、名前は?」

「…………忘れた」

 キリエの目は冷たいが、この青年が、人の名を覚えるのが苦手なのは、今に始まったことではない。それに名は重要ではない。

「……呆れるけど、それだけ分かっていればいいわ。極力、殺すんじゃないわよ」

「『狂化』しなかったらな」


 狂化とは異能者に主に見られる暴走状態のことだ。堕ちるともいい、一度完全に狂化してしまえば二度と元に戻ることはない。法術でも元に戻った報告例はない。

 狂化した異能者は、「狂人」と呼ばれ、瞳が真紅に発光し、肉体に何らかの変化が起こる。個人差はあるが殆どが異形、怪物となる。

 この狂化はしっかりと異能封じがされていれば、まず起こりえない。

 今追っている異能者は、分かっているだけで20件以上の殺しを行っている。異能封じがなければとっくに堕ちている。

「なあ、資料に載って無かったがよ、どうして捕縛なんだ。普通なら抹殺指定の犯罪者だと思うんだが」

「こいつにはバックがいるのよ。正確には殺しの依頼人がね。それを吐かせたいから捕縛するのでしょう」

「何で分かるんだ、そんなこと?」

 ディッケンは不思議そうな顔でキリエに尋ねる。キリエは特に得意がらず淡々と答えた。

「要人やその関係者が殺されているからよ。かなりの規則をもってね。個人が殺人をそんな規則的に行っていたら、その人物の背後関係に目を向けるのは当然でしょう」

「いや、それキリエだから出来るんだよ。あの紙切れの被害者リスト見ただけで、それが分かる人間はあんまりいないだろ」

「私たちへの依頼を出した人物にはわかっていたじゃない。警邏隊の人たちも」

「あの人達はそれを調べる権限をもっているだろうが、要人の名前なんて一般人には縁遠いんだよ」

「呆れるわ。私の従者をしていて一般人なんて甘いこと言っているなんて」

 キリエは相変わらずディッケンを冷たく見据える。

「はあぁ……(俺にお嬢様のお守りはむいてないわ……)」

「ほら、ぶつぶつ言ってないで走りなさい!」

 二人の走るペースは早い。夜の闇を確かな足取りで進んでいった。



 やがって、目的のホテルに辿り着く。

 周囲の人払いを警邏隊に任せ、キリエとディッケンは外の物陰から入り口を見張る。

 まだ、装備を取り出してはいない。二人の魔法器とキリエの装備は街中では目立つためだ。

 つくづくこの依頼には向かないとキリエは今さらながら感じていた。

「そういえば今、気になったんだけどさ」

「黙りなさい。気が散る」

 キリエはディッケンの質問を一蹴するが、ディッケンはどうしても気になるのか引き下がらなかった。

「いや、俺も聞きたいこと我慢していると気が散るんだけど」

「……手短に話しなさいよ」

「さっきの話だが、狂人に堕ちるのは異能者が暴走したら何だよな?どうして殺人で暴走状態になるんだ?」

 キリエは少し考えながら言葉を選ぶように話した。

「必ずしもそうではないわ。人によるわね。自制心が強い人や、暴力行為への忌避感が高い人は狂人にならないみたい。逆に人殺しに快楽を感じる人間はすぐだって言っていたわ」

「ただし、どんなに自制心や忌避感があっても、何度も犯せば精神は知らぬ間に変質するわ。異能者になった人間は、殺人を犯す前と後では、破壊衝動が桁違いに上がるみたいだから」

 キリエは「先生の受け売りだけど」と付け足す。


 キリエは僅かに迷うそぶりを見せた後、説明を続けた。

「ただし、ただの狂人より厄介なことがあるわ」

 ディッケンは首を傾げ、話の続きを促した。

「先生は異能者の最大の禁忌は同族殺しだって言っていたわ。大切な人、愛しい人、家族が同族にあたるらしいの。異能封じを付けてれば、狂人化は防げるけど……。禁忌についてはかなり高度な封印が必要みたい」

「でもよぉ、本当に大切なら、相手を殺すなんて有り得ないだろ?なら禁忌なんて起きないじゃん」


「そうね……」

 キリエはそっと顔を伏せ、表情を隠す。

 キリエはその禁忌が起きたことがあることを、知っている。

 ディッケンは有り得ないことと言ったことが、キリエは十分起こり得ることとして認識していた。

 キリエは彼女の家柄のせいもあり、先生からかなりの情報開示を受けている。

 「赤のマナ」のことも聞いた。

 禁忌を犯せる人間は、大切なもの、愛おしい人間の存在するものだけ。赤のマナはただの快楽殺人者より、深い愛情をもつ人間の感情に強く引かれる。

 過去に一度、先生は禁忌を犯したものと、出会ったことがあるらしい。

 そのときのことは、詳しくは語ってはくれなかったが、その狂人となった人間は、先生と互角に渡り合い、法術師が複数で討伐したという。

 理性無く本能で、息を吸うが如く人を殺そうとするもの。

 先生はその過去を繰り返さないために、異能封じを積極的に行ってきた。

 先生は自分の施した異能封じには、しっかりと禁忌の対策をしているし、既存の異能封じにもそれを出来る限り行っている。

「まあ、異能封じの有り難みが、よくわかったぜ。やっぱり先生はすげぇな!」

「まあ、それには同意するわ」

 二人はそれから特に会話をせず、戦いのときを待った。


 それから半刻ほど時間が経ち、周囲の最低限の人払いは済まされた。これ以上は異能者の強化された聴力で動向が掴まれてしまう恐れがある。仕掛けるならここがベターだろう。


 ディッケンは軽く体をほぐす。体の調子を確かめながら、鋭く瞳をぎらつかせ犬歯を覗かせる。彼の体からは満ち満ちた闘志が漏れ出ていた。

 キリエは、戦闘に置いてはこの青年を信頼している。

「あくまでも」

「殺しはない。ただ殺す気でやらせてもらうぞ」

「好きにしなさい。ただし異能封じを外そうとしたときは迷わず殺すわよ。私たちでも狂人の相手ができるか分からないわ」

 ディッケンはキリエの言葉に頷き、鞘から二振りのナイフを取り出す。

 形状はシャベルに酷似しているが、鋭利すぎる先端と、鈍色にぎらつく通常より遙かに肉厚の刀身は、武器以外の何者でもない。柄は不自然に太い。

 キリエはアタッシュケースから矢筒を取り出し、腰のベルトの金具に取り付ける。

 左手には指抜けをした肘まである手袋。右手には小手を思わせる飾りをつけた手袋をつけた。

 ディッケンは腰のベルトに、キリエは矢筒に魔法器を装着している。


「行きましょうか。初手は任せたわよ」

「ああ」

 ディッケンはホテルを見上げる。異能者は3階の角部屋にいる。

「エンチャット」

 ディッケンは魔法器の側面にスイッチを入れながら呟く。すると魔法器から可視化した鈍色のマナがまき散らされる。すぐさま彼の体に収束し、それにより体が僅かに発光する。

「はああああ!!」

 ディッケンは隠密など考えない。だが正面突破も考えていない。キリエとディッケンが立てた作戦は窓からの奇襲だ。

 ディッケンは助走なしで、人間では有り得ないほどの跳躍を見せる。

 さらに取り付いたホテルの壁面を、地面でも駆けるように昇って行く。

 警邏隊はここにはいない。人を超えた力を持つ者との戦いに彼らは足手まといにしかならない。

 跳躍して二秒で3階に到達し、窓を体で突き破る。ディッケンの体には傷一つ付いていなかった。


 キリエはアタッシュケースから少しカーブの加えられた四角い金属を取り出す。決められた手順でそれを展開していき、弓を形作った。

 展開式の弓で、キリエの持つものは通常の弓を凌ぐ飛距離、精度を誇る高性能複合弓になっている。

 キリエとディッケンの装備は魔法器だけでなく、弓やナイフも先生と呼ばれる人物が制作したものだ。

 キリエは弓の展開を素早く終え、矢筒の魔法器に触れる。

 ディッケンと同じように側面のスイッチを入れると翡翠色のマナが一度可視化した後、キリエではなく矢筒に収束した。

 キリエは魔法器のレンズの部分に指を這わせて、矢を一本ずつ取り出していく。

 指の間に3本の矢を挟む。どの矢も羽も付いていなければ、矢尻さえない。

「エンチャット、ポイズンエッジ」

 キリエがそう言った瞬間の矢の内の一本に濃緑の矢尻と羽が展開した。矢尻からは毒々しい緑の光が漏れる。

 矢尻の現れた矢をつがえ、弦を引き絞り、視線を窓に固定する。あとは相棒が手筈通り、異能者をこちらに誘導するだけだ。戦いを楽しんで我を忘れていなければいいが。


 ディッケンは部屋の中で一人の黒尽くめの男と対峙していた。男は臨戦態勢を取らずゆったりと椅子に腰掛けていた。

「お前、窓から入ってくるなんて、常識なさ過ぎるだろ」

「くっ……」

 ディッケンは硝子の割れた窓を背にし、着地点からほとんど動いていない。

 奇襲は失敗していたのだ。

 少し相手を舐めていた。異能者は窓からの侵入者に驚いたものの、即座に反応し、テーブルを投げつけてきた。

 速すぎて交わすことが出来ず、無理に受け止めたことで完全に勢いが止まり、膠着状態に入ってしまった。

「ああ、でもよかったぜ。仕事終わりで仮面外してなくてよ。逃げに徹することが出来るからな」

 飄々と話す男に苛立ち、ディッケンは眉間にシワをつくる。


「逃げられるもんなら、逃げてみやがれ!」

 ディッケンはしびれを切らし、両手を拡げ異能者に突っ込む。異能者は笑い、立ち上がり迎え撃つ。武器を持たず、徒手空拳で構えをとっていた。

 異能者の足元の床が爆ぜ、姿がぶれる。

 一瞬にしてディッケンの背後に回りそのまま手刀で首をなぐ。

 だがそれはナイフの刀身で防がれた。ディッケンは死角からの攻撃を防いだのだ。異能者は驚愕しつつも、一瞬の遅滞なく、空いた手を彼の背中に突き入れる。

 ディッケンは体を異能者の正面に向けながらこの攻撃もナイフで防いで見せた。

「チッ」

 予想以上の使い手に異能者から舌打ちが漏れる。

 そのまま3合、4合、5合、と打ち合うが、異能者はまるで押し切れない相手に、僅かに焦りを見せる。

 左の上腕に装着している、異能封じの腕輪で異能が制限されているとはいえ、手刀には金属をへし曲げるほどの力を込めている。

 このナイフが特殊な合金であっても、使い手が平気なのはおかしい。とっくに手がいかれているはずだ。


 ディッケンの魔法器の力、エンチャットは、自身の体にマナを満たし、擬似的に異能者と同じ状態を作り出している。もちろん本来の異能者と比べれば身体能力の向上は微々たるものだが、彼の纏うマナは攻撃の衝撃から彼の体を守る攻守一体のものだ。

 マナの守護を突破する攻撃でなければ、彼を傷つけられない。

「付き合っていられないな……」

 異能者は再び、消えるような速度で床を蹴り、脱出を試みる。

 窓はすでに大穴が空いている。そのままの勢いで飛び出そうとするが、後ろから一本のナイフが飛来した。男は身を捻り交わすが、そのせいで踏み込み失敗する。一度窓枠に足をかけ跳躍することになった。

 

 その瞬間が来た。

 キリエは自身の限界まで集中力を高めた。脳が熱を持ち、体感時間が一気に引き伸ばされる感覚に至る。

 時間がゆっくりと流れる感覚の中、僅かな誤差を修正し、矢は放たれた。

 空気を切り裂き、弦を弾く。矢は吸い込まれるように対象の頭部に向かう。

 だが異能者の男は超反応を見せ、首をずらし致命傷を避けた。代償に肩を浅く切り裂かれたが、上等だろう。

 しかし、男は体に寒気を感じるとともに、全身から力が抜けた。

 窓枠にかけた足に咄嗟に力を入れ直す事もできず、あえなくホテルの三階から落ちた。


 キリエの用いる魔法器は矢尻や羽をマナで作り出し、属性を付与させるもの。

 マナを狂わせる様々な矢尻を、状況に合わせて使い分けることが出来る。

 男は矢じりに込められたマナの毒によって、うまく体が動かせなくなっていたのだ。

 

 キリエはさらに指に挟んでいた矢の内の一本は弓につがえる。

「エンチャット、フィアエッジ」

 濃緑の矢尻と羽が再び宿り、落下する男に向けられた。キリエは男が地面に到達するぎりぎりで矢を放った。

 男は腕を振るうことで矢をはじき飛ばした。だが着地には失敗し、したたかに体を打ち付ける。

「ぐうう」

 男は落下し地面に叩きつけられたが外傷は見えなかった。骨折さえしていない。

 異能者の頑強さのなせることだが、男は衝撃によってすぐには立ち上がれなかった。


「エンチャット、ペインエッジ」

 キリエは素早く手にした最後の矢をつがえる。矢に緑の矢尻が宿る。キリエは再び集中し、転がる男の足先を狙った。

「シッ」

 矢は寸分の狂い無く飛ぶ。しかし男はそれを許さない。

 何とか身を捩り回避しようとするが、マナの毒の影響でいつものように体が動かない。

 結果、矢は刺さらなかったが男のふくらはぎを掠めた。


「あがああああああああああああぁぁぁ!!」

 男の体には今まで体感したことのない激痛が走る。刃で肉を削ぎ落とされていくような、拷問に等しい痛み。

 意識を保てない。そう悟った男は気力を振り絞り、全力で地面を殴る。巨大な地響きが起こり、土埃が舞い上がる。

 そして新たな痛みで、僅かに足の痛みが遠ざかった。

 男は逃げた。

 全力で走った。後ろを顧みず物陰を縫うようにして。ぶり返す痛みを自分を傷つけることでやり過ごし、夜の闇の中を息を殺して駆けた。


 男は考える。あいつらを相手にしてはいけないと。

 青年はまだ御しやすかったが、だが、あの女の目は自分を徹底して獲物としか見ていなかった。追い立て、罠を張り、狩る。

 まるで機械的な作業を行うかのように淡々とことを進めていた。

 男が寒気を覚えるほどの冷徹に。

 男はそんな輩の相手をする気はない。

 仕事と自分の趣味さえ、出来ればそれでいいのだ。

 男はぎりぎりのスリルなど求めない。戦闘に楽しさなど求めていないのだ。

 人が死に、殺し合うところが見られればいい。別に自分が手を出さなくても。


「何て逃げ足……」

 キリエは少し読み間違っていた。異能者がここまで簡単に引くとは、考えていなかった。

 そしてもう一つ。

 キリエはホテルの玄関から出てきた相棒を見る。ディッケンは少し申し訳なさそうにしていた。

「悪い。危ない目に遭わせた」

「気にしなくていいわ。私も読み間違いをしていたし」

 元の作戦ではディッケンがキリエの射程に誘導させ、矢で動きを鈍らせた後にディッケンが男を捕えると言う算段だったが………。

「まさか、あのくらいの打ち合いで、エンチャットが解けるなんて思わなかったぜ」

「たぶん相手の技量と腕力のせいね。あの男、情報よりずっと強くて、かしこいわ。一介の殺し屋には思えないほど……」

 キリエは男のことを考察しようとしたが、頭を軽く振りそれを止める。

「今度はナイフのエンチャットのマナ総量を10倍に上げなさい。手加減もしなくていいわ。ほんとに捕縛は難しそうだから」

「了解。キリエも気をつけろよ。俺のエンチャットみたいにマナの守りがないからな。正直肝が冷えた」

「なら、あなたが私を守りなさい。それで給料もらっているのでしょ?」

「合点、キリエ様」

 キリエは無言で、あきれた視線をディッケンに向けた。

 夜はこうして更けていった。


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