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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第1章〈ユキト〉
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(2.2)幕間.スター・アイドルの教え子

 ホーエイ領、領主屋敷の一角に、一人の少年と一人の不思議生物の交流があった。

 少年の名はユキト。瀕死の重傷から生還を果たしたが、大事を取りベッドでの生活を余儀なくされている。暇を持て余していた。

 不思議生物の名はベンジャミン。ユキトの経過を診るため、領主屋敷に客人として寝泊まりをしている。暇を持て余していた。

 これはそんな二人が出会い、語らう物語。



 銅の月 12夜


「ちぇっく」

 ユキトは舌足らずな口調で、勝利宣言を言い放った。

「どぅえええ!!何ですと!嘘っ、つ、詰んいでる……」

 ベンジャミンは身の毛のよだつ断末魔を上げながら、敗北を認めた。

 彼らが遊んでいるのは「ナイツ」というボードゲームだ。

 ユキトは屋敷の執事のダーヴィンに鍛えられ、今や父親すら赤子の手を捻るほどの圧勝をする力量を持つ。

 4歳児の息子に敗れた27歳の父親の背中は、とても小さく見えたという。

 元々前世で将棋が強かったユキトは、ルールさえ覚えてしまえば同じゲーム性を持つ「ナイツ」を上手く打てるのは当然だった。

 そんな事情を知らないベンジャミンは本気で悔しがった。4歳児にいいようにあしらわれたのだ、いくら下手の横好きでも、ベンジャミンにもプライドというものがある。

「よし!ハンデをください」

 綿雲のように軽いプライドが………。


「これで、じゅうしゃんれんぱいだね。べんじょみんしゃま」

「うう、幼子にハンデ有りで、フルボッコを浴びた上での便所呼ばわり…新しい境地に目覚めてしまいそうじゃないか!ボクは!!」

「ええー、ごめんなしゃい。べんしょ、べん、べべんじょみしゃまあ?」

「無理しないでくれたまえ。これからはスター・アイドルと呼べばいいから」

「しゅたー・あいどーしゃまー」

「なんだか首都の小売店にこんな挨拶をする店員が居た気がする……」

 二人は順調に仲良くなっていた。



 銅の月 13夜


「あいどーしゃまは、けんきゅしゃしゃまなんでしゅか?」

「ああそうとも。研究者スター・アイドルと言えば、首国では赤ん坊でも生まれる前から知ってるくらい有名なのさ!」

 本人は本気でそう思っているため、ユキトに冗談を言っているわけではない。ユキトも取りあえず自分と姉を不思議な力で直したことから、すごい人なのだと漠然とした意識はある。

 有名人なんだー、くらいの感覚だが。

 実際は、ベンジャミンの研究者としての席は、法術師であるため架空のものでしか無く、影武者の研究者が公に有名人、稀代の発明王として顔が売れている。

 意外かもしれないが彼はどんな偉業をなしても讃えられることのない、中々不遇な立場にある。

 しかし、本人はあまりそういうところを気にしない。彼を慕う人間は多く、影武者の人物もベンジャミンの崇拝者の一人である。

「ん、あいどーしゃまは、どんなけんきゅをしちぇりゅの?」

「ふむ、ざっくり言ってしまえばマナに関わる事だが、色々な種類があるからね。これからやろうとしているのは、飛空艇造りさ!」

「ひくうちぇー……」

「空を自由に飛び回るのは男のロマンだからね。君も男になれば分かるさ」

 ベンジャミンはやたら白い歯をユキトに見せつけた。

「ぼくはおちょこでしゅけど」

「まだまだ、小さい小さい。男たるもの、もっとでっかくならないとね!例えば……」

 ベンジャミンはその小さな体躯で、小さなユキトに男のなんたるかを一日、語り明かした。

 話の途中でユキトの母親が、ユキトを訪ねて部屋に来るが、話の途中だからと、すぐに追い出されてしまう。

 ユキトの母親は、楽しげにユキトと語らうベンジャミンに、激しい嫉妬の視線を飛ばしながら退出していった。

 ベンジャミンはユキト母への苦手意識がレベルアップした。



 銅の月 14夜

「ししょう!しつもんがありましゅ!」

「何かね、我が教え子よ」

 二人は昨日の語らいによって、師匠と教え子という立場に落ち着いた。その副産物として、ユキトの「ししょう」の発音は完璧なものへと昇華された。まだお母さま、お父さまも満足に言えない幼子がである。後日、このやり取りをユキトの母親が目撃し、一波乱あったとか、無かったとか。

「マナってなんでしゅか!」

「いい質問だ!ボクにも分からん!!」

「………………………………………」

「………………………………………」

 二人は見つめ合い、お互いの息づかいを聞いた。心臓の音が聞こえてしまうような沈黙の中、ベンジャミンは咳払いを1つして質問に答えることにした。

「それじゃあ一般的な認識の、マナとは何ぞや!の質問に答えよう」

「よろしくおねがいしましゅ、ししょう」

「ぶっちゃけ、万能エネルギーだね。あ、エネルギーていう言葉を知らないか……」

「んーと、うんどうとか、ねつのことでしゅか?」

「あれ?知っているのか。最近の4歳児は進んでいるねぇ。ボクが4歳の時なんてどっちが右か左か良く忘れたものさ!」

「ししょう、はなしがしょれていましゅ」

「失敬、失敬、えーと。そう、万能エネルギーというところだったね。マナって言うのは理論上どんなエネルギーにもなるらしい。本当かどうかは誰も知らないけどね。さっき君があげた熱エネルギーや、運動エネルギーにはちゃんとなるし、基礎となるエネルギーの変換理論は少し昔から出来ていたからね。鉄道やこの屋敷の水道、給湯、厨房の火は全部マナのエネルギーで動いているんだよ」

「でもマナはどこにあるんでしゅか?」

 ユキトは、感覚が完全に戻った後の暮らしで気が付いたことだが、この世界の文明レベルはかなり高いのである。通信機器の使用には、制限が設けられているものの、実在する。文書の情報をやり取りできる、インターネットと同じ仕組みも、インフラ整備がされていないだけで実在する。通信の使用制限が緩和されれば、すぐにでも実用化ができるだろう。

「あらゆるもの、あらゆるところだね。実際には見解は分かれるけど一般常識としては、そこら中にある、実際ボクもそう思っている」

「ししょうはマナがみえりゅのでしゅか?」

「いや、一般人と殆ど変わらないよ。見えないね」

 実際には、法術師やマナに特別な感応がなければ、見えることができないマナは存在するが、かなりレベルの高い機密にあたるため説明は出来ない。

「ほうじゅちゅしのししょうでも、しょうなのでしゅか。でもマナってしゅごいでしゅ!なんでもできるんでしゅね」

「……そう考えてしまうのは、とても常識的な考え方だ。でも今の文明の進歩だけを見ると、マナを扱う技術も法術もひどく、現実に則した法の内でしか働かない力なんだ。意外と普通なんだよ、奇蹟のように見える法術でも。万能に近い力を持っているけど、万能なんて言うのは有り得ないからね、実際は……」

 ベンジャミンは口に出しそうになった言葉を飲み込み、別の話をした。

「いつも思ってしまうことがあるのだよ。ボクが盆をどんなに大きくしようとも、必ずどこかから水は漏れだしてしまう、縁からあふれ出す。いくら拡げた気になっていてもね、水が必ず漏れるんだよ。取りこぼした水は帰らない。それを繰り返すボクは、ひどく間抜けで特別とは決して呼ばれる存在ではないと……ああ、変なことを言い出すのはボクの悪い癖だから、流してくれたまえ」

 ベンジャミンは少し悲しげに笑い、窓に映る空を見る。空の青は、彼に何を思い出させているのだろうか。

「しょんなことないでしゅ、ししょう。ぼくは、ひとにふちゅうもちとくべちゅもないちょおもっていましゅ!でも、ししょうはぼくのことたしゅけてくりぇたから、すごいことしちゃひとなんでしゅ!さいしょからとくべちゅなんておもってましぇん。できないことなんちぇ、できりゅことより、じゅっとおおいんでしゅから」

 ユキト自身なぜ、こんなことを言っているのか分からない。言いたいことが上手く言葉にならず、もどかしい顔をしている。

「しゅいましぇん、へんにゃこといいました」

 ベンジャミンはそんなユキトを、眩しいものを見る様に眺めていた。

「今のはただの戯れ言さ、気にしないくれたまえ。君の喋り方はたどたどしいのに、難しいことをいうのだね……。なんだか似た者同士だね、ボクたち」

 ベンジャミンはこの少年の特異性にはとっくに気付いている。一応本人も隠そうとはしているがボロが出すぎである。だが、彼は特に気にとめていない。自然体でユキトと話している。

「ボクは法術師が特別とは考えていないよ。万能ともね。法術師も、そうでない人間の多くが、法術やマナが万能であると信じているがね」

「しかしだね。ボクはそれを否定しているが、ボクは人一倍、万能でありたいと願っている。ボクはそうあろうとすることを止められないんだよ。思い描くこと、そのすべてを叶えることが、できたならと……」

「ししょうは、じゅっとあゆんでいるんでしゅね」

「そうさ、スター・アイドルはみんなの希望だからね!」

 ベンジャミンは己の無力を知っている。ゆえに上を見続ける。特別ではない、万能ではない。

 自分の想像しうる物事が実現しているのか。

 答えは否だ。

 彼の原動力は今も昔も変わらない。

 あの日々、あの時から。

 二人は少し、しんみりしてしまったため気分転換に、少し散歩に出掛けた。

 途中、仲良く語らいながら歩く二人と、一人の母親が遭遇したとか、しなかったとか。



銅の月 18夜

 ベンジャミンは、ユキトの体調の完全回復を確認し、帰国することになった。

 サービスで、ユキトの不自然に乱れていたマナの流れを正常に戻したため、ユキトは大怪我以前より遙かに体の調子が良くなっていた。

 あまり盛大な別れはしたくなかったため、ベンジャミンの要望通り、ホーエイ鉄道駅でユキトとその両親に見送られての帰国となった。

 ナディアにはすでに屋敷で別れを済ませている。

「いやー、思ったより長々お邪魔してしまったね」

「いえ、私にとってはありがたい限りでした。ベンジャミン様なら、いつまでも我が屋敷にいていただいていいのですよ」

 ユキトの父とベンジャミンとの間には大分壁がなくなっていた。

「『私の』ユキトと仲良くしていただいて、ありがとうございました。トルマン様のお陰か、大分言葉が達者になりまして。『ししょう』なんて『おかあさま』よりずっと上手に発音出来るようになっていて驚きました」

 ユキトの母と、ベンジャミンとの間には大分壁が増えていた。

 ユキトの母から静かな威圧が放たれ、震えるベンジャミン。

 ベンジャミンはユキトを巡って勃発した、この母との骨肉の争いで、すっかり苦手意識を植え付けられていた。

 ベンジャミン本人も完全に忘れていそうだが、ベンジャミンの身分は彼らより遙かに上である。


「そんなことありましぇん『お母さま』。ひしょかにべんじゃみんしゃまに『お母さま』のはちゅおんを、おしえてもらっていました。おどろかせたくちぇだまっていたのでしゅ」

 ユキトは母の前で「ししょう」発言をしてしまってから、一人で「お母さま」の猛特訓を行った。そのお陰で「ししょう」を超える、発音のよい「お母さま」を習得できた。すべてはこの日、このときのために。師匠のために!

「どうでしゅか『お母さま』。へんじゃありましぇんか『お母さま』。いっぱいれんしゅうしちゃんでしゅよ『お母さま』。『お母さま』?なにかいってくだしゃい『お母さま』!」

 ユキトはここぞとばかりに攻めた。ラッシュし、押しまくった。

 母は変装しているとは言え、決して衆目で晒してはいけないような恍惚の笑みを浮かべ、うっとりと聞き入っていた。

 ユキトは堕ちたか、と内心ニヒルな笑顔を浮かべ、ベンジャミンに視線を送る。

 ベンジャミンはユキトにバチバチとウインクを連発して答えた。

 相変わらず仲のいい二人であった。


 父親が何かを期待するようにこちらを見ていたが「お父さま」と呼ぶ練習はしていない。

 何も言わないでおくのが息子の優しさだと背中で語り、ユキトは父の視線に気付かないふりをした。

「本当にベンジャミン様はいいお方ね。これからも機会がありましたらぜひ、我が屋敷にお泊まりください」

 ユキトの乾坤一擲の策によって、母とベンジャミンとの間の壁は取り払われた。

 

 ……かに見えた。

 ユキトはこのときは知るよしもない。この出来事がユキト争奪戦の単なる序章に過ぎなかったことを。


 やがて首都行きの鉄道が駅に入ってきた。

「鉄道も来たようだね。ではボクはこれで失礼するよ。ホーエイ殿には例の件でやり取りがあると思うけどね。ユキト君は早く字を覚えなさい。そうしたら文通でもしようじゃないか!」

「うん!」

「あとこれ、ボクからの快気祝いだ、受け取りたまえ。それじゃあね!」

 ベンジャミンは颯爽とゲートをくぐっていった。

 背が低いので、すぐに見えなくなってしまった後ろ姿を、三人の家族は暫く眺めていた。


「さあ、帰ろうか」

「ユキト、ベンジャミン様から何を頂いたの?」

 ユキトはベンジャミンから渡されたものを改めてみてみる。黒く光沢のあるカードで文字が書かれている。

「かーどだね。えーと……よめましぇん」

「貸してごらん。なになに………………」

 ユキトの父は固まった。ユキトの母は訝しく思い、カードを覗き込む。

「どうしたの?あなた……………………」

 ユキトの母は固まった。

しばらく固まってから回復したが、なぜか二人はカードのことを、ユキトに教えなかった。

 両親はそのままカードをユキトから預かった。

 文字が自分で読めるようになったら返すといわれ、ユキトも渋々納得した。


 ベンジャミンはこうして、ホーエイの地に色々なものを残し去っていった。




幕間・スター・アイドルの弟子に続く…………かもしれない。






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