(2)残酷な世界6
「ユキト。今日はピクニックに行かないかしら?」
今日の朝食の時、急にお母さまから提案された。
どうやら、あのやたら忙しい仕事がやっと一段落したそうだ。
お父さまはかなり疲れて切っていたが、今日はもう元気になっていた。若いから回復が早いのだろう。
「お父様も時間ができてね。急なのだけど今日は天気もいいし」
「ぼくは、いってみたいでしゅけど……」
今日は晴天で、天候は最高。季節も涼しいくらいの、いい塩梅。体調は絶好調。
だけど……。
「おねえちゃんはいきましゅか?」
「いいえ、今日は体調が良くないみたいなの。だから今日は3人でのお出かけになるけど……」
たぶん誘っているのだろうけど、姉さんは穴熊を決め込んでいるようだ。
あれからまだ、僕は姉さんに会っていない。両親やミリアも会わせてくれない。 お母さまやお父さまは会っているようだ。僕は徹底して避けられている。
「4にんじゃないと、いやでしゅ……」
自然と暗い返事になってしまう。お母さまも少し辛そうに眉をよせている。
「そうね…。家族みんなでの方がいいわよね……」
「あ、ぼくおねえちゃんのへやに、おみまいにいってきましゅ!」
体調不良にかこつけて、面会の催促する。
僕もいい加減、現状を何とかしたい。姉さんはもうずっと部屋に籠もりっぱなしだ。もう遠慮するべきじゃないだろう。
「いや、ユキト。俺が見てこよう」
「でも……」
「ユキト。お父様に任せましょう。きっとナディアも病気の姿を、ユキトに見せたくないでしょうから」
「………」
そして引き下がる僕。ここで我が儘でもいえれば違うのだろうが、両親に我が儘を言うと言うことは、二人に甘えるということだ。
僕はどうすることも出来ず、ひどく中途半端に引き下がった。
この日、結局ピクニックには行っていない。
ピクニックの中止から1夜明け、僕はかなり暗くなった。もうこれでもかという暗いオーラを振りまいた。
両親が何を言ってきても生返事。ミリアに話しかけられたら、元気よく返事。もちろん人のいない場所での話だが。
押してだめなら引いてみろということで、暗い振りをして「おねえちゃん……」や「あいたい…」など、ぼそりと呟く。そして屋敷の中をふらふらと練り歩く。
ミリアにも手伝って貰っている。
「旦那様方を騙すようで心がひけますが、お嬢様のためです」といいながらすごいノリノリで、「坊ちゃまが、お嬢様面影を捜して屋敷の中を……うう、お労しや」とかお母さまに言っていた。
午前中たっぷり歩き回ったせいで、かなり疲れた。さすがに午後も歩き回るのは無理そうなので、昼食の後、「きょうは、たいちょうがしゅぐれましぇんので……」とお母さまに宣言し、部屋で休むことにする。久しぶりにミリアと「ナイツ」でもしようかな〜。
僕が1階から階段をのぼって、自分の部屋の方へ行こうと廊下を見ると、部屋の前に誰かいた。
あの後ろ姿は間違いなく、姉さんだった。
僕は反射的に「おねえちゃん」と言ってしまった。
姉さんは肩をビックンと跳ね上がらせ、こちらに勢いよく振り返った。
と思ったら走り出した。すごいスピードだ。とてもじゃないが、僕では追いつけない。
どうしようかと数瞬悩み、姉さんの部屋へ行くことにした。理由は一番逃げ込みそうだからだ。
……いやよく考えると、姉さんの走った方と部屋は真逆だった。姉さんから見たら、僕のいる方が自分の部屋だ。運がいい。姉さんに逃げ場はない。
もう余計なこと考えず、手当たり次第に探すことにする。
僕も遅い足を走らせながら、聞き込みながら姉さんを探す。
姉さんは全く規則性なく、がむしゃらに逃げているのに、全く僕と遭遇しない。
なんて勘の良さなんだ。
僕は肩で息をしていて、この弱い体は苦情を言ってくるが、聞く耳は持たない。僕の体なんだから根性見せろ!
よろよろと歩き出したところ、ミリアがこちらに走ってきた。
「坊ちゃま!ここでしたか。お嬢様は中庭にいらっしゃいます。行ってください」
「ありがとう、ミリア!」
僕は玄関を目指して走り、中庭を目指す。
姉さんはすぐに見つかった。
くしくも姉さんは、僕が大怪我を負った場所で苦しそうにうずくまっていた。
僕はうずくまる姉さんを見て、すぐに駆け寄ろうと近付く。
「こないで!」
そう叫びながら姉さんは顔を上げた。
先ほどは早すぎて、ろくに顔を見ることが出来なかった。
今の姉さんの顔は以前の快活さはなく、悲壮に歪んでいた。光ってはいないが、瞳の色はもうブルーではなく、磨き上げられたルビー色をしていた。
僕は、姉さんからの初めての拒絶の言葉に足が止まり、涙が出そうになったが、顔に力を入れ何とか堪える。ここで泣いたらだめだ。姉さんにもっと悲しい思いをさせることになる。
「来るな、来るな!」
「あっちへ行って!」
「わたしに構わないで!」
「わたしを見ないで!」
「来るな!来るな!」
「来たら、もう一生口を聞かないから!」
「どっかいちゃえ!いっちゃえ!!」
「はやくいってよ!いなくなってよー!」
姉さんに何度も叫び声をぶつけられ、悲しい気持ちになる。
姉さんはずっと僕を傷つけたことに、思い悩んでいたのだろうかと。明るい表情を消して自分を責めて。
僕は大馬鹿だ。自分が気にしていないから、姉さんがただ少し落ち込んでいる。顔が合わせづらいくらいにしか、考えることが出来ていなかった。
姉さんの顔は明らかな恐怖に歪んでいる。何をそんなに怖がっているの……。
僕は再び歩き出した。
姉さんから目を逸らさず、ジッと見つめながら一歩、また一歩と。
「来るなって、行ってるでしょ!」
「近付かないで!」
「わたしの弟でしょ!言うこと聞きなさいよ!」
「来ないで……」
「来ないでよ、来ないでよぉ………」
僕は姉さんのそばまで来て膝立ちになる。姉さんは僕を突き倒そうとするが、とっさに手の動きを止めた。
僕は間近で姉さんの瞳を見つめる。赤い瞳は、苦しげに歪み、今にも決壊してしまいそうだ。
僕が高熱に倒れたとき、心配そうに揺れていたブルーの瞳は、今は赤く染まり恐怖に怯えている。
だから、僕は笑った。怖くないよって、僕は姉さんが大好きだよって、微笑んだ。この気持ちに、嘘偽りない。
明るくて、心配性で、優しくて、負けず嫌いで、歌が上手で、慌てている姿が面白い。
そんな姉さんが、大好きなんだよ。
だから、僕も姉さんにあげるから。
僕は座り込んでいる姉さんを抱きしめる。僕の体は小さいから頭を抱えているだけだけど、ゆっくりと姉さんの頭を撫でる。ゆっくりと……ミリアが僕にしてくれたように。姉さんが僕の手を握ってくれたように……。少しでも姉さんの辛い気持ちが姉さんから逃げていくように。
声を上げ、涙を流す、泣き虫な姉さんを、ずっと抱きしめていた。




