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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第1章〈ユキト〉
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(2)残酷な世界5

 僕が大怪我をしてから、14夜がたった。すっかり体の調子が良くなり、以前よりずっと調子よく感じる。

 「ベンジャミン師匠」も数夜前に首都へ帰ってしまったので、結構暇を持て余していた。

 屋敷の人間も両親を含めて、かなり忙しそうにしていて僕は、完全に放っておかれている。

 少しなら出歩いていいと言われているので、勝手に散策させて貰うことにした。ミリアと一緒に。

 やっとベッドから抜け出せるのだが、僕にはどうしても気になることがあり、あまり気持ちが上向かない。


「ミリア。おねえちゃん、まだぐあいわりゅいの?」

「体の方は大丈夫ですよ、元気でいらっしゃいます。ただ、まだ心の整理がついていないようです」

「ぼくは、あわないほうがいい?」

「今はそうですが、大丈夫ですよ。お嬢様はきっと元気になりますから」

 ミリアは気持ちが沈んでいる僕に優しく声をかけてくれた。最近ミリアは子どもには難しい言葉でも、僕に対して使うようになった。僕が理解しているのが分かっているからだろう。僕は相変わらずボロがたくさん出ている。

 心の整理か……。

 薄ぼんやりとしか覚えていないが、僕は姉に殺されかけた。

 血のように紅い瞳。押しつぶされる圧力。そして何が起きたのか分からず、呆然とする姉の顔。

 両親も屋敷の人間も、当時のことを語ろうとしない。僕もあの時とあの後、何が起きたのか正確には知らない。僕自身も、もう少し気持ちの整理が付いたとき話を聞こうと考え、今まで自分からは聞かなかった。

 今はもう、整理は付いている。両親が揃う場で話を聞きたかったが、生憎の忙しさだった。

 姉さんのことを後回しにしたくないが、僕にはもう一つ気になっていることがある。そして、その答えを知っている人間は僕の目の前にいる。


 ミリアと僕は屋敷の外に出て中庭に出る。

 秋も深まっているが、この国は温暖な気候なのか、あまり寒さを感じない。もうこの場所に、あの時のことを感じさせるものは何もない。整えられた庭園だ。

 僕は屋根付きのベンチに腰掛ける。ミリアにも勧め、彼女は対面するベンチに腰掛けた。

「きょうは、くもりだね。あめはふりしょうにないけど」

「そうですね。どんよりとしております」

 僕は言葉を色々探すが、結局思い浮かばず、天気の話をしてしまった。前世の僕もこん感じだったような気がする。

 こんな時こそ子どもらしく、素直に話せたらいいのにと、都合のいいことを考えてしまう。

「ミリア……ぼくってどんなふうにみえてりゅ?」

「坊ちゃまですか?それはもう、天使のようにかわいらしい方だと思いますよ。もちろん私だけでなく、旦那様も、奥様も、お嬢様も、使用人一同もそう思っていますよ」

「しょういうことじゃないんだけど……。そうじゃにゃくて、そのぼくは、このいえにょかぞくなのかな」

 褒められて悪い気はしないが、天使は大げさだろう。まあ子どもはみんな可愛く見えるものなのかもしれないけど。

「家族に見えるかといわれると、それ以外の何者でもないと思いますが……何かお悩みがおありですか?」

 前世の記憶や僕の精神年齢のことは、説明できないので言わないが、僕が家族に対して抱えていることをミリアに相談することにした。

「ぼくが、お母さまや、おとうさまのこと、どうおもってりゅか、ミリアわかりゅ?」

「それは……改めて聞かれると、少し分かりかねるところです。坊ちゃまがそのように問うのは、何か心を患わせることがあったのですか?……」

 ミリアは僕の子供らしからぬ複雑な表情を見て、少し悲しげな顔をして聞いてくる。僕は首を横に振る。

「ちがうの。わからないにょ。ぼくはいまのじぶんがどょんなふうに、ひとからみえてぇるか、ききちゃかったの」

「私に言えることはそうありませんが、坊ちゃまは間違いなく、この屋敷の家族にしか見えません。恐らく誰に聞いてもそうこたえるでしょう。これは私の本心です」

 ミリアは真っ直ぐ僕の瞳を見て答えてくれる。僕はその瞳を見て、心の中に鈍いうずきを感じる。その目をどこかで知っている、そんな気がして……。

「………」


 ミリアは僕が沈黙してしまったため、また口を開き、語ってきかせてくれた。

「坊ちゃま。家族というのは厳密に言ってしまえば、誰かに示すものでしかありません。血の繋がりからくる、ごくごく自然に出来上がるものです。ですが坊ちゃま言っているのはもっとずっと曖昧な部分の話です。戸籍で言えば家族となっているけど、本当に家族としての絆は存在するのか、愛や情はあるのか、そして坊ちゃまはそれを考えた上で、肉親のことを家族と思い切れないと、そう見えていないのではと、私に問うているのですか?」

 僕の質問のいとは確かにそうだが、本心は違う。僕は情や絆が通うのが怖いと考えている。だからミリアに聞いたのだ。

 僕が今のままで家族と、上手くやれているように見えているのか。僕がこれ以上家族の情を持たなくても、家族して振る舞えているのかを。とても卑怯な、おおよそ子どもらしさの欠片もない卑屈さで。

 胸が軋むように痛む。

 まただ、何かが僕の行いを否定しようとしている。胸がざわつく。僕はこんな人間だったのだろうか。何か、とても大切なことを忘れている気がした。


「ミリア、はなしがしゅごくむじゅかしいよ。こせきってにゃんのこと?」

 僕はまた都合良く子どもを取り繕う。止まない痛みを誤魔化しながら。

「すいません、坊ちゃま。難しい言葉を使いすぎてしまいましたね」

 ミリアは僕のごまかしに気付きながら微笑む。僕も微笑む。

 僕は本気で嘘を吐くとき誰にも悟らせない自信がある。それを今思い出し、僕のたった一人の母のことを思い出していた。

 そういえばミリアも僕の嘘に殆ど気付いている気がする。お母さまよりずっと。


「ミリア、そっちへいっていい?」

「はい、どうぞ」

 ミリアは体をずらし、僕の座る場所を空けてくれる。僕はミリアに密着して座る。ミリアからは色々な匂いがした。日だまり、水、食べ物、洗剤。すごく落ち着く。

「ミリアにはかじょくがいる?」

「はい。ずっと昔に、夫と息子がいました」

 いました?今はいないということだろうが、どうして……。

「今はとても穏やかに暮らしているはずです。場所がとても遠い場所なので会いに行くことは難しいですが、私もいつかは、そちらに住むことになるだろうと思います」

「そうなんだ……」

 僕はミリアの話を聞くのを止めた。僕みたいな子どもが深く聞くことは、ミリアに失礼な気がした。

「でもミリアは、いまはぼくでがまんしちぇね。むしゅこしゃんにしばらくあえないならぼくが、しょのぶんミリアにあまえりゅから」

 ミリアの腰に抱きついて腕に頭をのせた。ミリアは少し驚いた顔をしたが、そのまま頭を撫でてくれた。優しく髪をすかれて、気持ちが良かった。

「私にはもったいないことですが、坊ちゃまが望むのなら」

 僕の思考は確かに子どもではない。だけど本能は母を必要とし、頼るべき人間を必要としている。

 僕には母親と父親と呼べる存在は、前世の両親を置いて他にはいない。

 お母さまは、僕の母親で在ろうとするため、反発心を生み。お父さまも同じく父親であろうとするため受け入れられない。

 でも、時間が経つにつれ、僕の中の頑ななまでの意志はゆっくりと毒されていく。

 無償の愛情。

 お母さまは僕を守るために、異能を発現させた姉の前に立ち。

 お父さまは僕の命を救うために迷いなく、全ての財を捨てる決断をした。

 僕はこの事実を今は知らなかった。





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