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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第1章〈ユキト〉
12/114

(2)残酷な世界4

 お母さま視点


 目の前に眠る我が子。安らかに眠っている。数時間前まで命の火が消えそうだったとは、とても思えないほど穏やかに。



 娘が見つからず途方に暮れているところ、屋敷の中が慌ただしくなっていることに気付いた。

 執事のダーヴィンが私のところに駆け込んできたときは、心底驚いた。自分の血が凍り付くほどに。

「お坊ちゃまが危篤です!旦那様に連絡を!」


 ミリアは息子に応急処置をほどこしながら、夫に連絡をするようにダーヴィンに言伝たとのことだった。

 死を覚悟しろという意味かと思ったが違う。夫は今、法術師様を迎えにホーエイの鉄道駅に行っている。

 ミリアはさっきほどの会話で、娘のことで夫と法術師様が会うという話を覚えていたのだ。だが、ミリアは夫の居場所までは知らないため私に連絡を寄越した。

 急いで早馬を駅に回すように指示する。

 私はその足で中庭へ向かった。淑女の礼などなく、走った。

 中庭には相当数の使用人が息子に応急処置を施していた。出来ることは少ないが、体を楽な態勢にし、極力動かさない範囲で清潔な布の上で寝かせた。

 息子の両手はあらぬ方向に曲がり、口の周りは血で濡れていた。息子がいたと思われる芝生には乾ききっていない大量の血が散乱している。小さな息子の体からこんなにも血が抜けている。

 私は青ざめ、幽鬼のようにふらふらと息子に近付くが、ミリアに肩を掴まれ止められる。

「無礼を働き申し訳ありません。しかし、今坊ちゃんの体に触れてはなりません、助けが、間に合わなくなります」

 ミリアは穏やかな容姿と裏腹、かつては魔物との戦場、前線で軍医補佐として働いていた。

 体力の減退を理由に今の仕事に就いているが、いつも精力的に働いてくれており、夫や周囲の評価は高い。こうした場でも冷徹なほど感情を殺し、対処している。

 混乱しそうになる私は戒められ、何とか自分を取り戻す。

 そして、その場にいた小さな影に気付いた。


 どこを探しても見つからなかった娘が血に塗れた姿で座り込んでいる。

 異様なほど赤く光る瞳をぎらつかせ、虚空を見つめるように息子を見ている。息を飲むほどの危うさをはらんだ眼光に、じわりと冷や汗が流れる。

「ナディ……」

「奥様、今のお嬢様を刺激してはなりません。完全に『異能』に目覚めております。お嬢様の体の血も坊ちゃまの血です。お嬢様に傷はございません」

 娘の名を呼ぼうとしてミリアに遮られる。

 また、つなぎ止めていた私の、意識が不安定になりそうになる。

 娘が異能に完全に目覚めてしまった。

 血まみれの娘の体。危篤の息子。これだけで何が起こったのか簡単に想像できる。

 でもそうであって欲しくないと、思い過ごしであって欲しいと願いながらも、状況はそんな私の思案さえ許してくれない。

 娘は緩慢な動きで立ち上がり、ゆっくりと息子に向かって歩き出した。体はふらふらと揺れているのに、瞳はまったく息子からぶれていない。

「ナディア!止まりなさい。」

 私は娘の名を呼び、息子の前へと立ち塞がる。ミリアも私を守るように前へ出る。周囲の皆も娘の様子に気が付き制止にかかる。


 庭師の男性が娘の腕を掴むが、娘はそれをただの飛んでいる羽虫をむずがるように、腕で振り払った。

 ただそれだけの挙動で大の大人が宙を舞い、数エーデル先の植木まで吹き飛ばされる。

 息子が見えなくなるように視界を塞いだダーヴィンは、腕をつかまれ、そのまま腕を握り潰され絶叫した。

 それを聞いても娘は眉一つ動かさず息子を見つめる。

 私たちは動けなくなった。ミリアでさえ額から汗が流れ落ちている。

 娘は一歩、また一歩とこちらに近付いてくる。

 私は引かない。引くわけにはいかない。後ろには息子がいる。助かるかもしれない命だ。私が守らなければ。


「ミリア。あなたは私に付き合わなくてもいいのよ。怪我じゃ済まないかもしれない。今の娘には私たちが見えていないわ」

 繰り返し呼びかけても娘に声は届かなかった。覚悟を決めるしかない。

 ミリアの背中に向かって私は彼女に話しかける。女性らしい小さな背中。でも背筋を伸ばし、揺るがない強さを感じる。

「奥様はご存じないと思いますが、魔物の軍勢を前にする恐怖を1度でも体験しますと、大概のことは怖くなくなってしまうのですよ。私は恐怖のねじを2、3本戦場に置き忘れてしまっているので、今さら異能を怖がる乙女のふりは出来かねます」

「………」

 あまりの物言いに私は現状を忘れそうになる。同時に彼女の不遜さがこの上なく頼もしい。

「ミリア、あなたはとても不遜でいらっしゃるのね。屋敷のメイドになるには、後10年早かったのではないかしら」

「適齢期ですよ、奥様。私はこうしてこの場にいられます故」

 私たちにもう会話はない。前を見つめ、娘を見つめる。庭師とダーヴィンも痛みを堪え、私たちの前で壁作る。

 ナディア、私はあなたにこれ以上悲しい思いはさせない。

 ユキト、あなたを決して死なせはしない。


お母さま視点 了




お父さま視点



 少し憂鬱だった。

 今、俺はホーエイの鉄道駅内で人を待っていた。本来なら領主が、こんな堂々と衆目に晒されながら、突っ立っていることは褒められたことではないだろう。

 しかし、今回の人物は自分より高位の身分を持つ人間であると同時に、ひどく特別扱いや特権を嫌う人物だ。

 高い身分で在るにも関わらず、そう言った精神を持てるのは好感が持てるが、対応する側はさすがに、身分を無視は出来ない。初対面なら尚更、ミスができない。


 そして駅に鉄道機関車が停車した。あの一般車両に乗車していると言うことだが……。

 誰だか分からない。理由は俺が先方の顔を知らないからだ。別に俺が不勉強だとか、段取りを間違えたとかではない。

 俺が今回会う相手が法術師だからだ。

 彼ら「法術師」は一般に顔を公開しない。例外はあるが、法術師の殆どは重要人物でそれを囲うものや、関係者は彼らの存在を秘匿する。

 俺も今回法術師と会う為に変装して、妻以外に行き先は話していない。相手の身分のために下手に従者にも任せられない。不興をかえばことだ。

 取りあえずあちらが気付くらしいので目のつく場所で待っている。

 そうして数分経ったとき不意に声を掛けられた。えらく高い、首を絞められた鶏のような声だ。


「もし?あなたがボクの道案内かな?」

 俺はゆっくり声のする方を振り向いたが、それらしい人間はいない。

「もし?君、ボクのこと見えてるよね。ここだよ、こ・こ・だ・よ!」

 頭にキンキン響く声だ。ああ、見えているさ。それらしい人間はいないが、人間かどうか分からん生物は見える。見えている。と言うか本当になんだ、これ?


 全長が俺の腰ほど、手足が棒のように細い。顔は目が飛び出していて眉毛や睫毛がない。鼻が潰れていて口は普通で顎髭が少しある。

 髪は白髪交じりの黒だが、髪型は頭頂部が禿げていて、その禿げ上がった頂点にホイップされた生クリーム型の毛がちょんと乗っかっている。

 服装はくすんだ茶色のローブにサンダルをつっかけていた。中にはちゃんと白いシャツを着ているようだ。

「えーどなたかな?」

 取りあえず話しかけられたで、答えておく。不思議生物?は呆れた顔をして、こちらを見てくる。非常にイラッとする顔だ。殴りたい。いや。蹴りたい顔だ。

「君が呼んだから来たんじゃないか。早くボクを異能者の元に案内してくませんかね〜」

「えっ、まさか、あなたが……」

「そうだよ。ボクこそがこの世界に舞い降りた、天から使わされたと名高い純真無垢な美少年!永遠に年を取ることを知らない、スター・アイドゥール!」


「ベンジャミン・アズナルシスト・トルマンさ!」


 やたら白い歯を見せつけながら、不思議生物?もとい水仙の法術師、トルマン様は高々に名乗りを上げた。

 法術師とは、みんなこんな奴ばかりだから秘匿にされているのではないだろうかと、真剣に考えてしまった、27歳の秋。



 取りあえずお互い身分を明かしたところで、早々に馬車へ移動した。

 トルマン様は領主自ら迎えに来たことに、いたく機嫌を良くされた。

 まるで十年来の友人に話しかけるように、こちらに話題を持ちかけてくるため、俺は感動のあまり血涙が出そうだった。

 さすがに「名前で呼び合おう」と言われたときは、恐れ多く感じてしまい「トルマン様からは、我が名よりも領地の名で呼んで頂ければ、ホーエイ領の最上の名誉となります」などと、最もらしい理由をつけて、領地の名で呼んで頂くようにお願いした。

 トルマン様は快く承諾された。ああ、何と広い御心か。

 それからトルマン様は、こちらが聞かないうちから来歴を包み隠さず、語り聞かせるという、サービス精神を発揮された。

 俺は「ベンジャミン検定」というものがあれば、全問不正解の0点を取れるほど、トルマン様の話を熱心に拝聴させて頂いた。


 さらにトルマン様は様々なプライバシーまで暴露しようとしたため、俺は戦慄し、情報漏洩のリスクを懇々と諭し、必死にお諫めした。

 さすがの俺もトルマン様の性癖という、トップシークレットを知ってしまっては、耳どころか脳さえ昇天してしまうだろう。

 俺にとってトルマン様との道中は、人生で忘れることの出来ない道程となった。

 俺は心の奥、誰にも、自分にも開けることが出来ないよう記憶を厳重にしまい込んだ。

 

 話は戻るが、トルマン様とはまじめな話もした。

 本来で在れば法術師は、魔物の領域の前線基地が主な赴任先となるが、まれにマナの研究者となる者が居る。

 トルマン様はその研究者であり、こうして異能者が出た際には率先して借り出される。要するに娘の最終調整を行う人間としてこれ以上にない人物だ。

 娘の異能者としての資質は高かった。瞳の色が変わるような分かりやすい発現をするほどのものは殆どいない。

 そのため異能の調節、マナの制御において右に出る者の居ないトルマン様が娘にあてがわれたわけだ。

 異能者は発見次第、調整を必ず執り行う。それにかかる経費も国庫で支払われる。

 もし個人で法術師に依頼しようものなら、王族並みの財力がなければ不可能だ。

 法外な依頼料を取られるのは、決して法術師が金に汚いわけでなく、希少な能力を持つ人材を個人の便利屋のように使われないように、国々が定めた処置だ。特に法術師が魔物と戦える最大戦力であると言う理由が大きい。


 ベンジャミン様は今、我がスクビア連合国家、コバルティア首国の首都にある「学府」で対魔物の為の、個人装備を作成しているという。そういうことを俺に教えていいのかと思ったが、いいらしい。

 今は試験運用中だが、子飼いの「狩人」にはもう渡しているという。いいのかと思ったが、いいらしい。

 もともと自分個人で進めていた研究を、国が介入して一大プロジェクトに変えてしまったという。そのせいで書類や審査が面倒で肝心の研究時間が減ったと愚痴られた。

 恐らくだが、元々目をつけられていたのだろう。研究が完成間近になったか、実用性が見られるようになってから、国が研究を乗っ取ったと思うのだが……。この人はあまりそのことは気にしていないようだ。鈍いのか、大物なのか分からないな。


 この方は変なことを言うものの、娘のことには親身になってくれている。

 検査結果を基に彫金した腕輪も、彼の自前で作ったものだ。「色金」という希少金属で作られた銀色のそれは、シンプルでデザイン性もある。

 娘からプレゼントにほしいとお願いされそうなほど、端正に仕上がっている。「そういうことしているから研究時間が減るのではないですか?」というと「なるほど、考えて見ればそうだね。書類と審査は面倒だから研究は国の奴らに任せようかな。もうボクの中では完成しちゃってるし。そしたら別の研究と異能の調節の時間がもっと取れるからね。冴えてるね、ホーエイ君!そんな君には、「スター・ライト」の称号を授けよう。閃きの星ってね」


 ばしばし肩を叩かれたが、嫌な感じはしない。そういうことを言いたいわけではなかったが、別にいいか。何を言っても無駄そうだ。私は声を上げて笑った。

 第一印象のインパクトの強さで頭から抜けていたが、本来であればトルマン様は雲上人なのだ。

 それを俺は最初から、殴ってやりたいだの、腹が立つなどの感情を覚えた。ありえない。いつもならそんな感情を自覚するほど出さない自信があった。この方は恐ろしい速さで俺の心を開いていた。

 本当に変な方だ。

 

 馬車は暫く道なりに進んでいたが、道の先からかなりの速度を出した早馬が駆けてきた。

 目を凝らせば、見知ったうちの使用人だった。

 トルマン様に断りをいれ、馬車を停車させる。使用人は馬車に辿りつくなり、転がるような勢いで下馬し、必死な形相で、声をかけてきた。

「旦那様、坊ちゃまが危篤です!すぐに屋敷へお戻りください!」

 「息子の危篤」頭を殴られるような衝撃に、体から力が抜けそうになるのを何とか抑える。すぐさまトルマン様の顔を見る。

 彼は真剣な表情で頷いた。

 それを確認し、馬を使い潰す勢いで屋敷に向け馬車を走らせた。



お父さま視点 了



ベンジャミン視点



 「異能」とは、簡単に言ってしまえば、身体能力が普通の人間より高くなる能力のことだ。

 万物にはマナが存在し、人間の身体能力はマナの保有量で差がでることが研究で判明している。

 そして大多数の人間よりはるかに高いマナを持つものには「異能者」と言う名が付けられた。

 しかし、マナの保有量が身体能力に影響を与えるのは、一般人の平均の2倍以上のマナ保有量が必要だ。異能者と呼ばれるものは、そのさらに倍以上のマナ保有量を持つ者だけだ。

 今回の異能の兆しを見せる少女は何かと気になる点の多い子だった。


 まだ発現もない状態での色素の変化。

 マナの保有量の高さが、すでに大人の異能者並みで在ること。

 だが発現には猶予があると考えていた。異能者の力の発現は暴力行為が深く関わっている。それを犯さない限り安全であり、桁違いのマナ保有量でも、運動能力が高いだけで異能に目覚めないこともある。

 まず子どもが、ましてや領主の娘が差し迫った状況になるとは考えていなかった。


 そしてボクは今、その見通しの甘さを痛感していた。

 屋敷には血まみれの子どもを守るように壁をつくる大人達。

 大人達の目線の先には今回最終調整を依頼された少女。少女とはこれが初めての顔合わせだが間違えようはない。

 異能に目覚めているのは明白だった。少女の体をマナが充足しているのを感じ取れる。

 ただの異能なら対処は容易だっただろう。

 鬼火のように怪しく光る眼光は、間違いなく「狂人」に堕ちる前兆だった。

 これはボクにしか見えていない光景だが、彼女に「赤」のマナが取り憑こうとしている。それは「狂化」の前兆だ。でもまだ救える。

 もし堕ちることになれば、ボクは少女を肉片一つ残さず消滅さなければならなくなる。

 だが間に合った。ここには法術師がいる。それもとびっきり一流のね。


 ボクは自分の「領域」からマナを右手に集める。屋敷の中庭にはボクの可視化された、澄み切った淡い黄色のマナの粒子が舞う。周囲の人間が息を飲むが、今は構わない。

 ボクはそれをすべて右手へと収束。黄色のマナの球を作り、少女に向け右手を押し出す。マナの球は弾丸のように飛んでいき、少女の頭部へ命中。淡い光が爆散し、沈黙のあとに女性の絹を裂くような悲鳴が響いた。


 少女は地面に倒れ、ぴくりとも動かなくなったからだ。

 ボクはさらに領域からマナ集め、右手に収束させた。

 こちらに向かってくる影がある。ホーエイ殿だ。危ないから動かないように言ったが、さすがに娘の頭を打ち抜かれたら怒るよね。

「さきに誤解を正しておくけど、娘さんには傷一つつけていないよ。言っても理解できるか分からないけど、ボクのマナで、娘さん異能を強制シャットダウンさせただけだから。簡単に聞こえるけど、ボクだって事前の検査結果がなかったら、不可能な芸当だからね」

 ホーエイ殿は赤い顔をしているが、怒りを抑えてくれているらしい。息子も危ない状態なのに、この状況で自分を抑えるとは、すごい精神力だ。説明をすっ飛ばすのはボクの悪い癖だった。

「こっちは大丈夫だから、あのこっちを睨み付けてる女性のこと抑えていてくれない。もの凄く怖いから」

 あの女性、焦げ茶の髪のメイドさんがいなかったら飛び出してきそうだ。背中を気にしながら術を使うのはごめんだ。

 ホーエイ殿は了承し「娘を頼みます」といって女性のところへ行った。女性はホーエイ殿に抱きついて、泣き出した。……奥さんだったのか。緊張の糸が切れたのだろう。でもまだ終わってないよ。

「さてと……」


 ボクは懐から色金の腕輪を取り出す。そして倒れている少女に近付き、法術を行使する。

 実際は法術師なら簡単に行使できる異能封じだが、今回は本人の資質と異能を超え、狂化まで発現しかけたのだ。かなり繊細な術式が必要になる。

 ボクの右手から光の糸を無数に伸ばし、さきほど大雑把にしか散らせなかった、赤のマナを欠片も残さず散らしていく。

 同時に少女のマナの流れを最適化、色金の腕輪に新たな術式彫り込んでいく。繊細なマナの操作に気力がゴリゴリと削られていく。

 本来なら赤のマナを散らす作業だけでも半日はかかる。それを同時作業、高速処理で行っているのだ。

 いくら超絶天才のボクでもしんどい。というかマジでボク以外の法術師だったら、この少女は、いやこのホーエイ領そのものが不幸な結末を迎えていたかもしっれない。捨てる神在れば、拾うベンジャミンありだね。

 

 そんなくだらないことを考えているのは、少女の処置が終わったからだ。

 最後に同調を終えた色金の腕輪を少女の右腕に付けた。少女の持っていた存在感は急激になりを潜めた。異能はちゃんと封じ込めることが出来たようだ。狂化の心配もない。

 時間にして5分。あ〜しんどい。

 これで国からの依頼は終わった。さてどうするかね、ホーエイ殿は。



ベンジャミン視点 了



ミリア視点

 


 私は、数々の法術を見てきたという自負があります。

 私は法術師ではもちろんありませんが、術式やマナの流れで術の系統や技術は大まかに理解できます。しかしこれは法術と関わる時間の長い人間であれば、自然に身に付く技術でもあります。

 私たちが、お嬢様と相対して死を覚悟しようとしたとき、猛烈な勢いで馬車が庭に入ってきました。

 中庭の芝生を蹴散らし、飛ぶように降り立った旦那様と、子どもほどの体躯のガリガリに痩せた、法術師様がふらふらと降りてきました。

 坊ちゃまは私たちの影になっているため、旦那様からは見えません。旦那様は血まみれのお嬢様が真っ先に目に入り、すぐに駆けだし、お嬢様に近付こうとなさいました。

「ホーエイ殿、止まられよ」

 まるで、朝の起床を告げる鶏のような声が聞こえると、旦那様は急停止しました。声色こそ威厳はありませんが、有無を言わせず人を従わせる迫力がありました。

 法術師様が右手を挙げると、黄色のマナが私にも視認出来るように可視化しました。

 法術師様が「領域」を展開したのです。

 マナは空気、水、地面、生物、あらゆるものに、場所に存在します。

 法術師様がマナを集めること、従わせることが出来るのは自身の領域の中だけです。そしてその領域を展開した際、その領域内のマナは誰にでも見えるよう可視化します。色は千差万別で、法術師様ごとに異なります。

 法術師様が中庭を包むように領域を開かれたことで、可視化された淡い黄色の粒子が、幻想的に舞っています。

 法術師様は瞬間的に全てのマナを収束し、そのままお嬢様に打ち出しました。

 気が付いたときにはお嬢様が地に伏し、数泊遅れって奥様の悲鳴が響き渡ります。

 私は、純粋なマナに攻撃性は何もないことを知っていたので、今にも法術師様を絞め殺さんばかりの怒気を放つ奥様をお諫めしました。


 法術師様と旦那様が二、三言葉を交わし、旦那様がこちらにやってきます。奥様は旦那様が来たことで緊張の糸が切れてしまったようで、旦那様の胸に縋りつきました。

 奥様は、ここまで良く気丈に振る舞っていたと関心します。

 ですが、まだ何も終わってはいません。

 法術師様は再びマナを右手に収束させお嬢様のそばでかがむと、法術を行使されました。

 末恐ろしほど繊細で精緻な術式。右手から出現したマナの糸、一本、一本に異なる術を並列発動している。それも20以上の術を同時に。

 他にも何らかの術を行使しているようですが、まるで分からない。法術師が一日以上の時間を掛けて行う作業を数分に凝縮して行っています。彼は間違いなく法術師でも極めて異端の技量を持っている御仁のようです。

 運が良かった。ただそれだけのことで、お嬢様は救われた。

 

 さすがの法術師様も、かなり消耗したようで座り込んでいました。お嬢様の、怪しげな気配は消えています。これで、お嬢様は助かったと思います。

 ……ここからは私はいっさい口を出すことの出来ないことです。

 坊ちゃまの治療。それを決めるのは当主である旦那様に委ねられます。

 この法術師様の技量ならば、坊ちゃまの治療に何の懸念もありません。それゆえに歯痒い。私の払える代価あるなら喜んで払います。しかし100分の1も埋めることが出来ない。

 「傾国の依頼料」

 それが法術師に個人で依頼をするという意味です。

 国を傾けてしまうほどの依頼料を払えなければ、法術師の力は借りられない。

 「魔物の領域」でなければ、彼らは救命行為にさえ依頼を受けねば能力の行使を行えない立場にあるのです。

「ホーエイ殿、これでボクはお役ご免だね」

 どこまでも変わらない調子で訪ねる法術師様。疲れは見せていますが、飛び出た瞳にはまだ、気力が残っていることが窺えます。

 旦那様が何か言おうとする前に法術師様がそれを遮りました。

「このホーエイ領は少ししか見ていないけど、なかなか富んでいる。都市には鉄道網も引かれている。これから発展を感じさせる領地だね。実にすばらしい」

「………」

「君がボクに言わんとしていることは、その領地を潰す。バラバラにする。自ら積み上げたものをたたき壊すことだ。領民にだって迷惑がかかる。そして領民にも息子や娘、家族がいることを理解しているかい?」

「ボクは聞いておかなければいけない。君がホーエイ領の領主であるのか。その子の父親なのか」

 旦那様はゆっくり息を吐いてから、言葉を紡がれました。

「私は人の親ですよ、トルマン様。どんな未来であろうと目の前の息子の命を救う事ができるなら魂だって売り渡す。人に迷惑もかける、ただの父親です」

 旦那様は奥様を見、奥様も頷き返しました。

 法術師様はそれを聞いて「いいのかい?」と問いかけました。

「トルマン様には頼ってばかりだが、息子をどうかお願いします」

 旦那様は深々と頭を下げた。奥様、私、屋敷の使用人たちもそれに倣います。

 それを聞くと「ホーエイ殿の依頼、了承した。あっという間に治してみせるよ」と言葉を法術師様は返されました。

 法術師様は坊ちゃまに近付き、領域を広げる。光に満ちた幻想的な光景。法術師様は約束通り、坊ちゃまを完治させました。



 あの日から一週間後、法術師ベンジャミン様宛に郵便物が届きました。

 ベンジャミン様は依頼を受けたからと言うことで、坊ちゃまの経過を見るため屋敷に滞在しています。

 事件の後日に、国経由でベンジャミン様への報酬の相場を通達されたが、まさしく国が傾く金額でした。

 旦那様も奥様も苦笑されていましたが「やってしまったことはしょうがない」と言われました。顔に陰りはありません。後悔はなされていないようです。

 私はベンジャミン様の元に郵便物を届けに上がろうとしたところ、彼は丁度部屋から出てきたところでした。

 ベンジャミン様に郵便物を渡すと、とても上機嫌になられ「ホーエイ殿を呼んできてくれないかい?お茶とお茶請けも頼むよ!」と言って部屋へ戻られました。

 ベンジャミン様は奇妙な顔をさらに奇妙にゆがめ、にやにやしていました。旦那様に報告を入れ、私は恩人である彼のため、お茶とお茶請けを厳選しました。


 客間へ向かうと、すでに旦那様がいらしており、二人は歓談しておりました。

「もう二人とも完治、完璧だね。まあ、心の問題については、ボクは門外漢だから、君たちで何とかしてくれたまえ」

「ええ。何から何までありがとうございます。このご恩は一生忘れません」

「あんまり気にしないでよ。元々仕事だし、君とボクは友達だろ」

「そんな恐れ多い」

「堅いな〜、まあいいけどね。今から君のその硬さが崩れ去ると考えると、ボクはワクワクが止まらないよ!」

 ベンジャミン様は先ほど見せた気味の悪い笑顔を見せ、懐から郵便物を取り出しました。

「これ、な〜んだ?」

 ベンジャミン様は郵便物の中身を取り出し、数枚の書類を取り出しました。

 上質紙に細かな装飾がされています。重要書類だろうと思いますが、普通の郵便として持ち込んでいいのですか、それは。いえ、今そのことは置いておきます。

「えー、特許書類ですね。ただ、これは……」

「ボクが首国に研究を丸投げするって、言っていた研究の特許申請書だよ。彼らはボクの技術に全く到達できていないからね。理論を突き詰めないで、模倣することしか考えてないからこうなるんだよ。ここでボクが研究から抜けると、研究成果はブラックボックスとなってしまう。まあ十数年くらい経てば、解き明かせるかもね。でもその段には首国の学府が研究を独占するのは無理だろうね。そこでこの特許申請だよ。ボクが解き明かした研究成果を懇切丁寧に解説し特許として申請しようかな〜と、首国に親切に連絡してあげたのさ。首国は焦るだろうね。今まで独占しようしていた投資がパアになるからね」

「確かにそれはそうですが……」

 どのような研究かは分かりませんが、この法術師様のことですから、将来とてもすばらしい成果を上げる研究なのでしょう。しかし旦那様が関係している話とは思えないのですが。

「まあ長ったらしい説明を省くけどさ。ホーエイ殿、ボクの研究を買わないかい?」

 ベンジャミン様は郵便物から、また別の契約書を取り出しました。旦那様の顔はものの見事にカチコチに固まっておりました。

 ベンジャミン様も「あれ、崩すつもりが固まっちゃった」と惚けた顔で、惚けたことを申しております。

「………契約と言うのは屋敷に来る道中で話されていた研究のことですか?ご冗談を。とても一領主が契約できるものでは……」

 旦那様は何とか言葉を出すことが出来たようですが、声が上擦っております。

「ところがどっこい。契約できちゃうのだ。首国は研究を完成させるまで、決して公には出来ない。この研究はボク個人の研究でありながら、それを隠れ蓑に、秘密裏に国を挙げての事業を行っているわけさ。さらに首国の王族だってボクには手が出せないのだよ。ボクはワールドワイドなスター・アイドルだからね。引き抜き万歳!権力万歳!ボクの研究を横からかすめ取ろうとした首国に大義名分なんてないさ。別に他国にそれをゲロッちゃうことだってできるしね」

 私は旦那様ともども、あっけに取られてしまいました。この人はとんでもなく大物であると。

「契約は適正価格でさせて貰うよ。さすがにお友達価格で売ると後々まずいからね。ただしボクが言うのも何だけど、革新的な研究成果だから上手く売りさばいてね。ボクはそこら辺苦手だから、ホーエイ殿のほうがずっと上手くやれると思う。それこそ『国が傾く利益』をぶんどることを信じているよ」

 ベンジャミン様はニヤリと笑いました。旦那様もひどく不格好な笑顔を何とか浮かべていました。

 私はお茶の準備を済ませ、退室しました。

 二人はそれからも歓談を続けられました。結果は後日分かることでしょう。

 まことにベンジャミン様、変わり者にございます。



ミリア視点 了




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