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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第4章〈アヤメ2〉
112/114

(1)強くなりたい

 白く滲んだ風景の中。

 長く、影のような尾を引く人物が、僕に向かって声をかけてくる。

 ノイズ交じりの声。

 高いのか低いのか、小さいのか大きいのか、明るいのか暗いのか、平坦なのか癖があるのか、何も判別できない。


「………のような……を…の庭と……というんだ……」


「………昔は………て………いたけど………しか見たことはない……」


 なんとなくだけど、この人が今どんな気持ちでいるのか、僕は知っている気がする。

 顔は見えないけど、見たことはある気がする。

 愛おしい人だった。

 灰色の世界が色づいて見えるのはこの人がいたからだ。

 僕のことをどう思っているのだろうか。

 住む世界が違うこの人に、こんな思いを抱くのはいけないことだと分かっている。

 ずっとこの気持ちは秘めたままいようと思う。



「…………………………、……………………………………」


 歌が聞こえる。

 声というより風に近い音。穏やかで、心に染み入る旋律だった。

 僕の隣には二人の子供が仲良く座っていた。二人も歌声に聞き入っているのが分かる。


「……ン…………あ……………………」

 

 風景は段々と白い闇にのまれ、声ももうノイズで聞こえない。

 

 

 白い闇の中、僕は自分の手を見てみた。

 僕の手は、皮膚が裏返ってしまったかのような、ピンク色のグロテスクな肉の塊になっている。

 指の形など無い、ただの肉塊。

 腐ったような、鼻の曲がるような臭いが自分の腕から立ち昇っていた。

 腕から視線を外し、周りに目を向けたとき、見えたものは先ほどとは違う風景だった。

 

 暗い森の中。

 いや、正確に言えばただの森ではなかった。

 そこかしこに風化した石材や建造物の跡がある。まるで長い時間をかけて街並みが森に飲み込まれてしまったような有様だった。

 

 森には何かがいる。

 激しい増悪の眼差しで森のどこかから僕を見ている。

 僕の体に刃を刻み付けられたような痛みが走る。

 体が傷ついたわけではない。だけど息が止まってしまうような激痛を感じていた。

 

「ああ……、……は、どうして………ていないのに…………」


「……は全て忘れて………世界で…………幸………の誰かに…………………」


 森の中から声が聞こえる。

 空気が震え、木々が騒めく。生温い風に乗って、不気味な唸りと共に。

 言葉は理解できても、それは人間が発することが出来るような音ではなかった。

 そもそもこれは声なのだろうか。

 ただ物音が言葉のように聞こえているだけではないのか。


「…………忘れて………何も…せず…………苦……ただ………のに………。……けて…」


「……を……。………いる……けて。………すけて……」


「………、…すけて…」


「たすけて」


 悲しげな響きに思わず暗闇に手を伸ばした。手は何も掴むことなく暗闇に飲み込まれる。


 最後の言葉と共に森の中から一切の音が消える。

 静寂は一瞬でしかなかった。

 次の瞬間には恐ろしい叫び声が森に響き渡る。

 人の声ではない。獣の声などではない。

 獣の咆哮ですら優しい音だと感じるほど醜悪な声。

 肥え太った生き物の喉が潰れるほどの絶叫と、痩せ細った鳥の断末魔がない交ぜにされたような音が暗闇に轟いていた。

 



「うあああああっーーーーー!」

 勢い良く跳ね起き、そのままドスンと頭から床に落ちる。

 咄嗟に手を突くなどという運動神経をこの体は持っているはずもなく、あえなく顔と胸をしたたかに打った。


「い、つつっ………」

 辺りを見回して状況を確認する。

 目の前にはシーツの乱れたベッド。部屋の中はまだ暗い。

 打ち付けた頭を触ってみるがコブは出来ていないようだ。

 結構強く打ったが寝起きの為か痛みはそれほどではない。

 僕は床から体を起こしベッドに腰掛ける。

 夜着はじっとりと湿っていて体に張り付いて気持ち悪い。

 今の季節が熱いわけでもなければ、僕が厚着しているわけでもない。

「………また、あの夢か……」

 夢にうなされて出た汗だ。


 僕は生まれてから、何度か不思議な夢を見ることがあった。

 誰かが僕に訴えかけてくる夢。

 最近見る夢はとにかく「たすけて」という言葉が繰り返され、グロテスクな映像が流れるというものだった。

 「たすけて」という言葉に、僕は返事を返したことが無い。いつも言葉が出てこなかった。


 夢の内容が変わったのはオルリアンでの誘拐事件の後だった。

 あまり頻度は高くないが時々今日のような夢を見る。

 この夢は毎回同じではない。

 白い闇の中で誰かと話すだけのこともあれば、自分が得体のしれない何かに追われる夢もある。

 そして「たすけて」と誰かの声が聞こえてくるのだ。

 

 僕はすっかり目が覚めてしまったので、着替えることにした。

 夜着を脱いで体をタオルで一通り拭い、湿ったパジャマは取り敢えず洗濯かごに入れておく。

 今は誰も起きていないから後で洗濯をすることにする。物音を立てて起こしてしまうのは忍びないし。

 今日は朝から出かける予定もある。早起きしていても不思議はないだろう。


「……蒼」

 僕が声を掛けると目の前に小さな光が瞬いた。

 蛍のように本当に小さな光だ。今にも消えてしまいそうなほど。

「この夢は君が見せているの?」

 蒼い光は僕の目の前を泳ぐように漂うだけで否定も肯定もしない。

「やっぱり答えてくれないか……」

 空しい気持ちになるが、意味のない問いではない。

 僕は一度だけ、この蒼い光と声を交したことがある。

 オルリアン州国の造船上で黒ずくめの男に殺されそうになった際、僕は蒼い光の意思を聞いた。

 でもそれ以降明確な意思のやり取りは出来なくなった。なんとなく言いたいことが分かるときもあるけど、大抵はただ浮かんでいるだけで積極的に意思を伝えようとすることはない。

 

 蒼が僕と交わしたのは法術の記憶と何者かの意志だった。

 流れ込んできた断片的な法術の知識と能力。イデアの代償もこの時に知った。

 

 もう一つ、意志についてだがこれは未だよく分からない。悲しみや後悔と言った感情が流れ込んできたが、あまりに抽象的で何を伝えたかったのか理解は出来なかった。


 伝えられたことはこの二つだけだった。

 この光は僕の味方ではあるけど、後のことは不明なままだ。

 あの時は蒼がただ助けるために力を貸してくれただけだと思った。

 それが違うのではないかと感じ始めたのは何夜か経ってからだった。

 僕は法術に目覚めてから何度も夢で凄惨な助けを呼ぶ声を聞き続けた。その声はまっすぐ僕に届いている。

 夢を見る度に、あの時蒼から流れ込んだ抽象的な意思が、色を取り戻すように鮮明になってきている、今はそう感じていた。

 いつも同じ人間と語らい、幸福を感じ、絶望で幕を閉じる記憶を何度も見せられた。

 

 何度目かの夢の後、僕は蒼に尋ねた。

「君は僕にこの人を助けてほしいのか」と。

 蒼は肯定も否定もしなかった。

 今日のように。


 物言わぬ蒼い光を見詰めていると、廊下から人の足音が聞こえて扉がノックされた。 

「坊ちゃま、起きていますか?」

 扉の外から聞き慣れた女性の声がする。

「うん。もしかして、起こしちゃった?」

 この部屋、というよりこの屋敷のなかは特別防音に優れているから、夜中大音量で歌いださない限り隣まで音が響くことはないけど、さっきの叫び声はどうやら部屋の防音性を上回ってしまったのかもしれない。

「何か物音が聞こえたので、気になりまして……」

 ゆっくりと扉が開き、声の主が姿を現す。

 夜着にガウンを羽織ったこげ茶色の髪の女性。背筋が伸びていて姿勢がとてもいい。

「ごめんね。ミリア。ベッドから落っこちて変な声が出ちゃった」

 笑って誤魔化すように頬を掻く。

 女性は僕の発言を聞くや否や、素早い足運びで僕の目の前まで来て体をペタペタと触る。

「大丈夫ですか、坊ちゃま!お体は平気ですか?」

「いや、痛かったけど平気。というかミリア、心配してくれるのはいいけど声が大きくなっているよ」

 こげ茶の髪の女性ことミリアは、目を大きく開いて口を手で押さえた後、照れたように笑った。相変わらず若々しい反応だ。

「すいません。ついつい」

 僕はミリアの様子に笑いが漏れ、ミリアも僕の顔を見てつられるように笑った。


 

 僕が今暮らしているのはアンセー家の屋敷だ。

 生活をしているのは別館に設けられた部屋で、僕はミリアと共に寝起きしている。

 ミリアは使用人たちの暮らす建物に住むはずだったけど、あちらではなくこちらで寝起きするようにアンセー家の人たちが配慮してくれた。

 僕としては安心できるけど、ミリアはちゃんと休めているのだろうか。流石にずっとではなく、他の使用人たちと交代で別館に泊まっているみたいだけど心苦しくなる。


「しかし坊ちゃま、本当に平気なのですか?」

「大丈夫だよ。平気、平気」

 ミリアはなおも心配そうに僕を見てくる。

 前はここまで心配性では無かった気がするけど、僕とここで暮らすようになってから過保護さが増したような気がする。

 僕はまだ納得していないというように見詰めてくるミリアから目を逸らして、カーテンを開ける。

 まだ日は昇っていないが、遠くの街並みに僅かな明かりが見える。もう少ししたら外も明るくなるだろう。



 家族と別れ、この屋敷で暮らすようになって少しだけ日が流れた。

 時間の流れは僕の感じ方一つで変わる。

 この屋敷での日々は長く、とても長く感じていた。

 




 じんわりと気温が上がり出した時間帯、朝食を済ませた僕は首都の病院に来ていた。

 独特の薬品の匂いが鼻を掠める。懐かしい匂いともいえるかもしれないが、好きな匂いではない。

 どんな世界であろうとも病院というものは苦手だ。

 特に入院していた頃の不自由だった記憶があるため余計に。


 僕は手提げバックを抱えなおし、病院内の目的地を目指す。

 ここは僕が以前にもお世話になったことがあるため、簡単な病院内の構造は把握している。

 白い壁と、リノリウムによく似た光沢をもつ床の廊下を歩く。

 隣には僕よりずっと背の高い、女性としては少し背の低めな少女が隣を歩いている。

 陽光のような山吹色の髪をなびかせて歩く姿は、本当に鮮麗されていて見惚れてしまう。

 僕は一人ではなくキリエさんと一緒に来ていた。



 余談となるが、僕はアンセー家の養子となる手続きを終え、先日キリエさんの義弟となった。

 元の家系もアンセー家の縁者ということになっており、ジルグランツ家との関わりの一切を断った。どこを調べても僕が彼の家と関わりがあったという事実は出てこない。


 呼び方は今まで通りキリエさんと呼んでいる。キリエさんも僕のことをユキトちゃんと呼び続けている。

 できればちゃん付けは止めてほしいが、肉体年齢的には自然なので言い出しにくい。

「どうしたの。私の顔を不思議そうに見て」

 見惚れていましたとは言わず、「何でもないです」と返事をした。

 僕の隣を歩くキリエさんの顔は普段と変わらない。

 夕日のような鮮やかな色の瞳は細められ、見上げる僕に優しげな目を向けていた。


 その顔はどこか塗り固められた仮面のように映る。

 何時もと変わらない筈なのに無理に笑っているように見えてしまう。

 一緒に暮らすようになってからも心ここにあらずで、顔には影が落ちたように感じることがある。

 屋敷を初めて訪れてから数日はこんな顔はしていなかったと思う。表情豊かな人だと思っていた。

 キリエさんがただ優しげな顔をするようになったのは、僕が家族から離れて暮らすようになってからの変化だった。

 この前後で何かがあったのかもしれないが、僕には見当がつかなかった。

 キリエさんが僕に隠そうとしていることを僕が聞くわけにはいかなかった。

 

 声を掛けることが出来ず黙って廊下を歩く。キリエさんも特に会話を振ってこない。

 やがて見知った名の書かれた病室に辿り着いた。

 キリエさんはドアを軽くノックしてから病室に入る。キリエさんは返事を確認せず扉を開けていた。僕も驚きながらそれに続いた。


「へいっ、へいっ、へいっ、へいっ、へいっ!」

 

 部屋の中ではベンジャミン師匠がリズミカルな掛け声を上げながらスクワットをしていた。

 背中をこちらに向けていて僕らが部屋に入ったことには気付いていないみたいだ。

「ゴホンッ」

「へいっ、へ……い………」

 キリエさんが不自然なほど大きな咳をした。

 師匠は僕らに振り返り、大きな目をクリクリと泳がせながらひげを撫でた。

「君たち、ノックくらいしたらどうだね。ボクが着替え中だったら黄色い悲鳴が病院中に響いちゃうところだよ」

「先生、教えてください。安静にしなければいけないはずの先生は、今何をしていたのでしょうか?」

 なんとなくお茶を濁そうとする師匠だったが、キリエさんは師匠の言葉を聞こえているのかいないのか、師匠に質問を被せた。

 師匠はキリエさんを怯えた目で見上げた。顔にしっかりと冷汗を流しながら。

 キリエさんは相変わらず朗らかだ。

「キリエ君、スクワットは決して激しい運動ではないんだ。ボクにとっては呼吸と同じくらい自然な動作だね。だからボクは病室で大人しくしていたといえる。絶対安静の体現者だとスマイル君に言っておいて。じゃないと強制絶対安静にされちゃうから!」

 師匠はガクガクと震えながら自分の体を抱きしめていた。

 キリエはため息を吐いて「別に報告なんてしませんよ」と言って師匠に呆れた視線を送っていた。

 師匠はほっと息をつきながら僕に向けて親指を立ててきた。

 まるで「ちょろいぜ!」と言っているかのようですね。まだキリエさんが師匠から視線を外していないのに。僕の耳には「やっぱりお灸が必要かしら」って聞こえましたよ。

 

「スクワットは別として師匠、すっかり元気になりましたね」

「まあね!というかボクの主な症状は寝不足だっただけだからね。食っちゃ寝る、食っちゃ寝る、を繰り返すだけで復活してしまったよ」

 病院なのに高笑いを始める師匠。キリエさんが青筋を立てていた。

「ユキト君も元気そうだけど………」

「師匠、お願いですからそんな複雑そうな顔で僕を見ないでください」

 師匠は僕の頭の先からつま先まで見詰め、不憫そうな表情を見せた。

 反対にキリエさんは腹が立つくらい自慢げな顔だった。いや実際自慢している。

「どうです、この完璧な変装。ちょっと着飾るだけで別人です。さすがはユキトちゃん!」

「ウン、ソウダネ」

 師匠はこれ以上のツッコミを諦めたようだ。僕としても格好に触れないでいただけるとありがたい。

 あの惨劇のショッピングの時よりはるかにましだが、今の格好は知り合いに見られたくない。


 僕の格好のことはさておき、キリエさんは師匠に対して感情豊かになるようだ。

 多分僕がいなかったらもっと色々言えたりするのだろうけど、今は我慢しているように見える。

 僕はそれを見て何となく寂しい気持ちになるが、頭を切り替えて手提げバックを師匠に差し出した。

「師匠、これスマイル教授からです。お届けに上がりました」

 僕が差し出したバックを師匠は受け取り、中を見ずに部屋に備え付けられた机の上に置いた。

「ありがとうユキト君。お使いご苦労様。お駄賃を上げよう」

 師匠は巾着型の財布を机から取り出し、1枚の紙幣を差し出してきた。たしか1000ルクス札だ。3000円くらいの価値だったかな?

「下に売店があるんだ。好きなもの買っておいで。この部屋にはジュース置いてないし。おつりは返さなくていいから」

 おお、なんて太っ腹なんだ。

 僕が大人になったら言ってみたいセリフを軽々と。

「ありがとうございます。でも師匠とキリエさんの飲み物も買ってきていいですか?」

 流石に僕だけ飲み物を買って飲むのは悪いのでそう提案する。

 二人は笑って頷いた。師匠にはコーヒーを、キリエさんには花茶をお願いされた。

 僕は部屋を出て売店へと向かった。



◇ ◇ 第三者視点 ◇ ◇



「ちょっと悪いことをしちゃったね」

 ベンジャミンはそう言いながらユキトの出て行った扉に視線を向けた。

「ユキトちゃんには聞かせられないですから……仕方ないです。病院の中ですし『影』はつけてあります。問題はないでしょう」

 ベンジャミンもそれに頷き、キリエへと向き直った。

「それじゃあ、ユキト君が帰ってくる前に調査結果の報告をお願いするよ」

 ベンジャミンはキリエにそう切り出した。



「はい。先日頼まれた件ですが、先生がおっしゃっていたような消えた村というものはありませんでした。調べられえる限りではとしか言えませんが……。青の狂信者というのもやはり同様に実体は確認できませんでした。青を信仰している人間たちも組織だった人の集まりではなく、慈善家の集まりのようなものですし隠れ蓑にはならないでしょう。調査でも怪しい点はありません」

「やっぱりそうか。でも裏が取れたからある程度は憶測が立てられるか……」

「……トンネルの爆破の調査は先生が倒れてからほとんど進捗がありません。先生以上の法術師でもなければ調べようもないことですし、事実上そんな人材はいませんし」

 キリエの報告はベンジャミンにとって予想通りと言えるものだった。

 そのため落胆はあまりないがため息の一つも吐きたくなる。

 ベンジャミンは眉間に寄ってしまった皺を揉みほぐしながらベッドに腰掛ける。

「……先生、聞いてもいいですか?」

「体重とスリーサイズと身長と年齢以外なら何でも話すよ」

「先生を襲った賊の正体は本当に掴めていないんですか?」

 ベンジャミンはボケを華麗にスルーしたキリエを少しジト目で見つめ、睨み返されたので慌てて姿勢を正した。

「はい、相手は顔を隠していたので正体は分からなかったであります!」

 シャンと背筋を伸ばしながらベンジャミンは答えた。

「変な言い方はともかく、本当に心当たりがないんですか?」

「ゴホン。うん、それは本当だよ。いきなり現われて爆弾爆発させていったからね。駆けつけた人は灰色のローブを着た人間だったって言っていたけど、ボク自身はよく分からなかったし狙われる心当たりはないね」

 キリエはベンジャミンが苦々しそうに話す様子をジッと見詰めた。

 キリエ自身ベンジャミンの実力を高く評価している。それこそ人類?でトップクラスの戦闘能力を持つ人物だと。

 そんなベンジャミンが襲撃者に後れを取るとはにわかには信じられなかった。

 体調は限りなく最低だったそうだが、それでも彼がただの武装した人間程度に敗れるのだろうか。

「確か使われたのは反応爆弾ですよね。『現界』に存在するマナをエネルギーに強制変換させるという。使われた兵器もトンネル爆破のものと同じですし、トンネルの調査を妨害しようとしたと考えるべきでしょうか」

 キリエの問いにベンジャミンは首を横に振った。

「可能性はいくらでもある。流石にそうだとは断定できないね」

 ベンジャミンは顔を曇らせ腕を組む。

「そうですね。もう少し整理して考えます」

 キリエはそう答え、沈黙した。

 何時ものベンジャミンは、もっと色々な可能性を示唆してくるが今日はそれが無い。

 キリエはそのことに僅かに違和感を覚えるが、思考はすぐに事件のことに向いてしまった。

 

 襲撃者が誰にも見咎められずに学府に侵入したこと。

 並の兵器では在りえないほどの破壊の跡。

 ほぼ無傷で救出されたベンジャミン。

 現場から去った後、完全に痕跡を消した襲撃者。

 

 ポイントとなるのはこんなところだろうか。

 細々とした報告はスマイル教授がまとめてくれている。キリエはわざわざ報告する意味があるのかと考えたが、恐らく意見を出し合う意図もあったのかもしれない。今の自分が役に立っているかと言われれば疑問ではあるが。


 キリエは眉を寄せ、眼をきつく閉じて頭痛を堪えているように見えた。

「……キリエ君、どうかしたのかい?」

 ベンジャミンはキリエが顔を顰めたのを見て声を掛ける。苦しいというより苛立っているように見えた。

「……すいません。ちょっと自己嫌悪です」

 キリエはそう言ってまた口を閉じた。



 キリエの様子にベンジャミンは悩んだ。

 キリエは喋る気はなさそうだが、ここは聞いた方がいいのだろかと。

 普段よく余計なことを言って、台所によく出るあの虫を見るような目を向けられるベンジャミンだが、別に率先して嫌われようとしているわけではない。

 そのほとんどが不可抗力だ。本人の中では。


「……ボクは相談しやすい人間ではないかもしれないけど、何でもいいから言葉をぶつけるだけでもすっきりすると思うよ。そういう意味ではボクは適任だし」

 悩み事を解決するだけが正解ではないだろう。キリエは悩みを打ち明けられず抱え込む子でもある。

 相談が出来ないのならせめて苛立ちだけでもぶつけて貰えばいいだろう。

 ベンジャミンはそう考えてキリエに話しかけた。

「……すいません。一人で勝手に暗くなって。先生は体調を崩して病院にいるのに」

 キリエは頭を上げ、少し考えてからゆっくりと言葉を漏らした。

 言葉を選ぶように、整理するように。


「最近色々と気付くことがあります。いなくなって初めて気付くというのは本当ですね。彼が、ディッケンが支えになってくれていたんだなって」

 ベンジャミンは僅かに腕に力が入るが、小さなすぎる動作の為キリエも気が付かない。

「今もまた考えてしまいました。いつも馬鹿なことを言っていますけど鋭いときもあるし、彼と話していて自然と考えがまとまることもありました」

 キリエは過去を振り返りながら語った。

「勝手に従者を辞めたことには腹が立ちましたけど、仕方ないのかもしれませんね。私の方が主として、失格だったのかもしれません。今も心のどこかで彼に頼ろうとしていました」

 ベンジャミンはキリエの翳る顔をみて胸に痛みが走る。

 だがその痛みのままキリエに言葉を掛けるわけにはいかなかった。

「キリエ君。ディッケン君は君のことを尊敬していたよ。嘘じゃない。彼は面と向かって真面目な話をするのは苦手だから話はしなかっただろうけど」

 キリエはベンジャミンの言葉を聞き、キョトンとするが「確かに、冗談ばかり言っていましたね」と懐かしそうに納得した。

「ディッケン君もひょっこり帰ってくるさ。その時キリエ君からガツンと言ってあげればいいよ」

 キリエはベンジャミンに明るく笑顔を返した。

「帰って来ても絶対私の従者にはしませんけどね。厨房の下拵え係なら雇ってあげてもいいですけど。あそこは屋敷でも1,2を争うほど重労働ですし」

「そうだね。それがいいよ」

 ベンジャミンの悪戯を思いついた様な笑い顔に、キリエもつられるように笑った。



 ベンジャミンはディッケンの所業をその胸にしまったままだ。

 ディッケンのことは誰にも話していない。

 周囲には故郷に帰ったとだけ伝えている。

 もし法術師である自分を襲撃した人間がディッケンであると知られれば、ミニシーア大陸全土で指名手配され、極刑は免れない。

 魔物に対抗できる法術師の命を狙うということは、王族の命を狙うより重い罪とされている。

 

 ディッケンはベンジャミンにあんな態度で別れを告げれば、無理やりにでも止められることは理解していたはずだ。

 それでも彼はベンジャミンと言葉を交そうとした。

 ベンジャミン自身彼のことを理解し切れているわけではない。

 ディッケンが何を抱え、なぜその命を賭してまで行動を起こすのか。

 理屈やこじつけ、自分の尺度では彼を計ることは出来なかった。


 ただ一つできることがあるとするなら、彼の帰る場所を残しておくことだけだった。



 ベンジャミンはチラッと部屋の掛け時計を見る。

 そろそろユキトが戻ってくるだろう。

「そういえばアンセー家のユキト君はどうだい。元気にしているかな?」

「ユキトちゃんですか?うーん、まだ屋敷には慣れていないですね。ちょっと緊張していると思います。でもメイドのミリアとは自然体ですね。彼女がいてくれてよかったと思います」

 ベンジャミンは顎を撫でながら考え込む。

「そうだよね。まだ一月もたっていないし、慣れる方が難しいか……」

 ベンジャミンが考え込む様子にキリエは疑問を覚える。そんなに悩むような話題だっただろうか。

「さすがに時間が解決するしかないと思いますが……」

 キリエは控えめながら提案するが、ベンジャミンはキリエを見詰めてまた考え込んだ。

「……ユキトちゃんがどうかしたんですか?」

 キリエもベンジャミンの様子に訝しく思った。

「いいや、ちょっと元気にしているか気になったんだ。あの子は人に気を使うところがあるから」

「はあ……」

 本当にそれだけだろうかとも思ったが、キリエはそれ以上何も聞かなかった。



◇ ◇ 第三者視点 了 ◇ ◇



 病院の入り口から師匠の病室に着くまでに売店を見かけていたから迷うことはない。

 階段を転ばないように降りて歩いて向かう。

 師匠がいたのは6階で、個室の入院者がいる階なのだそうだ。

 3階から5階は共同部屋の病室になっている。

 1階は受付や検査室、処置室などが設けられている。この棟以外にもまだまだ施設が色々あるけど、キリエさんからは簡単にしか聞いていない。

 ここの病院は学府と連携しているため大陸の最新医療設備が導入されていて、僕の記憶にある病院の設備とそう大差がないレベルだった。

 ここまでの施設は大陸でもそうないという。

 

 そんなことを思い起こしながら歩いていると、前方から僕と同い年くらいの女の子とその母親と思われる親子連れが廊下をのぼってきた。

 僕は軽く会釈をしてすれ違ったけど、背中には視線を感じる。

 視線には気付かないふりをしてそのまま階段を下りて行った。

 キリエさん、やっぱりこの格好は無理があるのではないだろうか。



 1階の売店にお客さんはいなかった。どうやら僕と受付のおばちゃんだけの様だ。

 飲み物はガラス瓶のものと紙パックや紙コップのものがあった。

 コーヒーは紙コップのものしかなく、花茶はガラス瓶に入って売っていた。

 花茶はピンク色の鮮やかな色彩を放つ液体でおいしそうには見えない。飲むのは僕じゃないからいいけど。

 僕は自分の分のオレンジジュースの瓶と二人の飲み物を買った。

 紙コップのコーヒーは紙の蓋が付いているため押さえていれば零れることはない。

 二つのガラス瓶は売店のおばちゃんが持ち手のついた紙袋をくれたのでそれに入れる。

 これで心置きなく両手で紙コップを持つことが出来るというものだ。

 売店のおばちゃんは手を振って見送ってくるので僕も手を振り返しておいた。


 あちらこちらから視線を感じ、急ぎ足で売店から離れ、ロビーを横切り階段をのぼる。

 集まっていた視線が途切れたのを感じほっと溜息をつく。

 飲み物を零さないくらいの早歩きで師匠の病室に向かった。


 病室ある階に辿り着くとキリエさんが扉から出てくるところだった。僕には気付かず足早に反対方向へ歩いていってしまった。


 僕は扉をノックして師匠の病室に入る。

「おかえりユキト君。迷わなかったかい」

「はい。来るときに売店は目についたので。キリエさんはどうかしたんですか、急いでどこかへ向かっていましたけど」

「何でもないよ。少し外の空気を吸いたくなっただけみたいだよ」

 師匠はベッドに腰掛けたまま、小さく息を吐いた。なんとなく疲れているようにも見える。

 取り敢えずコーヒーを師匠に渡し、備え付けの椅子に腰かけた。

 自分がこうして人のお見舞いをしていると少し変な気持ちになる。前世の記憶にある僕が入院していた時、家族や友人たちは何を考えていたのだろうか。


「さて、キリエ君がいなくなったからというわけではないけど、君の話を聞かせて貰おうかな」

 師匠はベッドに腰掛け、こちらに目を向ける。

 相変わらずの鋭さにちょっと驚く。多分僕が二人に気を使って席を外したのも気付いているんだろうな。

「あはは、そんなに分かりやすかったですかね。でもキリエさんとの話は終わったんですか?」

 師匠は僕の問いに特に驚いた風もなく頷く。

「うん。まあね……」

 どんな話だったかは分からないが、あまり楽しいものではなかったのだろう。入院中の師匠にこれ以上負担をかけるのは気が引けるが、今僕が相談できるのは師匠しかいない。

 緊張を誤魔化すように手に持っていたジュース瓶をぎゅっと握りしめる。


「師匠、僕が法術の訓練を受けられるのはいつから何でしょうか」

 師匠は言葉の意味を確かめるように目を細め、こちらを観察してくる。

「……君はマナの領域を開けるようになってはいるけど、訓練を受けられるのはまだまだ先だね」

 予想はしていたがやはり駄目なようだ。

「それは、どうしてなんですか?僕は術式を使ってはいませんけど、法術の発動は出来ますよ」

「……君の年齢が若すぎるのが一番の理由なんだ。せめて10歳くらいまで成長すればマナのコントロール訓練が出来るかもしれないけど、いくらなんでも5歳は早すぎる」

 年齢に問題があるのだろうか。情緒の面でと言いうことなのだろうか。

「ところで、ユキト君、なぜ訓練の話を出してきたんだい?」

 師匠は恐らくこちらの真意を確認しよう問いを投げかけている。


「これから、僕はこの力に否応なく向き合わないといけないといけない場面があると思います。実際に法術の力に目覚めてから僕の周りで色々なことが起こりました。……多分これからも平穏ではいられないと思います」

 考えをまとめながら言葉を発する。言葉を吐き出していきながら自分の気持ちも固まってきている。

 師匠はゆっくりとした僕の言葉に、口を挟むことなく静かに聞いてくれている。

「今の僕は爆弾みたいなものです。大味な力の使い方しかできない、何かあっても足手まといにしかならない」

「僕は自分のことで誰かが危ない目に遭うのは嫌です。せめて誰も傷つけないようになりたいです……。何もしないでいるのが怖いんです……」

 感情に任せて言葉があいまいだったかもしれない。

 未だ捉えきれない自分の思いがあるため上手くまとめることは出来なかった。師匠にはちゃんと伝わったのだろうか。

 僕は師匠を見詰めながら口を閉ざした。

 師匠は目を瞑りしばらく黙っていた。音をほとんど通さない病室は静まり返り、空気が重たくなったように感じる。

 ベッドが軋み、沈黙の間が途切れたとき、師匠が口を開く。

「だから、訓練を受けたいということかな」

 僕は首を縦に振る。

「……君の言葉には共感できることが多いけど、肯定は出来ないね」

 

 師匠はそれ以上何も語らなかった。

 僕は言葉を続けようとしたが、それは音にならなかった。

 師匠の目は空虚で、疲れを感じているように見えた。

 何を考えているのか分からない。でもこれ以上師匠に声を掛けることは出来なかった。


 しばらくしてキリエさんが帰ってきたところで屋敷に帰ることになった。師匠は尋ねたときより幾分か疲れた顔をしていた。

 お見舞いに来たはずなのに師匠に心労を増やしてしまった。

「すいません。入院されているのにあんな話をしてしまって……」

 僕が謝ると師匠は「僕の方こそちゃんと答えられなくてごめんね」と言った。

 やはり師匠に相談すべきではなかったかもしれない。もとはと言えば僕の事情に師匠を巻き込んだ。過労まで追い込んだのも僕の件が大きく関係あるのだろう。

 師匠がそれを一切口に出さなくても。


「すいません……」

 謝っても困らせるだけだと分かってはいても、謝らずにはいられなかった。


 困った顔の師匠に見送られ、キリエさんと共に病院を後にした。

 キリエさんは心ここにあらずといった様子でぼんやりとしていた。

 帰りの馬車の中は静かで、僕は何も考えず賑やかな街並みを眺めていた。


 


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