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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第3章〈アヤメ〉
107/114

(7)心二つ2

(さあ、『私』が力を貸してあげる!存分に戦って見せてよ!)


 少女は言葉と共に消え去り、景色が色彩を取り戻す。

 

 ナディアが最初に取った行動は、異能封じの腕輪を外すことだった。

 強引に腕から抜き去ったため、皮膚が削れるが、まるで構わなかった。

 その判断がナディアの生死を分ける。


 新たに側面から狼型の魔物が突進してきていた。

 刹那の差で魔物の咢を転がりながら躱し、魔物の首を手刀で凪いだ。

 ナディアの手刀が通過した部位は消し飛び、金属にやすりを当てたような不快な音が響き、魔物の首が大地へ落ちる。


 首が大地に落ちたとき、さらに狼型の魔物が林から現われるが、ナディアは既に立ち上がり、迎え撃つ構えをとっていた。

 出合い頭に手刀で魔物の額を割り、そのまま全身に縦横無尽に走らせる。

 魔物の肉体が瞬きをする間にこぶし大ほどになるまで分解され、肉片は辺りに舞い、黒煙をまき散らす。

 明らかに身を守るというには過剰な攻撃が加えられていた。

 


 ナディアが未だ落ちてくる肉片を気にすることなく、死骸から吐き出される黒煙越しに前方の魔物たちを見詰める。

 魔物の赤い瞳と、ナディアの紅い瞳が絡み合う。

 先ほどまで殺気を放ちながら襲い掛かろうとしていた魔物の足は、止まっていた。


 人を前にして魔物がこのような行動をすることはない。

 殺意のままに人を殺す生物が躊躇などするはずがない。


 魔物たちは目の前の存在を、ナディアを人間であるかどうか認識できていなかった。

 ガストールも魔物と同様に動きを止め、驚きと戸惑いの表情を浮かべていた。

 今のナディアから発せられる気配は血が凍るほど恐ろしかった。

 周囲に無差別に振り撒かれた彼女の殺気が、誰を狙っているのか分からなかった。



 ナディアは体の調子を確かめるように、手を開いたり閉じたりを繰り返す。

 目を愉快そうに細め、獲物を数えるように視線を動かす。


(えへへへ、やっぱり体を動かすのは楽しいね!)

 おどろおどろしいまでの歓喜がナディアの胸の奥底から湧き出してきていた。

 現状を楽しいと感じる、内なるものの暗い喜び。

 命を掛け合い、重い命が易く潰える、この場所が、戦場が、血に染まってしまえと。

 異能封じを外したことで自分の中の『何か』の存在が鮮明に感じられるようになっていた。

 何者か分からないが、異能の力と深く関わるものだということは明らかだった。

 

(薄汚い人間が、まだ生きているの?さっさと死ねばいいのに!ふふふふ、約束が無かったら、一番に背中からお肉を食い千切ってあげるのに)


 目の間に自分を守るように立ち向かう、ガストールの背中が無防備で引き裂きたくなる。

 魔物より、周囲で必死に戦う教官たちを殺したくてたまらない。

 馬車に籠る学生たちを引きずり出し、魔物の前に晒してやろうか。

 味方から殺される彼らはどんな表情をするだろうか。

 

「駄目だ、駄目だ、駄目だ!魔物だけを、魔物だけを狙わないと……」

(もちろんだよ!あの子のために、ね!任せてよ!)

 ナディアは飲まれそうになる思考を、押さえつけ、渦巻く感情のすべてを魔物へと向ける。

 魔物はナディアの意志に反応するように戦闘態勢を取ろうとするが、未だ迷いのあるその行動は致命的に遅かった。


 莫大な赤色のマナの瀑布がナディアの体から漏れ出し、彼女の全身を覆うように収束する。

 通常の身体強化とは比べ物にならないほど、眩しい炎のようなマナの輝きが、魔物の目を焼く。

 

 光の放流で辺りが明るくなる中、ナディアは魔物に攻勢を仕掛けた。

 駆け出したナディアに対し、魔物は防御も迎撃も出来ず、まともに攻撃を受ける。

 ナディアは鎧の魔物の顔面に前蹴りを放った。

 鎧に覆われた額に足裏が触れ、そのまま泥に足を突き入れるように抵抗なく進み、肉体が泉に岩を投げ込んだような音を漏らし、四散した。

 強固だった鎧は粉々になり、胸から上の胴体を消失させている。


 続けざまに固まっていた狼型の魔物たちに突っ込み、手刀で首を凪ぐ。

 最早ナディアは素手ですらこの魔物に脅威を感じていない。作業を行うように淡々と首を飛ばしていった。


 二足歩行の魔物は狼型が全滅した段で、ようやく明確な敵意を抱き、ナディアに向かって来ていたが、やはり遅かった。

 魔物が振り上げた拳を手で払い、懐に入り、足を刈り取る。

 先にガストールと共に倒した時と同じ流れだが、結果はまるで違う。

 魔物の両腕は肘から、両足は足首から先が切り取られていた。

 魔物は巨体を傾かせ、地面に倒れ、転がり落ちた自身の手足をただ眺めた。


 ナディアは倒れた魔物の胸の上に乗り、その上から心臓部を踏みつける。

 勢いをつけるでもなく、ゆっくりと抵抗の出来ない魔物の胸部に足を沈ませ、骨を砕き、心臓を圧迫する。

 未だ衰えない殺意を抱きながら、血の泡を吹く魔物を見下し、河原の石でも眺めるように無感情、無機質な目で足に力を加えていく。


(あら?いいところなのに、まだいたのね)


 この魔物を助けようというわけではないだろうが、残っていた鎧型の魔物と二足歩行の魔物が同時にナディアに襲い掛かってきた。

 鎧の魔物は既に突進してきており、ナディアに高速で飛びかかって来ていた。防御も間に合わない。

 鐘楼でも打ち鳴らしたかのような音が鳴り響き、ナディアはまともに鎧の魔物の突進を体に受けた。


 衝突は確かに起こったが、魔物の思い通りにはならなかった。

 ナディアは片腕一本で魔物を受け止め、鼻頭を覆う鎧ごと肉に指を喰い込ませていた。

 魔物の巨体は空中で持ち上げられたまま静止している。ナディアは二足歩行の魔物の上から一歩も動いていない。

 魔物は拘束から逃れるため、体を暴れさせようとしたが、体に急激な負荷がかかり中断させられる。

 

 ナディアは掴んだ鎧の魔物を振りかぶり、近付きつつあった二足歩行の魔物に投げつけたのだ。

 撃ち出されたそれは、魔物の動体視力でさえ捉えること敵わない。

 空気を引き裂きながら鎧に覆われた巨体が、二足歩行の魔物の上半身目掛けて一直線に飛ぶ。

 鎧の魔物と二足歩行の魔物はぶつかり、お互いの血肉を混ぜあうようにして赤い花を咲かせた。


(弱い、弱い。もっと楽しめるのはいないのかしら)

 ナディアは足場にしていた魔物の胸部を踏み砕き、ガストールに一瞥もすることなく、赤い光を散らしながらその場を去った。


 ナディアが倒した魔物たちは赤い火の粉と黒煙を噴き上げ、空気を淀ませる。

 ガストールは痛めた体を庇いながら、戦いを呆然と眺めることしかできなかった。


「どうしたっていうんだよ、ナディア……」

 戦いではなかった。

 遊ぶように魔物を壊していた。

 人間が悪戯で小さな虫の命を奪うように、絶対的な力に胡坐をかいた、ただの遊び。

 あれをナディアが行ったなど信じられなかった。

 ガストールも場違いな感傷だと分かってはいたが、そう思わずにはいられなかった。



 戦いの怒号は未だ鳴り止まず、戦闘は人間側が圧倒的に不利な立場にあった。

 負傷者多数いるが、死者が出ていないことが不幸中の幸いだ。


 ナディアは煌々と輝く紅の尾を引きながら林を駆ける。

 完全に解放された異能は感覚を全て鋭敏にし、体感時間を引き延ばす。

 空気の流れも、死角となる木々の影も見える。動くもの全てが遅い。

 ナディアの速度は魔物たちに捉えられない。このスローモーションのような時間の中で彼女だけが早く動ける。

 まるで先ほどまでいた灰色の空間の少女のように。

 そもそもナディアに攻撃されているという認識はない。それ程の速度の違いがあった。


(楽しい、楽しい!もっと殺しましょう?惨たらしく殺しましょう?血肉をぶちまけるの?遠くに?遠くまで、ず〜と遠くまで飛ばしちゃいましょう!)

 頭に鳴り響く、調子外れの歓喜の声を無視しながら、ナディアは冷徹に魔物を手あたり次第に葬っていく。

 光を帯びた手刀や蹴撃は魔物の肉体を抵抗なく弾き飛ばす。

 彼女が攻撃に込めるマナの密度が桁違いすぎてほとんど抵抗できない。鎧や二足歩行の魔物の防御すら紙のように引き裂き、爆散させる。

 ナディアに降りかかった魔物の血は黒煙に成り切ることなく、新たな血で上書きされていく。

 体に纏った赤色の光は、黒煙と相まって赤黒いオーラをまき散らせながら戦場を駆ける。


 ナディアから垂れ流される超常的な力は本来ならまともに制御できず、己の体を破壊するだけだっただろう。

 彼女が力の解放を可能としている理由は、彼女と相反するかのように存在する、歪な存在。あの日、窮地に生まれ出でた存在のおかげだった。

 精神を蝕むような破壊衝動に晒されながらも、体は壊れないまま身体強化を扱えている。

 失われた血もマナの循環による代替えがなされ、無尽蔵ともいうべき力を発揮し、全能感が体を満たす。


「ああああっ!」

(あははははっ!おっきな魔物さんだ!)

 叫びを上げ、拳を握り、新たに見つけた自身の4倍はあろうかという巨体なトカゲ型の魔物に向かって幾百の拳を叩き込み、肉体を塵に帰す。

(もろーい!見かけ倒しなのね!)

 拳の余波が衝撃波となって大地を駆け抜け、魔物の後ろに会った地面まで吹き飛ばす。

 近くでそれに巻き込まれた教官が風に煽られ転がっている。


(あああああ、さっきからめんどくさいなあ!人間は大人しくどこか隅っこに行っててよ!もしくは死んでなさいよ!殺さないのも大変なんだよ!)

 まだ戦っている教官たちも、魔物を消し飛ばしながら通り過ぎる赤い光に戸惑い、認識できないでいる。

 ナディアはそんな彼らを見る度に集中を邪魔する彼女を押さえるのに苦心する。


(でも我慢するんだ。そしたらあの子は褒めてくれるかな?喜んでくれるかな?抱きしめてくれるかも?お願いを聞いてくれるかも?どうかな、『わたし』?)


 どんどんとあふれ出る力と比例して、内側にある狂気のような愛しさが、腐って煮詰められた執着が、心の坩堝に流し込まれる。

 ナディアはそれを振り払うように魔物に過剰な攻撃を加え、進行方向にある物体など、何もないかのように突き進み、破壊し尽す。


(死ね!死ね!壊れろ!壊れろ!)

 魔物を屠る度に、体中に甘い充足感が広がるが、まだ足りないとでもいうように更なる破壊を求める。

 知覚できるすべての魔物が消えるまで。




 体感では長い時間だった気がするが、恐らくそう時間は経っていないだろう。

 ナディアは最後の魔物の気配を打ち払い、動きを止める。

 広範囲索敵では5000エーデルの範囲に魔物はいない。ここまでの距離を探っていないのなら魔物の感知圏外だ。

 出現した魔物は一掃できただろう。

 

 安堵から大きく息を吐き、張り詰めていた気を緩めた。

 荒れ狂っていた感情の波もあっさり引き、平常心が戻ってくる。

 同時に『私』の存在にノイズが走り、彼女の気配が希薄になっていく。


「……意外と、律儀なのね。約束を守るなんて……」

(これ以上は、『わたし』が、持たない、からね……『わたし』が死んだら、あの子が悲し、むし……)


 ナディアは深呼吸を繰り返しながらマナの流れを鎮める。

 力を鎮めるにつれ、体に違和感が表れる。恐らくかなりひどい状態なのだろう。

 まだ異能封じを外したままであるため立っていられるが、封印を施せば、今度こそ倒れる。

 ナディアの根本は人の身だ。限度を弁えなければ易く死につながる。

 引き出した異能を鎮めながら、ナディアは学生たちがいる馬車の方角へ走った。



 馬車は街道に止まったままだった。教官たちはその周囲に集まり、辺りを警戒している。

 敵意の籠った眼でナディアがいる林の辺りを睨み付けていた。

 ナディアは林から顔を出すが、警戒は緩まる気配がない。いや、むしろ彼らから戦意すら感じる。

 ボロボロに変わり果てた武器を手に、魔物に相対すように陣形を組んでいた。

 ナディアはそれを見ながら、ゆっくりと歩みを進める。


「お前は、ナディアなのか?」


 教官の一人が汗を浮かび上がらせ、蒼い顔を引きつらせながらナディアに問う。

 他の教官も似たような状態で、震えを堪えている者もいる。

 押さえていても、異能の五感は人間の恐怖心から起こる生理的な反応を捉えていた。

 教官だけではない。

 馬車にいる学生も同じだ。明らかにナディアを恐れている。魔物の以上の化け物でも見るかのように。

 共に戦ったカルフィールたちやガストールの姿はない。

 恐らく馬車の中で治療を受けているのだろう。空気に薬品の匂いが交じっている。


「質問の意味が分からないんですが?」

 

 そんなことはない。

 痛いほど理解できる。

 彼らはナディアの名を呼んだが、本当に聞きたかったのは別の言葉だろう。

 

 お前は人間か?

 そう問うているのだろう。


 戦いの最中、ナディアから放たれた殺意は今もなおこの場にいる人間の精神を蝕んでいた。

 まるで化け物ではないか。

 魔物の次は自分たちに狙いを定めているのではないかと。

 

(悲し…ま、なくてもいいよ『わたし』。人間なん、てこんな、ものよ……利己、的で、醜、い……命、を、懸け…た同族さえ、敵意を、不、快、感……を露わに、する……喉元過ぎれば……熱、さ、を忘れる、というの、か、しら、ね)


 ナディアは首を振り、意識を切り替えるように教官たちの前を通り過ぎる。

 目の前を歩くナディアに対して、教官たちはそれ以上言葉を掛けることも、攻撃をすることも出来なかった。

 全てを暴き出すように輝く紅玉の瞳に晒され、金縛りにあい、その場に釘付けとなる。

 ナディアはそんな教官たちに何も言わず、荷馬車へと向かった。せめて人気のない場所で休みたかった。


(……あの、子、だけよ。あの、子、だけが…私を受け、入、れて、くれる……私の、こと、を思っ、てく、れる!)


 妄信的な『私』の言葉。

 でも今なら分かるかもしれない。

 あの子は確かに、ここにいる人間とは違う。


 ナディアは黙ったまま自分がいた場所に落ちている異能封じの腕輪を手に取り、荷馬車の荷台に乗り、傷だらけの腕にそれを付けた。

 貧血でも起こしたかのように体から力が抜け、意識が闇に落ちる。

 もう何も見たくも聞きたくもなかったナディアには、ちょうどいい眠りだったのかもしれない。


(またね……『わたし』。今回は何とか……けど、気を………駄目よ……。まだ、こ……は…始…り、でも、……いから……)


 ノイズのように雑音交じりの声が、意識を失いつつあったナディアの頭に響き、『私』の存在と共に掻き消えた。


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