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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第3章〈アヤメ〉
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(5.1)幕間.銀灰色の幻2


 青歴 622年 水の月 10夜



 セントリア教国の郊外に設け得られた植物園。

 併設された植物の蔦が幾重も絡みついた屋敷は、近所からは幽霊屋敷と呼ばれていた。

 ただしここはれっきとした人間の住人の所有物であり、あまり顔を見せないが家主も住んでいる。

 偏屈な人間と知られており、近所付き合いは一切していない。近隣の住人もこの屋敷に客人が出入りするところを見たことが無かった。

 

 この日の夜、珍しく夜も更けた時間に屋敷の窓から明かりがもれていた。

 部屋で照らされるランタンの小さな明かりは、そこに住む人間の人影を壁紙に描く。

 銘木で組まれた革張りの椅子に腰かけ、ガウンを着た老人がくつろいでいた。

 テーブルには酒精と肴が準備されており、グラスは二つ並んでいる。

 この部屋には老人以外の影は見えてはいないが、これから人が訪ねてくるのだろうか。

 最早時間は未明に差し掛かり、辺りに人の気配はないというのに。

 

 老人がまんじりともせずに目を瞑りながらじっとしていたところ、不意にランタンの明かりが途切れたように瞬いた。

 締め切っていた部屋に微風が起こり、老人の長い眉毛を揺らす。

 

「やっとかの。年寄りに夜更かしをさせんでほしいものじゃ」

 暗い部屋の隅、ランタンの光が届かない闇の中から、長身の男が姿を現す。

「まだ現役の癖に年寄りぶるなよ、じいさん」

 老人は生意気なことを言う男に対して、子どもっぽく唇を尖らせる。

「あんたにそんな仕草をされると目ん玉が腐るからやめてくれ……」


「ほっほっほっ、腐らせてやるためにやっとるんじゃから好都合よ。のう、ディッケン」

 老人は数か月ぶりの再会となる銀髪の青年、ディッケンの顔を悪戯っぽく見やる。

「あんたのその性格、年取る度に酷くなるな。アクシーバ司祭さんよ」

 老人、アクシーバは荒んだ目をげんなりとさせたディッケンに対して、からかうようにまた笑いを漏らした。



 ディッケン視点

 

 

 目の前に分厚いガラスで造られたグラスが置かれる。

 アクシーバ司祭はそのグラスにデキャンタを傾け、琥珀の酒精を注ぐ。

 部屋に立ち込めていた香りより一層甘い香りが鼻孔をくすぐり、喉が鳴る。

「ほれ、まずは飲め」

 言われるままグラスを傾ける。

 一口目は口に含み、舌の上で転がすようにゆっくりと味わう。丸みがあり、樽の香りの利いた味わいに年代を感じる。

 二口目には喉を鳴らして飲み込み、カッと熱くなる酒気に酔いしれた。

「じいさん、これ俺に出すには勿体ないぜ。もっと安い酒でいいだろうが」

「馬鹿を言うな。酒を出し惜しんでいたら、秘蔵のコレクションが秘蔵のまま終わってしまうじゃろうが」

 アクシーバ司祭はそう言いながら自分のグラスに手酌をしようとしたため、デキャンタを奪ってアクシーバ司祭の持つグラスに注いだ。

 アクシーバ司祭はこそばゆそうに笑みを漏らしながら舐めるように酒を飲む。

 仕草が一々あざとい気がするが、付き合いの長さで慣れはしている。

 

 用意された燻製のチーズや野菜の酢漬けを口に放り込みながら酒を傾けていく。

 酒と肴の合う、合わないはあるのだろうが、アクシーバ司祭は流石の年の功というか、いつ飲んでも当たりはずれが無く、肴はどれも旨い。

 適当に雑談を交わしながら杯を重ねていったところで、アクシーバ司祭の雰囲気が僅かに変わる。

「さて、そろそろ詰まらん話でもしようかの……」

 アクシーバ司祭は面倒だという感情を顔に張り付けているが、今日の本題はこの話だろう。相変わらずバレバレでもポーズだけは取りたがる狸じいさんだ。

 元々適当に飲んだら自分から切り出すつもりでいたが、まあいいか。


「で、どうなのじゃ。あれから約5年となるが」

「見つけられる限りは全部潰せたよ、お陰様で。……まあ、いろいろ面倒かけたな、じいさん」

 アクシーバ司祭はただ「そうか」と言ったきり黙り込んでしまう。

 俺は特に何も話題を振らずに、杯を重ねたが酔える気はしなかった。



「おぬしに伝えておかねばならないことがあるのじゃが……いや、あまり言いたくもないことじゃが、やはり言わなければいけないかのう……」

 この老人にしては歯切れが悪い。ろくなことではないのは分かるが、話を聞かなければ先には進まないだろう。

「それを言うために酒のペースがやけに早かったのか、じいさん。酔いに任せなきゃ言えないことなのかよ」

 訝しく目を向けるとアクシーバ司祭は苦り切った顔で空になったグラスの底を見詰める。

「怒らずに聞いてくるか」

「保証は出来ねえ」

「……わしの所為じゃないからな、わしの所為じゃないからな」

「早く言えよ」

 

 グラスに再びなみなみと酒精を注ぎ、それを一度飲み干してからようやくといった様子でアクシーバ司祭は重い口を開いた。


「はあ、あのじゃなあ……あちらからおぬしに任務のいら……」

 話の途中だったが、アクシーバ司祭が言葉を途切れさせる。司祭の視線を辿ると俺の手の中のグラスを見ていた。どうやら割れてしまったようだ。

 手が酒塗れになったが傷はついていない。

「やっぱり怒っとるじゃろ!わしの所為じゃないからな!おぬしが色々やらかしたせいじゃよ!」

「じいさん、そんなに捲し立てなくても良いっての。グラスは悪かったよ、割っちまって」

「いや、おぬし自分で気が付いておらんだろ、殺気が駄々漏れじゃ!わしの心臓を止める気か!」

 無意識に感情の制御が緩んでしまったらしい。最近は意識して押さえていなければ垂れ流しのような状態になっている。おかげで街中で寝泊まりするのに苦労している。


「心臓に毛の生えたじいさんがグダグダ言うなよ。おおらかに行こうぜ、おおらかに」

「わしがおぬしに言いたいわ!」



 このじいさんとは付き合いが長い。

 俺がある場所で死にかけていた時に拾われた。

 二振りの色金の剣と、それを操る腕を買われ、司祭の元で多くの仕事をこなしてきた。

 誰にも語ることは許されない。一生自分の腹の中にしまい込み続けなければならないような、所業の数々だった。

 こうやって面と向かって酒を酌み交わしてはいるが、俺がこの人に心を開くことは一生ない。それ程に深い溝が俺たちにはある。

 俺はこの人の元で、何度もあの時死んでおけばよかったと思えるほどの辛苦を味わったのだ。どれだけ付き合いを重ねようと、到底埋められるものではなかった。



「断ることも出来んことはない。ただおぬしはこの話を聞けば必ず受けると思うがのう」

「……内容は」

「最近になって魔物の領域の開拓が加速しておる。恐らくは大規模氾濫の前兆の所為じゃろう。これは問題ではない。むしろ喜ばしいことじゃ」

 語っているアクシーバ司祭の顔は欠片も喜ばしそうには見えないな。

「問題なのは今まで魔物の領域だった場所に、人間が造ったと思われる施設が見つかったことじゃ」

「潜入させたものからの報告では、おぬしが潰してきた狂信者たちの地下施設と同じ造りをしていたそうじゃ。潜入がバレてこれ以上のことは分からなかったがの」


 アルコールの火照りが一気に冷たい血に洗い流される。

 目の前のアクシーバ司祭の顔が引きつるのが見て取れる。

「なるほど、魔物の領域は盲点だった。狂った連中の思考は分かんねえもんだ」

「依頼は受けるか?今までの情報提供も含めて、あちらは過去のことも水に流すと言ってきておるぞ。おぬしにとっては都合にいいことだらけじゃろ?」

 俺はアクシーバ司祭を睨み上げ、割れたガラスの散るテーブルを叩く。

「あいつらが水に流そうが流すまいがどうでもいい。依頼は受けてやるよ」



 依頼内容の確認をし、部屋を出るときにふと思い出しことがあり、アクシーバ司祭に尋ねた。

「じいさん、そう言えば子飼いの法術師は見つかったのか?」

 アクシーバ司祭は迷うような様子を見せたが、仕方なさそうに答える。

「さあの、あれから行方不明じゃ。わしもおぬしに続いてあれにまで見限られてしまっては、いよいよ引退かの」

「そうかよ、隠居できていいじゃねえか」

 俺の軽口にアクシーバ司祭は、似合わない自嘲のような表情を作って笑った。

「残念ながら、わしが隠居できるのは墓の中だけじゃよ」


 そうつぶやいた言葉に対して特に言及することはしない。

 知り過ぎた人間の末路など、どれも碌なものではないだろう。俺も、司祭も。

「お互い生きてたらまた会おうぜ」

「少なくともおぬしより先に墓穴に入るつもりはないがの」

「業突張りのじいさんが」

 そう言い残して俺はアクシーバ司祭の前から姿を消した。





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