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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第3章〈アヤメ〉
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(5)二つの小隊3


 ナディアたちが開拓村ゼドルカードに帰還してからも結界は後退し続けていた。

 各地の魔物の攻撃は領域開拓軍の対処能力を上回っていた。

 このままのペースでいけば、ゼドルカードを含む最前線基地は七夜と持たずに全滅する。

 それだけ今回の大規模氾濫は規格外だった。

 本来魔物が偶発的に結界を攻撃することは在っても、積極的に攻撃することはない。

 あちらからはただの黒い壁としか知覚できないのだから。


 わずか半日での被害の拡大を受け、領域開拓軍は魔物の大規模氾濫が起きたものと判断し、各開拓村から戦力を前線へと集める。

 ゼドルカードにも派遣された兵が多く集まり、魔物の軍勢への対処のための部隊編成が行われようとしていた。

 学府に属する学生は民間人であるため、優先的に避難することに決定していた。


「いいのかな。自分たちは逃げて。自分たち第13師団の隊員よりは弱いけど、他の師団レベルなら十分に現役張れるくらいの強さなんだろ」

 ゼドルカード基地の相部屋で荷物をまとめながら、コルキアスは同室のライノにそう漏らした。

 コルキアスの言うことは事実であり、訓練中に第13師団の軍人たちから教えてもらったことだ。経験を別にすれば1班は確かに高い能力を持っていた。

「個人の実力で判断するな。それに第13師団以外は個人の実力じゃなくて連携が優れているんだよ。俺たちが交じっても足を引っ張るだけだし、第13師団に組み込まれても実力が足りない。結局は足手まといだ」

 ライノもどこか迷いを見せはしたが、振り払うように言い切る。

 コルキアスも意味のない呟きと分かっているのか、ため息を吐き、顔を落とす。

「だよな。ナディアくらい強ければ、話は違うんだろうけど……」

「やめろ。俺たちは帰るんだ。変なこと言うな」

 ライノの苦りきった顔にコルキアスも口を閉ざして黙々と荷物を詰め込んでいく。

 今やれることは早く基地から出ていくこと以外にない。



「イリスさんも小隊に組み込まれるみたいね。第13師団遊撃隊の……。大丈夫かしら」

「きっと……大丈夫ですよ」

 カルフィールとナディアも部屋の荷物をまとめている。

 どちらとも疲れが見えているが、カルフィールは暗くならないようにいつも通りの振る舞いを心がけていた。

 今朝から現在にかけてナディアの顔は暗く、張り詰めているからだ。

 確かに緊急事態ではある。それでも学生の中でここまで深刻そうな顔をした者はいない。

 今回はイレギュラーが発生しているが、過去の魔物の大規模氾濫も人の対処できないものではなかった。

 ここに来て少なくない人間と顔見知りになった。その中で死者が出るかもしないと思うと、やはり暗くなってしまうのだろう。

 カルフィールはナディアの様子を見て、繊細さゆえなのだろうと、そう結論付けていた。



 ナディアたちが基地の宿舎から出たとき、基地で演習を行っていた学生たちは出口に集まり、馬車へと乗り込むところだった。

 今こうしている間にも基地には人が集まり、忙しなく行動している。

 鋭く磨かれた刃物を突き付けられているような戦意がナディアの肌を刺す。

 獰猛な笑みを浮かべるもの。

 悲観に暮れるもの。

 ただ淡々と装備を確認しているもの。

 学生たちも基地内に立ち込める殺伐とした空気に飲まれていた。


「新しい一団が出てきたようだ。あれは……イリスさんたちの小隊か!」

 ライノが基地から出てくる人だかりを見て声を上げる。

 そのメンバーの殆どが彼らの顔見知りであり、第13師団のメンバーであることが明らかだった。

 

 一線を画すという言葉が当てはまる、隔絶とした空気を醸し出していた。

 メンバー全員が高位の実力を持つ異能者で構成され、集団となることで感じる威圧は基地内の空気を変えるほどだ。

 他の隊員たちも彼らに羨望の目を向けている。


 ゆっくりと人波を割りながら、彼らはナディアたちに近付いてくる。

「お、こっちに来るな。挨拶だけでもしておくか?」

「そうだな、それくらい許されるだろう」

 ライノたちの様子を見て、カルフィールもナディアを誘って、小隊員たちへと近づく。

 第13師団のメンバーは4人に気付き、顔を和らげて迎え入れた。

「おお、お前たちはご帰還か!俺もそっちに加わっていいか?」

「お前ひとり抜けても問題ねえよ。むしろいない方がいい」

「今のうちに軍籍を抹消しておきましょうか」

 軽い口調で話す彼らに悲壮感はない。

 学生たちに見せないようにしているのか、それとも平常運転なのかは定かではない。

 

「あなたたちにもっと色々教えたかったのですが、仕方ないですね」

 軽口が飛び交う中、イリスが前に出てきて4人と言葉を交す。

「あの……ギル班長は?」

 ギルはこの場にはいない。中継地も魔物の領域に飲み込まれ、連絡手段がなくなっているという。最悪の事態が起きたと思ってしまうのも仕方ないだろう。

「ああ、ギル班長なら心配ないですよ。あの程度でやられはしません。恐らく別の地区の軍勢を相手取って移動しているのでしょう。じきに連絡が入りますよ」

「違いねえ。次代の最高の法術師って言われている雪風様がいるんだ。あそこがやれることがあったら何処の部隊もおしまいだよ」

 イリスの言葉に別の隊員たちも頷いている。彼らは何の心配もしていないようだ。

 自分たちより軍の内情を知る隊員たちのお墨付きをもらい、4人の表情から少し硬さが抜ける。


「お前たちは、あの試合の時の学生たちか」

 小隊の中で一際背の低い男性が前に出てくる。

 赤眼をもった異能者、リアスだ。

 彼も軍服ではなく、他の異能者たちと同じ形の戦闘服身を包んでいるが、その色は目の覚めるような青色だった。

「リアス少佐、少佐が部隊の指揮を?」

「そんなわけあるか。私は主の剣だ。主の命に従うのみ」

 リアスはそう言いながら後ろに控えていた人物を見る。


 小さな影に、白い装束を身にまとった人影。

 頭にはフードを被り、ゆったりとした法衣のような服に身を包んでいる。

 まるで姿を隠すために着ているような服装だった。

 リアスの声に反応したその人物は顔を上げ、頭にかぶった法衣のフードを取り去る。


 見かけはナディアと同年代に見える少女だった。

 金糸のように細く滑らかな色素の薄い髪が肩にかかり、小さな顔には大きすぎる赤い縁取りの眼鏡がかけられている。

 肌の色は、健康的な白さと透明さを持っていた。

 整った面立ちと均整の取れたスタイルを持ち、人の目を惹きつけるような翠玉の瞳を宿していた。

 漂う雰囲気は冷たく、容姿と相まって陶器人形のように思えてしまう。

 容姿が優れているだけでなく、どこか純朴さと不敵さを兼ね備えた不調和な魅力を放っていた。


「この人たちがリアスの言っていた学生さんなの?」

 小さな唇から竪琴のようなに流麗な声が漏れる。

「はい。僕が相手をしたのは、この女学生だけですが」

 リアスがナディアに視線を向け、少女もそれにつられて視線を動かす。

 少女の瞳がナディアを捕えたとき、一瞬ではあるが驚きを示した。しかしそれはすぐに波のように引いてしまい、分からなくなる。

 代わりに恐ろしく険のこもった眼差しに変わっていた。

 それすらも可愛らしくはあるが、何の縁もない少女に厳しい目で見られるのには戸惑いを覚えた。

「へえ、似ているわね……」

 冷え冷えと発せられた声には負の感情が見える。リアスも少女の様子に眉を寄せた。

「どうしたのですか?」

「いえ、何でもないわ。ごめんなさい、学生さん。あなたの顔が私の知っている方に似ていたもので、つい」

 少女はコロリと表情を一変させ、朗らかに取り繕う。形だけの謝罪の言葉は空虚に聞こえた。


「あなた、名前は何ていうの?」

 今度は優しい口調で語り掛けられるが、どうにも嘘くさくナディアには感じてしまう。

 見下そうとしているようにも思える。

「私は、ナディア・ホーエイ・ジルグランツです。オルリアン州国出身です」

 少女は表情にこそ出さないが、ナディアを値踏みするように眺めた後、視線をリアスへと向けた。

「ねえ、彼女強いのでしょう?今から演習の続きをしないかしら」

 リアスは片眉を吊り上げ、訝しそうに少女を見る。

「それはどういった意味でしょう?」

「たいしたことではないわ。彼女を私の小隊に組み込んではどうかという話よ」

 少女の言葉にこの場の全員が驚きを露わにする。リアスも例外ではない。


「この私、エルキア・アズった!」

 少女、エルキアが胸を反らして名乗りを上げようとしたとき、突然彼女の体が前に倒れ、そのまま転んでしまった。

 運動神経が鈍いのか、手を地面に付けずに顔面と腹部を強かに打っていた。低く物凄く痛そうな音がした。

 何のことはなく、リアスが彼女の腰を小突いたのだ。

「何するのよ!」

 エルキアは顔を起しリアスを睨むように見上げるが、それ以上に強い眼差しでリアスはエルキアを睨み、押し黙らせる。

 エルキアの纏っていた厳かな雰囲気が霧散し、どこにでもいそうな女の子のように軽い調子に変わる。

 カルフィールは瞬時に彼女が猫を被っていたのだと思い至った。


「何を学生相手に名を名乗っているのです、あなたは」

 エルキアはその冷たい眼を受けて体をビクつかせて目を逸らす。しかし本人の矜持なのか、周りの目を気にしてか、立ち上がりリアスに睨み返した。

「あなたは私の従者でしょう!な、何睨み付けているのよ!」

「仮のでしょう。主よりあなたの護衛を任されたが故に僕はここにいるのです。あなたの生命は守っても、おかしな命令に従う義理はありません」

 リアスはそう言いながらナディアに向き直る。先ほどまでとは打って変わり申し訳なさそうな顔をしていた。

「すまないな。この娘にはよく言っておく。許してはくれないか?」

「い、いえ、気にしていませんから」

「勝手に謝らないでよ!私が悪いみたいじゃない!」

「あなたが悪い。それにこういうことは言いたくはないが、主に報告しますよ?学生を戦地に赴かせようとしたことを。それを主がどう思われるか、分からないあなたではないでしょう?」

 リアスの言葉に一変して顔色を悪くするエルキア。

 リアスの主がどんな人物かは不明だが、リアスの睨みに顔色一つ変えなかった少女にここまでの態度を取らせるのだ、余程恐ろしい人物なのだろうか。

 エルキアは悔しそうにリアスを睨み付け、ナディアを一瞥し鼻を鳴らしてから去っていた。

 コルキアスですら溢れる小物臭に苦笑いを漏らしていた。ただそれも可愛かったので若干彼の顔はにやけていた。

 

「あれも悪い娘ではない。ただお前のことが気になってちょっかいをかけてきたのだろう」

「そう、何ですか?」

 リアスは優しげな眼差しでナディアを見詰める。

「僕もようやく違和感の正体に気が付いたのだが、お前の顔は主に似たところがある。だから彼女も突っかかってきたのだろう。彼女は主を慕っているからな」

 リアスはそれだけ言うと軽く頭を下げてエルキアを追う。

 

「ナディアちゃんも災難ね」

 ナディアはカルフィールの言葉に曖昧に笑った。風のような会合でいまいち気持ちの整理がつかないが、気にしないのが一番だ。

 リアスの態度から察するに、恐らくあの少女も法術師だったのだろう。どう見てもただの一般人にしか見えなかったが、ああいう人物の方が人として分かり易い。


 小隊員たちはナディアたちにそれぞれ別れを告げ、基地の門へと足を向ける。 

「事態が収束した後、また会いましょう。ギル班長もあれであなたたちのことを気にかけていましたから」

 イリスはナディアたち4人に言葉を掛け、その場を離れる。

「はい、イリスさんもご無事で……」

「また会いましょう!イリスさん」

「ギル班長にもよろしく言っておいてください」

「頑張ってください!」

 後ろから届く言葉に胸を温かくさせながら、イリスは小隊員たちと共に基地の門へ向かった。



 続々と機甲車に乗っていく小隊の隊員たちが向かうのは結界の外、魔物のひしめく場所だ。

 学生たちは不安を覚えずにはいられないのに、戦う当人たちに気負った様子はない。

 ここにいる学生たちはいずれも領域開拓軍を目指す者たちだ。

 彼らは未来の自分の姿を重ねるかのように軍人たちの後姿を目に焼き付けた。

 


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